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資料年表:大原三八雄

資料年表:大原三八雄

 年月日  事項  備考
 1905
 0123  広島市生まれ
 1952
 1001  『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著 大原三八雄訳、広島ピース・センター刊)
 訳者「フロイド・シュモー博士の横顔」  1
1954
 1210  『原爆と広島 大学人会研究論集 第1集』(平和と学問を守る大学人の会編、広島県教職員組合事業部)
大原三八雄 「文芸作品に表れた原爆」序説 (65)
1955
 0806  『The Songs of Hiroshima-広島のうた』(大原三八雄 編・訳、YMCA刊)
 1956
0308 『われらのうた 第17号』
ハイネとシューマン 大原三八雄  15-17
以下、雑誌掲載分は未入力
1960
 0801  『黒い蝶-原爆前後の手記』(松岡鶴次著、季節社)
 序 浜井信三 5
跋 大原三八雄 221
 1964
 0215  『広島県詩集 第4集』(広島県詩集編集委員会編、広島県詩人協会刊)
 大原三八雄 シクラメンの花 16
 0801  『The Songs of Hiroshima 広島のうた』(大原三八雄訳、「広島のうた」編集委員会)
 第1部 「八月六日」
第2部 鎮魂歌
縛り首のヒロシマ 大原三八雄
第3部 原水爆禁止を
考える人 大原三八雄
第4部 未来に歌う
編集にあたって 英訳・編集 大原三八雄
 1967
 0610  『8月6日と文学』(広島女学院大学文芸部)
 4.大原三八雄 8
 0805  『原爆ドーム保存運動の中から 爆心地』(広島折鶴の会)
大原三八雄「八月六日の幻想 折鶴会へのメッセージ」 92
 1969
 0721  『さらば広島 = Goodbye to Hiroshima』(大原三八雄編、バーバラ・レイノルズ女史に感謝する会刊)
 0806  『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
 座談会 その6  出席者 615
中村義男・相原和光・林寿彦・永田守男・村上安恵・高井正文・藤田一雄・大原三八雄・山本康夫・深川宗俊・田辺耕一郎・田淵実夫
1970
 0620  『日本原爆詩集』(大原三八雄・木下順二・堀田善衛編、太平出版社)
 1974
 0801  『世界原爆詩集』(大原三八雄編、角川書店)
1975
0101  『平和のあけぼの』(和泉たくみ作詞、大原三八雄訳、『平和のあけぼの』普及後援会本部刊)
 1124  『ヒロシマを持って帰りたい』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部編・刊)
いちばん欲しいこと 大原三八雄
 1977
 0725 『慟哭』(尾上和彦作曲、山田数子作詩、音楽之友社)
付属資料有り:「尾上和彦作品リサイタル」リーフレット(B4版三つ折1枚 広げると25×37cm)、プログラム(B5変形1枚 24×12cm)、英語版の歌詞「慟哭 Lamentation」(大原三八雄翻訳 B4版二つ折1枚 広げると26×37cm)
1978
1115 『副交叉路 詩集』(北畠隆著、ぷれるうど詩社)
ヒロシマ旅北畠隆 大原三八雄 119
1980
0523 『季刊・長崎の証言 7号』(鎌田定夫編、長崎の証言の会)
「ヒバクシャ」の負い目に生きる 大原三八雄 20
1982
0220 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬 創刊号』(広島・長崎の証言の会)
評論:「原爆時」この一年 大原三八雄 80
0225 『平和への道 教皇ヨハネ・パウロⅡ世来広記念文集』(カトリック正義と平和広島協議会「平和を願う会」)
この人を見よ-ローマ法王を迎えて- 大原三八雄 20
0630 『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』(水田九八二郎、講談社)
62-『日本原爆詩集』大原三八雄・木下順二・堀田善衛編(昭和四十五年) 2
1983
0210 『ヒロシマ・ナガサキの証言’83冬 第5号』(広島・長崎の証言の会)
書評:「反核・反戦・平和」のヒロシマ  大原三八雄 116
1120 『広島県詩集 第14集』(広島県詩人協会)
大原三八雄 「地下街的思惟」 30
1985
0430 『河図洛書-渓水社十周年記念』(木村逸司編、溪水社)
「一九〇〇年」という年 大原三八雄 165
0806 『広島女子大国文  第2号』(広島女子大学国文学会)
特集 原爆と私 pp.84~113
大原三八雄・小井手桂子・松井淑・切明春子・岡本三和子・木下裕子・沢香苗・田辺怜子・平田雅子・佐藤真規子・和田知子・谷口さち・福田靖子・出原隆俊・西岡政治
1991
0720 『森瀧市郎先生の卒寿を記念して』(行安茂 編著刊)
4 同僚・後輩が語る森瀧市郎先生
(1)わがこころの聖域 大原三八雄 109
 1992
 0706  没。享年87歳。
1994
0331 『広島市公文書館所蔵資料目録 第18集』(広島市公文書館)
大原三八雄氏資料 6
0710 『ヒロシマの青春 私の中の峠三吉』(ひろしまミニコミセンター編、峠三吉記念事業委員会)
 峠三吉との不条理な出会い 大原三八雄 90
 2007
 0806  『原爆詩一八一人集 1945~2007年』(長津功三良、鈴木比佐雄、山本十四尾編、コールサック社)
 大原三八雄 茶わん 23

