「02 慰霊・追悼」カテゴリーアーカイブ

原爆死没者名簿

原爆死没者名簿

広島市調査課は、1951年(昭和26年)5月、原爆死没者調査を実施した。再三のGHQへの陳情の結果実現したもので、7回忌(51年8月6日)を期して慰霊堂に合祀するための全死没者名簿作成を目的とするものであった。

調査は、「広島に投下された原子爆弾により直接に、又は原爆の影響を直接の原因として死没された方全部」を対象としており、調査の内容としては、「1.死没者の氏名、2.性別、3.死没時の年齢、4.死没者の当時の住所、5.死没者の当時の職業(勤務先)、6.死没年月日、7.直接の原因、8.死没の場所、9.被爆時にいた場所」の9項目があげられていた。

その方法は、関連者からの申告によるものとし、「広島市内及び広島県下については特別に徹底を期して、調査票も市内は全世帯に配布、県下も多量配布し、個人票以外に事業体、学校、団体、病院、寺院等には連記制調査票も配布」した。また、県外については、「各県の地方課から各市町村役場の関係課係を通じて連絡員(部落の世話人)、前国勢調査員、学校の生徒達の御協力により、或は告知板の利用等により申告者に調査票を入手させ、記入して貰う」こととした(広島市役所「広島市原爆による死没者調査についての趣意書」)。

慰霊堂の建設は、51年の式典には間に合わなかった。しかし、式典前日までに確認された氏名は、いろは別にカーボン紙に記載され、式典会場の戦災供養塔に供えられた(広島市『市勢要覧昭和26年版』、「中国新聞」54年8月6日)。

1952年7月上旬、広島市は、市内の能筆家20人に委嘱して過去帳への記載を始めた。5万7,902人の原爆犠牲者の名前を謹記した15冊の「広島市原爆死没者名簿」は、8月6日の式典で、浜井広島市長の手によって原爆死没者慰霊碑の中に設けられた奉納箱に納められた。広島市調査課は、この名簿の写しを、式典当日、原爆死没者慰霊碑と戦災供養塔前で公開し、記帳洩れの届出の受け付けを行なった。

1953年の式典では、この日以降新たに確認された391人の追加者の名簿が奉納され、以後、追加名簿の奉納が式典の慣例となった。

広島市は、1951年の調査に先だって、死没者の総数を20数万人と想定していた(「中国新聞」51年4月14日)。この根拠は、被爆当時の広島市内の人口を42万人(市内在住者約25万人、軍関係者約8万人、市外からの来広者約9万人)と推定、それから、50年に国勢調査付帯調査で明らかになった生存者数15万7,575人を差し引くという大雑把なものであった。ところが、51年の調査の結果は、6万人にも達せず、広島市調査課長は、53年7月に、死没者数は十数万が妥当との見解を発表した(「中国新聞」53年7月22日)。

原爆死没者名簿作成当時、この中への記帳者は、原爆被爆時またはその直後に死亡したもののみが対象との理解があった。翌1954年の式典での追加記入は212人に過ぎず、こうした結果を踏まえて、今後の追加者を加えても、名簿記帳者数は、6万人程度にとどまるのではないかとの見解が報じられている(「中国新聞」54年8月6日)。しかし、その後、被爆後数年経過した時点での死没者も記帳対象と考えられるようになった。57年には22人、58年には34人、59年には38人(原爆病院で死亡した人)が、過去1年間の死没者として名簿に追加されている。
表は、現在までの追加数と名簿奉納総数を年別にみたものである。名簿への記帳は、遺族からだけでなく、関係団体からの申し出によってもなされた。1955年と56年には、県婦協の調査により確認された死亡者が追加され、記帳者数が増加した。69年の9,211人という増加は、市長が、被爆者健康手帳所持者で届出の無い死亡者6,844人を職権で記載したためである。また、この年には、原爆供養塔の無縁仏のうち氏名判明分1,071柱の名前が、広島戦災供養会の申し出により記入された。

追加奉納された犠牲者のうち、過去1年間の死亡者の人数は、67年までは、100人未満、68年は121人であった。しかし、広島市が、市内の死亡者の中から被爆者を調査して追加奉納を行なうようになった69年以降は、1、000人を超えるようになった。

広島市は、市外の死亡者については、自動的に名簿に記載するという措置を取ることができないでいた。原爆医療法(1957年3月31日公布、正式名称:原子爆弾被爆者の医療等に関する法律)、原爆特別措置法(68年5月20日公布、正式名称:原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律)にもとづく行政事務は、広島・長崎両市を除き都道府県が担当しているからである。77年の場合、7月13日現在で名簿追加記帳予定者数は、1,664人(最終的には2,282人)であったが、そのうち、広島市の措置による数は、1,489人であり、遺族と名簿記入運動を進めている広島県原爆被害者団体協議会の届出分は、175人に過ぎない。

この年、広島市を除く広島県内の被爆者健康手帳1,141人分が、所持者の死亡により県に返還されていた。しかし、広島県が、記帳の申し出は遺族の自主判断に任せるという方針を採っていたため、県から市へ記帳対象者として連絡されることはなかった(「読売新聞」1977年7月22日)。

