「10月忌」カテゴリーアーカイブ

今堀誠二交遊抄

野にありて―今堀誠二交遊抄―

出典:『歴史家の旅 』(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日)pp.216~253

朝日新聞広島版(中川正美記者)に15回連載(1988年3月10日~4月1日)

見出し 人物 備考
1 幼なじみ 峠三吉(原爆詩人) 1953年3月10日未明、死亡。36歳
2 寡黙の人 重藤文夫(広島赤十字病院院長、原爆病院初代院長) 1982年没
3 秘密出版 正田篠枝 歌人
4 番外会見
5 危険な旅
6 TV対談
7 最後の声
8 庶民官僚
9 闘士二人
10 幻の映画
11 論敵同士
12 首相談判
13 抗議の書
14 中国開眼
15 七十自述

 

 

千羽鶴-原爆の子の像の記録

千羽鶴-原爆の子の像の記録(豊田清史、昭森社、19580806)目次

1 起き上った子どもたち
2 千羽鶴の折紙も空し
3 「こけしの会」から「平和をきずく会」へ
4 少し勉強して出血する
5 非人間への抗議の証
6 全国の友達の激励に支えられて
7 私たちは論議よりも実践をする
8 級友の手で文集『こけし』を発刊
9 恵美子さんの臨終
10 百万の子どものねがい、制作は菊池先生
11 世界の子どもが手をつなごう
12 クリスマス島の水爆実験に抗議する
13 いためつけられる墓碑
14 星の一つが見つめている
15 大人の批判もうけて
16 広島の死の事実を
17 世紀の握手、Xマスの集い
18 〈原爆の子〉の祈念像
〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと
あとに
補記

〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと

月日 事項
1955(昭和30) 1025 佐々木禎子さんが原爆症でたおれた。12人目。
1110
1225

献花(10月)

献花(10月)

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タマスダレ   撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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ハナニラ    撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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きんもくせい(金木犀) 撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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わけぎ(分葱) 撮影場所:倉庫、撮影日 10月1日
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ひがんばな(彼岸花) 撮影場所:倉庫、撮影日 10月1日
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 撮影場所:自宅、撮影日 10月1日
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椿の種 撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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はぎ(萩) 撮影場所:京都市左京区修学院・修学院離宮、撮影日 10月4日
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  撮影場所:京都市左京区一乗寺門口町・詩仙堂、撮影日 10月4日
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さらしなしょうま  撮影場所:京都市・詩仙堂、撮影日 10月4日
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すすき   撮影場所:京都市・詩仙堂、撮影日 10月4日
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モクレンの実   撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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ツワブキ(石蕗)   撮影場所:実家、撮影日 10月17日
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パンジーとビオラ 撮影場所:倉庫、撮影日 10月17日
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みぞそば(溝蕎麦) 撮影場所:自宅から実家に向かう途中の小川、撮影日 10月18日
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くれたけ(呉竹)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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らっきょう 撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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シュウメイギク(秋明菊)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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つた?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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かっぽん(いたどり)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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 ? 撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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ほうき草(コキア)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

玉川忠太

玉川忠太

たまがわ・ちゅうた 19870903生19701031没 享年73
広島県立医学専門学校講師。後日入市。広島で被爆遺体を解剖。[学研調査]。[広島大学]

資料

企画展案内:『病理学者、原子野をゆく―広島大学医学部教授・玉川忠太の原爆症への挑戦』(広島大学医学部医学資料館、2018年8月3日~9月20日)

三村剛昂

三村剛昂

みむら・よしたか 18980301生19651026没 享年67
広島文理科大学教授(物理学)。1944年同大理論物理学研究所の初代所長。
資料
『科学者と平和 三村剛昂先生遺稿集』(三村剛昂先生遺稿収録委員会)

蔵本淳

蔵本淳

資料
『蔵本淳教授退官記念業績集』(広島大学原爆放射能医学研究所病態治療研究部門臨床第一(血液内科)研究分野)、1995年3月
『祝 蔵本淳教授退官記念祝賀会出席者御芳名簿 平成7年3月11日 於リーガロイヤルホテル広島』

碧空(大牟田追悼集)

碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)

内容

大牟田稔さんの略歴
大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人
「大牟田さんをしのぶ会」
【追悼集第1部】
平岡敬 見つめ続けたヒロシマ
小久保均 空ゆかば
長岡千鶴野 哀しみを乗り越えて
嘉指信雄 「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく
松元寛 大牟田さん、どうして
追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」
メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか
小泉直子 大牟田さんからの宿題
繁沢敦子 厳しさと優しさと
江種則貴 端正な字に驚いた
平城智恵子 「ヒロシマ」に生きる意味
大牟田稔遺稿集
26人の原爆被害者たち
インタビュー(機関誌「せこへい」から)
「原民喜回顧展」のごあいさつ
大牟田稔「古希の記憶」
【追悼集第2部】
直野章子 死者を抱きしめながら
「しのぶ会」におけるスピーチ
中沢啓治 通じるものを感じていたのに
近藤憲男 原稿を書かなかった大牟田さん
碓井巧 記事への執着
則武真一 いい人生を送ったな、大牟田君
秋信利行 病床を見守って
大牟田聡 謝辞「いいオヤジでした」
金井宏一郎 親子二代の交わり
海老根勲 編集後記

今堀誠二資料

今堀誠二資料

冊子・本
広島大学在職中における研究業績目録 1939―1977(今堀誠二)
日本学士院賞受賞記念冊(今堀誠二、1980年8月)
今堀誠二先生広島女子大学在職期間業績目録―1977年8月~1987年12月(今堀誠二先生業績目録刊行会、1988年9月)
 青眼―今堀先生の御逝去を悼んで(今堀杯争奪広島大学教職員親睦庭球大会第20回記念、藤川行平編、1992年11月27日)
歴史家の旅(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日)
アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 (今堀百合子編 刊、2002年5月9日)
資料
今堀誠二文書仮目録(広島県立文書館、2007年1月)<請求199608>https://www.pref.hiroshima.lg.jp/soshiki_file/monjokan/mokuroku/199608imahori.pdf

河合護郎

河合護郎

月日 没年 よみ 享年 備考
1001 2012 かわい・ごろう 84 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。50年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任し、87年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。