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書誌2017

書誌2017

本・パンフレット

書名 著者 発行所 発行年月日
国際コンソーシアムによる「原爆放射線被害デジタルアーカイブズ」の構築に関する研究 安藤正人 201703
被ばく者医療に携わって―医師鎌田七男16年の足跡 広島原爆被爆者援護事業団理事長退任記念誌刊行会 201703
核を葬れ―森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録 広岩近広 藤原書房 20170806
 戦時秩序に巣食う「声」 日中戦争・国共内戦・朝鮮戦争と中国社会  笹川裕史ほか  創土社  20170815
丸田孝志「民間信仰と「革命伝説」」
核開発時代の遺産―未来責任を問う 若尾祐司・木戸衛一 昭和堂 20171020
 楠忠之 オーラル・ヒストリー   楠忠之  広島大学文書館   20171031
広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業 研究成果報告書
ヒバク0年を生きて「被爆者として言い残したいこと」=調査報告=[調査実施は2005年] 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)、NPO法人ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 201710
ICANのノーベル平和賞受賞式を前に  パネルディスカッション ”核兵器なくせ”にノーベル平和賞  世界を動かした被爆者の声と若い力をさらに ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 20171202
パネリスト:川崎哲、直野章子、木戸季市
心さわぐ憲法9条 護憲派が問われている 大塚茂樹 花伝社 20171210
原爆ドーム近くのかき船(料亭)営業を許すな かき船問題を考える会・広島自治体問題研究所 20171220
日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実 吉田裕 中公新書 20171225

雑誌論文

著者 タイトル 雑誌名(発行者) 発行年月日
 広島市公文書館紀要 第30号 2017 0301
菅原憲二  新刊紹介 佐々木徹校閲『佐々木卓夫日記』  舞鶴地方史研究  48号 (舞鶴地方史研究会)  20170430
三輪泰史  私の原点 西島有厚「原爆はなぜ投下されたか」との出会い  歴史評論807号  201707
猪飼隆明 歴史の眼 熊本地震の被災体験  歴史評論808号
伊藤由莉・浜希望・川口マヌエル 日本放送協会(NHK)国際報道記者河野憲治さんをたずねて  以文 60号(京大以文会)

 

 河野:2009年日本の報道機関として初めてオバマ米大統領に単独インタビュー。ここで、オバマは将来的に被爆地広島・長崎を訪問する考えを示す

献花(7月)

献花(7月)

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和菊 場所:実家 撮影日:20180701
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 ミニトマト 場所:実家 撮影日:20180701
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ブロッコリー  場所:実家 撮影日:20180701
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落花生   場所:倉庫 撮影日:20180703
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ネムノキ(合歓木)   場所:自宅から実家までの散歩道 撮影日:20180703
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枇杷の葉の下の蝶? 撮影場所:倉庫、撮影日 7月7日
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ノウゼンカズラ  撮影場所:実家、撮影日 7月14日
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  撮影場所:倉庫、撮影日 7月16日 <ゴーヤとヘチマで作ったエコカーテンの整備。二階まで伸ばすためにはにはネットを張る一手間が必要>
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むくげ(槿)   撮影場所:実家、撮影日 7月16日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

ひろしま復興・平和構築研究会

ひろしま復興・平和構築研究会 2012年8月3日(第1回編集委員会)

主催:国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会
事務局:広島県地域政策局平和推進プロジェクト内

編集委員:石田雅春、石丸紀興、宇吹暁、川野徳幸、小池聖一、永井均、西本雅実、平岡敬、水本和実

報告書『広島の復興経験をいかすために―廃墟からの再生―』(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会<広島県・広島市> 2014年3月刊)

 

「ひろしま復興・平和構築研究事業成果発表会」
日時:2014年10月11日 13:30~16:40
主催:国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会

発表講師
安藤福平、石丸紀興、伊藤敏安、千田武志、宇吹暁、卜部匡司、川野徳幸、水本和実

 

 

栗原貞子記念平和文庫

広島女学院大学図書館コレクション http://library.hju.ac.jp/com/collection.html

 

