資料:高校生平和ゼミナール
| 資料名 |
著者など |
年月日 |
所蔵 |
|
G=原爆資料館、U=宇吹 |
| ヒロシマ・ナガサキをになう高校生 第21回原水爆禁止世界大会階層別集会「高校生と原水禁運動」報告集 |
階層別集会「高校生と原水禁運動」現地実行委員会 |
1976/07/06 |
GU |
| 若者よ語り励ましともに学ぼう 第22回原水爆禁止世界大会分科会「高校生と原水禁運動」現地実行委員会報告集 |
分科会「高校生と原水禁運動」現地実行委員会 |
1977/01/21 |
GU |
| 第1回 第1回広島県高校生平和ゼミナール |
同実行委員会 |
1978/02/11 |
GU |
| より確かに平和へ歩もう No.1 第1回広島県高校生平和ゼミナールの記録 |
同実行委員会 |
1978/05/03 |
G |
| ヒロシマの高校生の平和活動-高校生は世界史をつくる |
広島県高校生平和ゼミナール実行委員会 |
1978/12/11 |
G |
| より確かに平和へ歩もう 第2号 第2回広島県高校生平和ゼミナールの記録 |
同実行委員会 |
1979/08/05 |
GU |
| 高校生のヒロシマ・アピール 原水爆禁止1979年世界大会関連行事・第6回8・6全国高校生集会総括集 |
8・6全国高校生集会現地実行委員会、広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編 |
1979/11/03 |
GU |
| 高校の平和教育 続「ひろしま」から学ぶ |
広島県高等学校平和教育推進教材編集委員会編 |
1980/01/10 |
G |
| 高校生のヒロシマ・アピール 原水爆禁止1980年世界大会関連行事・第7回8・6全国高校生集会総括集 |
8・6全国高校生集会現地実行委員会、広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編 |
1981/07/30 |
U |
| 原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録 |
「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会編 |
1983/02/21 |
U |
| ヒロシマの旅-碑めぐりガイドブック |
広島県歴史教育者協議会、「ヒロシマの碑」建設委員会、広島県高校生平和ゼミナール編 平和文化刊 |
1983/06/23 |
GU |
| 高校生の平和アピール 私たちは学び訴える |
広島・長崎・埼玉高校生平和ゼミナール、呉高校生平和の集い編 平和文化、汐文社(発売) |
1983/10/16 |
G |
| 世界史をつくる者たちへ-高校生は五〇字メッセージで訴える |
平和文化刊 |
1983/11/20 |
GU |
|
編:埼玉県、広島県、長崎、大阪、かながわ 高校生平和ゼミナール、呉高校生平和の集い実行委員会、京都高校生部落問題研究会 |
| 歌集 見えてきたヒロシマ・ナガサキ |
広島県高校生平和ゼミナール |
1985/08/06 |
U |
| 高校生の平和ハンドブック 核時代を生きる若者たちのために |
森田俊男・小岩井増夫・沢野重男編 平和文化 |
1986/07/07 |
GU |
| ドキュメンタリー原爆遺跡 -ヒロシマの子の爆心地レポート |
平和文化発行元、汐文社発売元 |
1988/07/01 |
GU |
|
広島高校生平和ゼミナール、広島県歴史教育者協議会、広島市教職員組合編 |
| PEACE 第17回全国高校生平和集会・NO NUKES CONCERT’90報告集 |
全国高校生平和集会実行委員会編・刊 |
1990/11/01 |
GU |
| PEACE 第18回全国高校生平和集会・NO NUKES CONCERT’90報告集 |
第18回全国高校生平和集会’91長崎実行委員会 |
1990 |
U |
| P EACE 第19回全国高校生平和集会・NO NUKES CONCERT’92報告集 |
第19回全国高校生平和集会実行委員会 |
1992/12/01 |
GU |
| 高校生の平和ハンドブックⅡ |
高校生平和ゼミナール全国連絡センター 平和文化 |
1995/08/06 |
G |
| 高校生の平和ハンドブックⅢ-戦後50年高校生は平和のためになにを学び、調べ、訴えたか |
高校生平和ゼミナール全国連絡センター編 平和文化 |
1996/07/20 |
G |
| オキナワからのメッセージ 広島と沖縄をむすぶ平和ゼミナール・報告集 |
広島高校生平和ゼミナール |
1996/08/01 |
G |
| 高校生の韓国旅ガイドー「友情づくり」の旅のために |
高知高校生平和ゼミナール 平和文化 |
1996/08/09 |
G |
| PEACE 第25回全国高校生平和集会報告書 |
全国高校生平和集会実行委員会 |
1999/08/01 |
G |
| 核兵器と戦争のない21世紀をめざす 高校生の平和アピール |
高校生平和ゼミナール全国連絡センター 平和文化 |
2003/08/15 |
G |
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(8・6)全国高校生集会
| 回 |
年 |
会場 |
備考 |
| 01 |
1974 |
広島・労働会館 |
参加者:約100名 |
| 02 |
1975 |
広島・神崎小学校 |
参加者:広島県内60数人、全国各地200数十人、計約300人。 |
|
|
『ヒロシマ・ナガサキをになう高校生 第21回原水爆禁止世界大会階層別集会「高校生と原水禁運動」報告集』 |
| 03 |
1976 |
広島・観音中学校 |
参加者:230名。 |
|
|
『第22回原水爆禁止世界大会分科会「高校生と原水禁運動」現地実行委員会報告集』 |
| 04 |
1977 |
広島・戸坂農協会館 |
参加者:300名。 |
| 05 |
1978 |
広島・広島女学院 |
参加者:232人(35都道府県) |
| 06 |
1979 |
