「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

南京・広島・アウシュヴィッツ

『南京・広島・アウシュヴィッツ』(黒田秀俊著、太平出版社、19740610)

南京-日本軍が犯した残虐行為
いわゆる「南京事件」 14
新聞特派員の目撃記 17
事件犠牲者数の推定 21
本多レポートと「生きてゐる兵隊」 26
島田元中佐の見解 32
南京事件と「三光作戦」 38
残虐行為の底にあるもの 41
戦時下に公刊された『野戦郵便旗』 48
二度と黒い橋は渡るまい 52
南京-「幻」の事件ではなかった
南京戦における殺人ゲーム 62
石川達三氏の「生きてゐる兵隊」 66
一級資料のみあたらないわけ 70
殺人ゲームのナゾ  73
新聞記事は創作だったか 77
新聞はどう報じていたか 79
「支那兵はバカだから」 84
南京事件にかんする証言 89
佐々木到一少将の『南京攻略』 92
復刻された『野戦郵便旗』 95
『外国人の見た日本軍の暴行』 99
日高談話と米林談話 102
広島-にんげんを、そしてへいわをかえせ
その朝の大本営110
広島原爆の「第一報」 114
放送と新聞記事 118
広島に入った調査団 123
真相はなぜ公表されなかったか 127
「原子爆弾作裂す」 132
原子雲の下で 138
あいつぐ悲劇 141
沸騰する街 145
原爆でどれだけの人が死んだか①  149
原爆でどれだけの人が死んだか②  154
原爆攻撃目標都市 159
 占領軍の報道管制 162
米日両国政府の責任 170
日本政府のミス 178
アウシュヴィッツ―理性と文明に反逆した大量殺人
 戦争は残虐になる 184
四百万人の屠殺場 189
有刺鉄線のなかで 194
巨大な人間焼却炉 200
二人の知識人の感想 205
日本とユダヤ人のかかわりあい 213
ナチズムの人種思想 219
反ユダヤ人対策の四段階 223
あとがき  227

沢近宏

沢近宏

さわちか・ひろし 生19890610没 享年71歳 宇品船舶司令部で、軍医として勤務中被爆。戦後、被爆者治療活動に尽力。

資料年表:沢近宏<作業中

年月日
****
1964
07 『広島医学17-7』(広島医学会)
沢近「原爆火傷者に於ける1,2の知見」
1967 広島市医師会会長。~1971年
1970
0430 『原爆日記 第Ⅱ集』(広島県医師会)
沢近「最も長かった一日」
1989
0610

河村盛明

河村盛明

かわむら・せいめい 1922****生19950708没 享年72歳 『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』(河村盛明、六法出版社、1992.5.30)

資料年表:河村盛明<作業中

年月日 事項 備考
1922
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出典:『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』

1970 毎日新聞広島支局長
1992
0530 『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』(六法出版社)
1995
0708
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出典:『ヒロシマ・ユネスコ』(第37号、19951020)

湯崎稔

湯崎稔

ゆざき・みのる 19310501生19840611没 享年53歳 [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。

資料年表:湯崎稔<作業中

年月日
1931
0501 誕生
1984
** 芝田進午「<追悼>湯崎稔教授を悼む」(『社会文化研究(広島大学総合科学部紀要Ⅱ)第10巻』1984年別冊)
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1995
0801 『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)
人間の復権を目指して(湯崎稔)
1 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔)
2 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔)

小山祐士

小山祐士

こやま・ゆうし 19040329生19820610没 享年78歳 劇作家。原爆をテーマにした劇「泰山木の木の下で」などの作者。『広島県現代文学事典』(秋枝美保・記)

