戦後80年に寄せて( 令和7年10月10日内閣総理大臣所感)

戦後80年に寄せて( 令和7年10月10日内閣総理大臣所感)

(内閣総理大臣所感)

<作業中>
(はじめに)
戦後80年に寄せて

先の大戦の終結から、80年が経ちました。
この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

私は、3月の硫黄島訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島戦没者の碑訪問、6月の沖縄全戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問、8 月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日の全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。
これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。
過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。
国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。
第一次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。
米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。
戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います。

(大日本帝国憲法の問題点)
まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。
大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度上存在しなかったのです。
内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限は制度上与えられていませんでした。
それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交、軍事、財政を統合する役割を果たしていました。武士として軍事に従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコント
ロールすることができました。丸山眞男の言葉を借りれば、「元老・重臣など超憲法的存在の媒介」が、国家意思の一元化において重要な役割を果たしていました。
元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党が政治と軍事の統合を試みました。
第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代の政府の政策は、幣原外交に表れた
ように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
1920 年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされていす。
従来、統帥権は作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算や体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます。
(政府の問題)
しかし、次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。
政党内閣の時代、政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党は国民の信頼を失っていきました。1930 年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。
しかし、1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉の天皇機関説について、立憲政友会が政府攻撃の材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。ときの岡田啓介内は、学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部の著作は発禁処分となりました。
このようにして、政府は軍部に対する統制を失っていきます。
(議会の問題)
本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます。
その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤員は1940年2月2日の衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説は陸軍を侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員は同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています。
議会による軍への統制機能として極めて重要な予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能を果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事費特別会計が
設置され、1942 年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院・貴族院とも基本的に秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。
戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍と海軍は組織の利益と面子をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。
加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
五・一五事件や二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算について自由に議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。
(メディアの問題)
もう一つ、軽視してはならないのはメディアの問題です。
1920 年代、メディアは日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代の石橋湛山は、植民地を放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。
1929 年の米国の大恐慌を契機として、欧米の経済は大きく傷つき、国内経済保護を理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界にお
いても、自由主義、民主主義、資本主義の時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義や国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。
日本外交について、吉野作造は満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌は松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋
頃から、言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争を積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。
(情報収集・分析の問題)
当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があり
ます。例えば、ドイツとの間でソ連を対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月、独ソ不可侵条約が締結され、ときの平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を
生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報を収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。
(今日への教訓)
戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本国憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊
法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています。
内閣総理大臣が内閣の首長であること、内閣は国会に対して連帯して責任を負うことが日本国憲法に明記され、内閣の統一性が制度上確保されました。
さらに、国家安全保障会議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の体制も改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます。
政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、
適切に運用することがなければ、その意味を成しません。
政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持と責任感を持たなければなりません。
自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。
政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。
政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リス
クであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国
難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、
東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・
情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。
政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです。
国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。
使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論を煽り、国民を無謀な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、
偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。
安倍元総理が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹂躙、自由な言論を脅かす差別的言辞は決して容認できません。
これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム、健全で強靭な民主主義が何よりも大切です。
ウィンストン・チャーチルが喝破したとおり、民主主義は決して完璧な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、ときに過ちを犯すものです。
だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。
自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。
同時に、その国において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディアすべてがこれを常に認識しなければならないのです。
斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦争の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦争であると論じ、これを無視して聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。
翌年の衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻になると述べ、これを否定しました。
どちらも遠い過去の出来事ではありますが、議会の責務の放棄、精神主義の横行や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明る
い未来は拓けません。歴史に学ぶ重要性は、我が国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。
戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎が一層強化されていくものと信じます。
私は、国民の皆様とともに、先の大戦の様々な教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍を繰り返すことのないよう、能う限りの努力をしてまいります。

令和7年10月10日
内閣総理大臣
石破茂

岸田文夫『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』

『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』(岸田文夫日経BP、2020/10/19)

内容

はじめに
1 故郷・広島への想い 11
生い立ちと家族 12
ニューヨーク時代 15
四賢人のビジョン 20
プラハ演説 26
分断から協調へ 34
運命の訪問 40
2 保守本流の衿持 65
池田勇人と宏池会 66
広島県というルーツ 68
戦後保守の源流 73
吉田ドクトリン 78
リベラル派の衿持 85
宏池会のリアリズム 87
憲法改正について 96
3 核廃絶のリアリズム 107
米朝電撃会談 108
失われた三十年 116
CVIDを巡る応酬 121
核超大国・中国 132
ロシアの核偏重 141
変わるNPR 150
ブッシュ・ドクトリンの影 154
4 核の傘と非核三原則 169
核の先制不使用 171
「核の傘」を巡る葛藤 179
密約外交の功罪 183
「日本核武装論」の虚実 192
脱・密約の時代 199
爆弾発言の底流 205
5 岸田イニシアティブ 215
核兵器禁止条約を巡る逡巡 217
NPTの守護神として 224
日米拡大抑止協議 235
李下の冠 244
「核兵器のない世界」に向けて 255
ローマ教皇のメッセージ 263
おわりに 270
あとがき 276

 

核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志(岸田文雄)

『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』(岸田文雄著、出版者 日経BP、20201019)

内容

はじめに(2020年秋 岸田文雄)
1 故郷・広島への想い 11
生い立ちと家族 12
ニューヨーク時代 15
四賢人のビジョン 20
プラハ演説 26
分断から協調へ 34
運命の訪問 40
2 保守本流の衿持 65
池田勇人と宏池会 66
広島県というルーツ 68
戦後保守の源流 73
吉田ドクトリン 78
リベラル派の衿持 85
宏池会のリアリズム 87
憲法改正について 96
3 核廃絶のリアリズム 107
米朝電撃会談 108
失われた三十年 116
CVIDを巡る応酬 121
核超大国・中国 132
ロシアの核偏重 141
変わるNPR 150
ブッシュ・ドクトリンの影 154
4 核の傘と非核三原則 169
核の先制不使用 171
「核の傘」を巡る葛藤 179
密約外交の功罪 183
「日本核武装論」の虚実 192
脱・密約の時代 199
爆弾発言の底流 205
5 岸田イニシアティブ 215
核兵器禁止条約を巡る逡巡 217
NPTの守護神として 224
日米拡大抑止協議 235
李下の冠 244
「核兵器のない世界」に向けて 255
ローマ教皇のメッセージ 263
おわりに 270
あとがき 276

 

広島市平和式典総理大臣など式辞(1952年)

広島市平和式典総理大臣式辞(1952年)

