被爆ピアノコンサート(平和公園)
撮影日:2020年8月6日 |
被爆ピアノコンサート(平和公園)
撮影日:2020年8月6日 |
2020平和宣言<広島>
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。
およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。
こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。
原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時13歳であった男性の訴え。
昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。
そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。
これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。
今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。
ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
令和2年(2020年)8月6日
広島市長 松井 一實
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2020平和宣言<長崎>
長崎平和宣言
私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに
焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転
がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影
は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2020年(令和2年)8月9日
長崎市長 田 上 富 久
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2020総理大臣挨拶(広島)
本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
令和2年8月9日
本日ここに、被爆75周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。
長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、承継する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和2年8月9日
内閣総理大臣・安倍晋三
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2020年8月15日終戦記念日
あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
戦後75年、我が国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。
戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
令和2年8月15日
内閣総理大臣 安倍 晋三
ドキュメント:2020年8月6日<作業中>
できごと | 備考(主催・場所など) |
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原爆死没者慰霊行事 | 広島戦災供養会・原爆供養塔前 参列者:役員約20人。 |
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 | 広島市・平和公園。785人。83か国とEU代表。 |
原水爆禁止2020年世界大会・広島デー | オンライン |
被爆75周年原水禁世界大会 | オンライン |
2020連合平和IN広島 | メッセージ等動画配信によるWEB開催 |
2020ピースアクションNヒロシマ(日本生活協同組合連合会) | 現地への参集に替わり、動画配信・オンラインを活用した形式で開催 |
核兵器禁止条約50カ国・地域批准報道(日本)
日本の新聞(10月26日1面掲載)
日本の新聞報道(1面掲載20201026) |
中国新聞 |
朝日新聞 |
毎日新聞 |
読売新聞 |
日本経済新聞 |
2020年12月(日録)
日 | できごと |
02 | 桜が丘の倉庫で米国戦略爆撃調査団関係資料を閲覧。 |
02 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌1974」、「書誌1971」、「主要建物・事業所(国泰寺地域)」、「主要建物・事業所(中島地域)」、「主要建物・事業所(本川地域)」、「主要建物・事業所(基町地域)」、「主要建物・事業所(白島・二葉の里地域)」、「広島県内市町村(地図)」 |
03 | 泉美術館「没後5年 明田弘司写真展 昭和を歩く」。10月23日~12月13日。観覧。 |
03 | ヒロシマ遺文のTOP頁の大幅変更の試み。 |
04 | 桜が丘の倉庫から米軍調査団関係資料を自宅に移動。 |
04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被害調査概要(直後)」、「マンハッタン:陸軍と原爆」、「米国戦略爆撃調査団」 |
