平成8年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
原爆死没者慰霊碑の奉安箱の原爆死没者名簿の概要
名簿に記帳された氏名 | 人 | |
名簿登録者総数 | 人 | |
名簿総数 | 冊 |
参列者の概要
被爆者や遺族など | 約万人 | |
橋本龍太郎 | 内閣総理大臣 | |
斉藤十朗 | 参議院議長 | |
遺族代表 | 都道府県 | |
各国大使や代表 | ||
広島市長平和宣言(下記参照)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/
内閣総理大臣挨拶
内閣総理大臣
出典
平成8年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
原爆死没者慰霊碑の奉安箱の原爆死没者名簿の概要
名簿に記帳された氏名 | 人 | |
名簿登録者総数 | 人 | |
名簿総数 | 冊 |
参列者の概要
被爆者や遺族など | 約万人 | |
橋本龍太郎 | 内閣総理大臣 | |
斉藤十朗 | 参議院議長 | |
遺族代表 | 都道府県 | |
各国大使や代表 | ||
広島市長平和宣言(下記参照)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/
内閣総理大臣挨拶
内閣総理大臣
出典
平成9年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
原爆死没者慰霊碑の奉安箱の原爆死没者名簿の概要
名簿に記帳された氏名 | 人 | |
名簿登録者総数 | 人 | |
名簿総数 | 冊 |
参列者の概要
被爆者や遺族など | 約万人 | |
橋本龍太郎 | 内閣総理大臣 | |
遺族代表 | 都道府県 | |
第4回世界平和連帯都市市長会議 | ||
広島市長平和宣言(下記参照)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/
内閣総理大臣挨拶
内閣総理大臣
出典
平成10年8月6日広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
原爆死没者慰霊碑の奉安箱の原爆死没者名簿の概要
名簿に記帳された氏名 | 人 | |
名簿登録者総数 | 人 | |
名簿総数 | 冊 |
参列者の概要
被爆者や遺族など | 約万人 | |
小渕恵三 | 内閣総理大臣 | |
国連事務次長 | ||
遺族代表 | 都道府県 | |
各国大使や代表 | か国と欧州連合(EU)。核兵器国のを含む。 | |
広島市長平和宣言(下記参照)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/
内閣総理大臣挨拶
内閣総理大臣
出典
おわりに
広島市主催の式典関連行事は、1991年(平成3年)には、49件(公民館29件、広島平和文化センタ-9件、映像文化ライブラリイー4件、保険年金課3件など)存在する。その中には、美術展、音楽会など、平和式典とともに今日まで開催されている文化行事がある。また、平和記念日前後に広島市以外のさまざまな機関や団体によって開催される行事は、慰霊行事を中心に年を経るごとに増加している。これらの諸行事は、平和式典に新たな意味を与えるとともに、平和記念日の広島の雰囲気を大きく変えてきた。式典の将来を考えるとき、式典は、これらの動きとともに振り返られなければならないと考えている。しかし、この小冊子では、触れることができなかった。今後の課題としたい。
資料収集ならびに執筆にあたり、(財)広島平和文化センタ-の宇野正三事業部主幹を始め、広島市総務局総務課、広報課、保険年金課、原爆被害者対策部、公文書館、広島市観光協会、広島県立文書館、中国新聞社など、関係機関の多くの方々にお世話になった。末尾ながら記して厚くお礼申し上げる。
目次
まえがき | |||
第1章 | 平和祭 | ||
1 | 原爆被爆 | ||
2 | 原爆死者の慰霊 | ||
3 | 平和復興祭 | ||
4 | 第1回平和祭 | ||
5 | 第2回平和祭 | ||
6 | 第3回平和祭 | ||
7 | 平和祭の挫折 | ||
(1) | 第4回平和祭の中止 | ||