資料年表:木村功

木村功

きむら・いさお 19230622生19810704没 享年58歳 新劇俳優・映画俳優。広島市生まれ。広島二中卒。原爆でを失う。『功、手紙ありがとう』(木村梢、三笠書房、1985.6.22)。『広島県現代文学事典』(九内悠久水子・記)

資料年表:木村功<作業中

年月日
1923
0622 広島市千田町に生まれる。<「木村功年譜」(『功、手紙ありがとう』所収)>
1944
02 大竹海兵団に入団<「木村功年譜」>
1945
08 原爆により父死す<「木村功年譜」>
09 復員<「木村功年譜」>
1968
0501 『テアトロ 通巻第298号』(テアトロ刊)
宇佐見宜二「舞台に生きる27 木村功」…5
1981
0704 死亡。享年58歳。
1985
0622 『功、手紙ありがとう』(木村梢編著者、三笠書房)
2003
0730 『ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道』(NHK出版)
第15章 未来への伝言…333 俳優木村功の遺言/
2010
1220 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版)
「木村功」(九内悠水子・記)
2017
1230 『反戦映画からの声 あの時代に戻らないために』(矢野寛治著、弦書房)
Ⅲ 戦争の悲劇を演じた俳優たち……………145
戦争の無惨さを全身全霊で具現した(五十音順)
木村功 174
2020
0710 『俳優と戦争と活字と』(濵田研吾、筑摩書房)
門前に佇む母 鈴木瑞穂、渡辺美佐子、木村功 341

杉本春生

杉本春生

すぎもと・はるお 19260321生19900706没 享年 詩人、文芸評論家。『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)

資料年表:杉本春生<作業中

年月日 事項 備考
1926
0321
1956
0830 『詩学 1956.08 第11巻第9号』(詩学社)
詩都通信<岩国> 杉本春生 10
1965
0715 『広島詩集 1965 原爆投下20年号』(広島県詩人協会刊)
大原三八雄「編集後記」<本詩集のために各篇の解説を進んでお引きうけ下さった杉本春生氏に深甚の感謝>
 1966
0301 『ぷれるうど 26 1966.03』(ぷれるうど詩話会、1966/03/01)
岩国通信 杉本春生
1969
0101 『真樹  第40巻第1号 新年号』
「或る」という詩語の深さ 杉本春生 28
1001 『広島通信 No.17』(広島県詩人協会)
新刊紹介-杉本春生
1970
1201 『広島通信 No.24』(「広島通信」の会)
山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり- 杉本春生
 1973
0201 『広島通信 No.37』(「広島通信」の会)
平和という語 杉本春生
 1125  『広島不虚』(米田栄作著、湯川書房)
 解説 杉本春生 275
 1974
 0801  『世界原爆詩集』(大原三八雄編、角川書店)
 解説 杉本春生
1979
0401 『未来はここから始まる ヒロシマ詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会)
杉本春生 「未来への意味を問う」 76
1985
1101 『けんみん文化  1985年11月号第1巻第5号』(広島県民センター)
私の情報日記 杉本春生/金山桂子 7
1990
0706
 1996
0218 『夕空晴れて』(井野口慧子著、みもざ書房)
「杉本春生全集」刊行によせて 128
2010
1220 『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)

