島原帆山

島原帆山

しまばら・はんざん 19010916生20011215没 享年100
都山流尺八演奏家。重要無形文化財保持者(人間国宝)。広島市名誉市民。広島被爆者。原爆投下翌日、衛兵をしていた八本松町(現東広島市)の海軍弾薬庫からトラックで広島市内へ。『中国新聞』2001年8月3日付。『竹韻一路 人間国宝島原帆山』(島原帆山、新芸術社、1990.5.8)。佐伯好郎墓前で島原帆山の尺八演奏。

松坂義正

松坂義正

18880712 19791113 まづざかよしまさ 91 広島市の自宅で被爆。広島原爆障害対策協議会副会長。広島市名誉市民。遺された資料を閲覧。
資料
松坂義正・木村弘「原爆被爆者医療認定の諸問題」(『日本医事新報』別冊(第2730号)1976年8月21日)
松坂義孝「創立当時と発起人松坂義正」(『広島県医師会速報 第2008号』2008年2月25日)

 

http://www.hiroshima.med.or.jp/ishi/docs/0225/2003_030.pdf#search=%27%E6%9D%BE%E5%9D%82%E7%BE%A9%E6%AD%A3%27

小堺吉光

小堺吉光

こさかい・よしてる 19生
1986没
広島市公文書館長(初代)。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島原爆戦災誌(全6巻)』

著書

発行年月日 書名 発行所
1952111001 歌集・死灰の街 エコールドヒロシマ
1957071002 白光-小堺吉光歌集 山光書房
1967053302 広島の歌 小堺吉光
1978072003 ヒロシマ読本(平和冊子NO.1) 広島平和文化センター

こさかいよしてる

小倉馨

小倉馨

おぐらかおる 19201013生 19790713没 享年58
広島平和文化センター事務局長(1977年~)。[69原爆被災資料広島研究会]。原爆資料館館長。『広島県史 原爆資料編』の英文資料翻訳でお世話になる。

資料年表:小倉馨

『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡(上・下)』(若尾祐司、小倉桂子編 、名古屋大学出版会  2018年7月10 日)
『ヒロシマに、なぜ 海外よりのまなざし』(小倉馨、 溪水社、1979年7月20日)

三村剛昂

三村剛昂

みむら・よしたか 18980301生19651026没 享年67
広島文理科大学教授(物理学)。1944年同大理論物理学研究所の初代所長。
資料
『科学者と平和 三村剛昂先生遺稿集』(三村剛昂先生遺稿収録委員会)

仁都栗司

仁都栗司

にとぐり・つかさ 生 19881211没 享年91
元広島市議会議長。広島平和記念都市建設法・原爆医療法などの制定に尽力。
資料
『仁都栗司資料目録』(広島市公文書館、1988年6月30日)

森戸辰男

森戸辰男

18881223生19840528没 もりとたつお 享年95
1950年広島大学初代学長。(13年間)。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。[51広島大学平和問題研究会会長]。[52広島平和問題談話会]。1951年に、「広島大学平和問題研究会」を発足させる。
資料
『広島大学所蔵 森戸辰男関係文書目録 (上・下巻)』(森戸文書研究会編、広島大学・松下視聴覚研究財団刊)

井出三千男

井出三千男

いで・みちお 1941生20060626没 享年65歳 広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 原爆記録写真の研究家、写真の専門家の立場から、被爆建物等を手がかりに写真を読み解き、平和記念資料館の資料調査研究会委員として活躍

リンク:資料年表:井出三千男

水原肇

水原肇

読売新聞記者(1989年55歳で定年退職。その後は自称トップ屋)

資料
正観「梟」通信第1号(1999年6月9日)
carnet通信VOL1No.1(個人誌「正観」改題、1999.10.13)
carnet手帖Vol1No.1(キャルネー=手帖、1999.1110)

