広島県高等学校原爆被爆教職員の会 設立年月日:19700729
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島県高等学校原爆被爆教職員の会 設立年月日:19700729
広島平和教育研究所 設立:1972年6月1日
設立宣言
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉
ヒロシマを忘却することは許されない。
それは、原爆の犠牲となった多くの人びとへの贖罪と鎮魂の意味からだけではない。全人類が無知と偏見、戦争の恐怖から免れ、平和のうちに生存し抜くことは、核時代を生きるわれわれの至上の課題であり、ヒロシマはその原点だからである。
人間の心に平和のとりでを築くことは、教育の力にまつところが大きく、ヒロシマは核時代の教育を問い直す原点である。教育を通して、ヒロシマを後の世代に継承し、人類共通のものにすることは、世界平和に貢献する人類史的責務である。
われわれは、このことを深く自覚し、平和教育に関する科学的究明を行なうとともに、広く世界の平和教育を推進することをめざして、ここに「広島平和教育研究所」を設立する。
機関誌:
全国平和教育シンポジューム開催概要
| 回 | 年月日 | 会場 | メモ |
| 1 | 19731013~14 | 広島女学院中学校 | <基調報告>石田明 、 <基調提案>藤井敏彦 |
| 2 | 19740601~02 | <基調報告>石田明、<記念講演>星野安三郎 | |
| 3 | 19750614~15 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、<記念講演>早乙女勝元 |
| 4 | 19760612~13 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
| 5 | 19770611~12 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
| 6 | |||
| 7 | 19790602~03 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
| 8 | 19800920~21 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>藤原彰 |
| 9 | 19810620~21 | 広島市 | <挨拶>森田俊男、<基調報告>石田明、<記念講演>沼田稲治郎 |
| 10 | 19820918~19 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>栗野鳳 |
| 11 | 19830618~19 | <基調報告>空辰男、<記念講演>太田堯 | |
| 12 | |||
| 13 | |||
| 14 | |||
| 15 | |||
| 16 | |||
| 17 | |||
| 18 | |||
| 19 | |||
| 20 | |||
| 21 | |||
| 22 | |||
| 23 | 19950624~25 | 広島市立幟町中学校 | |
| 24 | 19960622~23 | 広島市立本川小学校 | |
| 25 | |||
| 26 | |||
| 27 | |||
| 28 | |||
| 29 | 20010623 | 広島女学院大学 | |
| 30 | 20020915-16 | 広島修道大学 | |
| 200309 |
『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )
目次
| 部章 | ||
| 1 | メディアの世界で | |
| 1- | 衰弱する言論 | |
| 1– | “書き屋”の弁 | |
| 吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明 | ||
| 1— | 唯一の一面コラム | |
| 天風録 | ||
| 1—- | 新聞界の苦悩 | |
| 1—– | 「為人民服務」はどこへ | |
| 2 | 朝鮮半島へのまなざし | |
| 2-1 | 韓国の被爆者たち | |
| 2-2 | 私の”朝鮮体験” | |
| 3 | 原爆・平和をめぐって | |
| 3- | 原水禁運動の混乱と後遺症 | |
| 分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動 | ||
| 一九六二年・平和理論の課題 | ||
| 被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』 | ||
| 今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち | ||
| 広島市の平和行政の展開 | ||
| 新しい生き方を | ||
| 痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社) | ||
| 被爆五十周年の広島 | ||
| 核兵器を禁止する国際法を | ||
| 世界各国で「原爆展」を | ||
| 二十一世紀におけるヒロシマの役割 | ||
| ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動 | ||
| 癒しの空間 効率主義に抗して | ||
| 調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動 | ||
| 日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を | ||
| 事前説明が不充分か?不満を訴える被害者 | ||
| 前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて | ||
| カザフの聞き取り調査に対する所感 | ||
| 生き抜く人々 | ||
| カザフの高麗人 | ||
| 広島と長崎の教訓を忘れるな | ||
| 私と原子力光と影を見つめて | ||
| 大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ | ||
| 「ヒロシマ再考」ノート | ||
| おわりに |
『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)
目次
| 章節=頁 | タイトル | |
| はしがき | ||
| Ⅰ | 広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 | 大江健三郎 |
| Ⅱ | 被爆体験の意味と平和運動 | |
| 028 | なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 | 柿木昇治 |
| 030 | 「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 | 荒木武 |
| 033 | 高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 | 秋葉忠利 |
| 035 | 何を誰にどう伝えるのか-そして何のために | 秋葉忠利 |
| Ⅲ | 被爆体験の人類史的意味 | |
| 060 | 「被爆の証人」として生きる | 高橋昭博 |
| 072 | あらたな意味をもつ被爆体験の継承 | 宇吹暁 |
| 079 | あたらしい被爆者像を求めて | 舟橋喜恵 |
| 092 | 被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉 | |
| Ⅳ | 広島のメッセージを実現するために | |
| 116 | 教育の現場で平和を考える | 片山美代子 |
| 127 | 仏教徒としての被爆体験と平和の願い | 光寺重信 |
