忘れてはならない4つの日
毎年6月23日 | 沖縄慰霊の日 |
毎年8月6日 | 広島原爆の日 |
毎年8月9日 | 長崎原爆の日 |
毎年8月15日 | 終戦記念日 |
出典:「宮内庁ホームの中の皇室の中のご公務などの中の行幸啓など(国内のお出まし)の中の戦没者慰霊」http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/odemashi/irei.html
忘れてはならない4つの日
毎年6月23日 | 沖縄慰霊の日 |
毎年8月6日 | 広島原爆の日 |
毎年8月9日 | 長崎原爆の日 |
毎年8月15日 | 終戦記念日 |
出典:「宮内庁ホームの中の皇室の中のご公務などの中の行幸啓など(国内のお出まし)の中の戦没者慰霊」http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/odemashi/irei.html
昭和天皇実録の中のヒロシマ
『昭和天皇実録(全18冊)』(宮内庁(編修)東京書籍(発行)
年 | 月 | 日 | 事項 |
45 | 08 | 06 | 午後七時五十分、侍従武官長蓮沼蕃に謁を賜う。これより先の午後七時過ぎ、海軍省より電話を以て侍従武官府に対し、呉鎮守府の情報として本日午前八時頃、広島市上空に来襲の米軍爆撃機より特殊弾攻撃全受け、市街の大半が倒潰、第二総軍参謀李鍝公を含む軍関係者が死傷するなど、被害甚大である旨の通報あり。また侍従武官府は第一総軍より、大爆発に続いて市内に大火災が発生し、午後二時現在、なお延焼中との情報を人手する。なお翌七日午前一時三十分頃、同盟通信社は、米国大統領及び英国首相の声明として、八月六日広島に原子爆弾を投下した旨の米英両国の放送を傍受する。 |
45 | 08 | 07 | 午後 御文庫において軍令部総長豊田副武に謁を賜い、戦況、及び昨六日の空襲により被災の広島市方面に対する救護隊の派遣等につき奏上を受けられる。なお本日午後三時三十分、大本営は、昨八月六日広島市が敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたこと、敵は攻撃に際して新型爆弾を使用したものの如きも、詳細は目下調査中である旨を発表する。 |
45 | 08 | 08 | 午後四時四十分、御文庫附属室において外務大臣東郷茂徳に謁を賜い、昨七日傍受の新型爆弾に関する敵側の発表とその関連事項、及び新型爆弾の投下を転機として戦争終結を決するべき旨の奏上を受けられる。これに対し、この種の兵器の使用により戦争継続はいよいよ不可能にして、有利な条件を獲得のため戦争終結の時機を逸ずるけ不可につき、なるべく速やかに戦争を終結せしめるよう希望され、首相へも伝達すべき旨の御沙汰を下される。外相は拝謁後、首相に御沙汰を伝達し、最高戦争指導会議構成員会議の招集を申し入れる。
李鍝公は第二総軍参謀として広島において作戦任務遂行中、一昨六日空爆(新型爆弾)により負傷し、船舶司令部(宇品)に収容される。その後、公は似ノ島陸軍療養所に搬送されるも、昨七日午前五時五分、同所において薨去する。享年三十四。宮内省は本日正午、公の戦死を発表する。よって午後、弔問のため、侍従小出英経を勅使として東京の李鍝公邸に差し遣わされる。なお、公の遺骸は本日広島を出発、空路にて朝鮮京城府の本邸に帰着する。李鍝公の戦死につき、九日、満洲国皇帝溥儀より弔電を寄せられ、十日答電を発せられる。十四日、同邸に勅使として朝鮮総督府財務局長水円直昌を差し遣わし、玉串をお供えになる。十五日の葬送に際しては、勅使として水田を葬場(京城)に差し遣わし、また、天皇・皇后・皇太后より祭資を、天皇より白羽二重・神饌・榊を賜う。遺骸は、朝鮮京畿道揚州郡和道面倉岨里の故李熹公墓所域内に葬られる。 |
45 | 08 | 09 | 午後一時四十五分より二時五分まで、御文庫において陸軍大臣阿南惟幾に謁を賜う。陸相は一一時三十分開会の閣議において、本日午前十一時三十分、長崎に新型爆弾が投下されたことを報告する。なお、午後二時四十五分、西部軍管区司令部より、本日午前十一時頃、敵大型機二機が長崎市に侵入し、新型爆弾らしきものを使用したこと、詳細は目下調査中なるも、被害は比較的僅少の見込みである旨の発表あり。 |
45 | 08 | 13 | 午前、御文庫に内大臣木戸幸一をお召しになる。これより前、陸軍大臣阿南惟幾に謁を賜い、広島市(第二総軍司令部)より元帥陸軍大将畑俊六を招致することにつき言上を受けられる。 |
45 | 08 | 14 | 午前十時時二十分、御文庫に元帥陸軍大将杉山元・同畑俊六、少時遅れて参殿の元帥海軍大将永野修身をお召しになり、三十分にわたり謁を賜う。終戦の御決心をお示しになり、三名の所見を御下問になる。永野・杉山より、それぞれ国軍はなお余力を有し、志気旺盛につき、抗戦して上陸する米軍を断乎撃攘すべき旨の奉答をお聞きになる。ついで畑より、広島在勤のため昨今の情況を詳知せず、また担任正面の防御については遺憾ながら敵を撃攘し得る確信はなく、ポツダム宣言受諾に決した由につき已むを得ざるも、極力交渉により少なくとも十師団を親衛隊として残置できるよう努力すべき旨の奉答あり。三名の奉答に対し、戦争終結は深慮の末の決定につき、その実行に元帥も協力すべき旨を仰せになる。引き続き、内大臣木戸幸一をお召しになる。 |
45 | 08 | 15 | 天皇の終戦詔書放送さる |
45 | 08 | 23 | この日、内務省防空総本部より、大東亜戦争勃発以来現在までの敵機の本土空襲による被害総計は、死者約二十六万名、傷者四十二万名にして、このうち原子爆弾による死者が約九万名、傷者十八万名であること、 |
45 | 08 | 25 | 朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。 |
45 | 08 | 31 | 天皇、広島・長崎の惨状視察と救護関係者激励のため侍従を派遣することを明らかにする。 |
45 | 09 | 01 | 今般、広島・長崎の両市において戦禍による被害甚大につき、侍従永積寅彦を広島市へ、同久松定孝を長崎市へそれぞれ御差遣になる。正午、御文庫において両名に謁を賜い、御沙汰を下される。永積・久松は即日出発する。永積は三日に広島県庁において聖旨を伝達し、同県知事高野源進より情報を聴取の後、大本営跡において中国軍管区司令官谷寿夫より概況を聴取する。ついで永積は、本川国民学校・観音第二国民学校に収容の原子爆弾被爆者の慰問等を行い、五日帰京、同日及び十四日に復命する。その際、永積は船舶司令部(宇品)よりの写真を御覧に供し、原子爆弾に関する東京帝国大学教授都築正男の説明につき言上する。また久松は九月七日帰京し、十一日に復命する。 |
45 | 09 | 04 | 永野長崎県知事、来崎した久松侍従に長崎市の被害状況を報告。9月1日現在、死亡者(検死済)19743人・行方不明者1927人・重軽傷者40993人、8月26日現在戦災者21774世帯89780人・全焼全壊家屋14046戸・半焼半壊家屋5441戸など。 |
45 | 09 | 13 | 永積侍従、比治山迷児収容所を訪問。 |
45 | 09 | 23 | 夜、広島における原子爆弾被害に関する日本ニュース映画を、皇后と共に御覧になる。 |
45 | 09 | 27 | 午前九時五十五分御出門、聯合国最高司令官ダダラス・マッカーサーと非公式に御会見のため、東京都赤坂区内の米国大使館に行幸される。宮内大臣石渡荘太郎・侍従長藤田尚徳・侍従徳大寺実厚・侍医村山浩一・行幸主務官筧素彦(宮内書記官)・侍従職御用掛川越憲雄(皇宮警視)・臨時式部職御用掛奥村勝蔵が供奉する。十時、着御される。大使館玄関において最高司令官軍事秘書ボナー・フランク・フェラーズ、最高司令官副官フォービアン・パワーズの奉迎を受けられる。ついで両名の誘引にて次室に入られ、同所において出迎えのマッカーサーと御握手、挨拶を交わされる。さらにマッカーサーの案内により御会見室に入られる。御会見に当たっては、奥村のみ雇従し、御通訳を奉仕する。御会見室内において天皇はマッカーサーの左側にお立ちになり、米軍写真師による写真撮影三枚を受けられる。ついで御着席になり、約三十分にわたりマッカーサーと御会話になる。御通訳奉仕の奥村により作成された記録によれば、御会話の要旨は左のとおり。
