1月に亡くなった人々
日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | 備考 |
02 | 1994 | 日詰忍 | ひづめ・しのぶ | 91 | 広島県被団協理事。1955年皆実原爆被害者の会会長。原水爆禁止広島母の会の活動、機関紙「ひろしまの河」。<別記> |
02 | 2011 | 林幸子 | はやし・さちこ | 81 | 原爆詩「ヒロシマの空」の作者。「林幸子さん遺影登録 広島祈念館」(『中国新聞』2018.6.7 西本雅実の紹介記事) |
03 | 2000 | 山口勇子 | やまぐち・ ゆう | 83 | 児童文学者。『広島県現代文学事典』(三浦精子執筆)。1982年3月25日、平和親善センターで面会。三宅・網岡両氏、同席。<別記> |
04 | 1969 | 高野源進 | たかの・げんしん | 73 | 広島原爆被爆時の広島県知事。広島原爆被爆時の広島県知事。参考文献:安藤福平「原爆被災と行政」(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会(広島県・広島市)編『広島の復興経験を生かすために 廃墟からの再生 第3巻 ひろしま復興・平和構築研究事業報告書』2017年) |
04 | 2010 | 山口彊 | やまぐち・つとむ | 93 | 三菱重工業長崎造船所設計技師。広島と長崎で被爆。 |
04 | 2015 | 金子一士 | かねこ・かずし | 89 | 船舶会社に勤めていた19歳の時入市被爆。広島県被団協理事長。「本川小学校平和資料館」(1988年5月開設)の開設前に面談。「金子一士さんを偲び意志をつぐ会」(2015年5月16日、広島国際会議場)に参列。<金子一士さんを偲び遺志をつぐ会> |
04 | 2016 | ヨシダ・ヨシエ | よしだ・ | 86 | 本名:吉田早苗。出典:岡村幸宣「ヨシダ・ヨシエさんを悼む 「原爆の図に新たな命」」(『中国新聞』20160119)。本名=吉田早苗=よしだ・さなえ、美術評論家。『戦後前衛所縁荒事十八番』(ニトリア書房、19720805) |
05 | 2000 | 伊藤サカエ | いとう・さかえ | 88 | 日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県被団協理事長。広島県呉市生まれ。広島市鶴見橋で建物疎開作業の勤労動員中に被爆。矢野町議会議員、同町婦人会長などを歴任。「伊藤サカエさんを語る会」(広島市原爆被害者の会主催、2013年4月16日。4回目の「先人を語る会」) |
05 | 2012 | 林光 | はやし・ひかる | 80 | 作曲家。1971年合唱曲「原爆小景」。「反核・日本の音楽家たち」の呼びかけ人」。 |
06 | 1998 | 安江良介 | やすえ・りょうすけ | 62 | 岩波書店社長。大江健三郎の広島取材を編集者として支える。1998年8月15日、日本ジャーナリスト会議広島支部「8・15不戦の夕べ」で講演「戦後民主主義とヒロシマ」。 |
07 | 1989 | 裕仁 | ひろひと | 87 | 追号:昭和天皇。宮内庁ホームページhttp://www.kunaicho.go.jp/ |
07 | 1996 | 岡本 太郎 | おかもと ・たろう | 84 | 芸術家。メキシコで制作した壁画「核の神話」の広島市への誘致運動が起こる。 |
08 | 1975 | 山田節男 | やまだ・せつお | 76 | 広島市長。1969年ハマーショルド記念国際平和賞受賞。[70ヒロシマ会議]。『山田節男追想録』。<別記> |
08 | 1994 | サマヴィル、ジョン・M・ | 88 | 米国の哲学者。『平和のための革命』(ジョン・サマヴィル、芝田進午訳、岩波書店、19741216) | |
09 | 1978 | 久保良敏 | くぼ・よしとし | 64 | [51広島大学平和問題研究会理事(皆)]。広島大学名誉教授。産業社会心理学専攻。被爆直後の人間の心理を初めて学問的に分析。遺された資料を一時預かる。 |
09 | 1885 | 藤井日達 | ふじい・にちだつ | 99 | 日本山妙法寺の山主。1982年の国連軍縮特別総会に参加するなど平和運動に貢献。[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[82推進連絡会議呼びかけ人]。『毒鼓(どっく)』(藤井日達、わせだ書房、1961.5.10)。『写真集 撃鼓宣令』 (柏樹社、19850528) http://nipponzanmyohoji.net/ |
09 | 2005 | 小川修三 | おがわ・しゅうぞう | 81 | 『小川修三博士を偲んで』(小川修三先生追悼文集発行呼びかけ人、200606) |
10
|
1951
|
仁科芳雄 | にしな・よしお | 61
|
物理学者。岡山県生まれ。理化学研究所で1943年に原爆開発のための「二号研究」を発足させる。被爆直後の広島・長崎で調査。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<別記予定>。『広島県史 原爆資料編』に関連資料を収録。 |