古浦千穂子

古浦千穂子

こうら・ちほこ 1931**生20120703没 享年81歳 小説家、広島文学資料保全の会代表。『広島県現代文学事典』(執筆:梅原勝己)

資料年表:古浦千穂子<作業中

年月日
1931 広島県安芸郡海田町生まれ。
1945
0806 海田高等女学校2年生。翌日から1週間、町内の明顕で被災者を介護。
1972
 0720  『ひろしまの河 復刊1号 通巻16号』(原水爆禁止広島母の会)
一本の杭として 古浦千穂子 16
1973
0601 『広島通信 No.31』(「広島通信」の会)
ABCC特集
・・・・・・・・・・
ABCCとは… 古浦千穂子
 1975
 0806  『広島・長崎30年の証言(上)』(広島・長崎の証言の会、未来社)
古浦千穂子「 生きられなかった被爆者たち」  171
 1976
0801 『広島通信 No.53』(「広島通信」の会)
特集 平和と私との距離
個から始まる 古浦千穂子
 1977
 0625  『ピカッ子ちゃん』(正田篠枝 作・なかのひろたか絵、太平出版社)
  栗原貞子・古浦千穂子「正田篠枝さんについて 」 161
 1981
0101  『広島通信 No.63』(「広島通信」の会)
「弱」の論理で考えたい 古浦千穂子
 1982
 0530  『ヒロシマ・ナガサキの証言’82春 第2号』(広島・長崎の証言の会)
 小説・山を憶えている 古浦千穂子…117
 1983
0801  『日本の原爆文学 11 短編Ⅱ』(中山士朗ほか著、ほるぷ出版)
古浦千穂子「 風化の底」  49
 0801  『日本の原爆文学 13詩歌』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版)
 古浦千穂子「死 人のリスト」 42
1030   『ヒロシマ・ナガサキの証言’83秋 第8号』(広島・長崎の証言の会)
 書評「原爆と人間」(石田忠)古浦千穂子 128
1984
0221  「核・貧困・抑圧 ’83アジア文学者ヒロシマ会議報告」(アジア文学者ヒロシマ会議実行委員会編、ほるぷ出版)
 感想-アジア文学者ヒロシマ会議に参加して 351
伊藤真理子/古浦千穂子/豊永恵三郎/藤本仁/松本寛/三浦精子/山田夏樹
  1985
 0820    『ヒロシマ・ナガサキの証言’85夏 第15号』(広島・長崎の証言の会)
 生き残るための証言に 古浦千穂子 34
  1991
  0815  『軍縮問題資料 No.129』(宇都宮軍縮研究室)
エッセイ 古浦千穂子…55
1993
  1201  『駆けぬけて 羽原好恵追悼集』(羽原好恵追悼集刊行委員会)
 無念の死 古浦千穂子 作家 45
 1995
1201 『いしゅたる No.16』(堀場清子、いしゅたる社)
被爆者だった私 古浦千穂子 8
 1996
  0806  『女がヒロシマを語る』(堀場清子ほか編、インパクト出版会)
 原爆歌人正田篠枝とわたし 古浦千穂子 64
2003
1020 『地平線 No.35』(広島KJ法研究会)
 コラム 人間の命への想像力 古浦千穂子 56
 2005
  0801  『原爆は文学にどう描かれてきたか』(黒古一夫、八朔社)
 風化・差別に抗して-亀沢深雪・古浦千穂子の仕事 104
 2006
  0701  『一度目はあやまちでも 栗原貞子を語る 広島に文学館を!市民の会ブックレット』(広島ミニコミセンター編、広島に文学館を!市民の会)
 栗原貞子の人と文学 古浦千穂子 37
2007
 0701  『夕凪の街から 大田洋子を語る 広島に文学館を!市民の会ブックレット Vol2』(池田正彦編、広島に文学館を!市民の会刊)
大田洋子をめぐって-原爆投下後に原爆作品を書いた人たち 古浦千穂子 63
2012
0703 没。享年81歳

