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三宅一生訃報(Microsoft Bing)

三宅一生訃報<作業中

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〈すべて〉FNNプライムオンライン.com毎日新聞.comスポニチ.com朝日新聞社日刊スポーツ読売新聞.comAFPBB News2022年8月10日10:16検索【三宅一生】

*時間前 報道媒体 見出しなど
2 madameFIGARO イッセイ ミヤケの創業デザイナー、三宅一生氏が【8月5日夜】84歳で死去
2 Fukui Shimbun 三宅一生さん、繊維産地福井との関わり深く 84歳で死去、取引続い
3 FNNプライムオンライン 三宅一生さん死去 パリでも悲しみの声 仏メディア「永遠の
4 Nishinippon Shimbun 「イッセイミヤケ」三宅一生さん死去 84歳、世界的ファッション
4 スポニチ 世界的デザイナー・三宅一生さん 肝細胞がんで死去 84歳
5 朝日新聞社 三宅一生さん死去 84歳 世界的デザイナー
6 山陰中央新報デジタル 三宅一生さん死去 世界的服飾デザイナー 84歳
7 熊本日日新聞 デザイナーの三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
7 NIKKEI 三宅一生さん死去 84歳、ファッションデザイナー
7 毎日新聞 三宅一生さん 84歳=世界的デザイナー
8 NIKKEI 世界的に活躍したファッションデザイナーで、文化勲章受章者の三宅一生(みやけ・いっせい、本名=かずなる)さんが8月5日、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した。84歳だった。葬儀は行った。(評伝を社会2面に)会長を務める三宅デザイン事務所が9日、発表
8 Oita Godo Shimbun 『イッセイミヤケ』三宅一生さん
8 BSテレ東 デザイナー 三宅一生さん (84) 死去 被爆者として核廃絶訴え
9 テレビ朝日 【訃報】デザイナーの三宅一生さんが死去
10 日刊スポーツ ファッションデザイナー三宅一生さん死去 5日に肝細胞がん 84歳
10 読売新聞 三宅一生さんの服は「動く彫刻」…美輪明宏さん「また一人天才が
11 Yahoo!ニュース 追悼:三宅一生|数々の建築家やデザイナーと協業。
11 楽天Infoseek 三宅一生氏死去、海外も速報=「最も先駆的なデザイナー」
12 AFPBB News 動画:三宅一生さん死去 ファッションデザイナー、84歳
12 産経新聞 三宅一生さん死去 既成概念破る服作り
12 山陰中央新報デジタル 【動画】デザイナーの三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
13 毎日新聞 三宅一生さん、胸中に「原点の広島と新しい広島」
13 Fashionsnap ファッションデザイナー 三宅一生氏が死去 業界内外から追悼の声
13 日刊スポーツ 【復刻】三宅一生さん「長く着てもらいたい思いがいちばん」名
14 47NEWS デザイナーの三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
14 AppBank スティーブ・ジョブズと日本???
14 モデルプレス 【訃報・評伝】デザイナー三宅一生さん死去 享年84歳 世界のイッセイ
15 山陽新聞 デザイナー、三宅一生さん死去 既成概念破る服作り、84歳
15 ORICON NEWS 『イッセイミヤケ』三宅一生さんが死去 84歳 事務所が発
15 広島ホームテレビ ファッションデザイナー 三宅一生さん(84)死去 広島市出身 世界
15 SANSPO ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳
16 産経新聞 「一枚の布」から可能性追求 三宅一生さん死去
16 読売新聞 三宅一生さん「ピカドンデザイナー」と呼ばれたくなかった…生前
16 Yahoo!ニュース デザイナーの三宅一生が死去 84歳
16 ORICON NEWS デザイナー、三宅一生さん死去
16 中日新聞 ファッションデザイナーの三宅一生さん死去
16 KSBニュース 【速報】ファッションデザイナーの三宅一生さん(84)が死去
16 Fashionsnap 三宅一生氏が死去、享年84
16 Kyoto Shimbun ファッションデザイナーの三宅一生さん死去
17 Yahoo!ニュース ファッションデザイナーの三宅一生さんが死去、84歳…
19 NHK ファッションデザイナーの三宅一生さん死去 84歳

 

増田勉

増田勉

ますだ・つとむ 19160102生20070821没 享年 画家。小学校・中学校教諭、校長

単著

書名 発行 年月日
増田勉”ヒロシマ”シリーズ 増田勉 1980
被爆画家・増田勉の伝言 原爆被爆画家・増田勉の画業伝承実行委員会 20010801

 

田沼肇全活動

『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売)、20080704)