(内閣総理大臣吉田茂)

八月六日を迎えるに当り,遙かに想いをはせて,戦災犠牲者の冥福を祈ると共に、苦難に充ちた過去の陰影を払拭して着々と,平和郡市建設の理想を実現せられつつある広島市民諸君の努力に対し,心から深甚なる敬意を表するものであります。

世界の平和を目指して,民主々義に基く,文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の生成は,平和的文化的なる日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信じてうたがいません。この式典に当り,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈ると共に,市民諸君が更に決意を新たにし,理想達成への途に邁進せられんことを切望して已みません。

 

(衆議院副議長岩本信行)

本日原爆死没者慰霊並びに平和記念式典を挙行するに際し、一言御挨拶を申し上げます。

思うに戦争ほど人類を不幸におとし入れるものはありません。もし,第三次世界大戦が勃発するようなことがあれば折角今日まで人類が築き上げてきたすべての文化を破壊し,人類そのものをも滅亡にみちびくであろうことは疑う余地がありません。恐るべきは将来の原子戦争であります。

当市は,さきに平和宣言を発して広島の悲劇を再び繰返すことのないよう世界に呼ぴかけてくれたのでありますが,人類史上最初の原子爆弾の犠牲となった当市としては,洵に当然の措置であったと存じます。

どうか広島市民におかれましては,原爆の凄惨な体験を想い起され,この地上から永久に原子戦争の恐怖と罪悪を抹殺するよう世界平和の勇敢な使徒として起ち上っていただきたいと存じます。そして真に平和な日本の建設と世界の恒久平和に貢献することこそ原爆によって散華した方々の霊にお報いする所以であると存じます。

本日の式典に際し謹みて死没者の霊に哀悼の誠を捧げると共にその御冥福を祈念いたしまして,私の御挨拶といたします。

昭和二十七年八月六日

衆議院副議長 岩本信行

 

(参議院議長佐藤尚武)

原子爆弾第一号の洗礼を受けました広島市民が,あの悲境にも,屈せず起ち上りますとともに恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴,広島平和都市の建設を目ざして奮闘せられ,いま,その逞しい復興の姿をまのあたりに致しまして,私ども,各位の勇気とご努力に対し,心から敬意を表します。

あれから七ケ年,日本国独立後最初の記念日であります本日,竣工した「慰霊碑」を前に,原爆死没者の霊を慰めますことは,その尊い犠牲を再認識いたしまして,在天の霊のご加護のもとに,平和都市広島の完成と,さらには新鮮な未来の創造へ躍進する決意を新たにするものと致しまして,まさに大きな意義があると存じます。

私どもは,ここに改めまして,平和日本国建設の先駆者としての広島市民のご自重と,被爆犠牲者ご遺族近親の御健祥を切に念願いたしてやみません。

〔広島市役所蔵〕

広島市平和式典総理大臣挨拶(2019年)

広島市平和式典総理大臣挨拶(2019年)

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2019/0806hiroshima.html

今から74年前の今日、原子爆弾により、十数万ともいわれる貴い命が失われました。街は焦土と化し、人々の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。
原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
核兵器によってもたらされた広島と長崎の悲劇を決して繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力をたゆまず続けること。これは、令和の時代においても、変わることのない我が国の使命です。新しい時代を平和で希望に満ち溢(あふ)れた時代としなければなりません。
近年、世界的に安全保障環境は厳しさを増し、核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大しています。
我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、非核三原則を堅持しつつ、被爆の悲惨な実相への理解を促進してまいります。核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取組を主導していく決意です。
明年は、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年という節目の年を迎え、5年に1度のNPT運用検討会議が開催されます。この会議において、意義ある成果を生み出すために、一昨年、ここ広島から始まった核軍縮に関する「賢人会議」の提言等を十分踏まえながら、各国に積極的に働きかけていく決意です。
私たちには、唯一の戦争被爆国として、核兵器の非人道性を、世代や国境を越えて伝え続ける務めがあります。
被爆者の方々から伝えられた被爆体験を、しっかりと、若い世代へと語り継いでいく。
そして、広島や長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れることで、平和への決意を新たにすることができる。そうした取組を我が国として、着実に推し進めてまいります。
被爆者の方々に対して、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、今後も、被爆者の方々に寄り添った援護施策を総合的に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
結びに、「国際平和文化都市」として発展を遂げた、ここ広島市において、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和元年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三

広島市平和式典総理大臣挨拶(2020年)

広島市平和式典総理大臣挨拶(2020年)

https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0806hiroshima.html
令和2年8月6日

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三

内閣総理大臣菅義偉広島市平和式典挨拶(2021年)

内閣総理大臣菅義偉広島市平和式典挨拶(2021年)

ttps://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0806hiroshima.html
本日、被爆76周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
世界は今も新型コロナウイルス感染症という試練に直面し、この試練に打ち勝つための奮闘が続いております。
我が国においても、全国的な感染拡大が続いておりますが、何としても、この感染症を克服し、一日も早く安心とにぎわいのある日常を取り戻せるよう、全力を尽くしてまいります。
今から76年前、一発の原子爆弾の投下によって、十数万とも言われる貴い命が奪われ、広島は一瞬にして焦土と化しました。
しかし、その後の市民の皆様のたゆみない御努力により、廃墟から見事に復興を遂げた広島の美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島及び長崎への原爆投下から75年を迎えた昨年、私の総理就任から間もなく開催された国連総会の場で、「ヒロシマ、ナガサキが繰り返されてはならない。この決意を胸に、日本は非核三原則を堅持しつつ、核兵器のない世界の実現に向けて力を尽くします。」と世界に発信しました。我が国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です。
近年の国際的な安全保障環境は厳しく、核軍縮の進め方をめぐっては、各国の立場に隔たりがあります。このような状況の下で核軍縮を進めていくためには、様々な立場の国々の間を橋渡ししながら、現実的な取組を粘り強く進めていく必要があります。
特に、国際的な核軍縮・不拡散体制の礎石である核兵器不拡散条約(NPT)体制の維持・強化が必要です。日本政府としては、次回NPT運用検討会議において意義ある成果を収めるべく、各国が共に取り組むことのできる共通の基盤となり得る具体的措置を見出す努力を、核軍縮に関する「賢人会議」の議論等の成果も活用しながら、引き続き粘り強く続けてまいります。
被爆の実相に関する正確な認識を持つことは、核軍縮に向けたあらゆる取組のスタートです。我が国は、被爆者の方々を始めとして、核兵器のない世界の実現を願う多くの方々とともに、核兵器使用の非人道性に対する正確な認識を継承し、被爆の実相を伝える取組を引き続き積極的に行ってまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
先月14日に判決が行われました、いわゆる「黒い雨」訴訟につきましては、私自身、熟慮に熟慮を重ね、被爆者援護法の理念に立ち返って、上告を行わないことといたしました。84名の原告の皆様には、本日までに、手帳交付の手続きは完了しており、また、原告の皆様と同じような事情にあった方々についても、救済できるよう早急に検討を進めてまいります。
今や、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御冥福と、御遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様の御平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和3年8月6日
内閣総理大臣・菅義偉