広島・原爆災害の爪跡

『広島・原爆災害の爪跡』(中野清一編著、蒼林社出版、19820720)

内容

はじめに
現代と原爆(3)広島と私(6)本書の構成(21)
原爆の体験記録
はしがき 25
1 原子爆弾症の白痴のような傷害 35
--大田洋子『屍の街』(一九四八年)より
2  地上最悪の日 36
--蜂谷道彦『ヒロシマ日記』(一九五五年)より
昭和二十年八月六日(36)八月七日(40)
3 原爆投下直後のこと 51
--内田千寿子『一九四五年八月からの出発』(一九七七)より
4 あれから三〇年 62
--内田千寿子『一九四五年八月からの出発』(一九七七)より
原爆手帳交付(62)地域の連帯(65)
5 閃光は消えず 71
--松岡克昌『芦品部隊と警防団』(一九七五年)より
6 中沢家始末記抄 81
--中沢啓治・共同映画宣伝部『はだしのゲン』(一九七六年)より
戦争末期--飢えと恐怖の幼き日(81)原爆が投下された(83)地獄の中でみんな死んだ(85)無数の死に出会った(86)生きる闘かい(88)
7 八月六日のこと 90
--西川満子『原爆』(一九八一年)より
余録・ふたつのジレンマ-原水爆とマスコミ 94
--中野清一『あゆみの新聞』第十三号(一九六〇年)より
事実と誇張(97)記録の姿勢(100)われわれの要望(103)
原爆第一号の調査記録-初期資料(一九四五年から一九六〇年頃まで)の概要-
はしがき 107
1  原爆投下前後の諸状況 109
投下前後の気象(109)投下敵機の状況(109)
2  原爆第一号の威力と爆発状況 111
原子爆弾の威力(111)投下された原爆の爆発状況(113)
3  黒雨の驟雨 118
黒色の泥雨(118)原子核分裂による放射(120)
4 原爆第一号がもたらした諸災害 121
1 物的災害 121
概観(121)建物被害(122)特殊施設の被害(125)放射能による汚染状況(127)
2 人的被害(1)-一般市民の生死 129
概観(129)一般市民の死傷者数(131)死傷者数の推移(132)
3 人的被害(2)-一般市民の傷害 137
原子爆弾傷または原子爆弾症(137)後遺症と晩発障碍症(138)初発障碍の実態(140)慢性障害者(145)
4 人的被害(3)-特殊集団の場合 162
概観(162)生徒・学生・動員学徒の災害(163)国民義勇隊とくに地域国民義勇隊の災害(170)軍隊集団の災害(171)その他の特殊集団(173)
5 原爆がもたらした諸影響 173
概観(174)経済的影響(175)人口動態にみられる影響(185)産業別人口の推移(190)家族関係への影響(101)社会生活上の悪条件(204)
第3部 被爆者救済活動と原水禁運動-その初期(一九六〇年頃まで)の様相-
はしがき 209
1 被害対策の消長 211
1 応急措置 211
応急措置の背景(211)羅災対策協議会(212)食糧対策(213)遺骸収容(213)負傷者の救護(214)応急措置の限界(215)
2 長期対策の胎動 216
「原子爆弾の療養方針」の発表(216)長期対策の萌芽とその挫折(218)アメリカ連合委員会(219)原子爆弾災害調査特別委員会(日本)(220)調査中心への傾斜(221)A・B・C・C(223)治療活動への転換(223)
3 「原爆医療法」前後 224
組織的な治療活動の開始(224)市勢調査員組織による障害者の把握(225)広島市原爆障害者治療対策協議会(226)治療費国庫負担への要望台頭(227)「原爆医療法」の発布(228)原爆被害対策課の発足(229)被爆者健康手帳をめぐる諸状況(230)法外援護事業(234)加療上の問題点と「援護法」への前進要請(234)
4 救済活動と被害者団体の動き 237
内外の救援活動(238)「広島の家」と「憩いの家」(238)「友の家」(239)広島被爆者福祉センター(240)広島平和会館(240)被害者組織の動き(241)原爆の子友の会・原爆乙女の会・原爆被爆者の会(242)八・六友の会(243)広島子供を守る会(243)あゆみグループ(244)原爆被害者救援委員会と広島県原爆被害者団体連絡協議会(245)広島市原爆被害者連合会(245)広島県動員学徒犠牲者の会(246)「こけしの会」・「平和をきずく児童・生徒の会」(247)折鶴会(249)遺族会など(250)
2 ノーモーア・ヒロシマズ運動 251
発端(251)源流(252)世界平和デー(259)平和記念都市設への世界的関心(260)ワールド・ピース・センター(261)世界連邦運動(262)世界連邦アジア会議(263)
3 原水爆禁止世界大会前後 266
概観(266)地域青年の動き(268)民主団体の動き(269)少年少女の動き(270)学者・専門家たちの動き(277)広島婦人たちの動き(278)原水爆禁止世界大会開催への動き(282)第一回原水爆禁止世界大会(282)第二回原水爆禁止世界大会(287)八・六学生平和会議(288)第二回世界大会以後(288)第三回・第四回原水爆禁止世界大会(289)
あとがき 291