栗原貞子氏の長女、真理子氏により、貞子氏の著書、収蔵書籍、雑誌、肉筆原稿等、自宅に残された全資料の寄贈を受け、2008年10月7日広島女学院大学図書館2階に文庫が開設されました。書籍2,020冊、雑誌類2,304冊、新聞類308部、肉筆原稿206点、肉筆メモ・ノート136点、寄稿者の肉筆原稿26点、書簡などを収録しています。

「生ましめんかな」「ヒロシマというとき」等の詩で広島を代表する詩人栗原貞子氏の反核、平和等に関する貴重な資料を収録しています。2008年に「栗原貞子記念平和文庫」が開設された当初は、貴重な資料が多いため施錠し、希望者のみの閲覧としていましたが、真理子氏の跡を引き継がれた内藤みどり氏(貞子氏の孫)のご提案により、出来るだけ多くの資料を閲覧できるように、2013年6月より施錠をやめ開架しました。

●栗原貞子記念平和文庫 1980点の目録http://library.hju.ac.jp/com/kurihara_mokuroku.pdf

原子放射能基礎医学研究施設設立について

原子放射能基礎医学研究施設設立について
『広島大学原子放射能基礎医学研究施設年報 第1号 昭和35年』
原子放射能基礎医学研究施設設立について
広大医学部長 渡辺 漸
広島大学医学部原子放射能基礎医学研究施設が正式に成立したのは昭和33年4月1日であり,その実際的の発足は同年秋となったが,その成立に至るまでの経過の概略に就て述べたい.
我々の医学部の前身であった県立広島医科大学では放射線医学の重要性を河石学長が強調されアイソトープ委員会もすでに昭和28年には構成され、アイソトープ研究室も広の附属病院構内に同じ頃に新築されたのであって,我が原基研の前身はすでにこの頃出来たと言ってもよかろう.しかし具体的に放射能医学生物学研究所の構想が出来たのは昭和29年の春,我々の医学部が国立に移管した翌年の事であった.この年の3月にビキニ水爆実験に伴う福龍丸の放射l能灰の被曝があって放射能の人体に及ぼす影響に就てにわかに世人の関心が高くなって来た時期である.
昭和30年度の概算要求に広大放射能生物学研究所の設立案を提出しようではないかとの考えが医学部内で強〈なり,それは理学部の協力が必要であるとの理由で、昭和29年6月3日の午後3時30分から阿賀の医学部会議室で当時の藤原理学部長,川村智治郎教授,品川睦明教授の3名を招き,当方からは河石学部長,浦城教授,沖野事務長と私の4名が出席して会合を開いたのがそもそもの初めてある.その時には研究所の設立だけでなく,広大放射能研究委員会の創設の案も席上の話題となった.この時に出来上って30年度の概算要求として提出された案は総経費479,000,000円(初年度151,000,000円)3ケ年完成の計画であって,基礎的研究,生物学的研究及び医学的研究の3部が更に13の部門に分れており,その各々に教授1,助教授1,助手3,その他66名、合計131名の職員があると言うので,当分は現在の霞町の医学部の建物の中に一棟を当てるが、将来は大学隣接地に鉄筋4層1900坪の建物を約2億円で新営するとの規模宏大な案であったが、文部省の省議も通過し得なかった.
