10月に亡くなった人々
日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | 備考 |
01 | 2012 | 河合護郎 | かわい・ごろう | 84 | 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。1950年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任。1987年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。資料年表:河合護郎 |
02 | 2014 | 坂本義和 | さかもと・よしかず | 87 | 国際政治学者。 |
02 | 2015 | 犬丸義一 | いぬまる・ぎいち | 87 | 歴史研究者。1967年の歴史科学協議会の結成に参加、全国委員を務める。元長崎総合科学大学教授。資料年表:犬丸義一 |
02 | 2017 | 中村敏 | なかむら・さとし | 73 | 中国新聞記者、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部幹事、広島マスコミ9条の会運営委員など歴任。『中村敏遺稿集』。「中村敏さんを偲ぶ会」(20171118、会場:広島市文化交流会館) |
02 | 2018 | 西川潤 | にしかわ ・じゅん | 82 | 1936年 9月22日 生。平和研究の草分け。学生時代から早大代表として原水爆禁止運動に参加。(大平隆彦「西川潤さんを悼む」『中国新聞』20181214) |
03 | 2017 | 佐伯敏子 | さえき・としこ | 97 | 「被爆者の魂守り続け 97歳 佐伯敏子さん死去」(宮崎園子『朝日新聞20171005』)、「原爆供養塔通い40年 佐伯敏子さんを偲ぶ会」(宮崎園子『朝日新聞20171204』) |
05 | 1972 | 細田民樹 | ほそだ・たみき | 作家。1982年生。『広島県大百科事典』(坂根俊英・記)『広島県現代文学事典』(石田浩子・記)。 | |
05 | 2001 | 瀬長亀次郎 | せなが・かめじろう | 94 | 沖縄人民党委員長。衆議院議員として人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長。資料年表:瀬長亀次郎 |
07 | 2001 | 大牟田稔 | おおむた・みのる | 71 | 元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)。資料年表:大牟田稔 |
08 | 1982 | ノエルベーカー、フィリップ・J・ | 92 | 英の平和運動家。1962年、初めて広島を訪問、ヒロシマ会議(1970年)、77年、81年にも来訪。[70ヒロシマ会議] | |
08 | 2000 | 高木仁三郎 | たかぎ・じんざぶろう | 62 | 市民団体「原子力資料情報室」代表。 |
09 | 1992 | 今堀誠二 | いまほり・せいじ | 77 | 広島大学名誉教授。前広島女子大学長。資料年表:今堀誠二 |
09 | 1994 | 飯沢匡 | いいざわ・ただす | 85 | 『アサヒグラフ 8月6日号 原爆被害の初公開』発行時の同誌編集長。 |
10 | 2009 | 新江義雄 | しんえ・よしお | 62 | 筆名:山ノ木竹志。広島合唱団。2009/1/24 山ノ木竹志とその仲間たちコンサート (県民文化センター)2010/1/31 山ノ木竹志をうたうコンサート (厚生年金会館)。資料年表:新江義雄 |
11 | 2003 | 田坂正利 | たさか・まさとし | 76 | 福島病院院長。1927年呉市生まれ。 <田坂正利> |
11 | 2017 | 荒井信一 | あらい・しんいち | 91 | 歴史学者。「日本の戦争責任資料センター」共同代表、「戦争と空爆問題研究会」・「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」などの代表を務める。『朝日新聞』2017.11.5 資料年表:荒井信一 |
12 | 2006 | 田端展 | たばた・てん | 79 | 小説家。本名:小久保三好。広島工業専門学校1年生の時、勤労動員先の中国配電大洲製作所(爆心地から3・6キロ)で被爆。享年79歳。『広島県現代文学事典』(寺島洋一・記) |
13 | 2002 | 関屋綾子 | せきや・あやこ | 87 | 東京YWCA、日本YWCA会長、世界平和アピール七人委員会委員、原爆の図丸木美術館館長。関屋綾子 |
14 | 1953 | 徳田 球一 | とくだ ・きゅういち | 59 | 日本共産党(戦後)書記長(初代)。『原子爆弾と世界恐慌 時局と生活叢書1集』(19491225)徳田 球一 |