広島商業高校旧講堂 |
参加者:330人(30都道府県)。 |
|
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『高校生のヒロシマ・アピール 原水爆禁止1979年世界大会関連行事・第6回全国高校生集会総括集』(8・6全国高校生集会現地実行委員会・広島県高校生平和ゼミナール実行委員会) |
| 07 |
1980 |
広島女学院中学講堂 |
参加者:500余名(36都道府県)。 |
|
|
『高校生のヒロシマ・アピール 原水爆禁止1980年世界大会関連行事・第7回全国高校生集会総括集』(8・6全国高校生集会現地実行委員会・広島県高校生平和ゼミナール実行委員会) |
| 08 |
|
長崎・長崎商業高校 |
参加者:約300名 |
| 09 |
1982 |
広島女学院中学講堂 |
参加者:645名(1都1道2府31県)。 |
| 10 |
1983 |
長崎・長崎商業高校 |
参加者:約350名 |
| 11 |
1984 |
広島・二葉中学校 |
参加者:約700名 |
| 12 |
1985 |
長崎・長崎商業高校 |
参加者:500名 |
| 13 |
1986 |
広島女子商業高校 |
参加者:880名(40都道府県)。関連行事:NO NUKES CONCERT。広島県民文化センター、参加者700名 |
| 14 |
1987 |
長崎・長崎商業高校 |
関連行事:NO NUKES CONCERT。広島・安佐南区民文化センター、参加者500名 |
| 15 |
1988 |
広島商業高校 |
参加者:900名。 関連行事:NO NUKES CONCERT。広島・広島東区民文化センター、参加者500名 |
| 16 |
1989 |
長崎・活水女子高校 |
参加者:500名(33都道府県)。関連行事:NO NUKES CONCERT。広島国労会館、参加者200名 |
| 17 |
1990 |
広島・観音中学校男 |
参加者:700名(33都道府県)。関連行事:NO NUKES CONCERT。参加者500名 |
| 18 |
1991 |
長崎市平和会館 |
|
| 19 |
1992 |
舟入高校・南区民文化センター |
参加者:800名。関連行事:NO NUKES CONCERT。参加者1000名 |
| 20 |
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| 21 |
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| 22 |
1995 |
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| 23 |
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| 24 |
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|
| 25 |
|
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| 26 |
|
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| 27 |
2000 |
オンライン |
|
| 28 |
2001 |
オンライン |
|
| 29 |
2002 |
広島市アステールプラザ |
|
| 30 |
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| 31 |
|
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| 32 |
|
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| 33 |
|
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|
| 34 |
|
|
|
| 35 |
|
|
|
| 36 |
|
|
|
| 37 |
|
|
|
| 38 |
20110808 |
長崎 |
|
| 39 |
|
|
|
| 40 |
|
|
|
| 41 |
2014 |
広島 |
|
| 42 |
2015 |
広島 |
|
| 43 |
|
|
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| 44 |
20170808 |
活水高校(長崎) |
19都道府県約110名 |
| 45 |
|
|
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| 46 |
2021 |
|
|
| 47 |
2020 |
|
オンライン |
| 48 |
20210808 |
|
オンライン |
| 49 |
2022 |
広島朝鮮初中高学校 |
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|
原爆の子-広島の少年少女のうったえ
長田新(編)、岩波書店、1951年10月2日
資料
| 本 |
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| 書名 |
著者、発行所 |
発行年 |
所蔵 |
|
所蔵 G=原爆資料館、U=宇吹 |
| 原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!-広島の少年少女・魂の叫び |
日本労働組合総評議会情報出版部 |
19520803 |
U |
| 長田新編「原爆の子」より(仮題)ひろしま(第一稿) |
八木保太郎脚本、 日本教職員組合 |
|
G |
| 映画「ひろしま」の制作年=1953年。 |
| 君たちに捧げる 『原爆の子』(岩波版) 出版六〇周年記念 |
中村巖、朝日新聞出版 (制作) |
2011/12/31 |
G |
