山内敕靖
やまうち・ただやす | 19180329生19830828没 | 享年65歳 | 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。 |
資料年表:山内敕靖<作業中>
年月日 | ||
1918 | ||
0329 | 誕生 | |
1983 | ||
0828 | 死亡 | |
1984 | ||
0813 | 『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813) | |
0930 | 『会報ともしび 第57号』(財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会) | |
「訃報 本財団相談役、広島ガス社長」 | ||
止
山内敕靖
やまうち・ただやす | 19180329生19830828没 | 享年65歳 | 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。 |
資料年表:山内敕靖<作業中>
年月日 | ||
1918 | ||
0329 | 誕生 | |
1983 | ||
0828 | 死亡 | |
1984 | ||
0813 | 『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813) | |
0930 | 『会報ともしび 第57号』(財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会) | |
「訃報 本財団相談役、広島ガス社長」 | ||
止
御園生圭輔
みそのお・けいすけ | 19121215生19950825没 | 享年82歳 | 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。 |
資料年表:御園生圭輔<作業中>
年月日 | ||
1912 | ||
1215 | 誕生。 | |
1936 | ||
03 | 東京帝国大学医学部卒業 | |
1945 | ||
0814 | 陸軍省第2次調査班員として広島入り。~11月21日。 | C |
「ヒロシマの記録 各時代を刻む」 (『中国新聞』 20050805、西本雅実編集委員) | ||
1952 | ||
0101 | 『婦人公論 1月号第416号(38巻1号)』(中央公論社) | |
特集 平和への願い 原爆のない世界を〈座談会〉田中慎次郎/石垣綾子/山室民子/御園生圭輔 48 |
||
1967 | ||
09 | 放射線医学総合研究所長。『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局) | |
1968 | ||
06 | C | |
0601 | 『マスコミ市民 No.16』(日本マスコミ市民会議) | |
特集 原爆映画 いま、よみがえれ“幻のフィルム”! いまだから話そう 御園生圭輔・三木茂 43 |
||
1969 | ||
0501 | 『広島医学 Vol.22 No.5 原爆後障害広島シンポジウム』(広島医学会) | |
原爆後障害研究のあり方 総括……中泉正徳 47(353) 原子力平和利用の立場から………御園生圭輔 49(355) |
||
0620 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会) | |
原爆後障害研究のあり方 総括 中泉正徳 47 原子力平和利用の立場から 御園生圭輔 49 |
||
1971 | ||
0316 | C | |
1973 | ||
06 | C | |
1974 | ||
0712 | C | |
1975 | ||
0523 | 原子力委員会委員に就任 | |
『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局) | ||
1976 | ||
0328 | 『広島医学 Vol.29 No.3 原爆後障害広島シンポジウム 特集号』(広島医学会) | |
特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97(285) |
||
0331 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会) | |
特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97 | ||
1979 | ||
0518 | C | |
0608 | C | |
1980 | ||
0328 | 『広島医学 Vol.33 No.3 第20回原子爆弾後障害研究会特集号』(広島医学会) | |
記念講演 広島で過じた日々…御園生圭輔 28(260) | ||
0401 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会) | |
第20回原子爆弾後障害研究会 とき:昭和54年6月10日 ところ:広島医師会館 記念講演 広島で過ごした日々 御園生圭輔 28 |
||
1211 | 原爆被害者対策基本問題懇談会、「被爆者対策のあり方」についての答申を発表 | C |
1981 | ||
1110 | C | |
1986 | ||
0430 | C | |
1988 | ||
07 | 『竹ぼうき』(御園生圭輔先生退官記念事業会) | |
1995 | ||
0825 | 没。享年82歳。 | |
止
資料年表:近藤幸四郎<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
**** | ||
誕生 | ||
1945 | ||
0806 | 自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。 | |
2002 | ||
0821 | 死亡。享年69歳。 | |
0822 | 「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。 | |
0822 | 「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ> | |
0824 | 近藤幸四郎葬儀。 | |
0825 | 「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』) | |
0910 | 「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄) | |
21 | 2002 | 近藤幸四郎 | こんどう・こうしろう | 69 | 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。 |
止
資料年表:松前重義<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1901 | ||
1024 | 熊本県生まれ | |
1945 | ||
0808 | 広島被爆調査団長として広島へ出発。 | |
0917 | 松前重義(逓信院総裁)褒状 | |
1947 | ||
0104 | ~19510620 公職追放 | |
1987 | ||
0330 | 『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330) | |
<『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント> | ||
0401 | 礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁) | |
1201 | 『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学) | |
1991 | ||
0825 | 死亡。享年89歳。 | |
松前重義
まつまえ・しげよし | 19011024生19910825没 | 享年89歳 | 東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。 |
止
『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
1 | 死線を越えて | ||
懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下 | |||
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止
松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
止
中西巌
なかにし・いわお | ****生20230816没 | 享年93 | 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01) |
止
『平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竃揚編、日本キリスト教団出版局、2009/06/20)
内容
はじめに 3 | |||
推薦の言葉<<恵みのあと>>-被爆一家の証言 櫻井重宣 15 | |||
Ⅰ | 沈黙の警告 四竃一郎 31 | ||
あの日・広島・私 33 その六日間-佑子臨終記 47 父の見た佑子の性格 60 |
|||
Ⅱ | ありし日の佑子 四竃わくり 65 | ||
あの日の追憶 67 ありし日の佑子 71 |
|||
Ⅲ | その記憶を語り継ぐために 四竃揚 101 | ||
その死を超え行くもの 103 一人連れ出されて 109 |
|||
Ⅳ | 聖書と讃美歌と祈りの日々 四竃更 139 | ||
姉と弟 141 被爆家族の舞台裏 152 |
|||
Ⅴ | 少年の記憶 四竃招 165 | ||
思い出すまま 167 少年時代の思い出 171 五〇年ぶりに疎開地を訪ねて 175 |
|||
Ⅵ | 弟たちへの手紙 四竃佑子 179 | ||
特別寄稿 戦友四竃更牧師 渡辺信夫 189 | |||
あとがき 199 | |||
止
四竈一郎
しかま・いちろう | ****生19860821没 | 享年83歳 | 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。『平和を実現する力 長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竈揚編、日本キリスト教団出版局、2009.6.20) |
止
『原水爆禁止運動(潮新書)』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
内容<作業中>
頁 | 大会 | 備考 | |
7 | 1 | プロローグ | |
37 | 2 | 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる | |
57 | 3 | 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 | |
85 | 4 | 日本の非核武装化にたちむかうために | |
111 | 5 | 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 | |
130 | 6 | 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か | |
155 | 7 | 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 | |
176 | 8 | 社・共両党の激突と大衆の統一への願い | |
192 | 9 | 国民運動の崩壊と再生への四つの芽 | |
232 | 10 | 毛沢東理論からみた日本原水協批判 | |
261 | 核兵器のない世界をめざして | ||
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止