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戦史博(中国新聞社主催 1967年)

戦史博(中国新聞社主催 1967年)

資料<作業中

ポスター 出典:『広島民報』No.80(19670129)
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目で見る 戦史博 3月19日~5月31日
会場:広電 楽々園
主催:中国新聞社 協力:防衛庁
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 「戦史博」開催に抗議 出典:『広島民報』No.81(19670205)
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 「戦史博」中止せよ ぞくぞく反対行動 出典:『広島民報』No.82(19670212)
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「戦史博」反対で署名 出典:『広島民報』No.84(19670226)
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 「戦史博とりやめよ」共産党が強く抗議 出典:『広島民報』No.86(19670312)
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 「戦史博」開催に抗議ひろがる 出典:『広島民報』No.87(19670319)
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 戦史博反対でビラ 平和委など5団体 出典:『広島民報』No.88(19670326)
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サイト「みずま工房の歴史」
 歴史 | 広島・広告代理店 みづま工房 (mizma.co.jp)

ひろがる被爆者救援運動(『広島民報』1967年1月1日)

ひろがる被爆者救援運動(『広島民報』第77号 1967年1月1日)<作業中

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 温品道義さん追悼 世良完(広島県平和委員会)
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 援護怠る県と市 血液も被爆者に集めさす
 ベトナム侵略を糾弾 生き証人として自覚 被爆者の組織が大きな力に
 自らの手で 原爆症究明を
次々と手記出版
「老いと怒りと」、「広島はたたかう」、「木の葉のように焼かれて 第3集」、「心から笑える日を」、「加害者への怒り」

アメリカもうひとつの顔(カール・ヨネダ)

『アメリカもうひとつの顔』(カール・ヨネダ、新日本出版社、19780630)<作業中

アメリカに生きる日本人
三十一年ぶりに見た日本―1960年来日の印象
/原水爆禁止世界大会に出席して―感激とショック/”神風運転”と女性の変わりようにびっくり/(「アカハタ」19600802)
六〇年来日から十二年目の印象―私にも日本人の血がある
(「文化評論」197210)
わが妻を語る―何度つかまっても”自己弁護士”で無罪に
/法律でも禁止された結婚/親子3人で日本人収容所へ/際限ない人生への熱意/「アカハタ」19600524)
母の想い出―入営拒否した私にアメリカ行きの切符
母はさる7月23日、広島原爆養護ホームで95歳5カ月の生涯をとじた。母の子ども3人、孫10人、曾孫28人は全部アメリカに住んでおり、たった一人で死んだ。
/広島で生まれハワイへ/息子をアメリカに送りだす/(「アカハタ」19760912)
アメリカの五十番目の州ハワイ
ハワイの反戦デモ
在米日系人の強制収容キャンプ
強制収容されたカナダの日本人
天皇訪米にたいする日系人の反応
アメリカの地に生きた日本人労働者
片山潜の在米時代
病めるアメリカ
物価高は日本もアメリカも
今なおつづく「怒りのぶどう」
ニクソン大統領はスト破り
ウォーターゲート事件のニクソン
弾劾にゆれるニクソン政権
ニクソン弾劾と今後のアメリカ
ニクソン辞任の日
さびしいクリスマス
失業者の群の中でむかえたアメリカ建国二百年祭
老人めあてのかっぱらい増える
アメリカの労働運動
みんなの力で百万ドルの会館
港の闘士と日系女性のロマンス
オートメーションと労働者
オートメーションと労働運動
手を組む″流刑の兄弟″
たたかう港湾労働者
立ちあがる黒人と青年・学生
がんばれトーマス君
気狂いざたの黒人差別
完全な自由をめざす黒人たち
ロサンゼルスの黒人″暴動″
黒人に就職と教育の道を
ネズミと一緒に住むのはもういやだ
アメリカの″長い暑い夏″
働き口がない青少年
前途にまつ不安と絶望
ひろがる徴兵拒否の運動
黒い喪章の学生たち
ベトナム反戦運動
やがて「多数の声」に
ぼくの父さんを返して
ベトナム侵略反対に動きだした労働者
徴兵センター前ですわりこみ
ワシントンの反戦大デモに参加して
アメリカの内と外
インディアン保留地をたずねる
わたしたちのメキシコ訪問
不況下につれてこられたベトナム難民
終戦三十周年とアメリカ市民
アメリカのテレビ
天皇をむかえた米国民の反応
觧説(塩田庄兵衛)

年表:イワクニとヒロシマ 1965年~

年表:イワクニとヒロシマ 1965年~<作業中

 

