7月に亡くなった人々
日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | 備考 |
01 | 1988 | 加納竜一 | かのう・りゅういち | 84 | 元元日本映画社専務。被爆直後の広島・長崎で記録映画を製作。<資料年表:加納竜一> |
01 | 2000 | 宇都宮徳馬 | うつのみや・とくま | 93 | 政治家・実業家。月刊誌「軍縮問題資料」創刊。<資料年表:宇都宮徳馬> |
02 | 1982 | 高橋幸八郎 | たかはし・こうはちろう | 70 | 日本学術会議副会長[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人] |
02 | 1993 | 中野清一 | なかのせ・いいち | 88 | 広島大学名誉教授。元立命館大学教授。「あゆみグループ」を組織し、原爆孤児を支援。<資料年表:中野清一> |
03 | 2012 | 古浦千穂子 | こうら・ちほこ | 81 | 小説家、広島文学資料保全の会代表。『広島県現代文学事典』(執筆:梅原勝己)<資料年表:古浦千穂子> |
04 | 1981 | 木村功 | きむら・いさお | 58 | 新劇俳優。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)19230622生。<資料年表:木村功> |
06 | 1990 | 杉本春生 | すぎもと・はるお | 詩人、文芸評論家。『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)<資料年表:杉本春生> | |
06 | 1992 | 大原三八雄 | おおはらみやお | 87 | 「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)<資料年表:大原三八雄> |
06 | 2011 | 松浦総三 | まつうら・そうぞう | 96 | 評論家。19141125生。 |
06 | 2013 | 山口仙二 | やまぐちち・ | 82 | 長崎の被爆者。「藤居平一聞き書き」作業の中に登場。藤居の紹介で面談。<山口仙二> |
07 | 1976 | 板倉静夫 | いたくら・しずお | 50 | レッド・パージで三菱広島造船の首切りにあう。機関紙活動、労組書記の活動などを続けながら、1957年の第3回世界大会以来、広島原水協、広島原水禁の事務局次長を歴任。19250103広島市向洋本町生まれ。 |
07 | 1990 | 愛宮真備 | えのみやまきび | 92 | フーゴ・ラッサール=ドイツ生まれのイエズス会員。広島市の幟町天主公教会(幟町教会)で被爆。世界平和記念聖堂を建設することに尽力 |
07 | 2022 | 朝尾直弘 | あさお ・なおひろ | 90 | 1931年12月17日、大阪府吹田市生。京都大学時代の教官。一橋大学内地留学にあたり藤原彰教授を紹介していただく。 |
08 | 1979 | 朝永 振一郎 | ともなが ・しんいちろう | 73 | 物理学者。ノーベル物理学賞(1965年)。生誕1906年3月31日<朝永 振一郎> |
08 | 1992 | 木村毅一 | きむら・きいち | 88 | 京都大学名誉教授。京大理学部の助教授時代の1945年8月、調査団員として広島入り。 |
08 | 1995 | 河村盛明 | かわむら・せいめい | 72 | 『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』(河村盛明、六法出版社、1992.5.30)<河村盛明> |
09 | 1950 | 長崎五郎 | ながさき・ごろう | 67 | 『長崎五郎を偲ぶ』(長崎孝、19621225)。<長崎五郎を偲ぶ> |
09 | 1981 | 田中好一 | たなか・こういち | 87 | [50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆ドーム保存を推進。<資料年表:田中好一> |
09 | 2012 | 山田五十鈴 | やまだ・いすず | 95 | 女優。本名:美津<みつ>。映画「生きていてよかった」のナレーションを「山田美津子」名義で担当。 |
10 | 1993 | 井伏鱒二 | いぶせ・ますじ | 95 | 作家。本名:井伏 滿壽二。小説『黒い雨』の作者。『広島県現代文学事典』(前田貞昭・記) |
12 | 2011 | 沼田鈴子 | ぬまた・すずこ | 87 | 22歳の時、勤務先の旧広島逓信局(中区東白島町)で被爆。崩壊した建物の下敷きになり左足を切断。映画「にんげんをかえせ」(1982年)に、被写体として登場。<資料年表:沼田鈴子> |
13 | 1979 | 小倉馨 | おぐら・かおる | 58 | 広島平和文化センター事務局長(1977年~)。[69原爆被災資料広島研究会]。原爆資料館館長。『広島県史原爆資料版』所収の英文資料の翻訳でお世話になる。<資料年表:小倉馨> |
13 | 2005 | 橋口収 | はしぐち・ おさむ | 大蔵官僚。19210908生まれ。広島銀行頭取(198406)、広島商工会議所会頭(1988~99)を歴任。著書『「近代」の座標軸を求めて― 文明・文化そぞろある記』(金融財政事情研究会、19970716) | |
13 | 2011 | 末宗明登 | すえむね | 84 | 1988年から2005年まで広島県原爆被害者団体協議会<金子一士理事長>事務局長。「広島被爆者団体連絡会議」の事務局長も経験。<資料年表:末宗明登> |
14 | 1976 | 山崎与三郎 | やまさき・よさぶろう | 86 | [1969原爆被災資料広島研究会]。<資料年表:山崎与三郎> |
