原水爆禁止と平和のための国民大会基調報告 1962
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| ヒロシマから訴えよう すべての国から原水爆をなくさせるために― いま世界の人々は、日本の運動を見つめている 原水爆禁止運動の再建と統一をめざす |
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| まえがき |
| 1 最近の内外情勢の特徴について |
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| 2 運動の在り方について |
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| 3 運動の目標について |
| 4 運動の実践課題について |
| 1 核実験停止の運動 |
| 2 日本核武装反対の運動 |
| 3 被爆者保障の運動 |
| 5 運動の統一と展望について |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
原水爆禁止と平和のための国民大会基調報告 1962
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| ヒロシマから訴えよう すべての国から原水爆をなくさせるために― いま世界の人々は、日本の運動を見つめている 原水爆禁止運動の再建と統一をめざす |
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| まえがき |
| 1 最近の内外情勢の特徴について |
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| 2 運動の在り方について |
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| 3 運動の目標について |
| 4 運動の実践課題について |
| 1 核実験停止の運動 |
| 2 日本核武装反対の運動 |
| 3 被爆者保障の運動 |
| 5 運動の統一と展望について |
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「原水爆禁止と平和のための国民大会」現地実行委就任委嘱について 1962年11月8日
| <作業中> |
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広島市民の訴え(浜井信三) 19620806
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| 参考 |
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1962(昭和37)年平和宣言(広島) 本日、わたくしたちは、ふたたびあの悲しい思い出の日を迎えた。 十七年前の今日、四百年の歴史と父祖の偉業とによって築き上げられた広島は一瞬にして壊滅し、老幼男女の区別なく無数の生命が奪い去られた。 そのとき、この惨禍を目撃したわたくしたちの心の底深く根ざしたものは、戦争に対する限りない憎しみと、それを再び繰り返してはならないという固い決意とであった。 爾来、わたくしたちは機会あるごとに、全世界に、わたくしたちの体験を伝え、核兵器の禁止と戦争放棄の必要とを訴えつづけてきた。 しかるに、その後核兵器の製造と実験は停止されないばかりか、その性能はいよいよ大型化され、そのため国際間の対立はますます激化して、今や世界を未曾有の危機におとしいれようとしている。 今こそ人々は原子力時代の戦争は所詮勝利の見込みのない戦争であって、それは独り戦争当事国のみならず、全人類を絶滅する手段以外の何ものでもないことを深く認識しなければならない。 わたくしたちは、すべての民族すべての国家が、人類連帯の精神に立って小異を捨てて大同につき、核兵器の禁止と戦争の完全放棄を目指して、全努力を傾注することを願ってやまない。 本日、ここに思いもあらたに、原爆死没者の霊を弔うにあたり重ねてこれを広く世界に訴えるものである。 |
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『朝日ジャーナル』反核1962
| 月日 | 著者「タイトル」 | 備考 |
| 0121 | デービッド・リースマン「平和の灯をともそう」 | |
| 0204 | しっぽを逆立てる負け犬 「米核兵器を恐れるな」 中国「紅旗」誌第1号から | |
| 0304 | 「アメリカ経済は軍縮にたえられる」 | |
| 0325 | 「アメリカの”新しい平和運動” 権力に挑戦する市民たち | |
| 0429 | 「核武装とスイス軍当局」 | |
| 0520 | 極東米軍の核兵器 | |
| 0527 | 堀田善衛「風土記’62(20)広島 倶ニ会ス一処 | |
| 0527 | 全面完全軍縮に向って―科学者京都会議の討論から― | |
| 0624 | 朝日ジャーナル総目次 | |
| 0708 | D・リースマン「日本の平和勢力-2ヵ付きの滞日で考えたこと-」 | |
| 0715 | モスクワでの平和の討議 「全面軍縮と平和のための討議」 | |
| 0729 | 軍縮・平和の世界大会終る 共産党をバックにせぬ催し | |
| 0805 | アクラの平和会議 森滝市郎氏に聞く | |
| 0812 | 田中千禾夫「忘却と現実の間 東松照明写真展から」 | |
| 0819 | 原爆記念日のロンドン | |
| 0819 | 荒れた原水禁大会 共産系代表が大勢抑える | |
| 0819 | 渡辺誠毅「核兵器競争か軍縮か」 | |
| 0909 | 時の動き 二つの核実験停止提案 部分的核停条約のねらい | |
| 0909 | 田口富久治(聞く人)「政党と労組の主張 総評大会を終えて江田、太田両氏の主張」 | |
| 0916 | 本『ヒロシマ・わが罪と罰』 | |
| 0923 | 時の動き ソ連声明にみる三外交路線 キューバ問題では米国にクギ | |
| 0923 | 時の動き パグウォッシュ会議の成果 | |
| 1021 | 二つの平和運動論-社共の対立は救いがたいか | |
| 1111 | キューバ危機の教訓 虚々実々、一週間の名人戦 | |
| 1111 | 坂本義和「アメリカ外交の思想を探る―「キューバ危機」の背景」 | |
| 1118 | 中野尊正「航空写真からどれだけ”読め”るか―キューバ危機に点火」 | |
| 1125 | 時の動き 「大本」平和運動の”粛清” お家騒動というには根が深い | |
| 1202 | ||
| 1209 | ユージン・バーディック、ハーヴィ・ウィラー(中野好夫訳)「フェイル・セイフ-核戦争 偶然が引金をひいた-第1回」 | |
| 1216 | 「フェイル・セイフ-核戦争 偶然が引金をひいた-第2回」 | |
| 1223 | 「フェイル・セイフ-核戦争 偶然が引金をひいた-第3回」 | |
| 1230 | 「時の動き 核戦力、米国と西欧の思惑 物わかれのNATO理事会」 | |
| 1230 | 「フェイル・セイフ-核戦争 偶然が引金をひいた-第4回」 | |
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雑誌『世界』反核1962
| 月 | 著者「タイトル」 | 備考 |
| 01 | 杉捷夫 | |
| 野原四郎「核実験と日本人の立場」 | ||
| 02 | 道家忠義「死の灰と科学者」 | |
| 04 | 世界の潮「”軍縮”への熱情と核兵器競争」 | |
| 2月2日ソ連初の地下核実験。 | ||
| 05 | 世界の潮「アメリカの核実験反対運動」 | |