このような死亡時の居住地による名簿記帳手続き上の差異を無くするため、広島市は、80年、全国の原爆被爆者対策担当窓口に死没者名簿登載申請書を送った。また翌81年には、長崎市と連名で、知事、政令市市長などを通じて、全国の遺族に犠牲者の名簿記載を呼びかけ、さらに82年には各地の被爆者団体にも働きかけを行なった。

年々の追加奉納数は、表のように1972年と83年を画期として、それぞれ2,000人、4,000人を超えるようになっており、85年と90年には顕著な増加を示した。85年の急増は、前年、被爆者関係のデ-タ処理をそれまでの片仮名処理から漢字処理に変更した広島県が、被爆者健康手帳が交付されるようになった57年以降の死亡による手帳返還者2万865人の名前を広島市に提供したことによる。また、90年の急増は、85年に厚生省が実施した死没者調査で新たに判明した5,551人の犠牲者名が加えられたためである。

原爆死没者名簿の奉納は、一貫して市長の役割であった(ただし、1960年のみ県知事と共同で行なった)。その補助者を、69年までは市の職員が務めていたが、翌年からは遺族代表が務めるようになった。70年の補助者に選ばれたのは、この年に新たに名簿に追加された2人の死没者の遺族であった。その後、補助者は、2人(男女)が通例となった。ただ、追加者数の多かった85年と90年には3人が務めている。

原爆死没者名簿(仏式で「過去帳」とも呼ばれる)には、俗名・死没年月日・享年が記入されている。奉納された簿冊の数は、1952年の15冊から始まり、91年には、57冊となった。

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

平和記念公園には、戦前、中島本町、天神町、材木町、元柳町が存在し、店舗や住宅約700軒が密集していた。この地域は、原爆爆心地からほぼ500メートル圏内に位置しており、原爆攻撃により壊滅した。戦後、広島市は、この場所を、公園(中島公園)とすることを計画した。広島市は、1949年4月20日、この公園を平和記念公園として建設することとし、設計図を全国に公募した。7月18日に募集を締め切ったが、応募作品は145点におよんだ。この中から選ばれたのは、丹下健三ら4人の共同作品であった。

この公園は、広島平和記念都市建設法の公布(1949年8月6日)にともない、その裏づけのもとに建設されることとなった。49年10月3日、東京で平和文化都市建設協議会の第1回会合が開催されたが、そこでは平和の理想を象徴する平和記念施設として、①記念公園(平和公園)、②記念館、③記念街路(平和緑道)が建設されることとなった。

①は、本川と元安川に抱かれた三角州の頂点に位置する中島公園(=平和広場、3万2、200坪)とその東側対岸の4、800坪(旧広島県産業奨励館敷地)と、その東北に接続する旧広島城跡を中心とする中央公園(=市民広場、22万坪)を総合した公園とされた(その後、中央公園部分は平和公園から外される)。③は、中島公園南端を基点として、東西に伸びる延長約4、000メートル、幅員100メートルの街路であった(後に「平和大通り(百メートル道路)」と呼ばれる)。また、②は、中島公園およびその東側対岸に設置するものとし、その内容としては、つぎのようなものが考えられていた。
(a)平和会館 2、500人収容の会議室及び事務室、原爆関係資料陳列室等。
(b)平和アーチ 張間120メートル、高60メートル、頂点に五つの鐘を吊す。
(c)慰霊堂 原爆犠牲者の遺骨並びに銘を納める。
(d)原爆遺跡 原爆により破壊された旧産業奨励館の建物を補強し保存する。
(大島六七男「復興の足どり」)

1951年2月21日、東京で第4回広島平和記念都市建設専門委員会が開催された。この席上、浜井広島市長は、「今夏で7回忌を迎える原爆都市の慰霊塔関係の設立を急ぎたい」との意向を述べた。しかし、建設省は、広島市の納骨堂を含む「慰霊塔」案は、墓地であり、公園法の建前から認められないと、難色を示した。そこで広島市は、遺骨の代わりに名簿を奉納することとし、8月6日までの式典に間に合うように碑を建立することを決定した(「中国新聞」51年2月22日)。しかし、碑は、51年の8月6日には間に合わず、52年3月末着工した。

碑の設計者は、丹下健三であった。コンクリート素打の工法で埴輪をデフォルメした設計で、当初案の巨大な「平和アーチ」は、正面から見た底辺4.7メートル、高さ3.67メートル、横から見た上辺8.29メートル、下辺5.26メートルのはにわ型に縮小・変更された。原爆死没者名簿を奉納するため、碑の中央に黒い御影石製の矩形の箱が配置された。そして、この箱の正面には、雑賀忠義が作成した碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀の英訳:Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil.)が、刻み込まれた。この碑は、建立当時から「原爆慰霊碑(原爆死没者慰霊碑)」と呼ばれたが、碑の正式名称は、「広島平和都市記念碑」である。工費は、300万円であった。

