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理論物理学研究所の歴史

理論物理学研究所の歴史(年表)

年月日 事項
19440824 理論物理学研究所設置に関する勅令公布。広島文理大学の附属機関。目的=「物理学の基礎理論に関する総合的研究」。
設立時の専任職員定員 教授1名、 助教授1名、 助手3名
初代所長 三村剛昂(教授)
設立場所 広島文理科大学旧教育博物館
19450806 広島に投下された原子爆弾により研究所関係の2教授(岩付寅之助、細川藤右衛門)は殉職、三村所長以下所員の大半も負傷し庁舎も崩壊した後、類焼により完全に灰塵に帰した。やむなく尾道市外 向島にある広島文理科大学付属臨界実験所の一部を借り受け、仮庁舎とした.
1947 三村所長の出身地、竹原町(現竹原市)に研究所を誘致する話が持ち上がり、地元有志の熱心な努力により、現在地に面積400平米の木造平屋建新築庁舎と敷地約4000平米を竹原町より寄付を受ける。
194803 新庁舎で開所式。
人事に関しては、竹野兵一郎が専任助教授となり、原田雅登、高久(旧姓熊川)浩俊,佐伯敬一の3人が助手として就任していたが、開所式の前後にそれぞれ他大学に転出し、代わって、池田峰夫、木村利栄および宮地良彦の3名が前後して着任。
1948 文部省学術研究会議の最後の研究集会、理論物理学研究所で開催。
194905 学制改革により、新制広島大学が設立されると同時に、理論物理学研究所は文理科大学付属からはなれ、広島大学付属となる。
1949 京都大学の湯川秀樹教授がノーベル賞を受賞し状況は変わった.すなわち、理論物理学研究所を拡張するよりは、ノーベル賞受賞を記念して、京都大学に全国共同利用の研究所を設置した方が良いと言うことになり、昭和28年(1953)京都大学に基礎物理学研究所が創設された.理論物理学研究所と京都大学基礎物理学研究所との合併問題の萌芽は既にこの時に発生していたといえる.
195104 助手1名の定員増。竹野兵一郎が教授、上野義夫が助教授、庄野直美が講師、中井浩が助手にそれぞれ就任。
1953 庄野および中井が転出、あらたに脇田仁、成相秀一が助手に就任。
195705 三村所長、文部省学術課長より理論物理学研究所を京都大学基礎物理学研究所に合併させることを条件に、広島大学に研究施設を作る概算要求が広島大学から提出されている旨を伝えられる。
19571115 三村所長、京都大学との合併の話を京都大学基礎物理学研究所研究部員会、運営委員会で非公式に報告。議論の後、素粒子論グループの意見を聞くこととなる。
195801 関西素粒子論のグループ懇談会では「合併は好ましくない」との結論。
196504 「時間空間理論部門」の増設が認められ、教授1名、助教授1名、助手2名が増員。これに伴って従来の部門名は「重力理論部門」、「場の理論部門」と改称することになり、これら3部門の研究所となる。 脇田が岐阜大学に転出し、 田地隆夫、横山寛一、永井秀明、久保礼次郎および寺崎(旧姓岡田〉邦彦が相ついで 着任。
19890627 広島大学部局長連絡会議、評議会において理論物理学研究所の京都大学基礎物理学研究所への合併を承認

科学者と平和(三村剛昻)

『科学者と平和 三村剛昻先生遺稿集』(三村剛昻先生遺稿収録委員会、196710)

