「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:広瀬ハマコ

資料年表:広瀬ハマコ<作業中

 年月日
1905
0215 誕生
 1969
 0806  『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)324
広瀬ハマコ「浜井市長をしのぶ」
1973
0401 『夏雲 広島女学院原爆被災誌』(広島女学院教職員組合)
広瀬ハマコ「発刊に寄せて」
 1974
 1120  『広島女学院と共に 広瀬ハマ子先生文集』( 広瀬院長退任記念事業委員会)
 1976
0501 『平和文化』 創刊号(広島平和文化センター)
広瀬ハマコ「財団は何をなすべきか?」
0715 『山田節男追想録』422 (広瀬ハマコ「身についた紳士道」)
1977
0301 『あやめ』第23号(広島女学院中学生徒会・広報委員会)
大正十一年卒業 広瀬ハマコ「女学生時代を回想して」 20
1978
0101 『平和文化』9号(広島平和文化センター)
新春談論:広瀬ハマコ(広島女学院大学理事長)
1986
1001 『広島女学院と共に百年』(広島女学院同窓会)
「百年誌の刊行にあたって…同窓会名誉会長広瀬ハマコ」
1988
0424
610  『わたしたちの広島女学院』(ユングフラウ代表 今西美代編、溪水社 [渓水社])
 その1 大正時代の広島女学院教育 ゲスト 広瀬ハマコ 3
1989
0730 『山陽路の女たち 続』(広島女性史研究会、ドメス出版)
武田ミキ 「「教育は平等」信念を貫く」
1991
1001 『広島女学院百年史』
「N・B・ゲーンスの広瀬ハマコ宛書簡(昭和2・11・17)」 713
「創立六十五周年記念式並びに院長就任式挨拶」 広瀬ハマコ 744

資料年表:川手健

資料年表:川手健<作業中

年月日
1932
0213 誕生
1942
広島県立第一中学校入学。
1945
0806 学徒動員された東洋工業で被爆。翌日、入市。
 1946
 広島県立忠海中学校(旧制)へ転校。
1947
広島県立忠海中学校4年修了。広島高等学校理科(甲)入学。
 1948
1952
1101  川手健「七年後の廣島」(『新日本文学』)
1953
0625 『原爆に生きて 原爆被害者の手記』(原爆手記編纂委員会、三一書房)
川手健「半年の足跡」=「原爆被害者自身の口から全世界に向って原爆の惨禍と平和の必要を訴えるその意義は大きい。原爆の投下が世界史的な大事件であるなら、その被害者が立上がって原爆の反対を叫ぶこともまさに世界史的な出来事である。このことの重要性についてはまだまだ本当に考えている人は少ない様に思う。」
1954
 0215  『風のように炎のように-峠三吉追悼集』
 1955
0109 川手健「原爆被害者の青年クラブのこと」(『われらのうたの会』第3号)
1960
0428 死亡
 1985
 0428  川手健を語る会。広島県民文化センター。
1995
0806 『川手健を語る』(川手健を語る会編、ウイウド・岡本智恵子)
 2010
 1220 「川手健」(『広島県現代文学事典』<小宮山道夫・記>)

金子満広

金子満広

かねこ・みつひろ 19241117生20160418没 享年91 日本共産党書記局長、衆議院議員。

資料年表:金子満広<作業中

年月日
1924
1117 群馬県生まれ
 1973
 1118  『核兵器全面禁止と原水禁運動』(日本共産党中央委員会出版局)
核兵器の全面禁止を核保有国に要求を 金子満広議員の衆議院本会議での反対討論 139
公明党の原水禁運動への態度とわが党への根拠のない批判 金子満広 193
 原水爆禁止運動の現段階と統一問題 金子満広 211
1978
1030 『反帝国際統一戦線-自主独立の理論と実際』(新日本出版社)
1984
0920 『原水爆禁止運動の原点』(新日本出版社)
2016
0418 死亡。享年91

原水爆禁止運動の原点

『原水爆禁止運動の原点』(金子満広、新日本出版社、1984/09/20)