15 | 1980 | 栗原唯一 | 73 | 『栗原唯一追悼 平和憲法の光をかかげて』(栗原貞子、詩集刊行の会、1980.1.15)。元社会党県議. | |
15 | 1990 | 土門拳 | どもん・けん | 80 | 写真家。1958年に被爆者を写した写真集「ヒロシマ」を発表。『広島県現代文学事典』(田中裕之・記)。 |
15 | 1993 | 香川亀人 | かがわ・かめと | 97 | 広島県呉市。方面委員、民生委員。 |
15 | 2010 | 松尾雅嗣 | まつお・まさつぐ | 65 | 元広島大平和科学研究センター長。資料年表:松尾雅嗣 |
16 | 1990 | 原田一三 | はらだ・いちぞう | 86 | 広島県能美島出身。日中友好協会呉支部長。宇吹が小学生から中学生にかけ切手収集の趣味を持ったのは先生のおかげ。 <原田一三> |
16 | 1990 | 三宅泰雄 | みやけやすお | 82 | 元東京教育大学教授。「第五福竜丸事件」の調査にあたり、原水禁運動に貢献。 |
18 | 1979 | 坂田修一 | さかたしゅういち | 71 | [1954世界平和集会世話人(常任)](広島市助役)。広島市助役(1951年6月~55年4月)。広島平和文化センター理事長(初代、1967年~73年8月。 |
18 | 1982 | 重藤文夫 | しげとう・ふみお | 79 | 広島原爆病院の初代院長(被爆者)。[1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。原爆病院長室で面談、資料を閲覧。<資料年表:重藤文夫> |
19 | 1995 | 丸木位里 | まるき・いり | 94 | 日本画家。「原爆の図」。『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)資料年表:丸木位里 |
22 | 1922 | 青木圭介 | あおき・けいすけ | 77 | 1973広島女子大学文学部社会福祉学科、2001年4月京都橘女子大学文化政策学部。2010年4月1日学長(第10代)。 |
23 | 23 | 久保田卓三 | くぼた・たくそう | 県立三次中学校在学中、海軍第一空廠に勤労動員、1945年8月6日被爆。公認会計士。 | |
24 | 2021 | 坪井直 | つぼい ・すなお | 96 | 日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。資料年表:坪井直 |
25 | 1955 | 佐々木禎子 | ささき・さだこ | 12 | 広島市の中学生、白血病で死去。佐々木禎子 | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com) |
25 | 2011 | 安倍一成 | あべ・ かずなり | 84 | 山口県原爆被爆者支援センター「ゆだ苑」理事長(1993年〜2008年)。1986年中国文化賞受賞。 |
26 | 1965 | 三村剛昂 | みむら・よしたか | 67 | 1898年3月広島県竹原生。広島文理科大学教授(物理学)の時被爆。 |
26 | 2017 | 神田三亀男 | かんだ・みきお | 95 | 民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』(綾目広自・記)資料年表:神田三亀男 |
27 | 2003 | 石田明 | いしだ・あきら | 75 | 全国原爆被爆教職員の会会長、広島県原水禁代表委員、社民党同県連顧問、元同県議。17歳の時、広島原爆の爆心から約1キロの広島市中区八丁堀の路面電車の中で被爆。教員、広島県教組委員長を経て83年から県議となり、今年4月に引退。原爆白内障の認定申請却下を不当とした「石田原爆訴訟」を広島地裁に起こし、76年7月に全面勝訴。自社さ連立政権下、94年の社会党(現社民党)の基本方針転換には同県本部を挙げて反対。資料年表:石田明 |
29 | 2023 | 中塚明 | なかつか・あきら | 94 | 元奈良女子大学文学部教授。19290917生。大学(京都大学文学部史学科国史学専攻)の先輩。資料年表:中塚明 |
30 | 1997 | 栗栖洋 | くりす・ひろし | 67 | 広島県被団協、常任理事、事務局次長、副理事長を歴任。『わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集』(広島県原爆被害者団体協議会被爆者相談所、1998/10/30)資料年表:栗栖洋 |
30 | 2016 | 宗藤尚三 | むねとう・しょうそう | 88 | 広島県府中町・こばと幼稚園園長。被爆牧師。 |
31 | 2014 | 本島等 | もとしま・ひとし | 92 | 元長崎市長。 |
** | 2018 | 山下義宣 | やました・よしのり | 創価学会青年部広島県反戦出版委員会委員長。胎内被爆者。宇吹の高校時代の同級生。 宇吹メモ:1990410創価学会小西・山下来所。山下義宣 |