| 144 | 核廃絶の可能性を求めて | 安江良介 |
| 153 | 心理学者と平和の問題 | ジョン・J・フューレディ |
| 158 | 「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉 | |
| 193 | 平和シンポジウム趣意書 | |
| 196 | 平和シンポジウム感想歌集から | |
| 198 | パネリスト紹介 | |
| 203 | 広島ターミナルホテルあいさつ | |
| 204 | 協力者一覧 | |
| 205 | フロアからの発言者プロフィル(発言順) | |
| 原田東岷 | ||
| 竹内千代 | ||
| 上神千波弥 | ||
| 江崎寿賀子 | ||
| 原伸幸 | ||
| 熊田信道 | ||
| 空フミコ | ||
| 中川幹朗 | ||
| 山本誠 | ||
| 延本充弘 | ||
| 井上敬喜 | ||
| ローレンス・ウィイグ | ||
| 永井秀明 | ||
| あとがき |
『 真珠と桜 「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(秋葉忠利、朝日新聞社、19860720)
目次
| 章(頁) | タイトル | メモ |
| はしがき | ||
| Ⅰ | 怒涛 | |
| 009 | アキバ・プロジェクト ローカル・ジャーナリストを広島へ | |
| (『ヒロシマ』森下弘)あなたの目で確かに見つめなさい | ||
| 039 | 平和の使徒 アメリカ人の原爆観 | |
| (アメリカ合衆国国家)赤いロケットの焔/空中に炸裂する爆弾/それは星条旗が翻っている証(しるし) | ||
| 058 | 卑劣な日本人 悪の原点=パール・ハーバー | |
| (能『葵上』)今の恨みはありし報い 瞋恚の炎は身を焦がす 思い知らずや 思ひ知れ | ||
| 079 | 一人ひとりの顔 記者たちの広島体験 | |
| (『法句経』友松円諦)われらはここ 市の領域に近し… このことわりを知る 人々にこそ かくしていさかひは止まん | ||
| Ⅱ | 源流 | |
| 097 | 鎖を断つ プロジェクト実現まで | |
| 118 | 他人の痛み 私の見た平和運動 | |
| 136 | 道端の焼夷弾 私の戦争体験 | |
| 156 | カラオケに耳を覆う 文化の壁は越えられるか | |
| 179 | プラウド・オブ・ユア・サン アメリカで父になる | |
| Ⅲ | 分水 | |
| 201 | ビッガー・ザン・ユー カウボーイ社会アメリカ | |
| 225 | 医者と患者の関係 エキスパートの支配 | |
| 243 | ワシントン・シンドローム 忘れられる過去 | |
| 265 | 死を歓迎する心 被爆者は『生ける屍』か | |
| 281 | 二重被爆者神話 アメリカ社会の無力感 | |
| 303 | 現実と想像力 平和への意志 | |
| 327 | あとがき |
『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
| 章 | ||
| プロローグ | ||
| Ⅰ | 生いたち | |
| 婦人運動の先駆者、母邦子 | ||
| 父のこと | ||
| キリスト教の家 | ||
| 寄宿舎生活 | ||
| タゴールとの出会い | ||
| 「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 | ||
| Ⅱ | 行動する心理学者として | |
| アメリカ留学 | ||
| 女子教育者として | ||
| 「友和会設立」 | ||
| 暗い時代へ | ||
| 「空襲・疎開・敗戦」 | ||
| Ⅲ | 平和を求めて | |
| 復興への息吹の中で | ||
| 呉市助役として | ||
| 戦後初の婦人議員に | ||
| 極東裁判の印象 | ||
| 新憲法発布 | ||
| 緑風会へ | ||
| 世界平和者会議ヘ | ||
| ローマ法王に戦犯の減刑請願 | ||
| 全インド婦人会議 | ||
| 全面講和か片面講和か | ||
| 売春防止法制定にむけて | ||
| “鉄のカーテン”をくぐる | ||
| モスクワへの道 | ||
| モスクワでのこと | ||
| モスクワ経済会議 | ||
| グロムイコ会見 | ||
| モスクワ見聞記 | ||
| シベリアのラーゲル訪問 | ||
| 日中第一次貿易協定を結ぶ | ||
| 新しい中国の内側 | ||
| スイスの赤十字へ | ||
| 高良とみ帰国歓迎会 | ||
| 日本婦人団体連合会結成 | ||
| 在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ | ||
| アジア・アフリカの婦人と共に | ||
| 「妻として母として」 -内側から見た高良とみ |
高良留美子 | |
| 解説 | 柘植恭子 | |
| 高良とみ年譜 | ||
橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
| まえがき | ||
| 秀夫と連れそって | 橋本ノブエ | |
| 橋本秀夫氏の資料について | 菊楽忍 | |
| 第1部 論文集 | ||
| 広島城 | ||
| 廻り番付と広島城 広島城城割に就て 「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓 広島城再建「基礎と瓦」 広島城と石垣 広島城と石垣(郡山) 石塁工事普請符牒(石垣文様)について 広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵) 多家神社宝蔵と廻り番付について 広島城の生活用水と樋門 広島城修築と天災考 |
||
| レンガ建築 | ||
| 広島の近代文化遺産 煉化石あらかると ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると 広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究 古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う 明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて 広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究 広島市郷土資料館見学記 旧広島陸軍糧秣支廠 上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺 宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫) 蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化 広島の明治建築 夢を贈る中世のお城 亀山発電所 広島電気軌道(株) 広島県物産陳列館 臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
||
| 郷土史と文化財 | ||
| 六号潜水艇と人間佐久間 旧広島水上警察署 旧広島地方気象台 蘇った日本外史 拓本が語る厳島神社五重塔 広島の近代文化遺産 後楽のこころ 広島の秘境 湯之山明神旧湯治場 悟をひらいた苔 もう一つの八岐の大蛇 鑪と吉水園 広島 加計町のバロック『吉水亭』 呉市に咲いた花「蔵本通り」 新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て 不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
||
| 第2部 砲台巡り | ||
| 著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 | 佐藤重夫 | |
