ニューヨーク・タイムズ原爆関係記事目録(1947~83年)

ニューヨーク・タイムズ原爆関係記事目録1947~83年

47 02 09 42-3 UP WASHINGTON, Feb. 8
[広島爆撃にNolden照準器が、Smithsonian Institution に寄贈されることになる。]
47 07 19 6-2 AP HIROSHIMA, Jul. 18
[オーストラリアのペニシリン1500万個が赤十字病院に寄贈される。]
47 12 08 1-7  UP HIROSHIMA, Dec.7
Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’
47 12 08 24-2
HIROSHIMA VIA PEARL HARBOR
48 08 12 23-8  LONDON Aug. 11 by Clifton Daniel
Widespread Shame in America Over Use of Atomic Bombs Reported by a Scientist
[精神心理学者の集会で、G.R.Hargreaves 博士が、アメリカは原爆使用について 罪の意識を持っていると語る。]
49 07 01 21-4  WASHINGTON, Jun. 30
[広島攻撃に使用されたB29、7月3日にスミソニアン協会に公式に渡される 予定。]
50 07 16 13-1  PARIS Jul.15
[浜井信三広島市長、広島の犠牲者は20万人を超すと語る。]
57 11 17 2-6  Reuters HIROSHIMA Nov. 16
[日本被団協の藤居平一、ソ連の医師から長崎の被爆者に対する無料治療の申し出があったことを発表。]
58 02 03 1-1  By Wayne Phillips
[トルーマン前大統領、昨夜のテレビ向けインタビューで原爆投下に言及。]
58 02 14 2-6  TOKYO Feb. 14
[広島市議会、トルーマンの発言に抗議。日本の新聞も、トルーマン発言を非難。]
58 03 15 1-3  KANSAS CITY, Mar.14
[トルーマン、原爆投下非難に反論、仁都栗司広島市議会議長への書簡を公表。]
58 03 19 30-7
[(投書)トルーマンの書簡に賛同]
58 03 22 16-6 by James J. Flynn[Fordham 大学歴史学準教授]
[(投書)トルーマンの書簡について]
58 03 23 21-1 Reuters HIROSHIMA Mar. 22
[広島市議会、トルーマンに再考を促す]
58 06 12 33-5 HANOVER Jun. 11
[28歳の英語女教師 Le Moyne Goodman、生徒が原爆投下を非難する作文を書いたことを理由に辞職をせまられる。]
58 06 19 27-5 HANOVER Jun. 18
[教育委員会、女教師Goodman の辞職問題について語る。]
58 06 21 21-6  HANOVER Jun. 20
[女教師Goodman、辞職を決意する。]
59 05 30 2-1  CAMP HILL May. 29
[エノラ・ゲイ号は、現在アンドリューズ空軍基地にある。将来は、スミソニア ン国立航空博物館に収められる予定。]
60 08 07 32-4
[(写真)戦争終結を報じるニューヨーク・タイムズを手に、15年前を回顧す るチベッツとフェアビー。]
63 12 07 2-3 AP TOKYO Dec.7
[東京地裁、原爆投下は国際法違反との判決を下す。]
64 05 06 3-6  AP INDEPENDENCE,Mo., War.5
[広島・長崎の8人の被爆者、トルーマンと会見。]
70 07 12 10-1 UPI TOKYO Jul.11
[柳田ヒロシ、23人の米兵が原爆により広島で死亡したと語る。]
70 07 12 10-1 UPI WASHINGTON Jul.11
[ペンタゴンのスポークスマン、米兵の広島での死亡を否定。]
