書誌1990
| シンポジウム 非核・平和教育を国民のために | 非核の政府を求める会編、平和文化 | 19900120 | |
| 小岩井増夫「高校生平和ゼミナールで自立を」 | |||
| 山口勇子「世界史をつくる若者たちを支えるもの」 | |||
書誌1990
| シンポジウム 非核・平和教育を国民のために | 非核の政府を求める会編、平和文化 | 19900120 | |
| 小岩井増夫「高校生平和ゼミナールで自立を」 | |||
| 山口勇子「世界史をつくる若者たちを支えるもの」 | |||
書誌1995
| 書名 | 発行年月日 | 備考 | |
| 今どきの大学生1995-「原爆・戦争・国連について大学生316人が答えた」 | オーロラ自由アトリエ編・刊 | 19950625 | U |
書誌2019
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 | 備考 |
| 象徴として | 毎日新聞社会部 | 毎日新聞出版 | 20190420 | |
| 光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて | サーロー節子、金崎由美著 | 岩波書店 | 20190723 | |
| 軍馬と楕円球 | 中野慶 | かもがわ出版 | 20190725 | 受贈 |
| 異端の被爆者-22度のがんを生き抜く男 | 横井秀信 | 新潮社 | 20190925 | 受贈 |
| 長崎の証言50年 半世紀のあゆみを振り返る | 長崎の証言の会 | 長崎の証言の会 | 20191215 | |
| 原爆文学研究18 | 原爆文学研究会 | 花書院 | 20191221 | 受贈 |
| 四條知恵 | 「虫」 に寄せて-歴史的出来事の空白をめぐる検討 | |||
雑誌論文
| 著者 | タイトル | 掲載誌(編集、発行所) | 発行年月日 |
| 小池聖一 | 旧制広島高等学校資料、同窓会収集資料としての特質について | 広島大学文書館紀要 第21号(広島大学文書館) | 20190228 |
| 四條知恵 | 散逸する長崎の歴史資料-公文書館設立への提言 | 平和文化研究第40集(長崎総合科学大学長崎平和文化研究所) | 201905 |
| 四條知恵 | 原爆投下後における浦上の復興と地域社会の変容-互助組織「講内」の活動に着目して | 九州歴史科学第47号(九州歴史科学研究会) | 201912 |
『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』
(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛(訳)、筑摩書房、1962年8月5日)
内容
| 解説(ロベルト・ユンク) | ||
| 1.未来図の象徴という断罪/ | ||
| 2.私は狂信的な人間ではない/ | ||
| 3.平和のために役立ちたい/ | ||
| 4.原子力時代の最初の犯罪/ | ||
| 5.ありがたくない宣伝材料/ | ||
| 6.幅の広い戦線をつくろう/ | ||
| 7.ボブ・ホープの映画化計画/ | ||
| 8.広島の少女たちの友情/ | ||
| 9.自伝映画に出演するな/ | ||
| 10.私を利用しようとする人びと/ | ||
| 11.二人で伝記を書こう/ | ||
| 12.ユダがもらった銀貨/ | ||
| 13.泳ぐためにはまず泳げ/ | ||
| 14.日本からの多くの手紙/ | ||
| 15.殉教者というものの運命/ | ||
| 16.原子兵器反対のリーダーに/ | ||
| 17.見せ物にならないように/ | ||
| 18.(省略)/ | ||
| 19.(省略)/ | ||
| 20.平和運動をさまたげる弟/ | ||
| 21.だれが君を病院に入れたのか/ | ||
| 22.闇ルートで返事を送る/ | ||
| 23.(省略)/ | ||
| 24.君の主治医に手紙を書いた/ | ||
| 25.ドイツのグラフ誌に君の記事が/ | ||
| 26.禁止措置はとれないか/ | ||
| 27.掲裁中止を申し入れよう/ | ||
| 28.みずから刑罰を求めた私/ | ||
| 29.プライバシーと報道の自由/ | ||
| 30.審問の結果が知りたい/ | ||
| 31.僕が求めている欲張った報酬/ | ||
| 32.君はノーマルだ/ | ||