仲間とともに-中野清一教授広島大学御退官記念論集

『仲間とともに-中野清一教授広島大学御退官記念論集』(中野清一教授記念事業会、19651225)

まえがき
伊藤満
1部 新らたな灯をともさんとして
私の未来像-ヒロシマによせる期待- 3
(広島大学退官記念講演会速記録から・19650227)
日本社会学への反省 27
(林恵海教授還暦記念論文集・日本社会学の課題・1956年・有斐閣)
<補註>山手茂「社会学者としての中野清一先生」 32
2部 仲間とともに
原爆影響の社会学的調査 37
(原爆と広島・大学人会研究論集第1集・195411)
 ヒロシマの立場 58
(広島大学新聞(教養部)・19491025)
世紀のグループ 61
(広島子供を守る会青年部機関紙創刊号・19551025)
グループの表情 61
(あゆみ・第6号・19560601)
あゆみグループに期待する 63
(あゆみ・第7号・19570210)
生活ぐるみ平和運動 68
(あゆみ・第8号・19570920)
グループ通信 71
(あゆみ・第9号・19580115)
生活の基底に立った同志づくりを 73
(あゆみ・第11号・19580802)
グループ交流のために 75
(あゆみ・第12号・19590320)
ふたつのジレンマ-原水爆とマスコミ- 76
(あゆみ・第13号・19601120)
ヒロシマに甦った青春 94
(文芸春秋・196109)
話し合い諸条件 110
(広大教養・19610705)
沖原義明「<補註>中野清一先生とあゆみグループ」 113
3部 大地を這う
人間尊重の教育について 119
(宗教情報・第21号・195301・金光教宗教方法教育研究会刊)
グループ活動講座 170
/新しいグループ活動/グループ活動の諸段階/計画的なグループ活動/
(県婦協新聞・19550101~0501号)
家庭教育論179
/忘れられてる条件/勤労指導の諸条件/余暇指導の問題/「お小遣い」の問題/直接法と間接法/「家族会議」について/
(広島県PTA県連・195504~195602号)
PTA活動のいままでとこれから-問題点と解決のカギ- 202
(家庭教育・195712号・東方出版)
親と子の「すれ違い」 -どちらが正しい方向にいているのか- 210
(家庭教育・195605号・東方出版)
教育の無重力地帯 217
(家庭教育・195708号・東方出版)
コドモの危機 -社会的離乳期の門題- 226
(朝日新聞・19510312)
忘れられた人々 -社会保障の日本的盲点- 228
(朝日新聞・19510324)
バランス失調 -このごろの社会診断- 230
(朝日新聞・19510616)
ホボロの旅 -離婚世相に絡んで- 233
(中国新聞・19510828)
一つの系譜 -家、友人そして書物- 235
 (1965・9・1~29―広島東千田町と宇治南山とで)
付録
多喜二さんの執念 267
あとがき