05 | ヒロシマ遺文への投稿=「合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳)一覧」、「放射線影響研究の10年(文部省科研研究班)」、 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)」、「京都大学原爆災害調査班遭難記念碑」 |
07 | 広島県の市郡町村別被爆関連データを検討。 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「核に灼かれて 安芸地区被爆の記録」、「許すまじ被爆体験記(広島市原被協井口支部)」 |
08 | 呉市立図書館。1965年の中国新聞の閲覧をしようとしたが、利用不可とのこと。 |
08 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
08 | ヒロシマ遺文への投稿=「ふるさとふくしまひろしま-金崎是画集」 |
09 | ヒロシマ遺文カテゴリー「広島原爆被災白書(地域) 」関連資料の整理。 |
10 | 桜が丘へ。倉庫の原爆モニュメント・原爆遺跡関係資料を自宅に持ち帰る。 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島中央保健生活協同組合」、「壁―未解放部落原爆被害者の手記」、「原爆と未解放部落-いのちあるかぎり」。 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島部落問題研究会」 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和を―被爆から75年を行きぬいて」 |
21 | 年賀状投函。 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌2020」 |
26 | 10:00自宅発-豊栄経由-11:50向原・丸山公園-向原町被爆者慰霊碑―13時中岡宅-16時帰宅 |
27 | BS1スペシャル『アウシュビッツ 死者たちの告白』(再放送2020年8月16日に放送)22:00~13:50(110分)視聴。 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県内市郡別人口推移(1944・45・46)」、「向原町原爆被爆者慰霊碑」、「広島市勢要覧 昭和21年版 復興第1年号」、 |
29 | ヒロシマ遺文への投稿=「関連市町村の状況(広島原爆戦災誌)」、「新編広島県警察史」 |
30 | 過去の写真データの確認と整理。自宅2階書庫の整理と掃除。 |
31 | 被団協新聞(1500円)・原水協新聞など(3840円)代金を郵便振込。 |
31 | ヒロシマ遺文のTOP頁の更新 |
2020年11月(日録)
日 | できごと |
01 | 「ヒロシマ遺文」TOP頁の更新 |
01 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年11月(日録)」、「千田書房」、「広島平和記念都市建設方案(19490920立案)」、 |
02 | ヒロシマ遺文への投稿=「アメリカ大統領とヒロシマ」 |
03 | アメリカ大統領選挙始まる。 |
04 | ヒロシマ遺文投稿「火幻」の増補作業。 |
第6回新日本婦人の会呉支部「第5回戦争体験を聞く会」。つばき会館4階。基町高校卒業生からの報告。基町高校生が描いた「原爆の絵」パネル展示。大中伸一さん。 | |
05 | 西岡喜美子資料の整理 |
05 | ヒロシマ遺文への投稿「豊田清史」.「詠草」・「ふるさとよしうら」の増補改訂作業。 |
07 | 西岡喜美子資料の整理。 |
10 | 新聞切り抜き(2019~2020年分の核問題関係)の分類整理。 |
11 | 「原水協通信(2020年)」 |
12 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:原爆ドーム保存募金(第2回)」、「NHKニュース:特集原爆ドーム保存募金」。 |
14 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆慰霊碑一覧(広島市内)」 |
15 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆慰霊碑一覧(広島県内)」、「原爆慰霊碑一覧(全国)」 |
16 | ヒロシマ遺文のカテゴリーを大幅変更。 |
16 | ヒロシマ遺文への投稿=「ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史」、「広島・長崎手記全集―原子爆弾の証録(幻案19820508)」、「広島・長崎手記全集―原子爆弾の証録案19820518」、「汐文社あて宇吹書簡控(広島・長崎手記全集関係)」。 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市立第一高等女学校原爆慰霊碑(平和塔)」、「中国配電株式会社弔魂塔」、 |
18 | ヒロシマ遺文のカテゴリー「原爆被災写真」関係の文献を自宅から倉庫に移動。 |
18 | ヒロシマ遺文のカテゴリーを大幅変更。「原爆被災資料」の下に「広島原爆被災白書」を作成。ヒロシマ遺文への投稿=「広島城壊滅!」、「資料・広島平和記念公園(ピカ資料研究所)」、 |