| まえがき 広島湾要塞の築城 第1章 室浜砲台 第2章 鷹の巣砲台 第3章 大那沙美砲台 第4章 岸根砲台 第5章 鶴原砲台 第6章 三高山砲台 第7章 大君砲台 第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台) 第9章 休石砲台 第10章 高鳥砲台 第11章 大久野島堡塁砲台 第12章 忠海芸備砲兵大隊 第13章 大空山砲台 第14章 小島砲台 砲台建築仕法通則 沿革年表 |
||
| コラム | ||
| 特集 彫刻と建築 街の表札 黄金の汗に輝く 広島大会 広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』 旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」 古釘のうた 日本のバロック建築 『世紀末のドイツ建築』小幡一著 学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子 心の叙勲 古釘のうた 小さな平和 古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
||
| 私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅 |
||
| 私の推薦する作品 ・筆の里工房 ・株式会社日食広島支店 ・三良坂リバティーホール ・広島市安芸区スポーツセンター |
||
| 旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 | ||
| 番付と人生観 | ||
| 街路地と陽光 | ||
| 心の故郷 懐かしい学窓 | ||
| 長官山に咲いた金唐紙 | ||
| お庭を喰った美術館 | ||
| あとがき | ||
| 橋本さんへの手紙 | 松林俊 一 | |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )
目次
| ◆『八月六日』 | 峠三吉 | |
| ◆『あの時…』 | 小林岩吉 | |
| ◆『水ヲ下サイ』 | 原民喜 | |
| ◆建立除幕によせて | ||
| ごあいさつ | 石田明 | |
| ごあいさつ | 河野浩樹 | |
| ごあいさつ | 荒木武 | |
| 若者の願いはばたけ | 森下弘 | |
| ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 | 森滝市郎 | |
| 原爆瓦が語るもの | 佐久間澄 | |
| 君たちは知ったのです | 宮崎安男 | |
| ヒロシマの碑建立に思う | 藤本幸作 | |
| 『高校生の平和アピール』の意味するもの | 松崎徹 | |
| 高校生の平和アピール・行動提起 | ||
| 原爆瓦の叫び今こそ | 大亀信行 | |
| 小さなともしびから大きな炎へ | 吉川徹忍 | |
| 青春のエネルギーに囲まれて | 土肥穣治 | |
| ◆ちかいのことば | ||
| 小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) | 斉藤力 | |
| 中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) | 林文子 | |
| 若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) | 山口小百合 | |
| ◆碑・制作を終えて | ||
| 『ヒロシマの碑』の思想 | 横山英 | |
| モニュマンの空高く | 芥川永 | |
| 平和を願う心の目を | 吉田正浪 | |
| 『ヒロシマの碑』に思う | 林重男 | |
| 私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して | 深川宗俊 | |
| 『原爆瓦』を追う映画を | 田辺昭太郎 | |
| ◆建設のあしどり | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあしどり(事務局日誌) | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 | ||
| ◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで | ||
| 平和学習のシンボルとして | 沢野重男 | |
| 全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 | ||
| ◆ヒロシマの碑プロフィール | ||
| ◆募金に添えて送られてきた全国からの便り | ||
| ◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 | ||
| ◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 | 深川宗俊 | |
| ◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 | 丸山亜季 | |
| ◆附属資料 | ||
| 1 | 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英) | |
| 2 | 除幕式関係・各社報道記事(紙面) | |
| 3 | ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり | |
| 4 | 広島市長『平和宣言』 | |
| 5 | 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 | |
| 6 | 平和の歌 歌曲集 | |
2020年1月(日録)
| 日 | 事項 |
| 01 | コンビニで4紙購入。 |
| 03 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆遺跡一覧(広島市内)」 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市庁舎被爆石等譲与(1985年~)」、「被爆建造物を考える会」、 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆建物等継承方策検討委員会」、「被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(目次)」、 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫」、「広島大学霞キャンパス開発史」、「広島県産業奨励館(原爆ドーム)」、「フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅」 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「記された「兵器補給廠と原爆被災」」、「広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」」、「広島平和記念都市建設法と平和への歩み(宇吹)」。 |
| 09 | 大晦日のBS1の録画を視聴。「巨大戦艦・大和~乗組員が見つめた生と死」・「戦艦武蔵の最後」。いずれも再放送。 |
| 09 | 人物(WHO)関係の新聞切り抜きの整理。 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和記念公園レストハウス」 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市戦災復興事業誌(目次)」、「原爆ドーム保存運動」、「原爆ドーム保存工事記念碑」、「平和記念施設あり方懇談会(レジメ)」、「広島陸軍被服支廠」、 |