内容

原水禁運動の当面する基本問題 17
 1 核軍拡競争の悪循環の現状と反核運動 18
―ヨーロッパ、アジア、日本など―
2 核兵器の全面禁止こそ原点 21
3 原水禁運動―統一の路線と分裂の路線 24
4 原則ぬきの「持続共闘」がもたらすもの 37
5 あやまりはどこから生まれるか 43
6 原水禁運動の本流強化のために 46
原水禁運動の困難はどこにあるか 49
妨害から本流を守り太く強くするたたかい 49
「市民団体=中核」説は錯覚の産物 55
日本共産党の反戦・平和の伝統と今日の核問題 61
―日本共産党創立62周年記念講演―
1 全人類に危機もたらす核軍拡競争の悪循環 63
2 原水禁運動をどう発展させていくのか 74
3 いまこそ民族の党・国民の党―日本共産党とともに 88
原水爆禁止運動の現段階と統一問題 95
 「原点」を堅持した運動の発展 96
日米反動勢力に呼応した核禁会議の分裂 98
分裂は意見の相違からではない 100
運動の統一への道すじ 105
原水禁運動20年を迎えて 115
―核兵器全面禁止の国際協定締結は急務―
核兵器開発競争の悪循環を断つこと 115
原水禁運動の歴史的発展の特徴 117
新しい情勢下での運動の発展と統一の方向 121
国際協定の締結を促進する「具体的諸提案」 124
原水禁運動統一への道標 129
1 統一への道は開かれた 129
2 統一合意への情勢と背景 132
3 統一へむけて大胆な方向提示 143
4 再び分裂をくりかえさぬ統一を 148
原水禁運動の到達点と今後 155
まえがき 155
1 統一世界大会の到達点 156
2 分裂の教訓いかし前進を 166
3 新たな前進をめざして 172
原水禁運動―よみがえった原点 183
―運動の確かな統一と国際連帯の強化で核兵器の全面禁止を―
1 危険ラインをこえた核軍拡競争 183
2 統一世界大会の到達点と今後 189
3 吉野氏の論点にこたえて 191
4 新しい運動、新しい組織 201
運動と組織のゆるぎない統一を 205
―原水爆禁止運動の発展のために―
1 「’78世界大会」の成果と今後の展望 205
2 大会が直面した情勢の背景と運動の本流・逆流 211
3 教訓を生かして 216
4 運動の発展と組織の統一へ―今後のとりくみの問題 219
ニューヨーク・国連総会からの報告 227
核戦争か、核兵器全廃か 227
鈴木首相の演説とN・Yタイムズ評 231
入国ビザ問題の意味するもの 234
米史上最大の百万人デモと“草の根” 236
国連の現状とアメリカの「なげき」 240
帰国して想うこと―被爆者代表団のみなさんへ 242

藤野七蔵氏追懐録

『藤野七蔵氏追懐録』(藤野七蔵氏追懐録編さん委員会編、広島瓦斯、1952/04/25)

