藤野七蔵
| ふじの・しちぞう | 18850701生 19510425没 | 享年65歳 |
藤野七藏氏年譜
| <出典:『藤野七蔵氏追懐録』藤野七蔵氏追懐録編纂委員会、広島瓦斯株式会社内、1952年4月25日> |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
藤野七蔵
| ふじの・しちぞう | 18850701生 19510425没 | 享年65歳 |
藤野七藏氏年譜
| <出典:『藤野七蔵氏追懐録』藤野七蔵氏追懐録編纂委員会、広島瓦斯株式会社内、1952年4月25日> |
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『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊著、明石書店、1992/07/31)
内容
| 章 | 節 | 見出し | 備考 |
| 1 | 「原爆の日」からの旅立ち 11 | ||
| 1 | ソウルの冬-一九七四年一月 12 | ||
| 三〇年間、帰らない息子/きびしいソウルの冬 | |||
| 2 | 「白紙」一枚の強制連行 16 | ||
| 戦時秘匿名「ヒロ八五〇一工場」/強制連行された人びとの生活/徴用工の不満/「日本が勝つと思われますか」 | |||
| 3 | 原爆が落とされた日 21 | ||
| 一九四五年八月六日/死者の群れ | |||
| 4 | 朝鮮解放と「別れ」 25 | ||
| 日本の敗戦と朝鮮の解放/出発の前夜/朝鮮人徴用工との別れ/帰り着かぬという問い合 わせ |
|||
| 5 | 旅立ち 30 | ||
| 誤まった記録/少年の日の朝鮮人像 | |||
| 2 | 消えた二四六名を追って 33 | ||
| 1 | 祖国を奪われ、故郷を追われ―朝鮮民衆の歴史 34 | ||
| 抵抗のうたごえ/権力者のつくり話/朝鮮植民地化の開始/不平等条約の実態/朝鮮民衆の抵抗/土地をうばわれ、米をうばわれ、故郷を捨てさせられ/「皇国臣民の誓詞」/「人狩り」=朝鮮人強制連行/原爆症認定患者・崔英民さんの話 | |||
| 2 | 太平洋戦争末期における広島の朝鮮人 47 | ||
| 広島県協和会/ささやかな一粒の種子/徳光真散彦氏の話/爆発した朝鮮人徴用工の怒り/日本人に殺されるより… | |||
| 3 | 彼らの消息はとだえたまま 53 | ||
| 処分された「応徴士」の名簿/帰国を急ぐ朝鮮人/仙崎港での証言/記録にない機帆船の遭難/人があふれた収容所/ミステリーではない/草津町での証言/触雷説/引揚船内反乱説/林記老からの報告/盧長寿さんの手紙 | |||
| 4 | 下関、戸畑にて67 | ||
| 関釜連絡船/下関で聞いた証言/下関地方気象台、厚東さんの証言/戸畑港で聞いた証言 | |||
| 5 | 対馬、壱岐にて 76 | ||
| 対馬へ/流れついた死体/埋葬された死体/阿比留さんの証言/釜山が見える岬/壱岐・郷ノ浦/朝鮮を犯しつづける日本 | |||
| 3 | ふるさとに墓地はなかった 87 | ||
| 1 | 再会 88 | ||
| 「静かな朝の国」/重長寿さんとの再会/盧聖玉のふるさと/金泉-水原-ソウル/後宮大使との会見/タコ作り名人の夢/名乗り出た元徴用工/「忍耐」の二文字 | |||
| 2 | 元徴用工と遺族の証言 96 | ||
| 保存されていた徴用令書/権泰植さんの証言/いまこそ遺骨を故国へ/あなたの墓地はなかった/盧長寿さんの証言/両手両足をもがれた感じ | |||
| 3 | 「あの日」と朝鮮人 107 | ||
| 被爆についての証言/被爆朝鮮人の実数/外交ルートにのった朝鮮人遺骨問題/「古い傷口」/<あの日> | |||
| 4 | 電光のように脳裡にうかぶ愛する人へ 115 | ||
| 1 | 遺族さがし 116 | ||
| 重苦しい韓国の政情/息子を三菱にとられた母親の嘆き/権寧瑾のふるさと | |||
| 2 | 若い徴用工夫婦の往復書簡 120 | ||
| 寧瑾の妻・貞愛さん/寧瑾からの第一信/自転車に乗って走って行きたい/鉄石のような決心で/逢う日を信じて下さい/ああ朝鮮、朝鮮がいやになった/離別という二文字が二人の前に立ちふさがる/余すこと百余日/迫りくる日本の敗戦/いつかきっと蝶が舞う/電光のように脳補にうかぶ私の愛する人よ/被爆にもかかわらず私は健在だ/帰ってこない夫 | |||
| 3 | 確認できた山港地 138 | ||