中野清一

中野清一

なかの・せいいち 1905**生19930702没 享年88歳 広島大学名誉教授。元立命館大学教授。「あゆみグループ」を組織し、原爆孤児を支援。

資料年表:中野清一<作業中

年月日
1905
**** 誕生
1954
1210 『原爆と広島 大学人会研究論集 第1集』(平和と学問を守る大学人の会編、広島県教職員組合事業部)
 中野清一「原爆影響の社会学的調査」(29)
1958
0301 『新修広島市史第2巻 政治史編』
第5章第3節第2項
「平和記念都市建設事業」(執筆:中野清一)
1026 「広島子どもを守る会青年部」あゆみグループの4組、原爆慰霊碑前で青空結婚式。仲人は中野清一夫妻。 C
1227 『新修広島市史第4巻 文化風俗史編』
 第7章 市民生活の進展[執筆:中野清一]
第8章 新教育制度[執筆:中野清一]
第9章 原爆と新しい文化[執筆:中野清一]
 1959
0517 広島子どもを守る会青年部(代表:中野清一広島大教授)、「祖父母と孫の家庭」実態調査を決める。
0931 『新修広島市史第3巻 社会経済史編』
第8章 原爆後の社会経済問題[執筆:石井金一郎・中野清一]
1961
0601 『新修広島市史第1巻 総説編』
第4編 原爆と広島[執筆:中野清一]
0901 『文芸春秋 第39巻第9号』(文芸春秋新社)
ヒロシマに甦った青春 中野清一 236
0921 中野清一と谷本清広島流川教会牧師、アール・レイノルズのウラジオストクへのヨットでの核実験抗議航海を中止するよう説得。 C
1962
0822 広島平和科学研究所の発会式。中野清一広島大学政経学部長らが設立準備。
1215 『不死鳥 第4号』(広島大学職員レクレーションの会)
戸惑う季節 中野清一(政経学部)…6
1963
05 中野清一、世界各国・各層から平和問題についてのアンケートを取り、あゆみグループの被爆青少年の声とあわせて出版を計画。 C
1110 NHK教育テレビ、原爆孤児とともに歩みを続ける中野清一・千歳夫妻の人間像を描いた「原爆のこらとともに」を全国放送。
1965
1225 『仲間とともに-中野清一教授広島大学御退官記念論集』(中野清一教授記念事業会)
1968
1220 『学問の周辺』(末川博編、有信堂)
中野清一「社会学とともに」
nakano01
1982
0720 『広島・原爆災害の爪跡』(中野清一編著、蒼林社出版)
1993
0702 死亡。享年88歳
1997
0125 『山代巴と民話を生む女性たち』(神田三亀男編著、広島地域文化研究所)
第二の故郷広島と山代さん 中野清一 94
第一信 95
第二信 99
 2005
 0225  中野千歳(夫は中野清一)、死去。享年96歳
 2012
 0423 『私の師』  NPO法人「ANT-Hiroshima」代表 渡部朋子さん(聞き手:升田咲子)『中国新聞』   C
 2023
0403  【考 fromヒロシマ】原爆孤児を「守る会」70年 「ノーモア」願い支援の輪(小林加奈)  C

宇都宮徳馬

宇都宮徳馬

うつのみや・とくま 19060924生20000701没 享年93歳 政治家・実業家。1980年宇都宮軍縮研究室 (出版社)設立。月刊誌「軍縮問題資料」創刊。<宇都宮軍縮研究室の組織概要