吉川清

吉川清

きっかわ・きよし 生19860125没 享年74
 「原爆 1号」と呼ばれ、被爆者運動に尽力。[原爆被害者の会代表者]。

資料

 『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)
 『 閃光を背負って―原爆第一号の足跡』毎日新聞(広島版)連載1989年8月16日~9月6日
『 吉川清氏資料概要(中間報告)』(広島平和記念資料館、20030317)
リンク:吉川生美(きっかわ・いきみ)20131228没 享年92歳。「原爆1号」と呼ばれた故吉川清は夫。 約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆した。 広島市東区のグループホームで死去。

マルセル・ジュノー

ジュノー、マルセル

Marcel Junod 19040514生19610616没 享年57歳 スイス国籍の外科医。赤十字国際委員会駐日代表として来日。1945年9月8日、GHQの医薬品ともに広島入り。
リンク ttps://hiroshima-ibun.com/2023/06/16/資料年表:マルセル・ジュノー

資料年表:マルセル・ジュノー

 

 

長岡省吾

長岡省吾

ながおか・しょうご 19010811生19730201没 享年71   広島大学理学部[学研調査]。被爆時、広島文理科大学嘱託として山口県に地質調査で出張中。翌日入市。被爆資料収集に努めた(初代広島原爆資料館長)。お宅で面談、資料閲覧

資料

発行年月日 著者・発行所
廣島あの日から 19550525 長岡省吾、資料集成後援会、
 HIROSHIMA  19700720  長岡省吾、長岡省吾
 H iroshima Under Atomic Bomb Attack

 

蔵本淳

蔵本淳

資料
『蔵本淳教授退官記念業績集』(広島大学原爆放射能医学研究所病態治療研究部門臨床第一(血液内科)研究分野)、1995年3月
『祝 蔵本淳教授退官記念祝賀会出席者御芳名簿 平成7年3月11日 於リーガロイヤルホテル広島』

深川宗俊

 

ふかがわ・むねとし 20080424没 享年87 歌人、三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会共同代表、本名前畠雅俊=まえはた・まさとし)旧三菱重工業の韓国人徴用工の指導員をしていて被爆。73年から1人で徴用工の調査を始め、補償問題に取り組む。

天野卓郎

天野卓郎

あまの・たくろう 19270128生19940318没 享年67歳
広島県史編さん室。職場の上司。

資料年表:天野卓郎

年月日 事項
1927
0128
1956
** 法政大学卒
1973
0515 『人権・差別・部落』(東上高志・小倉襄二編・全国社会福祉協議会)
第2部地域を考える
pp.118-135
天野卓郎・渡辺正治「原爆と差別―被爆と差別の体験構造」
「死の灰」の中での差別/原爆による差別の拡大-魂のうばわれた人/原爆と差別の実態-生活をうばわれた人/差別の壁とのたたかい―抗議しつづける人/就職と労働の差別/生活保護と権利意識
1984
0220 『大正デモクラシーと民衆運動』(天野卓郎、雄山閣出版)
1986
0620  『近代日本の教育と部落問題』(天野卓郎、部落問題研究所出版部、)
1990
0320  『戦後地域民主主義の歩み』(天野卓郎、溪水社)
0330 『記念録』(天野教授退官記念録編集委員会、1990年3月)
1992
0516 『地域民主主義を問いつづけて―水平社70年と広島のたたかい』(社団法人ふくしま文庫編、部落問題研究所、19920516)
1994
0318 没。享年68歳。
0430
0615 『ふくしま文庫 第48号』
0619 故天野卓郎先生を偲ぶ会。於:県民文化センター

 

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/monjokan/sub6-01.html

古文書 広島市 – 広島県立文書館 | 広島県

199505(寄贈)/天野卓郎文書(広島市)

  • 性格・内容・・・広島県史・近現代史部会委員,刊行物・資料など
  • 整理状況・・・終了
  • 検索手段・・・閲覧室仮目録(戦前社会運動史料のみ)(要相談・要審査)
  • 数量・・・1,485点

芝田進午<追悼>湯崎稔教授を悼む

湯崎稔

ゆざきみのる 19310501生19840611没 享年53歳 [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。

 

資料
芝田進午「<追悼>湯崎稔教授を悼む」(『社会文化研究(広島大学総合科学部紀要Ⅱ)第10巻』1984年別冊)
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