広島市は、1984年1月、碑改築の方針を発表した。その理由として、コンクリートの石灰分が表面に吹き出して中の鉄筋の腐食が進み、碑にひびが入ることが明らかになったこと、原爆死没者名簿が32冊入っているが、あと数冊の余裕しか残っていないことの二つがあげられた。改築工事は、同年7月23日から始められ、翌85年3月26日、新慰霊碑(旧慰霊碑と同型で材質はコンクリートからみかげ石に変更)の除幕式が行なわれた。

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

建立年月日 1952(昭和27)年8月6日
場所:地図no.51 広島市中区中島町・平和公園

関連資料

写真
HIC024P
1950年代後半。左端は私。
HIC024B
HIC024C
HIC024D

解説

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史
原爆死没者名簿
原爆死没者名簿奉納者数の変遷
平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)碑文論争

 

 

 

1988縮景園原爆犠牲者慰霊碑

縮景園原爆犠牲者慰霊碑

【建立年月日】昭和63年(1988年)3月19日
【建立者】縮景園原爆犠牲者慰霊供養会
【来歴】1987年7月下旬、被爆直後の縮景園を撮った写真が発見され、その1枚に、「戦死者之墓38名」「戦死者墓5名」「戦死者21名墓」と記した3本の立て札が並んで写っていました。県教育委員会が同年7月31日と8月1日、遺骨の発掘調査を行ったところ数千点の骨片を収集し、6日に原爆供養塔に納骨しました。これを機に、地元町内会や老人クラブなど11団体からなる供養会が結成され、碑が建立されました。毎年8月1日に供養祭が行われています。https://www.hiroshima-navi.or.jp/post/006464.html

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2021年3月4日撮影
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2021年3月4日撮影

 

 

広島の碑をめぐる闘いの記録

『廣島の碑をめぐる闘いの記録』(藤井一郎編、瀬戸内報道社海内興論、19710927)

内容

見出し
林房雄氏の論文とその反響
(1)何を訴えようとする碑か 1

(2)林氏の寄稿を第一波として 2

(3)その反撃は万波となって 4

(4)高田範幸氏は岸田博士の一文を 5

(5)武藤貞一氏の悲憤の文字 6

(6)元中国新聞論説委員小林健三氏の所論 6

(7)中村武彦氏の二十年前の炎の文字 6

(8)平泉澄博士の「広島」 8

(9)葦津珍彦氏の鉄腸の訴え 9

市民世論の盛り上がりを背景に
(1)「原爆慰霊碑を正す会」発足 10

(2)一万八千人の署名請願書と提出 12

(3)「請願」に市側の誠意見られず 13

(4)山田市長の独断専行 14

(5)山田市長の不実の答弁 14

両陛下御巡幸にあたり
(1)偽りの碑へのお立寄り拝辞を求めて 16

(2)要請・要望を繰返したが 17

資料=民族派要請文
(1)日本青年旭心団要請文 21

(2)原爆慰霊碑碑文改正推進青年学生協議会の「要請」文 23

(3)全九州民族運動協議会の訴え 24

(4)川田貞一氏の訴え 25

(5)中央における「道の友」の闘い 28

(6)未だ一生氏の訴え 32

両陛下ご来広までのまとめ
(1)運動主導者としての懺悔 36

(2)若者をミスリードするマスコミ 37

(3)文化人意識過剰の座談会記事 40

(4)新左翼を育てる素地 42

(5)遂に現れた 天皇糾弾 43

「天皇糾弾集会」をめぐる闘い
(1)三月の彼我の動き 45

(2)坂田教授との面談四時間 47

(3)広大全共斗の策動 48

陛下ご来広中のデモに対する闘い
(1)新左翼を狂奔させる背景 49

(2)「天皇糾弾」デモ五件に対し我らもデモを申請 51

(3)「天皇は国民統合の象徴である」こと 53

(4)県警本部に対策について質す 54

(5)歴史は夜つくられる 55

(6)総理の 強権発動 は当然の措置 55

(7)破砕できなかった二つのデモ 57

資料= 合法闘争 記録
A  平和記念館使用問題
(1)「使用取消処分」取消の訴状 59

(2)行政処分執行停止申立書 61

(3)広島市長の「意見」 72

(4)付1 広島平和記念館使用条例 74

付2 広島市職務権限規定 75

付3 記念館使用許可書 77

付4 記念館使用許可書取消通知書 78

(5)付1.2 永野知事の「通達」 78

付3 永野知事の「謹話」 79

付4 奉迎送計画書 80

(6)「申立」を支持する地裁決定 81

(7)広島市長の「抗告状」 86

(8)即時抗告理由追加申立書 89

(9)「即時抗告」を支持する高裁決定 90

(10)集団示威運動許可申請書 93

(11)広島県公安委員会指令第五七号 94

B  糾弾デモに対抗する粉砕デモ問題
(1)集団行動許可申請書(四通)95

(2)広島県公安委員会指令第五八号~六一号 97

(3)代理人(弁護士)委任状 99

(4)行政処分取消請求訴状 100

(5)行政処分執行停止申立書 100

(6)裁判請求陳情書 101

(7)広島県公安委員会の「意見書」 102

(8)1付・デモ集会に関する「条例施行規則」 103

C  天皇来広糾弾デモ問題
(1)新左翼の集団更新許可申請書 111

1 天皇来広糾弾連絡協議会(二通)111

2 広島大学全学共闘会議(三通)112

3 三段体連絡会議(一通)115

(2)不許可理由 115

(3)申立人の暴力的傾向 116

(4)全共闘申立を支持する地裁決定 116

(5)即時抗告棄却の高裁決定 118

(6)全共闘の申立を支持する地裁決定 119

(7)即時抗告原決定変更支持の高裁決定 120

(8)三団体の申立を支持する地裁決定 122

(9)佐藤総理の「異議の理由」 125

(10)地裁決定を取消す 126

デモ一覧表
 デモ周辺図
資料=新左翼による「天皇糾弾」の主張
原爆慰霊碑を正す運動年表

 