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『ヒロシマの子育て・教育』 広島教育研究所機関誌
| 号 |
発行
年月 |
備考 |
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| 057 |
199507 |
特集:いま、ヒロシマから平和を問う |
|
|
藤井敏彦「連載『戦後50年とわたし』Ⅳ」 |
|
|
第24回平和教育シンポジュームから |
| 070 |
199610 |
|
|
|
|
| 073 |
199701 |
|
|
|
|
| 100 |
199906 |
特集:ヒロシマと新ガイドライン |
|
|
|
| 109 |
200004 |
三浦精子「特別寄稿 「おこりじぞう」と山口勇子さん」 |
|
|
|
| 205 |
200902 |
特集:平和教育部会から提言 |
|
|
松井久治 |
|
|
江種祐司 |
| 206 |
200903 |
特集:平和教育部会から提言 |
|
|
高橋信雄 |
|
|
澤野重男 |
|
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|
<以下未入力> |
| 388 |
202510 |
今、広島の教育は・・・ |
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|
『平和教育運動』(1974年2月1日創刊)
| 号 |
発行年月日 |
備考 |
所蔵 |
| 創刊 |
1974/02/01 |
第1回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 1 |
1975/01/25 |
第2回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 2 |
1976/05/01 |
第3回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 3 |
1977/01/25 |
第4回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 4 |
1979/05/20 |
第5回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 7 |
1980/05/20 |
第7回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 6 |
1980/07/10 |
|
GU |
| 8 |
1981/06/15 |
第8回全国平和教育シンポジューム報告 |
GU |
| 9 |
1982/10/15 |
第9回全国平和教育シンポジウム報告集 |
GU |
| 10 |
1983/03/31 |
第10回全国平和教育シンポジウム報告集 |
GU |
| 11 |
1984/02/01 |
第11回全国平和教育シンポジウム報告集 |
GU |
|
|
|
|
[季刊]平和教育 第1号(創刊号)
日本平和教育研究協議会、明治図書出版、19760525
| 号 |
発行年月日
(著者) |
特集
(タイトル) |
所蔵 |
|
|
G=原爆資料館、U=宇吹 |
| 01 |
19760525 |
平和教育をどうすすめるか |
GU |
|
石田明 |
平和教育の今日的課題 |
|
|
森田俊男/松山善三/山田洋次/金沢嘉市/大田堯/飯島宗一/梅根悟/小川岩雄/棋枝元文/小森秀三 |
|
|
|
『季刊・平和教育』の発刊にあたって |
|
|
鎌田定夫 |
被爆30年子どもたちの証言 |
|
|
文沢隆一 |
平和記念資料館物語 |
|
|
中沢啓治 |
インタビュー “はだしのゲン”とわたし |
|
|
増岡敏和 |
作家と作品1 峠三吉 峠三吉の抒情の変革とその生涯 |
|
|
永田守男 |
マスコミの動向 被爆の炎は消えず |
|
| 02 |
19760825 |
戦争体験をどう継承するか |
GU |
| 03 |
19761125 |
平和のための学校行事設定の意義 |
GU |
| 04 |
19770310 |
平和教育は人格形成にどうかかわるか |
GU |
| 05 |
19770610 |
平和教育のあゆみと憲法・教育基本 |
GU |
| 06 |
19770930 |
子どもの戦争観はどうなっているか |
GU |
| 07 |
19780130 |
世界に広がる平和教育 |
GU |
| 08 |
19780601 |
地域に学ぶ平和教育 |
GU |
| 09 |
19790101 |
未来につなげる戦争の学習 |
GU |
| 10 |
19790701 |
子ども・青年の危機と現代のファシズム |
G |
| 11 |
19800301 |
教育の荒廃と平和教育の課題 |
G |
| 12 |
19800901 |
80年代と平和教育の課題 |
G |
| 13 |
19810601 |
国防教育と自衛 |
G |
| 14 |
19820201 |
道徳教育としての平和教育 |
G |
| 15 |
1982/08/01 |
現代平和教育をめぐる実践的課題 |
G |
| 16 |
1983/02/01 |
草の根の平和教育 |
G |
| 17 |
1983/10/01 |
日本における沖縄の位置と課題 |
G |
| 18 |
1984/04/01 |
核未来戦争の脅威の中で何を教えるか |
G |
| 19 |
|
|
|
| 20 |
1985/04/01 |
核戦争の危機と教育の課題 |
GU |
| 21 |
1985/11/01 |
アジア・アフリカをどう認識させるか |
G |
| 22 |
1986/04/01 |
子どもたちにいのちと人権を守る力を |
G |
| 23 |
|
|
|
| 24 |
1986/10/01 |
いじめ・暴力にたちむかうちから |
G |
|
|
|
|
| 25 |
1987/01/01 |
ここからはじめる平和教育 |
G |