内容<作業中

1 序文
2 風雪65年
(1)栴壇の二葉大いに伸びる 1
(2)製綿史上画期的躍進 15
(3)若き日の夢を貫徹 31
(4)原爆の廃墟に起ち上る 38
(5)遺芳とこしえに輝く 48
3 逝去当日の記
(1)当日の状況 53
(2)密葬 55
(3)緊急重役会議 56
(4)葬儀委員並びに分担表 56
(5)社葬の執行 63
4 弔辞集
(1)多山恒次郎 65 葬儀委員長
(2)藤野勇八 72 藤野綿業株式会社々長
(3)小林邦雄 75 広島瓦斯労働組合執行委員長
(4)伊丹治雄 79 公益事業委員会事務局広島支局長
(5)井口竹次郎 82 日本瓦斯協会々長
(6)大原博夫83 広島県知事
 (7)浜井信三85  広島市長
(8)藤田定市 86 広島商工会議所会頭
(9)中西利理 87 広島労働基準局長
(10)林米吉 90 中国地方瓦斯倶楽部代表
(11)島津忠承 92 日本赤十字社々長
(12)白井市郎 92 広島県経営者協会々長
(13)黒川巖 94 広島ロータリー倶楽部会長
(14)松田重次郎 94 東洋工業株式会社々長
(15)多山恒次郎 95 広島電鉄株式会社々長
(16)津脇勘市 98 中国石炭株式会社々長
(17)熊平源藏 100 交魚会代表
 (18)田中敬孝 101  広島県貿易株式会社々長
(19)奥清造 103 広島県製綿工業協同組合代表
(20)中井万藏 105   正光寺檀家総代
(21)岸谷貞次郎 106 鈴峯女子短期大学長
(22)奥久登 107 広島信用組合長
(23)皆川孝光 108 広島県産業安全協会副会長
 5  追悼座談会の記
(1)第1篇 出席者氏名(イロハ順)111
(2)第2篇 出席者氏名(イロハ順)141
6 追悼文集(イロハ順)
(1)正業を守り、虚業を斥く 伊藤豊 175
(2)藤野氏の憶出 今西貞夫 184
(3)国力増進に協力 磯義雄 188
(4)感慨無量 糸園哲 197
(5)忘れ得ない恩情 伊福岩吉 198
(6)藤野七藏氏を憶う 林利平 201
(7)尊敬する大先輩 原田平五郎 203
(8)国境を越えた温情 秦茂 206
(9)優秀なる指導者 丹羽周夫 213
(10)残された功績は偉大 西川文二 215
(11)典型的事業家 戸倉光治 217
(12)製綿工連創立時代を偲ぶ 影木鹿吉 222
(13)偉業を偲びて 柏木和一 227
(14)失敗のない足跡 柿田作八郎 243
(15)忘れ得ぬ印象 梶井俊三 246
(16)業界に盡くされた功績 吉川仙藏 252
(17)強き信念を仰ぐ 横井金次郎 255
(18)信念の人 吉村元彦 258
(19)温容慈眼の人 高田五郎 261
(20)厚い友愛と奉仕の念 瀧勇 264
(21)藤の花散りて床し 多山恒次郎 266
(22)妙訓とするべきこと 田中重太郎 268
(23)或る日の話題 田中敬孝 269
(24)身に沁みる憶出 谷口健一 274
(25)何時も笑顔で 津村進 288
(26)刻苦精励に生く 中村藤太郎 30
(27)み墓に参りて 長岡清藏 293
(28)経営者の亀鑑 村尾時之助 295
