献花(2015年8月6日平和公園)
民族派有志一同・日本共産党中央委員会ほか |
献花(2015年8月6日平和公園)
民族派有志一同・日本共産党中央委員会ほか |
野外展示(2015年8月平和公園)
作者:上野正嗣。 |
撮影:宇吹暁 |
平和へのストリートライブ(元安橋)
撮影時刻:2017年8月6日10:53 |
撮影場所:広島市 元安橋上 |
撮影者:宇吹 |
撮影時刻:2018年8月6日11:04 |
撮影場所:広島市 元安橋上 |
撮影者:宇吹 |
被爆ピアノコンサート(平和公園)
撮影日:2020年8月6日 |
原爆遺跡後世に伝えて―『赤旗』1992年8月6日
2020平和宣言<広島>
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。
およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。
こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。
原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時13歳であった男性の訴え。
昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。
そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。
これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。
今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。
ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
令和2年(2020年)8月6日
広島市長 松井 一實
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2020平和宣言<長崎>
長崎平和宣言
私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに
焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転
がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影
は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2020年(令和2年)8月9日
長崎市長 田 上 富 久
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2020総理大臣挨拶(広島)
本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
令和2年8月9日
本日ここに、被爆75周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。
長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、承継する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和2年8月9日
内閣総理大臣・安倍晋三
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2020年8月15日終戦記念日
あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
戦後75年、我が国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。
戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
令和2年8月15日
内閣総理大臣 安倍 晋三
2021年7月(日録)
日 | 事項 |
01 | 呉空襲の日。呉市役所からの町内放送。12:00より自宅で黙とう。 |
01 | 呉海軍墓地を取材。『呉海軍墓地誌 海ゆかば 合祀碑と英霊(改定)』(管理棟で呉海軍墓地顕彰保存会、20180901、381頁)購入。2500円。 |
01 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道」、「爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか」、「呉空襲の日(20210301)」 |
02 | ヒロシマ遺文への投稿=「新長崎市史第四巻現代編」、「戦後日本の社会と市民意識」、「ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会刊行物」、「2021年7月(日録)」 |
03 | ヒロシマ遺文への投稿=「伊東壮」、「わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集」、「横山英」 |
04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死没者追悼平和祈念館運営委託費」 |
05 | 比治山公園・日赤、取材。大学堂で古書「中国新聞労働組合50年史」などを購入。 |
05 | 広島大学へ出講。「平和と人間D」リモート。 |
05 | ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆体験」の展開ー原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として」 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国新聞労働組合50年史」 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍墓地」、「広島陸軍病院原爆慰霊碑」 |
08 | ヒロシマ遺文への投稿=「電信兵慰霊碑」、「2020平和宣言<広島><長崎>総理大臣挨拶」、「殉国忠士之碑<大日本帝国在留仏国人>」、「陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑」、「歩兵第11連隊戦没者慰霊碑」、 |
09 | ヒロシマ遺文への投稿=「ひろしま文芸の碑」 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」、「広島赤十字病院慰霊碑」 |
11 | 呉西保健所。新型コロナワクチン接種(2回目)。 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿=「大森正信」 |
12 | ヒロシマ遺文への投稿=「ゲーンス先生(広島女学院)墓碑」、「原爆遺跡後世に伝えて」、「広島県の歴史」、「原爆の絵 動員学徒の碑」 |
13 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ日記(蜂谷道彦著)翻訳書」、「動員学徒犠牲者の会原爆死没者追悼式」 |
14 | ヒロシマ遺文への投稿=「全日本損害保険労働組合」、「平和公園内被爆遺構の公開 2020年」、「被爆ピアノコンサート(平和公園)」、「秋葉忠利広島市長の平和宣言」、「広島損害保険史」 |
15 | コンビニで新聞購入。「黒い雨」訴訟広島高裁控訴審判決報道。 |