| 第一次徴用で連行された権五衡/生きることが一番苦しかった/三菱から海軍に徴用された朝鮮人/新しい種子/裏づけられた戸畑出港説/証言者たち/発見された一九四六年の慰霊祭アピール/あついもてなし | |||
| 5 | さわだちやまぬ鎮魂海峡 153 | ||
| 1 | 再び壱岐にて 154 | ||
| 語ろうとしない壱岐の人びと/警察の弾圧/慰霊碑と台風/野原で焼かれた骨/私たちの悲劇/慰霊碑によせた熱い思い/見殺しにした日本人/朝鮮にむかって牙をむく日本 | |||
| 2 | 遺族会の結成 164 | ||
| 韓国の四月/韓興剣の家族/遺族会結成の呼びかけ/遺族会結成式/日韓双方の動き/韓国の被爆者たち/金再根の遺志/元徴用工・崔基昌さん/狭いワクを越えて | |||
| 3 | 三菱重工との交渉 182 | ||
| 韓国に進出する三菱/三菱への疑念/三菱に支払う意志はあったか/誠意のない回答/決死の覚悟/三菱に責任はある/鎮魂の海峡/にんげんの復権 | |||
| 補1 | 外国人被爆者の間題 193 | ||
| 孫振斗さんの勝訴/これは日本人被爆者の問題でもある/自らの生命を絶つ被爆者/日韓被爆者の連帯/来日した韓国人被爆者たち/辛さんへの被爆手帳交付/厚い壁/ふたたび三菱との交渉/ソウルでの慰霊祭/塗り消された碑文/野火のようにひろがる民衆の火 | |||
| 補2 | 海峡の怨-訪韓レポート 207 | ||
| はじめに 207 1 道義までふンにカる日本政府・三菱重工 208 2 三一年目に壱岐で遺体発掘 209 3 外国人被爆者問題 215 4 外国人被爆者に平等の権利を 230 5 私の訪韓に際してのアピール 233 6 ソウル無住宅被爆者自治互助会 243 7 三菱遺族会の人々 245 死ぬ時も一緒に/土の中に入るまでは/結婚して五年目に強制連行/父が二人目の成子/自殺未遂の意味するもの 8 訪韓に際してのアピールについて 252 加害者と被害者の立場をこえるために/新資料と新証言/李学俊氏のレポート |
|||
| 資料 | 261 | ||
| 年表 | 293 | ||
| 三菱重工業強制連行関係年表 | |||
| あとがき 深川宗俊(1974年8月) 300 | |||
| 解説 飛田雄一(1992年6月) 303 | |||
| 奥付 | |||
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原田勉
| 22 | 19140831生19850422没 | 原田勉 | はらだ・つとむ | 1953「酔心」旗揚げ。『なに糞経営愕』(原田勉、朝日書院、19650625) |
『なに糞経営愕』(原田勉、朝日書院、19650625)
内容<作業中>
| 章頁 | |||
| はじめに | |||
| Ⅰ | くそ意地半生記 | ||
| 19 | 初めての熱い涙 | ||
| 26 | 軍鶏をころす | ||
| 34 | あの空のように | ||
| 41 | 小さな幸せ | ||
| 48 | 遠くの鶏鳴 | ||
| 55 | 社長の激励 | ||
| 62 | 空腹に負けて | ||
| 70 | その名は事務員 | ||
| 78 | 不死鳥のように | ||
| 87 | 転換期 | ||
| 92 | ”酒場酔心”の開店 | ||
| 101 | ”釜飯酔心”の再出発 | ||
| Ⅱ | やぶにらみ放談 | ||
| Ⅲ | はだか経営学 | ||
| 275 | あとがき | ||
止
資料年表:山田浩
| 年月日 | 事項 |
| 1925 | |
| 0310 | 誕生(佐賀県唐津市) |
| 1944 | |
| 12 | 入営、中国出征 |
| 1945 | |
| 03 | 広島高等学校文科乙類卒。 |
| 1946 | |
| 05 | 中国より復員 |
| 1949 | |
| 03 | 九州帝国大学法文学部法科卒業 |
| 1953 | |
| 04 | 広島大学皆実分校助手 |
| 1960 | |
| 08 | 『戦後日本の国家権力』(共著、三一書房) |
| 1964 | |
| 04 | 広島大学教養部助教授 |
| 1967 | |
| 0110 | 『戦後アメリカの世界政策と日本』(法律文化社) |
| 1971 | |
| 1001 | 『安全保障と日本の未来 核抑止戦略を超えて』(法律文化社) |
| 1973 | |
| 0830 | 山田浩「廣高沿革小史」(『廣島高等学校創立五十年記念誌』廣島高等学校同窓会)所収 |
| 1120 | 座談会・手記を読んで 石田成雄 大槻和夫 庄野直美 空辰男 藤井敏彦 山田浩 (『戦前の教育と私』広島平和教育研究所編、朝日新聞社) |