内閣総理大臣(安倍晋三)挨拶 20200806

内閣総理大臣(安倍晋三)挨拶 20200806

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三

総理大臣など挨拶 ・出席状況

平和式典への総理大臣など挨拶 ・出席状況

総理大臣(代理) 衆議長 参議長 備考
1947 [片山哲]
マッカーサー(メッセージ)・森戸文部大臣
1948 [芦田均]
ロバートソン
1949 [吉田茂]
1950 [中止]
1951 [吉田茂]
1952 [吉田茂] [岩本信行(副議長)] [佐藤尚武]
広島平和都市記念碑除幕。広島県知事、県・市議会議長の式辞
1953 [吉田茂] [堤康次郎] [河井弥八]
広島県知事、県・市議会議長の式辞
1954 [吉田茂] 高松宮夫妻
1955 [鳩山一郎]
1956 [鳩山一郎]
1957 [岸信介] 三笠宮夫妻
 1958  [岸信介]  高松宮夫妻、灘尾文部大臣
1959  [岸信介]
1960  [池田勇人]中山マサ(厚生大臣)  清瀬一郎(議長)    皇太子参列
1961  [池田勇人]
 1962  [池田勇人]
 1963  [池田勇人]   灘尾文部大臣**全国戦没者追悼式(第1回)
 1964  [池田勇人]
1965   橋本登美三郎(内閣官房長官)
1966  古屋亨
(総理府総務副長官)[佐藤栄作]
 灘尾幸吉(代理)  藤田進(代理)    長崎式典:代読
 1967  堀総務長官?
[佐藤栄作]
1968   亀岡官房副長官[佐藤栄作]  ローマ法王メッセージ
長崎式典:原爆被爆者対策課
の主管となる。
 1969   床次総務長官
[佐藤栄作]
1970   内田厚生大臣
[佐藤栄作]
 荒船清十郎(副議長)  安井謙(副議長
 1971  佐藤栄作(総理大臣)  船田中(議長)  森八三一(副議長)    長崎式典:
1972 二階堂進(内閣官房長官)
[田中角栄]
(メッセージのみ) (メッセージのみ) 長崎式典:
1973 二階堂進(内閣官房長官) (メッセージのみ) (メッセージのみ) 広島・長崎の式典相互参列(初)
長崎式典:二階堂進
1974 斉藤邦吉(厚生大臣) (メッセージのみ) (メッセージのみ) 厚相の代理は初
長崎式典:二階堂進?
1975 田中正己(厚生大臣)
[三木武夫<訪米中>] 秋田大助(副議長) (メッセージのみ) 長崎式典:植木総務長官
1976 三木武夫(総理大臣) (メッセージのみ) (メッセージのみ) 田中厚相
被爆者団体代表との会見
長崎式典:三木武夫
1977 藤田正明(総務長官)
[福田赳夫]
(メッセージのみ) 加瀬完(副議長) アメラシンゲ国連総会議長参列
長崎式典:渡辺厚相
1977 アメラシンゲ国連総会議長参列
1978 安倍晋太郎(官房長官) (メッセージのみ) (メッセージのみ) 長崎式典:小沢厚相
1979 橋本龍太郎(厚生大臣)[大平] 1979年~国庫補助
灘尾弘吉(議長) (メッセージのみ) 長崎式典:
1980 宮沢喜一(官房長官)
[鈴木]
(メッセージのみ) 徳永正利(議長) 長崎式典:斎藤厚相
徳永正利
1981 鈴木善幸(総理大臣) (メッセージのみ) 秋山長造(副議長)
原爆死没者
全国都道府県遺族代表(初)
国際軍縮促進議員連盟代表
長崎式典:村山厚相
徳永参院議長
原爆死没者全国都道府県遺族代表(初)
国際軍縮促進議員連盟
1982 森下元晴(厚生大臣) (メッセージのみ) 徳永正利(議長)
長崎式典:鈴木善幸総理大臣
初村滝一郎労相
7月23日、長崎大水害死没者
(71名)の名簿も奉安。
1983 中曽根康弘(総理大臣) (メッセージのみ)  木村睦男(議長)   谷川防衛庁長官
長崎式典:林厚相
1984 渡部恒三(厚生大臣) (メッセージのみ) (メッセージのみ) 長崎式典:中曽根康弘総理大臣
1985 中曽根康弘(総理大臣)   坂田道太(議長) 木村睦男(議長)
増岡厚相
被爆者援護功労者厚生大臣表彰
被表彰者
第1回世界平和連帯都市市長会議
長崎式典:増岡厚相
1986 斉藤十朗(厚生大臣) 原健三郎(議長)   藤田正明(議長)
デクエヤル国連事務総長
メッセージ
長崎式典:中曽根康弘総理大臣
**全国戦没者追悼式に原爆
死没者遺族を国費で公式招待(初)。
1987 中曽根康弘(総理大臣) 多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長) 長崎式典:斎藤厚相
1988 藤本孝雄(厚生大臣)[竹下登]  多賀谷真稔(副議長) 藤田正明(議長)
三木武夫国際軍縮促進議員連盟会長
長崎式典:小渕恵三官房長官
藤本孝雄厚相
原健三郎(衆院議長)?田村?
1989 宇野宗佑(総理大臣) 安井吉典(副議長) 瀬谷英行(副議長)
長崎式典:デクエヤル国連事務総長
メッセージ(明石事務次長代読)
1990 海部俊樹(総理大臣) 桜内義雄(議長) 小山一平(副議長)
津島厚相
長崎式典:海部俊樹(両式典
への参列は1976年以来2人目)
沖縄全戦没者追悼式に初参列??
1991 海部俊樹(総理大臣) 桜内義雄(議長) 土屋義彦(議長) 長崎式典:下条厚相
1992 山下徳夫(厚生大臣) 桜内義雄(議長)   長崎式典:宮沢喜一総理大臣
1993 [閣僚の出席なし]文田久雄総理府次長 ストヤン・ガーネフ国連総会議長
長崎式典:
古川貞二郎厚生省事務次官
**8月9日細川内閣発足。
1994 村山富市(総理大臣 土井たか子(議長) 原文兵衛(議長) 井出厚相
長崎式典:村山富市
1995 村山富市 土井たか子(議長)  斉藤十朗(議長) 井出厚相
草場良八最高裁判所長官
三権の長全員が参列(初)
長崎式典:村山富市