年月日 できごと 備考
出典
『中国新聞』= 特記のない場合
[イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802)
1965
 02  米軍、北ベトナム爆撃(北爆)開始。ベトナム戦争に本格介入。[イワクニ]
06 第1海兵航空師団の司令部や第12飛行大隊(2個中隊)など基地の主力、南ベトナムに移駐。
1966
 08  岩国日米協力会、不景気でベトナム帰休兵受け入れと第7艦隊寄港促進の署名運動。革新団体は反対署名。
1967
 03  基地に女性海兵隊員6人配属。海兵隊上級幹部も家族同伴認める。
1968
 05  基地開放デー。ベ平連、ベトナム戦争反対や脱走を呼びかけるビラまき。
 06  反戦学生ら250人、基地周辺で基地撤去デモ。警官と衝突、3人逮捕。
 1969
 0718  米海軍岩国基地のF4Bファントム戦闘爆撃機が岐阜県美濃加茂市の山林に空対空ミサイル「スパロー」1個を誤って落とす。同基地は「核装備はしていない」。
 08  第1次ベトナム撤兵で、ファントム中隊が岩国に帰還。
1970
 03  ベ平連、岩国で本格活動始める。基地に反戦米グループ誕生。
 1971
 0310  1942年、世界で初めて核連鎖反応実験に成功した米シカゴ大の黒鉛ウラン型原子炉の黒鉛の一部を、米軍人が原爆資料館に寄贈。米海兵隊岩国基地のカール・スミス少佐「原子力開発の歴史を知る一助に」
 1116  衆院沖縄返還協定特別委員会。社会党の楢崎弥之助、「岩国市の米軍岩国基地に核兵器が貯蔵されている疑いがある」と政府を追及。
 1117  米軍岩国基地で、楢崎弥之助(社会党)が指摘した「赤色」の弾薬プレートが黄色に塗り替えられる。
 1117   衆院沖縄返還協定特別委員会。福田赳夫外相、「米政府に確認した結果、岩国に核兵器はないとの返事」との答弁。
 1118  米海兵隊岩国航空基地のバンキャンペン司令官、記者会見。核貯蔵を間接的に否定。B52の飛来も否定。
 1119  森滝市郎広島県原水禁代表委員ら15人、米軍岩国基地を訪れ「核兵器、毒ガスの即時撤去、基地自体の撤去を要求する」と抗議。
 1122  森滝市郎ら社会党系の原水禁団体、被爆者団体が米軍基地司令官との面会を求め基地前で座り込み。
1122  成田知巳社会党委員長、国会内で記者会見。「楢崎弥之助氏が岩国基地に核・生物・化学兵器部隊が存在する証拠を入手」と発表。資料は基地電話帳の記述。
1122 朝枝俊輔岩国市長・岸本孝二山口県副知事、バンキャンペン岩国基地司令官と面会、核疑惑をただす。
1124  防衛庁、「米軍岩国基地を調査した結果、基地に核・生物・化学兵器はなかった」と発表。
 1209  米軍岩国基地でこの3月にヤギ10頭を飼い、一晩で全部が死んだ事実が分かる。基地側は「野犬にかみ殺された」と発表。
1218  岩国市体育館で米女優ジェーン・フォンダさんら自由劇団(FTA)の反戦ショー。ベ平連主催。約1000人の米兵が参加。
 1982
 1128~29  中国5県の原水協、平和委員会、安保破棄・諸要求貫徹実行委員会主催「82年岩国基地平和行動」。
 『広島民報』No.854(19821114)
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基地イワクニ~日米安保のはざまで~

『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802)<作業中

内容

部章 タイトル 備考
はじめに―岩国と沖縄の『距離』
1部 基地半世紀
序章 今も米軍のアジア戦略拠点
基地と岩国/米海兵隊/思いやり予算/米軍の総戦力
1章 基地の街の日米関係史①
航空機事故/低空飛行/上空制限/騒音公害/ぶらさがり族/強制買収/べ平連/チャーリー/基地従業員/反基地運動/都市縁組/相互理解/核疑惑
2章 基地の街の日米関係史②
西洋住宅/精霊之碑/川下経済/県性病診療所/投げ銭事件/空母寄港/不時着/笑顔作戦/滑走路/軍楽隊/若竹寮/米兵犯罪
2部 日本の中のアメリカ
序章 在日米軍の概要と現状
基地・施設/青森県三沢市/長崎県佐世保市/神奈川県
1章 岩国基地と自治体
基地対策課/防衛補助事業/川下の区画整理/道路づくり/基地教育/
跡地返還
2章 特別ルポ 沖縄から
本土復帰23年/沖縄の米軍/普天間飛行場/読谷村の闘い/宜野湾市の未来/県の取り組み/ネットワーク
3章 クローズアップ
①新井英一とイワクニ(ブルース歌手を志す原点)
②米兵犯罪に泣き寝入り目立つ(賠償請求手続き面倒であきらめ)
③中国山地でも超低空飛行(実態見えず、不安募らせる住民)
④オキナワとイワクニ(基地めぐり「縮小」と「強化」懸念)
⑤岩国基地の「機能強化」着々(思いやり予算で建築ラッシュ)
3部 米軍基地に関する市民意識
調査編 「普天間」移転と岩国基地
普天間・飛行部隊「岩国移転」めぐる動き/市民の基地意識/「普天間」問題/迷惑施設か/沖合移設問題
資料編
◆米軍岩国基地関連の年表  基地の歩み・航空機事故関連/米兵犯罪・社会一般・生活など
◆核疑惑・岩国基地をめぐる動き
◆日米安全保障共同宣言-21世紀に向けての同盟(全文)
◆「普天間」返還と岩国移転計画-日米の合意内容-
◆米軍基地に関する市民意識調査(質問と回答)
おわりに

