「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

佐藤月二

佐藤月二

さとう・つきに 19090215生19880522没 享年79歳 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。

資料年表:佐藤月二<作業中

年月日 事項 備考
1909
0215
佐藤月二01
1988
0522

平家納経の世界

『平家納経の世界』(小松茂美著、六興出版、19761226 新装第1版)

内容

1 平家納経の成立ドラマ   11
 謎みちた女神  11
法華信仰と「平家納経」  15
平家勃興の波に乗って   20
祖父正盛・父忠盛のこと20
清盛登場   27
実説ご落胤27 十二歳の次官殿29 安芸守平清盛の霊
夢31 栄達の血塗道32 二条帝現説と立太子騒動35
長寛二年における清盛の心情   38
怨霊騒ぎと皇子誕生38 忠通の死40 関白・基実の幼
な妻42 頼長の子・師長を夜宮44 帝の皇子誕生46
崇徳院の崩御51 願文の内容54 筆者は清盛64 “他
人を以って名と為す”74 櫛筆の謎84
厳島繁昌記    87
厳島詣での大流行87 名花・厳島の内侍たち96 平家
の落日102 佐伯景弘という男111
厳島内侍発願説の虚構  121
2 高く、広く、大きく―平家納経と歩んだ三十年  127
 死神と美神の出合い  127
手習い草紙   128
死の淵に立って 133
その名を恋人のごとく  137
一冊の古本   139
「平家納経」を見る  141
無知の蛮勇   146
生涯のことば  152
「伊都岐嶋千僧供養日記」  155
厳島文書を読む      157
『いつくしま』を刊行   161
上京、池田亀鑑先生    163
念願の博物館勤務     171
3 不思議な本 175
4 王朝の女性の夢を追って 190
5 王朝の教養と和洋書道の源を探る 197
6 栄華と末法におののく美の殿堂 213
7 子筆額の成立へ 227
王朝のこころ十選             247
三十六人家集(貫之集上)247 木彫一字金輪坐像249 普
賢菩薩像250 扇面写経251 金銅秋草文薫炉252 伴大納
言絵詞253 藤原行成筆白氏詩巻254 秋草文壷255 平等
院鳳鳳堂256 戸隠切257
人と書とのかかわり 対談/小松茂美・松井如流  259
小松茂美・丸夫妻の世界―編集部編― 273
後記  282

 

小松茂美

小松茂美

こまつ・しげみ 19250330生20100521没 享年75歳 古筆学者、美術史学者。広島で被爆。「死の淵にたって」(『平家納経の世界―国宝の謎を推理する』(六興出版、19861226)pp.133-136。

資料年表:小松茂美

年月日
1925
0330 山口県岩国市生まれ
1938 崇徳中学校(旧制、現崇徳高校)進学。
1942 柳井中学校(旧制、現山口県立柳井高校)卒業。広島鉄道局勤務。
1945
0806 広島駅近くの庁舎内(爆心地から1.7キロ)で原爆被爆。
作業中

島薫

島薫

しま・かおる 18970702生19770516没 享年79歳 外科島病院(広島原爆爆心地)院長。

資料年表:島薫<作業中

年月日
1897
0702 誕生(本籍地:広島県安芸郡瀬野川)
1917
03 広島県立第一中学校卒業
1924
0325 大阪医科大学卒業
1930 これより欧米留学、米国メイヨークリニックにても研究晩学。
1931
04 大阪帝国大学医学博士。
1933
08 広島市細工町にて外科島病院を開設、診療開始。
1945
0806 「県下世羅郡甲山町植田病院に出張手術中広島島病院上空に世界始めての原子爆弾降下の報により帰広し、市袋町戦災者仮設病院に於いて罹災者の処置に尽力し後中野村の本宅に於いて診療を開始す。」
1948
1030 「広島市大手町戦災被害地を整理し復興、病院を建設し診療を開始す」
1977
0516
1983
0515 島薫あれもこれも』発行

 

島薫あれもこれも

『島薫あれもこれも』(島薫[著・刊]、紺野耕一編、1983/05/15)