内容

006 はじめに
1部
010 田沼肇 全活動 著作・執筆年表 10
田沼肇の執筆活動について  83
〔付記〕民主主義科学者協会(民科)の活動 90
藤新太郎
田沼肇について  92 上田誠吉
慎獨寮時代  97 高野源明
調査統計局のなかま  105 浅野径
田沼肇 略年譜 田沼肇 アルバム 110
田沼さんの優しさと強さ  114 橋本進
2部
120 労組、民主的組織の講師・助言者活動など
田沼先生と私  142 伊藤和子
千葉県職労女性部と田沼先生  144 藤しず江
「現代社会研究所」をつくられた頃  146 三階泰子
忘れ得ぬ「二つのこと」  149 葛岡章
田沼先生から教わったこと  151 前田啓一郎
154 原水爆禁止・被爆者援護・第五福竜丸保存の活動
「被爆者とともに」の運動  164 赤松宏一
被爆者とともにあることの意味  168 山村茂雄
「被爆者を友人に」の言葉をかみしめて  175 安田和也
人生を決めた出会い  177 伊藤直子
長崎の被爆者に聞く 179
186 日本フィル・日本ふぃる協会闘争支援
「ハート」を大事にした人 198
200 平和と革新をめざす東京懇話会の活動
この手に革新統一を!  206 角倉洋子
210 田沼肇の学究生活について 竹下睿騏
 研究所研究員として 210
大学教員として 212
大学紛争の解決をめざして 213
学部長として多摩移転に取り組む 216
教務関係のの仕事も 220
二つの組合の役員として 221
兼務校での仕事その他 229
むすびにかえて 230
232 田沼肇先生の研究業績について 嶺学
 1 調査統計論 232
2 階級構成論 234
3 社会政策・労働問題一般 235
4 労働運動史 236
239 「二世」の息苦しさ 田沼正平
244 肇さんありがとう 田沼祥子
254 あとがき

 

 

私の中の平和と人権

『私の中の平和と人権』(田沼肇、草の根出版会、19950530)

内容

 初出  年
序にかえて(上田誠吉)
1 戦争と私
青山暮色 青山師範附属小学校同窓会「つくし」卒業30周年記念号 1976
「私たちの時代」と言えること 学協運動 1981
『戦争責任』に想う 全国革新懇ニュース 1983
2 被爆者とともに
原爆被爆者の現状 日本原水協の英文機関誌 No more Hiroshimas’ 1982
大阪の被爆婦人たちのねがい 「文化評論」9月号 1975
被爆者に励まされて 「現実と文学」10月号 1964
被爆者の苦しみを思う 「民主文学」8月号 1966
みなさんの健康を願いつつ 大阪市原爆被害者の会『被爆婦人の集い』第3集 1971
返還直後の沖縄にて 日本原水協「6・9行動ニュース」 1973
被爆者救援運動と故・峠一夫さん 『民医連医療』9月号 1981
3 ビキニ水爆実験被災から
ビ十二水爆実験被災から 日本原水協「日本と本半洋が核戦場になる」 1984
第五福竜丸の値段 「福竜丸」だより 1986
ビキニ水爆被災の全容 「平和新聞」 1983
第五福竜丸と故・広田重道氏 「赤旗」 1982
4 核兵器と人類の未来
「原爆」と「原発」 「日高教情報」 1987
被爆者は実験のために使われた No  more Hiroshimas’ 1983
 
「憤りにまかせて」という論理  「原水協通信」  1975
核兵器廃絶はなぜ必要か  「草の根から革新の風を」  1983
人類は核戦争によって自滅するか  岩波書店『これからどうなる』  1983
「平和とは戦争がないことか」 「赤旗」 1981
非核自治体宣言の意義と地方自治 『平和教育』 1984
教科書の核・平和問題の記述を読む われら高校生 1986
5 草の根からの平和運動
 母親運動と平和の問題  母親新聞  1975
原水爆禁止運動と社会科学者の立場 東京理科大学新聞 1960
高校生の平和ゼミ 原水協通信 1983
唐津原水協を訪ねて 原水協通信 1983
企業社会と平和運動  平和運動  1992
6 歴史と文化と学問と
三井三池争議の教訓 教育大学新聞 1960
人間らしく働くということ 労働旬報社「わたしの選択あなたの未来」 1986
払の余暇 『前衛』7月号 1979
松川事件と映画 わかもの 1960
労働者と学問 労働 生活 学習 1968
7 病を得て想うこと
車椅子から見た社会問題  1994
原爆被害者援護法への道のり 1994
あとがき
初出一覧

 

 

献花(8月)

献花(8月)

 DSC08882
きょうちくとう(夾竹桃)   撮影場所:実家、撮影日 8月5日
 DSC09024
きく(菊)   撮影場所:広島市平和公園、撮影日 8月6日
 DSC09154
ゆり(百合)   撮影場所:実家、撮影日 8月13日
 DSC09174
あさがお(朝顔)   撮影場所:自宅、撮影日 8月14日
 DSC09175
ゼラニウム   撮影場所:自宅、撮影日 8月14日
 DSC09178
さるすべり(百日紅)   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09179
   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09184
   撮影場所:自宅、撮影日 8月18日
 DSC09182
ほうづき   撮影場所:倉庫、撮影日 8月18日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

竹内釼

 

没年 名前 よみ 享年 備考
01 1974 竹内釼 たけうち・けん 1890年1月6日、福岡県生。

略歴

年月日 事項
1980.1.6 福岡県に生まれる。
1915. 旧制第5高等学校(熊本)を経て、東京帝国大学医科大学医学部卒業。
1916. 陸軍軍医中尉に任官。近衛師団に配属。
1919. 陸軍軍医学校外科主任教官となる。
1926. ドイツ留学(2か年)。帰途渡米視察。
1940. 中国派遣(約1年)
1939. 広島日本赤十字病院新設のため責任者となり、設立と共に初代院長となる。
1945.8.6 院長室にて執務中被爆、二昼夜人事不省、6ケ所骨折の重傷。
1947 昭和天皇御訪広に際し、広島被爆の状況について御前講演。
1948 広島日本赤十字病院再建復興なり、辞職。
1974.8.1 逝去。
出典:『竹内釼画集』(竹内辰五郎、2005年3月)

<宇吹メモ>「廃墟に立てば去りがたし」(『月刊中国 8月号』中国新聞社、1946年8月)に被爆時の体験を記す。