「現代と広島」の会 1978年の歩み




ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。




ヒロシマはどう伝えられているか-―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」(90原爆の会編、日本評論社刊、19920725)目次
| はじめに | |
| 総論 | 報道という観点からみたヒロシマ |
| 反響呼んだマス・メディアのキャンペーン…昭和40年代 テーマの設定に苦労する報道現場、「世界のヒバクシャ」、韓国・朝鮮人被爆者、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移転問題(執筆:90原爆の会) | |
| 新聞 | <社説>継承の大切さとともに政治への提言を(執筆:薮井和夫) |
| 資料/新聞社説 | |
| <連載企画>風化を食い止めるべき連載に現れる風化(執筆:川路恵理子) | |
| 資料/新聞連載企画 | |
| <投書欄>読者の声がストレートに反映する大切さ(執筆:中川幹朗) | |
| 資料/新聞投書欄 | |
| 雑誌 | |
| <雑誌一般>時の流れを映す雑誌の中にみる「原爆」は(執筆:長谷川洋) | |
| <郷土雑誌>生活地としてのヒロシマで受け継ぐものは(執筆:中川幹朗) | |
| 資料/雑誌 | |
| テレビ・ラジオ | 日本の中のヒロシマから世界の中のヒロシマヘ(執筆:羽原好恵) |
| 資料/テレビ・ラジオ | |
| 書籍 | |
| <単行本>神話化のすすむヒロシマを目前にして(執筆:中川幹朗) | |
| <手記>「あの日」の再現に欠かせない体験者の証言(執筆:中川幹朗) | |
| 資料/書籍・定期刊行物・目録 | |
| 映画・ビデオ・CD | 映像と旋律が呼びかけるヒロシマのこころ(執筆:吉田雄一郎) |
| 資料/映画・ビデオ・CD | |
| 慰霊行事 | イベント化の進む「8・6」(執筆:吉田雄一郎) |
| 資料/慰霊行事 | |
| イベント | |
| 形の違いを超え底流に続くメッセージ、平和(執筆:羽原好恵) | |
| 資料/イベント | |
| 被爆建造物 | 被爆建造物解体のかげに潜む意識の変容(執筆:中川幹朗) |
| 資料/被爆建造物 | |
| 物故者・来訪者 | ヒロシマにかかわった人々から何を受け継ぐか(執筆:中井幹夫) |
| 資料/物故者・来広者・来長者 | |
| 韓国・朝鮮人被爆者 | 対岸の慰霊碑をめぐる被爆者の思いを受けて(執筆:川路恵理子) |
| 資料/韓国・朝鮮人被爆者 | |
| 修学旅行 | 心の「原点」となるヒロシマとの出会いに(執筆:中井幹夫) |
| 資料/修学旅行 | |
| おわりに | 90原爆の会 |
資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)
目次
| まえがき | |
| <共同検証82反核> | |
| 1 | 新味に欠ける原爆出版 |
| 2 | 消極的な大手出版社 |
| 3 | 新刊しのぐ重版・再刊 |
| 4 | 手記・体験記に多様性 |
| 5 | 「読む」から「見る」へ |
| 6 | すそのを支える童話 |
| 7 | 無難さ目立つ教科書 |
| 8 | 雑誌-欠落した原点 |
| 9 | 新聞連載-不十分な総括 |
| 10 | 新聞社説-もの足りぬ分析 |
| <82出版物リスト> | |
| 1 | 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ |
| 2 | 単行本-防衛・原発・学術・再刊 |
| 3 | 童話-絵本・平和教育 |
| 4 | 教科書-国語科82年採択 |
| 5 | 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊 |
| 6 | 新聞-連載・社説 |
| おわりに | |
| 「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所 | |
ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。
目次
| No. | 見出し(文献名) | 見出し |
| 1 | 石うすの歌 | 初の被爆テーマ小説 小学国語のテキストに |
| 2 | 終戦経緯報告書 | 国が被害データ発公表 |
| 3 | 絶後の記録 | 被爆直後の壮絶なルポ |
| 4 | ちちははの鐘 | 自分の理念盛った三吉 |
| 5 | 回顧五年原爆広島の記録 | 「8・6」の思い込める |
| 6 | 原子爆弾傷 | 「ガス」の部分伏せ字に |
| 7 | 原爆体験記 | 根拠薄い初刊本発禁説 |
| 8 | 月刊中国 | 1年後廃虚の街を特集 |
| 9 | 原子爆弾と世界恐慌 | 知られていない小冊子 |
| 10 | 原爆の子 | 素朴な表現で反響呼ぶ |
| 11 | 科学朝日 | 投下操縦士の証言掲載 |
| 12 | 原子爆弾(同盟通信版) | GHQ意識 外電で構成 |
| 13 | 原子爆弾の法律観 | 国際法の精神転換迫る |
| 14 | 泉 | 御楯隊しのぶ学徒の声 |
| 15 | ヒロシマを忘れるな | 禁止訴え署名呼びかけ |
| 16 | 原子力の軍事的利用 | 極秘に印刷された2冊 |
| 17 | 反戦詩歌集 | 人類の愚挙へ怒りの声 |
| 18 | ピカドン | 絵で告発した最初の本 |
| 19 | 生ましめん哉 | 最も早い時期の有名詩 |
| 20 | 原子爆弾の効果 | 兵器としての威力誇示 |
| 21 | ヒロシマ日記 | 米国で出版され逆輸入 |
| 22 | あの当時 | 両親慕う孤児の思い |
| 23 | 天よりの大いなる声 | 1年半も出版ためらう |