14 | 1994 | ロベルト・ユンク | ゆんく | 『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会、2018年7月10日)<資料年表:ロベルト・ユンク> | |
14 | 2008 | 田中隆荘 | たなか・りゅうそう | 82 | 生物学者。広島大学学長・広島市立大学初代学長。<田中隆荘> |
14 | 2015 | 竹前栄治 | たけまえ・えいじ | 84 | 占領史研究家。出版社の叢書執筆者の会合で同席。介護犬同伴だったことに強い印象。<資料年表:竹前栄治> |
15 | 2004 | チャールズ・スウィーニー | 84 | 長崎原爆投下爆撃機ボックスカーの機長(少佐、25歳)。 『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』(チャールズ・W・スウィーニー著 黒田剛訳、原書房、2000/07/31) | |
17 | 1982 | 江上不二夫 | えがみ・ふじお | 71 | 生化学者。元日本学術会議会長[1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[1982推進連絡会議呼びかけ人]。 |
17 | 1999 | 北西英子 | きたにし・ひでこ | 70 | 「広島女性史研究会」代表。論文「近・現代広島女性の歩み」(『広島市公文書館紀要 第14号』)<北西英子> |
18 | 1991 | 坪田正夫 | つぼた・まさお | 67 | 大阪市生野区原爆被害者の会会長。句画集「かの一ぱつの原爆に」(新樹社)。<坪田正夫> |
18 | 2004 | 林茂夫 | はやし・しげお | 75 | 本名:塩伸一。軍事評論家。京大原爆展の関係者。追悼論文集『無防備地域運動の源流―林茂夫が残したもの』(日本評論社、20060720)<林茂夫> |
18 | 2017 | 日野原重明 | ひのはら・しげあき | 105 | 聖路加国際病院理事長。<資料年表:日野原重明> |
18 | 2019 | 天野之弥 | あまの・ゆきや | 72 | 外交官。国際原子力機関(IAEA)事務局長。 |
19 | 1977 | 大木惇夫 | おおき・あつお | 82 | 詩人。広島市天満町生まれ。本名・軍一。広島商業学校卒業。1941年、文化部隊宣伝班の一員として、ジャワ作戦に配属。『広島県現代文学事典』(石田浩子・記)。<資料年表:大木惇夫> |
19 | 2011 | 原田芳雄 | はらだ・よしお | 71 | 俳優。映画『父と暮らせば』(原作:井上ひさし、監督:黒木和雄)に父役で出演。2004年公開。 |
20 | 2008 | 佐々木寅夫 | ささき・とらお | 70 | 洋画家、日展会員。1938年広島県山県郡豊平町生まれ。『ひろしまインターネット美術館』 |
20 | 2019 | 岡本三夫 | おかもと・みつお | 86 | 平和学者。1976年、四国学院大学で初の平和学講座を開講。1992年に第9条の会ヒロシマを結成。<資料年表:岡本三夫> |
21 | 1992 | 徐立伝 | じょ・りつでん | 70 | 広島刑務所内で被爆した中国人 |
22 | 2021 | 那須正幹 | なす・まさもと | 79 | 児童文学作家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)。 |
24 | 1991 | 志水清 | しみず・きよし | 84 | 元広島大学原医研所長。<資料年表:志水清> |
24 | 2011 | 増岡博之 | ますおか・ ひろゆき | 88 | 67年衆院選(旧広島2区)に自民党から出馬、初当選、当選8回。この間、厚相、党国対委員長などを歴任。 |
26 | 1980 | 今中次麿 | いまなか・つぎまろ | 87 | [52広島平和問題談話会](広島大学政経学部教授)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。広島大学名誉教授。世界平和評議会評議員、第1回原水爆禁止世界大会議長、広島平和教育研究所議長。『広島県大百科事典』(中村義知・記)。<今中次麿 生涯と回想> |
26 | 2019 | 山本治朗 | やまもと・じろう | 70 | 中国新聞社社主・会長。『中国新聞百年史』(中国新聞社史編さん室、1992/12/15) |
28 | 2010 | 増岡敏和 | ますおかとしかず | 82 | 8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。<資料年表:増岡敏和> |
30 | 1980 | 山下 義信 | やました・ぎしん | 95 | 元参院議員。1945年に原爆孤児を養育する「広島戦災児育成所」を創設、参院社労委員として原爆医療法制定に尽力。<資料年表:山下義信> |
31 | 2001 | 小寺 初世子 | こでら・さよこ | 69 | 大阪国際大法政経学部教授、広島県立広島女子大名誉教授、国際法。論文:「朝鮮人被爆者の法的地位」(『広島女子大学文学部紀要 第7号』1972)<資料年表:小寺初世子> |
?? | 2011 | 村上経行 | むらかみ・つねゆき | 93 | 『平和に生きる』(村上経行後援会、1972.10.1)、『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経経行後援会、1975.12.25)、<村上経行> |
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