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小谷鶴次

小谷鶴次

こたに・つるじ 生19970208没  84  広島大学名誉教授。政経学部教授時代に世界連邦建設運動にかかわる。

 

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広島平和問題談話会会誌 平和問題 第2号 広島平和問題談話会 1953/8/6
国際平和読本 改版 小谷鶴次著 関書院 1961/4/1
世連講座 高橋三郎 [ほか] 世界連邦建設同盟広島支部連合会 1968/5/10
ひろしま 平和の歩み 広島平和文化センター編 広島市 1968/8/1
Hiroshima : steps toward peace = Heiwa no ayumi Seiji Imahori, Tsuruji Kotani, Naomi Shono, tr. by Barbara Reynolds, Hiromasa Hanabusa ; 今堀誠二、小谷鶴次、庄野直美 Hiroshima Peace Culture Center ; 広島平和文化センター 1969/1/1
武力とその使用 小谷鶴次著 世界連邦建設同盟広島支部連合会 1969/1/25
濱井信三追想録 濱井信三追想録編集委員会編 濱井信三追想録編集委員会 1969/8/6
アウシュヴィッツの悲劇 K.スモーレン著 小谷鶴次訳 柳原書店 1969/9/30
アウシュビッツ展 ヒロシマ・アウシュビッツ委員会、朝日新聞社編 ヒロシマ・アウシュビッツ委員会 1972/4/1
基本的人権と国際平和 資料と研究 小谷鶴次編 有信堂 1972/5/15
世界連邦運動ヒロシマ25年史 第2回世界連邦平和促進宗教者大会記念 世界連邦運動ヒロシマ二十五年史編集委員会編 世界連邦広島宗教者協議会、世界連邦建設同盟広島県協議会 1972/6/25
ひろしま 平和の歩み 広島平和文化センター編 広島平和文化センター 1973/8/6
国際法の基本問題 小谷鶴次先生還暦記念論文集 山本敬三 他著 有信堂 1976/2/20
山田節男追想録 山田節男追想録刊行委員会編 山田節男追想録刊行委員会 1976/7/15
1か0(ゼロ)か 世界は一体のものとなるか さもなければ無に帰してしまう ギュイ・マルシャン著 小谷鶴次訳 柳原書店 1977/5/3
国際関係論 小谷鶴次著 柳原書店 1978/4/10
庭野平和財団文化講演会講演集(昭和55年度) 庭野平和財団 1981/4/1
新世界秩序をめざして-第18回世界連邦世界大会報告 世界連邦建設同盟編 世界連邦建設同盟 1982/4/30
仙台ユネスコ運動のあゆみ 仙台ユネスコ協会 1983/5/31
青春回想録 廣高その永遠なるもの 廣島高等学校創立六十年記念 広高青春回想録編集委員会編 廣島高等学校同窓会 1983/9/30
海外事情から世界連邦へ 小谷鶴次著 Toshindo出版サービス 1985/11/5
国際関係と人間 小谷鶴次著 Toshindo出版サービス(発売) 1986/4/30
一つ屋根の下での国際交流ー日本サーバス25周年記念誌 青木高編 日本サーバス 1988/1/10
この道五十年 小谷鶴次著 Toshindo出版サービス 1989/7/20
戦争放棄から世界連邦へ 小谷鶴次著 Toshindo出版サービス(発売) 1990/12/20
国際政治における国際法 小谷鶴次著 晃洋書房 1992/2/20
アウシュヴィッツの悲劇 K.スモーレン著 小谷鶴次訳 柳原書店 1992/8/18
国際平和法序説 小谷鶴次著 Toshindo出版サービス 1992/11/15
私と国際関係 小谷鶴次著 晃洋書房 1994/9/10
思い出から平和の構築へ 小谷鶴次著 晃洋書房 1995/2/20

雑賀忠義

雑賀忠義<作業中

 さいか・ただよし 18940325生19610208没  67   広島高等学校教授の時被爆。英文学者。1957年広島大学を定年退官。広島平和公園にある原爆慰霊碑の碑文の作者。

 

