『グラフひろしま』(広島市役所秘書室広報課)
目次(抄)
NO. |
発行年月日 |
記事 |
01 |
19731001 |
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56 |
19930331 |
ひろしま昭和ヘソ時代 みんなが残した路地裏グラフィティ<1952~1962> |
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61 |
19951201 |
変わらない約束 被爆50周年記念号 |
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今後、すべての色の花が、おだやかな風に吹かれますように。~ダグラス・グラハム~ 1
天地いっぱい、緑のゆりかご 2
未来の記憶の中へ 4
忘れかけの街で 6
風化しないように、子どもたちヘヒロシマを託す 7
風景の途上にて 8
故郷のうたを聴きながら 10
八月六日午前四時。いとおしい夜明け 12
Hiroshima:8:15a.m.August6,1995 平和宣言(全文) 14
Midnight-8:00p.m.August6,1995 回復する時間 16
遠い先のまだまだ先へ。8:00p.m.August6,1995 18
まなざしがくれたもの。●8.6ヒロシマ発のメッセージ● 20
あしたの夢を掘る。 22
百万人の大ピース。1995.8.2ピース・ワールド・イン広島’95 24
ボクら平和と隣組。1995.8.1~2こども平和のつどい 26
21世紀と話をしよう。 28
広島市被爆50周年記念事業 30
変わらない約束「ヒロシマ」 32 |
63 |
199610 |
ボランティア特集 |
64 |
199612 |
特集・ひろしま国体 おりづる大会ひろしま |
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71 |
19991001 |
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『世界写真家平和シンポジウム・写真展報告書 核の半世紀―目撃者は語る』(広島平和文化センター、19941216)
目次
頁 |
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発刊に当たって |
平岡敬(広島市長、財団法人広島平和文化センター会長) |
001 |
出席者のプロフィール |
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003 |
全体スケジュール |
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004 |
写真展の概要 |
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005 |
原爆被害概況説明の概要 |
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007 |
宇吹暁 |
原爆の社会的影響 |
011 |
練石和男 |
医学的影響「原爆放射線の健康影響」 |
013 |
山岡ミチコ |
被爆者の証言「米国で27回の手術を受ける」 |
018 |
高橋昭博 |
被爆者の証言「私の被爆体験とヒロシマの心」 |
022 |
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世界写真家平和シンポジウムの概要 |
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1 日時 |
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2 会場 |
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3 テーマ |
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4 内容 |
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5 主催 |
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6 協力 |
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7 後援 |
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8 参考 |
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023 |
平岡敬 |
開会あいさつ |
024 |
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シンポジウムの発言内容 |
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勝部領樹 |
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025 |
ジョー・オダネル |
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028 |
ユーリ・イワノビッチ・クイディン |
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30 |
勝部 |
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30 |
キャロル・ギャラガー |
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32 |
勝部 |
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33 |
ロバート・デルトレダシー |
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35 |
勝部 |
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35 |
アンドレアス・ロベ |
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37 |
勝部 |
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37 |
大石芳野 |
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53 |
プロフィール |
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098 |
