年表:学術会議(稿)1965~

年表:学術会議(稿)1965~

1964年以前( 日本学術会議第1~42回総会)は下記を参照のこと
年表:学術会議(稿)~1964
年月日 事項 備考
 1965
 0421  日本学術会議第43回総会。~23日
  0615  世界平和アピール7人委員会、東京・学士会館で例会.原水爆被害白書作成運動に協力の方針を確認.茅誠司,学術会議が取り上げるのが適当と発言.
1027  日本学術会議第44回総会。~29日
1966
 0120  日本学術会議第45回総会。~22日
 0420  日本学術会議第46回総会。~23日
 04  日本学術会議(第7期)、原子力特別委員会に問題部会を設置
 0420  日本学術会議第47回総会。~21日
1124  日本学術会議原子力特別委員会問題部会、シンポジウム「原子力をめぐる諸問題」を東京で開催.
  1967
0419 日本学術会議第48回総会。~23日
0421 日本学術会議第48回総会アピール「Appeal to the World’s Scientists Against the Use of Nuclear Weapons in the Vietnam War」
 04  日本学術会議原子力特別委員会問題部会、日本原子力委員との懇談会を開催.
0516 日本学術会議第48回総会勧告「原子力科学研究について」
0630  日本学術会議原子力特別委員会、広島大で幹事会と問題部会の合同会議を開催.ABCC問題を討議.被災資料センター設置を政府に働きかけることを決定.
  0701  日本学術会議原子力特別委員会問題部会、広島大で地元研究者との「原爆被災資料」についての懇談会を開催.地元から今堀誠二・志水清・竹下健児・佐久間澄・三好稔・重藤文夫・松坂義正・金井利博・森下弘・文沢隆一など22人が出席.
 0702  [掲載紙不明]「論議呼ぶABCCのあり方-学術会議問題部会-資料公開に期待-ぬぐえぬ疑惑・反感」
 0804  日本学術会議、原子力特別委員会に原水爆被災資料小委員会を設置することを決める.
0911  日本学術会議運営審議会、原爆被災資料小委員会の設置を決定.委員長:永積安明神戸大教授(文学部).0926
 0926 日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料小委員会、東京で初会合
1018 日本学術会議第49回総会。~20日
 1021  日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料小委員会、東京で第2回会合.12月16日に原爆資料に関するシンポジウムを開催することを決める。
1216  日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料小委員会(委員長、永積安明神戸大教授)、原爆被災資料に関するシンポジウムを広島県歯科医師会館で開催.広島大学から志水清原医研所長、今堀誠二教授らが出席。原爆被災資料の散逸を防ぐため被災資料センター設置を政府に勧告することを決める。
1216 『原爆被災資料に関するシンポジウム-抜粋記録』(日本学術会議、原子力特別委員会、原爆被災資料小委員会 日本学術会議、原子力特別委員会、原爆被災資料小委員会 )
1218  中国新聞「被爆資料の組織的収集へ-学術会議シンポジウムから」
1968
 0201  中国新聞「被爆資料の組織的収集へ-学術会議シンポジウムから」
 0306  日本学術会議原子力特別委員会、幹事会・問題部会の合同委員会を開催.「原爆資料の散逸防止と保存」を政府に申し入れることを決定.
 0316 朝日新聞「四散する第5福竜丸の資料-行方のわからぬ品も-対策を急ぐ学術会議」
0424 日本学術会議第50回総会。~26日
 0425  日本学術会議、第50回総会(2日目)で,原爆被災資料の散逸防止と収集保存についての政府に対する申し入れを決議.
 0517  永積安明(日本学術会議原爆被災資料小委員会)、広島大原医研で原爆被災資料広島懇談会を開催.志水清、資料センター案を説明。
  0517 『原爆被災資料の散逸防止と収集保存について(申入れ)』(日本学術会議会長朝永振一郎=>佐藤栄作内閣総理大臣)。
 0517 日本学術会議第50回総会申入れ「原爆被災資料の散逸防止と収集保存について」
0528  日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料小委員会、東京で会合。原水爆被災資料センターの永積委員長案を検討.