| 33.クロードは責任回避を拒絶したのです/ | ||
| 34.もしも退院したら/ | ||
| 35.君はユーモアをとりもどした/ | ||
| 36.もっと 積極的なたたかいを/ | ||
| 37.ワナにかかったのかもしれない/ | ||
| 38.トランキライザーに参っている/ | ||
| 39.一五年目の広島記念日/ | ||
| 40.僕がまちがっていた/ | ||
| 41.日本からのアンケート/ | ||
| 42.広島上空で私がしたこと/ | ||
| 43.弟たちを説得してくれ/ | ||
| 44.ポーリング博士を救おう/ | ||
| 45.希望と現実のかけ橋/ | ||
| 46.人類はじまって以来の問題/ | ||
| 47.私信も検閲にかかっている/ | ||
| 48.選挙が僕の退院をさまたげる/ | ||
| 49.日本へ行きたい/ | ||
| 50.ノーマルな生活を立証せよ/ | ||
| 51.病院から脱走した/ | ||
| 52.秘密の家で守る九カ条/ | ||
| 53.(省略)/ | ||
| 54.アメリカは僕を歓迎しない/ | ||
| 55.メキシコヘ行ってみてはどうか/ | ||
| 56.再びとらわれの身となって/ | ||
| 57.二○世紀のドレフュス事件/ | ||
| 58.精神の健全さを証明しよう/ | ||
| 59.(省略)/ | ||
| 60.なぜ事件を忘れるのか/ | ||
| 61.疑わしいイーザリー裁判/ | ||
| 62.ラッセル卿のイーザリー観/ | ||
| 63.ドレフュス・コンプレックス/ | ||
| 65.君の良心は奪われない/ | ||
| 66.僕はけっして勇気を失わない/ | ||
| 67.イーザリーの抑留は正当である/ | ||
| 68.法律的にも疑問あり/ | ||
| 69.提訴は実を結びつつある / | ||
| 70.君を忘れない、永遠に/ | ||
| 71.釈放の日は目前だ/ | ||
42.広島上空で私がしたこと[抄]
私は先導機、すなわち”ストレート・フラッシュ”号を指揮していました。私の任務は、原爆投下の目標地を選定したときに、第一候補としてあげられたこの広島に無事に到達し、天候の状態を確認するとともに、敵の空軍や高射砲部隊から何らかの抵抗が予想されるかどうかを判断することでした。
私は広島の上空に達してから約45分間、そのあたりを飛行しながら、広島の上空に立ちこめて一部視界をさえぎっていた雲の状態をしらべました。原爆投下の目標は、軍司令部と広島市との中間にある橋でした。約15機ほどの日本の飛行機が1万5000フィート(約5000メートル)の上空を飛んでいましたが、私のいる2万9000フィート(約1万メートル)の高度まで上昇しようとする気配はありませんでした。しかし、これら日本の飛行機は、まもなくどこかへ行ってしまいました。
この日、すなわち8月6日の天侯の状況はつぎのようでした。広島の上空には、1万2000フィートと1万5000フィートの間に積雲が散在し、毎時10ないし15マイルのスピードで広島の方向へ動いているようでした。私がこれらの事実を観測したのは、午前7時30分ごろだったと思います。目標の地点ははっきりと見えていました。それは、すでに申しあげましたとおり、一つの橋で、この橋を破壊することによって、日本軍の司令部に致命的な打撃をあたえずにはいないだろうと考えられたのです。
私には、天候の状況は理想的であると思われました。つまり、目標の橋だけが見えていて、広島市は視界からさえぎられているから、市それ自体は爆撃をまぬかれるだろう、そして、司令部に投下された原爆は、日本の軍部をして否応なしにそのおそるぺき破壊力を知らしめ、講和の条約に署名してこのおそろしい戦争を終わらせねばならねと悟らせるだろう、とこのように私には思われたのです。
私は、僚機に対して、”準備完了、投下〃を知らせる暗号の命令を送りました。すなわち私は、目標への原爆投下を指令したのです。
1987年7月28日、ちくま文庫
『ヒロシマの証言 平和を考える』 (広島平和文化図書刊行会編、日本評論社、19690806)内容
| 編- | ||
| 山田節男(広島市長) | 序 | |
| 森脇幸次(編集委員長) 庄野直美(執筆総括者) |
『ヒロシマの証言』刊行にあたって | |
| 1 | 被爆体験 | |
| 1-1 | 原爆が落ちた時 | 原子雲の外から/原子雲の下で |
