大塚茂樹著『まどうてくれー藤居平一・被爆者と生きる』(旬報社、20110708)
目次
章 |
見出し |
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はじめに |
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1 |
本川で鍛えた快速スイマー |
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2 |
日本の勝利を固く信じて |
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3 |
原爆で死んだ父と妹 |
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4 |
鈴木店三代目の社長として |
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5 |
原爆被害者を救おうという声を受け継ぐ |
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6 |
原爆被害者たちの先頭に立って |
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7 |
国会請願行動、そして日本被団協の結成へ |
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8 |
「まどうてくれ」という叫びとともに |
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9 |
実業へ復帰しても志は変わらず |
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10 |
反原爆の思いを貫き通して |
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11 |
人間の絆を愛し続ける |
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おわりに |
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『人間銘木-藤居平一追想集』(「藤居平一追想集」編集委員会、藤居美枝子刊、19970417)
目次
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表題 三田嘉一 筆
口絵 略歴 |
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三田嘉一 |
悲願成就は近からむ |
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写真でたどる足跡 |
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弔辞 |
廣安晴通
奥島孝康
田中聰司 |
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同窓・碧空会 |
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同窓・アカシア会 |
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戸井正典 |
生活を哲学化 |
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「被爆者援護の在り方を検討していた七人委員会の座長茅さんと、三十分の約束で藤居の希望により長倉司郎」・広藤道男・早大総長秘書に私の四人が同席して茅事務所でお会いしたことがあった」 |
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井内慶次郎 |
女子大の設立に尽くす |
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「平成七年秋、・・・最後の別れとなった。その時、藤居さんは原爆問題にいかに取り組んできたかを熱っぽく説かれた。平岡広島市長が熱望する平和研究の拠点を広島市立大学に、どのような構想で設置するか、関係者間で検討されているが、その設置準備委員会の末席を汚している。藤居さんの供養のためにも、国際的で学術的にも高い水準の研究所が実現できればと念願する。」 |
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同窓・稲門(中島正信先生を偲ぶ会) |
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田中耕作 |
恩師への厚い報恩 |
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(稲門・校友会) |
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田中由多加 |
被爆者援護にささげて |
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家業・地域 |
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野本英明 |
人間銘木を集めた人 |
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「第九回の全国銘木展示会が広島県銘木事業協同組合の実行で四十年十一月四~八日、開かれた。被爆二十周年で春日大社宮司の「木魂祭」があり、大会代表の慰霊碑参拝、原爆病院への見舞いなどが行なわれ、・・・」 |
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原水禁・被爆者運動 |
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伊藤サカエ |
被爆者集合を号令 |
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阿部静子 |
火の玉の救世主 |
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池田精子 |
娘のように励まされて |
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高野(旧姓村戸)由子 |
先生からもらった勇躍 |
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竹内武 |
生きていてよかった |
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松井美智子 |
喰ってかかって泣かせた私 |
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松江澄 |
一概な愛情にひかれて |
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山口仙二 |
誤って奥様の寝床に |
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森田実 |
送られた資料の山 |
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吉田嘉清 |
しびれた運動センス |
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伊東壯 |
「原点」に学ぶ |
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研究・報道 |
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庄野直美 |
泊まり込みで激論 |
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広藤道男 |
被爆線量と向き合う |
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舟橋喜恵 |
悲願は世界被団協の結成! |
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宇吹暁 |
原爆被害問題研究の恩師 |
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江種則貴 |
スケールも声も、大きな人 |
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狩野誠一 |
ヒロシマの先輩 |
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河野一郎 |
世話役 |
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西本雅実 |
伝説の居士 |
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水原肇 |
藤居さんと今堀さん |
家族・親族 |
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報道記事 |
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あとがき |
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1912生19910719没 |
享年78 |
広島女学院大学名誉教授。広島滞在中、折鶴の会・ワールド・フレンドシップ・センター などの平和運動に参画。1980年には広島市の特別名誉市民に選ばれる。 |
『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)
部 |
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荒木武(広島市長) |
いつまでもお元気で |
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原田東岷 |
また会いましょうメアリさん |
1 |
アメリカから広島へ |
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1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ |
2 |
なつかしいヒロシマの人々 |
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女学院の人たち |