三権の長全員が参列(初)
1996 橋本龍太郎 鯨岡(副議長) 斉藤十朗(議長)
菅直人厚相
長崎式典:橋本龍太郎 土井たか子(議長)
1997 橋本龍太郎 伊藤(議長) 松尾(副議長)
第4回世界平和連帯都市市長会議
長崎式典:小泉純一郎厚相
1998 小渕恵三 渡部恒三(副議長)  菅野(副議長)
宮下創平厚相
長崎式典:小渕恵三
宮下創平厚相
1999 小渕恵三   渡部恒三(副議長) 宮下創平厚相 長崎式典:宮下創平厚相
伊藤宗一郎(衆議院議長)
2000 森喜朗 長崎式典:森喜朗
長崎式典:森喜朗。渡部恒三衆議院副議長、菅野久光参院副議長。
2001 小泉純一郎
アナン国連事務総長メッセージ
第5回世界平和連帯都市市長会議
長崎式典:小泉純一郎。坂口力厚労相。衆参両院議長が代理も含め欠席するのは1989年以来。今年から両議長の来賓あいさつを取りやめ、献花だけをしてもらうことに決めていた。
2002 小泉純一郎
長崎式典:小泉純一郎(今年は被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず、帰京)、坂口厚生労働大臣。倉田寛之参院議長、約五千五百人。
2003 小泉純一郎
長崎式典:小泉純一郎、(被爆者団体からの要望聴取や慰問はせず)。倉田寛之参院議長、坂口力厚労相
2004 小泉純一郎 長崎式典:小泉純一郎、
長崎式典:小泉純一郎、扇千景参院議長、坂口力厚労相。約五千四百人。
2005 小泉純一郎   アナン国連事務総長メッセージ
長崎式典:小泉純一郎、
アナン国連事務総長メッセージ
長崎式典:小泉純一郎、尾辻厚労相。町田顕最高裁判所長官。長崎市は今年、核保有五カ国を含む計十一カ国に参列を求める招請状を送付。ガルージン代理大使とウクライナのユーリー・コステンコ駐日特命全権大使だけが参列。【32】
2006 小泉純一郎 横路(副議長) 扇千景(議長) 坂口力厚労相
長崎式典:小泉純一郎、
長崎式典:小泉純一郎、川崎二郎厚生労働大臣。河野洋平(議長)、角田(副議長)。核保有国のロシアを含む七カ国の駐日大使ら約四千八百人が参列。【35】
2007 安倍晋三
国連事務総長(セルジオ・デ・ケイロス・ドアルテ軍縮担当上級代表が代読)
長崎式典:安倍晋三、柳沢伯夫厚生労働大臣。横路(副議長)、江田五月(議長)。核保有国ロシアを含む十五カ国の政府代表らが参列。【42】
2008 福田康夫  河野洋平(議長)   江田五月(議長)  【55】
舛添要一厚労相。
国連事務総長(セルジオ・ドアルテ国連軍縮担当上級代表が代読)
55カ国の大使や参事官。
長崎式典:福田康夫、舛添要一厚労相。河野洋平(議長)、山東(副議長)。核保有国のロシア、今回が初めてのスペインなど八カ国の駐日大使ら・
2009  麻生太郎 江田五月(議長)  【59】
舛添要一厚労相。59カ国の代表
国連事務総長(セルジオ・ドアルテ国連軍縮担当上級代表が代読)
長崎式典:麻生太郎。舛添要一厚労相。江田五月(議長)。保有国のロシアを含め過去最多となる海外29カ国の代表。約5800人(市発表)
2010  菅直人  横路孝弘(議長)?  江田五月(議長
長妻厚生労働大臣。潘基文(バンキムン)国連事務総長<(事務総長本人が参列するのは初)>、デスコト国連議長。米・英・仏(初)など74カ国の代表
長崎式典:菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。デスコト国連議長。西岡(議長)江田五月(議長) 。核保有国の英、仏、ロシア、パキスタン、実質的核保有国のイスラエルなど32カ国。約5600人。【74】
2011  菅直人  西岡(議長)
細川律夫厚生労働大臣
長崎式典: 菅直人、外務大臣。厚生労働大臣。44カ国の政府代表【66】
2012 野田佳彦  平田 健二(議長) 【71】+EU、13年
中野外務大臣政務官。小宮山厚生労働大臣。
潘基文(バンキムン)国連事務総長代理;アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表。米・英・仏(初)など71カ国の代表
長崎式典:野田佳彦。外務大臣政務官。厚生労働大臣。42カ国の代表。
2013  安倍晋三  赤松広隆(副議長)  山崎正昭(議長)
 岸田文雄外務大臣。田村憲久厚生労働大臣。
ブーク・イェレミッチ国際連合総会議長潘基文(パン・ギムン)国際連合事務総長(代理)。
【70】
2014  安倍晋三 潘基文(パン・ギムン)国際連合事務総長(代理)。【68】
2015  安倍晋三  【100】
2016  安倍晋三  【91】
2017  安倍晋三  【80】
2018  安倍晋三  【85】
2019  安倍晋三  【89】
2020 安倍晋三  【84】
2021  菅義偉  【84】
2022 岸田文雄 【】
【】は、平和式典に参列した外国政府・国際機関代表の数

 

 

 

 

 

 

ノー句碑・句集

 

『ノー句碑 句集 霜月おんな』(デルタ女の会、19890319)

内容

表紙・裏 「句碑反対」の句会計画
俳句 風見鶏 鳩をまねても 右を向き (布美子作)
短歌 地中より あまたの拳突きあげよ 見せかけの句碑 倒さんがため (布美子作)
あとがき 1989年2月24日 大喪の礼の日に 浜村匡子(デルタ・世話人)
新聞報道
首相の句碑も”任期切れ” 広島市 反対相次ぐ建立計画 朝日新聞19881108
強行に波紋広がる 前首相句碑据え付け 中国新聞19871113
「息長く前首相句碑反対運動」 16団体、抗議座り込み 読売新聞19871115
栗原さんが抗議の詩 市民グループ、市役所で朗読 読売新聞1987119
<句碑建立に抗議して市役所前で座り込み> 毎日新聞19871122