70 07 21 13-1
[ニューヨークの文化センターで、8月4日から10日まで、広島・長崎展が開 催される予定。]
71 04 16 14-3 By Junnosuke Ofusa, HIROSHIMA, Apr.15
[天皇・皇后の広島訪問の模様]
71 04 17 12-3 HIROSHIMA, Apr.16
[天皇、広島の感想を語る。]
71 11 24 37-5 By Deirdre Carmody
[広島原爆の日誌、37,000ドルの値がつく。ルイス所蔵のもの。]
71 12 27 1-5  By B. Drummond Ayres Jr. KANSAS CITY, Dec.26
[33代大統領トルーマン、88歳で死亡。]
76 10 13 4-6  AP HIROSHIMA Oct.12
[荒木広島市長、原爆投下ショーに抗議。]
77 09 12 32-5
[(投書)原田東みん、Maurine Parker、連名で、テキサス州ハーリンゲンで開催 予定の航空ショーに遺憾の意を表明。]
78 06 04 40-4
[(写真)国連ロビーにおけるヒロシマ・ナガサキ写真展]

1977年
3月19日(1頁-5段) MAJORCA,SPAIN
WILLIAM L.LAURENCE(アラモゴードの歴史的な核爆発に立ち会い、被爆直後の長崎を取材した記者)死去。89歳。
5月17日(3-1)(写真) 原爆ドーム。
5月17日(3-3) BY HENRY KAMM 、ヒロシマ
カーター声明のヒロシマでの反響。
5月22日(1-3) BY HENRY KAMM 、ヒロシマ
原爆乙女佐古美智子へのインタビュー。
8月 7日(24-1) BY GLANDWIN HILL 、SAN CLEMENTE 8.6
SAN ONOFRE 原子力発電所に向けて行われた反核デモの模様。
8月10日(6-6) AP ナガサキ 8.9
長崎の平和記念式典の模様。
8月14日 (Ⅶ10頁) BY DREW MIDDLETON
GORDEN THOMAS, MAX MORGAN WITTS 共著「エノラ・ゲイ」の紹介。
9月12日(32-5) (投書) 原田東岷・MAURINE PARKER 連名で、テキサス州ハーリンゲンで開催予定の航空ショーに遺憾の意を表明。
9月30日( Ⅳ17頁)(人物紹介) TRAVIS MACNEIL= 退役空軍少将でテキサス州の航空ショーの責任者。
10月11日(42-1)( 人物紹介) GENERAL PAUL TIBBETS
1978年
1月 7日(1-4) BY MALCOLM BROWNE
第2次世界大戦中の日本における原爆開発の紹介。
6月 4日(40-4) (写真) 国連ロビーにおけるヒロシマ・ナガサキ写真展。
7月 7日 (Ⅱ 2頁) BY JOSEPH B. TREASTER
7月 1日、59歳で死去したCLAUDE EATHERLY の紹介。
7月14日(2-1) BY ANDREW H. MALCOLM ナガサキ長崎の歴史と被爆の紹介。
7月24日(2-1) BY DAN LEVIN, HICKSVILLE,N.Y. マリアナ紀行。原爆爆撃機発進基地の紹介。
8月 7日 (Ⅱ13頁)(写真) LACEY TOWNSHIPの広島記念祭の模様。
11月12日(17-1) UPI BIRMINGHAM 11月11日 P.W.TIBBETS,「核戦争を避けるために、われわれはあらゆる努力をしなければならない」と語る。
11月16日 (Ⅲ20頁)(人物紹介) エノラ・ゲイ搭乗員R.LEWIS 。彼の飛行日誌が 8万5000ドルで売却される。
1979年
6月 9日(12-1) 8月 9日原爆攻撃直後、長崎に進駐した元アメリカ海兵隊員に骨髄性ガンが多発していることが判明。
7月 2日 (Ⅳ6-4) 国際協力による国立科学アカデミーの研究によれば広島の被爆者の22%、長崎の被爆者の33%は10ラド以下の被爆量であることが判明。また、被爆Ⅱ世への遺伝的影響は見られないこと、被爆者の死亡率は非被爆者の死亡率よりも少し低いことがわかる。研究者たちは、低レベルのLET放射線による細胞の損傷はしばしば回復していると信じている。
