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松元寛

松元寛

 まつもと・ひろし 1924****生20030605没 享年78歳 英文学者。 広島大学名誉教授。原爆で母を喪う。

資料年表:松元寛

年月日
1924 朝鮮京城(現在のソウル)に生まれる。
 1955
 0830  『歯車 第1号』(歯車発行所)
松元寛「 犬」 19
 1960
 0515  『60+α 文学雑誌 第1号』(文化評論出版)
松元寛「 太宰治の文学-その可能と限界-」…18
1961
1001 『安芸文学(安藝文学) 第10集 記念特集号』(安芸文学同人会)
 松元寛「現代文学の条件 」35
1201 『ひろしまの河 No.4』(原水爆禁止広島母の会)
特集 被爆地の原水禁運動はどうあるべきか
1963
1215 『不死鳥 第5号』(広島大学職員レクレーションの会)
松元寛(文学部)「我が青春」 …4
1965
0901 『放送RCC 第47号』(ラジオ中国)
松元寛『ひろしま20年の足跡■文学の歩み 』 34
1966
0510 『安芸文学(安藝文学) 第20号記念特集号』(安芸文学同人会)
松元寛「同人雑誌の十年」 6
0801 『広島通信No.2』(広島県詩人協会)
松元寛(広島大学助教授)「被爆の証人〝原爆ドーム〟の保存を」
1968
0601 『広島通信No.10』(広島県詩人協会)
松元寛「原爆慰霊碑文再読」
0615  『歯車 第1号』(歯車の会)
松元寛「評論 現代における致し方ない正しさ」2
0801 『放送RCC 第91号』(中国放送)
松元寛「連載=道■幻想としての道」 20
1970
0610  『歯車 第19号』(歯車の会)
松元寛「パラダイス・ロード」 78
 0620  『<八月六日>を描く 作品集』(原民喜 [ほか] 著、文化評論出版)
 松元寛「解説」
1110 『安芸文学(安藝文学) 第29号』(安芸文学同人会)
松元寛「言語と映像の境目」…2
 1230  『歯車 第20号 1970年冬』(歯車の会)
   松元寛「崩壊」127
 1971
 0731  『ヒロシマ・25年-広島の記録 3』
松元寛「 被爆体験の風化」  160
1130  『歯車 第21号 1971年秋』(歯車の会)
評論 高橋和巳の覚え書 松元寛 70
 1973
0525   『歯車 第23号 1973年春』(歯車の会)
松元寛「シェイクスピアー一つの前書と喜劇についての覚書」 65
 0625  『ヒロシマの意味』(小黒薫編、日本評論社)
松元寛「 八・六、広島の意味するもの」  133
1101 『わがまち、ひろしま 都市めぐりシリーズ 1(広島文化叢書 , 6)』(広島文化出版)
 1975
0601  『歯車 第27号 1975年春』(歯車の会)
「ハムレット」覚書…松元寛 12~21
1976
0901 『平和科学研究通信 Vol.1 No.2-3』(広島大学平和科学研究センター)
<研究の記録>中野好夫氏を囲む座談会 松元寛 4
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)
「文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)」257
1978
0520 『平和研究 第3号 日本国憲法 国内体制と平和』(日本平和学会)
〔書評〕松元寛「『ヒロシマで教える』(NGO被爆問題国際会議広島専門委員会・広島平和教育研究所 共編 )」
1979
0301 『平和科学研究通信 Vol.2 No.3』(広島大学平和科学研究センター)
松元寛「平和と教育」 1
0518 松元寛「第17章 原点としてのヒロシマ」(『平和研究ノート』山田浩・森利一編、広島大学総合科学部国際関係論教室)
1980
0925 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房)
1981
1001 『平和を研究する』(広島大学放送教育実験実施委員会)
第3回 人間の幸福と平和-シエクスピアの喜劇とユートピア文学- 松元寛 10月25日(日)21
第4回 危機的状況における文学(1)-悲劇と人間の希望- 松元寛 11月1日(日)29
