「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

児玉光雄

児玉光雄

こだま・みつお 1932****生20191028没 享年88 2011年から広島平和文化センターの被爆証言者。広島一中年生12歳の時被爆。

資料年表:児玉光雄<作業中

年月日 事項 備考
1932 誕生
1954/04/25 『追憶』(広島一中遺族会)
1974/05/01 『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会)
20190925 『異端の被爆者 22度のがんを生き抜く男』(横井秀信、新潮社)
20060801 「被爆者運動50年 明日への扉<8>」(『中国新聞』編集委員・西本雅実、記者・荒木紀貴)
20100417 「被爆の痛み 世界に訴え ピースボート出航」(『中国新聞』記者・荒木紀貴)
20180301 『千代田区平和使節団の報告 (平成29年度)』(千代田区地域振興部国際平和・男女平等人権課)
「戦争体験者のお話 児玉光雄」
20230310 ~5月26日。2022年度広島大学原爆放射線医科学研究所資料展示「被爆者を生き抜く 資料から見えてくる児玉光雄さん」(担当教員:久保田明子)。会場:広島大学医学部医学資料館。
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藤村耕市

藤村耕市

ふじむら・こういち 1929****生20160401没 享年86歳 元三次地方史研究会会長
広島県双三郡吉舎町吉舎(現三次市吉舎町)生まれ。 塩町(後に三次工業),三次,日彰館の各県立高校教員を歴任して昭和60年(1985)に退職。その他,三 次市文化財保護委員,三次市史編集委員長,三次地方史研究会会長,県立文書館文書調査員(平成元 年 2 月~平成14年 3 月)など。平成19年に広島県教育賞,同21年に文部科学大臣から表彰を受けた。 編著書に『三次地方史の研究』(平成20年)。『吉舎町史』(昭和63~平成 3 年),『口和町誌』(平成12年), 『布野村誌 通史編』(平成14年),『三次市史』(平成15~16年)など。出典:『広島県双三 郡吉舎 町 藤村耕市 氏収集文書 仮目録

 

下江武介

下江

武介

しもえ・ぶすけ ****生19960308没 下江武介 享年92 広島県被団協理事。<投稿>

資料年表:下江武介<作業中

年月日
1965
0322 日本被団協の被爆者平和使節団(ソ連平和委員会の招き)のメンバーに選ばれる。(『中国新聞』)
0806 被爆20周年原水禁世界大会(原水禁国民会議)であいさつ(広島県被団協理事)。(『中国新聞』)
1966
0909 英の核非武装運動(CND)の招きで渡英。(『中国新聞』)。11月17日帰国(『中国新聞』)。
1967
0804 英BBC放送、下江の英での語り部活動を描いた「ヒロシマからの来訪者」を放送(『中国新聞』)。
1978
0302 国連軍縮特別総会に広島県被団協が派遣する代表の一人に選ばれる(『中国新聞』)。
1979
1211 (『中国新聞』)。
1993
0804 (『中国新聞』)。
1996
0308 心筋梗塞のため死去(『中国新聞』)。

資料年表:佐藤行通

資料年表:佐藤行通 <作業中

 年月日
19181205 誕生
195408 『思想』第8号(岩波書店)
19631001 『世界』第214号(岩波書店)
19680805 『現代に生きる宗教者の証言』(日本宗教者平和協議会編、新日本出版社)
19700730 『日本中が私の戦場 平和を求める宗教者の声』(佐藤行通 、東邦出版社)
1976/01/01 『ヒロシマ・アピールを全世界へ』(国連要請国民代表団編、核兵器全面禁止・国連要請国民代表団派遣中央実行委員会)
1976/05/20 『核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録』(1976/05/20)
1976/11/01 『世界政経』第5巻第11号 通巻第57号(世界政治経済研究所)
1976/12/23 『核兵器全面禁止 崇高な人類の大義 核兵器完全禁止・国連要請国民代表団報告集』(核兵器全面禁止国際条約締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団派遣中央実行委員会)
1977/12/20 『ジュネーブ報告=議事抄録』(原水爆禁止日本協議会)
1979/01/01 『平和運動』No.123(通巻438号)(日本平和委員会)
1985/02/01 『反戦平和資料』No.4(平和資料室)
1983/07/20 『フィラスティン・びらーでぃ』No.41 1983 6・7月合併号(PLO駐日代表部)
1985/07/01 『ユネスコクーリエ』 1985.07月号(旺文社インターナショナル)
 20180301  逝去。99歳。

白土三平

白土三平

しらと・さんぺい 本名:岡本登(のぼる) 19320215生20211008没 漫画家。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など。

