『日本共産党の70年』(日本共産党中央委員会、新日本出版社刊)
目次(第10章 1980年代前半の運動・社会党の右転落のもと、国政革新をめざして)
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106 | ソ連軍のアフガニスタン侵略 | |
〈カーター戦略と大平内閣の「西側の一員」論〉 | ||
108 | 「社公合意」と社会党の右転落 | |
110 | 真の革新の柱―日本共産党の立場と第15回党大会 | |
114 | 「戦後第二の反動攻勢の時期」の提起、衆参同時選挙での後退 | |
〈「社公合意」をめぐる共杜論争〉 | ||
〈戦後はじめての80年衆参同時選挙〉 | ||
〈衆参同時選挙の総括〉 | ||
119 | 鈴木内閣の発足と「臨調」行革など反動攻勢に抗する党と国民の運動 | |
〈「臨調」設置法の成立、10・21、 11・16闘争のたかまり〉 | ||
〈伊藤律の帰国を利用した反共キャンペーンとのたたかい〉 | ||
〈ポーランドでの「政労合意」、光州事件、イラン・イラク戦争〉 | ||
125 | 機関紙革命のはじまり、覇権主義的誤りとたたかう党の一連の国際活動 | |
〈アフガニスタン問題と日ソ両党会談、ポーランド干渉への警告〉 | ||
127 | レーガン政権の発足、「保守化時代」論への反撃 | |
〈「臨調」発足と国民不在の「行政改革」〉 | ||
131 | 機関紙活動の新五原則、鈴木・レーガン会談と核もちこみに反対するたたかい、革新懇運動の前進 | |
〈81年の日米首脳会談と安保の攻守同盟化〉 | ||
〈全国革新懇の結成へ〉 | ||
〈PLO東京事務所長への反論など一連の国際活動〉 | ||
135 | 平和綱領、ポーランド問題をめぐるソ連共産党との論争 | |
〈論文「真の平和綱領のために」〉 | ||
〈ポーランド問題でのソ連共産党とポーランド統一労働者党への電報〉 | ||
139 | 81年東京都議選での党の前進と七中総 | |
〈第7回中央委貝会総会と陣地構築論の発展〉 | ||
〈機関紙活動の「三つの組織的保障」〉 | ||
142 | レーガンの限定核戦争構想と内外の反核運動の高揚 | |
145 | 「行革」国会をめぐるたたかい | |
〈いっそう明確になった「社公合意」の有害性〉 | ||
149 | 『平社』誌廃刊の提起、ポーランドの軍事クーデター | |
〈ポーランド戒厳令を糾弾した西沢談話とインタビュー〉 | ||
152 | 限定核戦争構想下の日本の軍拡と軍事費削減闘争 | |
〈大軍拡予算と軍事費1兆円削減要求〉 | ||
154 | 8中総―党建設、各分野の大衆闘争方針、ポーランド問題など | |
〈『平杜』誌をめぐる国際論争〉 | ||
〈ソ連の「資金援助」を暴露したレフチェンコ証言〉 | ||
157 | 反核平和運動の前進 | |
〈京都府知事選と横浜市長選〉 | ||
〈反核平和運動に背をむけた国連軍縮総会〉 | ||
160 | 臨調路線と国民生活との矛盾の激化、鈴木内閣のロッキードかくし | |
〈第16回党大会をめざす躍進大運動の推進) | ||
163 | 第16回党大会―歴史に学びあらたな前進へ | |
167 | 鈴木首相の政権なげだしと中曽根内閣の登場 | |
〈中曽根首相の「戦後政治の総決算」、「日米運命共同体」論に抗して〉 | ||
〈論文「パレスチナ問題の根源と解決への道」〉 | ||
172 | 83年いっせい地方選挙と開拓者精神の発揮 | |
〈道府県議選での画期的な全区立候補〉 | ||
〈反共風土と反共反撃のあたらしい位置づけ〉 | ||
〈干渉主義への風化現象を批判〉 | ||
〈多喜二没後50周年.マルクス没後100周年〉 | ||
176 | 83年参院選挙―比例代表区での「抜群の躍進」 | |
〈地域セクト主義の克服を重視した5中総〉 | ||
179 | 反核平和運動の国際的なひろがり、大韓航空機撃墜事件などあいつぐ国際的諸事件 | |
〈83年原水禁世界大会と核凍結論〉 | ||
〈第7回非同盟諸国首脳会議〉 | ||