| 1月15日 ウイメン・インタナショナル・ストライク・フォ・ピースのホワイト・ハウス前のデモ。1600人余。 | ||
| 2月16-17日 ターン・トワード・ピース(TTP)学生評議会指令のホワイト・ハウス前のデモ。5000~8000人。 | ||
| 3月3日 TTP、タイムス・スクェア(ニューヨーク)でのデモ。 | ||
| 08 | 坂本義和「平和運動における心理と論理」 | |
| 遠山茂樹「17年史から学ぶもの」 | ||
| 科学者京都会議の記録 | ||
| 坂田昌一「会議がひらかれるまで」 | ||
| 豊田利幸「声明文がつくられるまで」 | ||
| 朝永振一郎「報告 パグウォッシュ会議の歴史」 | ||
| 田中慎次郎・豊田利幸・小沼通二(作成)「年表:軍縮交渉の歩みと科学技術」 | ||
| 田島英三「報告要旨 放射能科学委員会の報告」 | ||
| 日高六郎「人間復権の主張」 | ||
| 松岡洋子「談話室 6・15集会」 | ||
| 09 | 山田国男「17年目の広島-核実験再開以後」 | |
| /『タイム』の投げた波紋/いまなお新しい原爆後遺症/広島における平和運動の現状/広島に対する世界の関心/二つの平和巡礼//// | ||
| 10 | 井出洋「三つの国際会議と平和運動の方向」 | |
| /19611204~第5回世界労働組合会議/19620709~全般的軍縮と平和のための世界大会/19620801~核戦争阻止第8回原水爆禁止世界大会/ | ||
| 池山重朗「新しい運動の論理」 | ||
| 久野収「主体性を回復することが必要だ-一つの感想」 | ||
| 上原淳道「談話室 第8回原水禁世界大会」 | ||
| 〈平和運動をどうすすめるか〉1 | ||
| 安井郁〈聞く人〉日高六郎「何よりも必要な団結」 | ||
| 〈平和運動をどうすすめるか〉2 | ||
| 飛鳥田一雄〈聞く人〉日高六郎「闘いの裾野をひろげよう」 | ||
| 〈平和運動をどうすすめるか〉3 | ||
| 内野竹千代〈聞く人〉日高六郎「運動の目標を明確に」 | ||
| 重山光世(広島県地域婦人団体連絡協議会主事)「地域婦人会の歩み」 | ||
| 鈴木真佐子(主婦)「平和のために手をつなぐ会」 | ||
| 赤松宏三(三多摩原水協事務局長)「全国的な闘いとして」 | ||
| R・ゲージ-コルビー「インタヴュ― 東にも西にも平和の声-アメリカの平和運動を中心に」 | ||
| 世界の潮1 核実験停止の可能性 | ||
| 資料:全般的軍縮と平和のための世界大会 諸国民へのメッセージ | ||
| 世界の潮2 モスクワ平和大会の成果 | ||
| 神山茂夫「〈投稿〉戦争と平和に関連する若干の問題-『世界』所載・坂本義和氏論文によせて-」 | ||
| 11 | 世界の潮1 パグウォッシュ”会議”から”運動”へ | |
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核実験競争のゆくえ(中国新聞連載1962年)<作成中>
| 回 | 月日 | 見出し | 備考 |
| 1 | 0430 | 懸命に退避壕造り 矛盾含む”生き残り戦略” | |
| 2 | 0501 | 唯一の解決・全面軍縮 安定求め”終局なき交渉” | |
| 3 | 0502 | ぬぐえぬ国民の不安 「死の灰」少ないというが | |
| 4 | 0503 | 盛り上がる禁止運動 婦人団体の活躍めだつ | |
| 米国 | |||
| 英国 | |||
| 西独 | |||
| カナダ | |||
| イタリア | |||
| 北欧三国 | |||
| 日本 | |||
| 核実験禁止運動の草分け日本の運動は29年のビキニ事件以来8年間”原水協”(安井郁理事長)を中心に続けてきたが、昨年8月松下立大総長を委員長とする第二原水協の出現で統一戦線が破れた。 | |||
| 日本と諸外国の比較 | |||
| 1 | 諸外国の運動は個人の道徳、宗教、思想上の信念から出発したものだが、日本では上部団体の組織が強く影響している。 | ||
| 2 | 諸外国の運動は組織づくりはおそいが、着実に拡大されつつあり、後退の見通しは少ない。日本では国民の反対運動勢力はのびているものの全国的組織は分裂のにがい経験を味わった。 | ||
| 3 | 外国の運動はいまのところ有力政党との結びつきが少ない。日本では政党ないし政治的組織団体とむすびついているので運動が内政、学厚生策に強く影響されている。 | ||
| 5 | 0504 | 抗議書もうマンネリ 転換期にきた書簡外交 | |
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世界の鼓動 各国の核実験反対運動(朝日新聞19620812)
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| 国 | 特徴 | 備考 |
| アメリカ | ”祈り”に近いデモ 国民の目も好意的に | |
| 米フレンズ奉仕委員会-AFSC- | ||
| 健全核政策委員会-SANE- | ||
| 平和のために立ち上がれ(国際婦人自由平和運動-WISP-) | ||
| 平和への方向転換-TTP- | ||
| 非暴力行動委員会 | ||
| フランス | 手探り時代 | |
| 平和のための運動 | ||
| 原子兵器反対フランス連盟 | ||
| 一般軍縮と社会進歩のための会 | ||
| イギリス | 大衆の間に根 直接行動には批判的 | |
| 核軍縮委員会-CND- | ||
| 百人委員会 | ||
| イタリア | ||
| 核非武装イタリア委員会 | ||
| イタリア平和連合 | ||
| ソ連 | ”もうやめて” 表には出ぬ 人民の気持ち | |
| インド | 政府が先頭に | |
| アジアの主な運動 | ||
| (日本) | 原水協 | |
| 核禁会議-第二原水協- | ||
| 中東アフリカ | 地理上から無関心 | |
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中国新聞社説(1962年反核)一覧<作業中>
| 月日 | 見出し | 備考 |
| 0201 | 核停会議決裂の意味 | |
| 1月29日米英ソ3国の核実験停止会議「無期延期」の形で事実上決裂 | ||
| 0210 | 実験の悪循環を断て | |
| 0303 | 実験再開と首脳会談 | |
| 0306 | 高次元の人類的立ち場 | |
| 0307 | 悪循環を断つ契機 | |
| 0314 | 不況なき軍縮 | |
| 0314 | 早急に首脳会談へ | |
| 0322 | 核停交渉の新局面 | |
| 0323 | 国際政治と核兵器 | |
| 0411 | 危険区域の拡大 | |
| 0412 | 国際検証原則の同意を | |
| 0424 | 実験再開を延期せよ | |
| 0426 | 遺憾な核実験の指令 | |
| 0608 | 非核武装宣言の | |
| 0725 | 道義が支配する世界へ | |
| 0801 | 平和への情熱 | |
| 0803 | 平穏な世界大会を | |
| 0806 | そっとしてくれ | |
| 0807 | なぜ抗議しないのか | |
| 0809 | 原水協の体質改善 | |
| 0812 | 慢性的核実験の恐怖 | |
| 0906 | 核停とU2機の影 | |
| 1012 | 核停交渉前進への望み | |
| 1028 | 核兵器と共存せず | |
| 1029 | 放射能の影響と対策 | |
| 1107 | 核停決議と日本 | |
| 1204 | 原水禁運動の進め方 | |
| 1209 | 軍縮会議と核停問題 | |
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全面軍縮と平和のための世界大会 1962年7月9日~14日 会場:ソ連・モスクワ