内容

No. タイトル 出典 年月日
まえがき 196710 三周忌を目前にして 遺稿収録委員会
01 原子力への夢 平和利用で理想郷 ”戦争などなくなるよ” 夕刊朝日 195001
02 「新春放談:原子力時代」 共産社会はだしの天国 つらいかな経済も科学もしばる 夕刊朝日 19500103
03 放談リレー 科学の巻 「足らぬ利力の結集 科学活動を無制限にやれ」(小島丈児との) 中国 19500521
04 秋の角度・天体 「理論創造の時期」 夕刊朝日 19510929
05 あれから8年 原爆の日と科学者 毎日 19530806
06 学芸 平和への道 朝日 19530807
07 サクレツ高度と被害を予言 洗礼受けた原子学者三村博士語る
08 ビキニの灰と広島の灰 毎日 19540602
09 読者の会議室「原水爆と日本人」 毎日 19540724
10 平和をめぐる論争 体験者だけにわかる原爆の恐怖 ユネスコばりの発言(森戸広大学長)に批判 毎日 19540801
11 いろいろの原子炉 毎日 19550627
12 一分間講座:酔生夢死の徒 (?19560313)
13 こたつ談議「社会改造」?(竹原書院図書館長・三村剛昻) 19601204
14 第2回科学者京都会議開く 広島県竹原で キューバ以後の情勢など 三テーマを柱に討論 読売 19630508
15 私のいいたいこと 科学者京都会議に寄せて
16 ヒロシマに被爆して18年 ちょっぴり希望がもててきた人類の滅亡からの救い 毎日 19630806
17 わたしの散歩道 竹原・広大研究所の庭 雨によく風また楽し 朝日 19641129
18 科学の発達と人類の幸福 学校教育臨時増刊号 1954
19 原・水爆と原子炉 学校教育8月号 1955
20 特別寄稿:科学技術の現状と将来 廿日市高校研究論集第2号 1956
21 ブックレビュー「死者の声」 自然 195403
22 通信 ヒロシマ医学第9号 1956
23 原子力発電の今後の動向 火力発電12月号 1959
24 原子力問題に関する討論ー学術会議第13回総会における 自然1月号 1953

 

「核意識構造の実態研究」グループ(庄野直美)

「核意識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)

「はじめに」(『核と平和 日本人の意識』(庄野直美他編、法律文化社、19781201 )抜粋

****************

研究が企画された契機は, 1975年8月の「広島大学平和科学研究センター」の発足にあった。この研究センターの研究プロジェクトの一つとして,「核識構造の実態研究」グループ(代表:庄野直美)が組織され, 1976年と77年には文部省科学研究費(総合A)補助金の交付をうけた。
この研究費により, 1976年度には,戦後30年間に新聞社等が行なってきた世論謌査のうち,核問題にかかわるすべての資料を収集し,その内容を分析した.収集された資料は, 190種の世論調査において約1,400の調査項目に及び,それらは(1)原爆被災 (2)核実験・核兵器・核政策(3)原水禁運動,(4)原子力発電,(5)戦争観・安全保障,(6)憲法第9条・自衛隊,という6大頂目に分類され,分析された。
しかし,これらの世論調査だけでは核意識構造の分析には不十分で,私たちが知りたいと望む情報を更に得るために, 1977年2月および7,8月には,広島・長崎・岡山・金沢の4都市において,中学2年生もしくは3年生,(回収実数5,039名)とその父母(回収実数4,699名)に対し,また同年11月には広島・長崎・岡山の高校2年生(回収実数1,816名)に対し,私たち研究グループ
独自の調査を実施した。この独自調査の分析結果が,本書の主要な内容である。
私たちの研究プロジェクトに参加した研究者は,全国]3大学の27名であり,専攻分野も十数領域に及んだOその氏名と所属(当時)は下記のとおりである。(○印は本書の執筆者,50音順)

伊東 壮:山梨大学(経済学)
今堀誠二:広島大学(アジア史)
岩佐幹三:金沢大学(政治学史)
〇上野裕久:岡山大学(憲法)
宇吹 暁:広島大学(歴史学)
〇大槻和夫:広島大学(教育学)
岡本三夫:四国学院大学(哲学・平和研究)
小川岩雄:立教大学(原子物理学)
鎌田定夫:長崎造船大学(人文・欧米文学)
○北西 允:広島大学(政治学)
栗原 登:広島大学(疫学・社会医学)
○小寺初世子:広島女子大学(国際公法)
○庄野直美:広島女学院大学(原子物理学・平和研究)
高畠通敏:立教大学(政治学)
田中靖政:学習院大学(社会心理学)
○永井秀明:広島大学(理論物理学・平和研究)
○初瀬龍平:北九州大学(政治学)
濱谷正晴:一橋大学(社会学)
深井一郎:金沢大学(日本語学)
藤井敏彦:広島大学(教育学)
○松尾雅嗣:広島大学(平和研究)
松元 寛:広島大学(英米文学)
安田三郎:広島大学(社会学)
山川雄己:関西大学(政治学)
山田 浩:広島大学(国際政治)
湯崎 稔:広島大学(社会学)
横山 英:広島大学(中国近代史)