写真展における展示写真 |
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109 |
新聞記事[原文] |
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ひろしま復興・平和構築研究事業成果発表会
【日時】2014年10月11日(土)13:30~16:40
【会場】広島県情報プラザ 地下2階 多目的ホール
【主催】国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会
プログラム
1 開会あいさつ
2 発表
≪第1部≫ 13:35~15:00 |
講師 |
内 容 |
安藤福平(元広島県立文書館副館長) |
第1章「近代化の中の広島」
第2章「戦争と広島,原爆投下の衝撃」~新史料紹介:高野源進書簡と船舶司令部作命綴~ |
石丸紀興(㈱広島諸事・地域再生研究所代表 ) |
第3章「復興計画」
第4章「広島平和記念都市建設法」
第5章「再開発をめぐる諸問題」~広島の都市復興は何を語るか~ |
伊藤敏安(広島大学地域経済システム研究センター長[教授]) |
第6章「産業経済の再建」~なぜ予想より順調であつたか~ |
千田武志(元広島国際大学教授,呉市参与(呉市史編さん担当)) |
第7章「保健・医療の充実と被爆者支援」 |
≪第2部≫ 15:10~16:40 |
講師 |
内容 |
宇吹暁(元広島女学院大学教授) |
第9章I「平和行政」,Ⅱ「平和運動」~平和記念式典の歩みを中心に~ |
卜部匡司(広島市立大学国際学部准教授) |
第9章Ⅲ「平和教育」~ヒロシマの復興と戦後の教育~ |
川野徳幸(広島大学平和科学研究センター教授) |
第9章Ⅳ「原爆体験と原爆被爆者の平和観」~原爆体験と被爆者のメッセージ~ |
水本和実(広島市立大学広島平和研究所副所長[教授1) |
まとめ 「広島の復興が持つ意味,広島の復興経験をどう生かすか」 |
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質疑応答
≪休 憩≫ 15:00~15:10
≪第2部≫ 15:10~16:40
講師 内 容
宇吹暁氏 元広島女学院大学教授 第9章I「平和行政」,Ⅱ「平和運動」 ~平和記念式典の歩みを中心に~
卜部 匡司氏 広島市立大学国際学部准教授 第9章Ⅲ「平和教育」 ~ヒロシマの復興と戦後の教育~
川野 徳幸氏 広島大学平和科学研究センター教授 第9章Ⅳ「原爆体験と原爆被爆者の平和観」 ~原爆体験と被爆者のメッセージ~
水本 和実氏 広島市立大学広島平和研究所副所長[教授1 まとめ 「広島の復興が持つ意味, 広島の復興経験をどう生かすか」
質疑応答
3 閉
『広島の復興経験を生かすために―廃墟からの再生- ひろしま復興・平和構築研究事業報告書 』(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会(広島県・広島市)、20140331 )
目次
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タイトル |
著者 |
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発刊にあたって |
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湯崎英彦(広島県知事)・松井一実 (広島市長) |
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執筆者等一覧 |
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プロローグ:「広島の復興」が持つ意味 |
水本和実 |
Ⅰ |
なぜいま広島の復興が注目されるのか |
|
Ⅱ |
広島の復興とは |
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Ⅲ |
本書の構成 |
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Ⅳ |
おわりに |
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Ⅰ部 |
戦争と破壊 |
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第1章 |
近代化の中の広島 |
安藤福平 |
Ⅰ |
城下町から近代都市へ |
|
Ⅱ |
地方拠点都市へ |
|
コラム |
広島のシンボル、原爆ドーム |
|
|
菊楽忍・永井均 |
第2章 |
戦争と広島、原爆投下の衝撃 |
安藤福平 |
Ⅰ |
軍都広島の歩み |
|
Ⅱ |
原爆投下 |
|
コラム |
高野源信書簡 原爆投下前後の広島県知事の思い |
安藤福平 |
Ⅱ部 |
都市の復興 |
|
第3章 |
復興計画 |
石丸紀興 |
Ⅰ |
政府の戦災復興計画 |
|
Ⅱ |
広島復興建設計画 |
|
Ⅲ |
まとめにかえて |
|
コラム |
差し伸べられた手―海外からの復興支援 |
永井均 |
第4章 |
広島平和記念都市建設法 |
石丸紀興 |
Ⅰ |
広島平和記念都市建設法の制定過程とその内容 |
|
Ⅱ |
広島平和記念都市建設法制定による平和記念都市建設計画への展開 |
|
Ⅲ |
平和記念都市建設計画の事業化と効果 |
|
Ⅳ |
まとめにかえて |
|
コラム |
広島平和記念資料館の使命 |
|
|
大瀬戸正司・永井均 |
第5章 |
再開発をめぐる諸問題 |
石丸紀興 |
Ⅰ |
不法建築の系譜 |
|
Ⅱ |
河岸での不法建築の発生と河岸緑地の形成 |
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Ⅲ |
基町と住宅建設 |
|
Ⅳ |
基町再開発への道 |
|
コラム |
基町、激変の都市空間を探訪する |
|
|
高野和彦・永井均 |
Ⅲ部 |
復興する広島と市民の暮らし |
|
第6章 |
産業経済の再建 |
伊藤敏安 |
Ⅰ |
戦時中から終戦直後 |
|
Ⅱ |
高度経済成長期 |
|
コラム |
爆心地で路面電車が動き出す |
加藤一孝 |
第7章 |
保健・医療の充実と被爆者支援 |
千田武志 |
Ⅰ |
昭和20年代の保健・医療の状況 |
|
Ⅱ |
戦後広島の保健・医療の推移 |
|
Ⅲ |
公的医療機関の動向 |
|
Ⅳ |
被爆者医療の実態と展開 |
|
コラム |
医師たちの奮闘―未曾有の惨劇に立ち向かう |
永井均 |
第8章 |
メディアと復興 |
|
Ⅰ |
『中国新聞』の戦前と原爆被災 |
小池聖一 |
Ⅱ |
原爆報道 |
西本雅実 |
Ⅲ |
市民生活の再建と変遷 |
西本雅実 |
コラム |
広島カープ―市民の球団、復興の道標 |
永井均 |
Ⅳ部 |
新しいアイデンティティーを求めて |
|
第9章 |