| 12 | Twitterデビュー=ツイッターのアカウントを設定。 |
| 13 | ヒロシマ遺文への投稿=「日本銀行広島支店」、「帝国銀行広島支店」。 |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「楠忠之オーラル・ヒストリー 目次」。投稿「原爆遺跡保存運動懇談会(略年表)」の補訂作業。 |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国軍管区司令部防空作戦室」、「本川国民学校校舎」、「袋町国民学校」、 |
| 15 | 呉市内の市立図書館が明日から2月6日まで休館との情報あり。地元の昭和図書館で5冊借り出す。 |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会(会員)」 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)」、「いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言(目次)」、「元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過」、「広島大学跡地保存利用についての国・県・市の動向」 |
| 18 | 13:00~16:30呉市観光ボランティアガイド養成講座。講義=ボランティアに役立つこにゅにケーション(笑顔とあいさつ)講師:クリエイトコミュニケーション代表。観光ボランティア体験談(呉観光ボランティアの会=会員数62名。28年度年間案内件数2359件)など。 |
| 19 | 13:00~16:30 呉市観光ボランティアガイド養成講座。現地実習(この世界の片隅にロケ地等) |
| 19 | 『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
| 19 | 『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
| 20 | ヒロシマ遺文への投稿=「日本文化人会議」、「雑誌『平和』」、「内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ」、「広島市平和式典における吉田茂式辞(代読)」、「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」 |
| 21 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」、「広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ」、「広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶」、「広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶」。 |
| 22 | 広島市公文書館『広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って―関係者による座談会』(19870806刊)読了。 |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂」、「こうの史代」 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念資料館メールマガジン」。 |
| 25 | 平和教育関係の資料整理。 |
| 26 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )」、「核禁会議30年史」 |
| 27 | 一日、激しい風雨。自宅2階の倉庫押し入れに押し込んでいた資料の整理。一番量の多い漫画は南側の部屋に移動。 |
| 27 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討。原水禁運動関係の充実を目指す。ヒロシマ遺文への投稿=「核禁会議二十年史」、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」 |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(1977~84年)」、「原水爆禁止日本協議会」 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「「原水禁」論議の問題点(内閣官房内閣調査室)」、「天皇陛下と広島」 |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年1月(日録)」、「原爆瓦は語りつづける」、「建築家橋本秀夫遺稿集」 |
| 31 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの階層を大幅に変更。第1層目を10件とする。 |
| 31 | ヒロシマ遺文への投稿=「父は沖縄で死んだ」、「高良とみ自伝」。 |
『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)
目次
| 御真影 | |
| 大御歌(御製碑) | |
| グラビア | |
| 戦後広島県巡幸(昭和22年) | |
| 植樹祭(昭和46年) | |
| 産業御視察(昭和26年) | |
| 天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京) | |
| 出版に寄せて | 山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭) |
| 序文 | 天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会 |
| 第1章 | ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生 |
| 偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず 鎮魂の旅 | |
| 第2章 | 戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日) |
| 広島県巡幸概観 | |
| 巡幸に込められた陛下の御決意 広島県巡幸への県民の願い 行幸を心待ちにする県民の声 | |
| 大竹市・宮島町 | |
| 国立大竹病院 三菱化成大竹工場 宮島桟橋 宮島で御静養 | |
| 広島市 | |
| 廿日市 広島戦災児育成所 広島県水産試験場 爆心地御通過 広島市民奉迎場 授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校 県立広島第一中学校 広島市役所 広島県庁 広島駅 | |
| 呉市 | |
| 呉駅 呉市役所 呉市民奉迎場 | |
| 三原市 | |
| 浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場 三菱重工三原車両製作所 | |
| 尾道市・向島町 | |
| 戦災引揚者応急住宅 向島西村津部田 尾道水道 尾道市役所 | |
| 福山市・神辺町 | |
| 千田村 神辺小学校 福山市救護院、母子寮 福山城址公園 | |
| 第3章 | 天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声- |
| 山崎芳樹 | |
| 増岡博之 | |
| 川村智治郎「陛下と私」 | |
| 中川秀直 | |
| 粟屋敏信 | |
| 児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」 | |
| 佐々木有 | |
| 奥原次郎 | |
| 石田成夫 | |
| 松浦多聞 | |
| 内海巌 | |