| 月日 | 事項 | 備考 |
| 0621 | 軍備全般要求広島県集会ならびに全般的軍縮と平和のためのモスクワ世界大会派遣代表山田浩氏の歓送会(佐久間澄・石井金一郎) | |
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| 0709 | 全面軍縮と平和のための世界大会。参加者:世界121ヵ国代表約2400人。 | 『中国新聞』0709夕、0710、0710夕 |
| 安井郁日本原水協理事長、演説。「米超高空核実験は平和勢力に対する挑発」 | 『中国新聞』 | |
| バートランド・ラッセル卿(英の平和運動家)、モスクワの大会に書簡。中立国が起草し査察する軍縮計画を呼びかけ。 | 『中国新聞』0710、 | |
| バーナル世界大会議長、米超高空核実験を非難する演説。 | 『中国新聞』0710、 | |
| 0710 | フルシチョフ・ソ連首相、大会(2日目)の集会で演説。「ソ連は自国防衛のために50~100メガトンないしそれ以上の爆弾や地球ロケット、迎撃ミサイルを開発せざるを得なかった」 | 『中国新聞』0711夕、 |
| 戦禍は想像を上回る 強調したい人なつっこさ | ||
| 0818 | 「広島からソビエトへ(下)」(山田浩) | 『中国新聞』 |
| 平和勢力結集に重点 モスクワでの世界大会 | ||
| 0817 | 「広島からソビエトへ(中)」(山田浩) | 『中国新聞』 |
| 政府と民衆に一体感 印象不快「無限の発展」節 | ||
| 0816 | 「広島からソビエトへ(上)」(山田浩・広島大学助教授) | 『中国新聞』 |
| 平和勢力結集に重点 モスクワでの世界大会 | ||
| 空前の規模 | ||
| 統一のための努力 | ||
| 大会の横顔 | ||
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アックラ「民間人軍縮会議」歓送激励会案内(19620612)
| アックラ「民間人軍縮会議」に招請される浜井広島市長・森滝広大教授を歓送激励する会 |
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| 原水爆禁止広島県協議会、原水爆禁止広島市協議会、広島県原爆被害者協議会、広島県労働組合会議、広島宗教者平和協議会、平和と学問を守る大学人の会、広島子供を守る会 |
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3・1ビキニデー関係資料(1962年)
| 月日 | 資料名(発行者⇒宛) | 備考 |
| 0215 | 3・1ビキニデーのとりくみについての要請(森滝市郎⇒各地域原水協・民主団体) | |
| 0221 | 3・1広島集会にむけての街頭署名に協力参加のお願い(森滝市郎⇒) | |
| 0221 | 担当常任理事会開催について(森滝市郎⇒) | |
| ―- | ビキニ被災8周年広島集会 | ビラ |
| 0301 | ビキニ被災8周年広島集会「宣言」(案) | |
| 0301 | 日本における核戦争準備に関連する一切の軍事行為を禁止する運動推進のための決議(案) | |
| 0330 | <バートランド・ラッセルあて森滝市郎依頼文(広島集会へのメッセージ)への返書(和訳)>。 | |
| 0410 | 森滝市郎宛バートランド・ラッセル返書(和訳)の紹介。 | |
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『平和の条件 アクラから広島へ』(『中国新聞』連載、19621001~1023)
| No. | 日 | 見出しなど | |
| 1 | 04 | 「爆弾なき世界」会議 シンポジウム | |
| 参加者:浜井信三(広島市長)、相原和光(広島YMCA主事)、中野清一(広島大学教授)、森滝市郎(広島大学教授)今堀誠二(広島大学教授)、石井金一郎(広島大学助教授)、 | |||
| 2 | 05 | エンクルマの平和構想 | |
| 国際間にも道徳律 人類の良心こそ最大の防備 ”爆弾なき世界”会議の演説から | |||
| 3 | 06 | エンクルマ演説 | |
| 核脅威取り除け 人類の良心で解決を | |||
| 4 | 07 | エンクルマ演説 | |
| 5 | 08 | エンクルマ演説 | |
| 6 | 09 | エンクルマ演説 | |
| 7 | 10 | エンクルマ演説 | |
| 8 | 11 | エンクルマ演説 | |
| 9 | 12 | エンクルマ演説 | |
| 10 | 13 | エンクルマ演説 | |
| 11 | 14 | シンポジウム1 エンクルマ演説を読んで | |
| ”解放”の熱意に共感 国連は現状維持機関と違う | |||
| 12 | 15 | シンポジウム2 | |
| いささか理想主義 だが植民地支配一掃は真剣 | |||
| 13 | 16 | シンポジウム3 | |
| ”解放”の切実さ認む 欲しい軍縮の基礎づけ | |||
| 14 | 17 | シンポジウム4 | |
| 現実的な検討が必要 国際間の道徳律 国家主権もからむ | |||
| 15 | 18 | シンポジウム5 | |
| ”大国中心”改めよう 問題多い世界連邦構想 | |||
| 16 | 19 | シンポジウム6 | |
| 国連中心に共存 偏狭な国家主義を克服 | |||
| 17 | 20 | シンポジウム7 | |
| 世界の幸福が前提 運命共同体 ”民族”を尊重して | |||
| 18 | 21 | シンポジウム8 | |
| 核禁協定の調印急げ 先細る運動?に中だるみ | |||
| 19 | 22 | シンポジウム9 | |
| 生かしたい”原体験” 軍縮、核実験の阻止に | |||
| 20 | 23 | シンポジウム10 | |
| 大衆の自覚こそ必要 力の政策だけで防げぬ全面戦争 | |||
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ヒロシマの証言(中国新聞連載)1962年7月15日~8月16日
| 回 | 月日 | 見出し | 備考 |
| 01 | 0715 | 奪われた青春 結婚はあきらめる やり場のない父親の苦悩 | 緒方静子 |
| 02 | 0716 | 運命の誕生日 健康そのもの 今はテニスだけ | |
| 03 | 0717 | 原爆一号 ドームが自分んの姿 あくまで「平和」訴える | 吉川清 |
| 04 | 0718 | 自衛隊の中で 今の生活が一番いい とっくに捨てた感傷や夢 | |
| 05 | 0719 | ミシン踏む男 | |
| 06 | 0720 | おもかげの孫 | |
| 07 | 0721 | 切腹した老人 | |
| 08 | 0722 | バラックの教会 | |
| 09 | 0723 | 簡易宿泊所で | |
| 10 | 0724 | ふたりの娘 | |
| 11 | 0725 | 神に仕えて | |
| 12 | 0726 | 入れ墨の老人 | |
| 13 | 0727 | ある原爆孤老 | |
| 14 | 0728 | 小頭症 | |
| 15 | 0729 | 17年ぶりの幸福 | |
| 16 | 0730 | ある母子寮で | |
| 17 | 0731 | 肉親への疑惑 | |
| 18 | 0801 | 千羽ヅル | |
| 19 | 0802 | 両足切断 | |
| 20 | 0803 | 原爆僧 | |
| 21 | 0804 | 禎子さんの遺族 | 佐々木 |
| 22 | 0805 | 若いコーラス | *川義雄 |
| 23 | 0806 | ある夫婦のなげき | 河本一郎 |
| 24 | 0807 | 原爆おとめ | *橋佳枝 |
| 25 | 0810 | 帰化した神父 | クラインゾルゲ |
| 26 | 0809 | 原爆資料館 | 長岡省吾 |