1982
0621 『広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 岩波ジュニア新書48』(岩波書店)
1983
0731 『広島通信 No.68 終刊号 ヒロシマの継承 1983.07.31』
松元寛「この持続を大切に」
0801 『日本の原爆文学 15 評論/エッセイ』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編)
松元寛「不毛でない文学のために 」267、「原点としてのヒロシマ」  396
0830 『平和学講義 新訂版』(山田浩編、勁草書房)
松元寛「第15章 原点としてのヒロシマ、ナガサキ――その意味を考える視角――」 270
1984
1101 『平和研究 第9号 ヒロシマ・ナガサキの平和秩序の探求』(日本平和学会)
松元寛「ヒロシマとナガサキ-その意味を考える視角」44
1987
0101 『広島平和科学 9 1986年』(広島大学平和科学研究センター)
松元寛「核抑止戦略を支えるもの」1
 1990
0630 『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画)
人間のための都市へ(ひろしまへの提言) 広島修道大学教授 松元寛 86
1993
1201 『けんみん文化 1993.12 12月号第9巻第9号』(広島・県民センター文化情報課)
「広島人物誌 松元寛」 8
1995
0501 『平和文化 No. 113』(広島平和文化センター)
講師-広島修道大学人文学教授 松元寛
0720 『ヒロシマという思想 「死なないために」ではなく「生きるために」』(東京創元社)
 1996
0301 『思想の科学 No.39』(思想の科学社)
松元寛「原爆を落としたアメリカ ヒロシマの世界化とは」 10
1998
0520 広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版』(岩波ジュニア新書 , 300)
0720 『梶葉かじのは 梶山季之文学碑記念 通巻6』(「梶葉」刊行委員会(梶山季之文学碑管理委員会))
黒い雨-彷徨の周辺- 文沢隆一 3
1999
1215 『戦争の死 戦後の死』(廣岡尚利、 叢書見る)
松元寛 切明悟 小久保均 寺島洋一「思い出」
 2000
0501 『平和運動センター通信 第19号』(横原由紀夫、広島県平和運動センター)
・日朝国交回復の早期達成を! 1
・「主張・論壇」民主主義の「御作動」? 松元寛 2
・「主張・論壇」これこそ民主主義の誤作動(2)松元寛 3
2002
0507 『碧空』(海老根勲、大牟田さんをしのぶ会)
大牟田さん、どうして…松元寛 15
2003
0605 死亡。
0617 松坂義考「松元寛さんを悼む」(『中国新聞』20020617)
0714 『けさや昔の夢のおもかげ 稲賀敬二回想集』(稲賀敬二 [著]、稲賀久美子)
  松元寛「稲賀さんを悼む」457
0726 岡馬十充「ヒロシマの思考力に力 松元寛さん」(『中国新聞』20020726)
 0915  『考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集』
 松元寛「好村さんに」 472
 1210 『湾 文芸同人誌 第23号』(藤本仁)
 悼・松元寛先生 77
2004
 0430  『歯車 第42号 2004年春』([歯車の会])
 松元寛 肖影 拾遺
天皇とヒロシマ 3
50年後のヒロシマ、ナガサキの意味 5
-科学依存の現代生活「悲惨」は背中合わせー
漱石の英文学 7
はぐれ英語教師・戦中派 17
世紀末の八月六日に 42
-核廃絶を「日本の声」へー
今世紀最後の原爆忌に 44
-多様な反戦運動と連携深め次世代へー
追懐
ヒロシマの退廃 小久保均 49
わが師友 松元寛さん 吉田正勝 54
神様の次に偉い方 松原三和子 56
過ぎ去らない過去からの声 杉山毅 58
-冬城浩さんを悼むー
松元さんのこと 立川昭二郎 73
大野俊三「落葉樹」回想 佐野豊 74
松元寛略年譜 78
松元寛著作目録 80
[歯車]総目次 81
2010
1220 『広島県現代文学事典』。槇林滉二「松元寛」。