本書の作成にあたっては,上記名簿(○印)の8名が,研究グループの討論をふまえた上で各自に執筆し,それを3名の編者が最終的に整理・加筆した。
本書は,核問題を中心とした,平和に関する日本人の意識構造を明らかにする,日本ではじめての総合報告書であると思う。平和と核問題に関心ある人びとの研究,教育,思索の一助になることを願うとともに,私たちの調査研究に寄せられた関係諸方面の援助・協力に対し,心からの謝意を表するものである。
1978年8月6日
編者

 

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院)

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院社会労働委員会、1967年7月11日)

(一) 原爆被爆者援護については、既に昭和三十九年衆参両院において「原爆被爆者援護強化に関する決議」がなされていることにかんがみ、政府は、すみやかに、原爆被爆者援護に関する法的措置を促進するため、関係者を含む特別の審議会を設置して、両院決議の実現をはかること。
(二) 政府は、原爆被爆者以外の各種の戦争犠牲者の援護についても、未だ適当な処遇がなされていない者に対しては、公平な処遇があまねく行なわれるよう努めること。

日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料に関するシンポジウム-発言要旨-

日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料に関するシンポジウム-発言要旨- 1967年7月1日

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原爆被災資料懇談会記録
日時 昭和42年7月1日 午前10時より
場所 広島大学6階大会議室
地元出席者 22名