10 | 1967 | パールRadhabinod Pal | 71 | インド人法律家。東京裁判でインド代表判事を務める。彼の原爆慰霊碑の碑文についての発言をめぐり論争が起こる。『日本無罪論』、『平和の宣言』。 | |
11 | 1966 | 大原博夫 | おおはら・ひろお | 71 | 衆議院議員。広島県会議員、同議長。広島県知事。広島県医師会長。『大原博夫伝』(大原博夫追想録編集委員会、1971.3.20) |
11 | 1998 | レイノルズ、アール | れいのるず | 87 | 広島の反核運動の先駆者で米国の人類学者。1960年、広島女学院客員教授。参考サイト=「バーバラ・レイノルズ」、「年表 レイノルズ夫妻」、「広島平和科学研究所」 |
11 | 2015 | カートライト、T | 90 | 米軍B24爆撃機の元機長。広島で捕虜となった同僚を原爆で失う。出典:『中国新聞』20150116(金崎由美・記) | |
11 | 2020 | 八杉康夫 | やすぎ・やすお | 92 | 戦艦大和の元乗組員で生還者。広島の救援活動で入市被爆。著書『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』(八杉康夫著、栗野仁雄<構成>、ワック、20021208) |
12 | 2021 | 半藤一利 | はんどう・かずとし | 90 | 作家。日本近現代史を対象とした。 |
12 | 2019 | 市原悦子 | いちはら・えつこ | 82 | 俳優。映画「黒い雨」(今村昌平監督)に出演。 |
13 | 2000 | 赤松俊子 | あかまつ・としこ | 87 | →丸木俊。『広島県現代文学事典』 |
13 | 2000 | 丸木俊 | まるき・とし | 87 | 画家。疎開先の浦和市から広島に入市し被爆。夫・位里と『原爆の図』全15部を制作。世界平和文化賞(1953年)、国際童画ビエンナーレのゴールデンアップル賞(1971年)、朝日賞(1995年)などを受賞。 |
13 | 2016 | 広瀬方人 | ひろせ・まさひと | 85 | 長崎被爆者。 |
14 | 1992 | 於保源作 | おぼ・げんさく | 87 | 広島市医師会副会長。被爆者の癌の疫学的研究の草分け。広島原爆障害研究会。『面影 原爆ガンと取組んだ町医者 於保源作』(小川加弥太・於保信義編、渓水社、1993.1.14) |
15 | 1983 | 大西良慶 | おおにし・りょうけい | 107 | 京都、清水寺貫首[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]1981年、7月、京都の宗教家らと「核兵器廃絶アピール」発表。[82推進連絡会議呼びかけ人] |
15 | 1984 | 中津泰人 | なかつ | 『慟哭・川柳句集』(中津泰人、19740725)。串かつ川柳会主宰。1973年に呉原爆被爆者友の会結成、同会会長。 | |
15 | 1988 | マクブライド、ショーン | 83 | アイルランドの政治家。1974年ノーベル平和賞、77年レーニン平和賞受賞。1977年広島市でのNGO主催の被爆問題国際シンポジウムに参加。 | |
15 | 2005 | 松江澄 | まつえ・きよし | 85 | 1959年に日本共産党初めての県議。元広島県原水禁常任理事、元統一労働者党議長。 |
16 | 2002 | いぬいとみこ | いぬい・とみこ | 77 | 本名乾富子。児童文学者。「いぬいとみこさんとヒロシマ 「体験」の壁執念の取材」(『中国新聞』2002.1.22 石井伸司記)。『広島県現代文学事典』(三浦精子執筆) |
18 | 2015 | 御庄博実 | 89 | →丸屋博 | |
18 | 2015 | 丸屋博 | まるや・ひろし | 89 | 1945年8月8日、広島入市。詩人(御庄博実)。広島共立病院名誉院長。 |
18 | 2015 | 丸屋博 | ピカに灼かれて―被爆体験記(広島医療生活協同組合原爆被害者の会) | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com) | ||
ピカに灼かれて 第28集 終刊号 2005年7月15日 | |||||
丸屋博『ヒロシマ随想 医師として被爆者として』 | |||||
20 | 1974 | ブランデン、エドモンド・ | 77 | 英国の詩人。1948年広島訪問。広島市立中央図書館前に詩碑(1975年8月3日建立)。『広島県現代文学事典』(植木研介執筆)。 | |
20 | 1990 | 田淵昭 | たぶち・あきら | 83 | 元広大医学部付属病院長。胎内被爆小頭症の調査に尽力。 |
20 | 2019 | 北西允 | きたにし・まこと | 93 | 「生きて 政治学者 北西允さん」(『中国新聞』2013年4月9日~27日、15回連載、担当:編集委員・西本雅実)。<別記> |