 0622 日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料小委員会、原水爆被災資料センターの永積委員長案を再度検討.
 0716  政府と日本学術会議の相互連絡組織の学術会議連絡部会、東京都内で開催。政府、被爆資料の散逸防止の申し入れを尊重すると回答。
 0717  日本学術会議原爆被災資料小委員会、原爆被災資料広島懇談会を広島大原医研で開催.
 0731  中国新聞「学術会議の被爆資料センター-足踏み続く原案作り-推進母体がない悩み」
0909  日本学術会議原爆被災資料小委員会ワーキンググループ、広島大原医研で会合.
 0912  日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料小委員会、原水爆被災資料センターに関する長崎懇談会を長崎大学医学部で開催.
 0914  日本学術会議原爆被災資料小委員会、原爆被災資料に関するシンポジウム(4回目)を広島大原医研で開催.
 0914 『「原水爆被災資料センター」に関する長崎・広島懇談会-発言要旨 』(日本学術会議原子力特別委員会、原爆被災資料小委員会 )
 0919  中国新聞、特集「被爆資料センターの設置急げ-広島市でシンポジウム」[日本学術会議]
0926  日本学術会議原爆被災資料小委員会、東京都内で会合。10月15日からの総会に「原水爆被災資料の基礎調査と資料センター設立について政府に勧告」する議案を提出することを決める。
1018 日本学術会議、第51回総会(最終日),「原水爆被災資料基礎調査について政府へ申し入れ」を決議.
1115 日本学術会議第51回総会勧告「放射線影響研究の推進について」
1115 『原水爆被災資料の基礎調査について(申入れ)』(日本学術会議会長朝永振一郎=>内閣総理大臣佐藤栄作)
1115 日本学術会議第51回総会申入れ「原水爆被災資料の基礎調査について」
 1206  日本学術会議原子力特別委員会原水爆被災資料小委員会、原水爆被災資料の収集・保存・利用に関する基礎的研究のグループを組織し,文部省科学研究費補助金を申請することを決定.
 1214  日本学術会議原爆被災資料小委員会、「原爆被災資料の収集・保存・活用に関する基礎的調査」を志水清広島大学原医研所長を中心に進めることを決め、同所長の内諾を得る。
1220  永積安明(日本学術会議原子力特別委員会)、広島市で今堀誠二・志水清と原水爆資料基礎研究班組織について話し合う.代表者に志水清広島大原医研所長。1969年春から実働の予定。
1969
0120 日本学術会議第52回総会。~22日
0329  ??日本学術会議主催「原爆被災資料に関するシンポジウム」、広島大学原爆放射能医学研究所で開催。原水爆被災資料センター建設について広島の声を聞く
 0329  原爆被災全体像調査のための市民集会、広島平和記念館講堂で開催.日本学術会議永積小委員長が基調講演「原爆被災資料の諸問題」。田原伯原爆被災資料広島研究会事務局長や志水清広島大学原医研所長らが問題提起。約150人参加.広島市が四十四年度から被爆戸別地図の復元作業をする方針を決め、市民の協力を呼びかけ。
0329 『原爆被災全体像調査のための市民集会記録集』(原爆被災全体像調査のための市民集会開催委員会 )
0423  日本学術会議第53回総会。~25日
0912 日本学術会議原子力特別委員会役員会・同問題部会、原水爆被災資料小委員会の継続設置を決定.
1023  日本学術会議第55回総会。~24日
1029  日本学術会議原子力特別委員会問題部会、役員会を開き,原水爆被災資料小委員会のメンバーを承認.小委員長:小川政亮,委員:伏見康治・松尾孝嶺・脇坂行一・前川力・志水清・朝長正允・永積安明・福島要一・三宅泰雄・田畑茂三郎・今堀誠二
 1205  『被爆者健康手帳等の保存について(要望)』(日本学術会議会長江上不二夫=>斉藤昇厚生大臣)
1970 
0327  日本学術会議、厚生大臣宛の「被爆者健康手帳等の保存について」との要望書を作成.
 0925  日本学術会議原子力特別委員会原水爆被災資料小委員会、原水爆被災資料について報道関係者との懇談会を東京で開催.