元帥ハ極メテ自由ナル態度ニテ 「マ」 実際写真屋トイフノハ妙ナモノデパチ々々撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン 陛下 永イ間熱帯ノ戦線二居ラレ御健康ハ如何デスカ 「マ」 御蔭ヲ以テ極メテ壮健デ居リマス。私ノ熱帯生活ハモウ連続十年二及ヒマス 之ヨリ元帥ハ口調ヲ変へ、相当力強キ語調ヲ以テ約二十分ニ亘リ滔々ト陳述シタルガ其ノ要旨左ノ如シ(英語ノ性質二鑑ミ、此ノ部分ハ此処ニハ特二敬語ヲ省略シテ訳述ス) 「マ」 戦争手段ノ進歩、殊ニ強大ナル空軍力及ビ原子爆弾ノ破壊力ハ筆紙ニ尽シ難イモノガアル、今後若シ戦争カ起ルトスレバ其ノ際ハ勝者、敗者ノ論ナク斉シク破壊サレ尽シテ人類ノ絶滅ニ至ルテアラウ、現在ノ世界ニハ今猶憎悪ト復讐ノ混迷カ渦ヲ捲イテ居ルガ、世界ノ達見ノ士ハ宜シク比ノ混乱ヲ通ジテ遠キ将来ヲ達観シ平和ノ政策ヲ以テ世界ヲ指導スル必要ガアル。日本再建ノ途ハ困難ト苦痛ニ充チテ居ルコトト思フガ、夫レハ若シ日本ガ戦争ヲ継続スルコトニ依ツテ蒙ルベキ惨害ニ較ブレバ何テモ無イテアラウ、若シ日本ガ更ニ抗戦ヲ続ケテ居タナラバ日本全土ハ文字通り殲滅シ何百万トモ知レヌ人民ガ犠牲ニナツタデアラウ、自分ハ自ラ日本ヲ相手ニ戦ツテ居ツタノデアルカラ日本ノ陸海軍ガ如何ニ絶望的状態ニ在ツタカヲ充分知悉シテ居ル、終戦ニ当ツテノ陛下ノ御決意ハ国土ト人民ヲシテ測リ知レサル痛苦ヲ免レシメラレタ点ニ於テ誠ニ御英断デアツタ。世界ノ輿論ノ問題デアルガ、将兵一旦終戦トナレバ普通ノ善イ人間ニナリ終ルノデアル。 然シ其ノ背後ニハ戦争ニ行ツタコトモ無イ幾百万ノ人民ガ居テ憎悪ヤ復讐ノ感情デ動イテ居ル、斯クシテ所謂輿論が簇出スルノデアルガ其ノ尖端ヲ行クモノガ新聞デアル、米国ノ輿論、英国ノ輿論、支那ノ輿論等々色々出テ来ルガ、「プレスノ自由」(今ヤ世界ノ趨勢トナツテ居ルノデ、其ノ取扱ハ仲々困難デアル。 陛下 此ノ戦争ニ付テハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度イ考デアリマシタガ戦争トナルノ結果ヲ見マシタコト(自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス。 「マ」陛下方平和ノ方向ニ持ツテ行ク為御軫念アラセラレタ御胸中(自分ノ充分諒察申上グル所デアリマス。只一般ノ空気ガ滔々トシテ或方向ニ向ヒツツアルトキ、別ノ方向ニ向ツテ之ヲ導クコトハ一人ノ力ヲ以テハ為シ難イコトデアリマス。恐ラク最後ノ判断(陛下モ自分モ世ヲ去ツタ後、後世ノ歴史家及輿論ニ依テ下サルルヲ俟ツ他ナイデアリマシヤウ。 陛下 私モ日本国民モ敗戦ノ事実ヲ充分認識シテ居ルコトハ申ス迄モアリマセン、今後(平和ノ基礎ノ上二新日本ヲ建設スル為私トシテモ出来ル限リノ力ヲ尽シ度イト思ヒマス。 「マ」 夫レハ崇高ナ御心持デアリマス、私モ同ジ気持デアリマス。 陛下 「ポツダム」官言ヲ正確ニ履行シタイト考ヘテ居リマスコトハ先日侍従長ヲ通ジ閣下ニ御話シタ通リデアリマス。 「マ」 終戦後陛下ノ政府ハ誠ニ多忙ノ中ニ不拘凡ユル命令ヲ一々忠実ニ実行シテ余ス所ガ無イコト、又幾多ノ有能ナ官吏ガ着々任務ヲ遂行シテ居ルコトハ賞讃二値スル所デアリマス。 又聖断一度下ツテ日本ノ軍隊モ日本ノ国民モ総テ整然卜之ニ従ツタ見事ナ有様ハ是即チ御稜威ノ然ラシムル所デアリフビア、世界何レノ国ノ元首卜雖及バザル所デアリマス。之(今後ノ事態二処スルニ当り陛下ノ御気持ヲ強クカ付ケテ然ルペキコトカト存ジマス。 |
45 | 10 | 02 | |
45 | 12 | 11 | |
46 | 08 | 14 | |
46 | 10 | 30 | |
46 | 10 | 30 | 三十日 水曜日 午前十時五分、表拝謁ノ間にお出ましになり、地方長官会議に出席の内閣総理大臣吉田茂・内務大臣大村清一、並びに地方長官ほか五十四名に謁を賜う。 |
47 | 11 | 20 | |
47 | 11 | 24? | |
47 | 11 | 26 | |
47 | 12 | 05 | |
47 | 12 | 05 | それより広島県に移動され、佐伯郡大竹町の国立大竹病院に向かわれる。途中、岩国港付近の旧大刀洗航空分廠敷地跡の装束第一住宅地にお立ち寄りになり、引揚者等を激励される。同病院に御着、田中知事・同県副知事青柳一郎・同県総務部長武末辰雄・同県警察部長西原英次・広島県知事楠瀬常猪・同県議会議長小谷伝一より拝謁をお受けになり、田中山口県知事に謝意のお言葉を賜う。ついで病院長松島茂より開院の概況についての奏上を御聴取の上、内科・外科各病室を慰問される。その際、外科第三病舎において原子爆弾による放射能に被爆した患者を御慰問になる。次に同郡小方村の三菱化成工業株式会社大竹工場を視察される。最初に事務所二階の便殿において取締役社長森規矩夫より同工場におけるステ-プルーファイバー(人造絹糸)の生産状況についての奏上をお聞きになる。しばし御休憩の後、自動車にて原料倉庫、ステープルーファイバー製造場に向かわれ、工場長岩波模一の説明にて同所を御巡覧になる。また製品陳列場において、レーヨンーステープル製品、合成樹脂製品、有機ガラス製品等を御覧になり、従業員に御会釈を賜う。以上でこの日の御視察を終えられ、大竹駅より御乗車になる。宮島口駅にて下車され、御徒歩にて宮島口鉄道桟橋に進まれ、御召艇七浦丸に御乗船になる。甲板より町村民等の奉迎に手を振ってお応えになり、また宮島口駅より扈従の文部大臣森戸辰男(広島県出身)の拝謁をお受けになる。船上では瀬戸内海の島々を観賞され、宮島鉄道桟橋より御上陸になり、自動車に乗り換えられる。なお宮島は離島のため御料車ではなく県知事用の自動車を使用される。御泊所である佐伯郡厳島町宮島の岩惣旅館まで向かわれる途次、自動車が故障し、御泊所までお歩きになる。午後五時十二分到着される。 |
47 | 12 | 06 | |
47 | 12 | 06 | |
47 | 12 | 06 | |
47 | 12 | 07 | |
47 | 12 | 07 | |
47 | 12 | 07 | |
47 | 12 | 10? | |
47 | 12 | 12 | |
51 | 10 | 25 | |
51 | 10 | 26 | |
51 | 10 | 27 | 午前九時十分、赤い羽根をお着けになり御泊所一茶苑を御出発、広島市に入られる。児童福祉施設の六方学園にお着きになり、門内に整列する広島県議会議員六十一名に御会釈を賜う。また玄関において、原爆傷害調査委員会視察の日程を変更して開園を訪問した崇仁親王の出迎えを受けられるに御座所において園長田中正雄より同学園の沿革及び概況を御聴取になる。ついで心理学実験室において田中園長より学園収容児の近況をお聞きになり、原子爆弾投下による児童への被爆の影響について御質問になる。工作教室において粘土細工の授業を御覧の際、手指及び順に火傷痕のある女児を認められ、田中園長よりこの女児が両親と共に被爆し、両親の死去後開園に保護された旨の説明を受けられると、深い同情を示される。講堂の児童作品展示室において皇后・崇仁親王と共に作品を御覧の後、校庭に整列する副園長以下職員・園児に御会釈を賜う。また県共同募金会会長小谷伝一、並びに藍綬褒章受章者・社会事業施設長・社会事業功労者・社会施設の代表児童等に御会釈を賜い、それぞれにお言葉を賜う。終わって崇仁親王の奉送を受けられ同所を御出発になり、県民奉迎場の広島市民広場に御臨場になる。奉迎台において広島県知事大原博夫の発声による県民の万歳三唱をお受けになり、参集の県民等に御会釈を賜う。 |
51 | 10 | 28 | |
56 | 03 | 23 | ニューヨーク近代美術館・米国大使館・日本経済新聞社が共催する「ザーファミリー・オブーマン写真展」を御覧のため、午前九時三十一分御出門、日本橋高島屋に行幸になる。御着後、高島屋社長飯田慶三の先導により八階展示会場に進まれ、同会場において米国特命全権大使ジョンームーアーアリソンに御握手を賜う。ついで日本経済新聞社社長万直次の先導により展示を御覧になる。会場出口付近においては米国大使に対して、このような催しが日米両国の親善を深め、世界平和のために役立つことを望む旨のお言葉を賜う。終わって十時二十一分還幸になる。なお、米国側の申し入れにより「原爆図」「被災者図」等六点の作品いについては、カーテンを掛けて御覧に入れなかったことが、翌日の新聞等に取り上げられる。 |
70 | 11 | 27 | |
71 | 04 | 15 | |
71 | 04 | 15 | |
71 | 04 | 16 | |
71 | 04 | 16 | |
71 | 04 | 16 | |
71 | 04 | 17 | |
75 | 09 | 01 | |
75 | 09 | 08 | |
75 | 10 | 31 | |
75 | 10 | 31 | |
75 | 11 | 12 | |
75 | 11 | 12 | |
75 | 11 | 20 | |
75 | 12 | 26 | |
81 | 08 | 07 | |
84 | 05 | 29 | |
88 | 08 | 06 | 広島原爆の日に当たり、お出ましをお控えになる。○侍従日誌、女官日誌、那須御用邸管理事務所日誌、那須御用邸管理事務所事務官日誌 |
88 | 08 | 09 |
若い広島の会
1960年5月24日 中国新聞ビルで発会式を開催。(『中国新聞』5月25日)
年月日 | 事項<出典:機関誌『若い広島 第1号』、『同2号』> | |
19600524 | 午後6時より中国新聞下ライオンにて第1回会合。25名出席。司会、小久保均。「若い広島の会」趣旨を説明(松元寛)、質疑応答。8月6日を期して夏季研究集会をもつことの提起などあり。 | |
19600609 | 東京の「若い日本の会」主催の民主主義をまもるための抗議集会(6月11日予定)に会よりメッセージをよせられたいというよびかけがあり、電話連絡のとれる限りの人々に賛同を得てメッセージを起草、東京の桂芳久氏に送り、同時に会員へも発送、こちらでも6月11日に集会を持つこととして連絡。 | |