 

 

内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ

内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ

事項
1955 鳩山一郎首相の広島・長崎訪問
1960 9月11日 池田勇人首相、首相就任後初のお国入り。広島市の原爆慰霊碑を参拝、広島原爆病院を慰問。
1971 佐藤栄作首相の広島市平和式典参列
1974 6月 田中角栄首相の長崎平和祈念像(4日)と広島原爆慰霊碑への参拝(8日)
1976 三木武夫首相の広島市・長崎市平和式典参列
1977 福田赳夫首相の広島(8月22日)・長崎(9月18日)訪問
1981 鈴木善幸首相の広島市平和式典参列
1982 鈴木善幸首相の長崎市平和式典参列
1983 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1984 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
1985 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1986 7月1日 中曽根康弘首相の広島訪問、原爆慰霊碑参拝
1986 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列
1987 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列
1989 宇野宗佑首相の広島市平和式典参列
1990 海部俊樹首相の広島市・長崎市平和式典参列
1991 海部俊樹首相の広島市平和式典参列
1992 宮沢喜一首相の長崎市平和式典参列
1993
1994 村山富市首相の広島市平和式典参列
1995 村山富市首相の広島市・長崎市平和式典参列
1996 橋本龍太郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
1997 橋本龍太郎首相の広島市平和式典参列
1998 小渕恵三首相の広島市・長崎市平和式典参列
1999 小渕恵三首相の広島市平和式典参列
2000 森喜朗首相の広島市・長崎市平和式典参列
2001 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
<2002~2006>小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列
2007 安倍晋三首相の広島市・長崎市平和式典参列
2008  福田康夫
 2009  麻生太郎
2010  菅直人
 2011  菅直人
2012  野田佳彦
 2013  安倍晋三
 <2014~2020>安倍晋三

平和記念式典後の総理記者会見20010806

小泉内閣総理大臣記者会見録
(広島市)
平成13年8月6日(月)
【司会】それでは、ただいまから小泉内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。
初めに、広島市政記者クラブから代表質問をお願いいたします。

【質問】 第1点目ですが、在外被爆者の支援問題についてお尋ねします。
大阪地裁は6月1日、在外被爆者にも、被爆者援護法の適用を認める判決を出しました。国外に出ると援護法の適用が認められない現状に、在外被爆者の不満は強く、国内でも支援の動きが強まっています。
判決後、厚生労働省も援護法見直しの検討会を設置しましたが、総理として、在外被爆者支援の在り方をどのように考えておられますか、お聞かせください。

【小泉総理】今日は坂口大臣もお見えになっておられますが、この在外被爆者の問題については、保健・医療等、どういう辺の措置ができるかというのを検討会を設けまして、年内に一定の結論を出していただこうかなということで今、検討を進めていると思います。その検討結果を待って、しかるべき援護措置を講じたいと思っております。

【質問】2点目をお伺いします。
国が平和記念公園内に建設中の原爆死没者追悼平和記念館の展示説明文を巡って、被爆者団体は国策の誤りが戦争につながったという文言を盛り込むように強く求めています。総理はこの問題をどう解決しようと考えていらっしゃいますか。

【小泉総理】 各方面の御意見を伺って、碑文ですから、どういう表現がいいか、それぞれ専門家の意見を伺って妥当なものにしていけばいいのではないか思っております。

【質問】地元からは最後の質問になります。
米国のブッシュ政権は、包括的核実験禁止条約の死文化を目指して、議会に批准を求めない姿勢を見せたり、ミサイル防衛システムの早期配備に意欲を示したりして、核軍縮の動きを逆行させていると被爆者から懸念の声が出ています。
総理は核軍縮を前進させるため、どのような対応を取られるつもりでしょうか。

【小泉総理】アメリカはアメリカの事情もありますし、確か、上院で一度否決されているんじゃないですか。そういうことも伺っております。日本としては、唯一の被爆国として今後も核軍縮に向けて国際社会の場でも今までの歩んできた道を振り返りながら、今後も核廃絶に向かって一歩一歩地道な努力を続けていきたい。また、それぞれの場を生かして、積極的な核廃絶に向かっての努力を世界にも理解してもらえるような努力を続けていきたいと思っております。

【司会】引き続きまして、内閣記者会から代表質問をお願いいたします。

【質問】まず、初めに靖国神社の参拝について、改めて伺います。
総理は8月15日の靖国神社参拝をこれまで繰り返し表明されてきましたけれども、今現在もその気持ちにお変わりはないでしょうか。
また、参拝する場合には、公式参拝という認識かどうか。どのように記帳なさるか。参拝の形式は神道形式にするのかしないのか。公用車を使用し、秘書官を同行させるか。以上の点について、それぞれ御見解をお述べください。

【小泉総理】相変わらずの御質問で、相変わらずの答弁で申し訳ないんですが、虚心坦懐に各方面からの御意見を伺っているところでございます。それぞれ傾聴に値すべきいい御意見だと、お聞きしながら感じております。私自身のことを心配してくださる方、また、日本国家の利益とは何ぞやという観点から、いろいろ御助言くださる方、また、近隣諸国の友好関係を増進していくという外交的見地から、忠告やら御提言をいただく方々、それぞれ本当に親身になって御心配していただく方々の御意見に対しまして、本当にありがたいと思っております。
私自身はそういう御意見をいろいろ今伺っている最中でございまして、まさに賛否両論ありますが、虚心坦懐、熟慮している最中でございますので、いずれ結論を出さなきゃならない問題でございますが、もう少し時間をいただきたいと思います。まさに今、熟慮している最中でございます。

【質問】続いての質問に移ります。来年度予算の概算要求基準の問題なんですけれども、経済財政諮問会議で従来の歳出から5兆円を削減をして、重点7分野に2兆円を配分する方針が確認されました。塩川財務大臣は、公共事業の10%削減などにも言及されていますが、総理御自身は公共事業やODA、防衛費などをどの程度削減するイメージを持っていらっしゃるのでしょうか。
それから、これまで重点化枠と称して与党に配分を任せる方法も取られてきましたけれども、この点などについて与党とどのように調整されるお考えでしょうか。

【小泉総理】

【質問】続きまして、最後の質問ですけれども、今年度予算の補正予算の問題です。経済指標の低迷から、景気の先行きに対する不安が高まり、与党内からも景気対策のための補正予算を望む声が出ています。現時点での総理の補正予算についての考えをお聞かせください。
それから、景気対策の策定の判断基準についてもお聞かせください。

