『ひろしま-原子爆弾の体験をめぐりて』(衣川舜子、丁子屋書店、19490720)
内容
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備考 |
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U |
001 |
はしがき
原子爆弾を投下された街は、日本中で、ヒロシマとナガサキだけである。したがってその体験を有する者も、今日のところ、あの中から生きのこった両市の市民だけである。今わたしは、その体験者の一人として、自分が越えて来た死線を顧み、生命を賭して経験したところを書きとどめようとする。そしてこれが、原子爆弾とゆう人間の発明した科学兵器に、人間が破壊され悲しい記録としてのみ遺り、ふたたびこの地球上にこのようなあさましい実験が繰りかえされぬことを、切に切に祈るものである。願わくは体験者全部が、何等かのかたちで記録をのこされたらよいと思う。しかし実際にはそれは望み難いので、ともかくも自分は自分だけのものをでもと考え、狭い体験を拙い筆もかえりみず書き綴ったものである。[後略] |
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003 |
妖光 |
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昭二十年八月六日 4
あくる日 41 |
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059 |
焦土 |
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焼跡をゆく 61
学校跡にて 65
尊き犠牲者 72
山口先生 73
福田チエ子 75
光谷さん 78
わが家の焼跡に立ちて 82
クラインゾルゲさん 91
野戦病院一景 96
豆 98
問注所 101
近郊
その日の近郊 110
車中 113
熊野への道 115
避逅 120
府中にて 123
五日市にて 140
終戦 152
宗盛さん 155
熊野立ち 160
その後
汽車の旅 166
原爆症 171
病院日誌抄 176
静子さん 179
広島からの手紙 183
一年後 193
思い出
回顧 200
山と河 201
海幸山幸 202
逢い得ぬ人々 206
楠若葉 218
あきの雨 219
しゆろの葉ずれ 220
群雀 221
わが小庭 222
もの言わぬ客達 225
つどい 230
夜の街 241
夜の山路 442
組長さん一家 246
幟町停留所 249
鷹の羽の紋 258
城跡 254
富士見ぬ国 255
桜ふぶき 257
長寿園 258
厳島 260
蘭 265
高田村 266
竹原の里 271
猫の杭 274
ねこ、いぬ 276
村島魚店 281
広島ことば 283
広島駅 286
勤労動員 289
綜合運動場 291
疎開あと 293
洩れ来る歌 295
塚本先生 298
桃の里 308
建物疎開 313
意馬心猿 316 |
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321 |
けむり(歌集) |
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けむり |
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骨入 |
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八月十五日 |
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金沢医大病院にて |
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教え子たちのみたまに |
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335 |
あとがき |
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止
『ヒロシマ平和都市法』(寺光忠著、中国新聞社、19490605)
内容<作業中>
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表紙 白川一郎 |
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寺光忠著『ヒロシマ平和都市法-広島平和記念都市建設法註解』 |
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この、ささやかな記録を、広島市民にささげる。 |
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01 |
序(金森徳次郎 昭和24年5月27日) |
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05 |
目次 |
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まえがき(7)
1 平和都市法(8)
2 目的(10)
3 計畫及び事業(18)
4 事業の援助(24)
5 特別の助成(26)
6 報告(32)
7 廣島市長の責務(34)
8 法律の適用(38)
附則(43) |
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46 |
附録1 座談会・廣島平和都市法の成立を回顧して |
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53 |
附録2 談話・ヒロシマ平和都市法の思出(53) |
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止
『戦争と平和』(谷川徹三、雲井書店、19491015)
内容
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見出し |
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005 |
戦争と平和 |
049 |
世界政府運動と世界憲法 |
121 |
平和の思想とカントの恒久平和論 |
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187 |
あとがき |
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止
『原子力の国際管理 朝日新聞調査研究室報告 社内用2』(田中慎次郎、19490420)
止
『広島電話番号簿-昭和17年10月1日現在』(広島中央電話局)
『広島電話番号簿追加-昭和18年10月1日現在』(広島中央電話局)
止
『1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島』(深川宗俊著、原水爆禁止広島市協議会、1970/08/06)
内容
頁 |
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04 |
八月六日 峠三吉 |
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06 |
ヒロシマの空 林幸子 |
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12 |
原爆の死者の数不明 |
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14 |
敵、広島に新型爆弾数機で来襲、被害相当 |
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16 |
プレス・コード指令 |
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20 |
ヒロシマの原点 |
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25 |
戦争への足音 |
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28 |
最初の原子兵器禁止アピール-広島から- |
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30 |
ストックホルム・アピール |
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31 |
朝鮮戦争下の広島 |
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40 |
一九五〇年の八月六日 峠三吉 |
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44 |
飛行機虫 御庄博実 |
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45 |
持続するたたかい |
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48 |
ヒロシマに寄せられた美しい物語り |
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54 |
第一回原水爆禁止世界大会宣言 |
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59 |
年表 作製 楠忠之・山口勇子・深川宗俊 |
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70 |
あ允とがき 北西允(原水爆禁止広島市協議「広島の平和運動の歴史」編集委員会代表) |
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止
『反戦詩歌集第1集』(前畠宗俊編、反戦詩歌人集団準備会、19500501)
止
「太平洋戦争による我国の被害調査」経過<作業中>
年月日 |
事項 |
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1947 |
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0714 |
経済安定本部が中心となり今次大戦による我国富喪失額の算定を行うことを決定、調査において「戦争被害調査要領」の試案を作成、部内関係各方面に配布す。 |
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0725 |
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0729 |
経本において第1回関係官庁打合会を開催。調査項目及各官庁分担を決定す。 |
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0808 |
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0811 |
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0814 |
第2回打合会を開催。 |
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0917 |
第3回打合会を開催。 |
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1109 |
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1110 |
第4回打合会を開催。 |
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1223 |
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1948 |
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0131 |
第5回(最終)打合会を開催。 |
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0211 |
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0229 |
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0311 |
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0315 |
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0511 |
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1225 |
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1949 |
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0112 |
軍人軍属の被害数判明す。 |
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0125 |
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0211 |
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0323 |
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0405 |
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0407 |
報告書、経済安定本部より、公表す。 |
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出典:『太平洋戦争による我国の被害総合報告書 国内資料第8号(戦争被害調査資料4)』(経済安定本部総裁官房企画部調査課、19490407)
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。