| 24 | 原爆体験記(京都大学版) | 学生が危機感抱き編集 |
| 25 | ヒロシマ | 悲惨さを世界に初紹介 |
| 26 | 夏の花 | 体験記の枠超えた傑作 |
| 27 | 屍の街 | 初版本は5節分を削除 |
| 28 | さんげ | 被爆の非情短歌で告発 |
| 29 | 原爆詩集 | 峠三吉の唯一の作品集 |
| 30 | まとめ | ”神話”の洗い直し急げ |
| プレスコード神話、強すぎた自己規制、収集保存に努力を | ||
| 「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」> | ||
ピカ資料研究所(ピカ研)田原幻吉(所長)
関係年表(出典:原爆被災資料広島研究会『原爆被災資料総目録』第4集)
| 1967.10.02 | ピカ資料研究所(ピカ研)が「原爆資料の調査・研究」について提言。全井利博賛同して、「ピカ研を母体」で合意、以後具体化をめぐって七回会談。 |
| 1968.01.16 | 結成準備会五回開く。出席、今堀誠二、金井、山崎与三郎、ピカ研。 |
| 1968.02.15 | 『原爆被災資科広島研究会』発足。 |
| 1968.07.30 | 役員会 人事、企画、運営方針を決定。 |
| 1968.12.06 | 金井利博事務所開設。所内に原災研「編集部室」設置。(1970.3.28閉所) |
| 1969.08.06 | 原爆被災資料総目録第一集を発刊。 |
| 1970.03.04 | ピカ研 原災研「編集部室」を長崎に移設。 |
| 1970.08.06 | 総目録第二集を発刊。 |
| 1970.11.24 | 編集部会文沢隆一、ピカ研が第三集専任。 |
| 1972.10.25 | 総目録第三集を発刊。 |
| 1974.06.16 | 金井利博死去。 |
| 1975.04.30 | ピカ研・長崎「第一~三集」の作成による累積債務で一時閉鎖。 |
| 1977.12.17 | 役員会 企画、運営をめぐり討議。分裂決定。 |
| 1980.08.25 | 編集部会 編集企画会議。 |
| 1982.07.23 | ピカ研・長崎書庫冠水害 |
| 続刊=第五集以降企画編集進行占領下の文献解説・占領下の新聞・著作選集録・原爆史詳細年表・写真、映像・長崎の手記・広島の手記・教育児童文学・社会科学評論…(順不同) |
関係年表(宇吹メモ・資料・報道)
| 年月日 | 事項 |
| 197107 | 「平岡敬(中国新聞社)に会い,「ヒロシマの記録」取材当時ののことを聞く.参考になったもの-今堀・浅野・県立・田原伯・金井」(宇吹メモ) |
| 19710818 | 「金井利博(中国)より教示.田原伯のことを聞く」(宇吹メモ) |
| 19720107 | 田原伯、長崎より帰り来室。(宇吹メモ) |
| 197302 | 宇吹暁(広島県史編さん室)宛田原幻吉(ピカ資料研究所 長崎市万才町** **ビル)葉書「ピカ資料研究所を一時閉鎖」 |
| 19770316 | 田原伯来所。文献の売却について。(宇吹メモ) |
| 19770620 | 田原伯来所。内田と3人で8時半まで話す。(宇吹メモ) |
| 19770803 | 田原伯と平和文化センタ-で会う。「地域と被爆者」の原稿について抗議を受ける。(宇吹メモ) |
| 19770710 | 現代と広島の会発足準備の話合い。於朝日会館屋上。木村、石踊、今田夫妻、田原、安藤、藤原、宇吹。(宇吹メモ) |
| 19780710 | 田原幻吉(ピカ資料研究所代表)を囲む会「現代と広島の会」、発足。 |
| 19830715 | 『資料’82反核』(「ひろしまをよむ」会編・渓水社発行) |
| 19840616 | 原爆被災資料総目録第4集、刊行。紹介記事 |
| 19860630 | ヒロシマの「史点」 占領下の原爆文献考<『中国新聞』19860630~0812、30回連載、担当:冨沢佐一郎記者)。「メモ(抜粋)この企画は、30年間にわたって原爆文献を収集、調査してきた「 ピカ資料研究所」( 田原幻吉(ピカ資料研究所代表))の資料を中心に構成した」> |
| 19860710 | ピカ資料研究所の提言で「碑の会」スタート。 |
| ピカから15706日 | 『資料・広島平和記念公園』(ピカ資料研究所編集委員会編、ピカ資料研究所刊、19880926<宇吹宛て「ピカ研・幻吉」書留の日付>) |
| 19890805 | 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志(加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎)、「ピカ資料研究所」(田原幻吉・中川幹朗)刊行:「碑の会」(全朝教有志・ピカ研)) |
| 19891103 | 宇吹宛て祝電(発信:ピカ研内せせらぎ、りょう) |
| 19920725 | 『ヒロシマはどう伝えられたか―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」』(90原爆の会編、日本評論社発行) |
| 19930414 | 田原幻吉(ピカ資料研究所代表=竹原市)「文化 GHQに日本訳規制されたJ・ハーシー著『ヒロシマ』 原爆報道一切禁止は「神話」」(『中国新聞』19930414) |
原爆被災資料総目録第4集(紹介記事)
| 記事見出し | 掲載書誌 |
| 占領下の文献網羅 原爆被災資料総目録 独力で第4集刊行へ 田原さん(竹原)30年かけ収集 | 『中国新聞』19831108 |
| 検閲くぐり伝える被爆実相 占領下平和念じルポ・学術書・地下出版物 初期の文献続々 歴史的価値大きい労作 資料1000点超す 通説を上回る 広島研究会の手で12年ぶり目録4集。 | 『 朝日新聞』19841119 |
| 文化 占領期の文献明らかに 検閲研究にも貢献 40年近い歳月かけた労作。 | 『中国新聞』19850201、 宇吹暁・記 |