19 | 自宅の爆心地復元関係資料を引き出す。 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料:中国軍管区司令部」 |
20 | ヒロシマ遺文のカテゴリー「原爆被災資料」の内容変更に合わせ、自宅書庫にある資料を整理。整理のついた「平和教育」関係の本4箱を桜が丘に移動。 |
21 | 倉庫にある地図類(安芸書房復刻版や復元関係)を自宅に持ち帰る。 |
21 | NHKスペシャル『「三島由紀夫 50年目の “青年論”」.』〜22時29分。~21:50。視聴。 |
21 | NHK BSプレミアム『“イマジン”は生きている ジョンとヨーコからのメッセージ』〜22時29分。録画を視聴。 |
21 | 自宅の復元関係資料の整理。 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「猿楽町」、「広島県産業奨励館」、「広島県燃料配給統制組合」、「帝国銀行広島支店」、「日本銀行広島支店」、「地図:国泰寺地区」、 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「最新大広島市街地図(193301)」、「地図:中島地域」、「地図:本川地域」、「地図:基町地域」、「地図:白島・二葉の里地域」、「地図:幟町地域」、「地図:荒神地域」、「地図:段原地域」、「地図:皆実地域」、「地図:大河地域」、「地図:宇品地域」、「地図:竹屋地域」、「地図:千田地域」、「地図:吉島地域」、 |
23 | 桜が丘へ自宅書庫にあった8月6日前後の新聞などを収納したA1判のファイルホルダー類を桜が丘の倉庫に移動。 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「地図:千田地域」、「地図:吉島地域」、「原子爆弾の炸裂点(ABCC)」、「矢賀警防分団日誌」、 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「ふるさと似島(平和学習参考資料)」、「明治中期広島近傍地形図」、「芸備銀行」、「東照宮原爆慰霊碑」、 |
26 | 日本新聞協会第73回新聞大会(神戸市)。新聞協会賞授賞式。授賞理由=「公文書や被爆者団体の資料、生存被爆者らの証言から公的記録に残っていない犠牲者の名前や、詳細が不明だった遺骨の身元を突き止め、75年を経ても歴史の空白を埋められることを実証した。さらに写真アーカイブを構築し、原爆投下前の街の姿や生活の営みを伝えた」、「被爆者の実態や国の不作為を丹念な取材により浮かび上がらせた一連の報道は、記憶を風化させないジャーナリズムの力を示す優れた調査報道として高く評価」 |
27 | ヒロシマ遺文のカテゴリー「広島原爆被災白書(地域)」に学校関係のデータを加える。 |
ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年 未来への記録」 | |
27 | 23:00~24:00 ETV特集「没後50年 転生する三島由紀夫」。視聴。 |
28 | ヒロシマ遺文のカテゴリー「広島原爆被災白書(地域)」 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「大田洋子文学碑建立記念誌」、「島外科(原爆爆心地)」、「黒い雨―降雨地域住民に被爆者手帳を」、 |
13:30~16時。第6回新日本婦人の会呉支部「第5回戦争体験を聞く会」。つばき会館4階。基町高校卒業生からの報告。基町高校生が描いた「原爆の絵」パネル展示。大中伸一。参加せず。 | |
1128 | 第6回新日本婦人の会呉支部「第5回戦争体験を聞く会」。つばき会館4階。基町高校卒業生からの報告。基町高校生が描いた「原爆の絵」パネル展示。大中伸一さん。参加せず。 |
予定
年月日 | |
20201208 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
20210122 | 核兵器禁止条約発効 |
2020年10月(日録)
日 | できごと |
01 | ヒロシマ遺文への投稿=「10フィート運動記録集」、「10フィート映画世界を回る」 |
02 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ案内・平和教育関係図書一覧」、「被爆者からの伝言 原爆の実相を語りつぐ」、「日本の老人たち」、「ヒロシマ・広島 hirou-*im*」、「Hiroshima 1988」、「丹下健三」、「広島平和記念館と丹下健三」、「「原爆の図」くまもと展記録集」、 |
03 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆展 忘れまい、この惨禍」、「原爆展(朝日新聞社主催)」、「戦争展(読売新聞社)開催概要」、「死者が語る戦争」、「平和のための広島の戦争展(資料)」、 |
04 | ピカ資料研究所調査。 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「科学者と平和(三村剛昻)」、「理論物理学研究所の歴史」、「写真記録 原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言」、「ヒロシマ HIROSHIMA (広島平和文化センター)」、「平和を創る(YMCA国際平和研究所)」、 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「図説広島市史」、「街と暮らしの50年」 |