宇吹所蔵資料より

 1981 0806
『中国新聞』全面広告
【意見広告 No More Hiroshima 被爆者の証言】「ヒロシマ・ナガサキの「情報」を世界に伝えよう」
宇都宮徳馬(宇都宮軍縮研究室)
 chugokusinbun19820806
 19850818
NTV系全国26局ネット「特別番組ニュージーランド’85・冬~南半球から平和を考える~」
 dc198508182
  1993 0815
 『軍縮問題資料 8月号 No.153』。
 特集 核時代に生きる   宇吹暁「原爆体験手記の系譜 」 42bk19930815-001

資料年表:加納竜一

資料年表:加納竜一<作成中

年月日
1904
**** 神戸市生まれ。
1968
0401 『世界 第269号』(岩波書店)
「原爆映画」の全巻を見る権利について 加納竜一 274
0601 『マスコミ市民 No.16』(日本マスコミ市民会議)
座談会 カメラを廻したのは私たちだ 加納竜一・山中真男・相原秀次・上田哲 6
広島を訪う 加納竜一 32
06 米返還原爆記録映画「広島・長崎における影響」制作スタッフ、原爆の学術記録写真集の出版を計画。 C
1969
0202 加納竜一、被爆の後広島を撮影した記録写真(スライド700枚)を広島で公開。 C
0301 『マスコミ市民 No.24』(日本マスコミ市民会議)
原爆白書としての映画(二) 加納竜一 56
1970
0511 原爆映画全面公開推進会議のメンバー(森滝市郎・相原和光・加納竜一)、坂田文部大臣に原爆記録映画「広島・長崎における原爆の影響」の全面公開を要請。
0710 『アサヒグラフ  第2428号 原爆の記録』(朝日新聞社)
文・記録の正確な位置づけを(加納竜一) 44
1972
0331 『広島県史 原爆資料編』(広島県編・刊)
「広島・長崎ロケ日記」〔加納竜一氏蔵〕pp.610-626
「資料解題 9原爆映画ロケ班の資料」pp.954-955
1988
0701 死亡。享年84歳。
1995
0709 「検証ヒロシマ1945~95<25>映画」(報道部・西本雅実)(『中国新聞』)
2000
0530 「広島・長崎における原子爆弾の影響」台本
資料詳細 – 広島平和記念資料館平和データベース (hpmm-db.jp)
原爆被災記録映画製作のプロデューサーを務めた故・加納竜一氏が持っていた資料。映画は、国策会社だった日本映画社の関係者や理化学研究所の仁科博士らの働きかけで「原子爆弾災害調査研究特別委員 会」の調査活動の一環として製作が認められ、9月下旬より撮影開始。映画製作にあ たっては、当初から被爆の実相を客観的に科学的に記録しようとする姿勢が貫かれた。途中、長崎でGHQに 撮影中止を命ぜられるが、米国側と交渉の結果、空襲の効果を調べる目的で来日し、調査活動を行っていた米国戦略爆撃調査団の委嘱を受ける 形で映画製作の継続が可能となり、その監督下で製作が行われた。1946年英語版 「広島・長崎における原子爆弾の影響」が完成し、米国に納品。さらに全ての資料の提出を命じられ、写真・フィルムも全て米 国に持ち帰られるが、一部関係者が何としても映画を残したいという思いから秘かにフィルムの一部分の複製をつくり、保存していた。1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、秘かに保存されていたフィルムは、「朝日ニュー ス」363号で一般に公開され、ニュース映像や「原爆の長崎」、「生きていてよかっ た」などの映画に活用され始める。一 方、米国から作品が返還されたのは、1967年 のことだった。