| 桜井正弥 | |
| 赤木蒸治 | |
| 佐竹利彦 | |
| 松下一男 | |
| 森安忠 | |
| 戸田一郎 | |
| 西村敏藏 | |
| 中島一史 | |
| 谷口寿太郎(元五日市町長) | |
| 加賀美正孝 | |
| 桜井創造(広島特定郵便局長会理事) | |
| 山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長) | |
| 織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長) | |
| 献歌 | |
| 奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文 | |
| あとがき | |
原水爆禁止日本協議会 設立:1955年9月19日
資料
| 日本原水協通信 | ||
| 19580201 | No.5()~ | 宇吹蔵=目次のコピー |
| 19581005 | No.15() | 宇吹蔵=目次のコピー |
| 原水協通信 | ||
| 19590605 | No.2 | |
| 19590715 | No.6()通巻83 | |
| 19590905 | No.7()通巻84 | |
| 19590995 | No.8()通巻85 | |
| 19590995 | No.9()通巻86 | |
| 19591005 | No.10()通巻87 | |
| 19591015 | No.11()通巻88 | |
| 19610825 | No.19()通巻141 | |
| 19610825 | No.15()通巻164 | |
| 19620715 | No.16()通巻165 | |
| 19630315 | No.5()通巻177 | |
| 19630515 | No.9()通巻181 | |
| 19630815 | No.15()通巻187 | |
| 19630901 | No.16()通巻188 | |
| 19640115 | No.2()通巻197 | |
| 19680701 | No.11()通巻197 | |
| 19751101 | 別冊 | 特集:第21回原水爆禁止世界大会国際予備会議・特別報告 |
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)
結成大会:1965年2月1日
『原水爆禁止世界大会広島長崎大会報告決定集NO.1、NO.2』(19640825)
『原水禁ニュース』(19650301)~
『被爆20周年原水爆禁止世界大会報告決定集』(19650920)~
宇吹所蔵資料 『被爆**周年原水爆禁止世界大会報告決定集』
| 発行年月日 | 被爆**周年 | 備考 |
| 19740901 | 29 | B5判 106頁 |
| 19820831 | 37 | A5判 137頁 |
| 19830831 | 38 | |
| 1988 | 43 | |
| 1989 | 44 | |
| 1990 | 45 | |
| 1991 | 46 | |
| 1992 | 47 | |
| 1993 | 48 | |
| 1994 | 49 | |
| 1995 | 50 | |
| 1997 | 52 | |
| 1998 | 53 | |
| 1999 | 54 | |
『核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19820615)
目次
| 章節 | タイトル |
| 題字(磯村英一) | |
| 発刊のことば-核禁会議は躍進する(磯村英一) | |
| 1 | 核禁会議の誕生 |
| 1-1 | 結成までのいきさつ |
| 1-2 | 内外注視の中の結成大会 |
| <資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針 | |
| 2 | 核兵器廃絶をめざして |
| 2-1 | 核実験阻止の抗議行動 |
| 2-2 | 部分核停協定などの促進 |
| 2-3 | 核兵器禁止国民大会の開催 |
| 2-4 | 核禁運動の大同団結の呼びかけ |
| 2-5 | シンポジウムと地方核禁討論集会 |
| 2-6 | 行進・キャラバンなど世論喚起 |
| 2-7 | 非核3原則の堅持を訴える |
| 3 | 国際世論に訴えて |
| 3-1 | 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣 |
| 3-2 | 第1回アジア核禁会議の開催 |
| アジア核禁会議開催委員氏名 | |
| アジア核禁会議実行委員氏名 | |
| 3-3 | 国連軍縮特別総会に向けて |
| 3-4 | 東京サミットに核廃絶を申入れ |
| 3-5 | 釜山で「韓国・原爆資料展」開催 |
| 4 | 被爆者に愛の手を |
| 4-1 | 被爆者救援カンパ活動の展開 |
| 4-2 | 被爆者の健康管理に役立つ医療器具の贈呈 |
| 4-3 | 韓国被爆者の救援と診療センターの建設 |
| 4-4 | 被爆者援護法の制定実現に努力 |
| <資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」 | |
| 5 | 平和への願い |
| 5-1 | 「平和の灯(ともしび)」の建設 |
| 5-2 | 「平和の泉」の建設 |
| 5-3 | 「平和の森」の建設 |
| 5-4 | “万羽鶴”に願いをこめて |
| 5-5 | 「人間環境宣言」で要望 |
| 5-6 | 被爆20周年・核禁会議の決意 |
| 5-7 | 原子力の平和利用をめざして |
| 5-8 | 核軍縮国際センターの設立へ |
| 6 | 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢座 |
| 座談会 | 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹) |
| 資料集 | 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約 |
| 被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額 | |
| 年表 | |
| あとがき |
『核兵器廃絶と恒久平和を求めて-核禁会議30年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19940101)
目次
| 章節 | タイトル | 備考 |
| 題字 | 磯村英一書 91歳 | |
| 発刊のことば-21世紀に向って強く前進 | 磯村英一 | |
| 30年史の発刊に寄せて | ||
| 1 | 核禁会議の誕生 | |
| 1-1 | 結成までのいきさつ | |
| 1-2 | 内外注視の中の結成大会 | |
| <資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針 | ||
| 2 | 核兵器廃絶をめざして | |
| 2-1 | 核実験阻止の抗議行動 | |
| 2-2 | 部分核停協定などの促進 | |
| 2-3 | 核兵器禁止国民大会の開催 | |
| 2-4 | 核禁運動の大同団結の呼びかけ | |
| 2-5 | シンポジウムと地方核禁討論集会 | |
| 2-6 | 行進・キャラバンなど世論喚起 | |
| 2-7 | 非核3原則の堅持を訴える | |
| 3 | 国際世論に訴えて | |
| 3-1 | 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣 | |
| 3-2 | 第1回アジア核禁会議の開催 | |
| 3-3 | 国連軍縮特別総会に向けて | |
| 3-4 | サミットに核廃絶を申入れ | |
| 3-5 | 釜山で「韓国・原爆資料展」開催 | |
| 4 | 被爆者に愛の手を | |