(2) | 慰霊式・平和記念式典の開催 | ||
第2章 | 平和式典の変遷 | ||
1 | 平和式典の原型 | ||
(1) | 1952年の式典 | ||
(2) | 慰霊と平和 | ||
2 | 平和式典の主催者 | ||
3 | 平和式典の準備 | ||
(1) | 平和式典の会場-平和記念公園 | ||
(2) | 設営 | ||
(3) | 市民の奉仕活動 | ||
(4) | 式典にともなう規制と警備 | ||
4 | 平和式典の式次第 | ||
(1) | 式次第 | ||
(2) | 原爆死没者名簿の奉納 | ||
(3) | 献花 | ||
(4) | 平和の鐘と黙とう | ||
(5) | 演奏と合唱 | ||
5 | 平和宣言 | ||
(1) | 宣言の主体、対象、形式 | ||
(2) | 原爆被害観 | ||
(3) | 原水爆禁止 | ||
(4) | 国連への期待 | ||
(5) | 国際動向への憂慮 | ||
(6) | 被爆者援護対策への要望 | ||
(7) | 世論への期待 | ||
(8) | 被爆体験の継承 | ||
(9) | ヒロシマの動向と決意 | ||
(10) | 宣言内容の変遷 | ||
(11) | 平和宣言の普及 | ||
6 | 平和式典の参列者 | ||
(1) | 参列者数 | ||
(2) | 黙とうのひろがり | ||
(3) | 日本政府の関心 | ||
(4) | マスコミの関心 | ||
(5) | 海外での関心 | ||
8 | 平和式典の関連行事 | ||
(1) | 原爆供養塔合同慰霊祭 | ||
(2) | 原爆罹災者名簿の公開 | ||
(3) | とうろう流し | ||
(4) | 平和集会・シンポジウム | ||
おわりに | |||
平和式典略年表 | |||
索引 | |||
まえがき(新版のために)
『平和記念式典の歩み』(1992年3月刊)は、すでに絶版。将来、新版(デジタル版)が製作されることを期待して、旧版のテキストデータに新たな情報を加える予定。
**************************
まえがき
毎年、8月6日前後の広島では、原爆被害に関連したさまざまな行事が催されている。広島市が主催する平和記念式典は、こうした行事の中で、最も大規模なものであるとともに、最も長い歴史を持つ行事の一つである。1991年(平成3年)8月6日午前8時から広島市の平和記念公園において挙行された式典には、海部俊樹内閣総理大臣を始め約5万5,000人が参列し、式典の模様は、テレビにより全国に放映された。
この式典が始まったのは1947年(昭和22年)のことである。平和式典の正式名称は、大まかには平和祭→慰霊式並びに平和記念式(1951年)→広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式(53年)→広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(68年)と変わり、現在に至っている。
この式典は、当初は、一地方の平和行事にすぎなかったが、その後、次第に性格を変え、広島の原爆犠牲者を追悼する国民的な行事に成長した。30分から1時間の時間で開催される式典は、毎年同じ形式の繰り返しのように見える。しかし、その式次や平和宣言などを各要素ごとに追ってみると、その時々の原爆被害をめぐる動向を反映して、ある時はダイナミックな、また、年毎でも微妙な変化をしてきていることが明らかになる。その変化は、原爆被害が置かれていた状況や、原水爆禁止運動、平和思想の戦後の歴史を振り返る際の一つの重要な指標になりうるものである。この小冊子では、平和式典の変容を、式典の持つさまざまな要素ごとに、できるだけ詳しく明らかにしようとした。
広島市は、平和式典の総称を1965年に「平和記念式典」とし、68年からは「平和祈念式典」として使用してきた。ところが、75年、広島市は、正式名称には「祈念」を残したまま、総称として「平和記念式典」を使用することとした。「祈念」は、「原爆犠牲者の霊を慰めるための祈り、平和実現のための祈り」を強調した表現であるのに対し、「記念」は、「恒久平和への市民の誓いを将来に伝え残すという継承の意志」を強調した表現であるとし、「記念」の表現が、式典の趣旨に「適切」であるというのが総称変更の理由である(総務局「平和記念式典の名称について」81年10月9日)。しかし、ここでは、さまざまな名称の統一的な表現として「平和式典」あるいは「式典」を用いている。また、広島市は、原爆が投下された8月6日を条例により「平和記念日」と定めているので本書では引用の場合を除いて、「原爆記念日」という名称は使用しないこととする。