| 1-2 | 生きながらの地獄図 | 炎と雨の中で/炎の街にはいる |
| 1-3 | 廃墟と屍の街 | |
| 1-4 | 原爆投下の状況 | 予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか |
| 1-5 | 平和のねがい | 被爆者の声 /被爆体験をどう受けとめるか |
| 2 | 被爆者と市民の生活史 | |
| 2-1 | 原爆孤児 | 0年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会 |
| 2-2 | 原爆障害に悩む人びと | 広島の涙 /ピカドン傷/きのこ雲の下より |
| 2-3 | 原爆孤老 | 行くところなし/さかさごと /現実の対策 |
| 2-4 | 原爆を作品に書いた人たち | 原民喜/大田洋子 /阿川弘之/原子爆弾特集号 /正田篠枝/詩の発表 /峠三吉 /反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説/ |
| 2-5 | 立ち上がった人びと | 木片を探す少年 /晴れたある日 /愛の手 |
| 2-6 | 報道関係の努力 | 報道と権力 /平和運動と報道/原点をさぐる |
| 2-7 | 身近で遠い被爆者たち | 核の島・沖縄の273人/被爆した朝鮮人 |
| 2-8 | 平和教育への道程 | 驚くほど空白な平和教育 /平和教育の初期 /平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識 /平和教育への立ち上がり |
| 3 | 被爆者救援と平和への努力 | |
| 原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった | ||
| 1945年(昭20) | 原爆投下/被爆後の応急措置/付記 | |
| 1946年(昭21) | 平和復興祭/広島市青年連合会/付記 | |
| 1947年(昭22) | 平和祭と平和記念式典/ABCC/付記 | |
| 1948年(昭23) | ヒロシマ・ピース・センター/付記 | |
| 1949年(昭24) | 平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモー・ハウス/付記 | |
| 1950年(昭25) | ストックホルム・アピールの反響/付記 | |
| 1951年(昭26) | 作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記 原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止 |
|
| 1952年(昭27) | 原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記 | |
| 1953年(昭28) | 広島原対協/大学人の会/付記 | |
| 1954年(昭29) | 反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘 | |
| 1955年(昭30) | 第1回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記 | |
| 1956年(昭31) | 広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記 | |
| 1957年(昭32) | 被爆者医療法/広島憩いの家/付記 | |
| 1958年(昭33) | ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記 | |
| 混迷の時代・努力を続ける人びと | ||
| 1959年(昭34) | 第5回原水禁世界大会(広島)/付記 | |
| 1960年(昭35) | 第6回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記 | |
| 1961年(昭36) | 広島キリスト者平和の会/付記 | |
| 1962年(昭37) | ||
| 1963年(昭38) | 第9回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記 | |