『ながれ』(村上哲夫、村上哲夫後援会、1954/06/25)靜坐心自寛  雑賀忠義 424

 

尾形静子

尾形静子

おがた・しずこ 19270127生19710207没 享年44歳 広島市広瀬国民学校で勤務中被爆。

関係資料一覧

年月日
1950/08/06 『原爆体験記』(広島市民生局社会教育課編、広島平和協会刊)
1953/06/25 『原爆に生きて 原爆被害者の手記』(原爆手記編纂委員会、三一書房)
1955/08/05 『原子力と文学』(小田切秀雄編、大日本雄弁会講談社)
1969/08/06 『未来を語りつづけて-原爆体験と平和教育の原点』(広島県教職員組合広島県原爆被爆教師の会編、労働旬報社)
1970/06/20 『日本原爆詩集』(大原三八雄、木下順二、堀田善衛編、太平出版社)
1976/09/10 『被爆教師』(石田明、一ッ橋書房)
1982/10/25 『広島県大百科事典 下』(中国新聞社編、刊)
1983/09/28 『校庭は墓場になった 女教師たちの戦争体験記』(退職婦人教職員全国連絡協議会編、ドメス出版)

柿手春三

柿手春三

かきて・しゅんぞう 1929*****生19930204没 享年84 画家。「広島平和美術展」創立メンバー。代表幹事。

関連資料 <作業中

年月日 資料名 著者・作成者
19910630 柿手春三受贈記念誌 三良坂平和美術館

小野文子

小野文子<作業中

おの・ふみこ ****生20080201没 享年 広島大学原爆死没者慰霊行事委員会の委員。

関連資料

年月日 資料名 著者・作成者
19850110 追悼記 一冊の貯金通帳番号控より 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会
19931020 追悼記 増補 ヒロシマの願い 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会
 19950330  創立90周年記念誌  広島大学付属中・高等学校90周年誌編纂委員会

 

年表:小西のぶ子(抄)

「小西のぶ子年表」(『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』所収)

月日 事項 備考
1906 1025 草津(現在広島市西区)に生まれる。父・小西末吉、母・ヨリ。
1928 日本大学専門部社会科にて三木清に学ぶ。
1941 広島電鉄社会福利課勤務(寮母)
1945 0806 広島にて被爆、一子満義(13歳)を失う。
0926 応急の事務室の黒焦げ電車の中で三木清の獄死を知る。
0927 原爆症で動けなくなる。※蝸牛吟社の同好となる(緑雨の号)。
1949 広島電鉄労組婦人部長、私鉄総連中国地方婦人部長。
06 日鋼争議を支援。
1950 0716 広島電鉄労組「勅令311号」違反容疑で家宅捜索、8名逮捕。
1002 平和擁護広島大会に峠三吉と共に議長団として参加。
1023 広島電鉄労組38名のレレッドパージ。姪の安部礼子婦人部長と共に広電を追われる。行商で妹和子と峠三吉の生計を支える。
1951 婦人民主クラブ広島支部設立。
1952 原爆被害者の会結成に参加。
※『われら母なれば(原爆体験記)』に「腐爛地蔵」発表―エスペラント語翻訳で世界に紹介される。
1955 0806 第一回原水禁世界大会に準備委(県婦協三役)として参加。於広島。
1956 第二回原水禁世界大会に被爆者代表として参加。於長崎。
1959 原水禁母の会結成。
※女性俳句誌『黒雨以後』に参加。
1960 安保闘争、婦人民主クラブとして国会闘争に参加。広大生逮捕者の救援活動
1961 『ひろしまの河』発刊、編集担う
1962 原水禁常任理事。
1965 母ヨリ失う。
1966 サルトルに出会う。
1967 『ひろしまの河』に宋年順聞き書きを発表。
※沖縄返還運動で訪沖。
1968 原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争に参加。
東北・北海道へ援護法制定要求行動50日行脚(巡礼に参加)
1969 0806 無期限スト封鎮中の広島大砦の八・六広島反戦集会に参加。
0818 広島大砦決戦の救援で活躍。
1970 0805 広島被爆者青年同盟結成に協力。
1971 0415 天皇来広糾弾闘争に参加。
0806 佐藤来広糾弾闘争に参加。
1010 全国被爆者青年同盟結成に協力。
中国訪問団(婦民)に加わる。
12 高陽病院建設全国キャラバン支援。
三里塚闘争に参加。
1972 0801 高陽病院(第一診療所)開設。
反公害、婦民運動、反弾圧闘争などに活躍。
婦民創立25周年に参加。
1974 戸村一作選挙応援。
1975 壱岐遺骨収集に加わる。
三里塚百万人動員中四国実行委員会結成、事務局長となる。
0417 三里塚現地集会に参加。
0622 反戦陂爆者の会結成、会長となる。
12 俳句集『腐爛地蔵』出版。
1978 0226 『腐爛地蔵』出版記念会。
1980 脳血栓で倒れる。
1981 草津南町義勇隊の碑建設。
1982 宮岡砂川反対同盟行動隊長の葬儀出席後北富士に行く。
反核行動(広島、大阪、東京)に参加。
『地獄絵』発刊。
1984 0910 骨折、脳血栓で入院(小山外科)。
1985 03 三里塚現地集会参加(最後)。
0805 8・5婦民集会参加(最後)。
11 入院(記念病院)。
12 退院。
1986 06 入院(加川外科)。
1987  0207 午前7時50分逝去(享年80歳)。