松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん |
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被爆者の人たち |
宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん |
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仲間たち |
松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん |
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お世話になった人たち |
日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏 |
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教え子たち |
今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど |
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宣教師仲間 |
ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師 |
3 |
資料編 |
1947年~ 1980年 |
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年譜 |
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あとがき |
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目次
『ヒロシマ研究公開セミナー資料集 1968年3月8日~10日 』
(ヒロシマ研究の会 広島YMCA会員事業部)
収録資料
№. |
タイトルなど |
形態 |
1 |
「原爆被爆者援護の問題点―「ヒロシマ研究の会」討議資料」 |
冊子 |
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目次=1.戦時の人権と平時の人権の落差が今日まで影響していること、2.原爆被爆者の援護は老人福祉対策の改善の突破口である、3.無差別攻撃と差別待遇、4.第三国人の被爆、5.結び(援護と調査)、あとがき |
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裏表紙=この小冊子は、金井利博氏が本会でていきされた意見を討議資料としてまとめなおしたものです。(ヒロシマYMCA内ヒロシマ研究の会、1967年12月10日) |
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2 |
ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの1 |
B4-4枚 |
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「ヒロシマ研究」公開セミナーの意図するもの―ヒロシマ研究の会の紹介をかねながら |
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3 |
ヒロシマ研究セミナー資料Ⅰの2 |
B4-1枚 |
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プログラム |
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討議資料 |
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ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)
年 |
月日 |
事項<注:この欄への月日のあるものは「ヒロシマ研究の会」以外の関連事項> |
1967 |
0615 |
ヒロ研第1回例会 |
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0707 |
ヒロ研第2回例会 |
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金井利博「原爆と補償」=原爆投下は、非戦闘員まで死滅させた無差別爆撃であったという特殊性をもつ国は戦争責任をとるべきであり、被爆者が補償を要求するのは当然の権利である。 |
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朴寿南「朝鮮人被爆者の実態と問題」=労働者確保の為、広島に強制的に連れてこられた朝鮮人は原爆をうけたことを一アクシデントとしてしか感じない程しいたげられていた。日本人は、被害者であると同時に戦争の加害者だったのだ。 |
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0720 |
ヒロ研第3回 |
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橋本栄一「被爆者救援活動の問題」=活動は継続してこそ意味がある。上から見る形、つまり慈善的な取り組み方ではなく、自己の問題として深めよう。 |
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0726 |
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0803 |
ヒロシマ世界を結ぶ集い |
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0811 |
ヒロ研第4回 |
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庄野「原水爆をめぐる世界史」=被爆者の問題は核につながる今日の問題である。又、既成団体に依存しない市民団体の運動としての平和運動が必要。 |
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0901 |
ヒロ研第5回 |
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栗原貞子 |
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0908 |
ヒロ研第回 |
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早川美子 |
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*花美鈴 |
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0921 |
ヒロ研第7回:南の |
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1006 |
ヒロ研第回 |
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1020 |
ヒロ研第9回 |
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1027=第1回対話の会。 |
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1101=厚生省「原子爆弾被害者実態調査 健康調査及び生活調査の概要」発表。 |
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1102=広島市長、市独自で全数調査をする旨言明。 |
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1109 |
ヒロ研第10回:厚生省調査結果に対する討論。この時完全な実態調査を市に要求するための署名運動をすることを決定。 |
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1124=YMCA会員の沖縄報告会。 |
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1125 |
署名運動開始。 |
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1130 |
ヒロ研第11回:署名運動の経過報告と方針。この時1130名の署名が集まっていた。 |
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1208 |
ヒロ研第12回:市長への要望書の内容検討。 |
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1219 |
ヒロ研第13回:署名運動の方針、公開セミナーの構想 |
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1220=対話の会 |
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1221 |
市長との会見:おざなりの返事しか貰えなかった。地道にやっていくことが必要である。 |
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1223=白書の会「実態調査促進運動に全面協力」。原爆小頭症の認定児は全て医療保護されることを決定。 |
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1226=平和の会「被爆者招待クリスマス」 |
1968 |
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0108=フェニックス号北ベトナム公開記録公開。 |
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0111 |
ヒロ研第14回:新年における会員夫々の抱負を話し合い新年の展望を概要的にまとめる。 |
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0114 |
第1回対話のつどい開催準備。 |
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0115=第1回対話のつどい―青年とヒロシマ―。会員山本暁子発題。 |
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0125 |
ヒロ研第15回 |
