広島平和記念都市建設方案 (昭和24.9.20立案)
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広島大学蔵 |
原爆にたをれむ人もやすらかに平和の光受けて眠らむ
広島平和記念都市建設方案
(昭和24.9.20立案) |
企画部 |
建設構想の研究、実施の促進 |
建設法に伴ふ国家各機関との交渉 |
建設予算編成と財源捻出(県市、国家、外国) |
都市形態整備 |
特殊的 |
記念保存物調査決定(産業奨励館、原爆十景等) |
新建設物 |
慰霊塔(平和塔) |
記念館 |
美術館 |
科学館 |
一般的 |
土木工事 |
道路 公園 |
軌道 ガス |
上下水道 |
橋梁 |
建築工事 |
公共文化、社会事業的建造物 |
個人住宅 |
内容充実 |
霊場設置 |
二十万犠牲者の鎮魂場 |
原爆資料 |
実物、写真 |
調査蒐集 |
文書、統計 |
平和精神涵養 |
講演会(教育、宗教、文化団体連絡) |
雑誌(平和協会ヨリ発行) |
市旗(平和都市象徴・各戸掲揚) |
平和祭発展 |
行事の研究(世界的構想へ) |
市民の熱意表現工夫 |
世界平和運動 |
国際連合、ユネスコ連絡(行事) |
会場の建設 |
文化施設内容 |
美術館 |
資料研究、調査、蒐集 |
科学館 |
千田書房(店主=山崎与三郎)
やまさき・よさぶろう |
19760704没 |
享年86 |
資料
『原水爆禁止運動』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
目次
第*回大会 |
タイトル<初出掲載誌紙> |
プロローグ |
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原水禁運動の発足 |
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杉並アピール |
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見殺しにされた被爆者 |
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被爆者救援運動の発足 |
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1 |
三千二百万人の国民運動の進展 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』187号(195509)> |
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八月六日の回想 |
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発言の本音 |
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被爆者の生活と意見 |
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科学者の責任 |
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救援運動の出発 |
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基地闘争への賛否 |
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ヒロシマ・アピール |
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歴史学研究会の問題点 |
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歴史をになうもの |
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2 |
被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』200号(195610)> |
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世界を動かしたヒロシマ |
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世界の連帯 |
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進む戦争準備 |
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沖縄問題 |
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再軍備への告発 |
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被爆者救援運動との結合 |
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原子力の平和利用と大衆 |
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大衆運動の進め方への反省 |
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3 |
地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』211号(195709)> |
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台所までもち込まれた運動 |
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専門家の告発 |
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歴史家は何をすべきか |
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六大陸にひろがった原水禁運動 |
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原水爆戦争体制との対決をうち出す |
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会議は空転する |
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全学連の誤謬 |
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大会決定の成果と不安 |
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問題点のかずかず |
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組織と理論に重大な欠陥 |
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4 |
日本の非核武装化にたちむかうために |
|