08 | 中国新聞朝刊、同社の新聞協会賞受賞を伝える。 |
08 | ヒロシマ遺文への投稿=「ひろしま 市制90周年記念」、「ひろしま今昔-’80広島市政指定都市記念」、「広島平和会館ものがたり」、「消えたペン-新聞労働者の8月6日」、 |
09 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島大学の50年」、「日本学術会議(本)」、「かけはし(YMCA国際平和研究所通信)」 |
11 | 新聞切り抜き作業。前日分まで終了。 |
12 | 新聞切り抜きの分類作業。 |
17 | 午前中、広島大学文書館・県立文書館が公表した被団協関係資料目録をWEB上で確認。 |
17 | ヒロシマ遺文への投稿=「ピカ資料研究所の中の「今堀」」 |
18 | NHK[総合]午前6:10~午前6:45(35分) 目撃!にっぽん「原爆の図とわたし~命をみつめた ひと夏~」視聴。 |
18 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆時代(今堀誠二)」、「原水爆時代(上)」、「原水爆時代(下)」、 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆時代(上)(ピカ研校訂作業)」、「原水爆時代(下)(ピカ研校訂作業)」、「ピカ暦(ぴかごよみ)」、 |
20 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)」、「原爆資料の収集と保存を考える(今堀・山崎・田原)」、 |
21 | 兄と一緒に倉庫に収蔵中の西岡喜美子旧蔵資料の整理作業。 |
22 | 田原資料の中の資料をコピー。 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマは問う(田原伯197107)」、「原爆体験記読書会(198604~198703)」、 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆と広島大学 「生死の火」学術篇」、「広島大学と「被災資料センター」」、 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「年表:学術会議(稿)」、 |
25 | 広島市 平和公園取材。 |
25 | ピカ資料研究所で資料整理。 |
26 | 核兵器禁止条約批准国が50か国となり90日後の2011年1月22日発効となることを1面で取り上げた新聞をコンビニで購入。朝日・毎日・読売・中国・日経の5紙。産経には掲載なし。 |
29 | 呉市立美術館企画展「原画で巡る「この世界」」・令和2年度コレクション展Ⅱ:写真コレクション「海と共に生きる」を中心に。(10月5日~11月3日)。 |
29 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止運動(今堀)」 |
30 | 「被爆建物 広島陸軍被服支廠」を撮影。 |
30 | 広島大学原医研。久保田明子助教に面会。資料センターの現況・貴重資料の保存方法のレクチャーを受ける。中性紙のサンプルをいただく。松井恵美子さん(計量生物研究分野)より私の在籍時代の同僚の消息を聞く。 |
31 | ヒロシマ遺文への投稿「年表:学術会議(稿)」の増補校訂作業。 |
予定
年月日 | |
20201103 | アメリカ大統領選挙。 |
202012 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
2020年9月(日録)
日 | できごと |
01 | 投稿『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』の校訂作業。 |
02 | 『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』を昭和図書館へ返却。 |
02 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年9月(日録)」 |
03 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。 |
04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと」。「広島壊滅のとき-被爆カメラマン写真集」、「廣島あの日から(長岡省吾)」、 |
05 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和擁護広島大会宣言(19491002)」、「HIROSHIMA(長岡省吾)」、「広島(吉川清)」、 |
06 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆記録映画」、「論文:原爆記録映画」、「年表:原爆記録映画」、「爆心地ヒロシマに入る」、「ヒロシマ二十年 原爆記録映画製作者の証言」、「たたかう映画-ドキュメンタリストの昭和史」、「世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書」 |
07 | ヒロシマ遺文への投稿=「母と子でみる 原爆を撮った男たち」、「佐々木雄一郎ヒロシマ25年 写真記録」、「ヒロシマは生きていた 佐々木雄一郎の記録」、 |
08 | 呉市立昭和図書館。『広島原爆写真集』、『長崎原爆写真集』、『広島、1945 生きていた広島』を借り出す。 |