(29)京城恒常設置当時のこと 村岡茂 301
(30)奮励努力の権化 上前晨之助 304
(31)夜更けて英語を勉強 奥久登 308
(32)深く且つ大きな力 奥清造 311
(33)盡きせぬ憶出 沖本和賀世 321
(34)慈父の如く憶う 岡崎武雄 325
(35)紫靄慕 岡本泰直 331
(36)誠に惜しい人 黒川巖 338
(37)社会のために盡くされた人 熊平源藏 338
(38)不變不敗の構 倉田義允 341
(39)藤野氏の憶出 山内武寛 344
(40)心の太陽として 山岡キヨ 347
(41)これからの人 松田重次郎 351
(42)特筆大書すべき功績 松浦泰次郎 352
(43)人に負けない闘志 松本勝太郎 354
(44)耳底に残るお聲 丸本靜雄 356
(45)ロータリー精神を体得 藤井徳兵衛 362
(46)業界の大御所 藤井唐三 364
(47)常に重きをなす 福原孟 367
(48)従業員を吾が子の如く 小法師範雄 369
(49)御遺志を遵法 小林正雄 373
(50)断呼、信を貫く 佐藤類太郎 376
(51)製綿業界の恩人 讃岐一太郎 379
(52)原爆被害の復興 佐伯九郎太 382
(53)心なつかしい人 坂角司 390
(54)流風遺響 岸種男 393
(55)幾多の辛酸を越えて 目見田武市 395
(56)熟慮断行の人 峯松眞三郎 397
(57)鋭い先見の明 三田榮吉 400
(58)滔々として見解を吐露 三宅太郎 403
(59)業界の長老 白井市郎 406
(60)忘れ得ぬこと 白木正章 412
(61)廣島財界のために惜しむ 平岡正哉 416
(62)藤野氏と私 久永三郎 417
(63)原爆後のこと 桧山武 419
(64)六瓢の圖 平岡三郎 428
(65)観想の一面 森岡正陽 433
(66)細心面放膽 瀬川鉄丸 443
(67)産業界の巨星 砂原格 445
(68)雅量豊かな大実業家 菅辰雄 447
(69)大なる無形の遺産 鈴木清 448
(1)尚私の中に生きている兄 藤野房次郎 453
(2)偉業を継ぎて 藤野勇八 461
(3)叔父の急逝を惜しむ 藤野勇太郎 467
(4)意志の人 藤野不器夫 470
(5)最後迄縁のあった私 藤野悦治 473
(6)心に遺るお姿 藤野勇三 477
(7)叔父の思出 太田香苗 478
(8)社会に立派な貢献 田村千秋 483
(9)数々の憶出 福永保市 492
(10)理想と信念に活き抜いた努力者 青木佐一 494
(11)父を偲ぶ 藤野孝子 495
(12)野菊をお供えして 藤野園子 502
(13)お祖父様の思い出 藤野宏樹 503
(14)おじいさまと僕 藤野康一郎 506
(15)祖父の思い出 藤野昌子 507
藤野あさ子夫人追悼録
1、写真集
2、追悼座談会の記 出席者氏名(イロハ順)513
3、歌集「鏡」 539
4、子供会への言葉 579
5、思い出るままに 中村賢二郎 583
6、嗣子勇七郎氏等の面影 593
7、藤野七藏氏年譜 598
8、琵琶藤野七藏氏一代記 507
9、編纂後記 615