| 1975 | |
| 0825 | 「核問題の現状と平和 山田浩」(『平和の探求』岡倉古志郎 他編、時事通信社) |
| 1976 | |
| 0731 | 『ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える』(山田浩 他編、労働教育センター) |
| 1977 | |
| 0701 | 「核と平和」(『地域と科学者 被爆・核・広島特集』、日本科学者会議広島県支部編) |
| 0910 | 「第Ⅱ章 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)」(『広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会』) |
| 1979 | |
| 0518 | 山田浩、森利一編『平和研究ノート』(広島大学総合科学部国際関係論教室) |
| 1103 | 『核抑止戦略の歴史と理論』(法律文化社) |
| 1980 | |
| 0925 | 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房) |
| 1981 | |
| 1001 | 「第9回 :第2次大戦後の軍拡競争の歴史 、第10回 :今日の核軍拡競争 」(『平和を研究する』、広島大学放送教育実験実施委員会) |
| 1982 | |
| 01 | 「栗野鳳先生をお送りする言葉」、「戦略論議と限定核戦争―1960年代末以降のアメリカの核戦略構想をめぐって」(『広島平和科学 5 1982年』広島大学平和科学研究センター) |
| 0220 | 「団体の紹介:学問と平和を守る大学人会」 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬 創刊号』所収 |
| 1983 | |
| 0520 | 『現代日本の政治』(北西允。山田浩著、法律文化社) |
| 0930 | 『青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念』(廣島高等学校同窓会) |
| 1984 | |
| 0331 | 『軍備と軍縮の歴史』(広島平和文化センター) |
| 0830 | 山田浩編『平和学講義』(勁草書房) |
| 1985 | |
| 0215 | 『半生雑記帳』(溪水社) |
| 0730 | 「限定核戦争論 第2報告者 山田浩」(『核戦争の危機と人類の生存』江口朴郎 他編、三省堂) |
| 1130 | 「限定核戦争政策について 」(『平和のメッセージ 核戦争の脅威をのりこえて』アンセルモ・マタイス、関寛治編、明石書店) |
| 1986 | |
| 0630 | 「広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の課題-平和研究の制度化推進のために- 山田浩」(『ヒバクシャと現代 創立20周年記念』日本科学者会議広島支部) |
| 1987 | |
| 0101 | 「ゲイサー報告をめぐる若干の考察―アメリカ核戦略の転換期における先駆的な道標― 山田浩」(『広島平和科学 9 1986年』広島大学平和科学研究センター) |
| 0211 | 「核廃絶の道を探る-山田浩氏、金井利博氏との座談会(昭和四七年)」(『安部一成論文選集 5巻 原水爆禁止運動』東洋図書出版) |
| 1107 | 「大学と平和教育」(『平和研究 第12号 エスニシティと平和』日本平和学会) |
| 1988 | |
| 0301 | 『最近のアメリカ非核通常戦略の一般的な動向 「水平的エスカレーション」戦略とNATO戦略を中心として』 |
| 0310 | 『半生雑記帳 続』(溪水社) |
| 1990 | |
| 0630 | 「広島の活性化と文化・平和行政」(『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』香川不苦三著 中国新聞社編) |
| 1992 | |
| 0720 | 「核軍拡・軍縮の歴史と課題」(芝田進午編『戦争と平和の理論』勁草書房) |
| 1995 | |
| 0720 | 「社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-山田浩(昭20文乙)」(『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』廣島高等学校同窓有志の会) |
| 1997 | |
