「32 原水爆禁止運動」カテゴリーアーカイブ

ハーグ平和市民会議

 1899年にハーグで開催された平和会議の100周年を記念し、1999年5月12日~15日、オランダのハーグで開催。「国際反核法律家協会」・「核戦争防止国際医師会議」・「国際平和ビューロー」・「世界連邦運動」の4団体が、国際社会から戦争と軍備(とりわけ核兵器)をなくすための討論と運動を、世界に呼びかけた。

文献

 

年月日 書名 編著者
2000806 戦争のない世界の実現を-公正な世界秩序のための基本10原則 日本ハーグ平和アピール運動

 

年表

Y M D NEWS1
99 01 30 原水爆禁止日本協議会、全国理事会を東京都内で開催。-31日。1999年度の運動方針としてガイドライン関連法案反対運動を推進すること、5月にハーグで開催される国際平和市民会議に代表団を派遣するこなどを決定。
99 03 02 長崎市、オランダ・ハーグで5月に開かれるNGO(非政府組織)主導の国際市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」に幹部職員ら数人を代表として派遣する方針を明らかにする。
99 03 18 広島県原水禁、常任理事会を開催。5月にオランダのハーグで開催されるハーグ国際市民平和会議に7人の派遣団を送ることを決める。
99 04 27 ピースボート(本部:東京)、ハーグで開催される世界市民平和会議に北朝鮮の代表を招き、北東アジア非核化などについて討議する計画を明らかにする。
99 04 27 日本被団協・日本生協連などでつくる「つたえようヒロシマ・ナガサキ」、ハーグで開かれる世界市民平和会議に総勢79人の共同代表団を派遣することを明らかにする。広島県からは、両被団協の代表ら5人が参加。
99 05 06 中国新聞連載「築け非核市民ネット-印パ衝撃から1年-ハーグNGO平和会議を前に」(-8日、3回)
99 05 07 伊藤長崎市長、記者会見でハーグ市民平和会議に出席することを明らかにする。
99 05 09 「第9条の会ヒロシマ」の世話人・藤井順子、ハーグ平和会議に出席するため出発。
99 05 10 朝日新聞「ハーグ平和会議 期待と役割-県内から惨禍の4人に聞く」
99 05 10 広島からハーグ平和会議に出席する金子一士・坪井直・石川俊義の出発式、JR広島駅で実施。約30人が見送る。
99 05 10 秋葉広島市長、ハーグ平和会議に出席するため広島を出発。-16日。
99 05 11 長崎原爆松谷訴訟の原告・松谷英子、ハーグの市民平和会議に出席するため日本を出発。
99 05 11? 「核兵器廃絶を求める広島・長崎市民集会」実行委員会、「ハーグ平和アピール1999」で、NATO軍によるユーゴスラビア空爆の中止や今世紀中に国連軍縮特別総会を開き核兵器廃絶宣言をすることなど7項目を提言することを計画。
99 05 11? ハーグ市民平和会議で採択される提言「21世紀の平和と正義への課題(ハーグ・アジェンダ)」の草案が明らかになる。1.市民(団体)の重要性、2.軍備に頼らない人間の安全保障と人権の尊重、3.力の支配から法の支配への転換、など。
99 05 12 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、オランダのハーグ市国際会議場で開催。-15日。100か国から日本の400人を含む約8000人が参加。
99 05 12 日本被団協などの「つたえようヒロシマ・ナガサキ共同代表団」、オランダ・ハーグ市内で被爆者の証言集会を開催。約60人が入れる会議室は満員。
99 05 13 秋葉広島市長、「ハーグ平和アピール1999」の中の「軍縮と人間の安全保障」全体会で冒頭発言。核抑止論の打破を訴える。
99 05 13 秋葉広島市長・伊藤長崎市長、「ハーグ平和アピール1999」の「ジャパン・デー」で講演。被爆体験の継承を訴える。
99 05 13 ハーグ世界市民平和会議、広島・長崎の被爆者や世界の核実験被害者が被爆の実相を語る討論集会を開催。200人以上が参加。
99 05 14 世界平和連帯都市市長会議と「ピースメッセンジャー都市国際協会」、オランダ・ハーグで会合を開く。20都市の約90人が参加。秋葉広島市長、ネットワークの強化を呼びかける。
99 05 14 日本のNGOピースボートが「ハーグ平和アピール1999」で企画した東アジアの非核地帯化を目指す会合、予定していた北朝鮮のパネリストが欠席のまま開催。
99 05 14? 森下一徹・伊藤孝司・桐生広人・豊崎博光・本橋成一の5人、「ハーグ平和市民会議」の会場で世界の「ヒバクシャ」をテーマとした写真展を開催。
99 05 15 朝日新聞「時時刻刻:ハーグ市民会議-空爆・・・すくむ平和の理念」
99 05 15 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、核兵器禁止条約の交渉完結などを求める「21世紀の平和と正義に向けたハーグ・アジェンダ(提言)」を採択して閉幕。
99 05 16 朝日新聞社説「ハーグ会議-したたかに、しなやかに」
99 05 16 オランダ・ハーグからNATO本部のあるベルギー・ブリュッセルまで歩く「核廃絶2000ウオーク」、ハーグを出発。平和市民会議の出席者ら約500人が参加。出発集会で日本の被爆者4人が挨拶。
99 05 16 秋葉広島市長、ハーグでの世界市民平和会議から帰国し、記者会見。
99 05 17 伊藤長崎市長、ハーグの国際市民平和会議から帰国し、記者会見。
99 05 18 中国新聞連載「ハーグ発平和-検証世界NGO会議」(-19日、2回)
99 05 19 朝日新聞「主張・解説:ハーグ平和市民会議-NGO、収穫と課題と-国際舞台で軍縮けん引、日本の指導性に期待も」(山本敦子・深津弘・斎賀孝治)
99 05 19 朝日新聞「ハーグ市民会議-「戦争」被害手つなぎ発信-広島・長崎の被爆者-核実験場の犠牲者らと証言」
99 05 25 朝日新聞(広島版)「風・取材ノートから-ハーグ会議で知った「市民」の様々な主張」
99 05 25 大庭里美「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」代表、広島市役所で世界市民会議「ハーグアピール1999」の帰国報告。
99 05 28 長崎新聞連載「ハーグの報告-平和会議に参加して」(-6月4日、7回)
99 05 28 坪井直・金子一士ら、オランダ・ハーグで開かれた世界市民会議に参加した5人、広島市役所で共同の記者会見。
99 06 05 中国新聞「中国論壇:ハーグ精神とNATO空爆-国連軸に平和の世紀に」(神谷昌道)
99 06 08 中国新聞「中国新聞を読んで:ハーグ平和会議-「核」追跡継続を熱望」(三上瞻)
99 06 09 朝日新聞(広島版)連載「ハーグからヒロシマへ」(-11日、3回)
99 06 26 毎日新聞「ウイークエンド・リポート:NGOから世界へ発信-ハーグ平和アピール1999-100か国超、8000人が参加」
99 07 23 「被爆体験証言者交流の集い」、広島原爆資料館で開催。坪井直広島県被団協事務局長と石川俊義自治労連委員長がハーグ会議への出席報告。約20人が参加。
99 07 23 広島原爆資料館、講演会「ハーグ平和アピール1999に参加して」を同館で開催。講師:金子一士、坪井直。(「ひろしま市民と市政」)