19600611 | 午後1時より、モンブラン3階にて、第2回会合。18名出席。松元司会、東京の集会へ送ったメッセージを中心に討論。デモなどの外向的行動と同時に自分の内面の問題として受けとめて対処するという会の趣旨を再確認、具体的抗議行動は各自の所属組織を通じて行うこととし、会としては東京に送ったと同趣旨の声明書を各報道機関に送るにとどめることとする。 | |
19600705 | 午後6時より、モンブラン3階にて、第3回会合。出席者16名。テーマ1/職場と創造活動/報告者岩崎清一郎、2/我々は誰のために作るのか/報告者松元寛。まだお互いの言葉が充分に通じ合わず手間どるが、意欲的な雰囲気が盛上ってきた。7月末に夏季集会の準備会をすることとする。 | |
19600731 | 午後1時より、広島YMCA会館にて、第4回会合。出席者22名。夏季研究集会準備会。テーマ1/原爆と文学/報告者島陽二、2/地方文化の問題/報告者松元寛。会後過半の人々がモンブランに集り討論をつづける。 | |
19600806 | 若手文学者の会「若い日本の会」の主力メンバー城山三郎、大江健三郎、開高健、桂芳久の4氏が、「若い広島の会」(世話人代表、松本寛氏)の招待で広島を訪問。城山、大江、開高の3氏は初訪問。平和記念式典に参加の後、県教育会館でシンポジウム | |
19600806 | 作家大江健三郎氏が中国新聞に「ヒロシマ一九六〇」を寄稿 | |
19600807 | 午前9時半より、教育会館にて、第5回会合。出席者傍聴者を含めて約60名。会として招いた大江健三郎氏、開高健氏、城山三郎氏、桂芳久氏の他に朝日新聞の特別記者として来広中の堀田善衛氏出席。司会広岡尚利、テーマ1/地方文化の問題/報告者松元寛、2/原爆と文学/報告者島陽二。前回既に討論しつくしていたのと会場の空気のために充分な論議が行われたとは言えなかったが、まずまずの成績というべきか。 | |
19600812 | 「若い日本の会」の城山三郎、大江健三郎、開高健、桂芳久の4氏と堀田善衛氏が広島市で「文学放談会」 | |
19600828 | 午後1時より、広島YMCA会館にて、第6回会合。出席者20名。テーマ/現代における文明批評の問題/報告者荏原肆夫。なおこの日、8月7日の会での堀田善衛氏の示唆にもとづいて「原爆関係文献センター(さしあたり文学関係)」の計画を発表。 | |
19600925 | 午後1時より、広島YMCA会館にて、第7回会合。出席者18名。テーマ1/組織における人間の問題/報告者高武淳夫。2/個におけるファシズムの問題/報告者向山宏、越智道雄。 | |
19601118 | 午後5時半より、モンブラン3階にて、第8回会合。出席者23名。総選挙を前にして具体的に今度の選挙に投票すべきか棄権するかで議論分れる。学生の人々の発言が活発であったが、全体としては議論が堂々巡りして重苦しい会となった。11月末か12月はじめに冬季研究集会をもつことが提案され決まる。 | |
19601214 | 付け朝日新聞学芸蘭「素描」に主として「原爆資料センター」の問題を中心に「若い広島の会」の紹介が出る。その他にも原爆官営の仕事をめぐって色々な反響が出はじめつつある。 | |
19601217~18 | 2日間、広島市中央公民館にて、第9回会合を兼ね冬季研究集会として共同討議/現代芸術について、を行う。第一日、午後三時より、Ⅰサークル部会/テーマ/創造サークルと享受サークル/報告者松元寛(歯車)、増岡正(われらのうた)、山手茂(広島女子短大)、Ⅱ、現代詩部会/テーマ/現代詩における思想と言語/報告者北川純(洪水)、島陽二(われらのうた)/荏原肆夫(囲[糸+堯]地)。
第二日、午前十時より、Ⅲ、ラジオテレビ部会/テーマ/個の芸術と総合芸術/報告者田頭和憲、竹田淳、広岡尚利、Ⅳ、小説部会/テーマ/状況と人間/報告者小久保均/文沢隆一(安芸文学)、松元寛(歯車)、Ⅴ、共同討議/現代芸術について/報告者山手茂、荏原肆夫、広岡尚利、小久保均、司会松元寛。 丁度寒い時期でしかも年末に迫っていたため二日間を通じて出席者延べ60名と予想をはるかに下回ったが、討議は熱心にかつ集中的に行われた。 |
|
19610218 | 機関誌「若い広島 第1号」発行 | |
19610806 | 若い広島の会夏季研究集会(第16回)。広島市中央公民館。出席者:35名。 | |
報告1 | 地方における創造の可能性(報告者:松元寛) | |
報告2 | 被爆体験の思想化のために-原爆文学について-<甘やかされる原爆文学><おもしろくない原爆文学><見捨てられてゆく原爆文学><転換期にきた原爆文学><反省期にきた原爆文学><経験主義からの脱却><原爆とはなにか?><被爆体験の思想化>(報告者:小久保均) | |
19611019 | 若い広島の会夏季研究集会(第18回)。会場:紅蜂。 | |
報告3 | 原水爆禁止運動における思想と行動(報告者及びまとめ:松元寛) | |
19611201 | 機関誌「若い広島第 2号」発行。 |
核兵器禁止条約・平和式典参加状況表
STATE | 国名 | 国連加盟年月日 | 核兵器禁止条約*1 | 2005広式*2 | 2010広式*3 | 2015広式*4 | ||
VOTE | SIGNED | RATIFIED | ||||||
TOTAL | 120 | 69 | 19 | 17 | ? | ? | ||
Afghanistan | アフガニスタン・イスラム共和国 | 1946年11月19日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Albania | アルバニア共和国 | 1955年12月14日 | – | – | ||||
Algeria | アルジェリア民主人民共和国 | 1962年10月08日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | |||
Andorra | アンドラ公国 | 1993年07月28日 | – | – | ||||
Angola | アンゴラ共和国 | 1976年12月01日 | 〇 | 27 Sep 2018 | – | 〇 | 〇 | |
Antigua & Barbuda | アンティグア・バーブーダ | 1981年11月11日 | 〇 | 26 Sep 2018 | 25 Nov 2019 | |||
Argentina | アルゼンチン共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Armenia | アルメニア共和国 | 1992年03月02日 | – | – | 〇 | |||
Australia | オーストラリア連邦 | 1945年11月01日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 |
Austria | オーストリア共和国 | 1955年12月14日 | 20-Sep-17 | 8 May 2018 | 〇 | 〇 | ||
Azerbaijan | アゼルバイジャン共和国 | 1992年03月02日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Bahamas | バハマ国 | 1973年08月18日 | 〇 | – | – | |||
Bahrain | バーレーン王国 | 1971年09月21日 | 〇 | – | – | |||
Bangladesh | バングラデシュ人民共和国 | 1974年09月17日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | 〇 | |
Barbados | バルバドス | 1966年12月09日 | – | – | ||||
Belarus | ベラルーシ共和国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | |||
Belgium | ベルギー王国 | 1945年12月27日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Belize | ベリーズ | 1981年09月25日 | 〇 | 6 Feb 2020 |
19 May 2020 | |||
Benin | ベナン共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | 26 Sep 2018 | – | |||
Bhutan | ブータン王国 | 1971年09月21日 | 〇 | – | – | |||
Bolivia | ボリビア多民族国 | 1945年11月14日 | 〇 | 16 Apr 2018 | 6 Aug 2019 | 〇 | ||
Bosnia & Herzegovina | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 1992年05月22日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Botswana | ボツワナ共和国 | 1966年10月17日 | 〇 | 26 Sep 2019 | 15 Jul 2020 | |||