08 | ヒロシマ遺文への投稿1=「ヒロシマ 21世紀へのメッセージ」、「年表:原爆展(1952年)」、「年表:原爆展(1953年)」、「年表:原爆展(1954~55年)」、「年表:原爆展(1956年)」、「年表:原爆展(1958~64年)」、「年表:原爆展(1969年)」、 |
08 | ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1970年)」、「年表:原爆展(1973年)」、「年表:原爆展(1974年)」、「年表:原爆展(1975年)」、「年表:原爆展(1976年)」、「年表:原爆展(1977年)」、「年表:原爆展(1978年)」、「年表:原爆展(1979年)」、 |
09 | ヒロシマ遺文への投稿1=「年表:原爆展(1980年)」、「年表:原爆展(1981年)」、「年表:原爆展(1982年)」、「年表:原爆展(1983年)」、「年表:原爆展(1984年)」、「年表:原爆展(1985年)」、「年表:原爆展(1986年)」、「年表:原爆展(1987年)」、「年表:原爆展(1988年)」、「年表:原爆展(1989年)」 |
09 | ヒロシマ遺文への投稿2=「年表:原爆展(1990年)」、「年表:原爆展(1991年)」、「年表:原爆展(1992年)」、「年表:原爆展(1993年)」、「年表:原爆展(1994年)」、「年表:原爆展(1995年)」、「年表:原爆展(1996年)」、「年表:原爆展(1997年)」、「年表:原爆展(1998年)」、「年表:原爆展(1999年)」 |
09 | ヒロシマ遺文への投稿3=「広島原爆写真集 決定版」、「長崎原爆写真集 決定版」、「広島、1945 生きていた広島」、「トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録」、「原爆=写真論 「網膜の戦争」をめぐって」、「原爆と写真」 |
10 | NHK総合「土門拳のヒロシマを探して 戦後75年を生きた人たち」(2020年8月8日07:30~07:55)<再放送>視聴。 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿=「明田弘司」、「年表:広島原爆資料館」、「文献:原爆資料館」。 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿=「松重美人「世界の記録写真」をめぐって」、「ヒロシマ・1960 永田登三写真集」。 |
13 | ヒロシマ遺文への投稿=「土門拳」。 |
14 | 新聞のダウンサイズ作業。切り抜き対象記事掲載の紙面だけを切り取る。9月13日~8月24日分終了。 |
15 | 新聞のダウンサイズ作業終了。8月23日~8月6日。 |
18 | NHK総合ラウンド中国「また、語れる日まで~被爆者“コロナの夏”を生きる~」(出演:豊永恵三郎、森下弘)視聴。 |
19 | ピカ研資料整理=主に地図の整理。 |
19 | 19:00~ ~21:00。BS1「少年たちの連合艦隊〜“幸運艦”雪風の戦争〜」(再放送)視聴 |
20 | ユーチューブのせこへい美術館(2020年8月8日~16日まで、旧日銀広島支店で開催)を視聴https://www.youtube.com/watch?v=cvGz5-kye-Q |
20 | 岩波写真文庫写真(長野重一・名取洋之助撮影)の整理。 |
21 | ヒロシマ遺文への投稿=「生きているヒロシマ」、 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「HIROSHIMA」、「原爆第1号―ヒロシマの写真記録」、「アサヒグラフ」、「グラフひろしま」、 |
23 | 石踊(安芸書房)に電話。ピカ研にあった第五師団の詳細な地図の存在を尋ねたが、知らないとのこと。 |
23 | ヒロシマ遺文への投稿=「敗戦と原爆投下(週刊朝日百科)」、「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」、 |
24 | ヒロシマ遺文への投稿=「秘録大東亜戦史 原爆国内篇」の校訂作業。 |
25 | ヒロシマ遺文への投稿=「感性で撮るうまい写真」、「森下一徹」、「ヒロシマ 土門拳(1958)」、「ヒロシマ 土門拳全集10」、「生きているヒロシマ 土門拳1978」、「写真随筆 土門拳1979」、 |
27 | ヒロシマ遺文への投稿==「江成常夫」、「記憶の光景・十人のヒロシマ」、「ピカドン-ある原爆被災者の記録」、「福島菊次郎」、「福島菊次郎原爆と人間の記録」、「戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集」、「遺品は語る」、「きみはヒロシマを見たか」、「写真集 被爆45年広島の声なき証言者たち」、「写真集 平和のモニュメント」 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「写真集 ドンが聞こえなかった人々」、「写真でみる原爆の記録」、「浜口タカシ写真集」、「カール・マイダンス 激動日本の目撃者」、「写真家100人 顔と作品」、 |
予定
年月日 | |
20021004 | ピカ資料研究所資料整理。 |
20201103 | アメリカ大統領選挙。 |
202012 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
2020年8月(日録)
日 | |