| 占領下の原爆資料 | 『毎日新聞』19850204 |
| 図書資料紹介 原爆被災資料総目録第4集=占領期文献の発刊。 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’85冬 第13号』19850220、 内田恵美子・記 |
| 内田恵美子<抜粋「最後に田原氏へ提言(お願い)する。次の企画には占領下の原爆文献解題を最優先されることを願う。それによって、先述した誰でも閲覧できる場が提供されることと併せて四集が真に有効に活用されることになり、更に、一点一点について今まで30年余に渡って蓄積されたデータを全て吐露されることにより原爆問題の正史を書き残していただきたいと切望する」> | |
広島原爆被災撮影者の会
設立準備会?:19780715
関係資料
| 資料名 | 備考 |
| 広島原爆被災写真撮影者名簿 | |
| 22名の住所、電話番号、 | |
| 初会合(宇吹メモ) | |
| 1978.9.14 於広島YMCA | |
| 本 | |
| 『広島壊滅のとき―被爆カメラマン写真集』 (広島原爆被災撮影者の会、198108) | |
| 『被爆の遺言 被災カメラマン写真集』(広島原爆被災撮影者の会、19850801) | |
| 『中国新聞』(20050801、編集委員 西本雅実) | |
| http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?gallery=20110613141546676_ja | |
明治100年(関連年表と資料)
| 年月日 | 事項 |
| 19660325 | 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議了解。 |
| 19660415 | 明治百年記念を国家的行事として実施する旨閣議決定。内閣内に明治百年記念準備会議設置。 |
| 19660511 | 国の明治百年記念準備会議(第1回)開催。記念式典実施日1968年10月23日と決定。 |
| 19660526 | 明治百年記念準備会議(第2回)開催。4部会(式典・行事・事業・広報)設置。 |
| 196710 | 政府、各都道府県に記念事業の実施を要請 |
| 196711 | 広島県明治百年記念行事等協議会設置。 |
| 19681023 | 政府主催明治百年記念式典。 |
| 広島県の行事(出典:『戦後50年広島県政のあゆみ』) | |
| 広島県明治百年記念式典(19681023)。 | |
| 県章・県旗の制定。 | |
| 県民の森の整備。 | |
| 県史の編さん | |
| その他 | |
肥田舜太郎
| ひだ・しゅんたろう | 生20170320没 | 享年100 |
資料
| 新聞 | 掲載年月日 | 見出し |
| 赤旗 | 20020326 | ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。 |
| 赤旗 | 20040301 | 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史 |
| 朝日新聞 | 20130409 | ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん |
| 20170321~26、死亡記事 | ||
|
輜重兵第五聯隊馬碑(基町、1928年建立)と馬魂碑(比治山、1937年建立)ー開幕まえのひろしま菓子博会場周辺と比治山を散策中撮影 4月18日 |
![]() ![]() |
| HIBAKU+PIANO+PEACECONCERT+from+HIROSHIMA
原爆ドームの壁の調査 6月17日 |
![]() |
| 車が進入禁止となった広島平和大通りー原爆資料館南側から東方を望む 8月6日 |
![]() |
| 花輪撤去作業中の原爆慰霊碑前
献花台東側(写真右。撤去済)=広島市長 広島市議会議長 遺族代表・こども代表 遺族代表(市内代表1名、都道府県代表2名) 被爆者代表(市内代表2名)、被爆者代表(県内代表2名)、長崎市民代表(市長、市議会議長、被爆者代表) 国際連合総会議長 国際連合事務総長 姉妹・友好都市代表 |
![]() |
| 第59回広島平和美術展
問:原爆記念日の行事ではなかったの? 答:会場が取れなかったから。 8月27日 |
![]() |
| 鷺?(背景は本川橋・平和公園) 2013年9月6日 |
![]() |
| オランダの芸術家が作製した「連鶴」。 幅15cm、長さ150mの一枚の紙で折られている。 長崎原爆資料館 2013年9月10日 |
![]() |
| 救護所メモリアル 新興善国民学校跡。かつて市内最大の被爆者収容所 場所:長崎市立図書館 2013年9月11日 |
![]() |
| 東本願寺長崎教会・原子爆弾災死者収骨所 真宗大谷派長崎教務所。道に迷って偶然出会う。 場所:長崎市筑後町 2013年9月12日 |
![]() |
| 広島市役所旧庁舎の被爆石ー歩道と車道の間に設置 場所:広島市大手町 2013年9月23日 ・ |
![]() |
| 原爆瓦を貼った玄関(広島YMCA)の柱 場所:広島市中区八丁堀 2013年9月27日柱に埋め込まれた金属板の文章 *鎮魂 1981年12月6日 広島県高校生平和ゼミナール *私たちは、世界平和を願い 原爆瓦を後世に伝えます 1981年12月12月26日 広島YMCA |
![]() |