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田原伯(原爆資料収集家)=ヒロシマの問題を一生の仕事として取り組んでいられる田原さんの話を通してもっともっと真剣にならねばならぬとおもった。 |
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0127=白書の会。女学院高校生徒が募金を朝鮮の人達に渡した。 |
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0208 |
ヒロ研第16回 |
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大牟田稔(中国新聞)「全国に散在するヒロシマをめぐるグループの動向」=ヒロシマをもっと知って欲しいという態度ではなく全国に散在するヒロシマに関心を抱いている人々との提携という態度が大切。 |
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0210=広島べ平連の第1回デモ。 |
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0215=原爆被災資料広島研究会結成。大本営建設の問題化。 |
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0222 |
ヒロ研第17回:セミナーの開催準備。 |
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0301=原水協・原水禁、ビキニデー全国集会(於静岡・焼津)。 |
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0301=市長を囲む市民対話の会。 |
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0302 |
ヒロ研第18回:セミナーの開催準備。 |
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0307=「青年の船」セイロンで青年対象のアンケート「日本でれんそうすることは」「ヒロシマ」が17%で1位。 |
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0308 |
ヒロ研第1回セミナー実施。 |
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0309 |
ヒロ研第1回セミナー |
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0310 |
ヒロ研第1回セミナー |
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0330=特別措置法が閣議決定国会提出。 |
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0311 |
厚生省の認定、被爆者追跡調査に数人の会員が参加。 |
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0312=原水協・原水禁「第五福竜丸、保存国民運動」計画にのり出す。 |
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0314 |
ヒロ研第19回:田原さんの提唱により、毎月6日に6時から八丁堀で「ピカより〇○日」のチラシ配りをすることを決定。「ピカより〇○日」の運動は少しでも市民に核戦争の恐ろしさを知って貰うと同時に広島の一市民として共に23年という年月の重みをかみしめようという趣旨から。 |
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福竜丸の保存の件について、ヒロシマ研究の会としては、はっきりした考えをだすことはできなかった。 |
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0316 |
第1回「ピカ〇○日」実施。爆心地調査に数人の会員が参加。 |
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0403=原爆被災資料広島研究会第2回会合「専門部会を設置」 |
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0323=白書の会。 |
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0404 |
ヒロ研第20回:実態調査・資料、外国人被爆者問題、平和運動。の3グループに分れてもっと問題を深めていくことに決定。 |
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0410=朝鮮人被爆者を囲む会、出席者が一人もなく問題の複雑さがわかった。 |
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0418 |
ヒロ研第21回 |
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平岡敬「広島の問題を深める」方向から助言。 |
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会員が春休みにアルバイトとしてやった実態調査の感想報告 |
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0418、0419=映画、記録なき青春。 |
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0420=原爆映画、幻のフィルム―初公開。 |
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0423=対話の会、広島ベ平連との提携、協力体制。 |
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0425 |
ヒロ研第22回 |
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森滝市郎「被爆者団体の動向と援護法」=今日の現存する被爆者は、広島・長崎あわせて30万人。原爆そのものもひどかったが、その後の2~3年の貧乏の方が辛かった。その間は、夫々自分自身の身のふり方を考えるのが精一杯で意識的に被爆者が、まとまるのは困難だった。被団協などのグループが生まれたのは訳10年を経過してからであった。昭和29年のビキニのとき「広島の百万名署名」と名の残っている様、市民の意識が高まった。被爆者問題と原水禁運動が2本の基本底流をなすものであり、被爆者の声には常に重きをおかれるべきものである。 |
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0426=厚生省、広島県、市、長崎県、市、が実態調査の実施について審議会。 |
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0430=海田町原爆被害者の会240名の体験談を収録した被爆者懇談集録」を発刊。 |
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0431=基町、5度目の大火。 |
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0505=折り鶴の子の像、除幕10周年記念式典。 |
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0506 |
第2回ピカ○○運動実施。 |
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0511 |
ヒロ研会員合宿=各自夫々被爆者訪問を通して精神的継承というか、祖父、祖母の話を孫の様な気持ちできき継承していこうということに決定。 |
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0512 |
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0511=山口県、原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」完工。 |
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0512=広島県スラム対策に調査費1千万円を計上。 |
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0514=プルトニウム国産化成功。平和利用国で4番目。 |
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0515 |
ヒロ研第23回:実態調査の促進運動について、ヒロシマ研究の会なりに目安をたてた。 |
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0517=学術会議、「原爆被災資料広島懇談会」を開催(於広大原医研)。「原爆被災資料センター」けんせつについての意見をきく。 |
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0520=映画「広島の証人」上映協力委員会発会式。 |
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0521=被爆者バッジができる。 |
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0523 |
広島女子大において原爆映画を考える写真展を開催。~25日。 |
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0525=佐世保の放射能汚染問題で米原子力委員会の調査団は、「ソードフィッシュは、佐世保帰港期間中、放射性物質は1滴も放出していない」と言い残して帰国。 |
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0530 |
ヒロ研第24回例会 |
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森下弘「教科書の中の原爆問題」=学徒動員により生徒学生もいっせいにかり出された。こうした事実があるにも拘らず現在の高校教育において何ら教えられていない。ただ一部の教師の自主性に頼っている状態だ。又原爆映画の視聴率から見て高校生の間に意識が必ずしも低いとはいえない。しかしヒロシマが自分の問題となりえないところに問題がある。もっと何らかの形で日常的にとり入れられる様にすることが必要ではないか。 |