加藤陽三

加藤陽三

かとう・ようぞう 19100129生19890605没 享年歳 内務・防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。海田町名誉町民。

資料年表:加藤陽三

年月日
1910
0129 広島県生まれ
1934 東京大学法学部卒。旧内務省に入る。
内務省土木局⇒栃木県庁⇒厚生省社会局⇒内務地方局
戦後:内務省警保局⇒静岡県庁
1950 国家地方警察本部総務部長
08 警察予備隊本部人事局長⇒保安庁⇒防衛庁人事局長⇒防衛局長⇒長官官房長⇒防衛事務次官
1969 ~1976。衆議院議員2期。
<以上の出典=「著者略歴」(『私録・自衛隊史』)>
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1989
0605

小島丈兒先生追悼文集

『小島丈兒先生追悼文集』(小島丈兒先生追悼文集刊行会、2007/06/01)

内容

まえがき 濡木輝一 i
小島丈兒先生略年譜 ⅲ
小島丈兒先生業績要略 x
特別寄稿
日本地質学史のなかにおける小島丈兒氏 都城秋穂 3
小島丈兒先生を偲んで
1. 父として
父の一日 小島泰雄 59
2. 地質学を通じて
小島丈兒さんを偲ぶ 松本達郎 63
小島さんを偲んで 森本良平 64
水を飲む時には井戸を掘った人を忘れない 石岡孝吉 68
影響を与えた先輩 杉村 新 72
小島丈兒先生の思い出 黒田吉益 75
小島丈兒先生との60年 関 陽太郎 78
小島丈兒先生を偲んで 諏訪兼位 81
小島丈兒先生を偲ぶ 茂木清夫 90
小島丈兒先生の思い出 坂野昇平 93
3. 教えを受けて
小島先生を偲ぶ 吉田博直 97
小島丈兒先生を偲んで 多井義郎 99
小島丈兒先生とお会いした頃 和田 健 102
遠い思い出 大森尚泰 105
小島丈兒先生追悼文 長峰久止 109
小島丈兒先生のご逝去を悼む 友成 才 111
出会い、そして別れ 濡木輝一 114
小島先生とのこと 原 郁夫 118
小島丈兒先生一卒論テーマ・岩石を見る眼一 沖村雄ニ 122
巨星墜つ一博覧強記の小島先生一 鈴木亮士 125
想い出すままに 佐田公好 130
小島丈兒先生と一枚のレコード 大八木規夫 134
小島先生から頂いた温かいお叱り 盛谷智之 136
『身体強健にしてよく激務に耐える』 永田 孝 139
小島丈兒先生から頂いたご指導 中馬教允 143
一編の論文とその顛末 西村祐二郎 146
進級論文のルートマップから 内瀬戸信彦 150
小島先生のフィールド指導 塩田次男 152
小島研究室に勤務して 三好通子 156
小島先生に学んだこと 神谷厚昭 159
小島先生の思い出 小田匡寛 162
小島丈兒先生と鉱床学との係わり 渡辺 洵 164
頂いた教えの数々 鈴木盛久 166
また、相まみゆる時あらば 橋川邦武 170
恩師、小島丈兒先生 磯貝勝則 173
小島丈兒先生の研究戦略 嶋本利彦 177
理論の光で自然を見る理科授業 池田幸夫 181
小島丈兒先生!お元気ですか! 北川隆司 183
終生の師 小島丈兒先生 木村哲雄 187
小島丈兒先生の思い出 幾田擁明 191
小島丈兒先生から教わったこと 竹丸光子 193
小島先生と広島大学の思い出 佃 栄吉 197
よく、叱られました 横山俊治 199
小島先生をしのんで 越智秀ニ 201
小島丈兒先生の思い出 瀬尾孝文 204
小島スクールの誇り 村岡洋文 205
小島丈兒先生を偲ぶ一教育者としての小島先生一 有田正志 209
小島丈兒先生の想い出 河原富夫 211
小島丈兒先生をしのぶ 富永良三 213
小島丈兒先生の思い出 岩崎毅吏 214
大人 小島先生 庄司勝信 218
小島先生を偲んで 今岡照喜 220
小島先生の思い出 早坂康隆 222
4. 幅広い交友のなかで
小島丈兒先生を偲んで一絣の着物に下駄履き一 落合 豊 227
小島丈兒先生とプラクシスの哲学 金田 晋 229
伊方原発裁判と小島先生 近藤 誠 234
小島先生との思い出 田河内康輔 237
小島先生にご指導頂いた21年間 (株)地質工学 241
小島先生御夫妻を偲ぶ 中平榮子 245
小島丈兒先生を偲ぶ 中村智彦 247
刊行協力者名簿
編集後記
挿絵 故小島清子夫人