第26回平和のための広島の戦争展。2020年7月30日オンラインで開催 http://www.hicat.ne.jp/matui-f/hiroshimasensouten2.html?fbclid=IwAR0ZYSqHvpcjSHgMOmtosHG1GLyjWOz8zwYytg5filRP-ZMSiwNFw6U9540 | |
02 | 07:45~~ 8:38 (53分) シリーズ「被爆75年 平和都市を築いた人々」第2回 『ETV特集 ドームと生きた男 〜「原爆一号」吉川清〜』(初回放送:1997年1月20日)。宇吹出演。 |
02 | 「生きて(14)単著の通史 詳述した重層的な営み」<「生きて ヒロシマ史家 宇吹暁さん― 」『中国新聞』文化面連載)> |
02 | 平和科目「平和と人間C」第9回「被曝資料とその総括-Ⅰ」(12:50~14:20)補講<東広島> |
02 | 平和科目「平和と人間C」第10回「被曝資料とその総括-Ⅱ」(14:35~16:05)補講<東広島> |
03 | 「生きて(15止)考えるたたき台を発信 世界に向けて情報発信」<「生きて ヒロシマ史家 宇吹暁さん― 」『中国新聞』文化面連載)> |
04 | 広島女学院大学講義(関西学院との連携講座)。中止。 |
04 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料調査通信(広島大学原医研)1982年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1982年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1983年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1984年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1985年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1986年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1987年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1988年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1989年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1990年」、「資料調査通信(広島大学原医研)1991年」 |
06 | 読売・毎日・日経・産経をコンビニで購入。 |
06 | 広島原爆の日。広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式典 |
06 | そごう駐車場―平和公園―広島県動員学徒犠牲者の会―原爆の子の像―原爆ドーム―原爆慰霊碑―花輪―撤去表(北辰映電)―献花―小倉桂子―peace run clubー平和の鐘を吊るす装置―巨大スクリーン―原爆慰霊碑―会場テント内―平和記念式典に寄せられたメッセージ―温井慰霊碑―造船工慰霊碑―教師と子どもの像―損保慰霊碑―湯川秀樹歌碑―原爆資料館―嵐の中の母子像―原爆資料館時計―ローマ法王碑―被爆ピアノ11:09―<全損保―被爆遺構―レストハウス>―そごう地下で昼食用弁当― |
06 | 「47ニュース」で社説・論説をチェック。 |
06 | ヒロシマ遺文ユーザー=163人。 |
07 | 呉市民劇場第例会「劇団1980公演 素劇 楢山節考」(6月2日上演分)。 |
08 | 蒲刈町在住の学生時代の友人宅を訪問。半世紀ぶりの再開。 |
09 | 07:45 シリーズ被爆75年「平和都市を築いた人々」第3回 ETV特集「ヒロシマの心忘るまじ~森滝市郎の日記から~」(1994年2月3日放送)視聴 |
09 | 長崎原爆の日。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。長崎原爆関係の報道を視聴。 |
11 | 散髪。丸坊主となる。 |
15 | 終戦記念日。全国戦没者追悼式。 |
15 | 19:30 総合「太陽の子」。~20:50。21:00~NHK総合 NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」。~22:00。視聴 |
16 | 21:00 NHKスペシャル「アウシュビッツ―死者たちの告白」。~21:50。 |
16 | 22:00 BS1スペシャル「原子の力を解放せよ~戦争に翻弄された核物理学者たち~」。~22:50。 |
20 | Miスマートバンドの利用開始。 |
23 | 「土門拳のヒロシマを探して 戦後75年を生きた人たち」(NHK総合8月8日 午前7:30~7:55 )(25分)の録画を視聴。 |
24 | 22:00 NHK総合「戦争動画集」(~22:45)視聴。 |
25 | 東京パラリンピック開会式。翌年に延期。 |
26 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの記録(西本雅実)」、「広島は訴える 原爆広島11年の記録」 |
27 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島は訴える 原爆広島11年の記録」、「原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から」、「広島・長崎 原子爆弾の記録」、「原子爆弾―広島・長崎の写真と記録」、「広島―戦争と都市(岩波写真文庫72)」。 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真・絵画集成」、 |