 1002  原水爆資料基礎研究班、昭和45年度第1回(通算第5回)班会議を広島大原医研で開催.学術会議被災小委員会との合同会議.
1107  日本学術会議原子力特別委員会、原水爆被災資料小委員会を東京で開催.原水爆被災資料学術センターについて論議.
1971
  0120  日本学術会議の原爆被災資料小委員会(委員長:小川政亮日本社会事業大学教授)と原水爆被災資料の保存と利用に関する基礎的研究班、合同会議を広島大原医研で開催.
 0215  原水爆資料基礎研究班、第6回班会議を東京で開催(~16日).日本学術会議原水爆被災資料小委員会と合同会議.
 0219  日本学術会議原子力特別委員会問題部会、原子力委員会委員との懇談会を開催.原水爆被災資料などが議題.
 0220  原水爆資料基礎研究班、日本学術会議の原爆被災資料小委員会との合同会議を広島大原医研で開催.原水爆被災資料センター建設構想の素案が報告される.
0421  日本学術会議第58回総会。~23日
0601 日本学術会議第58回総会勧告「大学関係原子力研究将来計画について」
0724  小川政亮日本学術会議原子力特別委員会原水爆被災資料、小委員会委員長、第6回原水爆禁止科学者会議で原水爆被災資料センターの構想について報告.
 07  日本学術会議原子力特別委員会原水爆被災資料小委員会、原水爆被災資料センター(仮称)構想(素案)を作成.
0811  日本学術会議原子力特別委員会原水爆被災資料小委員会、原水爆被災資料センター(仮称)構想(素案)に関する懇談会を東京で開催.
0916  日本学術会議原子力特別委員会、原水爆被災資料小委員会を東京で開催.
 1021 日本学術会議、第59回総会(2日目),「原水爆被災資料センターの設置について」の勧告と「原水爆被災資料の基礎調査について」の申し入れの両提案を採択.
1109 『原水爆被災資料センター(仮称)の設置について(勧告)』(日本学術会議会長江上不二夫=>内閣総理大臣佐藤栄作)
1109 日本学術会議第59回総会勧告「原水爆被災資料センター(仮称)の設置について」
1109 日本学術会議第59回総会勧告「原水爆被災資料の基礎調査について」
 1126  原爆被災資料広島研究会、例会.於:広島大学原医研,議題:東京・広島・長崎に原爆被災資料センター設置など,政府に対する学術会議の勧告決議について.
 1222  日本学術会議、科学技術連絡会議で政府に原水爆被災資料センター設置勧告と原水爆被災資料基礎調査の申し入れについて説明.
 1972
0120  日本学術会議第60回総会。~22日
 1014  日本社会学会第45回学会大会総会、原水爆被災資料センターと基礎調査についての学術会議勧告に関して政府に対する要望書を決議.
1031 中国新聞「原水爆被災資料センター-学術会議の勧告から1年-設置に消極的な政府-学者・市民は行政不信に」
1104 中国新聞(夕刊)「この人と30分:越智勇一さん-日本学術会議会長-”勧告倒れ”を返上-被爆資料保存ぜひ実現」
1129 日本学術会議、原水爆被災資料小委員会を東京で開催.
1973
0407 パグウォッシュ会議議長ハネス・アルフベン、特別講演「原水爆被災資料センターの意義」を日本学術会議講堂で行う.