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』223号(195709)> |
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岸内閣を助けた原水協 |
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ICBMの評価を誤る |
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欧米で核兵器反対運動高まる |
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平和行進 |
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原爆の加害国化する日本 |
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統一戦線 |
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日本の核武装 |
|
空転する討論 |
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中国・朝鮮への差別 |
|
運動の進め方への反省 |
|
難航した国際会議 |
|
実験禁止から核武装反対へ |
|
原水協を全国民のものに |
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5 |
原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 |
|
<初出掲載誌紙:『歴史評論』110号(195910)> |
|
原水禁運動のマニフェスト |
|
一千万人の平和行進 |
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自民党の妨害工作 |
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安保改定と原水禁運動 |
|
大会からの脱退者 |
|
左右の日和見主義者 |
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6 |
戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か |
|
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』246号(196010)> |
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二千二百万人の平和行進 |
|
平和の敵は誰か |
|
平和運動における二大潮流 |
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人類の導きの星 |
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日本と沖縄での戦いの報告 |
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大会の混乱と成果 |
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軍備全廃か冷戦終結か |
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7 |
帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』257号(196109)> |
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謀略工作 |
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平和運動における西欧方式とAA方式 |
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AA地域別会議流れる |
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本会議でのかけひき |
|
大会決議のおもてうら |
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原水爆時代の平和理論 |
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大衆の平和運動 |
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両派の自己批判と運動の進展 |
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|
8 |
社・共両党の激突と大衆の統一への願い |
|
<初出掲載誌紙:『歴史学研究』269号(196210)> |
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矛盾の中で |
|
総評まかり通る |
|
あらゆる核実験に抗議する問題 |
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核戦争の元凶は誰か |
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幅広い運動か、反帝政治闘争か |
|
原水協の「内乱」と統一のエネルギー |
|
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9 |
国民運動の崩壊と再生への四つの芽 |
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<『思想の科学』19号(196310)> |
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宗平協―国民運動をはぐくむもの |
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地方原水協の活動 |
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原水協、国民を無視 |
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大会準備のなかでー国民運動にそむくもの |
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大会のうらおもて―国民運動の崩壊劇 |
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大会懇談会の諸報告―国民運動の新しい芽 |
|
すべての地域と職場に原水協をつくろう |
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10 |
毛沢東理論からみた日本原水協批判 |
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<初出掲載誌紙:『歴史学研究』299号(196504)> |