地獄絵 草津南町国民義勇隊全滅の記録

『地獄絵 草津南町国民義勇隊全滅の記録』(小西ノブ子著、田螺社、19821105)<作業中

内容

口絵写真
被爆直後の土橋付近
被爆直後の寿座付近
草津救護所
草津漁港
国民義勇隊追悼之碑
草津南町国民義勇隊戦災死者名
碑文
国民義勇隊出動指令伝達
006 発刊のことば 小西ノブ子
009 草津南町国民義勇隊全滅の記録
070 遺族探し
077 手記
<遺族8名>
098 慰霊碑建立に寄せて 門妙子
101 私の原爆体験記(堀憲義)
123 手記 腐爛地蔵( 小西ノブ子)
145 座談会
172 編集後記
174 あとがき(小西ノブ子:遺族代表)
175 著者略歴

炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集

『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』(小西のぶ子遺稿集編集委員会、社会評論社、19880806)

内容<作業中

口絵
001 母と子(丸木俊)
007 刊行にあたって
008 きびしさと優しさと(宅和純:小西のぶ子遺稿集編集委員会・小西記念館設立準備委員会代表)
011 若者の中に生き続ける(下田礼子:遺族代表)
014 反戦ひとすじ-ヒロシマの母(伊豆ハルミ:婦人民主クラブ全国協広島支部)
019 Ⅰ 被爆のあとさき
020 [解題]
023 1 私の花物語
023 さくら
032 花菖蒲
040 黄水仙
048 夾竹桃
056 牡丹
065 鈴蘭
074 鈴蘭(続)
083 2 被爆のあとさき
083 戦前・非合法時代のこと
086 1945年8月6日のこと
087 峠三吉のこと
091 人間の尊厳―イースター行進
宮本定吉のこと
093 II 人間を返せと
094 [解題]
097 1 腐爛地蔵
崩壊 腐爛地蔵 餘燼 肉親たち 鈴ケ嶺収容所 婦民200名が長崎で集会 許せぬ安保改定強行 原水爆禁止広島母の会 初の広島母親大会 憲法の勉強はじめる
117 2 人間を返せと
124 III  ヒロシマに生きる
―[解題] 124
1 ピカドンはまだ消えない 127
2 原爆慰霊碑めぐり 132
白いつつじ 花時計 梅雨の晴れ間 8月6日 似の島 嵐の中の母子像 広島郵便局殉職碑 「原爆の子」の像 崇徳学園
3 原水禁運動をみつめて 175
岩国基地 原水禁運動をみつめて [資料]被爆17年の市民感情の方向 原爆病院を訪ねて 癒える日のないヒロシマ
4 平和は名もなき大衆が守る 202
春のいずみ 平和は名もなき大衆が守る
5 ヒロシマの声 207
子どもと放射能禍 広島の史跡残そう 8・6の季節はじまる 被災者を慰問 広島での人間蒸発の事実 人類の殉教者といわれても ズシリと重さを感じる折りづる 孤老とラジオ 大みそかに1年ぶりのお風呂 よみがえる大本営! ヒロシマ 原爆都市の名にそむく 被爆者に冷酷な特別措置法 農村で喜ばれる検診車 「止むなし」と被爆者は思う 「あのときはどうしとったん」 生活保護の被爆者 追憶の記
6 歩く―聞き書き 230