| 27 | 0810 | 白衣の願い | 喜多村栄子 |
| 28 | 0812 | 放射能医学 | 渡辺漸 |
| 29 | 0812 | 原爆病院 | 重藤文夫 |
| 30 | 0813 | ABCC | 槇弘 |
| 31 | 0814 | フェニックス号 | レイノルズ |
| 32 | 0815 | ある主婦 | 栗原貞子 |
| 33 | 0816 | 取材を終えて |
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『世界の中のヒロシマ 平和巡礼団に同行して(満井特派員記)』(『中国新聞(連載)』1964.07.10~08.17)
<作業中>
| 回 | 月日 | 見出し | 備考 |
| 01 | 0710 | 一市民の「力」 胸を圧した使命感 憎しみ越え平和確信 | |
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| 02 | 0711 | 羽田からハワイ | |
| 03 | 0712 | ハワイ | |
| 04 | 0713 | ロサンゼルス | |
| 05 | 0714 | ロス周辺 | |
| 06 | 0715 | ||
| 07 | |||
| 08 | |||
| 09 | |||
| 10 | |||
| 11 | |||
| 12 | |||
| 13 | |||
| 14 | |||
| 15 | |||
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| 34 | |||
| 35 | |||
| 36 | |||
| 37 | |||
| 38 | |||
| 39 | 0817 | 慰霊碑の前で 「平和」を国民の手に 碑文の”誓い”を再確認 | |
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年表:広島・長崎平和巡礼 1964年
| 月 | 日 | 事項 |
| 1963年 | ||
| 04 | 24 | レナ・エッケルト(シュバイツァー博土のひとり娘)広島を訪問。「広島は全世界の人間性を象徴する意味をもつ都市です。広島を見てたとえようのない感銘を受けました。広島こそ巡礼地にいる気持ちをいだかせるところです。非人間性は破壊されねぱ |
| 10 | 08 | 広島・長埼世界平和巡礼実行委員会開く。委員長原田東岷、副委員長バーバラ・レイノルズ決まる。 |
| 1964年 | ||
| 01 | 08 | 広島・長崎世界平和巡礼実行委員会(原田東岷委員長)、4月の世界平和巡礼第2陣のメンバーを決定。志水清広大原医研教授ら4人。??? |
| 01 | 17 | 広島・長崎世界平和巡礼団の広島関係メンバー決まる。志水清(広島大学教授)ら15人。 |
| 03 | 28? | 世界平和巡礼が携行する英文『原爆被害の実相』完成。 |
| 04 | 11 | 広島市キリスト教連合婦人会と日本基督教婦人矯風会広島支部員ら20人、平和巡礼資金の街頭募金を広島市内で実施。-12日。 |
| 04 | 16 | 第2回広島・長崎世界平和巡礼団、広島を出発。(21日羽出発)。広島市・平和記念館で結団壮行式。松本卓夫団長、団員:バーバラ・レイノルズ、松原美代子、小佐々久仁子、庄野直美、副島まち、森下弘、阿部静子、高原弘子、吉田チエ、河本時恵、満井晟(中国新聞記者)ら40人。2カ月をかけ、欧米・ソ連などを回る予定。 |
| 04 | 20 | 平和巡礼団庄野直美(広昆女学院大学教授)の米国入国査証交付が保留。 |
| 04 | 29 | 米、平和巡礼団庄野直美に入国査証発行。 |
| 05 | 05 | 平和巡礼団が米ミズリー州インデペンデン市で、トルーマン元米大統領と会見。「広島、長崎両市の代表に会えてうれしい。二度と悲劇の起きないことを心から望む。あのときは原爆投下の決定をくださざるをえなかった。 |
| 05 | 28 | 平和巡礼団、米上下両院合同原子力委員会で訴える。「いかなる理由があろうとも原水爆の使用は許せない。原子力は人類の繁栄のために使ってほしい」 |
| 06 | 11 | 広島・長崎世界平和巡礼団、国連ウ・タント事務総長に,国連が原爆被災者の実態を調査し,その結果を世界に知らせるよう要望. |
| 06 | 11 | 平和巡礼団、ウ・タント国連事務総長と会見。国連放射能科学研究所が原爆の影響を研究するよう要望。 |
| 06 | 26 | 広島・長崎世界平和巡礼団、モスクワに到着。 |
| 07 | 04 | 広島・長崎世界平和巡礼団帰国。ナホトカから横浜ヘ。米、ソ、ヨーロッパなど8カ国150都市訪問。松本卓夫団長「広島・長崎の名はよく知られているが、後遺症などの実態はほとんどわかっていない。被爆者の生の声は〃生き証人〃として大きな感動を与えた」 |
| 07 | 05 | 広島・長崎世界平和巡礼団、広島に帰る。6日、広島平和記念館で帰国報告会。 |
| 07 | 06 | 平和巡礼団の広島市民への帰国報告集会。 |
| 07 | 33 | 談和会、7月例会.庄野直美,平和巡礼の報告をおこない,原爆被害者の調査を国際的規模で実施することの重要性を提案. |
| 1965年 | ||
| 05 | 04 | 世界平和巡礼団(広島・長崎の被爆者グループ)、「米はベトナムから撤退せよ」とジョンソン大統領へ抗議文送る。 |
| 05 | 17 | 広島・長崎平和研究会(1964年春、欧米各国を回った平和巡礼団関係者で組織、庄野直美幹事長)、周恩来中国首相に核実験反対の抗議文送る。 |
| 07 | 19 | 広島・長崎世界平和巡礼団、ジョンソン米大統領へ送ったベトナム戦争にかんするの要望書への返書を受け取る。「核兵器の使用は現段階では軍事的必要がない」 |
止
フェニックス広島号の冒険
関係資料
| 年月日 | |
| 1961 | |
| 1010 | 中国新聞連載「フェニックス広島号の冒険(第1部)」(77回) |
| 1958 | |
| 0407 不吉な静けさ ハワイ島ヒロ港 | |
| 0502 海に立つ壁 ハワイ、ホノルルにて | |
| 0610 放射能図書室 | |
| 0625 日本時間の中で | |
| 0708 長い一日 | |
| 0711 保釈中の推理 | |
| 0802 ヒロシマの日前後 | |
| 0813 試練のうしお | |
| 0923 名弁護士きたる | |
| 0926 科学も”告発”する | |
| 0928 打ちひしがれた時に | |
| 1010 ここもゆれ動く世界 | |
| 19620108 | 中国新聞連載「フェニックス広島号の冒険」(57回) |
| 1959 | |
| 0101 地球会社の経営陣 | |
| 0326 行為と無為 | |
| 07 広島大会は赤か | |
| 0821 けわしい最新の道 | |
| 0828 故意と善意 | |
| 0920 青年に期待 | |
| 1104 国策批判の声 | |
| 1960 | |
| 0201 平和都市の内情 | |
| 0301 アメリカの自由 | |
| 0220 エピローグ | |
![]() |
|
| 196105 | The Forbidden Voyages |
| 19620101 | All in the same boat : an American family’s adventures on a voyage around the world in the yacht Phoenix |
| by Earle and Barbara Reynolds David McKay | |
| 1 | THE RISE OF THE PHOENIX 1 “Between a dream and a deed lie the doldrums.” |