平和式典に関する公文書は、1963年以前のものは断片的にしか残されていない。しかし、平和式典の模様は、初期のものから現在に至るまで、マスコミにより詳細に報道されている。記述に際し、資料の多くのは、新聞報道を利用した。その中でも、ベースにしたのは、「中国新聞」(戦後~70年ごろ)、「広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センタ-新聞切抜き」である。これらについては、煩雑をさけるため、出典の明記を最小限にとどめている。また、読み易くするため、資料の引用にあたって、漢数字を算用数字に直し、旧字を新字に改めたほか、難読の漢字には読みがなを付した。
1992年1月
著 者
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平和と交流 2016 年版(平成 27 年度事業)目次
No. | 事業名 | 開始年・備考 |
01 | 修学旅行生への被爆体験講話等 | |
被爆体験証言者(本財団所属)名簿 | ||
02 | ヒロシマ・ピ-ス・ボランティア事業 | |
03 | 被爆者証言ビデオの制作 | |
04 | 被爆体験証言者交流の集いの運営 | |
団体別被爆体験証言実施状況 | ||
05 | 平和文化センターインターンシップ事業 | |
06 | ヒロシマ・ピースフォーラムの開催 | |
07 | 国内原爆写真展用資料の普及・活用 | |
08 | 中・高校生ピースクラブの開催 | |
09 | 平和学習講座 | |
10 | 平和記念資料館学習ワークブック等の作成 | |
11 | 国内原爆展の開催 | |
12 | 原爆展・平和学習用資料の普及・活用 | |
13 | 英語で伝えようヒロシマセミナー | |
14 | 被爆関連映像資料のアーカイブ化【新規】 | |
15 | 旧日本銀行広島支店での平和記念資料館収蔵品の展示【新規】 | |
16 | 広島平和記念資料館の企画展等の実施 | |
17 | 被爆体験伝承者による伝承講話の定時開催【新規】 | |
18 | 平和記念資料館再整備事業 | |
19 | 平和・戦争に関する博物館等とのネットワ-ク | |
20 | 展示・収蔵資料等の調査・研究 | |
広島平和記念資料館資料調査研究会会員の研究発表会の開催 | ||
21 | 被爆体験講話会の定時開催 | |
22 | 次世代と描く「原爆の絵」 | |
◇ | 被爆建物等保存・継承事業 | |
◇ | 原爆被災説明板及び被爆建物表示板の設置 | |
◇ | 被爆樹木の樹勢回復措置 | |
◇ | 原爆罹災者名簿の公開 | |
◇ | 折り鶴デ-タベ-スの記録保存 | |
◇ | 折り鶴に託された思いを昇華させるための取組の推進 | |
◇ | 被爆体験伝承者の養成 |
平和首長会議
(財)広島平和文化センター20年誌―センターの歩み((財)広島平和文化センター、1997.3.31)目次
章節項 | 見出し | メモ |
会長あいさつ(平岡敬) | ||
広島市議会議長祝辞(海徳貢) | ||
口絵 | 歴代会長:荒木武(初代)、平岡敬(第2代) | |
歴代理事長:坂田修一(初代)、河村盛明(第2代)、河合護郎(第3代)、大牟田稔(第4代) | ||
19820624 | ||
・・・ | ||
序章 | 原爆投下から、平和記念都市としての広島市の復興 | |
第1章 | 広島平和文化センター | |
Ⅰ | 広島平和文化センターの発足 | |
Ⅱ | 事業内容 | |
2-1 | 平和文化推進審議会の設置 | |
2-2 | 世界連邦運動 | |
2-3 | 山田市長が核実験に抗議電報 | |
2-4 | 映画『ヒロシマ・原爆の記録』の制作 | |
2-5 | ヒロシマ会議の開催 | |
2-6 | 原爆被災復元調査活動 | |
2-7 | 原爆・平和関係資料の収集 | |