佐藤栄作

佐藤栄作

さとう・えいさく 19010327生19750603没 享年74歳 広島平和記念式典に初めて参列した内閣総理大臣。ノーベル平和賞受賞者。

資料年表:佐藤栄作<作業中

年月日 事項 備考
1901
0327 山口県熊毛郡田布施村(現在の田布施町)生まれ。
 1964
 11   佐藤内閣発足。
1965
06 国交正常化のため日韓基本条約締結・調印式。
1968
1023 日本政府主催「明治百年記念式典」。日本武道館。出席者約1万人。
1971
0705 『8・6広島広島反戦集会の成功のために シリーズNO.1 1971.7.5(女子大反戦会議)「犯罪者=佐藤の来広をヒロシマの名において許すな!」』
0806  広島平和記念式典(総理大臣として初参列)
1972 
0515 日本政府主催「沖縄復帰記念式典」。東京会場(日本武道館)と那覇会場(那覇市民開館)の両会場で同時に実施。
1972年5月15日 沖縄県知事として沖縄復帰記念式典へーあの日の屋良主席ー  – 沖縄県公文書館 (pref.okinawa.jp)
1974
1210 ノルウェーのオスロにおいて1974年度ノーベル平和賞授与式。
1975
0529 衆議院議員佐藤榮作君に対し祝意を表する決議(第75回国会 衆議院 本会議 第24号 昭和50年5月29日)
 0603  死亡。享年74歳。
0616 国民葬(東京・日本武道館)。参列者:6400人。
『佐藤栄作元総理の「国民葬」』
 https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000269215.html
 1997   『佐藤栄作日記』第1~6巻(朝日新聞社、~1999)

小島丈兒

小島丈兒

こじま・じょうじ 1917生20060601没 享年89歳 広島大名誉教授。 岩石学。「29 広島および長崎両市における原子爆弾災害物の地質学および岩石学的観察 143東大、理 渡辺武男 山崎正男 広島大 小島文児 長岡省吾 地質調査所 平山健」(『原子爆弾災害調査報告集 第一分冊』)

資料年表:小島丈兒<作業中

年月日
1917
**** 誕生。
1953
0101 『原子爆弾災害調査報告集 第一分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会刊)
29 広島および長崎両市における原子爆弾災害物の地質学および岩石学的観察 143
東大、理 渡辺武男 山崎正男 広島大 小島文児 長岡省吾 地質調査所 平山健
1954
1210 『原爆と広島 大学人会研究論集 第1集』(平和と学問を守る大学人の会編、広島県教職員組合事業部刊)
小島丈兒「石材と屋根瓦の被害からみた原爆」 (77)
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会編・刊)
第4節 地学分野-原子爆弾による岩石等の表面の剥離現象と溶解現象-(小島丈兒)27
まえがき 27
1.カコウ岩表面の剥離現象 27
2.岩石等の表面の溶融現象 28
3.熱線と爆風と剥離現象の前後関係 28
4.広島と長崎の比較 30
1980
0525 『学問・情況・大学』(小島丈兒編著、第一学習社)
発見性ということ 1
これからの学問に寄せて 「最終講義」 16
論文について 37
大学の空洞化ということ 45
2006
0601 死亡。享年89歳
2007
0601 『小島丈兒先生追悼文集』