<委員長挨拶>
今日の懇談会の主なるテーマは、被爆関係資料に関する問題を主に、その他放射線影響研究の将来計画の問題、核拡散防止問題などについて協議を進めたい。司会を三好委員と志水所長にお願いする。
<三好委員>
原爆被災資料に関する問題や、既成の資料が昨今のニュースが伝える通り返還されつつあるが、それらに関連して、付随する問題について討議して欲しい。原爆関係資料に関しては既成の資料のみでなく、新しい資料も作らねばならない時期に来ていると思う。そのためにはどのような方法をとるか、学術会議のこの委員会がこの時期において、はっきりしたみとおしを立てねばならぬ時期と思われる。その意味でこの会の進行を行いないので、十分意見を出して欲しい。
<志水所長>
原爆に関する学術資料が散逸しつつあり、その一部は国外にも持出されている状態で早く蒐集の機を持たねばならないかと思う。医学的資料については自分の立場からみてもかなりの資料の集積も行われているが昭和26年以前のものについては占領下のことで国外に持出され研究開発の基礎的資料が不足し、その制約のため不明な点が多い現状であるが、それぞれの立場からご意見を出していただいて討議していただきたい。
<今堀委員>
原爆白書推進委員会の立場から発言させてもらうが、新しい資料を作るためにも被爆者の総数を明らかにする事が必要である。そのために昭和45年度国勢調査には是非とも付帯調査を実施して生存者をも含めた人口調査が重要と思う。白書委員会としては次の点を政府に要望し申し入れている。
(一)ABCCの調査した各種の資料の学術的なリストを作製する。ABCCから研究結果は発表されているがその研究素材が我々には不明である。学術的に利用できるよう明らかにして欲しい。
(二)種々な被爆関係資料の保存公開。
[例]日映の被災記録映画-完成されたものばかりでなく、ラッシュについても重要なものが含まれていると思うので検討しなければならない。
被爆者個人の手記、日記、追憶など-当人が死亡すれば消え去る可能性が非常に強い。
テレビ、ラジオその他マスコミで作成記録した録音、録画など-多年経過したものは処分されているのが現状で、これらを早急に保存する必要がある。
原爆関係の印刷された文書、刊行物など文献の保存も必要である。
役場、学校、会社、その他各種団体などの被爆関係の公文書記録の集録、保存も重要である。
被爆者の死亡診断書。
これら資料を学問的大家の下に蒐集保存しなければならないし、資料は学術的見地からの利用を考慮してもらいたい。
資料に関連した生存者が健在のうちに、例えば映画などについては正しい解説をつけて残すように図らなければならない。
なお今後地元で発掘される資料も残さなければならないので、学術的体系の下に整理、保存、利用できるようにしなければならない。
またアメリカの国会図書館に相当な資料が保存されているというが、このように持出された資料についての返還は協力に推進しなければならない。
<田畑委員>
政府に勧告したとのことであるがこの点に関して政府の反応はどうか。
<今堀教授>
茅学長を通じ、当時の官房長官愛知揆一氏(彼も推進委員の一人だが)をまじえて佐藤首相にも数回会い、申し入れてある。首相もその都度「わかった、わかった」とは言っているが、その後何ら具体的措置はすすめられていない。
<志水所長>
この点に関連して申し上げるが、昭和42年度予算で厚生省が約500万円計上した。しかしこれは大蔵省の段階でカットされた。
次に理学関係を代表して前川先生にご意見をお願いしたい。
<前川先生>
私より佐久間氏の方が適当と考える。
<佐久間氏>
当委員会がABCC問題を重視され、かつ被爆に関しての貴重な資料を被爆者の治療や対策のために活用しうるよう関心をもたれていることはよろこばしいし、このことは被爆者の福祉に貢献するところが大きいと思う。
ABCC問題について、
(一)ABCCは設備、経費、スタッフが揃い、すぐれた研究を行っているので、ABCCの研究に対する被爆者の関心は深いものがある。しかし、受診する者の中に診察を受けた結果が戦争に関連し、軍事面に利用され、核戦争に役立つのではないかとの懸念をもっているものが非常に多い。
(二)ABCCで発表された貴重な貴重な資料が積重ねられているようにも思われるが、被爆者の治療や疾病の基本的問題にとって、最も重要な資料ともなるような調査の結果が率直に発表されていないように思われる。また重要な問題についても明らかにしていない。例えば二次放射能の問題なども総合報告においては不当に軽く扱われている。ABCCの初期において資料が米軍の関係を通じてアメリカに送られ軍事的期間に保存されているということは、現在問題となっている米軍と学術研究の例からみても軍事的研究に必ずしも関連がないといえないことを予想させる。
(三)これらの点に関して日本側から反論が行われていない。これは被爆者の健康管理の面から考えても重要な問題と思う。
(四)ABCCの存在そのものも問題である。
これらの問題解決のため、ABCCを日本の手にもどし、日本人が主体的に被爆者の治療、医療のために研究をすすめる方向について、この委員会で討議してもらいたい。これによって被爆者も安心するし、健康管理にも効果が大きく、被爆者にとっても大きなプラスになると思われる。
<金井氏>
(一)原爆被災は非戦闘員を含めた無差別攻撃による被害に特色をもっている。この無差別の意味の中には時間的無差別も含まれる。当時、非戦闘員であった者まで20数年経過した現在においても種々な疾病におかされている。また、被爆者は、差別待遇による被害をうけていて、被爆者に対する誤解も根強く、また未知による被害も無差別に加えられている。
すなわち、①生活上で結婚、就職の問題に関して差別をうけ、②補償の上でも差別待遇をうけ、三つの大きな差別をうける。非戦闘員と言うことで現行の法令では何らの補償が行われていないし、また被爆者に対する一般の態度も対話を伴わない同情論で終っている。
(二)保障、補償問題について、医療面では、わずかながら行われているが、現在のところ、特につぐないの意味での補償は行われていない。外地よりの引揚者に対しては非戦闘員に対しても行われるが、被爆者に対しては行われない。
被爆者自身、自分たちにとって戦争は終わっていないと言う痛切な感じをもっている。例えば小頭症、胎内被爆児は21世紀まで原爆の証人として生きねばならぬ。このことからも時間的無差別な被害となり得る問題を有している。
戦後の社会保障の未整備のために、その間被爆者には多くの問題が含まれ、無残な死に方をした者が多いし、にがにがしい結果を多く残している。
また、被爆者の中には健康な人もあるが、一般にそれはすぐれた素質を持った人といわれている。このような元気な人についての資料を集める事も必要であり、その意味では全面的な資料調査の必要性をもっている。
生活の上で追いつめられたというような問題が、被爆者の問題の特色ともなっているのであり、現行の戦闘員を中心に補償の序列が考えられている以上、全面的な調査を行わないと、遺族に対する補償の問題も浮かびあがってこない。
<志水所長>
いろいろ具体的な問題が提起されたと思うが、委員の方々で、これまでの御意見に対してご質問はないか。
<永積委員>[省略]
<佐久間氏>[省略]
<永積委員>[省略]
<今堀教授>[省略]
<松坂氏>[省略]
<文沢氏>[省略]
<森下氏>[省略]
<重藤院長>[省略]
<竹下教授>[省略]
<前川氏>[省略]
<志水所長>[省略]
<永積委員>[省略]
<志水所長>[省略]
<福島委員>[省略]
<本城委員>[省略]
<委員長挨拶>[省略]