2-7-1 | 日米合同調査団資料の収集 | |
2-7-2 | 米国戦略爆撃調査団資料の収集 | |
2-7-3 | 図書室の開設 | |
2-7-4 | 市民が描いた原爆の絵の寄贈 | |
2-7-8 | 図書の刊行 | |
2-7-8-1 | 『ひろしま平和の歩み』 | |
2-7-8-2 | 『平和関係団体調査報告書(広島市関係・その1)』 | |
2-7-8-3 | Steps Toward Peace | |
2-7-8-4 | 『ヒロシマの証言』 | |
2-7-8-5 | 英語版『広島原爆戦災誌』 | |
2-7-8-6 | 写真集『ヒロシマ』 | |
2-7-8-7 | 事業報告書『平和の推進』 | |
第2章 | 財団法人広島平和文化センター | |
1 | 財団法人広島平和文化センターの発足 | |
2 | 本財団の発足以来20年余の軍縮を中心とした世界の動き | |
2-1 | 核兵器による過剰殺戮状態 | |
2国連軍縮特別総会 19 3NATOの二重決定、反核運動が空前の規模に 20 4ゴルバチョフの登場 21 5INF全廃条約が実現 22 6ソ連がブレジネフ・ドクトリンを放棄、共産主義国家が解体へ 2 7東欧諸国で自由化を求めて大規模デモ、ベルリンの壁が崩壊 23 8社会主義圏で自由化が進展、ソ連の共和国が主権宣言や独立宣言 24 9冷戦構造が終焉 25 10ゴルバチョフ大統領が辞任、ソ連邦が解体 25 11ゴルバチョフ・元大統領が広島を訪問 26 12軍縮が進展 26 13国際司法裁判所が核兵器の使用は一般的には違法と判断 27 14包括的核実験禁止条約(CTBT)を採択 28 15被爆者援護法が成立、原爆ドームが世界遺産に 29 |
||
3 | 本財団の事業 | |
3-1 | 広島市長の国連訪問から国連軍縮広島会議まで | |
3-1-1 | 広島・長崎両市長の最初の国連訪問 | |
3-1-2 | 国連旗の寄贈 | |
3-1-3 | 国連要人の来広 | |
3-1-3-1 | アメラシンゲ第31回国連総会議長 | |
3-1-3- | (2)ハビエル・ペレス・デクエヤル第5代国連事務総長 32 (3)チョードリー第41回国連総会議長 33 (4)ストヤン・ガーネフ第47回国連総会議長 |
|
3-1-4 | 国連軍縮特別総会に出席、国連関係会議で演説 | |
3-1-4-1 | (1)第1回国連軍縮特別総会 33 (2)第2回国連軍縮特別総会 34 (3)第3回国連軍縮特別総会 35 (4)部分的核実験禁止条約改定会議で演説 36 (5)国連カ マンズ会議に出席 36 (6)国連NGO軍縮特別総会で演説 36 (7)核拡散防止条約(NPT)再検討・延長会議への働き掛け 37 (8)NGO国連軍縮会議で演説 |
|
3-1-5 | 国連関係原爆展の開催 | |
(1)第1回国連軍縮特別総会の際の原爆展 37 (2)第1回現代世界の核の脅威展 37 (3)第2回現代世界の核の脅威展 37 (4)第5回現代世界の核の脅威展 38 (5)国連本部での原爆資料常設展 38 (6)ウィーンでの広島交響楽団演奏の際に原爆展開催 |
||
3-1-6 | 国連軍縮フェローズ(特別研究員)の広島訪問 | |
3-1-7 | 広島市と本財団が国連ピースメッセンジャーに | |
(1)ピースメッセンジャー組織世界連盟会議 40 (2)ピースメッセンジャー都市総会 |
||
3-1-8 | 国連軍縮講演会、軍縮シンポジウム、国連軍縮広島会議の開催 | |
1)国連軍縮京都会議、「国連と軍縮」広島講演会 41 (2)国連と軍縮シンポジウム、国連軍縮広島会議 |
||
3-1-9 | 世界平和連帯都市市長会議が国連NGOに | |
(1)国連広報局定例総会への出席 45 (2)第19回CONGO総会に出席 |
||
3-1-10 | 平和の壁画作成 | |
3-1-11 | 本財団職員が国連事務局で研修 | |
3-1-12 | 国連軍縮週間事業の開催 | |
3-2 | 平和問題調査会の運営 | |
3-3 | 平和関係会議、市民講座、講演会、シンポジウム、音楽会、演劇 | |
3-3-1 | 平和を考える市民の集い | |