|
|
|
|
|
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|
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|
| 62 |
2002/06/01 |
二一世紀の平和教育 |
G |
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|
広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)
<昭和20年8月6日広島女学院に在籍の生徒を対象とする>
(広島女学院大学学生自治会・広島女学院原爆被災実態調査委員会、1970年6月25日)
内容目次
はじめに
はじめに(抄)
昭和42年6月,広島女学院大学では同大学宗教委員会と,学生自治会共催のもとに、「8・6の意味するもの」と題する一連の講座を全学生対象に企画,実施しました。以後毎年続けられているこの講座に対する学生の反応は,必らずしも満足出来るものとは言えませんが,今回の調査が学生たちの手によって始められたことは,やはり講座がもたらした結果の一つだと言えると思います。
「原爆」を知るための手がかりとして,「原爆」は私たちの先輩たちにどんな爪跡を残しているか」,又,「私たちが,被爆者である先輩たちから受け継がねばならないものは何なのか」と言うことから先ず始めようとしました。同時に,広島女学院と原爆を,被爆25年に当って,何らかの形で整理し,後輩に記録として残すことも必要なのではないかと思われました。しかしこの調査作業の間中,「一体私たちはこの調査から何を得ようとしているのだろうか」,「私たちがしようとしていることは本当に必要なのか」,「先輩たちに迷惑をかけるだけで終るのではないだろうか」と言った疑問と不安が絶えず私たちについて廻りました。そして最終段階に来た今,「原爆」と言う問題は,一度や二度の調査,成は数冊の本を読んだだけで掴み得るものではなく,ましてや解決出来るものではない事を改めて痛感しました。
面倒なアンケートに積極的に回答して下さった方々には,一人一人お目にかかってお礼を申し上げたい程感謝で一杯です。アンケート用紙にぎっしり書き込みをして励まして下さった方々もありました。しかしそれど同時に,66%もの方にご回答いただけなかったことを,私も同じ調査対象者である卒業生の一人として,大変残念に思います。心情的に決して答えやすい事がらではありませんし,それぞれご家庭の事情もあり,中にはこの調査でご迷惑をおかけした方もあると思います。しかし切角若い学生たちが,毎日の行動の決断を追られながら,或は,「今更原爆でもあるまい」と言った声を耳にしながらも,原爆を知ろう,被爆者の実態を知ろうとして集ったのにと残念に思うのです。
(以下略) |
調査の概要(目的・方法・時期・対象・委員)
調査の結果
|
|
| 1 |
被爆の状態 |
| 2 |
被爆者自身の健康状態とそれに関する不安度 |
| 3 |
原爆問題に対する関心度 |
| 4 |
原爆死没者に対する意識 |
| 5 |
原水禁運動及び被爆者援護に関する意識 |
| 6 |
被爆者に対する差別の実態 |
| 7 |
被爆二世に対する意識 |
| 8 |
A.B.C.C.に対する意識 |
| 9 |
原爆投下及び現在の核兵器に対する意識 |
| 10 |
支持政党 |
| 11 |
「原爆」と人生観について |
| 12 |
「原爆」という言葉に対する反応 |
|
|
調査結果を見て
調査から学んだもの
後記
付録Ⅰ「広島女学院原爆被災実態調査」調査票/付録Ⅱ在学生用調査票
広島・長崎原爆被爆者大会
1962年5月22日
広島市公会堂で2,500人の被爆者の参加のもとに開催。厚生省公衆衛生局全画課長の講演・両市被爆者代表の意見発表ののち,次のような宣言および決議を採択。大会の席上、全日本被爆者協議会を結成。
 |
| 案内ビラ |
宣言
われわれ原爆被害者は,一生拭い去ることのできない放射能に対する不断の脅威と不安を内包し,日常生活並びに社会活動に多くの障害と制約を受け,物心共に苦難の十七年を生きてきた。その間放射能障害による症状の悲惨な現実と,被爆者の生活の実態が認識され,被爆者の切実な声が通して,最近に至り原爆医療法が制定され,逐次医療の充実をみつつあることはまことに慶びに堪えない。ここに関係各位の並々ならぬ御熱意と御努力に対し深甚なる感謝の意を表するものである。
本日被爆者大会の開催に当り,われわれは核爆発の実験停止と,真の世界平和確立のための,広島・長崎の悲願達成に,根気強く努力をつづけ,全国二十方に上る被爆者相携えて,あらゆる困難と苦痛を克服して力強く生き抜くことを誓い,更にいわれなき無この犠牲者に対する国家の責任と保障において,万全の援護対策の速かなる実現を切に要望して已まない。
右宣言する。
決議
戦後既に十七カ年の歳月を閲みし,全国二十万に上る原爆被爆者の多くは,経済的基盤を失い,或いは放射能障害に悩みかつ脅えつつ,日常生活並びに社会活動に幾多の制約を蒙り,苦難の日々に堪えて今日に至った。
医療に関しては,さきに特別立法により補償の途が開かれ,稍々安らかなるものを得たとはいえ,更に政府,国会その他関係機関におかれては,被爆者の生活の実態に鑑み,原爆犠牲者国家保障性の見地に立って更に援護その他強力なる施策を打出すべきである。よって次の事項について速かに適切なる措置を講するとともに全面的な援助を要請する。
一、特別被爆者の範囲の拡大をすみやかに実現することを期する。
二、原爆被爆者援護対策の確立を期する。
三、原爆被爆者ホームの建設を要望する。
四、原水爆禁止と世界恒久平和実現への正しい国民運動を力強く推進する。
五、全日本被爆者協議会の結成を促進する。
右決議する。
大会次第
『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』
(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛(訳)、筑摩書房、1962年8月5日)
内容