Brazil | ブラジル連邦共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | 〇 | |
Brunei Darussalam | ブルネイ・ダルサラーム国 | 1984年09月21日 | 〇 | 26 Sep 2018 | – | 〇 | ||
Bulgaria | ブルガリア共和国 | 1955年12月14日 | – | – | ||||
Burkina Faso | ブルキナファソ | 1960年09月20日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Burundi | ブルンジ共和国 | 1962年09月18日 | 〇 | – | – | |||
Cabo Verde | カーボヴェルデ共和国 | 1975年09月16日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | |||
Cambodia | カンボジア王国 | 1955年12月14日 | 〇 | 9 Jan 2019 | – | |||
Cameroon | カメルーン共和国 | 1960年09月20日 | – | – | 〇 | |||
Canada | カナダ | 1945年11月09日 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 | |
Central African Republic | 中央アフリカ共和国 | 1960年09月20日 | 20-Sep-17 | – | ||||
Chad | チャド共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | – | – | |||
Chile | チリ共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
China | 中華人民共和国 | 1945年10月24日 | – | – | ||||
Colombia | コロンビア共和国 | 1945年11月05日 | 〇 | 3 Aug 2018 | – | |||
Comoros | コモロ連合 | 1975年11月12日 | 20-Sep-17 | – | ||||
Congo | コンゴ共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | |||
Cook Islands | 4 Sep 2018 a | |||||||
Costa Rica | コスタリカ共和国 | 1945年11月02日 | 〇 | 20-Sep-17 | 5 Jul 2018 | 〇 | 〇 | |
Cote d’Ivoire | コートジボワール共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Croatia | クロアチア共和国 | 1992年05月22日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Cuba | キューバ共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | 30-Jan-18 | 〇 | ||
Cyprus | キプロス共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Czech Republic | チェコ共和国 | 1993年01月19日 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 | |
Democratic Republic of the Congo | コンゴ民主共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Denmark | デンマーク王国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Djibouti | ジブチ共和国 | 1977年09月20日 | 〇 | – | – | |||
Dominica | ドミニカ国 | 1978年12月18日 | 26 Sep 2019 | 18 Oct 2019 | 〇 | |||
Dominican Republic | ドミニカ共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 7 Jun 2018 | – | |||
Ecuador | エクアドル共和国 | 1945年12月21日 | 〇 | 20-Sep-2017 | 25 Sep 2019 | 〇 | ||
Egypt | エジプト・アラブ共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 |
El Salvador | エルサルバドル共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | 30 Jan 2019 | 〇 | 〇 | |
Equatorial Guinea | ギニア共和国 | 1968年11月12日 | 〇 | – | – | |||
Eritrea | エリトリア国 | 1993年05月28日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Estonia | エストニア共和国 | 1991年09月17日 | – | – | 〇 | |||
Ethiopia | エチオピア連邦民主共和国 | 1945年11月13日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Fiji | フィジー共和国 | 1970年10月13日 | 〇 | 20-Sep-17 | 7 Jul 2020 | |||
Finland | フィンランド共和国 | 1955年12月14日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
France | フランス共和国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Gabon | ガボン共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | – | – | |||
Gambia | ガンビア共和国 | 1965年09月21日 | 〇 | 20-Sep-17 | 26 Sep 2018 | |||
Georgia | ジョージア | 1992年07月31日 | – | – | ||||
Germany | ドイツ連邦共和国 | 1973年09月18日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Ghana | ガーナ共和国 | 1957年03月8日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Greece | ギリシャ共和国 | 1945年10月25日 | – | – | 〇 | |||
Grenada | グレナダ | 1974年09月17日 | 〇 | 26 Sep 2019 | – | |||
Guatemala | グアテマラ共和国 | 1945年11月21日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Guinea | 赤道ギニア共和国 | 1958年12月12日 | – | – | ||||
Guinea-Bissau | ギニアビサウ共和国 | 1974年09月17日 | 〇 | 26 Sep 2018 | – | |||
Guyana | ガイアナ共和国 | 1966年09月20日 | 〇 | 20-Sep-17 | 20-Sep-17 | |||
Haiti | ハイチ共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Holy See | バチカン市国 | 〇 | 20-Sep-17 | 20-Sep-17 | 〇 | 〇 | ||
Honduras | ホンジュラス共和国 | 1945年12月17日 | 〇 | 20-Sep-17 | 24 Oct 2020 | |||
Hungary | ハンガリー | 1955年12月14日 | – | – | 〇 | |||
Iceland | アイスランド共和国 | 1946年11月19日 | – | – | ||||
India | インド | 1945年10月30日 | – | – | 〇 | |||