7月23日 (Ⅱ4-2) PAUL DOUTRICHハリスバーグ市長、核被害のもう一つのシンボルである広島市と姉妹都市縁組をしたいとの意向を表明。これを提案したの
は、核絶滅に反対する日米教授連合というカルフォルニアの団体である。会長の JOHN SOMERVILLE は、市長の意向は、広島で大歓迎されるだろう
と語る。
7月29日(18-1) 原爆に被爆した 600人の公務員に年6日の超過休暇を与える計画。3600人の被爆者のうちの 600人は、他の人々より多くの病院治療が必要。
8月10日(3-3) 日本の8月に行われる3つの大きな行事-広島・長崎の原爆記念日、ヒロヒト天皇による降伏記念日-の紹介。日本では、原子力にたいする反
対の大きな声は、原爆反対の声が大きいにもかかわらず、存在しない。
8月10日(13-3) 原爆被爆者-骨髄性ガンの元米海兵隊員HARRY COPPOLA を含む-長崎平和記念公園に参集。17000 人が参加。 8月 6日には、広島で3万人
が同様の式典。
8月15日(22-1) スタンフォード大学 BARTON BERNSTEIN 教授が、1945年 8月 6日の広島原爆攻撃により数人の米兵捕虜が死亡、また、1945年10月 9日付け
の米軍向け日本政府連絡によれば20人の米兵捕虜が死亡していると発表。国防総省にこれらについての説明を求める論説。
8月23日(16-1) 12人以上の米兵捕虜が広島で原爆の犠牲になった可能性。飛行士RALPH J.NEELとNORMAN R.BRISSETの運命。NEELの横顔と彼の母親の写真。
9月 2日 (Ⅳ14-5) PHILIP PARK 師の 8月23日付け米兵捕虜の記事についての投書。原爆攻撃時、広島には4800人の日系アメリカ人がいたと指摘。なお、長崎
の数は不明。
1980年
6月16日(20-1) 広島・長崎に投下された原爆の製造に従事したアメリカの科学者600人、35周年を記念してロス・アラモスに集合。
6月22日(40-3) 広島の被爆者、公衆衛生を専門とするアメリカの科学者とともに上院の健康と科学研究に関する小委員会の核戦争が人間の健康に及ぼす影
響についての公聴会で証言。
6月23日(22-5) R.H.HODGEの手紙。トルーマンが原爆攻撃以外の手段を検討していなかったことについて論じる。
8月 3日(37-3) 最近ガンで死亡したHARRY COPPOLA 、1979年 8月に長崎の平和記念式典に参加した際、広島・長崎に被爆直後進駐したアメリカ人の間で放
射線障害が多発している語った。今年の式典に参加している彼の息子MICHAEL が最近ガンで死亡した6人の海兵隊員のリストを日本人に提供す
る予定。米国退役軍人局の役人、彼らの訴えには根拠が無いとコメント。
8月 6日(3-3) 数千の人々が原爆攻撃35周年を記念して広島に参集。
8月 7日(9-1) 日本の記念行事。
8月10日(37-1) 長崎原爆攻撃35周年を記念して ROCKY FLATS核兵器工場で平和行進をしていた28人、逮捕される。
8月12日(12-5) 核防衛局、広島・長崎に進駐したアメリカ人にガンが多発しているという主張には根拠がないと発表。
11月24日 (Ⅲ14-5) 広島に原爆を投下した飛行士POUL W.TIBBETS、NBC-TV番組「エノラ・ゲイ-男・任務・原爆」の中で、原爆攻撃任務にあった兵士
たちの生活は、彼らの任務ののろいにより破滅的なものとなったという物語を否定する。番組の85%で企業家として成功した元兵士たちを描く。
12月 7日 (Ⅶ39頁) MILLEN BRAND 著「平和行進-長崎から広島へ」の紹介。
12月22日(4-3) JOHN PAUL Ⅱ法皇、日本訪問中に広島・長崎の20万人の犠牲者に祈りを捧げ、原爆症で入院中の被爆者を見舞う予定。
1981年
2月23日(3-4) JOHN PAUL Ⅱ法皇、日本訪問中の5日間に広島・長崎を訪問の予定。