資料年表:小山祐士

年月日 事項 備考
1904
0329 福山市生まれ
1956
02 劇団俳優座、小山祐士原作「二人だけの舞踏会」(岸田演劇賞受賞)を初演。<『中国新聞』20220915>
1959
0201 『新劇 第65号』(白水社)
扉のことば 小山祐士…1
1962
0101 『新劇 第103号』(白水社)
泰山木の木の下で(三幕)-私たちの明日は- 小山祐士…6
1963 劇団民芸「泰山木の木の下で」(小山祐士作)を東京・砂防会館で上演。 C
1965
1201 『テアトロ』(テアトロ)
□戯曲□
1967
0131 『小山祐士戯曲全集 第1巻』(テアトロ)
『第2巻』(1967/06/15)、『第3巻』(1967/10/25)、『第4巻』(1968/09/10)、『第5巻』(1971/03/25)、
1968
0109 劇団文学座など、「薔薇よりも孔雀だ」(小山祐士作、木村光一演出)を京都などで上演。 C
1970
0228 文学座・俳優座の提携公演「冬の花―ヒロシマのこころ」の徳山公演。 C
0317 文学座・俳優座の提携公演「冬の花―ヒロシマのこころ」の広島公演。 C
0401 『テアトロ』(テアトロ)
冬の花 小山祐士…117
0801 『婦人之友 』8月号
一つの現実8 ヒロシマのこころ<カラー> 小山祐士/英伸三 6
1971
0801 『ひろしまの観光 8月号』(みづま工房)
<特別寄稿>広島と私 小山祐士 56
1204 『この炎は消えず 広島文学ノート』(毎日新聞社)
瀬戸内海の子供ら 小山祐士 143
1981
0720 『広島文学ノート』(河村盛明編、溪水社 [渓水社])
《瀬戸内海の子供ら》 小山祐士 148
1982
0610 死亡。
1025 『広島県大百科事典<下巻>』
吉田文吾「泰山木の木の下で」20
安藤欣賢「小山祐士」772
1983
0801 『日本の原爆文学 12 戯曲』(堀田清美 [ほか]6名著、ほるぷ出版)
泰山木の木の下で 小山祐士 147
2013
0426 「戦時下の人間模様克明 小山祐士「北海道演奏旅行記」(ふくやま文学館)」(『中国新聞』掲載)

時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す

『時代を先取りした作家梶山季之をいま見直す 没後33年記念事業』(梶山季之記念事業実行委員会、中国新聞社、2007/11/10)

内容

004 講演とシンポジウム
006 実行委員会から実行委員長 平岡敬
008 基調講演
「梶山先輩と私」 藤本義一
020 シンポジウム
 20 生まれ故郷朝鮮と梶山季之 橋本健午
25 梶山季之が『噂』に残したもの 高橋呉郎
28 ハワイ/南米・ユダヤ移民への視点 小谷瑞穂子
32 原爆後の広島と梶山季之 天瀬裕康
34 シンポジウム後半より
40 梶山美那江夫人より
041 作家展「梶山季之の作品と人間像」
 45 corner1 いま見直す梶山季之
46 corner2 広島
47 corner3 上京
48 corner4 修業時代
50 corner5 トップ屋の頃
52 corner6 ベストセラー作家
55 corner7 書きに書いた日々
56 corner8 膨大な仕事量
57 corner9 『噂』
59 corner10 憩いのひととき
61 corner11 広島との交友、ヒロシマへの想い
63 corner12 映画化・劇画化
63 corner13 梶山季之の人と仕事
65 corner14 ライフワークにとりかかる
68 corner15 追憶の部屋
070 資料1 梶山季之と広島大学、広島大学文書館 小池聖一
078 資料2 「梶山季之文学碑」について 小林正典
082 資料3 上映会のこと~日韓の歴史をめぐる偶感 海老根勲
084 展示会場配置図
085 展示物一覧
090 梶山季之 並行した連載ものの仕事
092 梶山季之年譜
096 原稿量、メディア出演等
097 入場者数一覧
098 記念事業関連報道記事より
特別寄稿
104 いまだ、借りっ放し 成田 豊
105 今の広島に梶山季之さんのような方がほしい 田辺良平
106 梶山君の思い出 二宮義人
108 体育教師(?)梶山季之 川村 毅
109 カジサンのことあれこれ 石井泰行
110 親父儀 梶山勇一大往生 川村浩一
112 「一枚の青写真」~父と梶山季之の出会いが伝えてくれたもの~ 藤野能子
120 世話人会後記
126 協賛企業広告
137 協賛企業名・協賛個人名
138 実行委委員会・世話人会名

小倉豊文

小倉豊文

おぐら・とよふみ 18990820生 19960610没 享年96歳  日本史学者。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)