Indonesia | インドネシア共和国 | 1950年09月28日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Iran | イラン・イスラム共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Iraq | イラク共和国 | 1945年12月21日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Ireland | アイルランド | 1955年12月14日 | 〇 | 20-Sep-17 | 6 Aug 2020 | 〇 | 〇 | |
Israel | イスラエル国 | 1949年05月11日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Italy | イタリア共和国 | 1955年12月14日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Jamaica | ジャマイカ | 1962年09月18日 | 〇 | 8-Dec-17 | 23 Oct 2020 | 〇 | ||
Japan | 日本 | 1956年12月18日 | – | – | ||||
Jordan | ヨルダン・ハシェミット王国 | 1955年12月14日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Kazakhstan | カザフスタン共和国 | 1992年03月02日 | 〇 | 2 Mar 2018 | 29 Aug 2019 | 〇 | 〇 | |
Kenya | ケニア共和国 | 1963年12月16日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Kiribati | キリバス共和国 | 1999年09月14日 | 〇 | 20-Sep-17 | 26 Sep 2019 | |||
Kuwait | クウェート国 | 1963年05月14日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Kyrgyzstan | キルギス共和国 | 1992年03月02日 | – | – | ||||
Lao People’s Democratic Republic | ラオス人民民主共和国 | 1955年12月14日 | 〇 | 21-Sep-17 | 26 Sep 2019 | 〇 | ||
Latvia | ラトビア共和国 | 1991年09月17日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Lebanon | レバノン共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Lesotho | レソト王国 | 1966年10月17日 | 〇 | 26 Sep 2019 | 6 Jun 2020 | 〇 | 〇 | |
Liberia | リベリア共和国 | 1945年11月02日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Libya | リビア | 1955年12月14日 | 20-Sep-17 | – | 〇 | |||
Liechtenstein | リヒテンシュタイン公国 | 1990年09月18日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | |||
Lithuania | リトアニア共和国 | 1991年09月17日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Luxembourg | ルクセンブルク大公国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Macedonia | マケドニア旧ユーゴスラビア共和国 | 1993年04月08日 | – | – | ||||
Madagascar | マダガスカル共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | 〇 | |
Malawi | マラウイ共和国 | 1964年12月01日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Malaysia | マレーシア | 1957年09月17日 | 〇 | 20-Sep-17 | 30 Sep 2020 | |||
Maldives | モルディブ共和国 | 1965年09月21日 | 26 Sep 2019 | 26 Sep 2019 | 〇 | |||
Mali | マリ共和国 | 1960年09月28日 | – | – | ||||
Malta | マルタ共和国 | 1964年12月01日 | 〇 | 25 Aug 2020 | 21 Sep 2020 | |||
Marshall Islands | マーシャル諸島共和国 | 1991年09月17日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Mauritania | モーリタニア・イスラム共和国 | 1961年10月27日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Mauritius | モーリシャス共和国 | 1968年04月24日 | 〇 | – | – | |||
Mexico | メキシコ合衆国 | 1945年11月07日 | 〇 | 20-Sep-17 | 16-Jan-2018 | 〇 | 〇 | 〇 |
Micronesia (FSM) | ミクロネシア連邦 | 1991年09月17日 | – | – | 〇 | |||
Moldova | モルドバ共和国 | 1992年03月02日 | 〇 | – | – | |||
Monaco | モナコ公国 | 1993年05月28日 | – | – | 〇 | |||
Mongolia | モンゴル国 | 1961年10月27日 | 〇 | – | – | |||
Montenegro | モンテネグロ | 2006年06月28日 | – | – | ||||
Morocco | モロッコ王国 | 1956年11月12日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Mozambique | モザンビーク共和国 | 1975年09月16日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Myanmar | ミャンマー連邦共和国 | 1948年04月19日 | 〇 | – | – | |||
Namibia | ナミビア共和国 | 1990年04月23日 | 〇 | 8-Dec-17 | 20 Mar 2020 | 〇 | ||
Nauru | ナウル共和国 | 1999年09月14日 | 22 Nov 2019 | 23 Oct 2020 | ||||
Nepal | ネパール連邦民主共和国 | 1955年12月14日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Netherlands | オランダ王国 | 1945年12月10日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 |
New Zealand | ニュージーランド | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | 31 Jul 2018 | 〇 | 〇 | |
Nicaragua | ニカラグア共和国 | 1945年10月24日 | 22-Sep-17 | 19 Jul 2018 | 〇 | |||
Niger | ニジェール共和国 | 1960年09月20日 | – | – | ||||
Nigeria | ナイジェリア連邦共和国 | 1960年10月07日 | 〇 | 20-Sep-17 | 6 Aug 2020 | 〇 | ||
Norway | ノルウェー王国 | 1945年11月27日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
North Korea | 北朝鮮 | – | – | |||||
Democratic People’s Republic of Korea | 朝鮮民主主義人民共和国 | 1991年09月17日 | ||||||
Oman | オマーン国 | 1971年10月07日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Pakistan | パキスタン・イスラム共和国 | 1947年09月30日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Palau | パラオ共和国 | 1994年12月15日 | 〇 | 20-Sep-17 | 3-May-18 | 〇 | 〇 | |