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原水禁運動と私 |
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毛沢東の平和理論の問題点 |
|
中ソ対立と原水禁運動 |
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民族解放運動との接点 |
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資本主義国の平和運動の意義 |
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統一戦線への整風運動 |
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日本の平和運動の性格 |
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広島の平和運動の性格 |
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原水協はその基本原則で再統一を |
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核兵器のない世界をめざして |
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<『聖教新聞』1973年2月21日~28日> |
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日本の安全はどうして守るのか |
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平和運動のゆくえ |
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新しい平和の条件 |
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国際連合の将来 |
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あとがき |
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原爆体験記読書会
呼び掛け人:田原幻吉・宇吹暁
全11回(198604~198703)
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回 |
月 |
日 |
出席者 |
1 |
04 |
08 |
「絶後の記録」
参加者:大野・中川・豊永・宮道・舟橋・冨沢・春日・羽原・内田・宇吹・田原 |
2 |
05 |
13 |
参加者:中川・若林・江崎・豊永・宮道・冨沢・羽原・内田・渡辺・宇吹・田原 |
3 |
06 |
10 |
「原爆の子」。
参加者:大野・若林・江崎・豊永・宮道・舟橋・宇吹・田原 |
4 |
07 |
08 |
参加者:大野・中川・豊永・羽原・内田・宇吹・田原 |
5 |
09 |
09 |
「星は見ている」。
参加者:大野・若林・江崎・豊永・舟橋・宇吹 |
6 |
10 |
14 |
参加者:大野・若林・舟橋・内田・宇吹・田原 |
7 |
11 |
11 |
「天よりの声」。
参加者:中川・豊永・舟橋・内田・宇吹・田原 |
8 |
12 |
09 |
「もうひとつのヒロシマ」。
参加者:中川・若林・江崎・豊永・舟橋・羽原・内田・宇吹・田原 |
9 |
01 |
13 |
参加者:若林・江崎・舟橋・内田・渡辺・宇吹・田原 |
10 |
02 |
10 |
参加者:江崎・豊永・宮道・内田・宇吹・田原 |
11 |
03 |
10 |
参加者:大野・若林・豊永・宮道・舟橋・羽原・内田・島津・宇吹・田原 |
原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)
中国新聞連載
年月日 |
|
19680307(上) |
今堀誠二 |
|
特質無視のウ報告 資料の不足で迫力欠く 原爆被災資料広島研究会への期待 |
19680308(中) |
山崎与三郎(原爆資料保存会幹事) |
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原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す |
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19680308(下) |
田原伯(原爆文献研究家) |
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個人の体験からの発言 分類・整理が急務 独力で一万点を集める |
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気違い扱いの十年 |
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10年余り前、それまでの務めをやめて、ただ原爆資料の収集に全生活を当てたので私は「原キチ」と呼ばれ、変り者扱いにされてきた。 |
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現在約一万点の原爆資料を集めることができた。 |
資料不備な図書館 |
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全国の古本屋捜し |
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整理・研究が日課 |
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収集三原則と分類 |
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これは田原氏の談話をまとめたものである。 |
『原水爆時代 現代史の証言(下)』(今堀誠二、三一書房、19600806)
章 |
節 |
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Ⅴ |
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崩れぬ平和をかえせ |
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あるブルジョアの一家 |
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三吉の少年時代 |
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原爆の日より |
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広島日鋼争議 |
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平和大会と「われらの詩」 |