| 2 | PREPARATIONS FOR A VOYAGE 20 “Cruising is walking,talking,buying,scrounging … but cruising is also sailing.” |
| 3 | FROM JAPAN TO HONOLULU 39 “The long shakedown … a seven-week course in How to Sail.” |
| 4 | ON TO THE SOUTH PACIFIC: FROM HAWAII TO TAHITI 61 “Banzail Banzai! Banzai!” |
| 5 | TAHITI AND THE ISLANDS UNDER THE WIND 81 “Money? What I do with money?” |
| 6 | WESTWARD THROUGH THE SOUTH SEAS: RAROTONGA, SAMOA, FIJI 100 “A broad reach, a quiet sea, a full moon …” |
| 7 | DOWN UNDER: NEW ZEALAND AND AUSTRALIA 115 “Ah-h-h, yes-s-sl …” |
| 8 | AND BACK UP: THE GREAT BARRIER REEF 133 “Better men than we had come to grief …” |
| 9 | INTO INDONESIA: THURSDAY ISLAND TO BALI 151 “Our life at sea was teaching us …” |
| 10 | BALI, JAVA, THE KEELING-COCOS 169 “A sense of uneasy anticipation …” |
| 11 | ACROSS THE INDIAN OCEAN: COCOS TO DURBAN 189 “You have seen people of all sorts. Makes my mouth water …” |
| 12 | SOUTH AFRICA: BEAUTIFUL, UNHAPPY LAND 207 “What will you do when that day comes?” |
| 13 | ACROSS THE ATLANTIC THE LONG WAY: CAPE TOWN TO NEW YORK CITY 225 “Beautiful night, new moon, slow progress, who cares?” |
| 14 | EVERY KIND OF CRUISING: NEW YORK TO PANAMA, BY THE CORKSCREW ROUTE 247 “A man must stand up for what he believes.” |
| 15 | GALAPAGOS: HOME OF THE LAST PIONEERS 267 “Those delicate souls whose coffee must be just so …” |
| 16 | BACK TO HAWAII 286 “How come change ya mind?” |
| 17 | THE LAST LEG: HONOLULU TO HIROSHIMA 297 “Of course, there were a couple of incidents.” |
| INDEX 305 | |
| 19611010 | 中国新聞連載「フェニックス広島号の冒険(第1部)」(77回)(「ヒロシマ巡礼」) |
| 19620108 | 中国新聞連載「フェニックス広島号の冒険」(57回)(「ヒロシマ巡礼」) |
止
広島・アウシュビッツ-平和行進ニュース No.1~5
| No. | ||
| 1 | ||
| 趣意書・地図/団の結成過程及び行動経過の概要/行進団行動予定/官庁との交渉過程 付日誌/国内行進経過報告/国内・国外支持者及び支持団体名簿 | ||
| 2 | 編集発行:広島・アウシュビッツ-平和行進平和行進団事務局、19620601 | |
| 1はじめに/ | ||
| 2ホンコンからサイゴンへ///// | ||
![]() |
||
| 3 | 編集発行:広島・アウシュビッツ-平和行進平和行進団事務局、19620726 | |
| 4 | 編集発行:広島・アウシュビッツ-平和行進平和行進団事務局、19621005 | |
| 5 | 編集発行:広島・アウシュビッツ-平和行進平和行進団事務局、19630213 | |
| 1はじめに | ||
| 2西パキスタンから | ||
| 12『特報』ワルシアワにて[アウシュビッツ解放18周年記念集会にさんか] | ||
| 13行進団のポーランド入りを聞きて | ||
| 14あとがき | ||
止
沖縄在住被爆者訴訟に対する国の答弁書(抄)
1965年12月1日
被告の主張
原告らは、本件訴訟において原爆医療法14条に基づいて医療費の支給を請求されるが、同法は、沖縄および沖縄に居住するその住民に適用されていないから、原告らは同法に基づく請求権を有しない。
以下その理由を説明するとともに、併せて沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して日本国政府のとっている救済措置の概略にもふれることにする。
1.沖縄および沖縄住民の地位
日本国との平和条約3条によれば、沖縄を国際連合の信託統治制度のもとにおく提案が可決せられるまで、合衆国は、沖縄の領域及ぴ住民に対して、行政立法及び司法上の権力を行使する権利を有する趣旨が定められている。この結果、沖縄は、依然日本国の領域に留まり、その住民は、日本国民ではあるが、これらの地域および住民に対しては合衆国が施政権を行使することとなった。従って、日本国は、潜在主権を有するにすぎず、これらの地域および住民は、日本国の施政権の行使の対象から外されるに至ったのである。
2、原爆医療法は、沖縄に居住する沖縄住民に通用されない。
沖縄は上に述べたように日本国に潜在主権はありながらその施政権は合衆国に属するという特殊の地位にある地域であるため、わが国の法律が沖繩に居住する沖繩住民に適用されるか否かは、それぞれの法律の定める内容に応じて決定されなければならない。
そして法律のうちには、当該住民の居住地におけるわが国の施政権の存在を必ずしも前提としていないと認められる内容のもの(たとえば、国籍法など)については、反対の明文の規定のない限り沖縄に居住する沖繩住民にも適用があるといえようが、他方、そのような内容の法律ではなくわが国の施政権の存在を前提とする事項を定めるような法律(特に行政関係法規)については、当該法律が特に沖縄住民にも適用する趣旨で制定されたもの(たとえば、戦傷病者戦没者遺族援護法など)でない限りその適用がないものと解さざるを得ないのである。ただし、平和条約3条により沖縄及びその住民に対する行政、立法及ぴ司法の権力、つまり施政権は合衆国に属し、日本国はこれを有しないことと定められているのであるから、日本国の法律は、沖繩に対する施政権を前提としない性質のものであるか或いは特に沖縄住民に通用を及ぼす趣旨で制定されたものでない限り、その適用を否定せざるを得ないことは当然のことだからである。
しこうして原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下原爆医療法という)には特に沖縄居住する沖繩住民にも適用する旨の規定がなく、また規定の趣旨、体裁からしても上のような趣旨で制定されたものと解することはできないのである。かえって同法は、日本国の施政権の及ぶ地域に居住する者に対してのみ適用する法律(属地法)であると考えるべきである。即ち、原爆医療法は、広島市および長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が施政権の及ぶ地域内に居住する「被爆者」に対し健建康診断、それに基づく指導および医療を行なうことにより、その健康の保持および向上をはかりもって日本国の施政権の及ぶ地域内に成立している地域社会の福祉の維持、増進を目的とする社会保障法であるというべきである。