State of Palestine | パレスチナ | 〇 | 20-Sep-17 | 22-Mar-18 | ||||
Panama | パナマ共和国 | 1945年11月13日 | 〇 | 20-Sep-17 | 11 Apr 2019 | 〇 | 〇 | |
Papua New Guinea | パプアニューギニア独立国 | 1975年10月10日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Paraguay | パラグアイ共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | 23 Jan 2020 | |||
Peru | ペルー共和国 | 1945年10月31日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Philippines | フィリピン共和国 | 1945年10月24日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Poland | ポーランド共和国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 | |
Portugal | ポルトガル共和国 | 1955年12月14日 | – | – | 〇 | |||
Qatar | カタール国 | 1971年09月21日 | 〇 | – | – | |||
Romania | ルーマニア | 1955年12月14日 | – | – | ||||
Russia | ロシア連邦 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 |
Rwanda | ルワンダ共和国 | 1962年09月18日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
St Kitts & Nevis | セントクリストファー・ネーヴィス | 1983年09月23日 | 〇 | 26 Sep 2019 | 9 Aug 2020 | |||
St Lucia | セントルシア | 1979年09月18日 | 〇 | 26 Sep 2018 | 23 Jan 2019 | |||
St Vincent & Grenadines | セントビンセント及びグレナディーン諸島 | 1980年09月16日 | 〇 | 8-Dec-17 | 31 Jul 2019 | |||
Samoa | サモア独立国 | 1976年12月15日 | 〇 | 20-Sep-17 | 26 Sep 2018 | 〇 | 〇 | |
San Marino | サンマリノ共和国 | 1992年03月02日 | 〇 | 20-Sep-17 | 26 Sep 2018 | |||
Sao Tome & Principe | サントメ・プリンシペ民主共和国 | 1975年09月16日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | |||
Saudi Arabia | サウジアラビア王国 | 1945年10月24日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Senegal | セネガル共和国 | 1960年09月28日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Serbia | セルビア共和国 | 2000年11月01日 | – | – | 〇 | |||
Seychelles | セーシェル共和国 | 1976年09月21日 | 〇 | 26 Sep 2018 | – | |||
Sierra Leone | シエラレオネ共和国 | 1961年09月27日 | 〇 | – | – | |||
Singapore | シンガポール共和国 | 1965年09月21日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Slovakia | スロバキア共和国 | 1993年01月19日 | – | – | 〇 | |||
Slovenia | スロベニア共和国 | 1992年05月22日 | – | – | 〇 | |||
Solomon Islands | ソロモン諸島 | 1978年09月19日 | 〇 | – | – | |||
Somalia | ソマリア連邦共和国 | 1960年09月20日 | – | – | ||||
South Africa | 南アフリカ共和国 | 1945年11月07日 | 〇 | 20-Sep-17 | 25 Feb 2019 | 〇 | 〇 | |
Republic of Korea | 韓国 | 〇 | 〇 | |||||
South Korea | 大韓民国 | 1991年09月17日 | – | – | ||||
South Sudan | 南スーダン共和国 | 2011年07月14日 | 〇 | – | – | |||
Spain | スペイン | 1955年12月14日 | – | – | 〇 | |||
Sri Lanka | スリランカ民主社会主義共和国 | 1955年12月14日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Sudan | スーダン共和国 | 1956年11月12日 | – | – | ||||
Suriname | スリナム共和国 | 1975年12月04日 | 〇 | – | – | |||
Swaziland | スワジランド王国 | 1968年09月24日 | – | – | ||||
Sweden | スウェーデン王国 | 1946年11月19日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | 〇 |
Switzerland | スイス連邦 | 2002年09月10日 | 〇 | – | – | |||
Syria | シリア・アラブ共和国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | |||
Tajikistan | タジキスタン共和国 | 1992年03月02日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Tanzania | タンザニア連合共和国 | 1961年12月14日 | 〇 | 26 Sep 2019 | – | 〇 | ||
Thailand | タイ王国 | 1946年12月16日 | 〇 | 20-Sep-17 | 20-Sep-17 | 〇 | ||
Timor-Leste | 東ティモール民主共和国 | 2002年09月27日 | 〇 | 26 Sep 2018 | – | |||
Togo | トーゴ共和国 | 1960年09月20日 | 〇 | 20-Sep-17 | – | 〇 | ||
Tonga | トンガ王国 | 1999年09月14日 | 〇 | – | – | 〇 | ||
Trinidad & Tobago | トリニダード・トバゴ共和国 | 1962年09月18日 | 〇 | 26 Sep 2019 | 26 Sep 2019 | |||
Tunisia | チュニジア共和国 | 1956年11月12日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Turkey | トルコ共和国 | 1945年10月24日 | – | – | ||||
Turkmenistan | トルクメニスタン | 1992年03月02日 | – | – | 〇 | |||
Tuvalu | ツバル | 2000年09月05日 | 20-Sep-17 | 12 Oct 2020 | ||||
Uganda | ウガンダ共和国 | 1962年10月25日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Ukraine | ウクライナ | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
United Arab Emirates | アラブ首長国連邦 | 1971年12月09日 | 〇 | – | – | |||
United Kingdom | 英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国) | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
United States | アメリカ合衆国 | 1945年10月24日 | – | – | 〇 | 〇 | ||