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朝鮮戦争への抵抗 |
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砲声下の原爆詩集 |
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|
平和運動の組織化へ |
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|
美しい生涯と原爆症 |
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|
生きている峠三吉 |
|
|
Ⅵ |
|
朝鮮戦争に抗して |
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1 |
原爆禁止運動の烽火 |
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|
原爆は世界をゆるがす、歴史の暗転期1949年、公安条例の舞台裏、イールズ声明と原子戦準備、平和擁護広島大会、ヒロシマは原子兵器の廃棄を要求する、もえあがっていた市民の願い、婦人運動と原爆理解、青年運動と青年教師、歴史の重み、平和擁護東京大会も原爆禁止を要求、国際的評価について |
|
|
|
2 |
ストックホルム・アピール、原爆戦争にうち勝つ |
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|
|
|
広島平和擁護委員会、牧師・教授も平和委へ、開戦前のSアピール、朝鮮戦争を企てた人、戦時下の言論統制、広島平和委の弱体化、大会を支えるもの、8・6大会の前哨戦、大会の記録、巧妙を極めた非合法集会、共産党の分裂と大会のありかた、平和擁護日本委員会、第三次大戦を防止した8・6大会、枯尾花戦争とトルーマンの原爆使用声明、ワルソー大会と世界平和評議会、平和運動、原爆使用を阻む、朝鮮戦争は天佑か、日本戦没学生記念会、立ち上がった青年団、Sアピール運動掉尾を飾る、立ち上れない労働者、労働者の意識構造、ある詩人のねがい、 |
|
|
|
3 |
流星光底長蛇を逸す |
|
|
|
|
マスコミへの注文、国民運動の目標、全面講和運動、ベルリンアピールをめぐって、即時停戦が必要だったのに、マ元帥の解任、朝鮮停戦交渉の舞台裏、平和運動の良心と責任、レジスタンス、平和の闘士団、署名運動と組織強化、警官包囲下の8・6大会、平和戦線とは何か、平推の消長、単独講和と二挺拳銃の平和記念祭、踏まれてもけられても、情勢判断を誤った平和運動、 |
|
|
|
4 |
冬の旅を行く |
|
|
Ⅶ |
|
人命は冷戦より尊い |
|
|
|
1 |
原水協のうまれるまで |
|
|
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|
ビキニ事件、原水爆にたいする国民のいかり、杉並アピール、アピール運動の性格、全国協議会の結成、原水爆禁止運動広島協議会、8・6広島平和大会、広島大会の提案、署名運動の意義、日本原水協の成立、 |
|
|
|
2 |
輝かしい啓蒙-ヒロシマ大会 |
|
|
|
|
10年前と同じ時間に同じ場所で、鳩山首相の立場、アメリカ人の願い、平和を願うものと願わないもの、原爆被害者の生活と意見、アメリカ民衆との共同戦線、学者の役割、大衆のものとなった運動、禁止運動、救援運動に結びつく、基地問題と運動の進め方、歴史をになうもの、組織上での暗影、署名運動および大会の評価、 |
|
|
|
3 |
原水爆戦略との対決をめざして-ナガサキ大会 |
|
|
|
|
世界を動かす原爆禁止の声、参加した人々、国際連帯の花の輪、危機は去らない、沖縄は日本を制圧するための基地でもある、渡辺千恵子氏の発言、被爆者のなやみと喜び、原子力の平和利用、運動のすすめ方、 |
|
|
|
4 |
フォールアウトとロケット基地にいどむアジア民族主義-第三回大会 |
|
|
|
|
地方での大会風景、国際的な予備討議、世界の期待をあつめて、演説のかずかず、失敗した議事運営、政治ととりくむ禁止運動、大会運営の問題点、高い指導と全国民の参加を、原水協の苦悩、歴史のうねり、 |
|
|
|
5 |
東西の兵力引離しと日本の非核武装化のために-第四回大会 |
|
|
|
|
総選挙に敗れた原水協、ICBMは世界を変えた、欧米の運動NATOをゆるがす、核武装と国民の批判、核武装した自衛隊と米軍基地、国民生活の圧迫と被爆者の援護、日本人はアジアを見損なっている、運動の進め方の評価と反省、国際会議は成功したか、政治目標を明示した宣言と決議、原水協の強化と世界の命運、 |
|
|
|
6 |
東西融和の促進と安保改訂-第五回大会 |
|
|
|
|
原水爆時代のマニュフェスト、大衆は平和行進と大会を支持した、自民党と右翼のおもわく、大会内部の右翼的偏向、大会における左翼的偏向、東西融和の具体策を欠く、 |
|
|
|
7 |
世界大会への批判と妨害と謀略-一部外国代表の思想と行動 |
|
|
|
|
ヤング卿らの脱退劇、理由は無理に作られた、ものにならなかったスクープ、第三回大会の妨害者、第四回大会の妨害はなぜおこったか、第五回大会の工作者と同調者、大会と朝鮮人 |
|
|
Ⅷ |
|
新紀元は始まる |
|
|
|
|
一発で地球を全滅させる爆弾、戦争の準備をはじめた平和産業、日本と沖縄の核武装はすすむ、安保条約は朝鮮戦争の落とし子、新安保はアメリカの要求、新安保に託する岸・藤山の夢、アジアは新安保に反対する、頂上会談はなぜ流れたか、新安保の国会採決は冷戦激化の謀略、冷戦を終らせる道、ヒロシマの十字架から新紀元は始まる |
|
|
|
|
|
|
|
あとがき |
|
|
|
|
上巻は庶民の動きを中心として叙述を進めた。
下巻もそのつもりで草稿をまとめ、朝鮮戦争以後における原爆被災者・青少年・婦人・学者・ジャーナリスト・芸術家(美術・文学・演劇)・労働者・農民・漁民などが、どんな役割を果たしてきたかをあとづけるつもりだった。 |
|
|
|
|
運動の発展をみつめるとともに、それを妨げる社会の壁を、写し出すことが、ねらいとなっていた。 |
|
|
|
|
しかし、安保問題の発展につれて、この計画は根本的に変更せねばならなくなった原水爆禁止運動は、国際政治の変転につれて、重大な段階にさしかかり、国内政治の面でも、高度の政治性を帯びるに至ったので、庶民の動きという間接描写の方法では、焦眉の問題に焦点を合せることが、出来なくなってしまった。 |
|
|
|
|
今からの一、二年間は、原水爆時代を終らせるチャンスであるとともに、原水爆戦争のピンチともいえる。 |
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|
|
|
本書が政治技術を中心として、運動の展開をあとづけることにしたのは、正しい政治路線の発見に、ささやかながらも資料を提供したいと考えたからである。 |
|
|
『原水爆時代 現代史の証言(上)』(今堀誠二、三一書房、19590721)
章 |
節 |
|
登場人物 |
備考 |
Ⅰ |
|
ピカドンに死なず |
|
|
幽鬼の町ヒロシマ |
|
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|
今堀誠二 |