2月25日(2-3) JOHN PAUL Ⅱ法皇、広島を訪問。
2月26日(4-4) JOHN PAUL Ⅱ法皇、長崎を訪問。
3月28日(23-5) 長崎大学市丸道人教授による核戦争の恐怖についての解説。
5月16日(11-1) 広島・長崎の住民が原爆によって被った放射線量の評価に疑い。
8月 6日(8-1) 広島で原爆被爆第36周年記念式典。荒木市長、日本政府が非核三原則を堅持するよう訴える。 4万人以上が参加。
8月 6日(8-1) 日本人科学者による白書、広島・長崎の被爆者の後障害・社会的心理的被害の全体像を明らかにする。
8月 9日(5-5) 長崎で 5万人以上が軍備競争の中止を要求してデモ。
8月 9日 (Ⅶ 1頁) 広島・長崎両市編「原爆の物理的・医学的・社会的影響」の紹介。
8月10日(2-3) 広島・長崎両市で原爆被爆直後に生まれた子供たちについて。
8月21日 (Ⅲ32-1) 「忘れがたき火」。被爆者の描写した絵を日本の放送局が編集。
10月 3日(2-4) 広島市長、米ソの核実験に抗議して電報を打電。
10月 8日(20-1) ワシントン地裁判事JUNE L.GREEN、復員軍人局と核防衛局が核攻撃直後の広島・長崎両市で復旧作業に従事した2000人の復員軍人の障害や死亡について不当な判断を採用していると判決。判決は、広汎な意見を認
める新しい判断を行うよう求める。この集団訴訟は、原爆復員軍人全国協議会により提訴されたもの。
1982年
3月23日(19-1) 4人の広島の被爆者、KENNEDY・HATFIELDの両上院議員により組織されたワシントンでの公聴会で核戦争の恐怖について証言。
8月 1日 (ⅩⅩⅠ3-3) ニューヨークの平和団体「長い島連合」、広島攻撃を記念する行進を計画。
8月 6日(1-1) JAMES B.EDWARDエネルギー省長官、アメリカの核実験に立ち会ったことについて、わざと広島原爆記念日に合わせたわけではないと語る。
8月 6日 (Ⅱ4-1) 広島原爆資料館について。
8月 7日(2-1) 広島市平和記念式典。市長、アメリカの新たな核実験に抗議。
8月 7日(27-5) 広島攻撃についてのRAFAEL STEINBERGの論説。
8月 7日(31-1) 反核グループ、広島攻撃を記念してニューヨークでデモ。
8月 8日(15-1) シカゴの平和博物館、平和教育に関する討論会を計画。この博物は、最近広島・長崎の被爆者の絵を展示した。
8月 8日(15-1) フィラデルフィアで75人が、広島・長崎への原爆攻撃とGE社の核兵器製造に抗議してデモ。
8月10日(16-1) 長崎原爆攻撃を記念して国連周辺でデモ。
8月10日(16-2) 国防総省の警察官、13人のデモ参加者を逮捕。
1983年
8月 6日 (Ⅰ22-1) 武見太郎博士、アメリカの雑誌で原爆攻撃が第2次世界大戦末期に日本を覆っていた飢餓から日本を救ったと語る。
8月 6日 (Ⅰ22-5) 4人のデモ参加者、日本への原爆投下を記念してDRAPER CHARLES STARK LABORATORYのロビーに鳩を放した後逮捕される。
8月 7日 (Ⅰ3-1) 原爆投下38周年を記念して行われたニューヨークでの反核デモの写真。
8月 9日 (Ⅱ5-2) 反核グループの連合、広島・長崎原爆攻撃38週年を記念して、核戦争計画に参画していると報じられているニューヨークの RIVERSIDE RESEARCH INSTITUTE本社の外での1週間のデモを開始。
8月10日 (Ⅰ2-3) 日本人、広島・長崎原爆投下38周年を記念して行事。
10月14日 (Ⅰ14-5) 国立空軍博物館、ダレス国際空港に、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」のような大型の飛行機の展示を計画。
12月18日 (Ⅰ39-1) 技術評価局の研究によれば、原爆攻撃直後の広島・長崎に入ったアメリカ軍の骨髄性ガンの発生率は一般と比較して高くはないという国家研究会議の結論は、根拠が不十分。