嘉屋文子

嘉屋文子

かや・ふみこ 生20040601没 嘉屋文子 かや・ふみこ 享年90歳 ハワイ島生まれ。5歳の時、一家で帰国。広島市南観音町の自宅前で被爆。県内政部衛生課勤務。

資料年表:嘉屋文子

年月日 事項 備考
ハワイ島生まれ。
1963
0420 『きのこぐも』(嘉屋文子編・刊)
07 嘉屋文子(広島県庁厚生課・課長補佐)、被爆時の記録「きのこぐも」を自費出版。 C
1110 『統計の泉 Vol.15 11月号 No.172 1964.11』
嘉屋文子「「きのこぐも」発刊によせて」(37)
1965
0725 『暗雲を越えて』(嘉屋文子編・刊)
0726 嘉屋文子(広島県庁診療所勤務の女医)、3冊目の被爆体験記「『暗雲を越えて』を出版。 C
0901 『思い出の記』(竹内助四郎著・刊)
嘉屋文子「被爆体験記」  39
1976
0212 『ヒロシマの雲は晴れた』
0331 『広島県庁原爆被災誌』
「手記編 嘉屋文子(当時・内政部衛生課)」
1977
0101 『被爆体験 私の訴えたいこと(上)』(NHK中国本部)
嘉屋文子「強い近所の結びつき」  140
0930 嘉屋文子医師、体験記『広島に生きて』を出版。 C
1978
0724 『『生キテ帰ルンダゾ』 親が子に語る戦争と原爆の話 第2集』(日本キリスト教団広島府中教会内平和教育文集編集委員会)
嘉屋文子「暗雲をこえて」  5
1987
0915 『広島市医師会だより No.257』
嘉屋文子「開業一年」 40
1989
0720 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会編・刊)
 嘉屋文子「被爆体験記」 157
1990
0310 『女医の記録 IPPNW第9回核戦争防止国際医師会議世界大会』(広島女医の会)
 嘉屋文子「ノーモア・ヒロシマの叫び」 13
1991
0725 『広島県医師会速報 第1406号』
嘉屋文子「随筆」57
0815 『広島県医師会速報 第1408号』
嘉屋文子「緑蔭随想」
1993
0315 『広島県医師会速報 第1465号』
嘉屋文子「随筆」35
1994
0705 『広島県医師会速報 第1512号』
嘉屋文子「随筆」25
1995
0801 『真赤な原子雲 祖父母が孫に語る戦争と原爆の話』(こばと幼稚園平和教育委員会著、汐文社)
嘉屋文子「暗雲を越えて」  89
1997
0701 『嘉屋日米交流基金(ゴトウ オブ ヒロシマ基金)報告書 1996年版』
1999
0301 『創立120年記念誌 [県立広島病院創立120年記念誌]』(県立広島病院)
嘉屋文子(被爆当時の県立健康相談所指導医 )「思い出の記 」
2000
0301 『二十世紀の足跡 米寿までの道のり』
0701 『嘉屋日米交流基金(ゴトウ オブ ヒロシマ基金)報告書 1999年版』
嘉屋文子(名誉委員長 )「ハワイ墓参・交流訪問団の報告」 5
0921 嘉屋文子が紡いだ米国と広島の市民交流を紹介する展示、広島市内のイベントスペース「クリップ・ヒロシマ」で開催中。 C
2001
0701 『嘉屋日米交流基金(ゴトウ オブ ヒロシマ基金)報告書 2001年版』
嘉屋文子(名誉委員長)「創立者からのことば」…4
2004
0601 死亡。享年90歳。

豊田利幸

豊田利幸

とよた・としゆき 19200512生20090515没 享年89歳 核物理学者。「パグウォッシュ会議」に日本代表、その日本版の「科学者京都会議」でも活躍。

資料年表:豊田利幸

年月日 事項 備考
1920
0512
1965
0820 『核戦略批判』(岩波新書)
1967
0820 『核の傘に覆われた世界 現代人の思想19』(久野収 編、平凡社)
<シンポジウム>日本の安全保障をどうする 佐伯喜一・坂本義和・豊田利幸 170
1968
0820 『核時代を超える 平和の創造をめざして 岩波新書687』(湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著)
1972
1001 『核時代における科学と政治』(れんが書房)
1976
0601 『世界連邦を21世紀までに-世連宗教者亀岡大会報告書』(第七回世界連邦平和促進宗教者大会事務局)
特別講演:豊田利幸「 核兵器体系と国家」  69
1977
0802 『核軍縮への新しい構想』(湯川秀樹, 朝永振一郎, 豊田利幸編、岩波書店)
1982
0420 『核戦略の曲り角-危機はここまできている 岩波ブックレット No.2』
1021 『核戦略の結末 岩波グラフィックス 5』
1983
0520 『新・核戦略批判』( 岩波新書)
1984
0620 『核廃絶は可能か』(飯島宗一・豊田利幸・牧二郎著編、岩波新書)
0810 『ヒバクシャのこころ』(高橋昭博著、汐文社)
科学者の責任と廃棄核兵器処理をめぐって 55
廃棄核兵器の処理は簡単である(豊田利幸) 55
豊田利幸先生への感謝とお願い(高橋昭博) 59
1985
0105 『市民の平和白書’82-核時代の戦争と平和』(日本評論社)
豊田利幸「核戦略の変ぼう いま何をなすべきか」  36
0301 『国連平和のつどい報告書 第3回』(日本国際連合協会神奈川県本部核軍縮を求める二十二人委員会)
豊田利幸(明治学院大学教授)「基調報告」43
0620 『SDIとはなにか-宇宙にひろがる核戦略 岩波ブックレット No.46』(豊田利幸著)
1986
0120 『「1%問題」と軍縮を考える 岩波ブックレット No.54』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編)
1987
0320 『「1%枠撤廃」をどう考えるか 岩波ブックレット No.83』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編)
1988
0222 『SDI批判』(岩波新書)
0701 『平和を考える 平和都市宣言30周年記念誌』(鎌倉市企画調整部文化室編、鎌倉市)
講演: 豊田利幸氏「科学と平和-いま平和を考える 」6
0803 『核廃絶と世論の力(長崎平和シンポジウム) 岩波ブックレット No.120』(核軍縮を求める二十二人委員会平和構想懇談会編)
1990
1120 『平和研究 第15号 科学と平和』(日本平和学会)
特集◎科学と平和 豊田利幸「近代科学と国家 」 13
1220 『太平洋の非核化構想』(豊田利幸 [ほか]編著、岩波新書)
1994
0415 『平和文化研究 第17集』(長崎総合科学大学・長崎平和文化研究所編)
〔講演〕豊田利幸「世界はいま核廃絶に向かっているか-国連と核軍縮-  」7
1995
1006 『「世界」主要論文選 1946-95 戦後50年の現実と日本の選択』(「世界」主要論文選編集委員会編、岩波書店)
核兵器廃絶は可能である-恐怖を超えて [82.5] 豊田利幸 879
2009
0515