(2)青少年平和問題懇談会 55 (3)広島市民音楽祭 55 (4)平和文化市民講座 56 (5)シンポジウム「21世紀を展望して・ヒロシマー新時代の役割」 56 (6)シェークスピア演劇『ベニスの商人』公演 56 ☆ローマ法王来広 57 (7)軍縮シンポジウム 57 (8)軍縮と国際安全保障に関するワークショップ・広島セッションー 58 (9)平和文化講演会 |
||
3-3-10 | 文学者、ペンクラブと事業 | |
3-3-10-1 | アジア文学者ヒロシマ会議 59 (2)第47回国際ペン大会参加者がヒロシマ学習 59 (3)「平和の日」広島の集い |
|
3-3-11 | (11)民間ユネスコ運動世界大会広島大会 60 (12)広島で核軍縮を求める22人委員会シンポジウム 60 (13)マザー・テレサさんが広島で講演 61 (14)核の危機に関する東京セミナー広島セッション 61 (15)IPPNW代表参加の平和シンポジウム 62 (16)デラマドリ・メキシコ大統領が平和アピール 63 (17)外務省事務次官が広島で被爆者代表と懇談、シンポジウムも開催 63 (18)女性問題セミナー「平和・国際貢献と女性」 |
|
3-4 | 8・6シンポジウムと平和コンサートの夕べ | |
(1)’86平和サミットinヒロシマと’86平和コンサートの夕べ 64 (2)’87ジャーナリスト国際平和シンポジウムと’87平和コンサートの夕べ 66 (3)’88青年国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマと’88平和コンサートの夕べ 67 (4)第2回世界平和連帯都市市長会議と’89平和コンサートの夕べ 67 (5)’90女性国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマと’90平和コンサートの夕べ 67 (6)第7回世界テレビ映像祭・国際平和シンポジウムと’91平和コンサートの夕べ 68 ☆湾岸戦争被災者救援のための募金 69 (7)国際平和シンポジウムと’92平和コンサートの夕べ 70 (8)第3回世界平和連帯都市市長会議と’93平和コンサートの夕べ 70 (9)世界写真家平和シンポジウムと’94平和コンサートの夕べ 71 (10)ヒロシマ・地球市民フォーラムと’95平和コンサートの夕べ 72 (11)講演会と国際シンポジウム、’96平和コンサートの夕べ 73 |
||
3-5 | 海外の国際会議等への出席、海外への要請行動 | |
3-5-1 | 戦争受難都市会議への出席 | |
(1)ボルゴグラード市で戦争受難都市・平和都市連盟委員会会議 73 (2)ボローニア市で戦争受難都市世界会議 74 (3)マドリード市で世界平和都市会議 74 (4)ワルシャワ市で世界平和都市会議 |
||
3-5-2 | バンクーバー市制100年祭などに出席 | |
3–5-3 | ボルゴグラード市で姉妹都市縁組記念事業、ベルリン市で750周年祝賀行事 7 | |
3-5-4 | IPPNW会議への出席 | |
3-5-4-1 | モスクワ市で第7回IPPNW世界大会 75 (2)モントリオール市で第8回IPPNW世界大会 75 (3)広島市で第9回IPPNW世界大会 76 (4)ストックホルム市で第10回IPPNW世界大会 76 (5)ソウルで第3回IPPNWアジア太平洋地域会議 76 (6)メキシコシティーで第11回IPPNW世界大会 |
|
3-5-5 | 5)6か国首脳会議に出席 77 (6)ロッテルダム宣言に署名 77 (7)アルマアタ市での核実験禁止国際市民会議に出席 78 (8)第6回国際非核自治体会議に出席、会議参加者がヒロシマ学習 79 (9)アントワープ市での国際平和会議、アルンヘム市での世界の都市会議に出席 79 (10)国際司法裁判所が核兵器使用の違法性を審理、広島市長が被爆地の声を証言 79 (11)包括的核実験禁止条約(CTBT)交渉担当者に完全禁止要請行動 |
|
3-6 | 中国人民平和軍縮協会との交流 | |
3-7 | ヒロシマ学習 | |
(1)修学講習 83 (2)被爆体験証言者交流の集いの運営 84 (3)留学生平和セミナー開催 90 (4)米国大学生らがヒロシマを学ぶ 90 (5)ピース・ マースクールの開催 91 (6)アジア競技大会参加選手らとの平和交流 97 (7)小学生の平和教室 92 |
||
3-8 | 原爆資料の製作、活用、原爆展の開催 | |