 

 

中国配電株式会社弔魂塔

中国配電株式会社弔魂塔
建立年月日:1948(昭和23)年8月6日
場所:広島市寺町・西本願寺別院
(正面)
弔魂塔
(裏面)

昭和二十年八月六日ノ戦災ニ因リ本社社員ノ非命ニ斃レシ者二百七十八名是レ皆国家再造ノ犠牲本社進展ノ礎石ト謂フ可シ
茲ニ三周年ニ当リ僚旧均シク哀ヲ新ニシ感ヲ増ス
仍テ此ノ塔ヲ建テテ聊カ追弔ノ情ヲ表ハシ亦以テ永ク其ノ幽魂ヲ慰メント欲ス
昭和二十三年八月六日
中国配電株式会社取締役社長
島田兵蔵撰並書

原爆慰霊碑一覧(全国)

原爆慰霊碑一覧(全国)

年月日 碑名 設置場所 備考
1952 移動演劇桜隊原爆殉難碑 東京都目黒区・五百羅漢寺
19650808 東友会慰霊の木碑 東京都品川区・東海寺
19670813 東友会慰霊碑 東京都品川区・東海寺
1967 韓国人慰霊碑 長崎県壱岐郡芦辺町
1970 神奈川県原爆慰霊碑 神奈川県鎌倉市・大船観  音
197308 原爆慰霊碑 鳥取市・円護寺
197404 原爆死没者慰霊碑 愛媛県松山市・石手川公園
19740809  原爆死没者の碑  香川県高松市
19740906  原爆死没者の碑  山口市・江良墓地
19810726  原爆犠牲者追悼碑  東京都江戸川区・滝野公園
19810822  群馬県関係原爆犠牲者慰霊碑  前橋市・嶺公園
198312 願いの碑 北海道宗谷郡・浅茅小中学校
19850801 被爆四十周年平和記念碑 鳥取市
19850825  被爆四十周年平和祈念碑  大阪市・大阪城公園
19850906  原爆死没者の碑の新納骨堂  山口県山口市
19850922  被爆40周年平和祈念塔  神奈川県鎌倉市・大 船観音
19860806   平和記念碑  千葉県我孫子市
19860806   平和祈念の碑  千葉県八千代市
19860806  平和の碑  東京都目黒区
19860806   原爆死没者慰霊碑  愛媛県今治市・吹揚公園
 19870903   平和の石   岡山市立鹿田小学校

 

 

 

 

 

碑一覧(広島県内)

慰霊碑一覧(広島県内)

年月日 名称 設置場所 備考
19460806 藤川製鋼所慰霊碑 安芸郡府中町
19530511 原爆犠牲無名軍人の碑 庄原市・宝蔵寺境内
195308 原爆犠牲者無縁仏供養塔 安芸郡坂町横浜
195803 慰霊碑 庄原市山内町
19681123 正田篠枝三十万名号記念碑 江田島市
19740108 極楽寺山原爆死者慰霊塔 廿日市市
19750806 極楽寺山地蔵尊 廿日市市
19780806 口和原爆被爆者友の会「比婆部隊」原爆歌碑 庄原市口和町
未完

参考資料:『広島県戦災史』

53・12・11 大田洋子文学碑(佐伯郡佐伯町・玖島小学校)
56・ 7・19 平和の碑(呉市阿賀町・大空山公園)
58・ 7・31 原爆慰霊碑(双三郡吉舎町)
58・11・ 6 叫魂碑(大竹市)
60・ 3・  大竹市原爆被爆者協議会被爆四十周年記念碑(   大竹市)
60・ 8・ 6 原爆の碑(安芸郡府中町)
60・ 8・ 6 広島新生学園慰霊碑(東広島市)
60・ 8・ 6 吉田町原爆被害者の会の無名戦没者慰霊碑(高   田郡吉田町)
60・ 8・18 広島陸軍幼年学校生徒の碑(庄原市・淨光寺)
61・ 3・  慰霊碑(安芸郡江田島町)
61・ 4・13 折鶴観音(佐伯郡廿日市町極楽寺山)
61・ 8・25 韓国人原爆犠牲者の碑(山県郡芸北町)
61・12・20 御調町被爆者協議会原爆慰霊碑(御調郡御調町)
62・ 6・  豊平町原爆被爆者の会平和の碑(山県郡豊平町)
62・ 8・ 5 原爆慰霊碑(安芸郡坂町小屋浦)
62・ 8・ 7 賀北部隊・原爆被災者救援の碑(東広島市・中   央公園)
62・10・31 三良坂町平和を願う会母と子の像(双三郡三良   坂町)
62・11・14 三和町平和の碑(双三郡三和町)
62・11・  油木町非核・平和自治体宣言碑(神石郡油木町)