15 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国電気通信局原爆犠牲者慰霊碑」、「広島平和公園2018」、「日本損害保険協会広島地方協議会友愛碑」、「広島損害保険史」、 |
16 | バッハIOC会長、広島来訪。 |
16 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島戦災供養会」、「広島損害保険史」 |
17 | コンビニで新聞購入。バッハIOC会長の広島訪問関係記事。 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島損害保険史」、「堀川町原爆慰霊碑」、「平和へのストリートライブ(元安橋)」。 |
18 | 日本ジャーナリスト会議広島支部公開記念講演会:講師:宮崎園子「ヒロシマの現在地」。場所:合人社ウェンディひと・まちプラザ(中区、袋町小学校隣)北棟4階ギャラリー。参加者40人。 |
18 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和式典報道体制(広島テレビ)」、「元大正屋呉服店を保存する会」。 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「下関原爆被害者の会」、「新日本スポーツ連盟」. |
20 | ヒロシマ遺文への投稿=「全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合」、「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」、「広島県農業会原爆物故者慰霊碑」、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」、 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「隊跡馬碑(輜重兵第五連隊)」。 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島被爆者援護会」、「袋町小学校平和資料館」、「野外展示(2015年8月平和公園)」、「献花(2015年8月6日平和公園)」。 |
23 | 東京オリンピック開会式。~8月8日。 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島二中原爆慰霊碑保存会」、「被爆動員学徒死没者の慈母観音像」、「広島県宗教連盟被爆70年の声明」、「原爆死没者慰霊行事2015」 |
25 | ヒロシマ遺文への投稿=「舟入・市女同窓会」。 |
26 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市商同窓会」 |
26 | 新日本婦人の会呉支部「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間パネル展」。会場:呉市役所1階ロビー。26~29日。観覧できず。 |
27 | ヒロシマ遺文への投稿=「呉海軍墓地」。 |
29 | 広島大学へ出講。平和科目「平和と人間C」リモート。 |
30 | ヒロシマ遺文への投稿=「平岡敬前広島市長:私の平和論ーヒロシマから―20100121」、「平和の灯奉讃会」、 |
31 | ヒロシマ遺文への投稿=「悠仁親王」 |
【論!2010】
「被爆者」にこだわるべき 宇吹暁さん
2010年01月13日(朝日新聞)
原爆投下から65年となる被爆地・広島が果たすべき役割について、宇吹暁・広島女学院大教授=日本現代史=にインタビューした。戦後の平和運動やマスコミ報道の変遷を研究してきた宇吹さんは「広島は被爆者にこだわるべきだ」と説き、「まだまだやるべきことがある」と指摘する。(加戸靖史)
▽▽▽6日付掲載の対談記事で、平岡敬・元広島市長(82)が「広島に平和思想があるか」と疑問を呈しました。
平岡さんは被爆者の同世代人としてそう感じているのだろう。広島には多様な流れがあり、そのトータルが「思想」のはず。それがないと見えること自体に私は危惧を感じる。
▽▽▽昔は違ったと。
1950年代末から60年代にかけて、被爆者運動を支える理論づくりを担ったのは広島だった。残留放射能の問題を提起したのは庄野直美広島女学院大名誉教授。原水禁世界大会の宣言の起草も、広島の知識人が支えていた。
▽▽▽平岡さんは思想が生まれない理由について「論争」がない点を憂えています。
私が学生だった60年代後半は、原水禁世界大会が論争の場だった。強い主張を持つ被爆者や知識人も多かった。そうした人たちがいなくなっているのは確か。原水禁運動や被爆者運動自体に「匿名性」が強まっている。
▽▽▽60年代には原水禁運動内の対立が激化し、県被団協は64年に分裂しました。
日本被団協初代事務局長の藤居平一さん(故人)に分裂批判について直接聞いたことがある。「当たり前よ。最初から分裂しとった。多くの被爆者がいたから。そこに政党が横やりを入れてきた」と。被爆者が当初は一致団結していたかのような幻想をマスコミが振りまき、「分裂」が既成事実化した。さらに「分裂」後は各勢力が被爆者援護を勝ち取る競争を始めた。運動の中心が政府に近い東京へ移り、被爆者がまつりあげられる傾向が出てきた。
▽▽▽その被爆者の高齢化も今や待ったなしです。
広島、長崎のキーワードはやはり「被爆者」であるべきだ。チェルノブイリ原発事故(86年)の時は、広島の被爆者援護の例がずいぶん必要とされた。そうした面で世界から期待されている。だから広島はもっとこだわらないと。
▽▽▽具体的には。
まず被爆者に関する資料収集。被爆者健康手帳の申請書類は貴重な資料だが、広島、長崎以外の地方では散逸の懸念が出ている。個人収蔵の資料もそう。詩人・栗原貞子資料は公的機関ではなく、広島女学院大に寄贈された。本来は平和記念資料館や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などがもっと積極的に収集機能を果たすべきでは。
▽▽▽平和記念資料館では、有識者による展示の見直しが話し合われています。
私自身が委員だが、現行の展示をどうするかという論議に終始してしまっている観がある。年間130万人強が入館する博物館は全国にもあまりない。広島市としてここから何を発信したいのか。もっとはっきりした方向性があっていいのではないか。
▽▽▽期待されているのはどんな役割でしょう。
資料館のホームページにある情報は原爆に関する一般論がほとんどだ。現代はインターネットで容易に情報収集できる。だから個々の被爆者に関する情報をいかに発信するかが大切になるはずだ。
平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には約26万人の名簿が納められている。広島で被爆した人が約15万人生存しているとみると、将来は40万人余りの名前が残ることになる。それだけの数の生と死を語るのならば、広島がやるべきことはまだいくらでもある。
▽▽▽マスコミはどんな役割を果たすべきですか。
政府や海外の動きにもっと鋭く反応し、裏を探る報道がほしい。01~06年に首相だった小泉純一郎氏の平和記念式でのあいさつは徐々に短くなり、最後は就任当初の2分の1ぐらいになったが、どのマスコミも指摘しなかった。毎年あれだけのスペースをさいて報道しながら、公表された事実を要約しているに過ぎないのではないか。マスコミは妙に物わかりがよくなってはいけない。
ヒロシマ・ナガサキ被爆の実相等に関するポスター展
会場:呉市役所1階ロビー |
撮影日:20190801 |
被爆建物壁面部材の展示会
(広島アンデルセンの北側側面の一部)
主催:広島大学原爆瓦発送之会(会長 嘉陽礼文)
期間:2019年7月22日~8月22日
会場:広島大学医学資料館
撮影:20190725 |