その翌年即ち昭和30年には昭和31年度の新規概算要求として広大放射線基礎医学研究所としての案を提出したがこれは前年度に比べて可成規模が大きくなり,総予算733,700,000円(初年度148,000,000円)であって,物理,化学,生物,遺伝,診断,治療,障害の7研究部があり,これが更に17室に分れておるので,多くの研究部は2~3の研究室から構成されている.職員mp前年度要求よりは増えて165名となっているが,助教授を各研究室に置いたので17名とし,雇員、傭人の数を増しているのがその主なものである.建物は初めから新営として2590坪の鉄筋となっておるが,初年度の人員の要求を前年の73人に比して25人と縮少したのが目立つ点であった。然しこの案も結局は日の目を,見ずに終わった.
当時文部省はそれ自体として放射能生物学医学研究所を設立したい希望があり,その構想は大体我々が立案したものに近かいようであるとの情報があったが.厚生省もまた類似の構想を持ち他の省にも似たような希望があつたのだが各省で各々こうした同じような研究所を持つ事はよくないと言うので結局は科学技術庁直属の現在の放医研の誕生を見るに至ったと言う風に伝えられている.現在の放医研の物理,化学,生物,生理病理,障害基礎,環境衛生,臨床の7研究部23研究室の機構が我々の当初の案に甚だ似ておる点を見ても我々の構想が決して単なる空想でなかった事はよく分ると思う.こうした経緯で放射線の生物学医学研究所は恐らくは放医研だけに絞ぽられて行くであろうと言う見通しが強くなったので,当初の研究所と言う構想を我々は捨てて昭和32年度の概算要求には医学部原子放射能基礎医学研究施設として,予算61,700,000円、教授5,助教授5,助手12,その他10,合計32人で,生理学,病理学,生化学,薬理学及び細菌学の5部門に分れ,霞町の現在の校舎の一棟260坪を補修して使用する計画を樹てたが,完成は3年である点は以前と変りない.この案 は可成り本省でも注目されたが結局は翌年に持ち越さざるを得なかった.
斯くして昭和33年度の新規概算要求として総経費51,700,000円,2部門計17名の職員から成る計画が出来て,それが昭和33年度に1部門だけ認められ,更に昭和34年度に更に他の1部門が承認されて,一応計画の完成となったのである.この間大学院設置の要求などがあり,本研究施設の要求を第一義的に考えて行く事が出来ず,絶えず大きな困難に直面していたのであったが,本省側のたえざる好意と森戸学長以下大学当局の絶大の援助と,また他学部からの熱烈な支持があったからこそ今日の成果を収め得たのであり,また顧みて,歴代学部長以下我が医学部の関係職員の多年に亘る労苦を忘れることは出来ないのである.この機会に河石,西丸,鈴木の元学部長,及び田淵昭教授及び小山豪教授の名を特に挙げてその多年の尽力に対して感謝の意を表したい.
しかし我々多年の要望は本研究施設の成立によって充たされたわけではないので,一昨年春以来,理学部,工学部及び水畜産学部の関係の方々とも数回に亘り会合して意見の交換を行った結果,広島大学に原子核放射能研究所の実現を計ると言う点で一致した結論に到達した.それが為にはすでに発足した本施設を育成しつつこれを発展拡張せしめ次第に所期の目的に到達するのが適当であるとの意見が多かった.従って我々は今後たゆまざる努力と熱情とを以って一歩一歩所期の目的に近づいて行きたいのであって,かくてこそ本研究施設の成立の意義も充分にあるものと考えられる.

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

平成7 年(1995 年)度から、核兵器廃絶をテーマに市民の平和意識啓発を図ることを目的として、広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社の共催により広島で開催。平成18年(2006 年)度からは広島・長崎の交互開催に改める。

開催年月日 テーマ 会場 備考
19950718 核兵器廃絶への道を探る―ジャーナリストは何がいきるのか 広島 1
19960802 核兵器ゼロの世界を目指して
19970729 北東アジアの非核化と日本の役割
1998 1998年8月4日(第4回)国際シンポジウム・講演会「核廃絶へ今、私たちは何をすべきか」
1999 1999年8月5日(第5回)「語ろう、核兵器廃絶を!~ヒロシマから21世紀に向けて」
2000 2000年8月4日(第6回) 「非核の傘を広げよう!核のない21世紀めざして」
2001 2001年8月3日(第7回)「核廃絶の流れを確かなものに~地球市民としてなにをなすべきか」(原爆資料館蔵)
2002 2002年8月3日(第8回)「呼び戻そう核廃絶の流れを-報復から対話へ」(原爆資料館蔵)
2003 2003年8月3日(第9回)「語り続けよう核廃絶の道を-力の論理に抗して」
2004 2004年8月1日(第10回)「再び築こう核廃絶の流を-強めよう都市と市民の連携」(原爆資料館蔵)
2005 2005年月日(第回)2006年7月29日(第12回)<会場:長崎>
「核なき世界へ~61年目のナガサキから」
2006
2007 2007年8月4日(第13回) 「再び核廃絶のうねりを~ヒロシマから世界へ」
2008 2008年7月27日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~NGOとミドルパワーの可能性」
2009 2009年8月1日(第15回)
「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」2009年8月1日(土)広島国際会議場
国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」
2010 2010年8月7日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~2010年ナガサキ」
2011
2012
2013 2013年7月27日(第19回)
「核兵器廃絶への道~核兵器の非人道性と被爆体験の伝承~」(原爆資料館蔵)
2014
2015 2015年7 月25 日第回)
「核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~」
2015年7 月25 日(土)午後1 時~午後5 時 広島国際会議場「ヒマワリ」
テーマ:核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~
内 容:①オープニング:広島女学院高校音楽部による「リメンバー」合唱
②被爆体験を語り継ぐ:山本 定男(被爆体験証言者)
③特別講演:為末大(世界陸上競技選手権メダリスト)
④基調講演:モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
⑤パネル討論:
〔パネリスト〕モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
2016
20170729 核兵器廃絶への道~この世界の分断を越えて 広島国際会議場
▽特別対談「映画『この世界の片隅に』を語ろう」 片渕須直、蔵本順子
▽基調講演「トランプ時代における挑戦」 ジョン・ウォルフスタール(オバマ政権で特別担当補佐官)
▽パネル討論 ジョン・ウォルフスタール、ニーナ・タネンウォルド、小溝泰義氏、林田光弘
20180728 核兵器廃絶への道~持続平和な平和のために~ 長崎原爆資料館
2019
20200801 核兵器廃絶への道~世界の危機に、歩みをとめない~ 長崎原爆資料館ホール
一般傍聴者は募らず、海外の登壇者とはオンラインでつなぎ、その模様をライブ配信
20210731 核兵器廃絶への道~『希望の条約』が照らす新しい世界~
会場での参加者は募らず、広島国際会議場から無料ライブ配信
20220730 核兵器廃絶への道~世界を『終わり』にさせないために~ 長崎原爆資料館ホール
20230729 核兵器廃絶への道~被爆地が核戦争の「歯止め」となるために 広島国際会議場
ライブ配信の視聴も可能

原爆供養塔

原爆供養塔

建立年月日:1955(昭和30)年8月6日
場所:広島市中区中島町・平和公園
〔側碑〕
(正面)(原文左横書)
原爆供養塔
〔側碑〕(同じ側碑四柱あり)(正面)
広島戦災供養塔
〔説明板〕(木製 現在は存在せず)
世界最初の原子爆弾昭和二十年八月六日午前八時十五分による犠牲者数万柱の遺骨を納める。
この地一帯が爆心地であったため期せずしてここに痛ましい無数の遺骨が運ばれ処理せられたものである。
昭和二十一年一月広島戦災供養会が創立せられ同五月仮供養塔同七月仮納骨堂礼拝堂が市民の喜捨により建立せられ三十年七月満十周年を期して広島市が中心となって納骨堂を改築せられ各処に散在していた遺骨を此処に納めた。
毎年八月六日には全県市挙げて追悼の誠をこめた供養慰霊祭が行われるほか毎月六日例祭が行われている。
供養行事は広島県宗教連盟が奉仕するほか各宗教派別による特別供養も厳修せられている
広島戦災供養会

11月忌(一覧)

11月忌(一覧)