| 1964年(昭39) | 世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記 | |
| 1965年(昭40) | ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記 | |
| 1966年(昭41) | 原爆ドームの保存/付記 | |
| 1967年(昭42) | 広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記 | |
| 1968年(昭43) | 原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記 | |
| わたくしたちは何をしたらよいのか | ||
堀場清子『禁じられた原爆体験』(岩波書店、19950623刊)
目次
| はじめに | ||
| 一 | 原爆作品と占領下の検閲 | |
| 1 | 発禁により葬られた美川きよ「あの日のこと」 | |
| 2 | 栗原貞子詩歌集「黒い卵」が示す”事実と伝説” | |
| 3 | 渡辺順三の「君らは語る」 | |
| 4 | 松重美人「世界の記録写真」をめぐって | |
| 5 | 金子光晴「暴君」の消失 | |
| 6 | 「雅子斃れず」「長崎の鐘」 出版への道すじ | |
| 7 | 「不死鳥」における杉浦翠子と正田篠枝 | |
| 8 | 検閲文書にみる原爆体験と天皇体験 | |
| a 「晩鐘」の苦難 | ||
| b 天皇とアトム・ヒロシマ | ||
| 二 | 戦争の表現にかかわる発禁と没収 | |
| 9 | 石川達三「戦ひの権化」の発禁 | |
| 10 | 宮柊二・オリジナル「山西省」の発見 | |
| 11 | 日本神話で闘った二人の男 | |
| 12 | 久津間慶子歌集「泉声」にみる女の生涯 | |
| 資料(PPB文書) | ||
| あとがき | ||
『原水爆被害白書-かくされた真実』 原水爆禁止日本協議会専門委員会(編)、日本評論新社、19610731
目次
| 章 | |
| 序< 湯川秀樹> | |
| 序<安井郁> | |
| Ⅰ | 1945年8月6日< 石井金一郎、田沼肇> |
| Ⅱ | 原水爆被害の実態 その1<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫> |
| 1 | 原爆投下の瞬間 |
| 2 | 原爆による死亡者と傷害者 |
| (1)広島原爆でどれだけの人が死んだか | |
| (2)長崎原爆でどれだけの人が死んだか | |
| (3)原爆による傷害者 | |
| 3 | 恐るべき放射線障害 |
| (1)放射能とはなにか | |
| (2)瞬間放射線による被害 | |
| (3)残留放射線による被害 | |
| (4)被爆放射線量についての総括 | |
| Ⅲ | 原水爆被害の実態 その2<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫> |
| 1 | いつまでつづく放射能害 |
| (1)急性期症状-急性原爆症 | |
| (2)慢性原爆症-原爆症とはなにか | |
| (3)原爆症問題の変遷と原爆症の拡大 | |
| (4)慢性原爆症の現況 | |
| (5)被爆者の体内に残されている変化 | |
| 2 | 放射線と遺伝 |
| 3 | もし原子戦争がおこったら |
| (1)アメリカ議会公聴会の記録 | |
| (2)すでに人類は原水爆の被害者になっている | |
| Ⅳ | 被爆者の意識<山手茂> |
| 1 | 被爆者問題をどうとらえるか |
| 2 | 被爆者の社会意識 |
| (1)被爆者の生活意識 | |
| (2)原水爆禁止の意識と行動 | |
| (3)被爆者の政治意識 | |
| Ⅴ | 被爆者の生活<山手茂> |
| 1 | 被爆者の家庭生活 |
| (1)破壊された被爆者の家庭 | |
| (2)原爆孤児 | |
| (3)被爆母子家庭 | |
| (4)原爆孤老 | |
| (5)被爆した主婦 | |
| (6)結婚問題 | |
| 2 | 被爆者の職業生活 |
| (1)職業生活の悪条件 | |
| (2)被爆者の就職問題 | |
| (3)被爆被保護世帯 | |
| (4)失業対策事業に働らく被爆者 | |
| (5)被爆労働者 | |
| (6)被爆零細自営業者 | |
| (7)被爆農民 | |
| (8)未解放部落の被爆者 | |