| 4-1 | 被爆者救援カンパ活動の展開 | |
| 4-2 | 被爆者の健康管理の促進と医療器具の贈呈 | |
| 4-3 | 韓国被爆者の救援と診療センターの建設 | |
| 4-4 | 被爆者援護法の制定実現に努力 | |
| <資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」 | ||
| 5 | 平和への願い | |
| 5-1 | 「平和の灯(ともしび)」の建設 | |
| 5-2 | 「平和の泉」の建設 | |
| 5-3 | 「平和の森」の建設 | |
| 5-4 | “万羽鶴”に願いをこめて | |
| 5-5 | 「人間環境宣言」で要望 | |
| 5-6 | 「ノーモア広島・長崎」への決意 | |
| 5-7 | 原子力の平和利用をめざして | |
| 5-8 | 核軍縮国際センターの設立を提唱 | |
| 6 | 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢 | |
| 座談会 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹) | ||
| 資料集 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約 | ||
| 被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額 | ||
| 年表 | ||
| あとがき |
広島平和記念資料館メールマガジン
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1266726516184/index.html
多くの人々に広島平和記念資料館に関心を持ってもらうため、資料館に関する最新情報(コラム、資料館トピックス、企画記事、図書紹介等)を配信
●配信日 毎月1日
●配信形式 テキスト形式
●発行者 広島平和記念資料館啓発担当
| 号 | 発行年 月日 |
記事 | 著者等 |
| 2003 | |||
| 創刊準備 | 0718 | メールマガジンの創刊にあたって | 畑口實(広島平和記念資料館長) |
| 「コラムは、広島平和記念資料館の運営をしている( 財 )広島平和文化センター齊藤忠臣理事長を中心に、私を含めた資料館のスタッフが執筆していきます。このコラムでは、ヒロシマにまつわるいろいろな話題や資料館に来られた方とのエピソード等を読みやすい文章でお伝えする予定です。ご期待ください。」 | |||
| 創刊 | 0801 | コラム ヒロシマの風 |
斎藤忠臣 |
| 資料館 ニュース |
平成15年度第一回企画展「原子爆弾ナリト認ム」―原爆投下後に行われた被爆調査の軌跡を追う― の概要をご覧いただけます。 | ||
| 2 | 0901 | コラム ヒロシマの風 |
斎藤忠臣 |
| 3 | 1001 | コラム ヒロシマの風 |
畑口實 |
| 4 | 1101 | コラム ヒロシマの風 |
斎藤忠臣 |
| 5 | 1201 | コラム ヒロシマの風 |
斎藤忠臣 |
| 6 | 1226 | コラム ヒロシマの風 |
畑口實 |
| 対話ノートから | |||
| 「対話ノートは、1970年10月17日から、当館西館北側ロビー出口付近に設置しており、館内展示を観覧された方々に、 記名匿名にかかわらず、自由に感想を書いていただいてい ます。来館者同志、あるいは来館者と資料館職員との対話 のためのノートです。 対話ノートの冊数は、今年12月26日現在で879冊。今月は 対話ノートに残された海外から来館された方の感想をごく 一部ですが、紹介いたします。」 |
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| 2004 | |||
| 7 | 0130 | コラム ヒロシマの風 |
広島平和記念資料館 副館長(啓発担当)山本靖彦 |
| 「昨年10月、市民の方から「啓発という言葉は不遜ではな いか」という趣旨の投書をいただいた。私どもの職場の名 称である『啓発』という言葉には、「役人が市民を教育す るというようなニュアンスが感じられる。この役所的なネ ーミングを変えるつもりはないか。」 これに対し、私ども啓発担当として、「『啓発』という言 葉には、“知識をひらきおこし理解を深めること(広辞苑 新村出編第四版)”という意味があり、『啓発担当』のネ ーミングは、原爆による広島の被害状況や平和への取り組 みについて普及し、理解を深めたいとの思いから付けられ たものであり、(中略)教育しよう、ということでこの名前 になったものではない」と、その市民の方には回答申し上 げた。もちろん、今後、組織改正の際などに検討していき たい旨の一文も添えた。」 |
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| 資料館 ニュース |
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| ヒロシマを知る講座(第二回) 「復興資料を読み解く」講師 松林俊一(広島市文化財団文化財課普及担当課長) |
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| 8 | 0301 | コラム ヒロシマの風 |
広島平和記念資料館 副館長(学芸担当) 高野和彦 |
| 9 | 0401 | コラム ヒロシマの風 |
齊藤忠臣 |
| 広島市内の学校における平和への取組み(1) 平和学習のため、全国から多くの学校が、広島、長崎そして沖縄などの地を修学旅行で訪れます。 もちろん、広島においても、多くの学校が被爆体験を正しく伝え、平和について考え、平和を創造していくための様々な取り組みや活動を行っています。 千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの母校・広島市立幟町中学校では、かつて「原爆の子の像」建立の原動力となる行動を起こしました。平成12年には校内に「折り鶴の碑」を設立。平成13年には、サダコの物語を漫画化した「わたしからのメッ セージ」を刊行。現在も「平和委員会」を中心に「原爆の子の像」碑前祭、県内外の学校との平和交流など、平和に関する様々な行事を行っています。(詳しくは↓の学校のホームページをご覧ください) http://www.noborichou-j.edu.city.hiroshima.jp/これからも、随時、特徴的な具体例を取り上げて紹介したいと考えています。みなさんの学校での平和学習や平和への取組みの参考になれば幸いです。 |
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| 読んでみたい―この一冊 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日新聞社(朝日文庫) 本体640円 ISBN-02-261353-X C0121 「第二次世界大戦末期、京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本の文化・芸術をこよなく愛し、それを戦禍から守ろうと政府に働きかけた米国人学者の努力のお蔭である」 こんな逸話に聞き覚えがありませんか? この本の著者は、この「伝説」の拠り所になった事柄を精緻に考察し、伝説が創られた過程を検証しています。つまり、戦争中、京都の文化財保護のために尽力したといわれるウォーナー博士の「伝説」は、終戦直後の情報不足からくる噂話を利用して、GHQ民間情報教育局(CIE)が作り上げた ものではないだろうかと。そして、京都が空襲を免れたのは、「原爆投下候補地に指定されていた」ためであるといいます。 未知の兵器である原爆の威力を正確に測定するため、原爆の投下目標になった都市(広島・新潟など)は『爆撃禁止都市』に指定されていました。8月15日の終戦がなければ、京都に3発目の原爆が投下されていた可能性もあったのです。 著者が示した原爆と京都の関係は、あまり声高に語られてきませんでした。未だに古都の景観保存運動では、「米国人が残してくれた町並みを日本人が壊すのか」という話をよく聞きます。この本を読みながら、あなたも「伝説」の謎解きに参加してみませんか。 |
