式次第

平和式典の式次第
(1) 式次第
式次第の要素の中には、最初から一貫して存在するもの、当初には存在していたのに消えたものや、ある年のみに存在したもの、新たに加わったものがある。表2は、1947年(昭和22年)・52年・91年の式典の式次第を比較したものである。これにより、「平和の歌合唱」、「平和宣言」、「平和の鐘・黙とう(47年では平和の祈り)」、「放鳩」、「メッセージ(91年ではあいさつ)」といった要素が、順序は異なるものの、共通に存在しているがわかる。このうち「放鳩」以外は、最初から一貫して式次第に存在しているものである。
「放鳩」は、1947年の第1回平和祭から存在した。この年には、「平和のシンボル白鳩10羽が中村商工会議所会頭によって手放された」と報じられている(「中国新聞」47年8月7日)。48年には、ミスヒロシマの手によって鳩が放たれた。また、49年の鳩10羽は、くす玉に入れられており、前年同様、ミスヒロシマがくす玉を開いて、鳩を放している。当時、広島には鳩は居らず、その入手には、苦労をした模様で、放鳩に使用されたのは白鳩ではなく黒い鳩であったとか、鳩は九州の新聞社から借用したといったエピソードが伝えられている。「放鳩」は、51年から53年の式次第では消えたが、54年に再び現れた。放たれた鳩の数は、54年から59年にかけては500羽から700羽、60年から66年には1、000羽、67年と68年には1、400羽、69年以降は1、500羽と報じられている。
1947年の式次第にある「平和記念樹植樹」は、これ以後3回存在して姿を消した。「祝電披露」という表現は、51年以降は、用いられていない。単年のものとしては、「平和塔除幕」(47年)以外に、「詩・ヒロシマを思いて(大木惇夫作)」朗読、「くす玉開き」、「平和記念館設計当選者発表」(49年)、「慰霊祭」(51年)、「原爆死没者慰霊碑除幕」(52年)、「皇太子殿下追悼の言葉」(60年)、「扇ひろ子の原爆の子の像の歌」(64年)、「原爆死没者名簿引渡し」(90年)などがある。
「献花」は、1951年に現れているが、翌52年には存在せず、53年から「花輪奉呈」との名称で現れた。その後、68年に「献花」と改称され現在に至っている。また、70年以降は、「献花」に引き続いて「流れ献花」が設定された。「式辞」は、52年に現れ、現在に至っている。広島市議会議長が述べるのが通例であるが、広島県との共催で開催された60年の式典のみ、県知事が述べた。また、52年には、原爆死没者慰霊碑への「原爆死没者名簿奉納」が始まった。
開式の前であり、正確には式次第の要素とは言えないが、「献水」の行事が1974年から取り入れられた。これは、前年の長崎の式典に参列した山田広島市長が、長崎で採用されていたこの行事に感銘し、広島でも実施することとしたものである(「中国新聞」1974年7月2日)。広島市は、同年7月29日に献水の要領を決定したが、それによると、平和記念日当日早朝、市内の清流から水を集め、木曽さわら杉を使った水桶二つに入れ、式典直前に原爆死没者慰霊碑前に供え、式典後「平和の池」に注ぐことになっている(「毎日新聞」1974年7月30日)。清水を採る場所は、発足時は10か所であったが、91年には東区牛田新町浄水場、牛田新町天水、温品町清水谷、西区田方斉神、三滝町三滝、己斐上町滝の観音、安佐南区上安町荒谷山、緑井町権現山、沼田町大塚、安佐北区安佐町小河内、可部町福王寺、高陽町中深川、白木町秋山、安芸区矢野町尾崎、阿戸町景浦山、佐伯区五日市町屋代の16か所となっている。
1952年と91年の式次第は、「原爆死没者名簿奉納」→「式辞」→「献花(52年では欠)」→「黙とう・平和の鐘」→「平和宣言」→「放鳩」→「あいさつ」→「ひろしま平和の歌」である。ここでは、8時15分の「黙とう・平和の鐘」を、慰霊式と平和記(祈)念式の変わり目と理解することができる。ところが、54年から67年までは、「平和宣言」が「黙とう」より前に設定されており、式次第の上では、慰霊式と平和記念式の区別があいまいとなっていた。68年には、これがはっきり区別されるように変更された。しかし、この年からの式次第では、「ひろしま平和の歌」→「あいさつ」となっており、91年と完全に同じでない。現在の形式が定着するのは、1971年以降のことである。
平和式典の開催時間は、当初は(1947ー52年)、1時間が普通であった。ただ、慰霊祭が式次第に組み込まれた51年の式典は、8時半から11時(夏時間で、実際は7時半から10時)までの2時間半開催され、式典時間の中では最も長時間である。ところが、53年からは30分間が普通となり、70年以降は、40分間から50分の間で実施された。開始時刻は、49年以外はすべて原爆被爆時刻の午前8時15分を挟んで設定され、その時刻に「平和の鐘・黙とう」が行なわれた。49年の式典では、午前8時15分が開始時刻であり、「平和の鐘」から始められた。

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