資料年表:森戸辰男

資料年表:森戸辰男<作業中

年月日
1888
1223 誕生
1954
0803 『星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集』
1968
0806 『平和記念日へのメッセージ』(広島市)
森戸辰男(広島市名誉市民)…12
1969
0806 『濱井信三追想録』山田節男「序文」
1972
0601 『世界平和への提言-ユネスコ語録』(日本ユネスコ協会連盟)
森戸辰男「独立と平和主義」  240
1974
1120 『広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集』(広瀬院長退任記念事業委員会)
森戸辰男「先生の女子教育と平和への熱意」
1976
0715 『山田節男追想録』
森戸辰男(元文部大臣・広島大学学長・日本育英会会長)「山田市長の偉大な業績」…381
1977
0130 『東雲附小百年史』(広島大学教育学部附属東雲小学校編、創立百周年記念事業会)
森戸辰男(広島大学々長)「創立記念式典を迎えて」1308
0810 『平和教育の理論と実践』(国民教育研究所著編、草土文化)
/「期待される人間像」の「愛国心」と“自衛隊”増強-平和教育を誤りとする森戸辰男の見解/
1979
0620 森戸辰男氏「熊平さんと社会教育の思い出」198
1982
1017 森戸辰男(学長)「卒業生諸君に贈る」 719
『追懐 広島高等師範学校創立八十周年記念』(事業会編・)
森戸辰男(学長)「卒業生諸君に贈る」 719
1984
0528 死亡。享年95歳。
1995
0725 『日本の戦争責任 下 最後の戦争世代から』(若槻泰雄著、原書房)
「社会主義経済学者・森戸辰男の書いたこと」 155
2006
0101 『広島平和科学 28  2006年』(広島大学平和科学研究センター)
小池聖一「森戸辰男の平和論」1
0725 『広島から世界の平和について考える』(広島大学文書館編、現代史料出版)
「第四章 戦後復興と森戸辰男の平和論…小池聖一 111」
2007 『尚志百年』(尚志会)
広島大学の設立と尚志会の再生(昭和24) 96
・新制広島大学の発足・尚志会の再生・森戸初代学長の就任・広島高師最後の卒業式
《資料》要望に答えて 森戸辰男(会報16号 S31) 121
 《資料》平和主義について 森戸辰男(会報27号 S34) 144
・宿泊業務を開始・尚志会本部の移転・森戸初代学長の退任・皇二代学長の就任
《資料》大学を去るにあたって 森戸辰男(会報42号 S38)170
1950年広島大学初代学長。(13年間)。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。[51広島大学平和問題研究会会長]。[52広島平和問題談話会]。1951年に、「広島大学平和問題研究会」を発足させる。
『広島大学所蔵 森戸辰男関係文書目録 (上・下巻)』(森戸文書研究会編、広島大学・松下視聴覚研究財団刊)

中井正一

中井正一

18 19000214生1952 なかい・まさかず 52 美学者・哲学者。1946年9月、広島県労働文化協会を創設。1948年、国立国会図書館副館長に就任。『広島県大百科事典』(板根俊英・記)。

資料年表:中井正一<作業中

年月日 事項 備考
1900
0214 誕生
1946
0925 広島県労働文化協会設立。11月28日第4回理事会で中井正一が会長に。(藤原浩修「戦後広島県の労働者文化運動―広島県労働文化協会について」)
1952
0518 死亡
1980
0331 藤原浩修「戦後広島県の労働者文化運動―広島県労働文化協会について」(『広島県史研究5』)
2010
1220 佐々木暁美「中井正一」(『広島県現代文学事典』)。
2015
0331 「戦後70年 志の軌跡 第2部 中井正一①」~0404「同 中井正一⑤」(『中国新聞』連載)