3-8-1 | 資料の製作・貸出し | |
(1)広島原爆被災写真 92 (2)市民が描いた原爆の絵 92 (3)原爆記録映画『ヒロシマ・原爆の記録』 93 (4)原爆記録映画『ヒロシマ・ナガサキー核戦争のもたらすもの』 94 (5)原爆記録映画『ヒロシマ・母たちの祈り』 95 (6)ビデオテープ『ヒロシマ・母たちの祈り』 96 (7)ビデオテープ『核戦争後の地球』 96 (8)戦略爆撃調査団撮影フィルムのナレーション入りの複製ビデオテープ 96 (9)被爆者証言ビデオ 96 (10)ヒロシマ・ナガサキ原爆写真パネル 98 (11)ヒロシマ・ナガサキ原爆写真ポスター 99 (12)世界の軍備状況ポスター |
||
3-8-2 | 主な原爆展 | |
(1)憲政記念館での原爆展 100 (2)米国上院議員会館で原爆展 100 (3)ポーランドでの原爆展 100 (4)サンパウロ市での「ヒロシマ平和展」 101 (5)ジュネブで、米ソ首脳会談前に原爆展 101 (6)バンクーバー市での「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」 101 (7)スミソニアン協会での原爆展中止となる 101 (8)米国アメリカン大学で原爆展、平岡広島市長が各所で平和を訴え 103 (9)米国コロンビア市で原爆展 104 (10)新潟市で「ヒロシマ原爆展」 104 (11)沼津市で「ヒロシマ原爆展」 1O4 (12)ペルージア市とアッシジ市で原爆展 |
||
3-9 | 原爆・平和関係映画の上映 | |
(1)広島平和教育映画ライブラリー上映会 1O5 (2)8・6原爆関係映画の上映 1O5 (3)平和文化映画をみる集い(公民館巡回映画上映)1O5 (4)フラワーフェスティバル参加教育映画の上映 1O6 (5)平和文化映画上映会 |
||
3-10 | 特別展の開催 | |
(1)広島平和美術展 106 (2)市民が描いた原爆の絵展 107 (3)ヒロシマ・ナガサキ原爆写真ポスター展 107 (4)ヒロシマ平和書道展 108 (5)国際協力写真展 109 (6)ぼくたち、わたしたちのヒロシマ平和学習(作品発表)展 1O9 (7)その他の特別展 |
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3-11 | 被爆50周年記念品(子供の絵)贈呈 | |
3-12 | ひろしま21世紀へのはがき運動 | |
3-13 | 助成事業 | |
(1)ワールド・フレンドシップ・センター(WFC)111 (2)ヒロシマを知らせる委員会(HAC)112 (3)アキバプロジェクト 112 (4)アジア記者招請事業 113 (5)日本平和学会特別賛助会員に加入 113 (6)ピースチャイルド広島 |
||
3-14 | 原爆ドーム保存募金 | |
原爆ドームの世界遺産登録 | ||
3-15 | 平和情報の発信 | |
(1)平和宣言の起草・普及 115 (2)和文と英文の機関紙の刊行・配布 |
||
3-15-3 | 図書、機関紙の刊行 | |
(1)事業報告書『平和の推進』 116 (2)『単行本蔵書目録』 117 (3)写真集HIROSHIMA NAGASAKI 1978,AT THE UNITED NATIONS 117 (4)『蔵書目録』 117 (5)平和冊子、平和図書 117 (6)『広島・長崎の原爆災割 119 (7)『平和宣言集』 119 (8)英語版『平和宣言集』 119 (9)『平和事典』 120 (10)『私の母は広島で死んだ』 120 (11)事業関係刊行物 120 (12)会議、シンポジウム等の報告書 121 (13)8月6日シンポジウム関係報告書 121 (14)国連と軍縮シンポジウム報告書 122 (15)世界平和連帯都市市長会議関係報告書 122 (16)世界平和連帯都市市長会議機関紙の発行・配布 |
||
3-15-4 | インターネットによる平和情報の発信 | |
3-16 | 広島に平和研究所設置構想 | |
3-17 | 原爆・平和関係資料の収集・整備 | |
(1)図書室の整備・運営 124 (2)原爆被災資料調査研究委員会 125 (3)広島原爆被災写真の収集・整理 126 (4)原爆資料発掘調査・収集 126 (5)原爆被害映像資料『焦土のカルテ』の制作 127 (6)平和データベースの構築 |