年表:イワクニとヒロシマ 1945~64年

年表:イワクニとヒロシマ 1945年~64年<作業中

 

年月日 できごと 備考
出典
『中国新聞』= 特記のない場合
[イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802)
1945
 0906  原爆の効果を調査する米陸軍の専門家一行、岩国飛行場に到着。
 09  米海兵隊進駐、岩国飛行場を接収[イワクニ]。
1946
02 英連邦空軍と米空軍、岩国進駐[イワクニ]。
 1948
**** 英豪空軍基地になる[イワクニ]
0807 平和祭の旅客混雑解消に山陽線広島―岩国間に臨時列車。
1949
  0426  映画「ヒロシマ」製作のため米軍岩国航空隊が広島市上空を撮影飛行へ。
1950
06  朝鮮戦争始まる。
 09  国連軍として、英海軍部隊・米空軍及び米海軍部隊の一部が駐留。英豪空軍、米空軍の戦闘機、前線支援で出撃、岩国基地は朝鮮半島への爆撃・支援・補給基地に。[イワクニ]
1951
06 岩国市議会、街娼の激増で山口県内初の売春取締条例を可決。岩国市署推定で1500人[イワクニ]
 0806  平和記念式典に朝鮮戦線出動50回以上の岩国航空基地兵士24人も参列。兵士は中国新聞社8回から全市を展望し「明日からの出撃に平和探求への希望を強めました」
 1952
04 日米安保条約発効。英豪空軍撤退、米空軍基地になる。兵員3500人。[イワクニ]
04 岩国空港、民間空港として開港。日本航空、東京―岩国―福岡の定期便運航。[イワクニ]
07 米国CAT、オーストラリア航空など国際便の就航。岩国基地、税関空港指定、羽田と共に国際空港に[イワクニ]
1953
07 朝鮮戦争、休戦協定署名。
09 初の基地一般開放[イワクニ]
1954
03 極東航空(全日空の前身)、岩国―大阪便運航開始[イワクニ]
 1955
 0505  原爆乙女25人、岩国空港から米空軍機で米へ出発。
 11  米海軍岩国航空基地の兵士家族の原爆孤児養子縁組増える。
12 米海軍基地になる[イワクニ]
1956
 0617 中林智子さん( 原爆乙女、手術中死亡)の遺骨、米軍用機で羽田に帰国、岩国空港を経て広島に帰る。
 07  韓国から米海兵隊第1海兵航空師団、厚木から米海軍第6哨戒飛行群が岩国移駐。[イワクニ]
12 米軍、クリスマスに児童養護施設の子供を基地に招待する「笑顔作戦」始める[イワクニ]
1957
03 海上自衛隊教育航空群、共同使用を開始[イワクニ]
04 売春防止法施行。1年後発効[イワクニ]。
05 空母ホーネット寄港。[イワクニ]
 1958
02 海自隊岩国航空教育隊が発足。[イワクニ]
 1109  岩国市で原水禁広島、山口協議会主催の核武装阻止岩国基地平和大行進、山口広島両県民集会開く。2700人参加。
 1959
 8  山口県市原水協、岩国で基地撤去集会[イワクニ]
 11  米兵2人、基地の兵器庫から盗んだ短銃50丁や実弾を広島の暴力団に横流し[イワクニ]
1960
 06  基地周辺住民、岩国市議会へ米軍ジェット機爆音対策求め初の請願[イワクニ]
07 岩国で「安保不承認」中国地区国民大会。5000人参加。[イワクニ]
1961
 09  広島空港開港[イワクニ]
1962
 06  基地撤去・米軍軍事介入反対の中国5県総決起集会。2000人参加[イワクニ]。
1963
 02 空母キティホーク( 世界最大)寄港。乗組員3500人。[イワクニ]
06 空母コンステレーション( 最新型)寄港。乗組員4200人。[イワクニ]
1964
 12   米兵、暴力団に短銃20丁横流し[イワクニ]

資料 小笠原諸島の日米核密約

『資料 米政府公文書で明らかになった 小笠原諸島の日米核密約-日米核密約関連=米政府公文書19文書全訳収録』(原水爆禁止東京協議会、東京非核政府の会、東京平和委員会、安保破棄東京実行委員会、2000年)

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