 

原爆慰霊碑一覧(広島市内)

原爆慰霊碑一覧(広島市内)

年月 碑名称 設置場所 備考
194510 戸坂町供養塔 広島市(戸坂桜上町・桜ケ丘墓地)
194608 修道中学校慰霊碑 広島市(南千田町・修道学園)
194608 第三国民学校慰霊塔 広島市(翠町・翠町中学校)
1947 広島市立中学校慰霊碑 広島市(土橋町・淨国寺)
19470815 西地方町・西新町町民慰霊碑 広島市
19480806 広島市立第一高女原爆慰霊碑(平和塔) 広島市(平和大通・平和大橋西詰)
19480806 広島県立第一中学校追憶の碑 広島市(国泰寺町・国泰寺高校)
19480806 中国配電株式会社弔魂塔 広島市(寺町・西本願寺別院)
1949 子まもり地蔵 広島市(三川町・円隆寺)
1949 日本生命広島市支社平和の礎殉職記念碑 広島市(中町・日生ビル屋上)
194908 広島銅金鋳造会平和の鐘 広島市(基町)
194908 多聞院八時の鐘 広島市(比治山町)
19190806 広島市水道部員殉職の碑 広島市(基町)
19491103 殉職警察職員の碑 広島市(比治山公園)
19500130 広島搬送電気通信工事局歌碑 広島市(比治山本町)
195005 牛田町供養塔 広島市(牛田中町・牛田公園)
195011 殉職消防組員の碑 広島市(比治山公園)
195105 安田高女慰霊碑 広島市(白島北町・安田学園)
195105 三滝寺多宝塔 広島市(三滝山)
19510713 原民喜詩碑 広島市(大手町一丁目)
19510806 広島市立第一高等女学校原爆追悼碑 広島市(戸坂町・持明院)
19510806 崇徳中学校職員生徒原爆死没者供養塔 広島市(楠木町・崇徳高校)
19510806 左官町原爆精霊供養塔 広島市(本川町・善応寺)
195203  佐東町原爆精霊供養塔 広島市(三滝本町・三滝墓苑)
19520806 広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑) 広島市(広島平和記念公園)
19520806 広島女子高等師範学校・附属山中高等女学校殉国学徒の碑 広島市(国泰寺町・荒神堂)
19520806 広島女子高等師範学校・附属山中高女・県立第二高女殉国学徒慰霊碑 広島市(国泰寺町・荒神堂)
19520806 広島県立広島第二高等女学校殉国学徒の碑 広島市(国泰寺町・荒神堂)
195304 日本発送電株式会社中国支店原爆殉職者慰霊碑 広島市(大手町・元安川西岸緑地)
19530517 広島女学院原爆犠牲者の碑 広島市(幟町・広島女学院)
19530806 広島県立第二中学校歌碑 広島市(広島平和記念公園)
19530806 広島郵便局原爆殉職者の碑 広島市(比治山町・多門院)
19530806 原爆死者・戦没者慰霊塔 広島市(五日市町・光善寺)
19540806 世界平和記念聖堂 広島市(幟町)
19540806 内務省中国四国土木出張所歌碑 広島市(大手町)
195409 広島女子商業学校慰霊塔 広島市(南段原町・広島女子商学園)
19550806 広島県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追憶の碑 広島市(中町・平和大通公園)
19550806 原爆供養塔 広島市(広島平和記念公園)
19550806 移動演劇さくら隊原爆殉難碑 広島市(中町・平和大通公園)
19550806 中国電気通信局原爆犠牲者慰霊碑 広島市(基町)
19560428 龍心寺原爆死者の霊の像(浪切不動尊) 広島市(大手町・龍心寺)
19560806 中島本町平和の観音像 広島市(広島平和記念公園)
19560806 広島陸軍病院原爆慰霊碑 広島市(基町)
19570321 江波町戦没者慰霊碑 広島市(江波南町・海宝寺)
19570519 的場町原爆慰霊碑 広島市(的場町・猿猴川岸)
19570806 石田学園山陽中・高等学校追悼碑 広島市(観音新町・山陽高校)
19570806 堀川町原爆慰霊碑 広島市(新天地)
19570806 石炭関係会社原爆殉難者慰霊の像 広島市(大手町・児童公園)
19570806 本川学区慰霊碑 広島市(本川町・大田川岸)
195709 広島県下真言宗徒供養塔 広島市(広島平和記念公園)
19580505 広島平和をきずく児童生徒の会原爆の子の像(折鶴の子の像) 広島市(広島平和記念公園)
19580806 広島県職員原爆犠牲者慰霊碑 広島市(加古町)
195901 広島市東部十二カ町山本康夫歌碑 広島市(段原新町・猿猴川岸)
195908 進徳学園慰霊碑 広島市(皆実町・進徳学園)
19590806 段原町原爆慰霊碑 広島市(段原新町・猿猴川岸)
195912 高須・庚午北町原爆慰霊碑 広島市(庚午北町・庚午第一公園)
19591208 広島赤十字病院慰霊碑 広島市(千田町・広島赤十字病院)
19600806 広島市医師会原爆殉職碑 広島市(小町・平和大通公園)
19600806 嵐の中の母子像 広島市(広島平和記念公園)
19600815 平和祈念慰霊国民大祭記念祈りの像 広島市(広島平和記念公園)
19601109 三菱重工業広島造船所慰霊碑 広島市(観音新町)
1961 平和の森の碑 広島市(中島町・平和公園)
1961 新日本協議会平和の森の碑 広島市(広島平和記念公園)
19610806 慈母の像 広島市(西平和大橋西詰)
19610806 広島県立第二中学校慰霊碑 広島市(広島平和記念公園)
19610930 広島県立広島商業学校慰霊碑 広島市(舟入南町・広島県立商業高校)
196111 比治山学園歌碑 広島市(西霞町・比治山学園)
196112 日本国有鉄道中国支社慰霊碑 広島市(二葉の里)
196206 広島県立広島工業高等学校慰霊碑 広島市(出汐町・広島県立工業高校)
19630806 広島市立商業学校・広島市立造船工業学校原爆戦没者慰霊碑 広島市(広島平和記念公園)
19630806 峠三吉詩碑 広島市(広島平和記念公園)
19630806 河野家悲涙碑 広島市(三滝山)