平和を模索する都市 |
|
Ⅰ |
平和行政 |
宇吹暁 |
Ⅱ |
平和運動 |
宇吹暁 |
Ⅲ |
平和教育 |
卜部匡司 |
Ⅳ |
原爆体験と原爆被爆者の平和観 |
川野徳幸 |
コラム |
広島市長の平和宣言 |
水本和実 |
エピローグ 広島の復興経験をどう生かすか~未完の試みからのささやかな提言~ |
水本和実 |
Ⅰ |
広島の復興をたどってみて |
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Ⅱ |
おわりに 広島の復興をどう生かすか |
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執筆者等プロフィール |
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『広島の復興経験を生かすために―廃墟からの再生- 第2巻 ひろしま復興・平和構築研究事業報告書 』(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会(広島県・広島市)、20160331 )
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育現場の復興と、学校が地域の復興に果たした役割 ある爆心地の学校を中心に |
卜部匡司 |
原爆による医療の崩壊と戦後の再生 |
千田武志 |
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『広島の復興経験を生かすために―廃墟からの再生- 第3巻 ひろしま復興・平和構築研究事業報告書 』(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会(広島県・広島市)、20170331 )
原爆被災と行政 |
安藤福平 |
「原爆孤児」―語られざる軌跡 |
西本雅実 |
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『広島の復興経験を生かすために―廃墟からの再生- 第4巻 ひろしま復興・平和構築研究事業報告書 』(国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業実行委員会(広島県・広島市)、20180331 )
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被爆体験継承の課題:何を継承するのか |
川野徳幸 |
「広島の家」―国や人権を超えて寄せられた支援 |
落葉裕信 |
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広島県総務部地方課『特別調査一件』(1951年7・8月(平和祭関係))
広島県総務部地方課『特別調査一件』(1951年7・8月(平和祭関係)) |
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番号 |
件名 |
発元又は宛名 |
1 |
平和擁護運動並全面講和愛国運動の概況 |
|
2 |
広島平和擁護委員会の動向について |
特審調査部長宛 |
3 |
平和擁護運動について |
特審中国支局長宛 |
4 |
平和擁護委員会等の動向について |
特審調査部長宛 |
5 |
平和擁護委員会等の動向について |
特審調査部長宛 |
6 |
平和擁護委員会等の動向について |
復命書 |
7 |
平和擁護委員会等の動向について |
特審調査部長宛 |
8 |
広島平和祭に併う(共)主流派の平和講演会開催について |
特審調査部長宛 |
9 |
日共関係者の動行について |
安芸地方事務所発 |
10 |
団体動行調査について |
甲奴地方事務所発 |
11 |
平和芸能祭の状況について |
復命書 |
12 |
反戦同盟準備会について |
特審調査部長宛 |
13 |
平和祭をめぐる諸団体の動向について |
特審調査部長宛 |
14 |
全国平和会議の状況について |
特審調査部長宛 |
15 |
平和運動に関する資料送付について |
特審調査部長発 |
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広島県総務部地方課『特別調査一件』(1951年8月~12月) |
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番号 |
件名 |
発元又は宛名 |
1 |
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2 |
人形劇団クラルテ「人形劇教室」公演について |
特審調査部長宛 |
3 |
平和擁護委員会の届出について |
特審調査部長宛 |
4 |
平和擁護委員会の団体等規正令による届出の勧奨について |
平擁委会宛 |
5 |
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6 |
|
|
7 |
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|
8 |
|
|
9 |
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|
10 |
松本治一郎民主陣営復帰歓迎大会について |
特審調査部長宛 |
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『民政新報No.4』(民政新報社、19510910)[印刷・編集・発行人=小堺吉光] |
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|
『人間に光あれ 部落問題研究資料』(土岡喜代一著、民政新報社編集・発行) |
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11 |
日本社会党広島県連合会並びにこれと提携せる団体の動向について |
特審中国支局長宛 |
|
第6回国民体育大会際しての行幸啓に伴う広島自由労働者組合の動向について(報告) |
特審中国支局長宛 |
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(別記1)『天皇陛下に訴える』(広島自由労働者組合) |
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|
(別記2)『 』(広島の一貧乏人より) |
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(別記3)『ハズカシメを忘れるな 天皇から遠ざける市役所』(広島自由労働者組合) |
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(別紙4)『大砲かめしかNo.4』(日本共産党自由労働者細胞、19511101) |