以上のことは
① 同法が居住地もしくは現在地の都道府県知事に申請して、被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」(同法2条3条1項)のみを健康管理および医療の対象としていること。従って、日本国の施政権の及ぶ地域内に居住もしくは現在しない者は、同法にいう「被爆者」になり得ないこと。
② 同法は、「被爆者」に対する医療給付とともに都道府県知事の毎年行なう健康診断およびその結果に基づく指導等被爆者の健康管理の措置を定めているのであるが(同法4条、6条、7条)、これら都道府県知事の行なう健康診断および指導は、日本国の施政権の及ぶ地域に居住もしくは現在する者に対してのみ行なうことが可能であること。
③ 同法は、前記の如き諸権限を直接都道府県事の権限と規定しているほか、厚生大臣の権限と定めているものについても都道府県知事にのみ委任することができる旨規定し(同法21条)、その他の者(たとえば琉球政府の当局)に委任することは認めていない。従って、たとえば、医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷または疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けることを要することになっているが(同法8条)、これもいうまでもなく日本国の施政権の及ぶ地域に居住もしくは現在する者にしてはじめてなし得ることである。
等よりみても明らかであると考える。
以上述べたとおり、原爆医療法は、沖縄に居住する沖繩住民には適用されないのであるから、原告らは、同法に基づく健康管理および医療を受け得ず、従って本件医療費の支給の請求権を有しないものといわねばならない。
3、原告らは、具体的医療費請求権を有しない。
原告らは、本件訴訟において被告に対して直接医療費の支払いを請求されているが、原告らが原爆医療法に基づく健康管理および医療を受けるか否かの点はしばらく措くとしても、原告らは、いまだ右金員の支払いを求める権利を有しない。即ち、原爆医療法による医療費請求権は、同法2条により被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」が、同法8条の定めるところにより当該負傷又は疾病が原子爆弾の復害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受け、しかも、緊急その他やむを得ない理由により指定医療関係以外の者から同法7条2項各号に規定する医療を受けた場合において、所定の手続により医療費の支給を請求し、厚生大臣が必要があると認めて支給決定処分をしてはじめて具体的な金銭債権として発生するものであって、かような手続を経る以前においては、「被爆者」といえども直接被告に対して医療費の支払いを請求する権利を有しないのである。原告らは、本件請求に依る受療当時はいずれも被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」ではなく、まだ当然当該負傷又は疾病につき同法8条の厚生大臣の認定を受けておらず、従ってまた厚生大臣の医療費の支給決定を受けていないのである から、被告に対して直接医療費の支払いを求める原告らの本訴請求は、この点においても失当といわなければならない。
4、沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して日本国政府のとっている救済措置
以上は、原爆医療法の解釈について述ぺたのであるが、日本国政府としては、沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して原爆医療法に基づく健康管理及び医療を受け得ないからといって、そのまま放置して無駄に過ごしてきたわけではない。即ち、日本国政府は、昭和39年1月沖縄住民から原子爆弾被爆者救援の要請もあったので、爾来外務省を通じて合衆国政府と折衝を続けたところ、昭和40年4月5日日本国政府総理府特別地域連絡局長、同厚生省公衆衛生局長および米国民政府の承認を受けた琉球政府校正局長との間に沖縄在住原爆被爆者の医療問題に関する了解覚書が成立した。この了解は、沖縄住民であって日本本土に居住するならば、原爆医療法による給付を受ける資格のある者(以下申請者という)の要請に応ずるためになされたものであって、大要次の如きものである。
① 日本国政府が沖縄に対して行なう毎年の技術援助計画の一部として、日本国政府は、適当な人数の医療専門家である医師および補助員を派遣し、申請者の充分な医学的調査を実施する。
② 申請者が日本国政府、琉球政府間の協議により原爆医療法に定める「被爆者」である旨決定され、かつ、医学的調査の結果同法の適用地域において同法7条1項の適用を受けうる者であるときは、その者を必要な治療を受けさせるための患者として日本本土に送る。
③ 日本国政府は、患者が送られるぺき医療施設を決定し、同法に規定されている入院加療を含む必要な医療を供給し、患者に対する医療費および必要な医療手当を支給する。そして各医療手当等は、日本本土に居住する患者に与えられるものを下回らないものとする。
④ 日本国政府は、右患者の沖縄、日本本土間の往復の旅費を支給する。
日本国政府は、右了解覚書に基づいて、昭和40年3月30日から4月29日までの間沖縄において行った原子爆弾被爆者に対する医学的調査の結果に基づき、原爆医療法7条1項に該当する患者に相当するものと認められた13名のうち、本土で治療を希望する原告丸茂つる、同謝花良順を含む11名の患者を日本本土の病院で治療することになり、同人らは、同年9月26日広島または長崎原爆病院に収容されたが、これらの者のうち7名は、すでに軽快および治癒退院し、現在4名が入院加療中である。
また、日本国政府は、右措置に加えて、さらに沖縄に居住する原子爆弾被爆者全員を対象として日本本土の「被爆者」に対すると同様の取扱いが沖縄においてもなされるようその具体的手続、方法等について目下米国民政府及び琉球政府と協議を行なっており、合意が得られ次第実施に移す予定である。
出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)
原爆被爆者援護強化に関する決議
衆議院会議録第21号 1964年4月3日
原爆被爆者援護強化に関する決議
広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者、死亡者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。
原爆被爆者に関する制度としては、昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、被爆者の健康管理及び医療措置が行なわれているが、原爆被害者に対する施策としては、なお十分とは認めがたい。
よって政府は、すみやかにその援護措置を拡充強化し、もって生活の安定を図るよう努めるべきである。
右決議する。
提出者趣旨弁明(松山千恵子)
御承知のとおり、昭和20年8月、広島、長崎に投下されました原子爆弾は、両市民のうち約10万人を死に至らしめ、行くえ不明その他重軽傷者約8万人、罹災した者20数万人を数え、生存者においても、白血病、原爆性ケロイド等の特異な症状にさいなまれ、今日なおこれに起因する死亡者があとを断たないところであります。