19631015 広島市信用組合真心像 広島市(袋町・市信用組合)
19640801 平和の灯 広島市(広島平和記念公園)
19640806 佐東町川内・温井義勇隊の碑 広島市(広島平和記念公園)
19640920 広島悲願の会平和の鐘 広島市(広島平和記念公園)
196504 帰らぬ鶴平和の碑 広島市(三滝本町・三滝墓苑
19650523 原水爆禁止五日市町協議会原爆慰霊碑 広島市(五日市町・光禅寺)
196508 広陵学園慰霊碑 広島市(沼田町・広陵学園)
19650806 日本損害保険協会広島地方委員会友愛碑 広島市(中島町・平和大通公園)
19650806 観音婦人会原爆慰霊碑 広島市(東観音本町・天満川岸)
19650806 五日市・正向寺碑 広島市(五日市町)
19650806 国税職員和碑 広島市(上八丁堀・合同庁舎)
19650806 全日本損害保険労働組合被爆20周年記念碑 広島市(広島平和記念公園)
19650806 広島法曹原爆物故者敬憶碑 広島市(上八丁堀・広島地裁)
19651218 広島市役所慰霊碑 広島市(国泰寺町・市役所)
1966 三菱銀行慰霊碑 広島市(本通り・三菱銀行)
19660322 NHK原爆の碑 広島市(大手町・NHK会館)
196607 住友銀行殉職碑 広島市(紙屋町)
196607 松本商業高等学校慰霊碑 広島市(尾長町・瀬戸内高校)
19660731 被爆動員学徒死没者の慈母観音像 広島市(平和大橋東詰)
196608 浜田一原爆犠牲者慰霊の像 広島市(宇品海岸)
19660805 東照宮原爆慰霊碑 広島市(二葉の里・東照宮)
19660805 二葉山平和塔(仏舎利塔) 広島市(二葉山山頂)
19660806 千潮会植樹碑 広島市(東千田町・千田小学校)
19660806 日本銀行広島支店慰霊の像 広島市(袋町・日銀支店)
196705 動員学徒慰霊塔 広島市(大手町・原爆ドーム側)
19670806 広島県地方木材株式会社慰霊碑 広島市(大手町・原爆ドーム側)
19670806 広島瓦斯株式会社原爆犠牲者追憶碑 広島市(大手町・元安川岸)
19670806 広島市歯科医師会原爆の碑 広島市(富士見町・県歯科医師会館)
19680805 松原町慰霊碑 広島市(松原町・猿猴川岸)
19681102 広島銀行慰霊碑 広島市(紙屋町・広島銀行)
19681103 八・六の鐘 広島市(富士見町・万徳寺)
196905 牛田町清霊碑 広島市(牛田中町・牛田公園)
19690806 広島県職員原爆犠牲者名録碑 広島市(加古町)
19700410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑 広島市(堺町・本川橋西詰)
197006 牛田町観音像 広島市(牛田中町・牛田公園)
19700705 観音町原爆犠牲者慰霊碑 広島市(東観音町・天満川岸)
19700805 中国海運局慰霊碑 広島市(宇品海岸・広島港湾合同庁舎)
19700806 中島本町復元地図の碑 広島市(広島平和公園)
19700806 鷹野橋商店街振興組合原爆犠牲者慰霊碑(大手町五丁目原爆犠牲者慰霊碑)(鷹野橋) 広島市大手町五丁目
19700806 済美学校の碑 広島市
19710523 広島大学工学部殉職者慰霊碑 広島市(千田町から東広島市へ移転)
19710731 広島県農業会原爆物故者慰霊碑 広島市(大手町・元安川岸)
19710804 原爆犠牲者国民学校教師と子どもの碑 広島市(広島平和記念公園)
19710805 広島郵政関係職員原爆死没者慰霊碑 広島市(東白島町・中国郵政局)
19710806 殉国国民義勇隊慰霊碑 広島市(西観音町・平和大通公園)
197111 広島県防空機動隊戦病没者慰霊碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19721121 原爆死没者似島慰霊碑 広島市(似島町)
19721225 広島文理科大学・広島高等師範学校原爆死没者遺骨埋葬の地の碑 広島市(東千田町・広島大学)
197302 北天神町原爆犠牲者の碑 広島市(広島平和記念公園)
19730722 旧天神町南組町内会慰霊碑 広島市(平和大橋西詰)
19730306 国鉄労働組合原爆死没者慰霊碑 広島市(東白島町・常盤橋西詰)
19740108 極楽寺山原爆死者慰霊塔 広島県廿日市市
197404 西脇家原爆碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19740806 広島大学原爆死没者追憶碑 広島市(東千田町・広島大学)
26 観音町婦人会原爆犠牲者慰霊仏像 広島市(観音町・河川公園)
19750806 広島市立中学慰霊碑 広島市(小網町・天満川岸)
19750806 極楽寺山地蔵尊 広島県廿日市市
 197508 鎮魂の碑 広島市(比治山公園・陸軍墓地)
19760326 広島郵便局職員殉職の碑 広島市(大手町・元安川東詰)
19760725 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑 広島市(福島町)
197608 小網町原爆慰霊碑(女子挺身隊・義勇隊・学徒動員慰霊碑) 広島市(小網町・三光寺)
19760803 千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶の碑 広島市(東千田町・千田小学校)
19760806 営林署慰霊碑 広島市(基町・営林署)
197703 世良家原爆供養石仏 広島市(三滝山)
19770714 広島電鉄株式会社慰霊碑 広島市(東千田町・広電本社)
19770723 広島市立第二高等小学校慰霊碑 広島市(西平和大橋西詰)
19770802 平和祈念像 広島市(平和公園)
19770806 広島通商産業局関係職員原爆慰霊祈の碑 広島市(上八丁堀・合同庁舎)
19770806 中広二丁目地区原爆死没者供養の碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19770806 ふりかえりの塔 広島市(大手町)