没年 氏名 よみ 享年 備考
01 2009 御田重宝 おんだ・ 80 中国新聞社編集委員。「もう一つのヒロシマ」中国新聞連載:1984年7月1日~85年3月23日。
02 1958 松本滝蔵 まつもと・たきぞう 57 佐伯郡廿日市町出身。政治家、衆議院議員5期。『広島県大百科事典』(兼井亨・記)19010320生。
02 2009 高橋昭博 たかはし・あきひろ 80 原爆資料館館長。資料年表:高橋昭博
02 2016 高木重敏 わかき ・しげとし 100 広島被爆者。著書『広島反転爆撃の照明
03 2002 岩倉務 いわくら・つとむ 68 10フィート運動。平和博物館を創る会専務理事。『核の20世紀』への吉川清写真掲載に関する宇吹宛礼状あり。
03 2004 ラスキー・キヌコ きぬこ・らすきー 75 「別れ キヌコ・ラスキーさん カナダ被爆者協会の創設者」(『中国新聞』20041127、西本雅実・記)
03 2005 佐々木優秋 ささき・ゆうしゅう 60 広島県立音戸高校勤務期の先輩。1985年8月4日~11日、被爆40周年核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団(日本原水協)の一員としてニュージーランドへ渡航。佐々木優秋 
04 1974 小林和作 こばやし・わさく 86 洋画家。「八月6-7日の事」『風景画と随筆』(小林和作、美術出版社刊)
04 1999 横田工 よこた・たくみ 73 原爆資料保存会会長。
04 2016 新田篤 にった・あつみ 84 旧制広島市立中学2年の時被爆。同中の原爆死没者慰霊祭実行委員会会長。2003年5月から4年間広島県議会議長。『中国新聞』(11月7日死亡欄)
04 2023 岩井忠熊 いわい ・ただくま 101 日本近代史家。元立命館大元副学長。「学徒出陣」で、京都帝国大(現在の京都大)在学中に召集され、特攻隊から生還。
06 2008 畠中国三 はたなか・くにそう 92 体内被爆した原爆小頭症と家族らの会「きのこ会」の初代会長。『中国新聞』(12月17日死亡報道)
07 2004 山代 巴 やましろ・ともえ  92 1929年東京女子美術専門学校(現・女子美術大学)入学。1932年、日本共産党に入党。1937年山代吉宗(1901年 – 1945年)と結婚。代表作『荷車の歌』。『広島県現代文学事典』(佐々木暁美・記)資料年表:山代巴
08 1964 安田リヨウ やすだ・りよう 93 『柔しく剛く 安田リヨウ』(記念誌編集委員会、安田学園、1979.11.8)安田リヨウ
08 1987 土屋清 つちや・きよし  57 広島市の劇作家。原爆をテーマにした演劇などを創作。『広島県現代文学事典』(土屋時子・記)資料年表:土屋清
08 1108 藤川一人 ふじかわ・かずと 91 広島県被団協(坪井直理事長)前理事長(2000~2004)。1945年8月6日、陸軍工兵隊兵舎(爆心地から約1.5キロ)で被爆。1954年、旧三良坂町原爆被害者の会を結成。
11 1980 中川秋一 なかがわ・あきかず 70 広島県文化団体連絡会議代表委員。戦後の広島の文化復興に尽くした哲学者。研究会で面識。資料年表:中川秋一
12 2004 具島 兼三郎 ぐしま・ かねさぶろう 99 国際政治学者。「追悼・具島兼三郎先生:年譜・業績一覧」<『平和文化研究 第27集』(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所、20050331)所収>
12 2016 長滝重信 なかがき・しげのぶ 84 放射線影響所元理事長。1997年7月~2001年6月。
13 1974 福井芳郎 ふくい・よしろう 62 画家。原爆被災。[1954世界平和集会世話人(発起)][1969原爆被災資料広島研究会]。『あの日から30年 原爆画家 福井芳郎追悼展』(主催:中国新聞社、会期:1975年8月1日~6日、会場:天満屋広島店8階催場)資料年表:福井芳郎
13 1979 松坂義正 まつざか・よしまさ 91 広島原爆障害対策協議会(原対協)副会長。遺された資料を閲覧。宇吹は原対協に遺された資料を閲覧。松坂義正
14 1974 及川儀右衛門 おいかわ・ぎえもん  82 広島高等師範学校附属中学校教諭の時被爆。資料年表:及川儀右衛門