【小泉総理】

平和記念式典後の総理記者会見20000806

森内閣総理大臣記者会見録
(広島市)
平成12年8月6日(日)
【司会】それでは、ただいまから森内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。

【質問】まず、1つ目の質問ですけれども、森総理の「神の国発言」に対して、被爆者団体の中からは不快感を示す声が上がりました。「森総理は広島に来て欲しくない」という声も上がりました。今日のこれから開かれる被爆者の「要望を聞く会」では、代表の出席を取りやめるということでボイコットの意思を示した団体もあります。こういう反応をどのように感じておられるか。まず最初にお聞かせください。

【森総理】私の発言が十分意を尽くさない表現で、多くの方々に誤解を与えたことにつきましては、その後、いろんな機会におきまして、その真意を御説明を申し上げてきております。私の発言が原因で、本日の一部代表の方が御参加いただけなかったことは、大変残念なことだと思っております。
私は、過去の歴史に学び、反省すべきことは反省し、未来に向かっていくことが必要であると考えております。
本日、広島を訪れ、再びこのような悲劇が繰り返されるようなことがあってはならないという思いを新たにいたしております。その意味で、私にとっても今日の会合は大事な機会でありまして、出席された方々のお話は十分真摯にお承りをして対応してまいりたいと、こう考えております。

【質問】それでは、2つ目の質問ですが、今年5月にニューヨークで開かれたNPTの再検討会議の最終文書で、「核兵器廃絶に向けた明確な約束」という文言が盛り込まれました。これまでの「究極的目標」という表現との違いはどこにあって、今後の核兵器廃絶への取り組みをどのように促していかれるのか。また、具体的な日本の役割は何だと思われるか、お聞かせください。

【森総理】我が国は、94年に初めて究極的核廃絶決議を国連総会に提出をいたしましたが、このことは、核兵器国に最終的には核兵器のない世界を目指すという目標を認めさせた点では画期的なものであったと思います。
先般の核兵器不拡散条約運用検討会議にて採択されました最終文書では、5核兵器国が「究極的」という文言を削除をいたしまして、「核兵器廃絶に向けた明確な約束」という文言を認めたわけでありまして、このことは核廃絶をより現実的な課題として認めたということになるわけでありまして、核廃絶へ向けてさらなる前進であったと、このように考えております。
それから、先般の九州・沖縄サミットにおきましては、議長国として核兵器不拡散条約運用検討会議の成果に基づいて、核軍縮・不拡散に向け一層努力していくということで、G8の合意を達成をいたしました。改めて沖縄から世界に向けて平和へのメッセージを発出することができたと、このように感じております。
我が国は唯一の被爆国といたしまして、今後とも核軍縮推進の先導役を果たす考えでありまして、今後は運用検討会議で合意された核軍縮に関する現実的措置の実施を確保するために、外交努力を一層強化していきたいと考えております。
その一環といたしまして、この秋行われます国連総会にも新たな核廃絶決議案を提出したいと考えております。

【質問】それでは、最後3つ目の質問ですが、日本国内、そして朝鮮半島など海外には今も多くの被爆者の方が、今も続く被害と闘っています。今後、日本の被爆者、それから海外の被爆者、それぞれどのような援護対策を講じるべきだと思われておられますか。

【森総理】多くの被爆者の方が、今もなお国の内外において後遺症等で苦しんでおられることは誠にお気の毒に思っております。今日、平和記念式典に参列させていただきますこの機会に、原爆養護ホームの「倉掛のぞみ園」を慰問させていただきまして、あのような惨禍が2度と繰り返されることがないよう、また、被爆者の方々が安心して暮らしていくことができるように努力していくことが私の責務であるという思いを新たにいたしました。被爆者の方々の援護に関しましては、被爆者援護法に基づく各種援護施策が講じられているところでございますが、これからお伺いする御要望も真摯に受け止めて、被爆者の方々の実情を十分に酌み取りながら、被爆者援護法に基づく援護施策の着実な実施に努めてまいる、そのような所存であります。
なお、朝鮮半島を始めとする在外被爆者の方への援護に関してでありますが、被爆者援護法は、法制定当時の経緯やその給付が保険料等の拠出を要件とせず公的財源により賄われているものであることなどから、国内に居住又は滞在している方のみを対象としております。
しかしながら、この法律では国籍要件を設けていないことから、在外被爆者の方でありましても、日本においでになられた場合には、国籍を問わず、その間、被爆者援護法に基づく医療の給付等が可能になっておりまして、政府としては、対象となる方々が訪日される場合には、きちんと誠意を持って対応し、被爆者援護法に基づく医療の給付等の援護を行う考えでございます。
また、韓国、北米、南米の海外の被爆者に対しましては、これまでも医療支援、健康診断事業といった措置を実施してきております。
また、北朝鮮につきましては、本年2月から3月にかけて、朝鮮被爆者実務代表団が訪日し、日朝双方関係者の意見交換が行われたと承知をいたしております。
今後ともかかる交流を通じまして、相互の認識が深められることを期待いたしておりますとともに、政府としても、在北朝鮮被曝者の実態に応じて、医療上の人道支援を含め、どのような援助が可能であるかを検討していきたいとこのように考えております。

【質問】総理は衆議院予算委員会で、靖国神社の参拝について、「国民や遺族の思い、近隣諸国の感情を考慮し、慎重に、自主的に判断したい」と答弁されましたが、公式参拝について最終的にどう判断されますか。日をずらしての私的参拝といった可能性も含めてお答えください。
また、靖国神社を巡りましては、野中幹事長が官房長官時代にA級戦犯の分祀と特殊法人化を提唱しましたが、この考えについてはどう思われますか。

【森総理】常に申し上げておりますとおり、私自身、戦没者に対する追悼の気持ちは誰にも増して強く、また、今日の我が国の平和と繁栄が、戦没者の方々の尊い犠牲の上にあると考えておりますことには、変わりはございません。
今年の8月15日につきましては、諸般の事情を総合的に考慮した結果、先に国会でも申し上げておりますように、私自身が、自主的に、また慎重にいろいろ判断をいたしまして、公式参拝することは控えたいと考えております。
なお、今お尋ねの私的参拝についてということでございますが、これはまだその時期に至っているわけでもございませんし、これも国会で申し上げておりますように、私個人の心の問題でございますから、慎重、かつ自主的に判断をしたいとこのように考えております。
それから、分祀の問題、あるいは特殊法人化の問題でありますが、これはもう我が党でも20年以上、この靖国問題を議論している中ではいつもこの問題が出ているわけでございまして、私自身も、まだ若いころにも、この点につきましても、議論を重ねてまいりました。靖国神社は宗教法人でありますから、憲法の保障する信教の自由に基づいて検討されるべきものと考えております。この時点で、政府として見解を申し上げる事項ではないと考えております。

