6月忌(一覧)

 

 日  没年  氏名  よみ  享年
01 1997 サーバー、ロバート・ Robert Serber 88 マンハッタン計画に参加した米科学者。ファーレル・モリソンらとともに被爆地調査。
01 2004 嘉屋文子 かや・ふみこ 90 ハワイ島生まれ。5歳の時、一家で帰国。広島市南観音町の自宅前で被爆。県内政部衛生課勤務。<投稿
01 2006 小島丈児 こじま・じょうじ 89 広島大名誉教授。<投稿>岩石学。『小島丈兒先生追悼文集』(2007/06/01)
03 1975 佐藤栄作 さとう・えいさく 74 広島平和記念式典に初めて参列した内閣総理大臣。ノーベル平和賞受賞者。<投稿
05 1989 加藤陽三 かとう・ようぞう 内務・防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。海田町名誉町民。<投稿
05 2003 松元寛  まつもと・ひろし 78  英文学者。 広島大学名誉教授。<投稿><『ヒロシマという思想―「死なないために」ではなく「生きるために」』
05 2008 松井康浩 まつい・ひろやす 85 弁護士。日本原水協代表理事。『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理
07 1984 大内五良 おおうち・ごろう 74 広島市医師会長(1957~59年)。広島県医師会長(1967~82年)。原爆乙女の渡米治療、在米被爆者検診などに貢献。<投稿
07 2001 河本一郎 かわもと・いちろう 72  「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。<投稿
07 2018 日高六郎 ひだか・ろくろう 101 社会学者。
 08  2018  谷川和穂  たにかわ・かずほ  87  自民党衆議院議員。防衛庁長官、法務大臣など歴任。<投稿
08 2003 山田かん やまだ・かん 72 長崎県県立図書館勤務。利用中に面識。
10 1982 小山祐士 こやま・ゆうし 78 劇作家。原爆をテーマにした劇「泰山木の木の下で」などの作者。『広島県現代文学事典』(秋枝美保・記)<投稿
10 1989 沢近宏 さわちか・ひろし 71 広島原対協副会長。同副会長は、宇品船舶司令部で、軍医として勤務中被爆。戦後、被爆者治療活動に尽力。<投稿
 10  1996  小倉豊文  おぐらとよふみ 96  広島大学名誉教授。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)<投稿
11  1984  湯崎稔  ゆざき・みのる  53  [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。職場の上司。『世紀を超えて 爆心地復元運動とヒロシマの思想』<投稿
12 1978 郭沫若 かくまつじゃく 85 1955年12月来広し。原爆慰霊碑参拝(藤居平一との会話)。広島大学で「平和共存」のテーマで講演。<投稿
12 2004 下崎末満 しもざき・すえみつ 57 「インタビュー・この人に聞く ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト世話人代表」(『読売新聞』19990830)
12 2011 大村英幸 おおむら・ひでゆき 88  広島青年文化連盟初代委員長。<投稿
12 2017 据石和江 すえいし・かずえ 90 米国広島・長崎原爆被爆者協会会長。https://www.rafu.com/2017/06/据石和江さん死去%ef%bc%9a米国広島・長崎原爆被爆者協/
14 1986 名越操 なごや・みさお 『ヒロシマ母の記』(汐文社、19850616)。広島市在住の被爆者、死去。白血病で死亡した息子への思いをつづった「ぼく生きたかった」の著者。<投稿
14 1989 黒田秀俊 くろだひでとし 84 元原水協事務局長。1955年当時、原水協結成に尽力。<投稿
14 2019 山崎寛治 やまさき・かんじ 91 県立広島二中(現・観音高校)の代用教員だった17歳の時同校で被爆。旧天神町北組の慰霊碑の世話役。<投稿
14 2008 河瀬正利 かわせ・まさとし 67 広島大学名誉教授、広島県文化財保護審議会委員。被爆建物保存運動に尽力<投稿
15 1965 正田篠枝 しょうだしのえ 54 歌人。『広島県現代文学事典』『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)<投稿
15 1994 荒木武 あらき・たけし 78  広島市長。27代(19750223~19790223)28代(19790223~19830222)29代(19830223~19870222)30代(19870223~19880222)。『荒木武
16 1961 ジュノー、マルセル じゅのーMarcel Junod 57 スイス国籍の外科医。赤十字国際委員会駐日代表として来日。1945年9月8日、GHQの医薬品ともに広島入り。<投稿
16 1974 金井利博 かない・としひろ 60 [52広島平和問題談話会](中国新聞社学芸部記者)。中国新聞社取締役論説担当。原爆被災白書運動を提唱。<資料年表:金井利博