山口県の西北海岸、一兵士。 |
|
|
|
古賀八重子 |
|
|
|
少国民の最後 |
|
|
「菩提樹」をうたう少女 |
|
|
敗戦を飾る犠牲者の美 |
|
|
世界の良心は告発する |
|
|
ピカドンに屈せず |
|
|
|
古賀八重子=その後沖原氏と結婚。呉でしあわせな家庭。 |
Ⅱ |
|
占領軍に屈せず |
|
|
|
1 |
第二の誕生 |
|
|
|
|
「生ましめん哉」 |
|
|
|
栗原氏と「中国文化」 |
|
|
|
|
栗原貞子、栗原唯一、猪熊弦一郎、細田民樹 |
|
|
プレスコード下の最初の刊行物 |
|
|
|
|
『中国文化』創刊号 |
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマは歴史の証人 |
|
|
2 |
ざんげの道 |
|
|
|
|
悲嘆の日記「さんげ」 |
|
|
|
トマトをめぐる母子の悲歌 |
|
|
|
守られた非合法出版物 |
|
|
|
死の商人のざんげ |
|
|
|
地球を動かす支点 |
|
|
|
警告ビラは回収された |
|
|
3 |
無欲の顔 |
|
|
|
|
村にきたジープ |
|
|
|
原爆について語るな |
|
|
|
作家の眼がとらえた「屍の街」 |
|
|
|
無欲顔貌 |
|
|
|
人間の精神はボロになった |
|
|
|
平和をかえして下さい |
|
|
|
いまだ癒えぬ傷あと |
|
|
4 |
原爆エレジー |
|
|
|
|
原子野に咲いた「夏の花」 |
|
|
|
壊された詩碑 |
|
|
|
忘れかけたあの日の記憶 |
|
|
|
「長崎の鐘」 |
|
|
|
原爆エレジーの流行 |
|
|
5 |
よみがえった記録映画 |
|
|
|
映像になった記録 |
|
|
|
占領軍の撮影禁止 |
|
|
|
生きていたプリント |
|
|
|
公開された被爆写真 |
|
|
6 |
科学者の道 |
|
|
|
|
廃墟に芽ばえた国民の科学 |
|
|
|
災害調査はじまる |
|
|
|
奇病の発生第二期症状 |
|
|
|
病理へ振るうメス |
|
|
|
全滅した劇団「桜隊」 |
|
|
|
都築氏の活躍 |
|
|
|
世界最初の原爆症講演会 |
|
|
|
原爆症救護病院 |
|
|
|
山津波にのまれた京大班 |
|
|
|
災害調査研究特別委員会 |
|
|
|
きびしい原爆の秘密保持 |
|
|
|
撤去された研究施設 |
|
|
|
原爆はGHQのタブー |
|
|
|
終戦の日に始った原爆戦争の準備 |
|
|
|
恐るべき後遺症 |
|
|
|
原爆症とは何か |
|
|
|
被爆者はABCCのモルモットか |
|
|
|
原爆禁止は科学者の道 |
|
|
|
|
|
Ⅲ |
|
ノー・モア・ヒロシマ |
|
|
1 |
原爆は戦争ではない |
|
|
|
広島に向った青い眼の記者 |
|
|
|
死臭と敵意の中で |
|
|
|
ヒロシマからの報告 |
|
|
|
人類よ!広島をくり返すな |
|
|
|
原爆患者の存在を抹殺 |
|
|
|
勝利した官製ニュース |
|
|
|
二つの原爆処理方式 |
|
|
|
科学者の「十字軍」 |
|
|
|
|
|
|
2 |
人道主義と反戦主義 |
|
|
|
全米を震撼させた実話小説 |
|
|
|
「ヒロシマ」の主人公たち |
|
|
|
人道主義の原爆否定 |
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|
同情はごめんだ |
|
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|
アメリカの盲点 |
|
|
|
世界連邦主義 |
|
|
|
ピース・センターと精神養子 |
|
|
|
原爆乙女の厚生 |
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|
憤激をかったルーズベルト夫人 |
|
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|
原爆乙女は立証する |
|
|
3 |
平和祭 |
|
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|
広島平和復興祭 |
|
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|
46・7年の世界の動き |
|
|
|
マ元帥の教書と「平和宣言」 |
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|
原爆をとりあげたアメリカの新聞 |
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|
8・6をカーニバルにするな |
|
|
世界でもたれたヒロシマ・デー |
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|
貧弱だった「原爆否定の研究室」 |
|
|
平和こそ女性の幸福の源 |
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|
原爆外交と広島の復興 |
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|
大衆から浮いた平和祭 |
|
|
|
|
4 |
偏見を乗り越えて |
|
|
|
東洋にかけるアメリカの橋 |
|
|
クエーカーの絶対平和主義 |
|
|
シュモー氏の「広島の家」 |
|
|
私は共犯の屈辱を抱いてここに立つ |
|
|
神よ平和を来らし給え |
|
|
むずかしい平和住宅の運営 |
|
|
ブ夫人の公民館 |
|
|
平和運動を離れた「広島の家」 |
|
|
平和精神をうらづけるものは何か |
|
|
シュ氏のピントの甘さ |
|
|
ブ夫人への一票は原爆防止の一票 |
|
|
|
|
Ⅳ |
|
過ちは繰返しませぬ |
|
|
|
殴殺されたアメリカ兵 |
|
|
恩讐を越えた供養塔 |
|
|
原爆で死んだ異国の人 |
|
|
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから |
|
|
|
|
|
あとがき |
|
|
『「原爆の図」くまもと展記録集』(「原爆の図」くまもと展記録集編集委員会編、「原爆の図」くまもと展実行委員会、19850301)
目次
頁 |
見出し |
|
002 |
[はじめに]1984年1月 |
「原爆の図」くまもと展実行委員会 |
003 |
グラビア |
|
004 |
グラビア「原爆の図」くまもと展 1984年7月30日(月)➡8月」5日(日) |
|
006 |
くまもと展へのメッセージ |
丸木位里・丸木俊 |
010 |
連帯メッセージ |
石川保夫(原爆の図・丸木美術館事務局長) |
011 |
京都展 7月13日➡7月22日 京都市立美術館 |
石田紀郎(丸木位里・丸木俊「原爆の図」を見る会事務局長) |
014 |
実行委員の感想 私にとっての「原爆の図」くまもと展 |