【質問】総理は先の臨時閣議で公共事業の大幅な見直しの方針を示されています。これはどういったことを念頭に置いておられるのか。具体的にお答えいただければと思います。
その中でも象徴的な存在となっています吉野川の可動堰、あと中海の干拓事業については、どのように対処されようと考えていらっしゃいますでしょうか。

【森総理】

【質問】最後の質問になりますが、あっせん利得罪について、国会議員だけではなく、秘書や地方議員も含める案がありますけれども、総理は適用範囲、法制化の時期についてどう考えておられますか。

【森総理】

平和記念式典後の総理記者会見19980806

小渕内閣総理大臣記者会見録
広島市
平成10年8月6日(木)
【司会】 それでは、ただいまから小渕内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。

【質問】 早速ですけれども、国が広島市に計画している原爆死没者追悼平和祈念館建設についてお伺いしたいと思います。今年3月に衆議院の厚生委員会で小泉前厚生大臣が建設計画の見直しともとれる発言をなさいました。総理の方針を確認させていただきたいと思います。併わせて、予定どおりもし建設推進ならば今後の建設スケジュールと建設理念もお聞かせください。お願いいたします。

【小渕総理大臣】 まず、皆さん御苦労様でございます。若干、遅参をいたしましてお許しいただきたいと思います。

まず、ただいまのお尋ねでございますが、原爆死没者追悼平和祈念館につきましては被爆者援護法や同法制時の衆議院厚生委員会の附帯決議におきまして早期に設置を図るべきものとされておりまして、これを受けまして検討会を設けておりまして、開設準備のための検討を鋭意進めていると聞いております。この祈念館につきましては、国が原爆死没者の犠牲を明記し、かつ恒久の平和を祈念するための施設を設置することに意義があると考えております。

また、検討会におきましてはこの既存の施設と重複しない形での整理も可能との検討が進められておりまして、9月にも報告をまとめられるものと聞いております。その報告を受けまして、建設に向けて具体的な作業に入ってまいりたいと考えておりますが、私といたしましてもせっかく今、申し上げましたように国会の決議にも委員会の決議にもございますので、既存のこの施設との関係も十分検討していただきまして、ともにこの死没者のための慰霊も含めまして意義あるものが建設されることになれば望ましいと思っておりますが、いずれにしても検討会で進めておることでございますので、これ以上申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、気持ちとしてはそこにあると御理解いただきたいと思います。

【質問】 分かりました。続いて、臨界前核実験について広島では以前からCTBTの精神に反すると明確に抗議しています。それで今後なんですが、アメリカを始め核保有国各国の核軍縮と、このほど核実験を強行したインド、パキスタン、両国間の関係改善について総理はどうイニシアチブをとるおつもりなのか、お聞かせください。

【小渕総理大臣】 我が国は従来より核保有国に対し一層の核軍縮を推進することを求めてきておるところでございまして、今後とも米露両国に対して第二次戦略兵器削減条約、いわゆるSTARTⅡが今ロシアにおきまして、国会で批准が非常に停滞しておるということでございますので、私もプリマコフ外務大臣と会う度にこのことを申し上げてきておりますが、Ⅱが終わったらⅢの問題もあるわけですから、早期にこれが交渉開始を粘り強く米露、すなわち5大国において最も核保有国、この2つの国が徹底的に核を削減しなければ究極の核はなくなるという方向にならないわけですから、それを現実の問題としては是非両国に強く求めていきたいというふうに思っております。米露以外の核兵器保有国に対しましても、現在の核軍縮努力を一層強化していくように求めていくところでございます。

なお、未臨界高性能爆薬実験、包括的核実験禁止条約、CTBTにおきまして禁止されていないというのが国際的な認識であると考えておりまして、現時点では有効な検証手段が存在しない等の事情もあり、将来の課題として検討されるべきものと考えております。

いずれにいたしましても外務大臣時代、いわゆる印パの核実験に対して、日本政府は唯一の被爆国としての立場から両国に強くその中止を求めてきたところでありますが、残念ながらこれを強行してしまったということでありまして、その後ジュネーブの軍縮会議でもありましたし、G5での会合もありました。その後G8、ロンドンでの会議に私自身も出席をしまして強く求めましたが、私としてはいわゆるG8の中には核保有国があるわけでありまして、それと同時に核を保有をすればできたと思われる国、あるいはその開発を途中で中止した国について、その連携をできる限りとりたいと私が念願をしまして、G8につきましてもそうした国々の御参加を実は求めて会議が開かれたわけでございます。

その後、私もその国の一か国と思われるブラジルにこの間、日本の移民90周年に行った折にカルドール大統領に強くこのことを申し上げまして、できればアルゼンチン、それから今、言ったブラジル、南ア等々の国と連携を密にしていきたいというふうに考えておりますが、今日の新聞によればでございますけれども、あの永世中立国たるスイスにおきましても、核保有のための検討がなされておったやに聞いておりますが、これはもう中止されたと、正確な報道でないから私も承知しませんが、こういう国々と連携をとりながら現実に保有する5か国プラス2か国に対して、きちんとこれから核保有について人類のために少なくしていく努力を、確実になるように、日本の立場をより主張していきたいというふうに考えております。

【質問】 分かりました。続きまして、今日の式典のあいさつでも少し触れられたかと思うんですが、国際フォーラムの時期と内容、あとは出席候補者について構想を伺わせていただきたいと思います。 合わせて、2000年に日本で予定されておりますサミットの誘致について、広島も立候補しておるんですが、各地で地元を挙げた運動が始まっております。開催地選考についてのお考えを伺わせてください。

【小渕総理大臣】 インド、パキスタンの核実験を受けまして不拡散体制を堅持強化し、世界的な核軍縮を一層促進することについて検討を行うために日本国際問題研究所及び広島平和研究所の共催によりまして核不拡散、核軍縮に関する緊急行動会議を開催することとし、現在8月30日、31日に第1回の会合を東京で行うべく準備中でございます。内外の著名な有識者20名程度の参加を得て、この1年間に4回程度の会合を行いまして、国際社会の提言をまとめることを目的といたしておりますが、こうした類似ではありませんがいろいろな目的を持っての会合は豪州等で開かれた経緯もあります。