この対策としては、昭和29年より3カ年間、これが治療方策を確立するため、予算を計上して治療方法の調査研究が行なわれ、その結果に基づき、昭和32年3月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、被爆者の医療並びに健康管理を中心に、その施策が進められてきたところであります。その後、被爆者の実情並びにわが国経済力の成長と相まって、その援護についても、年々強化をはかり、39年には特別被爆者制度を設けて、健康障害の可能性の強い特定の被爆者については、ほとんどすべての医療を公費をもって行なうこととするとともに、原爆症の治療を受けている者に医療手当を支給することとし、さらに2回にわたって特別被爆者の範囲を拡大する等、数次にわたって改善が重ねられました。今日まで30数億円の国家予算により、26万人に及ぶ被爆者の把握、延べ65万人の健康診断の実施、15万人の特別被爆者の登録、約5000人の原爆症患者の治療等が行なわれており、昭和39年度においては、これら被爆者援護のため、13億円の予算が計上され、その対策が推進されるところでありまして、被爆者のために、いささか心の安らぐものがあるのでございます。
しかしながら、原爆被爆者が今日なお置かれている特別な状態に対応する援護措置は必ずしも十分とは言いがたく、より一そうの健康管理並びに医療の強化はもとより、就職、結婚等における原爆被爆者の社会的遊離の解消等に対しては、医学上の正しい見解に立脚して、この問題の打開につとめることが必要であり、また、被爆者の老齢化等、今日における被爆者のさらに正確な現状の把握につとめ、実情に即した援護措置を強化することが、今後に残された問題であります。
政府は、今後、健康管理、医療の徹底を期するとともに、日常生活における被爆者の不安の解消、社会的理解の増進等に努力し、また、各種福祉制度の十分な活用をはかり、もって被爆者 を心身両面においてあたたかく援護し、その生活の安定に役立つようつとめられたい。これが本決議案の提案趣旨であります。何とぞ各位の御賛同をお願い申し上げます。
討論(河野正)
私は、自由民主党、日本社会党並びに民主社会党3党を代表いたしまして、ただいま提案せられました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成の討論を行なわんとするものであります。
思えば昭和20年8月、広島、長崎両市に投ぜられた原子爆弾は、両市民の大半のとうとい生命を奪い、また、その被爆者の数は実に29万余に及んだのであります。わが国医学史上かって経験をせざる特異な障害を残し、その惨状は全く筆舌に尽くしがたく、今世紀最大の悲惨事であったのであります。
御承知のごとく、原子爆弾による障害は全く特異的なもので、特に熱風、爆風、放射能障害は、肉体的にも精神的にもきわめて深刻なものがございます。すなわち、外部障害者は、幾度かの手術も効果なく、ケロイドは暑さ寒さに耐えがたき疼痛を覚え、人間としての気力を失い、醜い自分の姿に人生の希望を失いつつあるのであります。また、放射能による血液疾患に対しましては、医学上いまだ完全な治療方法が発見されず、遠い海外からの慰問や激励にもかかわらず、千羽ツルの塔の悲願もむなしく、毎年数十人が死亡している現状であります。さきにも申し述べたごとく、その被害の深刻さは、外部障害者より一そう悲惨なものであります。
しかるに、投爆後20年をけみした今日も、なお30万に近い被爆者は、ある者はその苦痛に呻吟し、ある者は死の恐怖におびえ、またその家族は常に不安にかられているのであります。中でも、身寄りをなくした60歳以上の原爆孤老のみじめな姿は言語に絶するものがあるといわれております。もちろん、今日、広島、長崎両市に投下された原子爆弾の被爆者に対し、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律によりまして、その健康の保持及び向上がはかられてはいるのでありますが、医療手当をはじめとし、その実態はまことに微々たるもので、全く不十分なものと断ぜざるを得ないのであります。同時に、それらの被爆者に肝要である生活保障の面が等閑に付されていることは、まことに心外に存ずるものであります。
昭和38年12月7日の東京地方裁判所におきます広島、長崎原爆判決は、その判決文の中で、広島、長崎に対する原爆投下は国際法に違反するものと断定し、さらに判決文は、国家は、みずからの権限とみずからの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ、しかも、その被害の甚大さはとうてい一般災害の比ではない、したがって、国家が十分な救済策を講ずべきであると指摘いたしておるのであります。さらに、高度の経済成長を遂げたわが国において、国家財政上、これが不可能であるとはとうてい考えられない点も強調いたしておるのであります。
かくのごとく、原爆被爆者援護の問題は、単に長崎、広島という特定地区の問題でなく、原水爆禁止問題とともに、国民すべての重大問題なりと確信いたすものであります。
戦後20年の歳月をけみした今日、農地補償や在外補償等が終戦処理の一環として論及される中で、いまなお人道上放置することのできない原爆被害者に対する十分な施策が実現されなかったことをわれわれは心から遺憾に感じておったのであります。しかるに、本日、ここに決議案が上程されましたことは、まことに喜ばしく存ずるのであります。
特に、この際、今日までの医療法が援護法として、東京裁判にもあるごとく、高度成長経済にふさわしい原爆被害者全般に対する補償、救済措置が一日もすみやかに実現されることを強く要望いたしますと同時に、当面医療手当の増額、制限の撤廃あるいは特別被爆者の範囲制限の撤廃拡大、さらに、医師の認める被爆者のための精密検査施設の設立あるいは被爆者の医療の裏づけとなります生活保障、同時に、治療あるいは保養に際しての鉄道運賃等の減免制度の確立、不幸死没者に対しましては弔慰金、葬祭料の支給、さらに死没者の遺家族の生活の実態を十分調査し、援護対策を樹立するための原爆被害者対策審議会の設立等、直ちに制度化されることの緊要たることを重ねて主張し、本決議案に賛成の意を表するものであります。何とぞ諸君の絶大なる御賛同を心からお願い申し上げるものであります。
原爆被爆者援護強化に関する決議
参議院会議録第13号 1964年3月27日
原爆被爆者援護強化に関する決議
広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。
原爆被爆者に関する制度としては、すでに昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定せられ、被爆者の健康管理及び医療の措置が進められているところであるが、被爆者の置かれている状況にかんがみ、政府は、すみやかにその援護措置を改善し、もって生活の安定に役立つよう努めるべきである。
右決議する。
発議者代表提案趣旨説明(藤野繁雄)
原子爆弾が残した放射能障害は、一生その人々につきまとい、これがため、白血病、貧血症等の発病の不安に常時おののきながら勤労しなければならないことが、被爆者のすべてに通ずる社会的活動におけるマイナスとなっているのであります。さらに被爆者のうちには、あるいは原爆熱線による、みにくいケロイドの痛ましい傷痕のゆえに、悲歎にくれている人々があります。あるいは放射能に起因する白血病、肺臓、肝臓その他のガン、白血球減少症、悪性貧血症等にさいなまれて、病床に呻吟している人たちがあります。また、原爆おとめのみならず、外形上何らの傷を持たないおとめの中にも、結婚を敬遠されている若い女性群があるのであります。そして、これらの原爆症による死亡や精神的不安に基づく厭世観による自殺者が相次いでいるという現実を、われわれは忘れてはならないと考えるのであります。