19770806 広島市原爆被爆者協議会大芝学区支部原爆慰霊碑 広島市(大芝町・大芝公園)
19780503 似島臨時野戦病院慰霊碑 広島市(似島町・臨時野戦病院跡)
19780505 平和観世音菩薩像 広島市(基町・ひろしま美術館)
19780729 草野心平詩碑 広島市(広島平和記念公園・平和祈念像側)
19780730 大田洋子文学碑 広島市(基町・中央公園)
19780806 原爆供養合同歌碑 広島市三滝山・三滝寺)
19790513 中国軍管区司令部慰霊碑 広島市(基町・護国神社前)
197908 三滝墓苑無縁墓地 広島市(三滝墓苑)
19800730 歩兵第十一聯隊跡碑 広島市(基町・広島城東側)
19810719 幟町国民学校跡慰霊碑 広島市(幟町・幟町公園)
19810802 草津南町国民義勇隊追悼の碑 広島市(草津南町)
19810806 大河地区慰霊碑 広島市(大河町・大教寺)
19810816 広島高師付中謝恩の碑 広島市(翠町・広島大学附属中・高校)
19811226 平和のためのモニュメント 広島市(八丁堀・広島YMCA)
19820320 皆実小学校「いしぶみ」碑 広島市(皆実町・皆実小学校)
19820516 広瀬国民学校駐とん特設警備隊慰霊碑 広島市(広瀬北町・天満川東岸)
19820805 原爆犠牲・ヒロシマの碑 広島市(大手町一丁目・元安橋東詰)
19820806 広島県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼の碑の芳名板 広島市(小町・平和大通公園)
19821021 宇品地区町民慰霊碑の鐘楼 広島市(宇品海岸一丁目)
19830805 江波小学校平和の碑 広島市(江波南町・江波小学校)
19840126 似島・平和地蔵尊 広島市(似島町・平和養老館前)
19840129 慰霊多宝塔 広島市(佐東町・権現山)
198407 原爆忌碑 広島市(三滝山・三滝寺)
19840704 峠三吉「墓標」詩碑 広島市(八丁堀・広島YMCA)
19841119 殉国学徒の碑の折り鶴の塔 広島市(国泰寺町一丁目)
19841126 仮原爆慰霊碑 広島市平和公園
19850301 広島中電話局鎮魂碑 広島市(袋町・電電ビル)
19850310 大手町国民学校記念碑 広島市(大手町四丁目)
19850326 原爆慰霊碑(改築) 広島市(広島平和記念公園)
19850410 鶴学園平和の碑 広島市福島町一丁目・広島工大附属情報専門校
19850410 鶴学園愛の碑 広島市(中島町・広島工業大学広島校)
19850804 国泰寺の仏舎利塔 広島市(田方一丁目)
19850806 不戦の碑-原爆犠牲新聞労働者の碑 広島市(加古町・河岸緑地)
19850806 市立第一高等女学校慰霊碑の銘碑 広島市(中島町・平和大橋西詰)
19851110 真言宗平和山妙光寺の護摩堂 広島市(本浦町)
19860805 動員学徒原爆犠牲者の碑 広島市(祇園町・大下学園)
19860805 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の由来の石碑 広島市(堺町・本川橋西詰)
19860810 平和観音像 広島市(似島・平和養老館)
19860910 広島・長崎交流碑 広島市(大手町二丁目・平和大通公園)
19870913 電信慰霊碑 広島市(広島陸軍墓地)
19871112 中曽根康弘句碑 広島市大手町一丁目・元安川岸)
19871213 千同第一町内会和碑 広島市(五日市町)
19880805 全国建設労働組合総連合原爆犠牲建設労働者・職人之碑 広島市
19881106 真言宗妙光寺・平和の鐘と鐘楼 広島市
19890803 全損保の碑(仮設置) 広島市
19890806 中国郵政局の碑(旧広島地方貯金局の被爆タイルを使用) 広島市中国郵政局
19891118 電気通信関係原爆死没者慰霊碑(移築) 広島市
19891123 類焼を免れたよろこびを伝えるモニュメント 広島市・千田地区
 1989 愛と平和のモニュメント 広島市(広島平和記念公園・国際会議場内)
19900204 原爆慰霊碑 広島市安佐北区のパラシュート落下地点に
 199003 原爆ドーム保存工事(第2回)記念碑 広島市(広島平和記念公園)
19900417 在ブラジル原爆被爆者協会などの平和記念碑 広島市中区加古町
19900731 旧広島市立第一高等小学校・第一国民学校原爆犠牲者慰霊碑 広島市・段原中学校
199105? 広島女学院原爆犠牲者慰霊碑(移築) 広島市中区幟町の中・高校校地
19920126 新天地地蔵尊 広島市・新天地
 199208 袋町地区原爆死没者慰霊碑 広島市・
19931016 旧制修道中学校慰霊碑 広島市・修道学園内
 199408 歩兵第11連隊略歴 広島市・
19941213 坂本文子を追悼する碑 広島市中島町の坂本の旧自宅跡
19950331 元南方特別留興南寮跡地記念碑 広島市
19950803 広島市神崎学区原爆慰霊碑[再建] 広島市神崎学区
19950806 広島県庁舎の記念碑 広島市中区の旧庁舎跡
19950807 母子愛之像 広島市江波山公園展望広場
19950810 広島市長・粟屋仙吉?記念碑 広島市/旧市長公舎跡
19951103 広島市立本川小学校原爆慰霊碑 広島市立本川小学校
19951218 日本赤十字社原爆殉職職員・戦時事変戦没者合祀「平和への祈り」 広島市広島赤十字・原爆病院
19960613 広島市基町小学校被爆エノキの像 広島市基町小学校
19960725 原爆で一家が全滅するなど無縁となった墓を供養するための石像(インドから輸入) 広島市寺町の光福寺
19980510 広島市白島九軒町町内会原爆慰霊碑 広島市白島九軒町
  大下学園祇園女子高校碑 広島市(祇園町南下安・大下学園)
  原爆記念雑魚場疎開跡の碑 広島市(国泰寺1・荒神堂)
  島病院爆心地の碑 広島市(大手町1・島病院)
  原爆供養地蔵尊 広島市(三滝寺)