| Site of Former Chugoku Military Police Headquarters 中国軍管区司令部跡地の銘板(宝ビルの県庁側壁面) 場所:広島市中区基町12-8 2013年10月14日 ・The atomic bomb dropped on Hiroshima August 6,1945 devastated the city and its people with a force beyond any known before. U.S. Air Force and U.S. Navy airmen interned as POWs at the Chugoku Military Police Headquarters which was located at this site, near the epicenter, were among the victims of this holocaust. This plaque is placed in memory of these brave and honorable men. May this humble memorial be a perpetual reminder of the savagery of war.1998.7.29 |
![]() |
| 広島市立中央図書館 2013年11月14日 ・ |
![]() |
| 耐震強度調査の始まった原爆資料館 2013年12月11日 |
![]() |
| 広島市まんが図書館(右建物)と御便殿跡に建造された構造物(左奥) ーまんが図書館で中沢啓治の「はだしのゲン」を閲覧 2013年12月13日 |
![]() |
| 2013年12月15日 ・三良坂平和美術館。向って左手にある三良坂コミュニティセンター内の山代巴記念室も見学。 場所:広島県三次市。 |
![]() |
宇吹フェイスブックより
| 松本徳彦(公益社団日本写真家協会専務理事)「東方社か |
![]() |
|
広島クレド11階より基町を望む 2012年8月15日
|
![]() |
|
原爆ドームの全体を撮影しようと動き回ったらこの場所に
|
![]() |
|
三ツ蔵(呉の重要文化財 旧澤原家住宅見学会) 2012年10月12日
|
![]() |
| 旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日 |
![]() |
| 世界の子どもの平和像 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂1-5-4)玄関前 2012年10月19日 |
![]() |
| 岡本太郎作「歓心」 持田製薬株式会社(東京都新宿区四谷1-7)玄関前 2012年10月20日 |
![]() |
|
旧広島市民球場跡地に設置された工事壁の透明窓に映った原爆ドーム 2012年11月9日 |
|
|
愛媛県原爆被害者の会原爆死没者慰霊碑
| 19920310没 | くぼ・なかこ | 享年64 | 愛媛県原爆被害者の会会長。藤居平一聞き書き |
![]() |
|
愛媛県原爆被害者の会「原爆死没者慰霊碑」
(松山市石手川公園) 「この碑は廣島・長崎で被爆し愛媛県各地に眠る被爆者の 昭和四十九年四月十四日
愛媛
副会長 阿部幸雄
|
| 2016年5月撮影 |
「芸備地方史研究」目次(抄)
| 号 | 発行年月日 | 著者 | 備考(論文名など) | 所蔵 |
| 001 | 1953.07 | 魚澄惣五郎 | 創刊をよろこびて | |
| 011 | 1955.03 | 熊田重邦 | 書評 「概観広島市史」 | |
| 016 | 1956.02 | 歴史教育と地方史研究 | ||
| 017・018 | 1956.07 | 人物広島史 | P | |
| 今堀誠二 | 原爆戦争に抗して峠三吉 | |||
| 019 | 1956.11 | 山代巴著≪荷車の歌≫をめぐって | ||
| 金井利博 | 時間の貧しさということ | |||
| 山手茂 | 村落研究をめぐる若干の問題 | |||
| 035 | 1960.12 | 佐久間澄 | 今堀誠二著『原水爆時代』を読んで | |
| 041・042 | 1962.6 | 天野卓郎 | 『原水爆被害白書』 | |
| 045 | 小倉豊文「中国文化賞受賞」 | |||
| 051 | 19640705 | 戦後における広島県地方史の成果と課題Ⅱ | P | |
| 055 | 1965.5 | 国立史料センター設立について | ||
| 060 | 1966.4 | 広島県立文書館設立のために(一) | ||
| 061 | 1966.6 | 土井作治 | 動向「県立文書館設立推進のために(その二)ー全国公共図書館研究集会に参加してー」 | |
| 062・063 | 1966.11 | 「建国記念日問題について」 | ||
| 動向「県立文書館設立のために(三)」 | ||||
| 64 | 1967.2 | 動向・時評 | 「教科書検定問題をめぐる懇談会」報告 | |
| 「広島県立文書館設立のために(四)」 | ||||
| 065・066 | 「広島県立文書館設立のために(五)」 | |||
| 「建国記念の日」のヒロシマ | ||||
| 068 | 1967.9 | 動向「広島県立文書館設立のために(七)」 | ||
| 072 | 1968.6 | 志水清 | 調査報告 「爆心地の追跡調査について」 | P |
| 田村裕 | 「爆心地(中島本町)第一次調査に参加して」 | |||
| 動向・時評 「建国記念の日」のヒロシマ(2) | ||||
| 076 | 1969.1 | 今堀誠二 | 広島原爆被害資料の保存をめぐって | P |
| 077 | 1969.5 | 動向 「明治百年祭」と広島 | P | |
| 078 | 1969.6 | 小堺吉光 | 広島原爆戦災誌の編集にあたって | P |
| 080 | 19700531 | 「建国記念の日」のヒロシマ(4) | P | |
| 081・082 | 1970.6 | 合評『広島県の歴史』 | P | |
| 横山英 | 新刊紹介『未来を語りつづけてー原爆体験と教育の原点ー』 | |||
| 090 | 1972.3 | 上原敏子 | 論稿「在広朝鮮人被爆者についての一考察(1)」 | P |