| 0801 | 「金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 」山田浩<昭20文乙>)(『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』廣島高等学校同窓有志の会) |
| 2000 | |
| 1010 | 山田浩、吉川元編『なぜ核はなくならないのか 核兵器と国際関係』(法律文化社) |
| 2002 | |
| 1120 | 『現代アメリカの軍事戦略と日本』(法律文化社) |
| 2004 | |
| 0101 | 「米ロ間戦略核削減と「備蓄」問題―いわゆる「モスコワ条約」(SORT)の意義を考える―」(『広島平和科学 26 2004年』広島大学平和科学研究センター) |
| 2006 | |
| 0930 | 『核拡散問題とその対策の多様性 とくに武力行使について考える』(広島修道大学学術交流センター) |
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『信州白樺第61・62・63合併号―長田新特集』(信州白樺、1985/02/13)
内容
| 頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
| 005 | 長田新先生照影 | ||
| 006 | 長田新先生の分骨の墓碑 | ||
| 007 | 長田新年譜 | ||
| 035 | 長田新 | ペスタロッチに還れ-上からの教育学より下からの教育学へ | |
| 043 | 長田新 | 平和を築くことが人間としての最高の道徳である | |
| 55 | 飯島宗一 | 長田新先生のことども | |
| 58 | 碓井正久 | 長田新先生と「新知育論」 | |
| 67 | 太田尭 | ペスタロッチの「直観」論と長田新 | |
| 70 | 沖原豊 | 学問と平和を求めて-書斎から街頭へ- | |
| 80 | 金子金治郎 | 長田新先生の私的回想 | |
| 94 | 小崎軍司 | 感銘をうけた教育評論 | |
| 103 | 田畑忍 | 長田新博士との出会い | |
| 106 | 寺田英夫 | 最後の教え子として-『平和をもとめて』- | |
| 113 | 伏見康治 | 長田新先生の憶い出 | |
| 115 | 福島要一 | 長田新先生と私 | |
| 125 | 細谷俊夫 | 長田新氏を追想して | |
| 127 | 堀内守 | 長田新の教育学 | |
| 135 | 宮坂広作 | 「近き理想主義」の教育哲学 | |
| 151 | 村井実 | 長田新先生の郷土性 | |
| 156 | 森滝市郎 | ゲッチンゲン宣言と長田新先生 | |
| 161 | 松浦勉 | 「大正自由教育」と部落問題-長田新の被差別部落民教育論- | |
| 230 | 羽仁説子 | 平和への祈りとともに | |
| 232 | 島為男 | 長田先生の片影 | |
| 238 | 山口勇子 | 行動する知識人 | |
| 240 | 与田準一 | 子どものしあわせ | |
| 241 | 柴谷久雄 | 学者として市民として | |
| 243 | 武内利忠 | 原爆の子の父-長田先生を衷いて- | |
| 256 | 玉置孝 | いかに生くべきか | |
| 266 | 上原専禄 | 「同志」だけではなかった長田さん | |
| 268 | 上田庄三郎 | 日本自由教育史の先駆者 | |
| 269 | 小川太郎 | 戦時中の長田さん | |
| 272 | 坂田昌一 | あやまち二度とくりかえさせませんから | |
| 273 | 末川博 | 平和のための闘士 | |
| 275 | 砂沢喜代次 | 日本民主教育の先達 | |
| 279 | 南原繁 | 真理と平和を求めて | |
| 281 | ハンス・シュテーエッドバッハー | 日本におけるペスタロッチ運動創設者の追想のために | |
| 283 | 前芝確三 | その面影をしのびつつ | |
| 285 | 務台理作 | 長田新博士を偲ぶ-人間の可能性を強く信じた理想主義者- | |
| 287 | 矢川徳光 | 「社会科学的ヒューマニズム」の立場に立って | |
| 289 | 特集 反戦・反核を訴える詩人たち | ||
| 290 | 小崎軍司 | プロローグ「反戦・詩人と市民のつどい」 | |
| 294 | 三井為友 | 現代日本における反戦詩の役割 | |
| 302 | 松本隆晴 | 歓迎の言葉 | |
| 303 | 丸地守 | 朗読詩(1) | |
| 305 | 小崎軍司 | 上田自由大学運動の今日的意義 | |