8・6学生平和会議(1956年8月5~7日)

8・6学生平和会議

主催:広島大学学生自治会

1956年8月5~7日

第1日(5日)

午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館

広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。

開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)

実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)

「原爆許すまじ」全員合唱

平和問題シンポジューム

講演

長田新日本教育学会会長

佐久間澄広島大学教授

柳田謙十郎戦没学生記念会理事長

今中次麿広島大学教授

重藤文夫広島赤十字病院院長

討論

午後6時~

高校生代表者会議

映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞

レセプション 於紙屋町ガスビル

第2日(6日)

午前8時~ 広島市平和記念式典参列

午前10時~ 修道高等学校講堂

原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。

午後1時~

大学部会(於広島市平和記念館)

北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。

高校部会(修道高等学校)

四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。

代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院

午後6時~

被害者を囲む会(学生会館)

柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)

女子学生懇談会(東保健所ホール)

第3日(7日)

午前9時~午後4時 広島市中央公民館

総会

大会宣言

人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。

私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。

第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。

しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。

この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。

平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。

本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。

輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。

一九五六年八月六日 広島にて

 

決議

1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。

2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。

3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。

4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。

5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。

6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。

7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。

8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。

長崎大会代表選出

 

 

原水爆禁止世界大会広島準備会の構成 (1955年6月)

原水爆禁止世界大会広島準備会の構成 1955年6月

2024-03-05-10-21-08-01a
2024-03-05-10-21-08-01b
会長 浜井信三(前広島市長)
副会長 松本鶴子(県婦協委員長)、
檜高憲三(県PTA連会長)、
大原亨(県労会議議長)
事務局長 森瀧市郎(原水協広島協議会)
事務局次長 川北浄(広島県教組)、
桑原英照(世界連邦広島県協議会)
財政委員長 坂田修一(前広島市助役)
財政副委員長 藤居平一(広島市民生委員連盟理事)
常任委員 伊藤満(平和と学問を守る大学人の会)、
温品道義(原爆被害者の会)、
江戸千代士(広島地区労議長)、
栗栖光代(広島市連合未亡人会)
本間大英(国鉄労組)、
丸古清(人類愛善会)、
竹岡静夫(県労会議事務局長)、
末長豊子(県婦連事務局主事)、
佐久間澄(世界平和集会)、
松江澄(平和擁護委員会)、
奈良常五郎(広島YMCA)、
四竈一郎(鷹橋キリスト教会)、
村上操(婦人民主クラブ)、
瀧谷寛一(県PTA連合会)、
迫千代子(婦人新聞)、
小谷鶴次(広大国際問題研究会)、
田辺正治(県労会議副議長)、
田辺耕一郎(広島文学協会)、
外、県民労、県青連、学生等各団体代表
日本準備会常任 森瀧市郎、川北浄、桑原英照、田辺耕一郎、本間大英
及び財政委員会代表1名

出典:『原水爆禁止世界大会広島ニュース』第1号(1955年6月15日)