| 091 | 19720615 | 論稿「在広朝鮮人被爆者の現況(2)」 | P | |
| 096 | 1973.12 | 常任委員会 | 動向 「広島県文書館設立のために」 | |
| 097・098 | 1974.5 | 小倉豊文 | 創刊二十周年に際し | |
| 099 | 1974.8 | 宇吹暁 | 史料紹介 明治期県内発行の新聞・雑誌 | |
| 108 | 1976.6 | 川島孝郎 | 論説 原爆教育の課題 | |
| 140・141 | 1983.6 | 宇吹暁 | 論説 『被爆体験』の展開-原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として- | |
| 162 | 1987.11 | 石丸紀興 | 論説 『広島平和記念都市建設法』の法案とその形成過程に関する考察 | |
| 171 | 1989.12 | 今正秀 | 書評 大田英雄『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道-』 | |
| 178 | 1991.10 | 千田武志 | 論説 英連邦占領軍の日本進駐-宥和政策の推移を中心として- | |
| 186・186 | 1993.9 | 小特集 「建国記念の日」ルポの成果と課題 | ||
| 三沢純 | 広島における「建国記念の日」をめぐる諸潮流 | |||
| 委員会 | 座談会 継続企画『「建国記念の日」のヒロシマ』二十七年を振り返って | |||
| 200 | 1996.6 | 道重哲男 | 芸史創刊のころ | |
| 202 | 1996.10 | シンポジウム特集号―あ097/らためて原爆遺跡保存を考える― | ||
| 村中好穂 | 原爆遺跡を考える | |||
| 楠忠之 | この声にどう応えるか | |||
| 小原誠 | 旧大正屋呉服店存廃についての市長発言への反論 | |||
| 今正秀 | 『被爆建物』保存の論理・破壊の論理 | |||
| 基調報告 | ||||
| 山瀬明 | 爆心地の実相を語るレストハウス保存について | |||
| 石丸紀興 | 増田清と大正屋呉服店 | |||
| 長谷川博史 | 原爆遺跡保存の歴史的意義について | |||
| 207・208 | 1997.12 | 特集 原爆ドーム・厳島神社の世界遺産登録Ⅰ | ||
| 209 | 1998.3 | 特集 原爆ドーム・厳島神社の世界遺産登録Ⅱ 原爆ドームの世界遺産登録 | ||
| 村中好穂 | 原爆ドームが語る戦後広島の奇跡―何が、どのように世界遺産に登録されたか― | |||
| 石川まゆみ | 原爆ドームが私たちに語るものを伝えるために―授業実践例― | |||
| 吉川生美 | 被爆者の分身 原爆ドーム | |||
| 230 | 2002.4 | 広島県地方史研究の成果と課題Ⅲ 近現代-原爆・強制連行・大久野島- | ||
| 231・232 | 2002.6 | 動向 「日の丸・君が代」新聞記事目録 | ||
| 237 | 2003.6 | 道重哲男 | 後藤陽一先生を悼む | |
| 239 | 2004.2 | 松下宏・千田武志 | 呉空襲後の住宅難を救った「三角兵舎」 | |
| 247 | 2005.06 | 石田雅春 | 占領期広島県における高校再編成と軍政部の役割 | |
| 250・251 | 2006.04 | 小特集 「被爆60年と史・史料保存-現状と課題を考える-」 シンポジウムの記録 | ||
| 石丸紀興 | 建造物の観点から | |||
| 宇吹暁 | 文献資料の観点から | |||
| 高野和彦 | モノ資料の観点から | |||
| 高木泰伸 | 参加記 | |||
| 橋本啓紀 | 書評 こうの史代著『夕凪の街 桜の国』 | |||
| 小宮山道夫 | 「平和学術文庫」の開設について | |||
| 253 | 2006.01 | 土井作治 | 追悼 道重・畑中両先輩を悼む | |
| 254 | 2007.06 | 石田雅春 | 新刊紹介 広島大学文書館編『広島から平和について考える』 | |
| 255 | 2007.04 | 菅真城 | 新刊紹介 原爆遺跡保存運動懇談会編『広島 爆心地 中島』 | |
| 渡邊誠 | 頼祺一編『街道の日本史41広島・福山と山陽道』 | |||
| 258・259 | 2008.02 | 特集 厳島研究の過去・現在・未来 ―厳島神社世界遺産登録10周年記念― | ||
| 266 | 2009.06 | 特集 呉の近代と海軍―モノと文書から考える | ||
| 秦郁彦 | ミッドウェー海戦の再考 | |||
| 小池聖一 | 水野広徳と海軍、そして軍縮 | |||
| 272 | 2010.06 | 小特集 広島平和記念都市法制定60周年にあたり理学部一号館の保存・活用を考える ―声なき証言者を次の世代に伝えるために― | ||
| 布川弘 | 広島の復興と広島平和記念都市法 | |||
| 石田雅春 | 広島大学旧理学部一号館のあゆみ | |||
| 渡辺一雄 | 自然史系博物館の必要性と旧理学部一号館の活用 | |||
| 304 | 2017.2 | 小特集 「『建国記念の日』のヒロシマの五〇年」 | ||
| 石川遥 | 広島における「建国記念の日」関連行事の動向 | |||
| 石川遥 | 広島における「建国記念の日」関連行事一覧 | |||
原民喜
| はら・たみき | 19051115生19510313没 | 享年45 |
| 詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく。 | ||
資料年表
| 年月日 | 事項 |
| 19940701 | 原民喜文学資料展(会場:広島市中央図書館)(出典:「中国新聞」19940702) |