これらの悲しむべき不幸の原因が、当時予測もできなかった悲惨な原子爆弾の被爆に基づくものであることにがんがみ、昭和32年4月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、主として原爆症を中心とした医療について特別措置がなされたのであります。しかし、近時、わが国の経済力回復に伴って、戦争犠牲者に対する救済の立法が次々となされております。さらに今国会には、旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案が提案されております。このような戦後処理の措置が次々と講じられつつある情勢にかんがみまして、原爆被爆者に対する措置も、その健康面及び精神面の特殊な状態に適応すべく一そうの拡充がはかられるべきであると考えるのであります。
この趣旨を実現するためには、まず第一に、被爆者に対する健康管理の徹底が期せられるべきであります。そのためには、新たに被爆者ドックを設けて、現在の健康診断のほかに、徹底的な精密検査をも実施し、それに基づいて健康維持上必要な指示指導がなさるべきであります。さらに健康診断の受診に伴い、被爆者には、日本国有鉄道を無料で乗車することができるよう措置することが望ましいのであります。次に、発病の不安におののき、焦燥にかられている被爆者は、全身倦怠、疲労感を覚え、常人のような勤労に従事することは不可能でありますので、絶えず休養をとり、かつ栄養補給をしながら勤労する以外に道はないのでありますから、これらの被爆者に対しても特別な手当を考慮さるるべきであります。なお、現在実施されております医療の充実のために、原爆症患者完全収容病棟の建設、原爆放射能医学研究所の拡充、医療内容の充実及び医療手当の増額と支給条件の緩和をはかるほか、特別被爆者の範囲を拡大して、爆心地より3キロから4キロ以内にあった者及び原爆投下の直後の救護整理にあたり、強烈な第2次放射能を受けた者を加うることについても、考慮が払わるべきでありま す。次に、被爆者の福祉の向上につきましては、広島平和記念都市建設法及び長崎国際文化都市建設法があるにもかかわらず、いまなお、公園、緑地等に数千戸のバラック住宅が残されておるので、その解消につき、また、原爆孤老のための被爆者老人ホームの建設につき、さらに被爆者福祉センター、被爆者レクリエーション・センターの建設、被爆者相談所の設置等が緊急の措置として必要と考えられます。その他、被爆者に身寄りの少ない者が多い実情にかんがみ、原爆による死亡者に対する弔慰の道を講ずることも必要かと考えられるのであります。以上がこの決議案の趣旨でありますが、政府においては、今後も医療の進歩等事態の推移に応じて、決議を待たずとも、逐次検討を加え、一そうの改善をはかる心がまえを切に要望いたしたいと存ずるものであります。私は、ここまで提案の趣旨を説明してまいりますと、長崎に原爆が投下されました当日、長崎におりまして、九死に一生を得、また、多数の肉親と知己を失い、その惨状をよく承知しておりますから、私は、ことばで言いあらわすことのできない当時の悲惨な状況が、ありありと私の目の前にあらわれてまいりました。何とぞ各位の御賛同 をお願い申し上げる次第であります。
賛成討論(藤田進)
私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になりました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成いたすものであります。わが党は、原爆投下以後、終戦以来、原爆被爆者に対する援護についていろいろ努力をしてまいりました。この間、いわゆる原爆医療法が制定せられてまいりましたが、これとても満足すべきものでございませんので、特に最近本院における院議として決議をし、政府において善処されるべく、特に、当院議院連営委員会、なかんずく議運委員長はじめ理事会においていろいろ折衝をしていただきました。また、関係社会労働委員会におきましても、委員長ほか皆さんの熱心な御折衝をいただいたのであります。その間紆余曲折をいたしまして、私ども特に提案者同様、原爆被爆地出身者といたしましても、非常に心配をいたしておりました。幸いに、その第一歩を画します本院の意思として、ここに決議が日の目を見ようといたしております点、努力していただきました各会派皆さんに対して、まず深く敬意を表し、お礼を申し上げたいと思います。かかる事情に徴しましても、政府は、即刻これが提案にございましたような事例を含めた、立法的、予算的措置を講じていた だきたいと思うのであります。顧みますと、昭和20年8月、広島市及び長崎市に投ぜられました原子爆弾による被害は、今世紀最大の悲惨事でありまして、わが国医学史上かつて経験せざるものであったことは、いまさら申し上げるまでもございません。運命の両市におきまして、この原子爆弾の犠牲に供せられた被害者の数というものは、原爆投下のその日に市民の半分が即死いたしております。あるいはまた、残りの約3割5分というものは、100日を出でないうちに、その後、命を失っているのであります。また、爆心地から4キロ半径以内におりました者はもちろんのこと、爆発から2週間以内に焦土に足を踏み入れたというだけで、ことごとく第二次放射能の影響を受けたのでありますが、その数は実に30万人と数えられております。18年余を経た今日もなお、放射能による特異な障害が残され、あるいは障害の苦痛に呻吟し、また、死の恐怖におびえているという、きわめて重大なる状況を呈しております。中には困窮の生活に当面をいたしまして、日々まことに不安な生活を送っているという気の毒な実情にあるのであります。このことは、すでに18年をけみしておりますために、単に原 爆といえば、広島、長崎に限定されるような印象を受けますけれども、私の調査では、日本全土に普遍的にこれら被爆者は在住している事実があるのであります。
あの忌まわしい、のろわれた日から今日まで、いまなお白血病やガンなどによる死亡者が絶えず、放射能による血液疾患に対する完全な治療方法が発見されず、その被害の深刻さは、まことに凄惨なものがあるのであります。これは、人道上からもとうていこのまま放置することができないのでありまして、30万人余の被爆死亡者と、さらに30万人余の被爆者及び遺族に対する補償救援の諸政策を確立をいたしますことは、世界ただ一つの被爆国として当然の責務といわなければなりません。
特に、指摘いたしたいことは、昨年の12月7日、東京地方裁判所の判決は、広島、長崎における原爆投下が、「国際法からみて違法な戦闘行為である」と解し、「戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるが、現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、この程度のものでは、とうてい原子爆弾による被害者に対する救済救援にならないことは、明らかである。」と判示いたしまして、「原爆被害者全般に対する救済策を講ずることは、立法府である国会及び行政府である内閣において果さなければならない職責である。」と結んでいるのであります。
人類の歴史始まって以来の大規模かつ強力な破壊力を持ちます原子爆弾の投下によって、今日もなおその影響が存続し、被爆者の置かれている現状を見るならば、心から同情の念を抱かないものはないはずであります。今日、終戦後18年余を経て、高度の経済成長を遂げたわが国において、原爆被爆者に対する救援対策が、わずかに限られた医療給付に尽きるということは、政治の貧困を言われてもやむを得ないところであります。放射能による特殊性を認められた、いわゆる原爆症の医療目的を達するためには、国の責任による社会保障が不可欠であるばかりでなく、今日、公務、すなわち軍人軍属あるいは戦犯や引き揚げ者に対する社会立法との均衡から見ましても、被爆者の家族及び遺族に対する国家的援護は当然であると言わなければなりません。この際、私は、このような悲惨な原爆被爆者を将来一人もつくらないということを念願いたしますと同時に、すみやかに現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の内容を改善するということが一つ、さらに原子爆弾被爆者援護法の制定についても、具体的な施策を講ずべきであると信ずる次第であります。