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0605=映画「ヒロシマ 1966年」 |
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0606 |
ヒロ研第25回例会。第3回ピカの運動実施。 |
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この一年についての率直な反省がなされ今後の方針について話し合いが行われた。会員募集の機会を何度も作ったにも拘らず、尚かつ会員が増えない。ヒロシマの問題が、オキナワ、ベトナムに比べて現代の若者にとって魅力あるものになりにくいということを示すものではないだろうか。私達はいつでも誰でも自由に出入りできる開放的な若さあふれるヒロ研にしてゆくことによって新しい感覚のヒロシマを私達青年の手で創って行かねばならないと思う。 |
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0606=園田厚生大臣:被爆者の全数調査を国勢調査に付帯して実施することは至難だが、市町村が独自で調査できる様補助費を出すと発表。 |
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0608=対話の会。第2回市民対話の会の準備。 |
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0613 |
ヒロ研第26回例会:2年目の展望をたてる。 |
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0613=社会党、共産党との統一協議断わる。 |
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0615=第2回市民対話の会。岡村昭彦、本多勝一 |
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0616=ヒロ研1周年記念会。 |
ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6
もくじ
タイトル |
著者 |
原爆体験の継承の意義と方法 |
渡辺正治 |
ヒロ研、この一年 |
小林省三(広島YMCA主事) |
一周年を迎えるヒロシマ研究の会へひとこと(順不同、敬称略) |
庄野直美 |
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山崎与三郎 |
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原田東岷 |
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栗原貞子 |
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佐藤富士子 |
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森下弘 |
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文沢隆一 |
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今堀誠二 |
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秋信利彦 |
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金井利博 |
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二神三男 |
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長岡千鶴野 |
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橋本栄一 |
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田淵実男 |
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山口勇子 |
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深川宗俊 |
人類のえい智を築く礎石に |
渡辺正治 |
平和の建設者として |
相原和光 |
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ヒロシマ研究公開セミナーで学んで |
吉田よし子 |
”ヒロシマ”とは何だろう? |
三井英津子 |
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山本暁子 |
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近末康彦 |
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柴村忠宏 |
課題と展望 |
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ヒロシマ研究の会会員及び参加者68.6.14現在 |
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ヒロシマ研究の会にお世話下さった方々 |
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編集後記 |
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1967年6月14日 |
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ヒロシマ研究の会 (広島YMCA会員事業部内) |
ヒロシマはどう伝えられているか-―ジャーナリストと教師が追いかけた45年目の「原爆」(90原爆の会編、日本評論社刊、19920725)目次
はじめに |
総論 |
報道という観点からみたヒロシマ |
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反響呼んだマス・メディアのキャンペーン…昭和40年代 テーマの設定に苦労する報道現場、「世界のヒバクシャ」、韓国・朝鮮人被爆者、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移転問題(執筆:90原爆の会) |
新聞 |
<社説>継承の大切さとともに政治への提言を(執筆:薮井和夫) |
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資料/新聞社説 |
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<連載企画>風化を食い止めるべき連載に現れる風化(執筆:川路恵理子) |
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資料/新聞連載企画 |
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<投書欄>読者の声がストレートに反映する大切さ(執筆:中川幹朗) |
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資料/新聞投書欄 |
雑誌 |
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<雑誌一般>時の流れを映す雑誌の中にみる「原爆」は(執筆:長谷川洋) |
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<郷土雑誌>生活地としてのヒロシマで受け継ぐものは(執筆:中川幹朗) |
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資料/雑誌 |
テレビ・ラジオ |
日本の中のヒロシマから世界の中のヒロシマヘ(執筆:羽原好恵) |
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資料/テレビ・ラジオ |
書籍 |
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<単行本>神話化のすすむヒロシマを目前にして(執筆:中川幹朗) |
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<手記>「あの日」の再現に欠かせない体験者の証言(執筆:中川幹朗) |
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資料/書籍・定期刊行物・目録 |
映画・ビデオ・CD |
映像と旋律が呼びかけるヒロシマのこころ(執筆:吉田雄一郎) |
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資料/映画・ビデオ・CD |
慰霊行事 |
イベント化の進む「8・6」(執筆:吉田雄一郎) |
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資料/慰霊行事 |
イベント |
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形の違いを超え底流に続くメッセージ、平和(執筆:羽原好恵) |
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資料/イベント |
被爆建造物 |
被爆建造物解体のかげに潜む意識の変容(執筆:中川幹朗) |
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資料/被爆建造物 |
物故者・来訪者 |
ヒロシマにかかわった人々から何を受け継ぐか(執筆:中井幹夫) |
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資料/物故者・来広者・来長者 |
韓国・朝鮮人被爆者 |
対岸の慰霊碑をめぐる被爆者の思いを受けて(執筆:川路恵理子) |
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資料/韓国・朝鮮人被爆者 |
修学旅行 |
心の「原点」となるヒロシマとの出会いに(執筆:中井幹夫) |
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資料/修学旅行 |
おわりに |
90原爆の会 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。