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|
解説(ロベルト・ユンク) |
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|
1.未来図の象徴という断罪/ |
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2.私は狂信的な人間ではない/ |
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|
3.平和のために役立ちたい/ |
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|
4.原子力時代の最初の犯罪/ |
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|
5.ありがたくない宣伝材料/ |
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|
6.幅の広い戦線をつくろう/ |
|
|
7.ボブ・ホープの映画化計画/ |
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|
8.広島の少女たちの友情/ |
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9.自伝映画に出演するな/ |
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10.私を利用しようとする人びと/ |
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11.二人で伝記を書こう/ |
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12.ユダがもらった銀貨/ |
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|
13.泳ぐためにはまず泳げ/ |
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|
14.日本からの多くの手紙/ |
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|
15.殉教者というものの運命/ |
|
|
16.原子兵器反対のリーダーに/ |
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|
17.見せ物にならないように/ |
|
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18.(省略)/ |
|
|
19.(省略)/ |
|
|
20.平和運動をさまたげる弟/ |
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|
21.だれが君を病院に入れたのか/ |
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|
22.闇ルートで返事を送る/ |
|
|
23.(省略)/ |
|
|
24.君の主治医に手紙を書いた/ |
|
|
25.ドイツのグラフ誌に君の記事が/ |
|
|
26.禁止措置はとれないか/ |
|
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27.掲裁中止を申し入れよう/ |
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|
28.みずから刑罰を求めた私/ |
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|
29.プライバシーと報道の自由/ |
|
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30.審問の結果が知りたい/ |
|
|
31.僕が求めている欲張った報酬/ |
|
|
32.君はノーマルだ/ |
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|
33.クロードは責任回避を拒絶したのです/ |
|
|
34.もしも退院したら/ |
|
|
35.君はユーモアをとりもどした/ |
|
|
36.もっと 積極的なたたかいを/ |
|
|
37.ワナにかかったのかもしれない/ |
|
|
38.トランキライザーに参っている/ |
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39.一五年目の広島記念日/ |
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40.僕がまちがっていた/ |
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41.日本からのアンケート/ |
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42.広島上空で私がしたこと/ |
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43.弟たちを説得してくれ/ |
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44.ポーリング博士を救おう/ |
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45.希望と現実のかけ橋/ |
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46.人類はじまって以来の問題/ |