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(衆議院)

戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(衆議院社会労働委員会、1967年6月8日)
政府は、左記事項につき速やかに実現するよう検討、努力すること。
(一) わが国経済成長の実情にかんがみ、援護の最低基準を大巾に引き上げ、公平な援護措置が行なわれるよう努力すること。
(二) 満州開拓青年義勇隊員の募集の実情及び課せられた任務等の実態にかんがみ、昭和二十年八月八日以前の死没者の遺族の援護は勿論、その他の場合においても必要な援護措置を講ずること。
(三) わが国が世界唯一の原爆被爆国である事実にかんがみ、原爆被爆地において、旧防空法等による国家要請により、防空等の業務に従事中死亡又は身体に障害をこうむった者に対し、昭和四十三年度を目途として援護措置を講ずること。
なお、被爆地以外の地域についても必要な措置につき検討すること。

広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱(19670401)

広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱(19670401)

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広島県原子爆弾被爆者援護措置要綱
1967年4月1日()

第1 総則
1 目的
この要綱は,広島県に居住する原子爆弾被爆者(以下「被爆者」という。)の福祉向上について,その援護措置を定め,もって社会的自立更生を図ることを目的とする。
2 援護の措置
前項の目的を達成するための援護措置は,次のものとする。
(1)被爆者健康診断受診奨励金の支給
(2)被爆者就職支度金の支給
(3)被爆者雇用奨励金の支給
3 用語の定義
(1)この要綱において「被爆者」とは,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律〔昭和32年法律第41号(以下「原爆医療法」という。)〕第2条に掲げる者をいう。
(2)この要綱において「常用労働者」とは,雇用期間の定めのない者及び雇用期間の定めのある者であって,おおむね1年以上経続して雇用されることが明らかな者をいう。
(3)この要綱において「低所得者等」とは次に掲げる者をいう。
ア 地方税法(昭和25年法律第226号)第703条の4又は717条の規定に基づき国民健康保険税が減額又は減免される世帯の構成員
イ 国民健康保険法(昭和33年法律第192号)第77条及び81条の規定に基づき保険科が減免又は減額される世帯の構成員
ウ 生活保護法(昭和25年法律第144号)による被保護者
エ 緊急失業対策法(昭和24年法律第89号)による失業対策事業紹介対象者
オ 老人福祉法(昭和38年法律第133号)により養護、老人ホームおよび特別養護老人ホームに収容されている者
カ 前各号に掲げる者のほか地方税法第295条第1項に該当する者

第2 被爆者健康診断受診励奨金
1 趣旨
市町村が被爆者に対し,原爆医療法に基づく健康診断の受珍を促進するための奨励金を支給した場合,県はこれに要した費用を予算の範囲内において交付するものとする。
2 交付の対象
この交付金の交付の対象となる費用は,昭和42年4月1日以降,原爆医療法第4条に規定する健康診断のうち一般検査を受診した低所得者に対して支給された費用とする。
3 交付金の額並びに算定方法
交付対象者1人年2回以内とし,1回につき330円として積算した額とする。ただし,実際に支給した額がこの交付額に満たないときは,その額とする。
4 交付の条件
(1)この交付金の適正な運用を図るため,知事は必要に応じ関係書類の提出を求め,又は調査をすることができる。
(2)この交付金の精算の結果剰余金を生じたときは返還させるものとする。
5 交付の申請等
交付の申請等の手続きは別に定める。