| 写真ページ | |
| 写真/東松照明 | |
| レイアウト/杉浦康平 | |
| Ⅵ | 被爆者と社会保障< 伊東壮、大江志乃夫> |
| 1 | 政府の援護対策 |
| (1)被爆者はなにを望んでいるか | |
| (2)政府の援護対策とその特徴 | |
| 2 | 被爆者医療法の成立 |
| (1)被爆者医療法案の国会提出 | |
| (2)被爆者医療法案の国会審議 | |
| (3)被爆者医療法の欠陥 | |
| 3 | 新被爆者医療法とその問題点 |
| (1)被爆者医療法の「改正」 | |
| (2)新被爆者医療法の内容 | |
| (3)新被爆者医療法の問題点 | |
| (4)「被爆者援護法」の要求と社会保障 | |
| Ⅶ | 原水爆禁止と被爆者救援運動< 石井金一郎、吉田嘉清> |
| 1 | 被爆者の要求と原水爆禁止 |
| 2 | 被爆者と日本の社会 |
| 3 | 原水爆禁止と被爆者救援運動 |
| 附録< 杉原芳夫、佐久間澄> | |
| 原爆被爆者の放射線照射による遅発性影響についてABCCに反論し,あわせて原爆症対策の科学的基礎を考察する | |
| 1/被爆線量について | |
| 2/調査標本について | |
| 3/遺伝について | |
| 4/白内障について | |
| 5/白血病について | |
| 6/ガンについて | |
| 7/児童の成長と発育について | |
| 8/胎内被爆児童における小頭症について | |
| 9/加齢の促進について | |
| 10/成人における一般医学的見地からみた影響について | |
| 11/その他の影響について、 | |
| むすび | |
| 資料 原水爆禁止世界大会の宣言・決議・勧告 | |
| あとがき<要旨> | |
| *出発点となったのは,第4回原水爆禁止世界大会―1958年―で被爆者救援問題をとりあげた分科会の満場一致の決議 | |
| *決議にもとづき原水爆禁止日本協議会は,原水爆被害者調査をおこなうことを決定。 | |
| *調査委員会のもとに調査団をつくり,物理的・医学的被害の調査,被爆者の意識調査,被爆者組織の調査の3分野にわたり実施。 | |
| 調査概要 *調査票による調査 ***広島・長崎両県下で,爆心からの距離別と地域区分別に,市内は町単位,町村では町村単位に典型地域を抽出し,約500例を被爆者健康手帳交付台帳から無差別抽出して,被爆放射線量と意識の調査を実施 *被爆者の生活史の個別調査 *被爆者組識の調査 |
|
| *調査の中間報告 * 原水爆禁止日本協議会“Atomic Bomb Damage in Hiroshima and Nagasaki” 1958年8月, *日本原水爆被害者団体協議会『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』1958年8月, *石井金一郎「厂生きていてよかった」か』『中央公論』1958年8月号 |
|
| 調査委員長 森滝市郎(日本原水協代表委員) 調査団長 石井金一郎(日本原水協専門委員) 調査団員 広島の研究者グループ:佐久間澄・杉原芳夫・庄野直美・北西允・大江志乃夫・山手茂, 長崎の研究者グループ:中西市郎.川崎文治・茂木六郎・林重太・前田豊昭・天野卓郎 第1稿の執筆者名 第1章 石井金一郎,田沼 肇 第2章・第3章 佐久間澄,庄野直美,杉原芳夫 第4章・第5章 山手茂 第6章 伊東壮,大江志乃夫 第7章 石井金一郎,吉田嘉清 附録論文 杉原芳夫,佐久間澄 |
|
| 謝辞(個人)黒田秀俊,藤居平一,小佐々八郎,伊藤満,草野信男,石井森太郎,山村茂雄,市村志郎,板倉静夫,竹内武志,日本評論新社:林勝郎,飯岡邦輔 | |
| 謝辞(団体)日本原水協,日本被団協。「最後に,中国人民保衛世界平和委員会など中華人民共和国7団体による被爆者救援の国際的なあたたかい援助が,この事業を成功させるために,大きな力添えになったことを報告し,中国人民の厚い友情に改めて謝意を表します」 | |
| 編集責任者:石井金一郎(日本原水協専門委員),吉田嘉清(日本原水協事務局次長),田沼肇(日本原水協専門委員会幹事) | |
| 事項索引 | |
| 図表索引 | |
小山弘健『日本社会運動史研究史論 その文献と研究の現状』(新泉社、19760316) 同前『続日本社会運動史研究史論 その文献と研究の現状』(新泉社、19790501)
小山弘健=小山弘健 – Wikipedia