16 1998 江口保 えぐちたもつ 69 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」を主宰した長崎の被爆者。平和教育。<資料年表:江口保
16 2021 森脇勝義 もりわき・かつよし 86 1987年~非核の政府を求める広島の会常任世話人。<資料年表:森脇勝義
17 1992 ビーザー、ジェイコブ Jacob Beser 71 広島・長崎両市への原爆投下機の唯一の搭乗員。Lt. Jacob Beser, radar countermeasure officer
18 1983 ルイス、ロバート・アルビン るいすRobert A. Lewis 65 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」号の副操縦士。Capt. Robert A. Lewis, co-pilot
18 2018 加藤剛 かとう・たけし 80 俳優。映画『ヒロシマ一九六六』に出演。<資料年表:加藤剛
19 2017 岡ヨシエ おか・よしえ 86 原爆投下第一報。『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』(旧比治山高女第5期生の会、1969/08/06)<資料年表:岡ヨシエ
20 2002 吉川豊 きっかわ・ゆたか 86 吉川豊似島学園理事長「創立五十周年記念誌に寄せて」(『似島学園 50年のあゆみ』)
20 2017 シャル、ウィリアム しゃる、うぃりあむ 95 1949年ABCCに赴任、遺伝調査を実施。放射線影響研究所副理事長、米テキサス大学教授。〈資料年表:ウィリアム・シャール
21 1967 石井金一郎 いしい・きんいちろう 45 [52広島平和問題談話会](広島女子短期大学助教授)。[54世界平和集会世話人(発起)]。元広島大学教授。日本原水協専門委員。〈資料年表:石井金一郎
21 1987 河村虎太郎 かわむら・とらたろう 73 医師。核禁会議広島県民会議議長。在韓被爆者渡日治療広島委員会代表。<投稿
22 1993 市岡正憲 いちおか・まさのり 74 広島県被団協理事長・県原水協理事長。<資料年表:市岡正憲
23 2002 亀井正夫 かめいまさお 86 元国鉄再建監理委員会委員長。広島被爆者。<投稿
24 2008 大倉記代 おおくらきよ 67 「サダコ」・虹基金を設立。
24 2019 松本善明 まつもと・ぜんめい 93 日本共産党衆議院議員。1950年いわさきちひろ(画家)と結婚。藤原彰(宇吹の一橋大学内地研修時代の指導教官)の友人。
25 1999 原田東岷 はらだとうみん 87 外科医。「原爆乙女」の渡米治療に尽力。ワールド・フレンドシップ・センター初代理事長。広島市名誉市民。<投稿><資料年表:原田東岷
26 1965 佐伯好郎 さえき・よしろう 93 中国キリスト教・法制史学者。広島県生まれ。1947年から9年間廿日市町長。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。
26 1989 美空ひばり みそら・ひばり 歌手。第1回広島平和音楽祭に出演。1988年の15周年の同音楽祭にも参加し、原爆をテーマにした「一本の鉛筆」を歌唱。
26 2006 井出三千男 いで・みちお 65 広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 <資料年表:井出三千男
27 1978 熊平源蔵 くまひら・げんぞう 97 金庫メーカーのクマヒラ創業者。『熊平源蔵伝 人とその』、『熊平源蔵追想録』、
28 2007 宮沢喜一 みやざわ・きいち 内閣総理大臣(第78代)『戦後政治の証言』(読売新聞社、1991.8.30)。広島県名誉県民。<資料年表:宮澤喜一
28 2008 佐々木久子 ささき・ひさこ 81 随筆家・評論家。『わたしの放浪記』。『広島県現代文学事典』(天瀬裕康・記)<投稿
28 2021 山田拓民 やまだ・ひろたみ 90 長崎原被災者協議会(被災協)の元事務局長。旧制長崎県立長崎中学校2年の時、長崎市鳴滝町の同校(爆心地から約3・3キロ)で被爆。
29 1979 桧山袖四郎 ひやま・そでしろう 80 『檜山袖四郎―広島県政に賭けた生と死』(刊行委員会、1981.6.20)<資料年表:桧山袖四郎
29 2020 荻野晃也 おぎの・こうや 80 元京都大講師、原子核工学、電磁波環境研究所主宰。京都大学美術研究会の先輩。
33 2020 高山等 たかやま・ひとし 89 『高山等資料』(広島県立文書館)
https://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000746monjogun_183
昭和20年8月6日から12月20日までに傷痍軍人広島療養所(現国立療養所広島病院)に入院した被爆者218名のカルテ。(平成14年6月記)
高山等氏が出版した『ヒロシマの追憶』『ヒロシマの追憶と今日』に掲載した手記や,平和のために被爆地の果たす役割について国内外から寄せられたメッセージの原文など。(平成15年12月記)