| 19940904 | 文学散歩<32>原民喜 夏の花 妻とヒロシマへの挽歌 被爆記録もとに平静に(出典:「赤旗(日曜版)」19940904) |
| 20010306 | 文化 原民喜回顧展に寄せて 「夏の花」が私たちに語るもの 「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」(掲載紙:「中国新聞」20010306) |
| 20010310 | 原民喜回顧展(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:旧日本銀行広島支店)。~3月23日。(出典:「中国新聞」20010310、同20010311) |
| 20010310 | シンポジウム「広島文学を読み継ぐために」(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:原爆資料館東館、出典:「中国新聞」20010314) |
| 20010310 | 文化 原民喜没後50年 繊細で強い光今も放つ シンポや回顧展(掲載紙:「中国新聞」20010314) |
| 20011110 | 原民喜生誕96年記念祭(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、事務局長:海老根勲。会場:原民喜詩碑前。出典:「朝日新聞」200101111)。 |
| 20020310 | 花幻忌(出典:「中国新聞」20020311)。 |
| 20031121 | 文学の力 第2部燃えつくす魂①亡妻と原爆胸に 原民喜至純の世界求め続け(掲載紙:「朝日新聞」20170314、音谷健郎・記)。 |
| 20040314 | 原民喜の追悼に100人 没後53年 中高生が詩を朗読(掲載紙::「朝日新聞」20170314)。 |
| 20040728 | 原民喜<1>夏の花 廃墟から 「惜しかったね、戦争は終わったのに…」と声をかけた。(掲載紙:「中国新聞」20040728) |
| 20150218 | 原民喜の手帳平和資料館に おいが3冊寄託 世界記憶遺産目指す(出典:「朝日新聞」20170219)。 |
| 20150218 | 直後の広島を記録 原民喜の手帳原爆資料館へ(出典:「赤旗」20170219)。 |
| 20150218 | 伝えるヒロシマ 「夏の花」の原点手帳を寄託 原民喜の遺族が原爆資料館に(出典:「中国新聞」20170219)。 |
| (出典:「朝日新聞」20150315)。 | |
| (出典:「中国新聞」20161120)。 | |
| (出典:「中国新聞」20170309)。 | |
| 20170312 | 原民喜碑前祭(出典:「中国新聞」20170313)。 |
| 20171112 | 原民喜生誕祭(出典:「中国新聞」20181130)。 |
| 20181129 | 展覧会「原民喜―かすかにうずく星」(出典:「朝日新聞」20181130)。 |
被爆の遺言-被災カメラマン写真集(広島原爆被災撮影者の会 著・刊、1985/08/01)内容
| [はじめに] | 松重美人(広島原爆被災撮影者の会代表) |
| 被爆から40年。当時の状況を撮影する20人の被爆カメラマンも、時の流れに7人を失う。 | |
| 原子雲 昭和20年8月6日8時15分 | |
| 8/6日7日 | |
| 救護活動 | |
| 崩壊 | |
| 爆風 | |
| 熱線・流失 | |
| 日赤 | |
| 救護所 | |
| 人体 | |
| 私たちが見たあの日 | 尾糠政美、尾木正己、鴉田藤太郎、川原四儀、川本俊雄、岸田貢宜、岸本吉太、北勲、林寿麿、黒石勝、木村権一、空博行、斎藤誠二、森本太一、深田敏夫、松重三男、山田精三、松重美人。 |
梶山季之著『松田重次郎 一業一人伝』( 時事通信社、1966.2.25)
目次
| 備考 | ||
| 梶山季之 | はしがき | |
| 目次 | ||
| 第1章 | 生い立ち | |
| 誕生・母 負けじ魂 独立心を学ぶ 鍛冶屋の魅力 |
||
| 第2章 | 修業時代(その1) | |
| 大阪の鍛冶屋奉公 機械鍛冶から呉工廠へ 職工第一歩 大阪砲兵工廠・養子 |
||
| 第3章 | 修業時代(その2) 失敗・長崎で再出発 佐世保からふたたび呉工廠へ 工作船・三池丸 独立を志す |
|
| 第4章 | 松田式ポンプの製造 | |
| 十坪の鉄工所設立 厳しい職人気質 松田式喞筒合資会社の設立 乗っ取りの策謀に泣く どん底からの再起 業界に手腕を認めらる 「大正型松田式ポンプ」の完成 |
||
| 第5章 | 関西財界の寵児となる | |
| 海軍演習用魚雷の頭部を製造 ロシア政府から信管の依頼 見本製造に全智を傾ける 設備資金の捻出 事前に万全を期す “大正の今太閤” アルミ買いつけに苦心 ロシア検査官たちとの交渉 信管工場の大成功 工場移転計画で対立 痛憤のうちに会社を去る |
||
| 第6章 | 創業時代 | |
| 郷里・広島に松田製作所設立 日本製鋼所へ身売り 東洋コルク工業の創立 積極経営に乗り出す 炭化コルクの発見 販売の拡張 大震災・不況 工場炎上す 一人一業に生きる決意 |
||
| 第7章 | 東洋工業の誕生 | |
| 設備資金を得る 優れた工作機械買い付け 機械部門の拡充 府中へ工場移転 |
||
| 第8章 | 自動三輪車の製作 | |
| 自動車製造への意欲 自動二輪車の完成 自動三輪車の試作 マツダ号の発売 |
||
| 第9章 | 戦時体制への突入 | |
| 三輪車業界の競争激化 さく岩機の製造 小銃大量生産の受命 原爆・終戦 |
||
| 第10章 | 戦後の再建 | |
| 再建にのり出す 労働組合との対決 孤独のなかの奮闘 大衆とともに生きる |
||
| 松田重次郎年譜 |
出版委員会:平和問題連絡協議会、平和問題懇談会、原爆の子友の会、原爆被害者の会、ムシカ、新日本文学会、人民文学広島友の会、広島葦会、われらの詩の会。
目次