 

藤野七蔵

藤野七蔵

ふじの・しちぞう 18850701生 19510425没 享年65歳

藤野七藏氏年譜

 <出典:『藤野七蔵氏追懐録』藤野七蔵氏追懐録編纂委員会、広島瓦斯株式会社内、1952年4月25日>
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海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡

『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊著、明石書店、1992/07/31)

内容

見出し 備考
1 「原爆の日」からの旅立ち 11
1 ソウルの冬-一九七四年一月 12
三〇年間、帰らない息子/きびしいソウルの冬
2 「白紙」一枚の強制連行 16
戦時秘匿名「ヒロ八五〇一工場」/強制連行された人びとの生活/徴用工の不満/「日本が勝つと思われますか」
3 原爆が落とされた日 21
一九四五年八月六日/死者の群れ
4  朝鮮解放と「別れ」 25
日本の敗戦と朝鮮の解放/出発の前夜/朝鮮人徴用工との別れ/帰り着かぬという問い合
わせ
5 旅立ち 30
誤まった記録/少年の日の朝鮮人像
2 消えた二四六名を追って 33
1 祖国を奪われ、故郷を追われ―朝鮮民衆の歴史 34
抵抗のうたごえ/権力者のつくり話/朝鮮植民地化の開始/不平等条約の実態/朝鮮民衆の抵抗/土地をうばわれ、米をうばわれ、故郷を捨てさせられ/「皇国臣民の誓詞」/「人狩り」=朝鮮人強制連行/原爆症認定患者・崔英民さんの話
2 太平洋戦争末期における広島の朝鮮人 47
広島県協和会/ささやかな一粒の種子/徳光真散彦氏の話/爆発した朝鮮人徴用工の怒り/日本人に殺されるより…
3 彼らの消息はとだえたまま 53
処分された「応徴士」の名簿/帰国を急ぐ朝鮮人/仙崎港での証言/記録にない機帆船の遭難/人があふれた収容所/ミステリーではない/草津町での証言/触雷説/引揚船内反乱説/林記老からの報告/盧長寿さんの手紙
4 下関、戸畑にて67
関釜連絡船/下関で聞いた証言/下関地方気象台、厚東さんの証言/戸畑港で聞いた証言
5 対馬、壱岐にて 76
対馬へ/流れついた死体/埋葬された死体/阿比留さんの証言/釜山が見える岬/壱岐・郷ノ浦/朝鮮を犯しつづける日本
3 ふるさとに墓地はなかった 87
1 再会 88
「静かな朝の国」/重長寿さんとの再会/盧聖玉のふるさと/金泉-水原-ソウル/後宮大使との会見/タコ作り名人の夢/名乗り出た元徴用工/「忍耐」の二文字
2 元徴用工と遺族の証言 96
保存されていた徴用令書/権泰植さんの証言/いまこそ遺骨を故国へ/あなたの墓地はなかった/盧長寿さんの証言/両手両足をもがれた感じ
3 「あの日」と朝鮮人 107
被爆についての証言/被爆朝鮮人の実数/外交ルートにのった朝鮮人遺骨問題/「古い傷口」/<あの日>
4 電光のように脳裡にうかぶ愛する人へ 115
1 遺族さがし 116
重苦しい韓国の政情/息子を三菱にとられた母親の嘆き/権寧瑾のふるさと
2 若い徴用工夫婦の往復書簡 120
寧瑾の妻・貞愛さん/寧瑾からの第一信/自転車に乗って走って行きたい/鉄石のような決心で/逢う日を信じて下さい/ああ朝鮮、朝鮮がいやになった/離別という二文字が二人の前に立ちふさがる/余すこと百余日/迫りくる日本の敗戦/いつかきっと蝶が舞う/電光のように脳補にうかぶ私の愛する人よ/被爆にもかかわらず私は健在だ/帰ってこない夫
3 確認できた山港地 138
第一次徴用で連行された権五衡/生きることが一番苦しかった/三菱から海軍に徴用された朝鮮人/新しい種子/裏づけられた戸畑出港説/証言者たち/発見された一九四六年の慰霊祭アピール/あついもてなし
5 さわだちやまぬ鎮魂海峡 153
1 再び壱岐にて 154
語ろうとしない壱岐の人びと/警察の弾圧/慰霊碑と台風/野原で焼かれた骨/私たちの悲劇/慰霊碑によせた熱い思い/見殺しにした日本人/朝鮮にむかって牙をむく日本
2 遺族会の結成 164
韓国の四月/韓興剣の家族/遺族会結成の呼びかけ/遺族会結成式/日韓双方の動き/韓国の被爆者たち/金再根の遺志/元徴用工・崔基昌さん/狭いワクを越えて
3 三菱重工との交渉 182
韓国に進出する三菱/三菱への疑念/三菱に支払う意志はあったか/誠意のない回答/決死の覚悟/三菱に責任はある/鎮魂の海峡/にんげんの復権
補1 外国人被爆者の間題 193
孫振斗さんの勝訴/これは日本人被爆者の問題でもある/自らの生命を絶つ被爆者/日韓被爆者の連帯/来日した韓国人被爆者たち/辛さんへの被爆手帳交付/厚い壁/ふたたび三菱との交渉/ソウルでの慰霊祭/塗り消された碑文/野火のようにひろがる民衆の火
補2 海峡の怨-訪韓レポート 207
はじめに 207
1 道義までふンにカる日本政府・三菱重工 208
2 三一年目に壱岐で遺体発掘 209
3 外国人被爆者問題 215
4 外国人被爆者に平等の権利を 230
5 私の訪韓に際してのアピール 233
6 ソウル無住宅被爆者自治互助会 243
7 三菱遺族会の人々 245
死ぬ時も一緒に/土の中に入るまでは/結婚して五年目に強制連行/父が二人目の成子/自殺未遂の意味するもの
8 訪韓に際してのアピールについて 252
加害者と被害者の立場をこえるために/新資料と新証言/李学俊氏のレポート
資料  261
年表  293
三菱重工業強制連行関係年表
あとがき 深川宗俊(1974年8月) 300
解説 飛田雄一(1992年6月) 303
奥付
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原田勉

原田勉

22 19140831生19850422没 原田勉 はらだ・つとむ 1953「酔心」旗揚げ。『なに糞経営愕』(原田勉、朝日書院、19650625)

 

『なに糞経営愕』(原田勉、朝日書院、19650625)