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| 12 | 0701 | コラム ヒロシマの風 |
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 館長 前田耕一郎 |
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| 臨時 | 0430 | 広島平和記念資料館メールマガジンの休刊について | 当館では、資料館東館・本館のリニューアルオープン(平成30年夏予定)に合わせて、メールマガジンを一新するよう検討しています。 このため、しばらくの間、メールマガジンを休刊しますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。 生まれ変わるメールマガジンを、どうぞご期待ください。 |
『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄
| 章節 | |||
| 出版に寄せて | |||
| はじめに | |||
| 1 | 小さい頃と両親のこと | ||
| 2 | 小学校時代のこと | ||
| 3 | 青年団活動 | ||
| 4 | 大東亜戦争のこと | ||
| 4-12 | 原爆と終戦 | ||
| 5 | 音戸町体育協会のこと | ||
| 6 | 全力つくした町議会議員 | ||
| 6-1 | 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員> | ||
| 6-2 | 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力 | ||
| 6-3 | 町立保育所の設立を実現 | ||
| 6-4 | 音戸高等学校誘致に死力をつくす | ||
| 7 | 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意 | ||
| 7-1 | 労働運動に入るきっかけ | ||
| 7-2 | 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京 | ||
| 7-6 | 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅 | ||
| 7-7 | 中国労災病院呉誘致に一役買う | ||
| 7-9 | 呉造船独立と労働組合 | ||
| 7-10 | 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に | ||
| 7-12 | 労働組合長に就任 | ||
| 7-13 | 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施 | ||
| 7-16 | 組合特自の共済規定の実現 | ||
| 7-17 | 家族会の結成と家族相談室の設立 | ||
| 7-19 | 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現 | ||
| 7-20 | 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される | ||
| 7-22 | 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施 | ||
| 8 | 広島全労議長として活躍 | ||
| 8-1 | 造船総連、総同盟等の上部役員 | ||
| 8-2 | 広島全労議長に就任 | ||
| 8-3 | 県関係の各種委員に任命される | ||
| 8-4 | 日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として | ||
| 8-4-1 | 出発に郷里で見送り壮行会 | ||
| 8-4-2 | いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと | ||
| 8-4-3 | 労働組合が国旗と組合旗を尊重 | ||
| 8-4-4 | 徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内 | ||
| 8-4-5 | 組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる | ||
| 8-4-6 | 日系人のこと | ||
| 8-4-7 | 手土産と家庭訪問 | ||
| 8-4-8 | 余話 | ||
| 8-5 | 最賃法裁判で基準局賃金課長を激励 | ||
| 8-7-1 | |||
| 8-6 | 憲法調査会の公述人として意見陳述 | ||
| 8-7 | 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決 | ||
| 8-8 | 労済、労住、労福協の結成 | ||
| 8-8-1 | 植木仙次郎氏8-5の功績 | ||
| 8-8-2 | 広島県労働者共済生活協同組合の設立 | ||
| 8-8-3 | 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月 | ||
| 8-8-4 | 広島県労働者福祉対策協議会結成 | ||
| 8-8-5 | 結成周年記念式典の思い出 | ||
| 8-8-6 | 焼山政畝団地造成の思い出 | ||
| 8-8-7 | 音戸波多見竹田浜埋立団地に | ||
| 8-9 | 労働争議の斡旋、調停、指導 | ||
| 8-9-1 | 西美電気西光精機(現テンパール工業) | ||
| 8-9-2 | 府中町静養院の争議 | ||
| 8-9-3 | ニコニコバスの争議 | ||
| 8-9-4 | 日東製網の争議解決に努力 | ||
| 8-9-5 | 佐竹新労結成は暴力を排除して | ||
| 8-9-6 | 激しかった当時の労働争議 | ||
| 8-9-7 | 国鉄、電産のスト、労使に苦言 | ||
| 8-9-8 | 地労委としての私の基本的考えと携わった事件 | ||
| 8-9-9 | |||
| 8-9-10 | メーデー改善を訴える | ||
| 8-9-11 | 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる | ||
| 8-9-12 | 同盟会議結成の準備と全労議長退任 | ||
| 9 | 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績 | ||
| 10 | PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身 | ||
| 11 | 生涯民社党を貫く | ||
| 12 | 思い出深い選挙活動 | ||
| まえがき | |||
| 12-1 | 衆議院議員前田栄之助先生を支えて | ||
| 12-2 | 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退 | ||
| 12-3 | 永野巖雄先生とのかかわり | ||
| 12-4 | 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う | ||
| 12-5 | 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙 | ||
| 12-6 | 浜田光人先生、衆院選擁立について | ||