資料年表:白土三平<作業中

年月日 資料名 著者・発行者など
1932
0215 誕生
2009
0330 『消えゆく少女 前編』(小学館クリエイティブ)
中野晴行(評論家)「核兵器の恐怖とマンガ」
sitatosanpei-2009
0426 『消えゆく少女 後編』(小学館クリエイティブ)
佐藤優(作家・起訴休職外務事務官)
sitatosanpei-ss
2021
1008 逝去。享年89歳。

中沢啓治

中沢啓治

 なかざわ・けいじ 生20121219没 享年73  漫画家。『「ヒロシマ」の空白 シリーズ 昭和とはなんであったか』(中沢啓治、日本図書センター、1987.8.25)。『広島県現代文学事典』(小西清美pp.384-385)

資料年表:中沢啓治

 

 年月日
1971
 0725  『黒い雨にうたれて―劇画で描く原爆被爆者の戦後史』 (中沢啓治、ドーミエ書房)
 1975
 0512  『はだしのゲン 1 青麦ゲンの登場の巻』(中沢啓治、汐文社)
 pp.272-275 尾崎秀樹(文芸評論家)「戦争を知らない世代にぜひ」
0512 『はだしのゲン 2  麦はふまれるの巻』(中沢啓治、汐文社)
pp.249-254 横田喬(朝日新聞社会部記者)「『はだしのゲン』に魅せられて」
 0512  『はだしのゲン 3 麦よ出よの巻』(中沢啓治、汐文社)
 pp.258-260 石子順(評論家)「”落ちた”と”落とされた”とのちがい」
 0512  『はだしのゲン 4 まっすぐ伸びよ青い麦の巻』(中沢啓治、汐文社)
  pp.258-260 石子順(評論家)「三十年前のことではなく」
1976
02 カラー作品「はだしのゲン」(上映時間1時間47分)
 0710   『はだしのゲン 戦後編1』(中沢啓治、市民社)
 pp.190-192 横田喬(朝日新聞記者)「はだしのゲンのこと」
1977 
03 山田展吾作品「はだしのゲン 涙の爆発」
 1982
 0715  『ゲキの河 上巻』(中沢啓治、汐文社)
  0715  『ゲキの河 下巻』(中沢啓治、汐文社)
  nakazawakeiji-
 1987
0815  『「ヒロシマ」の空白-中沢家始末記<シリーズ昭和とはなんであったか>』(中沢啓治著、日本図書センター)
1991
 0705 『はだしのゲンへの手紙』(中沢啓治編、教育史料出版会0)
 1994
 0715 『「はだしのゲン」自伝』(中沢啓治編、教育史料出版会)
 1995
 0806  『舞台シナリオはだしのゲン誕生 母のゴンドラの唄が聞こえる』(星功一著、中沢啓治原作、柘植書房)
2008
 0806  『はだしのゲンはヒロシマを忘れない 岩波ブックレット No.735』(中沢啓治、岩波書店)
2011
0325 『広島に聞く 広島を聞く <日英対照> = Reflections from Hiroshima』(浅井基文編著、かもがわ出版)
I 昭和天皇と日本(日本人)の戦争責任 11
中沢啓治「ゲンは怒っている」 13
 2012
0301 『ひろしま平和ノート  高等学校 ヒロシマ発 持続可能な社会の実現』(広島市教育委員会)
Ⅰヒロシマ 3
学習1 平和とは何か 4
学習2 原子爆弾と被爆の実相 6
学習3 被爆体験者が伝えること 8
中沢啓治さんからのメッセージ
0610 『複数の「ヒロシマ」 記憶の戦後史とメディアの力学』(福間良明、山口誠、吉村和真編著、青弓社)
 1219  中沢啓治逝去。
 1220 『はだしのゲン わたしの遺書』(朝日学生新聞社)
 <つづく

 

 

資料年表:伊東壮

資料年表:伊東壮

年月日 資料名 著者・発行者など 備考
1970 “ひばく怪獣”問題資料集 被爆者差別の固定化を許さないために
「はじめに “被爆怪獣問題”の中から 伊東壮 1」
1975/07/25 被爆の思想と運動 伊東壮著、新評論
1975/07/25 原爆から原発まで 核セミナーの記録 上 原爆体験を伝える会編、アグネ
原爆被爆の思想と運動 伊東壮 132
1976/04/30 広島・長崎30年の証言(下) 広島・長崎の証言の会編、未来社
日本被爆者運動の三十年 伊東壮 11/東友会二十年のあゆみ 伊東壮 78
未完
19980928 ふみあと(退官記念随想集)
20000514 伊東壮さんを偲ぶつどい《冊子》<未完

1945年8月6日-ヒロシマは語りつづける

『1945年8月6日-ヒロシマは語りつづける(岩波ジュニア新書6)』(伊東壮、岩波書店、1979/07/20)