内容<作業中

ご挨拶 島忍
大学医局時代の思い出…3
入局…6
恩師 岩永先生の御魂に…8
古武先生の想い出…11
日本臨床外科医会創立のこと…12
医学上より見たる広島の復興…13
広島外科会100回を迎えて…17
広島外科会40年のお祝の言葉…23
予後…24
朝風に乗って…26
原爆直後のこと…31
運命というもの…35
「ゲランを流す」…37
ピカドンと婦人たち…38
呉の空襲…41
警防団ところどころ…43
「教育随想」鍛えられた土性骨…45
広島信用金庫理事長あいさつ…49
戦争と金…50
最高の福祉…51
ひかり園理事長のあいさつ…54
ユース・ホステル15年を迎えて…56
年頭の所感
正月を迎えて
1969年の日の出
瀬戸内海周遊ホステリング
海底より
無言の囁き
第四国高校生ユースラリー
迎春
かおり高き品格…67
見て喜ぶ…71
「私の愛蔵品」精進湖 南薫造作…76
二人展出品作品…78
白青会・杏林画会合同展覧会
第21回合同展を迎えて
国際美術展に出品
「雲雀物語」…85
秋に思う…87
よみがえるあの日爆心地島病院・ただ余熱と死臭…93
紅バラのヤグラ…爆心地の庭に…96
ヒロシマの戦後見続けた27年―生れ変る爆心の島病院…97
瓢鮎図…99
微笑み…100
幽霊…102
洋モクで一札取られの巻…104
西村徳一氏に呈す…106
還暦に思う…108
還暦のうた…109
一丁のピストル…110
人権擁護…112
広島市民交響楽団生みの親高橋理事長の追想…113
わが十代―雲井浪子に片思いこがす…115
秋の夜ばたし―花つくり・碁・ゴルフ…121
外科医追放が文化…124
わたしの散歩道…127
ヒロシマに生きる…130
協力は健康者の義務―「かたすみの人生」…134
晴れの叙勲―スポーツで人心復興…136
国鉄マン「ゲスト・トリオ」島車掌…138
忘れ得ぬ人びと…141
谷川昇君
立石吾一氏
高橋定氏
三戸俊美氏
上田太郎氏
越智しげる氏
河野先生
島薫博士「原爆後の広島についての彼の回想録」 ウォーナー・ウエルズ…157
筆談 喉頭癌手術後の大学病院生活と退院後…187
恵声会発会の思い出…565
恵声会誌創刊によせて…569
遺徳を偲んで…571
大内五良
長崎孝
国信玉二
斉藤環
中本カツコ
偲び草(年譜)…586
あとがき(紺野耕一)…593

草野信男

草野信男

くさの・のぶお 19100111生20020514没 享年92歳 病理学者。元日本原水協理事長。

資料年表:草野信男

年月日 事項 備考
1910
0111 誕生
1952
 1201  『原子爆弾の話』(志田信著、東京大学出版会)
 草野「序」
 1953
 0505  『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会刊)
 119 広島における原子爆弾症の病理解剖(西条療養所の剖検例)(草野信男、東大・伝研・病理)1346
1957
 0710  『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料』(原水爆禁止日本協議会)
草野「 放射能被害と人体」135
 1967
 1101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 草野「経過報告」 6
1969
1120
 『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店)
 草野「原水禁運動の始まった頃」 387
1976
 0331  『ビキニ水爆被災資料集』(第五福龍丸平和協会編、東京大学出版会)
 草野「久保山さんの解剖に立会って)」 324
 0730  『20年の大義を世界へ』(原水爆禁止長野県協議会、)
 発刊を祝す…草野信男…6
 1977
 1101  『原水爆禁止世界大会の記録 1977年』(原水爆禁止統一実行委員会)
 草野「開会あいさつ…草野信男 29」「議長団代表あいさつ…草野信男 60」
1980
 0815  『わが戦後行動 いま原水爆禁止は』(吉田嘉清著、新興出版社)
「座談会 原水爆禁止運動と吉田君 238」
(中野好夫 古在由重 草野信男 吉田嘉清)
 1983
 0806  『道 安井郁 生の軌跡』(「道」刊行委員会編、法政大学出版局)
草野「 安井さんを偲び業績をたたえる」 297
2002
0514 死去
0516  「元原水協理事長 草野信男氏死去」(『中国新聞』)
 0517  「天風録」(『中国新聞』)
0604 金井淳一郎「悼記 草野信男さん 医学研究からヒロシマと向き合う」

 

別冊 新評 梶山季之の世界 <追悼特集号>

『別冊 新評 梶山季之の世界 <追悼特集号>』(新評社、19750720)