『続 日本社会運動史研究史論』目次
| 1 | ||
| 2 | ||
| 8 | ||
| 9 | ||
| 10 | 平和・反戦反軍、安保、反基地反空港、沖縄の各運動史の研究とその文献 | |
| 平和・反戦反軍の運動史の文献 | ||
| 「戦後における世界平和運動の原点となったヒロシマについては、・・・『炎の日から二〇年』・・・『どきゅめんと・ヒロシマ二四年』・・・のほか、さまざまな証言・記録・現地報告が類が公にされているが、無視されがちな被爆者の問題とその運動にかんしては、・・・深川宗俊『被爆二世』・・・伊東壮『被爆の思想と行動』・・・広島県編『原爆三〇年』・・・森滝市郎『反核三〇年』・・・」 | ||
| 17 |
歌集広島(歌集広島編集委員会、第二書房、19540806)
歌集広島編集委員会=代表:豊田清史、委員:岡本明、小倉豊文、神田三亀男、熊野喜久男、小堺吉光、島昭、清水惟明、土居貞子、豊田清史、西原忠、深川宗俊、宮田定、村上弘、山隅衛、山本康夫
内容
| 備考 | |
| 表紙写真 | イサム・ノグチ氏設計の平和大橋(稲村豊氏撮影) |
| 口絵 | 昭和20年8月6日の原子雲。爆発2分後。海田市方面10kmの地点より撮影。山崎譽三郎氏提供。 |
| 閃光に焼け果てた悲惨なる幼児。長岡省吾氏提供。 | |
| 累累たる焼死体。余燼たちのぼれる本川国民学校にて、昭和20年8月7日。中国新聞社提供。 | |
| 発掘されし野晒の遺体が山を築く。坂付近にて、昭和27年7月29日。中国新聞社提供。 | |
| 序 | 長田新 原爆歌集「広島」に序して―氷はひしめきはじめた |
| 本体 | |
| 作者索引 50音順 | |
| 跋 | 歌集『広島編集委員会』。岡本明、小倉豊文、神田三亀男、熊野喜久男、小堺吉光、島昭、清水惟明、土居貞子、豊田清史、西原忠、深川宗俊、宮田定、村上弘、山隅衛、山本康夫 |
| 奥付 | 歌集広島編集委員会代表 豊田清史 |
書誌(目録の目録)
| タイトル | 作者・出版社 | 発行年月日 | |
| 戦後記録文学文献目録稿 考査事務参考資料 第4号 | 国立国会図書館一般考査部 | 1949. | |
| 中国年鑑 昭和28年版 | 中国新聞社 | ||
| 原爆関係文献目録-広島・長崎を中心とする | 山崎与三郎編、千田書房 | 1954.7.23 | |
| 南北 (第3巻第8号通巻26号) | 南北社 | 1968.8 | |
| 豊田清史「原爆文献目録-実践的原爆文献の収集」<出典:広島平和記念資料館平和データベース> | |||
| 原爆文献誌 | 豊田清史 | 1971.8.6 | |
| 原爆文献を読む | 長岡弘芳、三一書房 | 1982.7.15 | |
| 資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する | 「ひろしまをよむ」会編、溪水社 | 1983.7.15 | |
| まえがき <共同検証82反核> 1.新味に欠ける原爆出版 、2.消極的な大手出版社 、3.新刊しのぐ重版・再刊 、4.手記・体験記に多様性、5.「読む」から「見る」へ、6.すそのを支える童話 、7.無難さ目立つ教科書 、8.雑誌-欠落した原点、9.新聞連載-不十分な総括、10.新聞社説-もの足りぬ分析 <82出版物リスト> 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ 単行本-防衛・原発・学術・再刊 童話-絵本・平和教育 教科書-国語科82年採択 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊 新聞-連載・社説 おわりに |
|||
| 第4集-占領期文献(昭和20年-昭和27年) | 原爆被災資料広島研究会編集部会・ピカ資料研究所 | 1984 | |
| 1984 | |||
■原爆被災資料広島研究会編『原爆被災資料総目録 第1集-原爆慰霊碑、原爆遺跡、物品資料、遺品、放送(NHK)、美術(絵画)・文学』1969
■原爆被災資料広島研究会編『原爆被災資料総目録 第2集-官公庁文書、中国放送(RCC)、広島テレビ(HTV)、演劇・バレエ、映画、音楽』1970
■原爆被災資料広島研究会編『原爆被災資料総目録 第3集-原爆手記 広島の部』1972
■原爆被災資料広島研究会編集部会・ピカ資料研究所編『第4集-占領期文献(昭和20年-昭和27年)』1984
■原爆モニュメント研究グルー