〈大韓航空機撃墜事件、ラングーン事件、アメリカのグレナダ侵略〉 | ||
〈レーガン、コール、胡耀邦のあいつぐ来日と党の態度〉 | ||
183 | 83年総選挙と国政選挙での「一進一退」打開の提起 | |
〈ロッキード事件・田中有罪判決〉 | ||
〈自民党の敗北と新自クとの「連立」〉 | ||
〈国政選挙での10年間の「一進一退」の打開をよびかけた7中総〉 | ||
188 | 核戦争阻止・核兵器廃絶をもとめて―米ソ両首脳への宮本議長の書簡 | |
〈トマホーク配備、健康保険法改悪法案、政党法案反対の世論のたかまり〉 | ||
〈ソ連のスペイン共産党への干渉、中国の覇権主義と中曽根訪中〉 | ||
191 | 第一回全国協議会 | |
193 | 中曽根内閣の悪法ごり押しと大衆運動のたかまり | |
〈統一労組懇運動の前進、農民運動全国懇の結成など大衆運動の発展〉 | ||
〈7・29中央大集会の成功〉 | ||
195 | 84年原水禁世界大会と「東京宣言」 | |
〈原水禁運動をめぐる「朝日」の反共キャンペーンへの反撃〉 | ||
〈全斗煥の来日〉 | ||
199 | 「非核の政府」の提唱 | |
〈核軍拡競争をめぐる9中総の解明と第二次党躍進大運動〉 | ||
〈那覇、逗子、三宅島首長選挙の勝利、社公民の自民党との連合志向〉 | ||
201 | 「併党」論批判、覇権主義、干渉主義とのひきつづくたたかい | |
〈北朝鮮の日本漁船銃撃事件と党攻撃の拡大〉 | ||
〈『平社』誌各党代表者会議で廃刊をかさねて要求〉 | ||
〈党代表団のベトナム、カンボジア、中南米訪問、アフリカの飢餓への見解〉 | ||
205 | 核戦争阻止、核兵器廃絶での日ソ両党共同声明 | |
〈三回にわたった日ソ両党予備会談での論争〉 | ||
〈日ソ両党共同声明の主な内容とその歴史的意義〉 | ||
〈日ソ両党共同声明発表後の事態の展開〉 | ||
209 | 核兵器廃絶をめぐる国会論戦と逆流とのたたかい | |
〈「非核の政府」の綱領的位置づけ〉 | ||
〈「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動の発足〉 | ||
〈ソ連外交追従の誤りをくりかえす世評指導部〉 | ||
213 | 決定読了の重視と10中総 | |
〈9中総決定読了運動と支部生活の確立〉 | ||
〈「戦前日本共産党幹部著作集」の刊行〉 | ||
〈宮本議長宅盗聴事件での創価学会断罪の判決〉 | ||
〈論文「日中両党関係修復の障害は何か」〉 | ||
〈第二次大戦40周年の党の立場〉 | ||
216 | 全国革新懇の質的、組織的前進、国民春闘再構築など大衆運動の前進と国家機密法反対のたたかい | |
〈中曽根首相の国際公約とアメリカの市場開放要求への屈服〉 | ||
〈国家機密法など一連の反動法案とのたたかい〉 | ||
219 | 東京都議選での前進と反核国際シンポジウム | |
〈都議選での攻勢的な政策宣伝戦と陣地拡大〉 | ||
〈釧路市議選失敗の教訓〉 | ||
〈米ソ軍縮交渉と党主催の反核国際シンポ〉 | ||
223 | 85年原水禁大会の成功、対外盲従集団などとのたたかい | |
〈大隈一派への批判、全民労協の「中間報告」と統一労組懇の奮闘〉 | ||
〈靖国神社公式参拝の強行、日航機墜落事故〉 | ||
226 | 第17回党大会をめざす活動、中曽根内閣の「総決算」路線と対決してのたたかい | |
〈第11回中央委貝会総会(第16回党大会)〉 | ||
〈軍拡、国鉄分割・民営化など、中曽根内閣の反動政策とのたたかい〉 | ||
227 | 米ソ核軍縮交渉、レーガン政権のニカラグア干渉との闘争 | |
〈ニュージーランドの反核法など世界の反核平和運動の前進〉 | ||
〈核軍縮交渉をめぐる情勢の推移と党の見解〉 | ||
〈“バブル”経済の一つの要因となったプラザ合意〉 | ||
85年9月の日中両国共産党会談 |
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