0424  日本学術会議第63回総会。~26日
1024  日本学術会議第64回総会。~26日
1974
0907 日本学術会議中国四国地区と広島大学、学術会議の設立25周年を記念して平和に関するシンポジウムを広島大学で開催。-8日。約80人が参加。
0909 中国新聞「平和に関するシンポジウム-日本学術会議25周年記念」
1975
0529 東京夢の島に「原水爆禁止の碑」完成。第五福竜丸平和協会(会長・三宅泰雄日本学術会議会員)が建設
1976
0529 東京夢の島に「原水爆禁止の碑」完成。第五福竜丸平和協会(会長・三宅泰雄日本学術会議会員)が建設
1977
0724 毎日新聞「ひと:三宅泰雄-被爆国際シンポジウムの世話をする日本学術会議原子力特別委員長」
1978
0318 「原爆投下過程の史的解明に関するシンポジウム」(日本学術会議平和問題研究連絡委員会など共催)、東京で開催。
0719? 被爆直後の文部省学術会議による「原爆の植物に対する影響調査」、東大で発見される。
1979
1980
0425 日本学術会議、総会で核廃絶を訴えるラッセル・アインシュタイン宣言再確認の声明を採択。
1981
0331 『広島新史-資料編Ⅰ(都築資料編)』(広島市編・刊)
1126 日本学術会議など、学術シンポジウム「核戦争の危機と人類生存のための条件-ラッセル・アインシュタイン宣言の現代的意義を探る」を東京で開催(28日まで)。
1982
0519 日本学術会議、第85回総会で、「核戦争の危機と核兵器廃絶に関する声明」を採択。
1983
1984
1985
0207 テレビ番組「21世紀への科学『核戦争、人間と環境への影響‐国際学術会議連合、広島研究会から」(NHK制作)、放送。
1986
1987
1215? 被爆直後に設置された日本学術会議原爆災害調査研究特別委員会のメンバー、保存していた被爆者調査票・スライドなどを広島大原医研へ寄贈。
 1988
 1989
 1990
1991
  1992
 1993
  1994
 1995
1996  
 1997
1998
1999
1120 朝日新聞社説「学術会議50年-もっと存在感がほしい」
2000
2001
2002
2003
0614 日本学術会議平和問題研究連絡委員会、広島修道大学で公開シンポジウム。
 2004
2005
1003 日本学術会議第146回総会。
2006
0213 日本学術会議第147回総会。
0410 日本学術会議第148回総会。
1023 日本学術会議第149回総会。
2007
0409 日本学術会議第150回総会。~0411
1010 日本学術会議第151回総会。~1012
2008
0407 日本学術会議第152回総会。~0409
0714 日本学術会議第153回総会。
1001 日本学術会議第154回総会。~1003
2009
0406 日本学術会議第155回総会。~0408
1019 日本学術会議第156回総会。~1021
2010
0405 日本学術会議第157回総会。~0407
1001 日本学術会議第158回総会。~1006
2011
0404 日本学術会議第159回総会。~0406
0711 日本学術会議第160回総会。
1003 日本学術会議第161回総会。~1005
2012
0409 日本学術会議第162回総会。~0411
1009 日本学術会議第163回総会。~1011
2013
0402 日本学術会議第164回総会。~0404
1002 日本学術会議第165回総会。~1004
2014
0410 日本学術会議第166回総会。
0711 日本学術会議第167回総会。
1001 日本学術会議第168回総会。~1003
2015
0409 日本学術会議第169回総会。~0411
0810 「『天風録』三村剛昴「声涙ともに下る」」(『中国新聞』20170810)
1001 日本学術会議第170回総会。~1003
2016
0414 日本学術会議第171回総会。~0416
2017
0221 「社説 軍事研究と日本 歯止めの議論こそ必要」(『中国新聞』20170221)
0309 「天風録 科学者としての節操」(『中国新聞』20170309)
 0426  「防衛省助成 応募せず 広島大方針 役員会で了承」(『中国新聞』20170426)
2018
0413 日本学術会議第176回総会。~0405
1003 日本学術会議第177回総会。~1005。
2019
0424 日本学術会議第178回総会。~0426。
1016 日本学術会議第179回総会。~1018。
『ヒロシマに挑む 原爆投下の広島で実相究明に取り組む医学者たちの始動期の軌跡 広島大学医学部所および原爆放射線医科学研究所での様相』( 広島大学原爆放射線医科学研究所附属被ばく資料調査解析部(久保田明子) )
 2020
0709 日本学術会議第180回総会。
1001 日本学術会議第181回総会。~1002。
出典:http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/sokai/index.html
 1002  日本学術会議第181回総会「第25回新規会員任命に関する要望書」
1013 『「潮流」俯瞰的な視点』(道面雅量)
 1015  『[歩く 聞く 考える]学術会議「見直し」論』(佐田尾信作)