内容<作業中

章頁
はじめに
くそ意地半生記
19 初めての熱い涙
26 軍鶏をころす
34 あの空のように
41 小さな幸せ
48 遠くの鶏鳴
55 社長の激励
62 空腹に負けて
70 その名は事務員
78 不死鳥のように
87 転換期
92 ”酒場酔心”の開店
101 ”釜飯酔心”の再出発
やぶにらみ放談
はだか経営学
275 あとがき

資料年表:山田浩

資料年表:山田浩

年月日 事項
1925
0310 誕生(佐賀県唐津市)
1944
12 入営、中国出征
1945
03 広島高等学校文科乙類卒。
1946
05 中国より復員
1949
03 九州帝国大学法文学部法科卒業
1953
04 広島大学皆実分校助手
1960
08 戦後日本の国家権力』(共著、三一書房)
1964
04 広島大学教養部助教授
1967
0110 『戦後アメリカの世界政策と日本』(法律文化社)
1971
1001 『安全保障と日本の未来 核抑止戦略を超えて』(法律文化社)
1973
0830 山田浩「廣高沿革小史」(『廣島高等学校創立五十年記念誌』廣島高等学校同窓会)所収
1120 座談会・手記を読んで 石田成雄 大槻和夫 庄野直美 空辰男 藤井敏彦 山田浩 (『戦前の教育と私』広島平和教育研究所編、朝日新聞社)
1975
0825 「核問題の現状と平和 山田浩」(『平和の探求』岡倉古志郎 他編、時事通信社)
1976
0731 『ヒロシマからの報告 平和・教育・被爆者問題を考える』(山田浩 他編、労働教育センター)
1977
0701 「核と平和」(『地域と科学者 被爆・核・広島特集』、日本科学者会議広島県支部編)
0910 「第Ⅱ章 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)」(『広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会』)
1979
0518 山田浩、森利一編『平和研究ノート』(広島大学総合科学部国際関係論教室)
1103 『核抑止戦略の歴史と理論』(法律文化社)
1980
0925 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房)
1981
1001 「第9回 :第2次大戦後の軍拡競争の歴史 、第10回 :今日の核軍拡競争 」(『平和を研究する』、広島大学放送教育実験実施委員会)
1982
01 「栗野鳳先生をお送りする言葉」、「戦略論議と限定核戦争―1960年代末以降のアメリカの核戦略構想をめぐって」(『広島平和科学 5 1982年』広島大学平和科学研究センター)
0220 「団体の紹介:学問と平和を守る大学人会」 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82冬 創刊号』所収
1983
0520 『現代日本の政治』(北西允。山田浩著、法律文化社)
0930 『青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念』(廣島高等学校同窓会)
1984
0331 『軍備と軍縮の歴史』(広島平和文化センター)
0830 山田浩編『平和学講義』(勁草書房)
1985
0215 『半生雑記帳』(溪水社)
0730 「限定核戦争論 第2報告者 山田浩」(『核戦争の危機と人類の生存』江口朴郎 他編、三省堂)
1130 「限定核戦争政策について 」(『平和のメッセージ 核戦争の脅威をのりこえて』アンセルモ・マタイス、関寛治編、明石書店)
1986
0630 「広島大学平和科学研究センターの歴史と今後の課題-平和研究の制度化推進のために- 山田浩」(『ヒバクシャと現代 創立20周年記念』日本科学者会議広島支部)
1987
0101 「ゲイサー報告をめぐる若干の考察―アメリカ核戦略の転換期における先駆的な道標―
山田浩」(『広島平和科学 9 1986年』広島大学平和科学研究センター)
0211 「核廃絶の道を探る-山田浩氏、金井利博氏との座談会(昭和四七年)」(『安部一成論文選集 5巻 原水爆禁止運動』東洋図書出版)
1107 「大学と平和教育」(『平和研究 第12号 エスニシティと平和』日本平和学会)
1988
0301 『最近のアメリカ非核通常戦略の一般的な動向 「水平的エスカレーション」戦略とNATO戦略を中心として』
0310 『半生雑記帳 続』(溪水社)
1990
0630 「広島の活性化と文化・平和行政」(『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』香川不苦三著 中国新聞社編)
1992
0720 「核軍拡・軍縮の歴史と課題」(芝田進午編『戦争と平和の理論』勁草書房)
1995
0720 「社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-山田浩(昭20文乙)」(『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』廣島高等学校同窓有志の会)
1997
0801 「金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 」山田浩<昭20文乙>)(『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』廣島高等学校同窓有志の会)
2000
1010 山田浩、吉川元編『なぜ核はなくならないのか 核兵器と国際関係』(法律文化社)
2002
1120 『現代アメリカの軍事戦略と日本』(法律文化社)
2004
0101 「米ロ間戦略核削減と「備蓄」問題―いわゆる「モスコワ条約」(SORT)の意義を考える―」(『広島平和科学 26 2004年』広島大学平和科学研究センター)
2006
0930 『核拡散問題とその対策の多様性 とくに武力行使について考える』(広島修道大学学術交流センター)