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12 |
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13 |
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14 |
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15 |
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16 |
劇団「ぶどうの会」の公演状況について |
特審調査部長宛 |
17 |
県下における日雇自由労働組合の動向について |
特審調査部長宛 |
|
「(写し)抗議文 広島市長浜井信三・広島市議会議長秋田正之・市幹部40名・市議会議員あて」(広島日雇自由労働組合協議会・広島自由労働組合・広島日雇労働者労働組合・広島失業対策自由労働組合、19511220) |
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18 |
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19 |
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20 |
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21 |
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22 |
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23 |
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24 |
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25 |
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26 |
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27 |
(共)外郭団体現況表送付について |
CIC宛 |
28 |
県下における愛善苑の現況について |
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『ひろしま修学旅行ガイド 世界平和に貢献する水と緑と文化のまち 』(広島市観光課・広島市観光協会編 刊、19830731)
目次
頁 |
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はじめに 荒木武(広島市長) |
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1 |
君はいくつの広島を見るだろうか |
|
6 |
広島のルーツたどってみよう |
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14 |
広島のあゆみ |
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16 |
頭の中に広島のデータを入れておこう |
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17 |
ひろしまナンバーワン |
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18 |
ピックアップひろしまシティ |
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18 |
中・四国圏をリードする90万人都市「広島」 |
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20 |
広島の母なる川・太田川 |
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22 |
世界に開かれた広島 |
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24 |
動く路面電車の博物館 |
|
26 |
広島の都心には大きな公園が2つもある |
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28 |
スポーツ王国・広島の代表は赤ヘルカープ |
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30 |
海に向かって発展する広島 |
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|
ふるさと広島 |
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23 砂原美智子 25 若杉 慧 27 新藤兼人 31 原田真二 |
|
32 |
自分の足で気軽に見てまわろう |
|
32 |
文化の道コース |
|
37 |
平和の道コース |
|
40 |
歴史の道コース |
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43 |
水の都散策コース |
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46 |
橋のコース |
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49 |
グループで楽しむコース(サイクリングコース) |
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52 |
瀬戸の小島めぐりコース |
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55 |
東洋工業と黄金山のコース |
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58 |
西部流通センターコース |
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61 |
足をのばそう市内観光 番外編 |
|
64 |
スケジュールに取り入れたい産業施設見学 |
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65 |
君に語りかけるヒロシマ |
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66 |