| 12-7 | 保野健治郎先生の選挙 | ||
| 12-7-1 | 呉市長選擁立に社公民三党の話合い | ||
| 12-7-2 | 二回目の市長選は未曽有の激戦 | ||
| 12-7-3 | 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける | ||
| 12-8 | 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選 | ||
| 12-9 | 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う | ||
| 12-10 | 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援 | ||
| 12-11 | 盟友玉野晃君と県会議員選挙 | ||
| 12-12 | 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾 | ||
| 12-13 | 次期県議候補に柳田稔氏を説得 | ||
| 12-14 | 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員 | ||
| 12-15 | 呉市議選につくした私の役割 | ||
| 12-15-1 | 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利 | ||
| 12-15-2 | 出崎文三氏をわが社社員で市議へ | ||
| 12-15-3 | 榊原伍市議との交友 | ||
| 12-15-4 | 横田勝信市議とのこと | ||
| 12-15-5 | 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う | ||
| 12-15-6 | 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議 | ||
| 12-15-7 | 成功しなかった市議選 | ||
| 12-16 | 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する | ||
| 12-17 | 音戸町長選(平成五年)を思う | ||
| 12-18 | 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任 | ||
| 12-19 | 民社党候補者探しは私の役目として努力 | ||
| 13 | 会社設立し理想に向って | ||
| 13-1 | IHIを中途退職して外で行動 | ||
| 13-2 | 株式会社くれせん設立 | ||
| 14 | 家庭、家族のこと | ||
| 15 | 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して | ||
| むすびに | |||
| 金本邦夫略年譜 |
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。
国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。
広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。
平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。
そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。
また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。
結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。
平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫
広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。
広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。
七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。
我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。
私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。
終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。
平成19年8月6日
内閣総理大臣 安倍晋三
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日ここに、被爆五十六周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。
今から五十六年前の今日、原子爆弾の投下により、幾多の尊い生命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃墟と化しました。現在では市民の皆様の並々ならぬ御努力により、国際平和文化都市として、ますますの発展を遂げておりますが、現在の平和と繁栄の礎に、原子爆弾の惨禍による尊い犠牲があることを決して忘れることはできません。
人類史上唯一の被爆国である我が国は、平和憲法を遵守し、非核三原則を堅持するとともに、原子爆弾による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を、国際社会に訴え続けてまいりました。
昨年十月の国連総会において、我が国は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効など、核軍縮・核不拡散のための具体的措置を盛り込んだ「核兵器の全面的廃絶への道程」と題する決議案を提出し、圧倒的多数の支持を得て採択されたところです。また、本年九月には、CTBT発効促進会議がニューヨークにおいて開催されます。我が国としては、これまでも様々な機会を通じてCTBT発効のための努力を行ってまいりましたが、この会議が成功するよう努力するとともに、更にこれを契機として、一層、積極的に各国への働きかけを行うなど、我が国は、今後とも国際社会の先頭に立ち、核軍縮・核不拡散の取組を押し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。
また、被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策の充実を図ってまいりました。今後とも、高齢化が進む被爆者の方々の実状を十分に酌み取りながら、援護施策の推進に誠心誠意努めてまいります。さらに、来年度開館する予定の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館につきましては、原子爆弾による死没者の方々の尊い犠牲を銘記するとともに、永遠の平和を祈念し、原子爆弾の惨禍を全世界に伝えるための施設となるよう努めてまいります。
ここ広島において、本日の式典に臨み、私は平和への思いを新たにし、原子爆弾による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、恒久平和の実現に全力で取り組んでいくことを御霊の前にお誓い申し上げます。
終わりに、亡くなられた方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の方々の今後の御多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念申し上げます。
平成十三年八月六日
内閣総理大臣 小泉 純一郎