29 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県戦災史(口絵)」、「百二十八枚の広島」、「立ち上がるヒロシマ1952」 |
30 | ヒロシマ遺文への投稿=「HIROSHIMA 半世紀の肖像-やすらぎを求める日々」、「昭和をとらえた写真家の眼」、「長崎 よみがえる原爆写真」 |
31 | 呉市昭和図書館へ。『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』を借用。 |
31 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの証(土田ヒロミ)」 |
2020年7月(日録)
日 | |
01 | 呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日。自宅で黙とう。 |
01 | 倉庫のピカ研資料の整理。 |
02 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年7月(日録)」。ヒロシマ遺文のTOP頁の更新。 |
01 | 広島市平和公園のレストハウス、リニューアルオープン。 |
02 | 「ピカ研の指摘により作成した正誤表」(xlsx)の作成。 |
04 | 五日市でピカ研資料の整理。 |
05 | 毎日新聞広島版連載「閃光を背負って ”原爆第一号”の足跡」(12回19890816~0906)のスキャナーでの取り込み。 |
06 | 西日本豪雨から2年。 |
07 | 吉川清『平和のともしび』『「原爆一号」といわれて』を読み直す。 |
08 | 毎日新聞連載『閃光を背負って』のデータの整理。 |
09 | 若尾祐司ら訳『ヒロシマ グローバルな記憶文化の形成』受贈。 |
12 | NHK |
13 | 広島大学(千田町)講義。平和科目「平和と人間D」第13回「被爆資料とその総括」 |
14 | 広島大学平和科目「平和と人間C」<医歯薬学生対象>第9回「被曝資料とその総括-Ⅰ」「同前Ⅱ」。自宅を出る直前に休講の連絡。 |
14 | 「生きて(1)研究半世紀 先人にしった激励され」<「生きて ヒロシマ史家 宇吹暁さん― 」『中国新聞』文化面連載)> |
15 | 「生きて (2)中学3年 原爆劇巡演 衝撃受ける」 |
15 | ヒロシマ遺文への投稿=「川手健を語る」 |
15 | 非核の政府を求める広島の会ニュースのデータ整理。 |
16 | 「生きて (3)国史学専攻 鍛えられた史料解読」 |
18 | 「令和2年度城下町広島の歴史講座」。翌年に延期。 |
18 | 「生きて (4)県史編さん室 一本釣りで原爆調査へ」 |
18 | ヒロシマ遺文への投稿=「四国五郎」 |
19 | ピカ研資料整理 |
19 | ヒロシマ遺文への投稿=「入会のしおり-非核の政府を求める広島の会」 |
20 | 中国新聞ジュニアライターオンライン取材。 |
21 | 「生きて (5)「原爆資料編」 悉皆調査に努め解題も」 |
22 | 「生きて (6)自主勉強会 現代史ガリ版で問う」 |
22 | ヒロシマ遺文への投稿=「「ピカより〇〇〇〇〇日」の会」 |
23 | 「生きて (7)原医研移籍 「便利屋」扱い自由さも」 |
24 | スポーツの日。東京五輪開会式。コロナのため翌年に延期。 |
24 | 「生きて (8)「内地研究員」 東京で俊英に刺激され」 |
25 | 「生きて (9)「資料調査通信」『まどうてくれ』 聞き書きにのめり込む」 |
27 | 『中国新聞』、7月20日のジュニアライターオンライン取材への私のコメントを掲載。 |
28 | 「生きて (10)資料収集 田原伯さんに教えられ」 |
28 | ヒロシマ遺文への投稿=「ピカ研の指摘により作成した正誤表」、「ピカ資料研究所表札」、「ピカ資料研究所(ピカ研)の紹介ビラ」、「呉市内の倉庫に移動したピカ研資料」、「反核・平和図書館関係者の会」 |
29 | 「生きて (11)助手13年 仲間の協力で研究展開」 |
30 | 「生きて (12)原爆手記 言い尽くせぬ個の記録」 |
31 | 「生きて (13)朗読劇 継承のヒントをつかむ」 |
予定
年月日 | |
20200802 | 平和科目「平和と人間C」補講 |
20200804 | 広島女学院大学講義(関西学院との連携講座)。中止。 |
20200806 | 広島原爆の日。広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式典 |
20200809 | 長崎原爆の日。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。 |
20200809 | 東京オリンピック閉会式。翌年に延期。 |
20200815 | 終戦記念日。全国戦没者追悼式。 |
20200825 | 東京パラリンピック開会式。翌年に延期。 |
202008? | 第26回平和のための広島の戦争展。 |
20020906 | 東京パラリンピック閉会式。翌年に延期。 |
20201017 | 大阪。 |
20201103 | アメリカ大統領選挙。 |
202012 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |