河村虎太郎
かわむら・とらたろう | 19140202生19870621没 | 享年73歳 | 医師。核禁会議広島県民会議議長。在韓被爆者渡日治療広島委員会代表。 |
河村虎太郎年譜
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出典:『医療と信仰 河村虎太郎遺稿集』 |
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河村虎太郎
かわむら・とらたろう | 19140202生19870621没 | 享年73歳 | 医師。核禁会議広島県民会議議長。在韓被爆者渡日治療広島委員会代表。 |
河村虎太郎年譜
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出典:『医療と信仰 河村虎太郎遺稿集』 |
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資料年表:石井金一郎<作業中>
年月日 | ||
1922 | ||
0402 | 誕生 | |
1952 | [52広島平和問題談話会](広島女子短期大学助教授)。 | |
1101 | 『広島教育 No.35 11月号』(広島県教職員組合事業部) | |
教師をとりまくもの 石井金一郎 24 | ||
1954 | [54世界平和集会世話人(発起)] | |
1957 | ||
0510 | 『広島教育 No.76 5月号』(広島平和教育会館出版部) | |
日本教職員団体連合会(教団連)の結成から何を学ぶか 石井金一郎(広島女短大) 10 | ||
0701 | 『広島教育 No.78 7月号』(広島平和教育会館出版部) | |
相馬原事件の終末はまだ来ていない 広女短大 石井金一郎 4 | ||
0801 | 『広島教育 No.79 8月号』(広島平和教育会館出版部) | |
ソ同盟幹部の更迭は何を意味するか 広島女子短大 石井金一郎 6 |
||
1959 | ||
0801 | 『中央公論 8月号 第858号』(中央公論社) | |
「生きていてよかった」か 石井金一郎 78 | ||
1960 | ||
0825 | 『戦後日本の国家権力』(現代史研究会、三一書房) | |
1210 | 『廣島大学新聞 創刊百号記念特集号』(広島大学新聞会) | |
うれうべき教科書 石井金一郎…22 | ||
現代史研究会編著「戦後日本の国家権力」松富弘志…82 | ||
1965 | ||
0101 | 『放送RCC 第39号 Vol. 5 No.1』(ラジオ中国) | |
ひろしま20年の足跡〈1〉■原子爆弾投下まで 石井金一郎 30 | ||
0520 | 『現代憲法読本』( 石井金一郎、法律文化社) | |
1967 | ||
0101 | 『放送RCC 第63号 Vol. 7 No. 1』(ラジオ中国) | |
広島の軌跡■小御所会議 石井金一郎 38 | ||
0621 | 没。享年45歳。 | |
1985 | ||
0215 | 『半生雑記帳』(山田浩 著、溪水社 [渓水社]) | |
畏友石井金一郎氏の死 | ||
1995 | ||
0720 | 『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会) | |
社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-山田浩(昭20文乙) 191 | ||
止
石井金一郎
いしい・きんいちろう | 19220402生19670621没 | 享年45歳 | [52広島平和問題談話会](広島女子短期大学助教授)。[54世界平和集会世話人(発起)]。元広島大学教授。日本原水協専門委員。〈〉 |
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ウィリアム・シャール William schull
生20170620没 | シャール、ウィリアム | 享年95歳 | 1949年ABCCに赴任、遺伝調査を実施。放射線影響研究所副理事長、米テキサス大学教授。 |
資料年表:ウィリアム・シャール<作業中>
年月日 | ||
****生 | ||
1988 | ||
**** | RERF Newsletter 14(4):28-30, 1988. | |
William J Schull:ABCC-RERFの思い出 | ||
ABCC-RERFの思い出 – 公益財団法人 放射線影響研究所 RERF | ||
2017 | ||
0620 | 没。 | |
0628 | ウィリアム J.シャール博士を偲ぶ – 公益財団法人 放射線影響研究所 RERF | |
1024 | 「別れの記 ウィリアム・シャル 遺伝学者」(佐分利幸恵:共同)(『中国新聞』20171024) | |
2020 | ||
0127 | 「原爆調査シャル氏の回想録 広島大名誉教授利島さん翻訳」(『中国新聞』) | |
止
岡ヨシエ
おか・よしえ | 1931**** 生20170619没 | 享年86歳 | 原爆投下第一報。『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』(旧比治山高女第5期生の会、1969/08/06) |
資料年表:岡ヨシエ<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
**** | 生 | |
1969 | ||
0806 | 『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』(旧比治山高女第5期生の会) | |
交換台と共に 岡ヨシエ 28 | ||
1971 | ||
1208 | 『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』(広島市役所) | |
『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』 | ||
1973 | ||
0615 | 中国新聞連載「よみがえる『あの日』」開始。 | |
(6)中国軍管区司令部の作戦室から福岡の西部軍管区司令部、福山の歩兵41連隊へ原爆投下を通報した岡ヨシエさん | ||
2017 | ||
0615 | 『岡ヨシエさんを悼む 防空作戦室の被爆証言者』(梶山時彦) | |
0619 | 没 | |
0621 | 「原爆による広島壊滅第一報 岡さんの意志次世代へ 親交の波多野さんら伝承」(中国新聞20170621、野田華奈子・記) | |
止
加藤剛
かとう・たけし | 20180618没 | 享年80歳 | 俳優。映画『ヒロシマ一九六六』に出演。『憲法と平和と私 21人の発言』(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)2005/11/20)『原水協通信 第844号2014.6.6』。 |
資料年表:加藤剛<作業中>
年月日 | ||
1938 | ||
0204 | 生 | |
1966 | ||
*** | 映画『ヒロシマ 一九六六』(監督:白井更生、キャスト:望月優子、現地制作:吉川清)広島県原爆被爆者映画製作の会=プロダクション「新制作集団」作品 | |
2005 | ||
1120 | 『憲法と平和と私 21人の発言』(平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)) | |
加藤剛(俳優)憲法九条は人類の英知―戦争がどういうものか知らせていきたい…22 | ||
2008 | ||
?? | 俳優座9条の会呼びかけ人(「潮流」『赤旗』20180711) | |
2009 | ||
1025 | 「60年代の原爆作品 再上映 広島で映画祭」(『中国新聞』20091025 道面雅量・記者) | |
「ヒロシマ」1966」ほか | ||
2014 | ||
0606 | 『原水協通信 第844号2014.6.6』(原水爆禁止日本協議会) | |
8面…加藤剛さんインタビュー | ||
2018 | ||
0618 | 没 | |
0710 | 死亡報道:『朝日新聞』、『中国新聞』、『赤旗』 | |
0731 | 『赤旗』 | |
夏原諒「亡き父、加藤剛を思う」 | ||
0815 | 『赤旗』 | |
お別れの会:9月30日 東京・青山葬儀所 | ||
止
山崎寛治
やまさき・かんじ | ****生20190614没 | 享年91歳 | 県立広島二中(現・観音高校)の代用教員だった17歳の時同校で被爆。旧天神町北組の慰霊碑の世話役。<投稿> |
資料年表:山崎寛治<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
**** | 誕生 | |
1975 | ||
0801 | 『あの日に 原爆体験手記』(進藤博) | |
八月六日 海田町 山崎寛治 44 | ||
1985 | ||
0725 | 『ヒロシマを語る』(ヒロシマを語る会) | |
山崎寛治 10 | ||
1987 | ||
0610 | 『望見』(埼玉県立狭山清陵高等学校) | |
語り部の方々との〈出会い〉の記録(お話の内容/印象メモ/手紙) 沼田玲子さん 82 山崎寛治さん 110 |
||
1225 | 『ヒロシマを語る』(ヒロシマを語る会) | |
山崎寛治 4 | ||
2010 | ||
0420 | 『府中町被爆体験記 安芸府中町史第五巻別冊』(広島県安芸郡府中町) | |
2013 | ||
0331 | 『ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第6巻』(広島平和文化センター 編集、厚生労働省・国立広島原爆死没者追悼平和祈念館刊) | |
山崎 寛治 広島 第6巻 93 山崎 寛治 広島 第6巻 103 |
||
2019 | ||
0614 | 没 | |
止
『碑に誓う 中学生のヒロシマ修学旅行』(江口保、東研出版、19830505)
内容
頁 | |||
序文 | |||
3 | 教師の人間的情熱こそ(栗原貞子) | ||
6 | 教育とは何かの示唆(高橋昭博) | ||
15 | 被爆者として教師として | ||
被爆死した友 夢遊病者のように 療養生活 子どもたちとの絆 被爆者運動 精いっぱいの抵抗 |
|||
31 | 旅立ちの前に | ||
広島への修学旅行を 系統的な平和教育を 最初の当惑 歓迎の手紙 生徒の不満 生徒の論争 事前学習 栗原貞子さんへの手紙 生徒の決意 広島の人たちとの出会い 実行委員会の準備 |
|||
73 | ヒロシマの心を学ぶ | ||
広島での日程 記念館・資料館の見学 翠町中学校との交流 原爆慰霊碑の前で それぞれの碑に分かれて 原爆病院と原爆養護ホームの訪問 畠中百合子さん宅へ アメリカ軍岩国基地 感激的な出会い 明日からではなく |
|||
161 | ヒロシマの心を広げる | ||
私も教師になって広島へ 下級生も広島へ 八月の広島を 修学旅行OB会 高校生活の中で広島を 父母の広島修学旅行 ヒロシマ・原爆を考える集い 他校への広がり 人間の痛みがわかる心を |
|||
197 | 事前学習資料ほか・参考文献 | ||
201 | あとがき | ||
止
江口保
えぐち・たもつ | 19280717生19980616没 | 享年69歳 | 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」を主宰した長崎の被爆者。 |
資料年表:江口保<作業中>
年月日 | ||
1928 | ||
0717 | 誕生 | |
1977 | ||
0319 | 『ひろしま’76 東京都葛飾区立上平井中学校修学旅行記録集』 | |
1979 | ||
0520 | 『平和教育運動 No.5』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育研究所出版部) | |
第5回全国平和教育シンポジューム報告 ヒロシマ修学旅行にとりくんで 139 江口保 |
||
1980 | ||
1110 | 『季刊・長崎の証言 9号』(長崎の証言の会) | |
ヒロシマ修学旅行-子どもたちの変革- 江口保…44 | ||
1981 | ||
0210 | 『季刊・長崎の証言 10号』(長崎の証言の会) | |
ヒロシマ修学旅行-子どもの変革(2) 江口保 74 | ||
0515 | 『季刊・長崎の証言 11号』(長崎の証言の会) | |
ヒロシマ修学旅行-子どもの変革(3) 江口保107 | ||
0515 | 『季刊・長崎の証言 12号』(長崎の証言の会) | |
ヒロシマ修学旅行-子どもの変革(最終回) 江口保96 | ||
1983 | ||
0331 | 『平和への道 広島を考える修学旅行文集』(東京都立葛西南高等学校第九回生修学旅行委員会) | |
被爆者を招いての講演会と感想 85 講師 江口保先生 藤原先生 85 |
||
0505 | 『碑に誓う 中学生のヒロシマ修学旅行』(東研出版) | |
0515 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’83春 第6号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会) | |
忠生中事件と被爆者 江口保 124 | ||
0623 | 『一回 : 朝倉清隆遺稿追悼文集』(朝倉清隆遺稿追悼文集編集委員会) | |
6、閃光を浴びて 259 石井逸子/横山彦治/江口保/西川満子/朝倉かつ子/箕浦章 |
||
0730 | 『沈めてよいか第五福竜丸』(武藤宏一氏追悼文集集委員会) | |
「’76ひろしま」と武藤さん 江口保 191 | ||
1030 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’83秋 第8号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会) | |
書評 「碑に誓う」(江口保)浜崎均 129 |
||
1984 | ||
1015 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’84秋 第12号』(秋月辰一郎・庄野直美編、広島・長崎の証言の会) | |
語りつづけるヒロシマ -出合いとめざめの旅 江口保 28 |
||
1986 | ||
1110 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’86秋 第20号』(鎌田定夫・庄野直美編、広島・長崎の証言の会) | |
通信 /江口保/8 | ||
1208 | 『ヒロシマに歳はないんよ』(佐伯敏子著、ヒロシマ・ナガサキを考える会) | |
はじめに 江口保 3 | ||
1987 | ||
0301 | 『ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会』通信第1号(江口保) | |
0720 | 『季刊「ヒロシマ・ナガサキの証言」終刊号 ヒロシマナガサキの群像』(広島・長崎の証言の会) | |
重い心をひっさけて 江口保 20 | ||
0930 | 『証言-ヒロシマ・ナガサキの声1987 創刊号』(長崎の証言の会) | |
八月のヒロシマ-修学旅行生とともに 江口保 145 | ||
1988 | ||
0330 | 『原子雲 第一集』(足立区原爆被害者の会(足友会)) | |
はじめに……足立区原爆被害者の会会長 江口保 4 『お化け』……江口保 48 |
||
『ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会』通信第1号~20号(19910915) | ||
1998 | ||
0616 | 没。享年69歳。 | |
2012 | ||
0610 | 『複数の「ヒロシマ」 記憶の戦後史とメディアの力学』(福間良明、山口誠、吉村和真編著、青弓社、) | |
第7章 廣島、ヒロシマ、広島、ひろしま―広島修学旅行にみる戦争体験の変容 山口誠 256 1 広島修学旅行と東京が出会うまで 258 2 「ヒロシマ」修学旅行の誕生―「上平井方式」とその「改良」 264 3 三つのガイドブック、四つの広島―「非核平和」と「ヒロシマ」の連動 276 4 「ヒロシマ」の風化―江口保の「ヒロシマ」批判 286 5 「ヒロシマ」のジレンマと向き合うために―戦争体験の風化と「追体験」の可能性 297 |
||
止
資料年表:金井利博<作業中>
年月日 | ||
1914 | ||
0101 | 生 | |
1952 | ||
1101 | 『広島教育 No.35 11月号』(広島県教職員組合事業部) | |
「象徴」への礼拝─人間という逆説について─金井利博 59 | ||
1953 | ||
0201 | 『広島文学 第3巻第2号 昭和28年2月号』(広島文学協会) | |
三角洲 芥川壽夫・兒玉浩三・金井利博 47 | ||
1956 | ||
1101 | 「山代巴著「荷車の歌」をめぐつて 時間の貧しさということ」(『芸備地方史研究会』)?? | |
1964 | ||
0805 | 金井中国新聞論説委員、「原水爆被害白書を作成し国連を通じ世界に公表を」と提案。(『中国新聞』) | C |
0825 | 『原水爆禁止広島・長崎大会報告決定集 No.2』(広島・長崎大会全国準備委員会) | |
原水爆被害白書を国連へ提出する件 金井利博 52 | ||
1965 | ||
0402 | <原爆関係文献収集事業> | C |
0901 | 『中央公論 9月号 第935号』 | |
広島・二十年の傷痕 金井利博 249 | ||
1967 | ||
0806 | <原水爆被災白書> | C |
1968 | ||
0120 | <広島原爆被災資料研究会結成> | C |
0308 | <ヒロシマ研究の会> | C |
1969 | ||
0801 | 『家庭と教育 第9巻第8号通巻第96号』 | |
◇特別記事◇核兵器の使用を拒否する拠点―広島の犠牲者の訴えと報道活動が考えだせられてくれるもの― 金井利博 14 | ||
1970 | ||
0615 | 『核権力 ヒロシマの告発』(三省堂) | |
0801 | 『キリスト 1970年8月号 第22巻第8号』(教文館) | |
被曝者とともに生きて二五年〈てい談〉 重藤文夫 金井利博 渡辺正治 14 |
||
0901 | 『未来 No.48』 | |
原爆被害と社会被害 金井利博 5 | ||
0809 | 『キリスト 1970年9月号 第22巻第9号』(教文館) | |
被曝者とともに生きて二五年(2)〈てい談〉 重藤文夫 金井利博 渡辺正治 14 |
||
1971 | ||
0607 | バーッチェト記者、金井利博中国新聞論説主幹と対談。 | C |
1972 | ||
0201 | <原水爆被災資料センター設立準備会> | C |
1974 | ||
0616 | 没。享年60歳。 | |
1975 | ||
0710 | 『火幻 1975年夏号〈原爆30周年特集号〉第18巻第68号』(火幻短歌会) | |
金井利博君のこと…近藤芳美 1 | ||
1987 | ||
211 | 『安部一成論文選集 5巻 原水爆禁止運動』(安部一成著、安部一成論文選集刊行委員会編、東洋図書出版) | |
核廃絶の道を探る-山田浩氏、金井利博氏との座談会(昭和四七年)…53 | ||
1997 | ||
0125 | 『山代巴と民話を生む女性たち』(神田三亀男編著、広島地域文化研究所) | |
4 私事往来(山代巴さんとの交流ほか) 神田三亀男 119 1.県北の書店にあった「蕗のとう」 120 2.金井利博さんとの出あい 121 3.人を育てる記者 金井利博さん 123 4.”荷車の歌”を評論した金井さん 128 5.山代さんと金井時子さん 129 6.金井さんと近藤芳美・宮本常一先生 133 「中国歌壇」の選者 近藤芳美 133 「中国歌壇選集」の編集 135 宮本常一先生と金井さん 137 |
||
0801 | 『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』(廣島高等学校同窓有志の会) | |
金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 山田浩(昭20文乙)293 金井さんへのレクイエムと広大平和科研のこと 熊田重克(昭24文甲)303 |
||
2009 | ||
0331 | 『被爆地広島の復興過程における新聞人と報道に関する調査研究』(小池聖一、広島大学文書館) | |
3.金井利博の思想と行動 冨沢佐一 29 | ||
0401 | 『梶山季之の文学空間 ソウル、広島、ハワイ、そして人びと』(天瀬裕康著、溪水社 [渓水社]) | |
1007 | 『生きて』前広島市長 平岡敬さん<6> | C |
「組合役員(書記長)だった僕の人事異動をめぐるごたごたを、学芸部長の金井利博さんが聞きつけひきとってくれた」 | ||
1008 | 『生きて』前広島市長 平岡敬さん<7> | C |
2010 | ||
0308 | <故金井利博の資料8000点 広島大に遺族が寄贈> | C |
1220 | 『広島県現代文学事典』(勉誠出版) | |
「金井利博」(小宮山道夫・記) | ||
2015 | ||
0225 | 『広島大学文書館蔵大牟田稔関係文書目録 個別編』(広島大学文書館) | |
凡例…ⅰ 1.書類 (18)金井利博…1 (19)川手健…9 (20)「川手健を語る会」…17 10.写真…19 11.新聞抜粋記事…85 |
||
2016 | ||
02 | 広島大学文書館『広島大学文書館蔵 金井利博関係文書目録』(広島大学文書館) | |
止