21 | 2008 | 浜本万三 | はまもと・まんそう | 87 | 広島県選出の元社会党参院議員。1974年に初当選し、通算3期。『花は想う人の側に咲く 浜本万三回顧録』(浜本万三、広島大学文書館(編)・現代史料出版・東出版(出版)2009.1)<別記> |
22 | 1994 | 灘尾弘吉 | なだお・こうきち | 94 | 江田島市出身。元衆議院議長。『灘尾弘吉先生追悼集』(中国新聞社メディア開発局出版部/編集協力、1996.12) |
22 | 2018 | 河内光子 | こうち・みつこ | 86 | 広島女子商業学校2年の時、学徒動員先の広島貯金支局で被爆。御幸橋の救護所ので様子が松重美人撮影の写真に残る。出典:『読売新聞』20120805、『中国新聞』20180209、『朝日新聞』20180210(宮崎園子・記) |
23 | 2008 | 相原秀次 | あいはら・ひでつぐ | 98 | 日本映画社の企画部員として広島・長崎への原爆投下直後から記録映画の製作に従事。 |
久保田明子「広島における原爆被災の映像と相原秀二資料について」 | |||||
23 | 2011 | 喜味こいし | きみ・こいし | 83 | 漫才師。「喜味こいしさんを悼む 上方漫才の正道歩む」(権藤芳一記)「戦争やったらあかん 被爆体験とつとつと」(岩崎秀史記)(『中国新聞』2011.1.26) |
23 | 2012 | 栗原真理子 | くりはら・まりこ | 76 | 被爆詩人・栗原貞子の長女。広島女学院大学の栗原貞子記念文庫開設に尽力(『朝日新聞』20120125) |
24 | 2018 | 香川龍介 | かがわ・りゅうすけ | 85 | 画家。(『中国新聞』20180210) |
25 | 1986 | 吉川清 | きっかわ・きよし | 74 | 「原爆 1号」と呼ばれ、被爆者運動に尽力。[原爆被害者の会代表者]。<別記> |
25 | 1994 | 森滝市郎 | もりたき・いちろう | 101 | 京都帝国大学卒。広島高等師範教授を経て広島大学文理学部教授。1953年から原爆孤児を支える精神養子運動を展開。広島県被団協理事長。広島大学。自宅で面識、資料閲覧。<別記> |
25 | 2011 | 石田忠 | いしだ・ただし | 94 | 一橋大名誉教授・社会学、元日本原水爆被害者団体協議会専門委員)。<別記> |
25 | 2023 | 林紀子 | はやし・としこ | 81 | 元アナウンサー。元参議院議員(2期)。日本共産党。宇吹メモ=1990年5月15日午後2時、 共産党国会調査団来所(=広島大学原爆放射能医学研究所)。林紀子、児玉健次など12人。宇吹助手が応対。 |
26 | 2019 | 葉佐井博巳 | はさい・ひろみ | 87 | 広島大名誉教授。広島の原爆被爆時、広島一中2年生。学徒動員先の兵器製作所(現廿日市市)できのこ雲を目撃。翌日に入市被爆。被曝線量推定方式を見直す日米合同研究グループの日本側座長。2002年、新しい推定方式「DS02」をまとめる。<別記>「被爆建物等継承方策検討委員会」(広島市が1991年7月24日に設置)で同席。 |
27 | 2003 | 川村智治郎 | かわむら・としじろう | 96 | 明39(1906)年滋賀県生まれ。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業。京都帝国大学理学部講師、広島文理科大学助教授等、広島大学理学部教授、同理学部長を経て、昭和41(1966)年、広島大学第3代学長。広島大学長に就任。両生類研究者、カエルの染色体の分析研究。広島大学附属両生類研究所所長。第52回日本学士院賞受賞。元広島文理科大学(旧広島大学理学部1号館)の保存を考える会(設立:1995年1月7日)会長<別記> |
27 | 2005 | 竹内武 | たけうち・たけし | 77 | 広島平和会館。 |
29 | 1986 | 鈴木直吉 | すずき・なおきち | 90 | 1948年広島県立医科大学教授。広島大学医学部教授。「鈴木直吉先生の御逝去を悼む」(片岡勝子記、『(広島大学)学内通信』1985.3.25)<別記> |
29 | 2013 | 熊田重邦 | くまだ・しげくに | 92 | 広島女子大学教授、広島県史編さん室室長、広島県立文書館館長<別記> |
30 | 2016 | 亀本和彦 | かめもと・かずひこ | 69 | 小学校・高校の同級生。「祖母も伯母もその日路面電車に乗っていて被爆し、また、父も翌日軍務で広島市街地に入って被爆」(彼のブログより) |
31 | 2018 | 吉田治平 | よしだ・じへい | 95 | 845年8月6日の広島壊滅を福岡で聞く。軍命令で神奈川へ向かう途次の5日、上幟町の実家跡を掘り返す。1950年に広島自由労組を結成。1977年失対労働者100人の証言『わしらの被爆体験』を編む(西本雅実「評伝・吉田治平さん」『中国新聞』2018.2.9)<別記予定> |
31 | 2023 | 久留島恵一 | くるしま・けいいち | 94
|
音戸高校時代に指導を受けた先輩教員。「呉を中心とした軍事基地の現状」(ビラ「米軍・自衛隊 基地調査告発全国交流呉集会の集まろう!!」(1975年)) |