資料年表:小倉豊文<作業中

年月日 事項 備考
1899
0820 誕生
1948
1130 『絶後の記録 廣島原子爆彈の手記 亡き妻への手紙』(中央社)
1949
0310 『文化教室 廣島縣教育委員會社會教育課新聞 No.2』
P.6 小倉豊文著”絶後の記録”書評
0415 『広島教育 第17号 3, 4月合併号』(広島県教職員組合文化部)
足を靴に合わせろ! 小倉豊文 36
1001 『ヒロシマフォトアルバム』(佐々木雄一郎編、広島平和協会)
編輯者:佐々木雄一郎
寄稿者:浜井信三・小倉豊文・吉井哲爾
撮影者:佐々木雄一郎・山本義江・松重美人・ 山田精三
1965
0301 『放送RCC 第41号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■広島城とRCC 小倉豊文 18
1966
0801 『放送RCC 第59号』(ラジオ中国)
ひろしま風土記■消滅した広島の町々 小倉豊文 38
1968
0801 『放送RCC 第9号』(中国放送)
ひろしま風土記■原爆広島とポンペイの廃墟 小倉豊文 58
1969
0120 『燃える日本列島 父が語る太平洋戦争 3』(来栖良夫・古田足日・堀尾青史 編、童心社)
「ピカドン! 原爆第一号 」小倉豊文 110
1970
0805 『広島原爆の手記 亡き妻への手紙』(八雲井書院)
1971
0720 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記 シリーズ戦争の証言3』(太平出版社)
1975
0806 『生死の火 広島大学原爆被災誌』
1981
0831 『ヒロシマを語る十冊の本 続』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
小倉豊文著「絶後の記録」(1948年)1
1982
0420 『広島県短歌史』(豊田清史著、溪水社 [渓水社])
15、小倉豊文の人間虚無歌、土井寿夫の「幾山河」 506
0630 『原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト』(水田九八二郎、講談社)
4-『絶後の記録-広島原爆の手記』小倉豊文著(昭和二十三年) 30
0710 『絶後の記録 広島原爆爆弾の手記(中公文庫)』
1985
0801 『国文学解釈と鑑賞 第50巻9号』(至文堂)
記録とエッセイ 『絶後の記録』小倉豊文/中村完 113
1994
0806 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(風濤社)
1996
0610 死亡
2015
0112 「故小倉豊文さん、妻文代さんの遺品 家族が保存」(『中国新聞』掲載)

谷川和穂

谷川和穂

たにかわ・かずほ 19300721生20180608没 享年87歳 自民党衆議院議員。防衛庁長官、法務大臣など歴任。

資料年表:谷川和穂

年月日 事項 備考
1930
0721 広島県賀茂郡西志和村(現・東広島市)生まれ。
1978
**** 『闘争・暴力そして脅威 : 昭和ひとけたの見た戦後観』(原書房)
2007
0810 東広島市名誉市民
志和町出身 昭和33年に、当時、全国最年少で衆議院議員に初当選、以来、 防衛庁長官、法務大臣などの要職を歴任された。また、広島大 学の本市への統合移転の構想実現に尽力されるなど、学園都市 の構築と発展に貢献された。ttps://www.city.higashihiroshima.lg.jp/material/files/group/3/HonoraryCitizen2022.pdf
2018
0608 死亡。

 

 

大内五良

大内五良

おおうち・ごろう 190711**生19840606没 享年74歳 広島市医師会長(1957~59年)。広島県医師会長(1967~82年)。原爆乙女の渡米治療、在米被爆者検診などに貢献。

資料年表:大内五良<作業中

年月日
1907
11 京都府生まれ
1954
0625 『ながれ』(村上哲夫著)
20230606_outigoro1
20230606_outigoro2
1955
0503  原爆乙女25人、岩国空港から米空軍機で米に出発。大内五良医師ら6人が付き添う。 C
 0810 C
 1957
 0209  C
0617  C
 1968
 10 C
 1972
 0515 C
 1976
 05  C
 06 C
 11  C
 12  C
1977
03 C
 09 C
1979 
 04 C
 1981
11 C
 1982
01 C
 04  C
1983
1105 大内五良ら広島の医師らが作った16ミリ映画「ヒロシマの医師たち―38年のドキュメント」が完成 C
1984
0607 死亡。享年74歳