| 310 | 森田宗一 | 反戦平和への行脚の旅 | |
| 314 | 長谷川龍生 | 戦争と人間 | |
| 318 | 大島博光 | 抵抗詩について | |
| 322 | 藤原定 | 戦争と民主主義 | |
| 326 | 増岡敏和 | 峠三吉と『原爆詩集』 | |
| 332 | 朗読詩(2) | ||
| 334 | 長田三郎 | 歴史を繰り返さないために | |
| 337 | 清野竜 | エピローグ 一参加者の個人的な感想 | |
| 340 | 船山謙次 | 長田教育学に学ぶ | |
| 372 | 自由席 | ||
| 松浦勉 | 本誌掲載の拙論について | ||
| 宮坂栄一 | 編集記を兼ねて | ||
止
フロイド・シュモー
| 18950921生20010420没 | 享年105歳 | 米国の平和活動家。シュモーハウス。 |
資料年表:フロイド・シュモー<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1895 | ||
| 0921 | アメリカ中西部の一農家に誕生。 | |
| 1949 | ||
| 0702 | フロイド・シュモー(クエーカー教徒)ら4人、広島市に育児診療所建設のため17日にサンフランシスコを出港予定。 | C |
| 1951 | ||
| 0331 | 『外國人より廣島によせることば』(広島県土木部計画課) | |
| 「(7)廣島の家 計画主任 フロイド・シュモー博士 13」 | ||
| 1952 | ||
| 1001 | 『日本印象記』(フロイド・シュモー(Schmore,Floyd)(著)・大原三八雄(訳) 広島ピース・センター(刊)) |
|
| 1995 | ||
| 0801 | 『けんみん文化 1995.08』(広島・県民センター文化情報課) | |
| まちかど シュモー会館 | ||
| 2013 | ||
| 0201 | 『平和文化 2013.2』(広島平和文化センター) | |
| シュモーハウスがオープン………1~2 | ||
| 2017 | ||
| 1201 | 『平和文化 2017.12』(広島平和文化センター) | |
| Sarayama Village ―フロイド・シュモーが写した広島・江波・皿山…⑬ | ||
| 2004 | ||
| ?? | 原爆資料館のヒロシマ・ピース・ボランティア 3人、「シュモ―さんの『ヒロシマの家』を語りつぐ会」を結成。 | |
| 2012 | ||
| 1101 | 「シュモーハウス」、広島平和記念資料館付属展示施設として開館(広島市中区江波二本松一丁目) | |
| 2014 | ||
| 1101 | 『ヒロシマの家 フロイド・シュモーと仲間たち』(シュモーに学ぶ会) | |
| 2018 | ||
| 1001 | 『月刊放送ジャーナル 2018.10』(第48巻第9号) | |
| ETV特集 ~シリーズアメリカと被爆者第1回『シュモーさんを探して』~…鈴木典之…36 | ||
| 1101 | 『歴史地理教育 2018.11』( 886号)歴史教育者協議会 | |
| 探訪ミュージアム112 シュモーハウス[広島平和記念資料館付属展示施設](広島市) 谷本真由美 | ||
| 2020 | ||
| 1221 | 『広島平和記念資料館総合図録 ヒロシマをつなぐ』(広島平和記念資料館編、広島平和文化センター) | |
| コラム「シュモーハウス フロイド・シュモーと『広島の家』計画」 | ||
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『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター発行、19521001)
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内容
| 頁 | |||
| フロイド・シュモー博士の横顔―序文にかえて 訳者 1 | |||
| 日本印象記(ヒロシマの家) 1 | |||
| 71 | シュモー博士と広島の家 浜井信三 | ||
| 75 | 跋 谷本清 | ||
| Japan Journey by Floyd Schmoe (Silver Quoin Press 1950) |
止
川端康成
| かわばた・やすなり | 18990614生19720416没 | 享年72歳 | 日本ペンクラブ会長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。 |