15 2023 池田大作 いけだ・だいさく 95 創価学会名誉会長。池田大作
19 1999 木下航二 きのした・こうじ 73 「原爆を許すまじ」の作曲者。
21 1987 上野英信 うえの・えいしん 64 見習士官として船舶砲兵教導隊第一中隊付の時、広島市宇品で被爆。『追悼上野英信』(上野英信追想録刊行会)。
22 1983 白井晟一 しらい・せいいち 78 本名:白井成一。建築家。1955年雑誌「新建築」に「原爆堂」構想を発表。「オピニオン 白井晟一の原爆堂」(『中国新聞』20190214(佐多尾信作・特別論説委員))
22 2003 河音能平 かわね・ よしやす 宇吹が日本中世史を研究対象としたのは京都大学文学部国史研究室の助手であった同氏の影響。『河音能平著作集(全5巻)』(文理閣 2010-2011)
22 2010 コア、エレノア こあ 88 米国の児童文学作家。物語「サダコと千羽鶴」の著者。『朝日新聞』20110114
23 2001 井上清 いのうえ・きよし 87 歴史学者。日本近現代史。「反骨貫き社会へ発信」(『朝日新聞』20011219)
23 2003 佐藤重夫 さとう・しげお 91 広島大学工学部教授の1965年、広島市の依頼で原爆ドーム保存法を検討。
24 2011 豊田清史 とよた・せいし 90 歌人。豊田清史(編著書) | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com)
25 1970 三島由紀夫 みしま・ゆきお 45 作家。1970年11月25日、「楯の会」のメンバー4名と、東京市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部で、自衛隊の覚醒と決起を促し、「天皇陛下万歳」を三唱して、午後零時15分割腹自決。
25 1974 ウ・タント うたんと 65 ビルマの外交官、国連事務総長(第3代):在任期間1961年11月30日~1971年末。ビルマ=現ミャンマー。『核兵器白書 ウ・タント国連事務総長報告
26 1984 村野 藤吾 むらの とうご 93 建築家。代表作は世界平和記念聖堂。1891年  5月15日生まれ。
28 1986 松本卓夫 まつもと・たくお 98 [1950ヒロシマ・ピース・センター理事]。元広島女学院院長。1964年に広島・長崎世界平和巡礼団団長として各国を歴訪。
29 1999 岩本薫 いわもと・かおる 97 「惜別」<「原爆下の棋譜」忘れず 海外普及に尽力>(『朝日新聞』19991210、荒谷一成(学芸部))
29 2002 家永三郎 いえなが・さぶろう 89 歴史学者。戦後間もなく編纂された歴史教科書『くにのあゆみ』の執筆者の1人。1965年教科書検定違憲訴訟を提起。
29 2018 川崎優 かわさき・まさる 94 作曲家。東京音楽学校在学中に学徒出陣、療養のため帰省していた広島市の親族宅で被爆。広島平和式典で演奏される「祈りの曲第一『哀悼歌』」を作曲。
30 1990 カズンズ、ノーマン かずんずNorman Cousins 75 広島市の特別名誉市民。1949年に来広し、原爆孤児の精神養子運動や原爆乙女の渡米治療に尽力。990年4月「庭野平和賞」受賞のため来広。
30 2018 ブッシュ、ジョージ ぶっしゅ(父) アメリカ第41代大統領(1989 – 1993)。
30 2019 中曽根康弘 なかそね・やすひろ 101

 

原水爆禁止大会・平和集会(2017年)

○原水爆禁止2017年世界大会(原水爆禁止日本協議会)
8月3日~9日広島・長崎で開催。2000人(広島)7000人(長崎)の代表が参加。

○被爆72周年原水禁世界大会(原水爆禁止日本国民会議)
7月29日福島大会720人。8月4日広島大会2700人、8月7日長崎大会1600人

○被爆72年連合2017平和ヒロシマ集会 約2300人

○日本生活協同組合連合会~ピースアクション~
8月4日~6日「ピースアクションinヒロシマ」。全国70生協より延べ2,550人。
8月7日~8日「ピースアクションinナガサキ」。全国42生協より延べ1,060人。

〇「ピース・ナイター2017」 (広島東洋カープ)8月2日3万人余 MAZDA Zoom-Zoom