||
3-18 | 原爆罹災者名簿等公開 | |
3-19 | 世界連邦運動 | |
3-20 | 世界平和都市連帯の推進 | |
3-21 | 世界平和連帯都市市長会議 | |
(1)第1回世界平和連帯都市市長会議 132 (2)第1回理事会 134 (3)第2回理事会 134 (4)第2回世界平和連帯都市市長会議 134 (5)第3回理事会 136 (6)第3回世界平和連帯都市市長会議 137 (7)世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議 140 (8)第4回理事会 |
||
3-21-9 | その他の会議出席、活動 | |
(1)第3回国連軍縮特別総会で演説 142 (2)部分的核実験禁止条約改定会議で演説 142 (3)湾岸戦争終結への要請 142 (4)国連NGO軍縮特別総会で演説 142 (5)核実験実施に対する抗議 |
||
3-22 | 収益事業 | |
(1)図書の販売・出版、記念品等の製作・販売 142 (2)解説機器の貸出し |
||
3-23 | 広島平和記念資料館の観覧料収納 | |
3-24 | 本財団設立記念事業 | |
(1)本財団設立10周年記念式典・講演会 144 (2)本財団設立20周年記念式典・講演会 |
||
第3章 | 年表 | |
第4章 | 資料編 | |
1広島平和記念都市建設法 337 2広島平和文化センター条例 338 3核実験に対する広島市の抗議書簡・抗議電報回数表 339 4ヒロシマ会議の ロシマ宣言 340 5財団法人広島平和文化センター寄附行為 342 6歴代役員、評議員 347 7現在の役、評員 360 8歴代専門委員 362 9会員名簿 364 10国際連合に対する要請書(荒木武・広島市長、諸谷義武・長崎市長)366 11第2回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説 371 12第3回国連軍縮特別総会における荒木武・広島市長の演説 372 13部分的核実験禁止条約改定会議における荒木武・広島市長の演説 374 14国連NGO軍縮特別総会における平岡敬・広島市長の演説 375 15国連軍縮フェローズ受入れ状況 378 16平和文化市民講座実施状況 383 17ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の平和アピール 399 18国際司法裁判所(ICJ)における平岡敬・広島市長の陳述 403 19広島平和記念資料館入館者総数と修学旅行生らの入館者数(昭和56年度以降)409 20広島平和文化センターでの原爆記録映画鑑賞状況(昭和58年度以降)410 21広島平和文化センターの被爆体験証言者による講話受講状況(昭和58年度以降)411 22広島平和文化センターの被爆体験証言者による講話地方別受講件数割合(昭和61年度以降)412 23ヒロシマ・ナガサキ平和アピール推進委員会規約 413 24世界連邦市民講座等実施状況 415 25核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画への賛同呼び掛け文書と推進計画趣意書 420 26世界平和連帯都市市長会議加盟自治体一覧 422 27世界平和連帯都市市長会議規約(当初)428 28世界平和連帯都市市長会議規約(現在)431 29第1回世界平和連帯都市市長会議の広島アピール 434 30第1回世界平和連帯都市市長会議の長崎アピール 434 31第2回世界平和連帯都市市長会議の広島アピール 435 32第2回世界平和連帯都市市長会議の長崎アピール 436 33第3回世界平和連帯都市市長会議のヒロシマ・ナガサキアピール 437 34核実験の停止と核兵器廃絶を求める決議 438 35世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋会議総括報告 439 |
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編集委員 | 大牟田稔、河合護郎、木山香寿美、藤本千万太、松元寛 |
執筆担当 | 宇野正三 |