| 頁 | 著者 | タイトル |
| 口絵 [写真] | ||
| メーデーにて、トランク座、われらの詩の会、新日本歌人・反戦詩歌人集団《撮影年月日》19500501 | ||
| 「原爆詩集」出版記念会《撮影年月日》19500922 | ||
| 原爆展示会後の丸木位里・赤松俊子・壷井繁治三氏を囲んでの座談会《撮影年月日》195010 | ||
| 市民平和大会にて《撮影年月日》19520806 | ||
| 「原子雲の下より」出版記念会《撮影年月日》19521005 | ||
| 国立広島西条療養所病棟にて《撮影年月日》19530309 | ||
| 目次 | ||
| 丸木位里 | 題字 | |
| 赤松俊子 | 表紙 | |
| 浜本武一 | カット | |
| 四国五郎 | ||
| 004 | 増岡敏和 | 峠三吉氏の生涯 ―その活動と自己改造について(われらの詩の会) |
| 011 | 米田栄作 | 峠三吉君を悼む(広島詩人協会) |
| 012 | 壺井繁治 | 峠三吉の業績について ―思い出を語りながら(詩人・新日本文学会) |
| 017 | 岡村民 | 「原爆詩集」批判会の思い出(新日本文学会) |
| 018 | 峠和子 | 生きている夫に |
| 022 | 原田治 | お父さん(峠氏令息) |
| 024 | 峠三吉詩抄Ⅰ | |
| 024 | らっきょうによせて | |
| 025 | 花蔭/絵の具 | |
| 026 | 由美子と火事 | |
| 028 | 寂しき歌/クリスマスの帰り途 | |
| 029 | こんなとき父親となる /絵本 | |
| 030 | 怒りのうた ―広島日鋼争議暴圧事件 | |
| 032 | 若杉慧 | 峠君の思い出(日本文芸家協会) |
| 033 | 峠一夫 | 峠三吉の想い出(実兄) |
| 035 | 坂本ひさし | (広島在住詩人、「エコールド・ヒロシマ」主幹) |
| 035 | 長村孝雄 | 追悼(広大文学サークル) |
| 036 | 御庄博実 | (われらの詩の会・「火片」同人) |
| 037 | 戸田兵次 | 原爆詩人 故峠三吉氏によせて(葦会) |
| 038 | 四国五郎 | 峠さんの弾道(画家・われらの詩の会) |
| 039 | 田村正也 | 八月六日(新日本文学会埼玉支部) |
| 040 | 星川晃 | 峠三吉氏の思い出(われらの詩の会) |
| 041 | 古井誠三 | 燃えつくした炎のやうに(われらの詩の会) |
| 042 | 好村富士彦 | (高原詩の会、われらの詩の会) |
| 043 | 江口渙 | (作家・新日本文学会) |
| 044 | えぐさ・みのる | 私の接した峠さん(高原詩の会・われらの詩の会) |
| 045 | 尾上俊男 | 病床から(新日本文学会広島支部) |
| 046 | 泉秀子 | 大野浦と峠さん(われらの詩の会) |
| 046 | 浜本武一 | 〇(広島市在住・画家) |
| 049 | 岡本潤 | 峠三吉を憶う(詩人・新日本文学会) |
| 050 | 北浜みち | 峠さん(われらの詩の会) |
| 051 | 永田節 | 『われら』の中の峠さん(われらの詩の会・広大文学) |
| 052 | 望月久 | 国際婦人デーからメーデーまで(われらの詩の会) |
| 053 | 山岡和範 | 峠さんの手紙(われらの詩の会) |
| 054 | 吉田万太郎 | 不滅の光り(われらの詩の会) |
| 056 | 峠三吉 | 雪 |
| 057 | 松下海蔵 | 峠さんのこと(新日本文学会岡山支部) |
| 058 | 杉生直子 | 手紙をめぐって(われらの詩の会) |
| 060 | 尾末滿 | 峠三吉(IOM・われらの詩の会) |
| 061 | 佐久間澄) | 第一回八・六平和大会のころ(広大教授・平和問題懇談会・大学人の会 |
| 062 | 峠三吉 | 八月六日 |
| 063 | 松野萬 | 〇(スフィンクス同人) |
| 064 | 川手健 | 峠さんを憶う(原爆被害者の会、新日本文学会広島支部) |
| 065 | えぐさ・うめよ | 時の氏神になってくださった峠さん(高原詩の会・われらの詩の会) |
| 066 | 広島支部葦会 | 〇 |
| 067 | 峠三吉 | 隠れん坊/わが想ひ |
| 068 | 西原忠 | 峠氏を悼む(児童詩研究家・われらの詩の会) |
| 069 | 峠三吉俳句抄 | |
| 070 | 赤池芳彦 | その日 峠さんは ハヤクハヤクと書いた |
| 072 | 峠三吉 | 覚え書き(抜萃) |
| 076 | 峠三吉短詩抄 | |
| 雨の日に―日鋼事件の法廷にて | ||
| 077 | 修学旅行―第二の父の歌える | |
| 078 | 大山郁夫氏に捧げる詩 | |
| 080 | 宇品港にて―11才の姪のために | |
| 081 | 傷痕―”原子雲の下より”記念会 1953年絶筆 | |
| 082 | 佐々木健朗 | 抒情の変革―叙事詩「ひろしま」への努力の途中で(われらの詩の会・広大文学サークル・KAZIKA同人) |
| 089 | 赤木健介 | 「原爆詩集」の評価(詩人・人民文学社) |
| 090 | 野間宏 | 峠三吉について―原爆詩集にふれて(作家・人民文学社) |
| 091 | 峠三吉 | 昂 |
| 092 | はぎはら・とくじ | 新しい人間讃歌―「原爆詩集」のノート(新日本文学会) |
| 094 | 中野光也 | 「原爆詩集」と「高原詩の会」(高原詩の会) |
| 096 | 山代巴 | 原爆の詩編纂委員会のこと(作家・新日本文学会) |
| 098 | 深川宗俊 | 芸術は人間のためにある(新日本歌人協会)(人民文学会) |
| 099 | 且原純夫 | 峠三吉の一側面(われらの詩の会) |
| 099 | 田中松覚 | 追悼(己斐サークル) |
| 100 | 土井貞子 | アジア連邦会議のころ(広島生活新聞社) |