信州白樺―長田新特集

『信州白樺第61・62・63合併号―長田新特集』(信州白樺、1985/02/13)

内容

著者 タイトル 備考
005 長田新先生照影
006 長田新先生の分骨の墓碑
007 長田新年譜
035 長田新 ペスタロッチに還れ-上からの教育学より下からの教育学へ
043 長田新 平和を築くことが人間としての最高の道徳である
55 飯島宗一 長田新先生のことども
58 碓井正久 長田新先生と「新知育論」
67 太田尭 ペスタロッチの「直観」論と長田新
70 沖原豊 学問と平和を求めて-書斎から街頭へ-
80 金子金治郎 長田新先生の私的回想
94 小崎軍司 感銘をうけた教育評論
103 田畑忍 長田新博士との出会い
106 寺田英夫 最後の教え子として-『平和をもとめて』-
113 伏見康治 長田新先生の憶い出
115 福島要一 長田新先生と私
125 細谷俊夫 長田新氏を追想して
127 堀内守 長田新の教育学
135 宮坂広作 「近き理想主義」の教育哲学
151 村井実 長田新先生の郷土性
156 森滝市郎 ゲッチンゲン宣言と長田新先生
161 松浦勉 「大正自由教育」と部落問題-長田新の被差別部落民教育論-
230 羽仁説子 平和への祈りとともに
232 島為男 長田先生の片影
238 山口勇子 行動する知識人
240 与田準一 子どものしあわせ
241 柴谷久雄 学者として市民として
243 武内利忠 原爆の子の父-長田先生を衷いて-
256 玉置孝 いかに生くべきか
266 上原専禄 「同志」だけではなかった長田さん
268 上田庄三郎 日本自由教育史の先駆者
269 小川太郎 戦時中の長田さん
272 坂田昌一 あやまち二度とくりかえさせませんから
273 末川博 平和のための闘士
275 砂沢喜代次 日本民主教育の先達
279 南原繁 真理と平和を求めて
281 ハンス・シュテーエッドバッハー 日本におけるペスタロッチ運動創設者の追想のために
283 前芝確三 その面影をしのびつつ
285 務台理作 長田新博士を偲ぶ-人間の可能性を強く信じた理想主義者-
287 矢川徳光 「社会科学的ヒューマニズム」の立場に立って
289 特集 反戦・反核を訴える詩人たち
290 小崎軍司 プロローグ「反戦・詩人と市民のつどい」
294 三井為友 現代日本における反戦詩の役割
302 松本隆晴 歓迎の言葉
303 丸地守 朗読詩(1)
305 小崎軍司 上田自由大学運動の今日的意義
310 森田宗一 反戦平和への行脚の旅
314 長谷川龍生 戦争と人間
318 大島博光 抵抗詩について
322 藤原定 戦争と民主主義
326 増岡敏和 峠三吉と『原爆詩集』
332 朗読詩(2)
334 長田三郎 歴史を繰り返さないために
337 清野竜 エピローグ 一参加者の個人的な感想
340 船山謙次 長田教育学に学ぶ
372 自由席
松浦勉 本誌掲載の拙論について
宮坂栄一 編集記を兼ねて