内容(抄)<作業中

16 告別式レポート
藤本義一、澤村三木男、吉行淳之介、今東光、柴田錬三郎
幻のライフワークといわれた遺稿集
40 遺稿その1 積乱雲
79 原爆記者とのつき合い(大牟田稔)
82 梶山季之の壮絶な死! 柴田錬三郎
86 梶山季之の経緯 山口瞳
132 座談会 トップ屋時代の梶山季之(岩川隆・中田建夫・加藤憲作・有馬將祠)
162 梶山季之人脈図 有馬將祠
211 丈夫、志あるも 竹中労
250 梶山季之完全年譜(季節社・編)
256 梶山季之単行本リスト(季節社・編)

編年資料:梶山季之

編年資料:梶山季之<作業中

年月日
1930
0102 京城(現・韓国ソウル)に生まれる。京城中学校4年の時終戦。1945年末、広島県地御前村に引揚げ。広島二中に編入。
1948  広島高等師範学校入学。
1966
0225 『松田重次郎』
「はしがき」の巻頭
 自叙伝というものがある。よんでみると、なかなかに面白いものである。だが、私は、自叙伝というものを、あまり信用していない。(中略)また伝記というものがある。政財界の大立者が物故すると、必ずといってもよいぐらいに、伝記が刊行される。なかには良心的なものもあるが、故人を追慕するのあまり、美しい面ばかりを取り上げて、欠点や短所はとり上げない傾向の方が強い。人間だから長所もあれば短所もあるはずなのだが、どういうものか、人間の醜い面が取り上げられないのは不思議である(日本に不足しているのは、真の伝記文学とユーモア小説ではあるまいか?)というのは私の持論だが、伝記を書く以上は正確に、その人間像を浮き彫りに、私生活も描かねばならないと、私は考えていた。
 1973
 1020  『広島の文芸 小説・評論 知的風土と軌跡』(岩崎清一郎 著、広島文化出版)
「第五章 死の影―原 民嘉・大田洋子 阿川弘之…88」
1975
 0511  没。享年46歳。
0720 『別冊新評 梶山季之の世界 追悼号』
 0731  『ヒロシマの原風景を抱いて』(栗原貞子著、未来社)
 「梶山季之作「ケロイド心中」をめぐって 87」
1977
0415 『旅とその世界』(山と溪谷社)
1979
0313 『定本原民喜全集 別巻』(山本健吉他編、青土社)
「梶山季之 「天邪鬼」のころ 362」
1991
0615 『梶山季之のメジャー・コンタクト(17回忌・文学碑建立 記念号)』(季節社・代表梶山美那江)
2007
1110 時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社)
 2010
 1220  『広島県現代文学事典』(天野裕康・記)

今川卓治

今川卓治

いまがわ・たくじ 18961109生19810510没 享年84歳 『被爆医師 今川卓治』(今川静子、19870510)

資料年表:今川卓治<作業中

 年月日  事項 備考
 1896
 1109  群馬県で誕生
 1922  旧九州帝国大学医学部卒業
 1927  東京帝大より医学博士号を受ける
 1928
 03  広島市猫屋町に医院を開業
 1945
 0806  往診中に広島市観音町で被爆。多くの被爆者の救護活動にあたる
 1947  社団法人広島市医師会初代会長に就任。~1949年2月。
 1955  広島市医師会会長。~1957年2月。
 1981
0510  旧制心不全で死去。享年84歳。
1987
0510 『被爆医師 今川卓治』(発行:今川静子)

資料年表:菊池武彦

資料年表:菊池武彦<作業中

年月日 事項 備考
出典:C=『中国新聞』
 **** 誕生
1947
0401 戦後初の日本医学会総会。於:大阪。菊池武彦京大教授らがについて特別講演。 C
1010 菊池武彦京都大学教授ら、広島市で被爆者健康調査のため無料巡回診療。~19日。 C
 1949
1202 菊池武彦京都大学教授、ABCCで被爆生存者の病状記録について協議。 C
 1953
 0505  『原子爆弾災害調査報告集 第二分冊』(日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編、日本学術振興会)
 1954
0919 原子爆弾災害調査研究班第5回研究会議。会場:広島大医学部付属病院(呉市)。都築正男・塩田広重・中泉正徳・菊池ら出席。 C
 1961
 0331  『原子爆弾後障害研究会講演集 第2回 [昭和35年]』(長崎県・長崎市・長崎原爆障害対策協議会編)
1985
0504 死亡。
 1991
 0615  『医師たちのヒロシマ 原爆災害調査の記録』(核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会「医師たちのヒロシマ」刊行委員会編、機関紙共同出版)
 1993
 0901  『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部、京都大学)