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47.私信も検閲にかかっている/ |
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48.選挙が僕の退院をさまたげる/ |
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49.日本へ行きたい/ |
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50.ノーマルな生活を立証せよ/ |
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51.病院から脱走した/ |
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52.秘密の家で守る九カ条/ |
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53.(省略)/ |
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54.アメリカは僕を歓迎しない/ |
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55.メキシコヘ行ってみてはどうか/ |
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56.再びとらわれの身となって/ |
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57.二○世紀のドレフュス事件/ |
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58.精神の健全さを証明しよう/ |
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59.(省略)/ |
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60.なぜ事件を忘れるのか/ |
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61.疑わしいイーザリー裁判/ |
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62.ラッセル卿のイーザリー観/ |
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63.ドレフュス・コンプレックス/ |
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65.君の良心は奪われない/ |
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66.僕はけっして勇気を失わない/ |
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67.イーザリーの抑留は正当である/ |
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68.法律的にも疑問あり/ |
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69.提訴は実を結びつつある / |
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70.君を忘れない、永遠に/ |
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71.釈放の日は目前だ/ |
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42.広島上空で私がしたこと[抄]
私は先導機、すなわち”ストレート・フラッシュ”号を指揮していました。私の任務は、原爆投下の目標地を選定したときに、第一候補としてあげられたこの広島に無事に到達し、天候の状態を確認するとともに、敵の空軍や高射砲部隊から何らかの抵抗が予想されるかどうかを判断することでした。
私は広島の上空に達してから約45分間、そのあたりを飛行しながら、広島の上空に立ちこめて一部視界をさえぎっていた雲の状態をしらべました。原爆投下の目標は、軍司令部と広島市との中間にある橋でした。約15機ほどの日本の飛行機が1万5000フィート(約5000メートル)の上空を飛んでいましたが、私のいる2万9000フィート(約1万メートル)の高度まで上昇しようとする気配はありませんでした。しかし、これら日本の飛行機は、まもなくどこかへ行ってしまいました。
この日、すなわち8月6日の天侯の状況はつぎのようでした。広島の上空には、1万2000フィートと1万5000フィートの間に積雲が散在し、毎時10ないし15マイルのスピードで広島の方向へ動いているようでした。私がこれらの事実を観測したのは、午前7時30分ごろだったと思います。目標の地点ははっきりと見えていました。それは、すでに申しあげましたとおり、一つの橋で、この橋を破壊することによって、日本軍の司令部に致命的な打撃をあたえずにはいないだろうと考えられたのです。
私には、天候の状況は理想的であると思われました。つまり、目標の橋だけが見えていて、広島市は視界からさえぎられているから、市それ自体は爆撃をまぬかれるだろう、そして、司令部に投下された原爆は、日本の軍部をして否応なしにそのおそるぺき破壊力を知らしめ、講和の条約に署名してこのおそろしい戦争を終わらせねばならねと悟らせるだろう、とこのように私には思われたのです。
私は、僚機に対して、”準備完了、投下〃を知らせる暗号の命令を送りました。すなわち私は、目標への原爆投下を指令したのです。
1987年7月28日、ちくま文庫
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