生まれた子供の顔がみたい 7年目の邂こうから 午前2時15分 その刻を私は無くしたい 遺影をしのんで 歩るく ケロイドから皮膚癌に きのこ会 原爆スラム街相生通り 亡き崔秀子さんと綾子さん 原爆投下の目標はどこであったか
7 新樹の楊 293
8 婦人民主クラブの活動 307
広島でも300人を集める (論壇)出る身になって
312 IV 炎と燃えて
―[解題]
1 広島の夏 314
広島の夏誓い新たに! 心の傷は癒えない 人間をかえせ! キャラバン隊ニッポン行脚 雀らにドームは親し夏蓬莱
2 反戦被爆者の会へ 327
今こそ反戦被爆者の会へ結集しよう 「反戦被爆者の会」結成宣言 被爆33周年 8・6広島反戦集会賛同よびかけ 反戦被爆者の会8・6総括会議から あいさつ 悲しみを怒りにかえて 編集後記 巻頭言 迷ったら原点に還れ 会長あいさつ 巻頭言 8・6の復讐戦へ 編集後記 巻頭言 農地死守の不屈の精神に学べ 峠三吉と現代
3 朝鮮人被爆者の戦後 354
朝鮮の被爆者が花束 朝鮮人被爆者への差別 在韓被爆者の戦後はつづく 韓国徴用工 遺体発掘の行 差別と貧困 ベトナムは人ごとではない
4 沖縄とアメリカの被爆者 372
貧しい沖縄から出てきて広島で被爆 広島原爆で死んだ米兵捕虜23人 消える海
5 正しい者は勝たねばならない 380
人権侵害に抗して 侵略に加担しない反戦教師、人事委と対決 綿ぼこりのなかのスト “小西さんはダメ”MP・私服が立入拒否 広島を軍靴で荒らすな! 正しいものは勝たねばならない 県労会議・原水禁への手紙
6 公害で市を告発 391
戦争の傷跡のこす毒ガス「障害者」 公害で市を告発 公害で泣く“神の島”(安芸の宮島) 石ケン害デマでシャボン玉戦争
7 句集刊行 402
句集『腐爛地蔵』への序―秋光泉児 402
句集『ヒロシマ』とするために―豊永恵三郎 408
412 V たおれてもなお
―[解題]
415 1 三里塚と連帯し核戦争を許さぬ闘いを
広島と私と三里塚 砂川から北富士へ 日本原風物詩 三里塚と連帯し核戦争を許さぬ戦いを
424 2 たおれてもなお
人類の巡礼者 『地獄絵』の手記のお願い 地獄絵周辺 私の絵と藤の花 日記抄
440 3 アピール
発刊にあたって 婦民運動の力強い発展を 全関西実行委員会宛アピール 動労千葉ジェット燃料貨車輸送阻止闘争へのアピール
[小西のぶ子氏を追悼する] 焼野(やまかわさくじ:反戦被爆者の会) 447
451 [小西のぶ子氏を追悼する]比類なき戦闘精神をわがものに人民解放の偉業を引き継ぐ(革命的共産主義者同盟 中・四国地方委員会)
456 小西のぶ子年表
459 あとがき

重松逸造

重松逸造 しげまつ・いつぞう

19171125生20120206没 享年94  放射線影響研究所理事長(1981.7.1-1997)。箕輪真澄「日本の疫学における重松逸造先生の足跡」(『ヘルスサイエンス・ヘルスケア12-1』2012)

 

原爆後障害研究と原医研
『広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録』
広大原医研30周年-10
広大原医研30周年-11