Uruguay | ウルグアイ東方共和国 | 1945年12月18日 | 〇 | 20-Sep-17 | 25 Jul 2018 | 〇 | 〇 | |
Uzbekistan | ウズベキスタン共和国 | 1992年03月02日 | – | – | 〇 | |||
Vanuatu | バヌアツ共和国 | 1981年09月15日 | 〇 | 20-Sep-2017 | 26 Sep 2018 | |||
Venezuela(Bolivarian Republic of) | ベネズエラ・ボリバル共和国 | 1945年11月15日 | 〇 | 20-Sep-2017 | 27-Mar-18 | 〇 | 〇 | |
Vietnam | ベトナム社会主義共和国 | 1977年09月20日 | 〇 | 22-Sep-17 | 17-May-18 | 〇 | 〇 | |
Yemen | イエメン共和国 | 1947年09月30日 | 〇 | – | – | 〇 | 〇 | |
Zambia | ザンビア共和国 | 1964年12月01日 | 26 Sep 2019 | – | 〇 | 〇 | ||
Zimbabwe | ジンバブエ共和国 | 1980年08月25日 | 〇 | – | – | |||
TOTAL | 120 | 56 | 50 | 17 | ||||
Cook Islands | クック諸島 | |||||||
Republic of Kosovo | コソボ共和国 | 〇 | ||||||
Niue | ニウエ | 6 Aug 2020 a | ||||||
Taiwan | 台湾 | |||||||
Hong Kong | 香港 | |||||||
Macau | マカオ | |||||||
北極 | ||||||||
南極 | ||||||||
Europian Union | 欧州連合代表部 | 〇 |
*1)出典:https://treaties.un.org/pages/ViewDetails.aspx?src=TREATY&mtdsg_no=XXVI-9&chapter=26&clang=_en
STATUS AS AT : 12-07-2020 07:15:45 EDT
*2)広島市企画総務局記者発表資料(1007年7月23日)「平成19年平和記念式典の挙行について」。同資料では、1005年17各国、2006年35か国、2007年42か国となっている。
*3)、4*)平和記念式典会場で配布された式次第に挿入された名簿「参列国一覧」による。この資料が配布されたのは確認できた限りでは2010以降。
平和式典出席者概要(1991年~)
年 | 広島市長 | 長崎市長 | 総理大臣 |
1991(平成3) | 平岡 敬 | 本 島 等 | 海部俊樹(総理大臣)<挨拶原文> |
挨拶:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:下条厚相 | |||
1992(平成4) | 平岡 敬 | 本 島 等 | 山下徳夫(厚生大臣)<挨拶原文> |
挨拶:衆議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:宮沢喜一総理大臣 | |||
1993(平成5) | 平岡 敬 | 本 島 等 | <挨拶原文>[閣僚の出席なし]文田久雄総理府次長 |
ストヤン・ガーネフ国連総会議長。長崎式典:古川貞二郎厚生省事務次官。**8月9日細川内閣発足。 | |||
1994(平成6) | 平岡 敬 | 本 島 等 | <挨拶原文>村山富市(総理大臣) |
井出厚相。長崎式典:村山富市 | |||
1995(平成7) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | <挨拶原文>村山富市(総理大臣) |
井出厚相。長崎式典:村山富市。草場良八最高裁判所長官。三権の長全員が参列(初)。長崎式典:村山富市。三権の長全員が参列(初) | |||
1996(平成8) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 橋本龍太郎(総理大臣) |
菅直人厚相。長崎式典:橋本龍太郎。土井たか子(議長) | |||
1997(平成9) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 橋本龍太郎(総理大臣) |
第4回世界平和連帯都市市長会議。長崎式典:小泉純一郎厚相 | |||
1998(平成10) | 平岡 敬 | 伊藤一長 | 小渕恵三(総理大臣) |
宮下創平厚相。あいさつ:衆議院副議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小渕恵三。宮下創平厚相 | |||
1999(平成11) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小渕恵三(総理大臣) |
宮下創平厚相。長崎式典:宮下創平厚相。伊藤宗一郎(衆議院議長) | |||
2000(平成12) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 森喜朗(総理大臣) |
あいさつ:衆議院議長、参議院議長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:森喜朗。渡部恒三衆議院副議長、菅野久光参院副議長。 | |||
2001(平成13) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) |
第5回世界平和連帯都市市長会議。あいさつ:広島県知事、アナン国連事務総長メッセージ。長崎式典:小泉純一郎。坂口力厚労相。衆参両院議長が代理も含め欠席するのは1989年以来。今年から両議長の来賓あいさつを取りやめ、献花だけをしてもらうことに決めていた。 | |||
2002(平成14) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎(今年は被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず、帰京)、坂口厚生労働大臣。倉田寛之参院議長、約五千五百人。 | |||
2003(平成15) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) |
長崎式典:小泉純一郎、(被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず)。倉田寛之参院議長、坂口力厚労相 | |||
2004(平成16) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、扇千景参院議長、坂口力厚労相。約五千四百人。 | |||
2005(平成17) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) |
あいさつ:衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、国連事務総長、広島県知事、広島県議会議長。長崎式典:小泉純一郎、尾辻厚労相。町田顕最高裁判所長官。長崎市は今年、核保有五カ国を含む計十一カ国に参列を求める招請状を送付。ガルージン代理大使とウクライナのユーリー・コステンコ駐日特命全権大使だけが参列 | |||
2006(平成18) | 秋葉忠利 | 伊藤一長 | 小泉純一郎(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長崎式典:小泉純一郎、川崎二郎厚生労働大臣。河野洋平(議長)、角田(副議長)。核保有国のロシアを含む七カ国の駐日大使ら約四千八百人が参列。 | |||
2007(平成19) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、潘基文国連事務総長(代読)。長崎式典:安倍晋三、柳沢伯夫厚生労働大臣。横路(副議長)、江田五月(議長)。核保有国ロシアを含む十五カ国の政府代表らが参列。 | |||
2008(平成20) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 福田康夫(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長(代読)。舛添要一厚労相。55カ国の大使や参事官。長崎式典:福田康夫、舛添要一厚労相。河野洋平(議長)、山東(副議長)。核保有国のロシア、今回が初めてのスペインなど八カ国の駐日大使ら・ | |||
2009(平成21) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 麻生太郎(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。舛添要一厚労相。59カ国の代表。長崎式典:麻生太郎。舛添要一厚労相。江田五月(議長)。保有国のロシアを含め過去最多となる海外29カ国の代表。約5800人(市発表)。ミゲル・デスコト・ブロックマン国連議長。国際連合総会議長潘基文(バンキムン)国連事務総長(代読)、 | |||