資料年表:川端康成<作業中>
| 年月日 | ||
| 1899 | ||
| 0614 | 誕生 | |
| 1949 | ||
| 1126 | 川端日本ペンクラブ会長ら、国際ペンクラブ大会(1950年・英国)出席に備え広島市を訪問。 | C |
| 1950 | ||
| 0415 | 日本ペンクラブ主催「広島の会」。川端会長らペンクラブ会員約80人参加。講師:川端、石川達三、真杉静江、阿部知二、原民喜ら18人。平和宣言を発表。 | C |
| 1959 | ||
| 0814 | 川端から広島「憩いの家」(広島市宇品町)に小説990冊が届く。 | |
| 1961 | ||
| 0730 | 日本ペンクラブ、広島「憩いの家」の運営資金にと42枚の色紙を贈る。寄贈者:川端、井伏鱒二、井上靖、徳川無声、丹羽文雄、佐藤春夫、東郷青児ら。 | |
| 1967 | ||
| 0612 | 世界平和アピール7人委員会の4人(茅誠司・川端康成・上代たの・内山尚三)、佐藤首相に文化人18人が署名した原爆被爆者援護法制定に関する要望書を手渡す。 | |
| 1969 | ||
| 0816 | 広島「憩いの家」主催「被爆者援護第7回文芸家・画家・国際色紙展」(会場:広島市・福屋百貨店)。川端ら約120人、300点を出品。サルトルらの被爆者へのメッセージも展示。 | |
| 1970 | ||
| 0814 | 広島「憩いの家」主催の被爆者救援の色紙展(会場:広島市・福屋百貨店)。川端らの色紙300点を展示。 | |
| 1972 | ||
| 0416 | 神奈川県逗子市のマンションでガス自殺。72歳。 | |
| 2016 | ||
| 0921 | 森本穫「緑地帯 川端康成と広島<1>」(『中国新聞』連載)~<8>(9月30日)。 | |
止
『駆けぬけて 羽原好恵追悼集』(羽原好恵追悼集刊行委員会、1993/12/01)
内容
| 頁 | |||
| 003 | 吉見弘(中国放送) | 序にかえて | |
| 015 | 日記(抄) | 19921124~19930412 | |
| 023 | 追悼文 | ||
| 025 | 松林俊一 | 一枚の写真から | 広島市公文書館 |
| 028 | 磯崎弘幸 | もう、好恵さんのすがすがしい声をきくことはできない | 民放労連書記長 |
| 031 | 市川美根 | 羽原さんと真珠の指輪 | 東京放送 |
| 033 | 隅井美沙子 | 浅草デート | 東北放送 |
| 036 | 宮崎安男 | 羽原さんの笑顔 | 原水爆禁止広島県協議会代表委員 |
| 040 | 尾津訓三 | 透明な人 | 日本演劇学会 |
| 042 | 大林進 | 働く仲間の中にはいつも好恵さんがいた | 元山陽新聞 |
| 045 | 古浦千穂子 | 無念の死 | 作家 |
| 048 | 岡本美紀 | 放送局で女性の数が半分になったら | ラジオ日本 |
| 051 | 原田東岷 | 羽原さんを悼む | 医師 |
| 054 | 川上三夫 | 歌わなくなったうた | 元山陽新聞 |
| 056 | 井口泰子 | 彼女の闘いの終りに | 作家 |
| 059 | 安部親雄 | 羽原かあちゃんを偲んで | 「寿司富」店主 |
| 061 | 水藤晉 | 残酷な地雷 | 共同通信 |
| 063 | 岡野信子 | ホンモノの優しさ | 梅光女学院大学名誉教授 |
| 067 | 河井章子 | イチ抜-けない | 元中国放送 |
| 070 | 杜師弘一 | 人間を そして哲学を | 中国放送 |
| 073 | 松本洋 | 明るく親切だった ヤンちゃんへ | 元・元宇品小学校教諭 |
| 075 | 高岡日出子 | まだまだ生きてほしかった | 東京放送 |
| 078 | 森悦子 | 勇気ある旅立ち | 広島市役所 |
| 080 | 田辺昭太郎 | 好っちゃんの怒ったとき | 映画プロデューサー |
| 082 | 岡本純江 | ゆっくり休んで… | 毎日放送 |
| 083 | 今田純子 | いまごろになって | 朝日放送 |
| 084 | 寺本真名 | 爽やかな人 | 元放送映画製作所 |
| 085 | 野崎清 | 精一ぱい生きた人 | 朝日放送 |
| 086 | 井上俊逸 | メッセージ・フォー・あす | 中国新聞 |
| 089 | 酒井幸 | ボルゴグラードでの思い出 | 中国新聞 |
| 093 | 香川そのみ | 女性記者であること | 中国放送 |
| 095 | 中川幹朗 | 羽原さんの思い出 | 皆実高校教諭 |
| 098 | 徳光国弘 | 年上の女 は婆らさん | 中国放送 |