 

 

流灯-ひろしまの子と母と教師の記録

『流灯-ひろしまの子と母と教師の記録』(原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会事務局 、19711215)

著者 タイトル 備考
005 発刊によせて
広島県連合小学校長会会長 広島県公立中学校長会会長 広島市公立中学校長会会長 広島県PTA連合会会長 広島県退職校長会長 広島県退職婦人教職員会会長
石田明 広島県原爆日学教師の会会長
宅和純 広島県教職員組合執行委員長
楠忠之 広島県教職員組合広島地区支部長
018 芥川永 制作をおえて 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑制作者
原爆犠牲国民学校教師と子ども追悼の記
原爆犠牲国民学校子どもへの追悼
原爆犠牲国民学校教師への追悼
追悼によせて
増田勉 未来を悔いあらしめぬよう 第一国民学校勤務
 井上 博  原爆思い出すまま  済美学校勤務
寺沢 篤雄  原爆に遭いて  竹屋国民学校勤務
田島 三次 碑の建立に霊よ安かれ 第一国民学校勤務
小出 鈴子 あのときのこと 竹屋国民学校2年生
「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」除幕にささげる 構成詩 未来を語りつづけて
深川宗俊 作と構成
土屋清 演出
 山本学  語りて
  小さな骨[楽譜]
  碑歌[楽譜]
 229  原爆犠牲国民学校教師と子ども・犠牲者名簿
 265 附属関係資料
<その1>建設の経過概要
<その2>建設募金訴えのビラ
 <その3>維持委員会と遺族会の規程・規約
 <その4>原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設募金会計中間報告書
 深川宗俊  「流灯」によせて
 植野浩  あとがきにかえて