宇吹ヤス私歌集(8月分抄録)

宇吹ヤス私歌集

年月日
1972
08 緑失せゆく地表に足れるや一塊の砂糖に群るる炎天の蟻
貯えて際限もなし炎天を自よりも太き虫骸曵く蟻
語りたき亡妹渡りいん夕あかねに迎いて大きく虹の橋立つ
斯く美しき暮色の巷を染むる虹の束の間の華麗をまぶしみて佇つ
何時の日かわと五十路越えたり今宵息子と管弦祭の華麗に酔えり
追憶の幻とならん闇に顕つ打ち上げ花火の華麗を見たり
共船の櫓しぶき浴びつつ献燈の海面に砕け揺るるを凝視む
猛る日のありと想えず今宵立つ回廊をなぶる異常高潮
狭き入り海を自在に巡らすご座船の竿さばきにどよめく拍手
篝火に映える奏楽の優雅さに雅な人等静かに甦らん
虫すだく子の家に夫と今宵見し華麗を抱きて静かに眠る
観祭の宿願叶いし昂ぶりを歌帳に稚なく綴らん我か
子に生きて寡婦貫きし人送る長き葬列を蝉しぐれ埋む
とり縋る家族の前に無造作に火葬への鉄扉は固く閉ざされぬ
用果てし矢車夜闇に音高し惰性に生きて愚痴多き我の如
1973
08 朝夕の我が愛素直に朝顔の初咲き一輪今咲かんとす
束の間の会いなる朝顔の花ちぎり吹きすぎる風に術もなく佇つ
緑濃き葉影にひそと紫を炎やす朝顔にそっと触れ見る
窓に揺れ透く朝顔数える安らぎに馴れつつ迎う今日原爆忌
冷房の部屋を出できて炎天にめくるめく黄のヒマワリ仰ぐ
氷柱の熔くるを知らず「雲雀山」哀しく舞える友の影追う
高砂を舞台狭しと舞える師の涼しき姿老松に映ゆ
往年の名優が演ず哀歓を見終えてうるむ街の灯みつむ
豊かなる土の香匂う馬鈴薯の重き感触にほのぼのと会う
惜しみなき愛そそぎつつ搾られしか給う牛乳の濃いくまろけし
欺まんなき土に親しむ友ゆ給びし艶めく馬鈴薯しばし手に持つ
瑞みずと艶めく馬鈴薯の肌ぬくしコオロギ群れいし畑の広ごり
招かれて山野の幸に驚喜せし日の温かき友の笑顕つ
幾重にもつつみこまれし甘き新茶の香り廚に豊かに匂う
日照雨にも蝉とり止めぬ孫と佇ちて夏の夕べの虹仰ぎ佇つ
疎みて払う我が手に縋り我が性と生き写しなる孫綾しおり
筆談にて商談なりし黒人の別れ告げる瞳のにこやかに笑む
聖旗と掲げし遠き傷みを君知るや黒き膚の若きマドロス
「ハラキリ」日本と片言交じりの黒人に甦り来る遠き傷かなし
灼熱のドバイに命預けいる新聞紙上の悲しき写真
世界の目ドバイにあつめたるままに一機に充つる重き沈黙
1974
08 尾道の旅

きらめく水泡に消えたる人のいくばくか尾道水道の底いなき碧
蒼き潮に消えたる人の悲哀呑みきらめき止まぬ海の広ごり
翼船白く曵きゆく水脈を見はるかす千光寺山頂に今友とあり
彫り深き木肌に耐えし年輪を刻みて聳ゆる「岩割の松」
文豪の句碑透かし読む我が双手に淡き木漏れ日届きて揺るる

花火

それぞれの宿命に生きん束の闇を彩る花火に声あぐる孫等
老残の我を訪う日のありや花火に五つの孫の影うく
ひたに見し花火が夢路に顕ちいんか笑み深き孫の寝顔に触るる

**さんの長男の葬儀

還るなき父の葬儀と知る術もなき遺児の泣き声高し
我が長男と同じ齢と聞きぬ読経の中独り冷えつつ聴く蝉時雨
夫を原爆に灼かれて寡婦を貫きし歌友のうなじを包む喪の衣
遺されし子の自転車か植え込みの片隅にありて読経は続く
絶つ愛をひそかに怖ずる葬列に冷ゆる胸裡を埋む蝉時雨
初咲きを給びたる友の心かも芙蓉花一輪白くかがよう
純白にひとときを炎ゆる芙蓉花を羨しむ我が手に一輪おもし
芙蓉花のかがよう白さ讃う言葉深き夜闇にまさぐる我か
原爆の閃光まざまざとしも顕たしめて離合ライトがはじく真夏陽
水欲りし魂哀しも惜しみなく虹を顕たせて高き噴水
灼熱地獄に狂いし魂か広島の灼けたる路を駆け巡る枯れ葉
黒き雨後にも大きく立ちたり散水の水にうつくし虹のたちたり

1975
08 嫁ぐ今日を夢みし母の瞳さながらに姪がライトに美しく浮く
在りし日の母の面影さながらにライトに笑う花嫁姪は
幽界に安堵の笑いたたえいん娘を託す君の広き肩巾
ベビーブームの時代背負い生きる行く末を案じし姪の今日の華燭を
ソフトに日焼け男子めきいし姪が今華麗成る祝福総身に受く
若夫婦に寄する華麗なる祝辞を胸熱くうつむき聴けり我が子の如く
深ぶかと謝辞をのべつつ若夫婦のともす灯火が涙にゆらめく
幻とあえなく消えし我が青春かまさぐる車窓に揺るる白髪
夢多かりき遠き追憶追いにつつ祝宴の帰り路に踏むおのが影
碧澄める「八丈島」の渚に洗え母の亡き悲しみいだきて旅立ちし姪映画「サルの惑星」
「人造惑星基地」より地球侵略の奇想なる画面に冷ゆる暑き夏の夜縮小人間・人造臓器・あり得べし人の踏みたる月光あわし
二十一世紀も殺戮続くらん地球征服の野望に馳せめく「エアー・ジープ」
無謀なる科学進歩に滅びゆく蒼き地球の終焉の夢
離農すすめし日びもありたり父の姿顕ちくる今朝も菜園見回る
作業中
1992 平成四年一月一日姉**千代様死亡

忽然死ひた希いいし積善の姉逝き給う雪舞う今日を
桜花の季の出合い約すを反故となし召され給いぬ夫のみ許に
永別のかげり見えざりき訪ないし日の微笑今も眼裏を占む
病衣まとう暇なかりし姉の終羨み今宵もとなう正信偈
覗かるる我が死と重ね永眠の姉を埋めゆく菊花匂わず
幽界にても睦まじからん夫の傍え長き孤愁を語りおわさん
惜しまれて旅立つ幸を謝しまさん姉の写真やや笑み給う
無となりて旅立つ姉か丹念に書きたる写経をそっと入れ添えぬ
褒めくるる姉もはや無し夜の闇に長く醒めいて聴ける木枯し
生も死も一つと想う闇に醒め自が往相の広ごりやまず
夢まぼろしのうつし世しかと識らさるる亡姉の賀状を重く受けつつ