年表:原爆展(1948~50年)

年表:原爆展(1948~50年)

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48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
48 08 05 長崎市、市立博物館で原子爆弾史料展示会、開催。(~11日)
48 08 06 アトム・ヒロシマ写真・画展、広島市内の茶房で開催(~8日)。中国新聞社写真部松重ら5氏の写真や福井芳郎のスケッチを出品。
49 04 21 広島県観光と物産展、東京日本橋・三越本店で開幕。-28日。「平和の鐘」を展示。
49 08 03 広島市平和協会主催「浮世絵展」、福屋百貨店で開幕。-14日。
49 10 14 広島市中央公民館、全国民生・児童委員大会の協賛行事として原爆写真展を開催(~18日)。
50 02 08 日本美術協会主催第3回アンデパンダン展(東京上野・美術館)。11日間。丸木位里・赤松俊子、「八月六日」(「原爆の図」第1部幽霊)を出品。(「原爆の図」19520410、「三田文学」1950年6月、「女絵かきの誕生」19770820)
50 02 11 広島市中央公民館で、原爆と平和展(広島平和協会主催)、開催(3月12日まで)。原爆関係資料展示。3月8日までの入場者数大人4273人、小人1611人。入場者収入32万2290円。
50 02 21 長崎市、日本産業博覧会(3月15日から、於神戸市)に長崎館を設置し、原爆資料など展示することを決定。
50 03 桃李会主催「原爆の図」展、丸善で開催。(「三田文学」1950年6月)
50 06 01 共産党東京都委員会、池袋駅前で「原子爆弾写真展」を開催し、平和投票を集める。
50 06 21 アカハタ、東京で戦争反対、原子爆弾の使用禁止の宣伝のため原爆による被害を示した数枚のポスターを紙上で紹介。
50 08 月刊誌「働く婦人」、グラビアで赤松俊子夫妻の「原爆の図」を紹介。峠三吉の詩「呼びかけ」、記者常見一の広島ルポ「原子沙漠に草萌えて」を掲載。
50 08 ? 全商工本省支部が省内で開催した原爆写真展の写真が巡視により没収される。(千代田区平和を守る会「平和ニュース」第2号、1950年8月12日)
50 08 07 丸木・赤松の「原爆3部作展」東京・日本橋の丸善画廊で開催。-12日。15-20日には銀座・三越で開催。合わせて9万人が参観。(「連盟通信」第68号、「日本評論」1950年10月)
50 08 18A 日本美術会・婦人民主クラブ・女子勤労連盟・平和を守る会、東京有楽町交通協会で、原爆3部作完成記念の懇談会を開催。本郷新(司会)、八田元夫(丸山定夫の思い出話)、淡徳三郎、武谷三男、大田洋子の話に続き、赤松・丸木夫妻の挨拶。
50 10 ? 民科米子支部、「原爆の図」展を開催。3500人が観覧、2500票のSアピールを集める。(「歴史評論」1951年9月)
50 10 05 広島市内五流荘で原爆の図三部作展覧会始まる。5日間でストックホルムアピール署名186票。(「民族の星」1950年10月16日、10月21日)
50 10 07 「われらの詩の会」、峠三吉のアパートで壷井繁治・丸木位里・赤松俊子を囲む集まりをもつ(「われらの詩」1950年12月15日)
50 10 08 広島市・五流荘で「壷井・丸木・赤松諸氏を囲む座談会」が開かれる。(「われらの詩」1950年12月15日)
50 10 20 広島県・上下高校の記念祭で「平和展」.会場で原爆写真などを紹介(25日まで)。