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二度とくり返さないために (江崎啓子・熊本YMCA ) 真実を伝え、平和を築くために (永野輝全) 創りつつ育てていく平和(竹熊千栄子) リンゴの木を植えつづけること(神田公司) 自分の感覚で真の市民参加(砂岡憲喜 ) 戦争を考える一つのきっかけ( 神谷弘子 ) 夏の情熱から秋の実りへ( 成毛克美 ) いのちを守るための運動(新井正子) 私が抱えてやらねば… (藤本寿子) 熱い「原爆」の夏 (開安紀子) 「しまった ─!」コンサート (会沢剛也 ) 未来を背負う子供達と共に!( 相沢いく子 ) 会場整理係のイスの上で( 坂梨勝一 ) 「原爆の図」展を学内活動の糧に( 重永剛志) 「ノーモア」、さけびつづけなければ (徳丸亮子 ) 一人一人の殻を破って (上村邦彦) 若い人達と共に掴んだ「大きな課題」 (中沢順子) 日常に中で反戦運動を( 植村仁美 ) 人間の顔が見える運動 (迫和久 ) むじな (中川寿子) すっぽり抜け落ちた学生( 草間康弘 ) 今、生きていること (坂田幸二) 「からす」の前で (高倉美和 ) 病院を脱け出して観覧(松田健二) 平和運動を前進させる( 柴田徳義 ) 未だ見ぬ「原爆の図」に捧ぐ( 榎田弘) 静かに燃え続けている反戦・反核の火 (高橋章夫) 成功の要因 (中川周三) おんな達よ、こだわりつづけよう( 須藤久仁恵) 反戦・平和を願いつづける子供らに (坂本恵子 ) どくだみの花 「原爆の図展」におもう (河上洋子 ) ただ今、クマモト戦争中! (古園学 ) 平和の中で生命をはぐくむ (古閑和子 ) ほとばしる平和への願い(瀬上拡子 ) いのち( 久保田伸子 ) 平和運動の教訓に(今泉克己 ) 子供達と参加した原爆展( 山野幸司 ) |
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くまもと展に関する新聞報道スクラップ |
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丸木夫妻を迎えて オープニングのつどい |
県立劇場大会議室 |
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丸木位里さんのお話 |
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丸木俊さんのお話 |
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084 |
質問に応えて |
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ドキュメント 熱い、熱い8日間― |
神田公司(原爆の図くまもと展事務局) |
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アンケート集約 6776枚のアンケートから |
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高校生の反核シンポジウム 報告 |
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平和のためのシンポジウム :平和への限りない願いを、熊本での豊かな潮流とするために |
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平和のためのシンポジウム :「原爆の図」くまもと展の閉幕にあたって |
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座談会:女たちが支えた「原爆の図」くまもと展 |
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くまもと展のあ・ゆ・み 1983・11月→1984・8月 |
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京都・熊本・長崎 原爆の図展共同アピール |
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原爆の図くまもと展ニュース |
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1号(19840118) |
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175 |
2号(19840213) |
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179 |
3号(19840309) |
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183 |
4号(19840507) |
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187 |
5号(19840607) |
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191 |
6号(19840701) |
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くまもと展ちらし |
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講演会ちらし |
関屋綾子さんと「原爆の図」を語る集い(6月17日) |
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ポスター |
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会計報告 |
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「松木美術館友の会」の呼びかけ |
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呼びかけ人 |
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後援団体 |
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賛同団体 |
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賛同者名簿 |
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編集後記 |
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丹下健三
たんげ・けんぞう |
19130904生20050322没 |
享年91 |
建築家。 |
本
書名 |
編著者 |
発行所 |
発行年 |
備考 |
平和記念広島カトリック聖堂建築競技設計図集 |
広島カトリック協会編 |
洪洋社 |
19490615 |
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広島平和記念館と丹下健三 |
山崎荒助 編 吉田道郎 英訳 |
三友社出版 |
19800806 |
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