あの日時計は8時15分で止まった |
|
67 |
原子爆弾の破壊力 |
|
68 |
多くの児童・学徒たちも原子雲の下にいた |
|
69 |
被害者の一人としてヒロシマを語る |
|
72 |
年間130万人が訪れる 広島平和記念資料館 |
|
73 |
いつまでも記憶の中にとどめておきたい |
|
77 |
平和について学び語りあおう 広島平和記念館 |
|
80 |
ヒロシマを世界へアピール |
|
82 |
平和記念公園はヒロシマの原点 |
|
86 |
私が見たヒロシマ |
|
87 |
もっと広くヒロシマを見つめよう |
|
88 |
フリータイムひろしま |
|
90 |
ひろしまの四季 |
|
96 |
ひろしま味覚事典 |
|
99 |
広島地酒の話 |
|
100 |
広島伝統工芸事典 |
|
101 |
広島流お好み焼き物語 |
|
103 |
広島のむかし話 |
|
105 |
ひろしまのことば・広島市の読みにくい地名 |
|
106 |
広島の周辺みてある記 |
|
107 |
三段峡・湯来温泉 |
|
108 |
宮島 |
|
110 |
岩国 |
|
111 |
呉・江田島 |
|
112 |
交通メモ |
|
114 |
広島駅ガイド・バス路線ガイド |
|
116 |
お問合せコーナー |
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『被爆(戦後)50周年 被爆(戦争)体験談児童生徒の平和作文集』(府中町・府中町教育委員会編 刊、19960101)
目次
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はじめに |
林原亘(府中町長) |
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被爆(戦争)体験談 |
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八月六日(池本四郎)
私の見た光景(江種祐司)
被爆体験(岡村守三)
私史断片(梶川進)
敗戦直前の頃(片桐隆三)
私の青春は終始、戦争の地獄だった(栗栖徳政)
私の原爆体験記(滝山政輝)
原爆の追憶(多羅尾義男)
一生懸命働いた(中山アヤ子)
戦争と母(二井貴衣)
私の戦争体験(橋本正紀)
平和への願い(橋本ツネ子)
私の青春時代(溝本燁子)
あの思いを胸に今…(山手博)
私の原爆記(山室安江)
府中小学校講堂での被爆者看護の日々(吉田美江子) |
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平和作文(中学生の部) |
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平和作文(小学生の部) |
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資料 |
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01 |
「日本非核宣言自治体協議会」結成の経過 |
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02 |
日本非核宣言自治体協議会会則 |
|
03 |
年度別協議会会員自治体数及び非核宣言自治体数 |
|
04 |
1995年都道府県市区町村別内訳 |
|
05 |
内、1995年広島県市町村別内訳 |
|
06 |
広島県内非核宣言自治体一覧表 |
|
07 |
核兵器廃絶・平和宣言を呼びかける共同声明 |
|
08 |
非核町宣言(府中町・府中町議会) |
|
09 |
抗議文(府中町) |
|
10 |
抗議決議(府中町議会) |
|
11 |
府中町被爆者健康手帳保持者数 |
|
松永照正
20080127没 |
まつなが・てるまさ |
享年81 |
国際文化会館(現原爆資料館)館長。著書『ナガサキよ世界へ』(松永照正著刊、19890628) |
『ナガサキよ世界へ 元原爆資料館長の回想』(松永照正著刊、19890628)目次
章節項 |
見出し |
備考 |
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発刊に寄せて |
本島等(長崎市長) |
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はじめに |
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1 |
海外で核兵器廃絶をアピール |
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2 |
原爆資料館を訪れた印象深い内外の人々 |
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|
3 |
長崎原爆資料館(長崎国際文化会館)の紹介 |
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4 |
長崎市民へのメッセージ |
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あとがき |
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核実験禁止要請に関する決議
世界で最初に原爆の惨禍を受け、今尚放射能害による死と闘いつつ原水爆禁止と核実験停止を全世界にくりかえし強く呼びかけてきた広島県民は、今回の貴国の核実験に対し不安と憤激の念とどめがたく、真に遺憾とするものである。
たといどのような理由があろうと実験のもたらす放射能は人類の生存に多大な悪影響を与え、実験が実験を呼ぶ悪循環は、軍拡競争に拍車をかけ、恐しい人類の危機をますます増大させている。
よって、広島県議会は従来しばしば決議要請した如く広島県民を代表してここに貴国核実験の即時中止を要請するとともに核保有国による実験停止協定の締結、核兵器の製造禁止を含む軍備全廃を目指して即時首脳会談を開いて努力されるようう要請する。
昭和三十七年八月十一日
要請先
ソビエート社会主義共和国連邦
アメリカ合衆国
核実験停止協定締結要請に関する決議(1962年12月22日)
アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実験は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。
広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。
ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。
右決議する
昭和三十七年十二月二十二日
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。