| 101 | 峠三吉 | 和子と治への手紙 |
| 104 | 峠三吉 | 和子の見舞に応えて |
| 106 | 山村良介 | 明日は八月六日だ―前夜祭に(われらの詩の会) |
| 107 | 永田英夫 | やすらかにお眠りください(うんなん詩の会、人民文学社) |
| 108 | なかの・しげはる | 柔かな印象(作家・新日本文学会) |
| 109 | 中野鈴子 | 峠三吉さん(詩人・新日本文学会) |
| 109 | 峠三吉 | おもかげ |
| 110 | 遠地輝武 | 峠三吉君を悼む |
| 111 | 木村好子 | 峠さん ! |
| 112 | 佐藤静夫 | 「 静かな」態度 (新日本文学会) |
| 113 | 吉塚勤治 | 善意の人峠三吉(作家・新日本文学会) |
| 114 | 金達寿 | 二度合ったきりの峠三吉(作家・新日本文学会) |
| 115 | 井手則夫 | あいつ 生きてる やってるな(詩人・新日本文学会) |
| 117 | 松永浩介 | 峠三吉の死を悼む(詩人・新日本文学会) |
| 118 | 中村温 | 峠さんに(詩人・TAP同人) |
| 118 | 大田洋子 | 峠三吉のこと(作家 日本文芸家協会) |
| 121 | 峠三吉 | 短歌抄 |
| 122 | 友田智友 | 死の電報を前に |
| 124 | 坪田正夫 | 手術室よりの報告―峠三吉の手紙に立会して |
| 126 | 峠三吉年表 | |
| 128 | あとがき | |
バック、パール
| 18920626生19730306没 | 享年80 | アメリカの小説家。ピュリッツァー賞(1932年)、ノーベル文学賞(1938)受賞。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<資料年表:パール・バックとヒロシマ> |
| 「まったく今年の感謝祭には戦争の恐怖が暗さを投げている。これは原子爆弾といふ有難からぬ物を持ってゐる結果である。」出典:『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社、昭和21年11月20日) | ||
止
| うちだえみこ | 1942年 | 19910305没 | 広島大学原医研事務官。 |
あなたが亡くなって、最初にやったことは、私が資料センターへ来てからの15年間を振り返ることでした。手帳や作業日誌をめくると、復元調査のまとめ作業、手帳・レセプトの整理、故湯崎先生が関与された広島市と広島大学の原爆白書作成やNGOシンポのための資料づくり、文献収集と新聞切抜きをすすめるための市内公共機関の調査、AFIP資料の整理、蔵書目録の出版、医学文献の整理・・・忙しかったけれども、私には30代の楽しい思い出です。センターの仕事以外に、「ひろしま」をよむ会・原爆体験記読書会・「藤居平一氏を囲む会」などでも一緒でした。
その次にやったことは、あなたが抱え込んでいた資料を整理することでした。何一つ捨てていませんでしたね。未整理の資料が随分ありました。次から次に仕事に追われている様子が思い出され、目頭が熱くなることがしばしばでした。3月末締切の年報の原稿のデータを整理し終るのは6月に入ってから。8・6に向けて来客の急増、応対に追われる毎日。7・8月を中心に出版された本の整理が、秋から冬にかけての仕事。毎年、この繰り返しでした。本の山の中で鼻の頭に汗を浮かべていたあなたを思い出します。
あなたの資料の整理に2か月かかりました。あなたの原医研での足跡をまとめて置きたいという気持ちもありましたが、他に仕事をする気が起こらなかったというのが本当のところです。
被爆50周年まで原爆手記を集め続けること、原爆文献のデ-タベースを作成すること、それをもとに原爆被害の実態を集大成することなど、一緒に多くの夢を語りましたね。6月2日の原爆後障害研究会で、あなたとの約束を一つ果たしました。まもなく8月、しばらくあなたのことは忘れます。
追伸:つい先日、ある会合で演劇家故T氏の奥さんと会いました。T氏の追悼公演に際しカンパをしていたそうですね。蔭でいろいろ気を配っていたあなたの話は、これから、まだまだ聞かされそうです。 1991.6.19
内田さんと古本-石踊一則追悼文
内田さんが一番嬉しそうな顔をするときは探し求めている本との”めぐり合わせ”のときでした。本も、本当に求めつづけていれば、いつかは必ず本の方から、近づいて来てくれます。
原爆被災学術資料センタ-には、約6500冊余りの原爆関係の蔵書があるといわれています。特に、原爆被災学術資料センタ-が力を入れて集めようとされていた本は、原爆の体験記でした。私家版などは新聞をみては著者と連絡を取り一冊一冊を、こまめに集められていました。体験記で、現在入手できないものもかなりあります。それを宇吹先生や内田さんは”古本”で集めてみようと考えられて、私に収書の依頼をされたのです。
私も最初は、原爆の体験記がどの位あるのか見当もつきませんでした。本のタイトルでも原爆という題がついていましたら、探しやすいのでしょうが、体験記が本の中の一ページしかないものも数多くあります。私は一冊一冊の本を手に取り、目次や索引で内容を調べてみまして、体験記の話が記載していますと、片っ端から入手して歩きました。
調べて気がつきましたのは、広島市内の戦前からある”学校誌”の中には「座談会」「思い出」のページがあり、その中にはかならず悲惨な思い出が数多く記載されていることです。
内田さんは、原爆被災学術資料センタ-を日本で一番の原爆体験記のセンタ-にしようと思われていました。”原水爆関係資料目録第三号”発行前には、一冊でも多くの体験記を発掘してくるようにといわれ、私も東京・四国・九州の古本屋さんをまわってみました。
行きますと、かならず一冊二冊の古い体験記を入手して、内田さんに大変喜ばれました。私は古本を集める事が仕事ですが、良い勉強をさせてもらいました。内田さん有難う!御冥福を心よりお祈りします。
あき書房代表 石踊一則