内容<作業中

1 ある日突然-天をさく閃光 1
海の底で 2/倒れた校舎からはい出て 7/生き残った三人姉弟 12/日本人も朝鮮人もなく 20
2 戦争のなかの暮らし 29
広島の町 30/長崎の町 32/満州事変とともに 34/日中戦争始まる 39/太平洋戦争に突入 43/負けはじめる戦争のもとで 48/勉強をやめて工場動員へ 52/朝鮮人ニロ湾人も動員 56/ひもじさにたえる「学童疎開」 58/むごたらしさの果てに 64
3 戦争は終わったが 67
原子爆弾の破壊力 69/広島・長崎の被害 71/傷ついたからだ(藍)心のケロイド 78/消えぬ十字架 82/焼け跡のバラックで 84/襲いかかる原爆病 87/貧しさのどん底で 88/閃光はおなかの赤ちゃんにまで 90
4 原爆はなぜ広島・長崎へ 95
アインシュタインの手紙 96/原子の構造 99/質量はエネルギーに変わる 101/ナチスとユダヤ人科学者 104/原爆の研究スタート 106/秘密裏にすすむマンハッタン計画 110/情報のひとりじめ 114/原爆をどの国に落とすか 116/日本に落とそう 120/ソ連を嚢制するために 124/戦争のモラルは変わった 126/どの都市に落とすか 130/原爆をいかにうまく使うか 134/科学者たちの良心の叫び 138/「赤ん坊は申し分なく生まれた」 142/投下命令が出される 148/「ちび」と「ふとっちょ」 150
5 あなた自身が生き残るために 157
戦争は突然終わった 158/暗幕のかげで 160/東条内閣倒れる 162/すすむ和平工作 166/だまされつづけた国民 171/世界への第一報 174/プレスコードのもとに 176/「おれたちは原爆のモルモットか」 179/人類の危機 183/第三次大戦がおこれば 187/知らぬ間に核兵器にかこまれて 190/スリーマイル島の教訓 192/亡き学友の名をなでながら 197
あとがき 203
〈年表〉原爆が投下されるまで 207

ヒロシマ・ナガサキから世界と未来へ

『ヒロシマ・ナガサキから世界と未来へ』(伊東壮著、勁草書房、1985/07/20)

内容<作業中

はじめに
被爆者問題の課題と方法
原爆被爆者問題にとりくんで 3
科学は人間のためにある 36
原爆被害の全体像へ接近するための視点と方法 45
「原爆被害」研究とその課題 64
被爆者の実情とその運動
政府の被爆者援護対策と被爆者運動 95
原爆小頭症患者の「きのこ会」の皆さんへ 129
基本懇意見書に抗する国家責任追及の国民法廷運動 133
迫る老いと死-韓国被爆者の「見殺し」は新しい加害 136
原爆被害者の老いの苦しみの中で 139
日本被団協の死没者・遺族調査の意味 147
被爆者と原水禁運動
被爆国際シンポジウムの訴え-人間としての尊厳のために 157
悲惨な戦争の実像伝えよう 161
「原爆被害」の今日的いみ 164
核権力と被爆者 188
第2回国連軍縮総会と草の根反核運動 195
国境をこえた草の根反核-「非核都市宣言」 207
原爆体験と平和教育
平和教育とは何か 213
「ヒロシマ・ナガサキ」から未来へ 221
原水禁問題略年表 249
おわりに 255

原爆被爆者の半世紀

『原爆被爆者の半世紀』(伊東壮著、岩波ブックレット No.116、1988/06/20)

内容

01 墓は訴える
02 天を裂く閃光
その日も学徒動員で工場に
ぼろぼろに焼かれた人たち
11 絶滅のまっただなかで
重傷者を救護して
爆心に姪をさがす
17 広島一四万、長崎七万の死者
地獄のなかの死者たち
従来兵器にない大量殺りく
23 子供、女性、老人が殺された
その年の死者―65%が子供、女性、年寄り
とむらわれぬ死者
原爆死の特徴は、なによりも”殺人”
32 いまなおつづく健康破壊
おそう急性放射能症
ひきつづく病気と「遅れた死」
38 こわされた家族と家計
家族が一挙に半分に
家屋も財産も燃えつきて
高度成長からとり残された被爆者
44 おかされつづけるくらし
進学をあきらめ仕事に挫折
くだかれる結婚のゆめ
火事のできぬ主婦の悲しみ
うまれてくる子供への、ぬぐいきれない不安
54 こころの深い傷のなかから
ひき裂かれたこころ
かくされた原爆被害とその過小評価
「生きていてよかった」の言葉がきかれる
61 核兵器廃絶を生きる支えとして
いまも不安のなかに生きる被爆者
ひとつの家庭で二人自殺した事例
ふたたび被爆者をつくらぬ証しを
被爆者の生と死を―核兵器廃絶と真の平和のためととらえたい