| 101 | 須山楓 | 羽原さん 力をかして | 南海放送 |
| 104 | 丸屋博 | 友よ、さらば 羽原さんの残した課題 | 広島共立病院名誉院長 |
| 109 | 栗本陽子 | 私達にできること | 大阪文学学校研究生 |
| 111 | 天野茂 | 羽原好恵さん逝去の悲報に | 元比治山女子短大教授 |
| 112 | 芝田進午 | 羽原好恵さんへの感謝 | 広島大学名誉教授 |
| 115 | 池谷洋二 | チロ | 毎日新聞 |
| 118 | 柴田和広 | 宿題 | 中国放送 |
| 122 | 三宅芙由 | 星 | 大芝小学校4年 |
| 123 | 長谷川洋 | 遠い声 | 共同通信 |
| 127 | 石田明 | ヒロシマからあなたへ | 被爆者 |
| 132 | 坂本治子 | まるでマリア様のように | 民放労連中四国地連・広島テレビ労組書記長 |
| 134 | 沼田鈴子 | 羽原好恵さんとの「きずな」 | 語り部の会 |
| 137 | 荒井栄子 | 姉のようだった好恵さんへ | 中国放送 |
| 138 | 水野喬 | 牛んでも「モーン」 | RCCミュージック |
| 142 | 石嵜隆博 | 拝啓 羽原さま 広島市役所 |
|
| 144 | 古島哲朗 | 羽原さんの死が問いかけるもの | 歌人 |
| 146 | 籔井和夫 | クラブの母 | 中国新聞 |
| 149 | 川路恵理子 | 平和公園で会いましょう | 毎日新聞 |
| 151 | 栗原貞子 | ヒロシマの人体実験はまだ続いている | 詩人 |
| 159 | 中村一郎 | しっかりしんちゃい | 読売新聞 |
| 161 | 田代真理子 | 天国でどうしていますか | 中国放送 |
| 163 | 松本愛子 | あなたの声を聞いてみせます | 山陰放送 |
| 165 | 奥村宗洋 | いつもの笑顔で | 読売新聞 |
| 167 | T・U | 実録 好っちゃんの失敗 | |
| 169 | 佐々木典明 | 『ヒロシマ記者』ヨッチャンの軌跡 | 中国放送 |
| 173 | 高木春美 | 沖縄大会を無事終えて | 西日本放送 |
| 175 | 赤松怜子 | この人好きだな… | 西日本放送 |
| 177 | 大元誠司 | 一緒に伝えたい | CGオペレーター |
| 181 | 藤原茂 | 思い出を語るにはあまりにも… | 読売新聞 |
| 183 | 谷上朋子 | 青空グループ | 中学校同級生 |
| 187 | 水原肇 | 雑誌『正觀』生みの親だった羽原好恵さん | ジャーナリスト |
| 191 | 遺稿 | ||
| 193 | ささやくキャンパス― | 1970年8月 | |
| 195 | とうとう社員にさせました― | 1972年4月 | |
| 201 | 白馬が跳ぶ海のことば― | 1979年7月 | |
| 217 | ボルゴグラード友好の旅 | 1987年7月 | |
| 220 | ある日突然 海・外・取・材― | 1990年3月 | |
| 226 | みつめる90 平和の夢を追いつづけて― | 1992年4月 | |
| 242 | 中四国地連第14回婦人集会へのメッセージ― | 1993年2月 | |
| 244 | 在広民放4組合婦人部合同「お花見」へのメッセージ― | 1993年4月 | |
| 245 | おもいで | ||
| 247 | 45歳いのち見つめて 新聞記事より | ||
| 家族より | |||
| 251 | 山根喜美子 | 好恵が生まれたころ | 母 |
| 254 | 羽原博子 | 好恵さんに逢えて | 義妹 |
| 256 | 羽原幹男 | 好恵とのこと | 夫 |
| 267 | 堀口勲 | 弔辞 | 中国放送社長 |
| 269 | 原森勝成 | お別れの言葉 | 中国放送労組 |
| 273 | 田端佐紀子 | 弔辞 | 友人代表、広島テレビ放送 |
| 275 | 羽原好恵年譜 | ||
| 279 | 原森泉 | あとがき | |
| 池本恵子、田端佐紀子、野田恵美、原森勝成、三宅泰次、山原玲子、三宅文枝 | |||
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羽原好恵
| はばら・よしえ | 19450730生19930418没 | 享年47歳 | RCC中国放送勤務。 |
羽原好恵年譜<『駆けぬけて 羽原好恵追悼集』(羽原好恵追悼集刊行委員会、1993/12/01)>
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