ヒロシマの動向と決意(平和宣言)

平和宣言

 (9) ヒロシマの動向と決意

1975年(昭和50年)以降、宣言は、ヒロシマを巡る重要な動きを逐一盛り込むようになった。この部分を見れば、ヒロシマの核兵器廃絶への努力と決意の足跡を知ることができる。
1975年から78年までの宣言は、広島・長崎両市長の国連訪問を盛り込んでいる。また、78年のものは、国連本部で画期的な「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」が実現し、これが、「国連加盟国代表はもちろん国連を訪れた人びとに大きな衝撃を与えた」ことを報告した。その後、80年の米国上院議員会館での原爆展の開催、81年2月のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の広島訪問、82年の「軍縮と安全保障問題に関する独立委員会」(パルメ委員会)の広島での会議開催と広島市長の国連軍縮特別総会への出席を盛り込んだ。
1983年1月、広島・長崎両市長は、核兵器廃絶に向けての「世界平和都市連帯」を呼びかけたが、83年の宣言では「世界の各地から熱い賛同のメッセージが寄せられ、国境を越えて連帯の輪が広がりつつある」と報告し、84年と85年には、「都市連帯による新しい平和秩序を探求する」(84年)、「平和を希求する世界のあらゆる都市が、国境を越え、思想・信条の違いを超えて連帯し、恒久平和確立への国際世論を喚起しようとするものである」(85年)と会議の意図と会議に向けての決意を表明した。
1970年代半ばから国連という舞台を通じて急速に進展したヒロシマの国際化は、85年の世界平和連帯都市市長会議を契機に、広島を舞台にしても推進されるようになった。その状況は、宣言の中では、つぎのように報告されている。
1986年「ノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師会議」のメンバ ーが、本年6月広島を訪れ、被爆の実相に驚愕し、核実験即時停止を強く訴えた。
本日、世界各地でヒロシマ・デーが開催され、メキシコでは、非  同盟6カ国首脳が相集い、核軍縮を世界に訴える。
時あたかも国際平和年。
ヒロシマは、ここに、「平和サミット」を開催し、核兵器廃絶と  恒久平和実現への国際世論を喚起する。」
1987年「本日、核保有国の代表的ジャーナリストによるシンポジウムをこ  こ広島で開催し、核兵器廃絶の更なる国際世論の醸成を図る。」
1988年「本日、ここ広島において、姉妹・友好都市の青年による「国際平  和シンポジウム」を開催し、「ヒロシマの体験」を継承すべく、市  民とともに討議する。」
1989年「広島市は、本年、市制施行100周年、「広島平和記念都市建設法」  施行40周年を迎えた。この意義ある年に、今ここ広島で「第2回世界平和連帯都市市長会議」を開催している。世界三十数か国、約130都市の市長らが、体制の違いや国境を乗り越えて相集い、「核兵器廃絶を目指して-核時代における都市の役割」を基調テーマに、活発な討論を交わしている。
10月には、「核戦争防止国際医師会議」の第9回世界大会が、「ノーモア・ヒロシマ この決意永遠に」をテーマに、広島市で開催される。
去る4月に、日本で初めて京都市において「国連軍縮会議」が開催     された。その参加者が被爆地広島を訪れ、核兵器がもたらした被害の実相に触れ、その凄まじさを改めて認識し、核兵器廃絶への思いを強くした。
時恰も、核兵器による人類絶滅の危機を警告し続けてきた原爆ド  ームの保存募金には、国の内外から大きな反響が寄せられている。原爆資料館の昨年度の入館者数が140万人を超え、過去最高を記録した。これらの事実は、「ヒロシマの心」が着実にひろがっている証左である。」
1990年「本年3月、原爆ドーム保存工事が、国の内外から寄せられた多くの浄財と平和への熱い思いに支えられて、完成した。広島平和記念資  料館の来館者は、初めて一年間に150万人を突破するに到った。核兵器廃絶を求める世界平和都市連帯推進計画に賛同する都市も50か国、287都市に達した。これらの事実は、強く平和を願う多くの人々の意志を示すものである。
本日は、ここ広島において、女性国際平和シンポジウムを開催し、平和への実現や核兵器廃絶のために、女性が果たすべき役割を討議する。」