2010(平成22) | 秋葉忠利 | 田上富久 | 菅直人(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長。長妻厚生労働大臣。潘基文(バンキムン)国連事務総長、米・英・仏(初)など74カ国の代表。長崎式典:菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。デスコト国連議長。西岡(議長)江田五月(議長) 。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国。約5600人。 | |||
2011(平成23) | 松井一實 | 田上富久 | 菅直人(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長。細川律夫厚生労働大臣。長崎式典: 菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。44カ国の政府代表 | |||
2012(平成24) | 松井一實 | 田上富久 | 野田佳彦(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連事務総長。中野外務大臣政務官。小宮山厚生労働大臣。国連事務総長代理;アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表。米・英・仏(初)など71カ国の代表。長崎式典:野田佳彦。外務大臣政務官。厚生労働大臣。42カ国の代表。 | |||
2013(平成25) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) |
あいさつ:広島県知事、国連総会議長。国連事務総長。外務大臣 厚生労働大臣。ブーク・イェレミッチ国際連合総会議長。潘基文国際連合事務総長(代読)、 | |||
2014(平成26) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) |
2015(平成27) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) |
2016(平成28) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) |
2017(平成29) | 松井一實 | 田上富久 | 安倍晋三(総理大臣) |
2018(平成30) |
2020年NPT運用検討会議
会議名 | 開催年月日 | 開催場所 | |
第1回準備委員会 | 20170502 | オーストリア・ウィーン | |
第2回準備委員会 | 20180424~0504 | スイス・ジュネーブ | |
児玉三智子(日本被団協事務局次長)・土田弥生(日本原水協事務局次長) | |||
長崎の証言の会
1970年2月1日 長崎の証言刊行委員会、新しい記録運動を呼びかける。
1971年3月16日 「長崎の証言刊行委員会」を「長崎の証言の会」とする。
長崎の証言の会『証言-ヒロシマ・ナガサキの声』
長崎の証言の会(編・発行)、汐文社(発売)
創刊号(1987/9/30) | |
江口 保 | 八月のヒロシマ-修学旅行生とともに |
ミホ・シボ・新間 | カナダにおける反核運動 |
北浦葉子 | 日本から世界へ-ネバー・アゲイン・キャンペーンのあゆみ |
永井秀明 | 核廃絶をめざす世界運動と教育-核軍拡と軍事化状況をふまえて |
第2集(1988/8/15) | |
1990/8/30 | |
1991/8/15 | |
1992/8/31 | |
1993/8/31 | |
1994/8/9 | |
1995/8/31 | |
1996/9/10 | |
1997/10/1 | |
1998/9/10 | |
1998/11/21 | |
1999/9/10 | |
2000/9/14 | |
2001/10/10 | |
2002/10/10 | |
2003/10/1 | |
2004/10/1 | |
2005/10/1 | |
2006/10/1 | |
2006/11/1 | |
2009/12/25 | |
第27集(2013/10/1) | |
朝長万左男 | 〔報告〕オスロ・カンファランス「核兵器の非人道性」に関するオスロ会議に出席して |
山口 響 | 〈二〇一三年 NPT再検討会議準備委員会〉核依存という「谷底」をめざす日本政府 |
平野伸人 | 第十五代高校生平和大使の成果と課題 |
田中利幸 | 広島から―NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合をめぐって |
川崎哲 | 【インタビュー】川崎哲さんに聞く―核兵器禁止条約へ向って、東京を動かそう |
追悼 核兵器廃絶を目指して―闘い続けた 山口仙二さん | |
核実験に抗議する長崎市民の会 | 声明 米国大統領「バラク・オバマ様」占度重なる核実験に断固抗議する」 |
第28集(2014/10/31) | |
芝野由和 | やはり「フクシマを考える」だったか―第五回「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」にかかわって考えたこと |
小桝雅樹 | 第二回「核兵器の非人適性に関する国際会議」に参加して |
朝長万左男 | もし一〇〇万人の現代都市で核爆発が起こったら |
第29集(2015/11/20) | |
柴田 朴 | 追悼・本島等さん―天皇の戦争責任発言を中心に―どうしても聞きたかった質問 |
中村桂子 | 2015年NPT再検討会議を終えて |
山田寿則 | マーシャル諸島共和国による核ゼロ裁判 |
山下正寿 | ビキニ事件の再検証を―放置された被災船員たち |
第30集(2016/10/15) | |
細光規江 | 被爆体験伝承者―広島市の取り組み |
第31集(2017/10/1) | |
朝長万左男 | 巻頭言「核兵器禁止条約の成立 |
NPT再検討会議(2005年)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2006/html/framefiles/honbun.html
日本は、核兵器のない平和で安全な世界の実現のために、NPTを礎とする国際的な核軍縮・不拡散体制の維持・強化を極めて重視しているが、5月の2005年NPT運用検討会議では、中東諸国を中心とする非同盟諸国と西側諸国との意見対立等により、会議時間の約3分の2が手続き事項の採択に費やされ、最終的に実質的事項に関する合意文書を作成することができなかった。9月の国連首脳会合で採択された成果文書についても、核軍縮と不拡散のバランスを巡る意見対立等の結果、軍縮・不拡散に関する記述が盛り込まれなかった。これらの結果は、アナン国連事務総長が「本年2回失敗した」と述べたとおり、大変遺憾な結果であった。
核兵器不拡散条約(NPT)
2010年5月にニューヨークで開催された2010年NPT運用検討会議では、NPTへの求心力を高め、NPTを基礎とする国際的な核軍縮・不拡散体制を強化することが重要な課題となった。会議では個々の争点を巡り、全ての締約国が全会一致で決定することができるか予断を許さない状況が続いたが、NPT体制を支える三本柱(①核軍縮、②核不拡散、③原子力の平和的利用)に関し、将来に向けた具体的な行動計画を含む最終文書を採択することができた。行動計画は、全ての締約国が協力してこの三本柱を推進していくための共通の基盤を提供した点で大きな意義があり、各国が今後この行動計画を着実に実施していくことが重要である。日本は、日豪両政府による核軍縮・不拡散についての具体的措置に関する作業文書に加え、軍縮・不拡散教育、国際原子力機関(IAEA)保障措置(12)の強化、原子力の平和的利用のためのIAEA技術協力に関する作業文書を提出した。日本の提案は、多くの国から幅広い支持を得て、広く最終文書に反映されるなど、会議の成功に貢献することができた。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2011/html/chapter3/chapter3_01_03.html#h02
2012年以降毎年開催された3回の準備委員会を踏まえ、2015年4月27日から5月22日まで、ニューヨークにおいて、2015年NPT運用検討会議が開催された。鋭意交渉が行われたものの、最終的に、主に中東非大量破壊兵器地帯の設置構想をめぐって関係国間の溝が埋まらず、最終文書を採択することなく終了した。しかしながらNPT三本柱(①核軍縮、②核不拡散及び③原子力の平和的利用)の進展のために、引き続きNPT体制の維持・強化に取り組むことが重要である。
『外交青書 2016』http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2016/html/index.html