資料年表:宇都宮徳馬

資料年表:宇都宮徳馬<作業中

年月日
1906
0924
1980
05 宇都宮軍縮研究室創設。
1001 『軍縮問題資料 No.1』(宇都宮軍縮研究室)創刊。
1981
0325 『軍縮問題資料 No.6』。
「軍縮」に具体的行動を 河野洋平 2頁
付、一、ローマ法王平和アピール 11頁
二、故アイゼンハワア米大統領の離任演説要旨 18頁
0513 国際軍縮促進議員連盟設立総会。東京・第2議員会館。宇都宮・大石武一両参議院議員らの呼びかけ。全党の104人が出席。 C
0525 『軍縮問題資料 5月号 No.8』。
一、差し迫った核戦争の危険/ロバート・C・オルドリッジ 3
二、軍縮と日本の使命/前田寿 29
三、軍縮のゲーム 31
四、国連軍縮特別総会の最終文書全文 35
五、包括的軍縮計画への提言 57
六、全面完全軍縮 60
七、国際軍縮促進議員連盟創設 61
0725 『軍縮問題資料 7・8月号 No.10』。
特集号 ヒロシマに想う
海洋の軍事力支配 ストックホルム国際平和問題研究所
オ-エン・ウイルクス 2
核兵器こそ本質的に悪
―アインシュタイン― 篠原正瑛 12
選択を考える 坂本義和 13
強いアメリカ、弱いアメリカ 米谷健一郎 30
第四回 科学者京都会議聲明 34
核兵器絶滅計画 ラルフ・K・坂本 36
核兵器と日本人 宇都宮徳馬 42
ヒロシマを考える 高橋昭博 46
先進国首脳者への要望 三宅善二郎 51
0925 『軍縮問題資料 7・8月号 No.10』。
軍縮のための国際平和秩序創出の急務 関寛治 2
ストックホルム国際平和研究所一九八一年版年鑑要旨 9
ノエル・ベーカー卿の核廃絶アピール 10
ラッセル・アインシュタイン宣言 15
軍縮 国連広報資料 19
戦争と名分 宇都宮徳馬 24
日本よ、大志を抱け 林卓男 26
アメリカの基地-破滅への踏石 ロバート・C・オルドリッジ 33
1025 『軍縮問題資料 11月号 No.13』。
軍縮こそ世界平和の基礎 2
-園田外相国連演説全文-
破滅の牙をとぐ核兵器 高良とみ 9
金日成主席との会談抄録 宇都宮徳馬 17
一枚岩ではないアメリカ(上) 國弘正雄 20
核時代の軍縮 ワルトハイム国連事務総長 27
平和・軍縮に関する世界へのアピ-ル アルヴァ・ミュルダン 30
緊張暖和へのソ連の呼びかけ 三宅善二郎 31
日本にある国連機関 国連広報資料 37
夕雲の「相抜け」剣法の精神で- 高山岩男 44
1125 『軍縮問題資料 12月号 No.14』。
一枚岩ではないアメリカ(下) 國弘正雄 2
アメリカとソ連 ジョ-ジ・ケナン 10
―人類を自滅の道連れに-
ゆさぶられる核抑止戦略 阪中友久 16
「非核三原則をめぐるシンポジウム」の報告 原爆問題 26
広島綜合研究室
「軍縮への提言」応募論文について 38
1225 『軍縮問題資料 1月号 No.15』。
 1981
0806 『中国新聞』全面広告
【意見広告 No More Hiroshima 被爆者の証言】「ヒロシマ・ナガサキの「情報」を世界に伝えよう」
宇都宮徳馬(宇都宮軍縮研究室)
1985
0818 NTV系全国26局ネット「特別番組ニュージーランド’85・冬~南半球から平和を考える~」
 1993
 0815  『軍縮問題資料 8月号 No.153』。
 特集 核時代に生きる   宇吹暁「原爆体験手記の系譜 」 42
2000
0701 没。享年93歳。
 0712  『朝日新聞』「惜別 政治家・宇都宮徳馬さん 生ある限り反核の叫び」(編集委員・小林暉昌)
2001
 1026  「宇都宮徳馬先生を偲ぶ会」鯨岡兵輔(発起人代表)会場:キャピトル東急ホテル。
宇吹宛案内状
 dc20011026