第3 被爆者就職支度金
1 趣旨
被爆者が経済的自立を図るため,就職するに至った場合において,就職支度に要する費用として支給する。
2 支給対象者
特別被爆者健康手帳を所持する者で6ケ月以上入院し,退院後1年以内に常用労動者として就職する者,又は退院後,公共職業訓練所,職場適応訓練実施事業所,その他各種技能養成施設(以下「公共職業訓練所等」という。)に入所した者で,当該職業訓練所等を修了した日からおおむね6ケ月以内(修了した日が退院後1年に満たない者は1年以内とする。)に常用労働者として就職する次の者とする。ただし,この要綱による就職支度金をすでに受けたことのある者及び退院後他の制度による就職支度金を受けたことのある者を除く。
(1)低所得者等
(2)その他知事が特に必要と認めた者
3 支給額
就職支度金の支給額は40000円とする。
4 支給の条件
(1)知事は,被爆者が偽りの申請その他不正の手段により就職支度金を受領したときは返還させる。
(2)就職支度金を受け,就職しなかった者又は3ケ月以内に離職した場合は,その事情が止むを得ないと認められる場合を除き,その全部又は一部を返還させる。
5 支給の申請等
支給の申請等の手続きについては別に定める。
6 実施期日
昭和42年4月1日以降就職した者に対し支給するものとする。

第3 被爆者雇用奨励金
1 趣旨
被爆者の雇用を促進するため,この要綱による就職支度金を受けることができる被爆者を雇用する事業主に対し,予算の範囲内において雇用奨励金を支給するものとする。
2 支給対象者
県内に事業所を有する者で,就職支度金の受給対象者を常用労働者として雇用する事業主とする。ただし,国,地方公共団体又は特殊法人で予算について国会の承認又は主務大臣の認可を受けなければならない事業主は除く。
3 支給額等
支給額は,対象となる常用労働者1人につき月額8000円とし,6ケ月を限度として雇用実績に応じて支給する。ただし,対象となる常用労働者1人に支払われた賃金総額の1/2に相当する金額(その額が月額8000円を超えるときは月額8000円として計算した額)以内とする。
4 支給の条件
(1)雇用奨励金は,事業主が対象被爆者を常用労働者として雇用することを条件とする。
(2)知事は必要と認めるときは,対象事業主に対し,関係書類の提出を求め,又は随時調査することができる。
(3)知事は,対象事業主が偽りの申請,その他不正の手段により雇用奨励金の支給を受けたときは,返還させる。
5 支給の申請等
支給の申請等の手続きについては別にて定める。
6 実施期日等
昭和42年4月1日以降雇用した事業主に対して支給する。
[以下略]

天皇陛下と広島

『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)

目次

御真影
大御歌(御製碑)
グラビア
戦後広島県巡幸(昭和22年)
植樹祭(昭和46年)
産業御視察(昭和26年)
天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京)
出版に寄せて  山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭)
序文 天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会
第1章 ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生
偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず  鎮魂の旅
第2章 戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日)
広島県巡幸概観
巡幸に込められた陛下の御決意  広島県巡幸への県民の願い  行幸を心待ちにする県民の声
大竹市・宮島町
国立大竹病院 三菱化成大竹工場  宮島桟橋 宮島で御静養
広島市
廿日市   広島戦災児育成所 広島県水産試験場   爆心地御通過  広島市民奉迎場  授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校  県立広島第一中学校 広島市役所  広島県庁 広島駅
呉市
呉駅  呉市役所  呉市民奉迎場
三原市
浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場   三菱重工三原車両製作所
尾道市・向島町
戦災引揚者応急住宅   向島西村津部田 尾道水道  尾道市役所
福山市・神辺町
千田村   神辺小学校  福山市救護院、母子寮   福山城址公園
第3章 天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声-
 山崎芳樹
 増岡博之
 川村智治郎「陛下と私」
 中川秀直
 粟屋敏信
 児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」
 佐々木有
 奥原次郎
 石田成夫
 松浦多聞
 内海巌
 桜井正弥
 赤木蒸治
 佐竹利彦
 松下一男
 森安忠
 戸田一郎
 西村敏藏
 中島一史
 谷口寿太郎(元五日市町長)
 加賀美正孝
 桜井創造(広島特定郵便局長会理事)
 山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長)
 織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長)
 献歌
 奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文
あとがき

広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。

国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。

広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫

広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。
広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。
七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。
我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。
私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。
終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。

平成19年8月6日
内閣総理大臣 安倍晋三