それで、このフォーラムにつきましては私がG8のときに我が国の主張ということで、こうした行動会議を開きたいという提案をいたしましたところ、参加国がこぞって賛同の意を表したわけでございます。そういった意味では、日本のイニチアチブの一つだというふうに私は認識をしておりますし、こうした地道ではありますけれども行動会議を通じて世界の有識者の皆さんに核廃絶、核軍縮に向けて、こうした努力の積み上げということは非常に地味でありますが効果を発揮するものだというふうに考えておりますし、今、申し上げましたように広島に平和研究所が設立をされました。長い間、私も国連と日本政府という立場でありますけれども、同一の考えを持ちまして行動してきた明石さんが所長に就任をされたということを大変心強く実は思っておるわけでございまして、是非この行動会議が意義ある会議として今後継続をしていっていただきたいと思っております。

時期によりましては、また当広島においての開催等も念頭に置いてしかるべきではないかと私自身は考えております。

それから、第2点の2000年のサミット、これにつきましては一時ロシアがこの年にサミットを開催したいという希望が申し述べられておりまして、実は今年のサミットにおきましてロシア側からそういう御希望が我が国にも伝えられておるところでございますが、いずれにしてもこれは開催国のイギリスがお預かりしておりまして、現時点においては恐らくこのサミットの開催地の変更ということはあり得ないのではないか。日本側としては、もしその他のサミット国が御賛成されれば、日本としては新しく加盟したロシアのお立場というものも決してないがしろにするつもりはないと思っておりましたが、ほかの国々も順序を変えることは望ましくないのではないかという考え方に傾いておるということでございますので、最終的にはイギリスのクック外相にお話申し上げておりますが、対応としてはそういう形であれば2000年には我が国ということになると思います。

そこで、その開催地につきましてですが、私は国会でも申し上げているように、過去3回実は東京で開いております。それで、それぞれのサミット国も実は3回同一でやったところはありますけれども、4回目からはその他の地区に移っているんです。それで、日本はもちろん首都東京が最も便利と言えば便利なのかもしれませんが、この機会に日本全国各地区で御希望があり、また国民の皆さんもそうした形を望まれると言うのであれば、いわゆる地方で開催することも望ましいと私は国会でも答弁しております。

でありますが、しからばいかなる地域かということでございますが、広島も希望されておると聞いておりますが、ほかの地区も熱心に熱心に希望しておりますので、今の段階ではいずれとも判断しておりませんが、あらゆる条件ができる限り整っておる地域に最終的には決定をしていくと思っておりますが、これまた御案内かと思いますけれども、従来のサミット、首脳会談と、その前に開かれる外相、大蔵大臣の会合がロンドンから実は2段構えになっております。したがって、2000年の東京におきましてはどのような方式になるか、これも一つの大きなポイントだろうと思っております。99年のドイツにおきまして、従来のような形で同一の地域において2つの会合が行われるか、今年開かれたようにロンドンで外相、蔵相会議をして、その後、首脳会談は静かなるバーミンガムで開くという初めてのケースもございますので、そうしたことを勘案いたしまして、我が国におきましても1か所で行い得るのか、あるいはそうした時間差を置いての会合になるか。これまたこれからの判断があるかと思いますが、現時点におきましてはいずれとも決定をしておらないということでございます。

【質問】 まず最初の質問です。不良債権処理の関連法案をめぐってですが、野党側には政府自民党は経営者の責任などが不明確だとして修正を求める動きがあります。総理は政策ごとの野党との連携にこれまで積極的なお考えを示してきたんですが、これらの法案の扱いについてどのような態度で臨むのか、よろしくお願いします。

【小渕総理大臣】

【質問】 続いてですが、政府自民党は所得課税の最高税率の引下げと、ほかの所得階層で税額を一定の割合で減らす定率方式との組み会わせで7兆円規模の減税を行う方向で調整中ですが、具体的な減税の方式や規模について総理としてお考えをお聞きしたいと思います。

【小渕総理大臣】

【質問】 最後の質問ですが、減税などの財源の確保のために総理は財政構造改革法の凍結を主張してきましたが、凍結の期間はどの期間が適当か。あるいはまた、凍結のための法案は通常国会での提出を考えているのか、それとも今の臨時国会か。併せてお伺いしたいと思います。

【小渕総理大臣】

平和記念式典後の総理記者会見19970806

広島平和祈念式典における橋本内閣総理大臣記者会見
平成9年8月6日
【質問】 まず、被爆者団体からの要望についてお伺いします。国が広島市に建設する原爆死没者追悼平和記念館をめぐって、地元被爆者からは建設理念を明確にせよとの声が挙がっています。これまでの要望を聞く会でもこの問題が取り上げられましたが、誠意ある回答がないとして、今年は3団体が出席をとりやめました。このことについての見解をお願いします。

【橋本総理】 原爆死没者追悼平和記念館開設準備検討会、この中間報告ではもう既に皆さんも御承知のように、その設置の理念については日本国憲法の前文並びに被爆者援護法の前文及び第41条の精神にのっとり設置するとされておりますし、具体的な内容については現在厚生省の準備検討会で、地元や被爆者団体の皆さんの意見を伺いながら準備を進めている最中です。

これは、我々として更にその設置の理念の問題も含めて、広く国民の共感の得られるような施設としたいと、そういう思いで皆さんからの御要望を踏まえながら検討をしてきましたし、これからもしていくつもりです。今回、一部の方々が出席をしていただけないということは私は大変残念ですけれども、私どもとしては被爆者団体を始めとして、地元の方々から実情あるいは御要望を聞くというのは大事なことだと思っておりますし、そういう機会は大変貴重なものですから、広く御意見を伺いたいという姿勢は、参加をしていただけない方々があった、それは残念だけれども、その姿勢を変えるつもりはありません。これからも耳を傾けていきたいと、そう思っています。

【質問】 次に、広島における原爆関連施設についてお伺いします。日米共同出資で運営している放射線影響研究所の移転問題が持ち上がっています。広島市は、新しい研究所を建設して放影研側に賃貸する方法を提案していますが、政府としての今後の見通しをお願いします。また、被爆者の高齢化が進む中、広島県・広島市が新たな原爆養護ホームの建設を検討した場合、国として補助の考えがあるか、お願いします。

【橋本総理】 放影研の移転費用の圧縮のために、新たな研究施設を放射線影響研究所に賃貸するという方式を考えていただいていることも知っていますが、この移転問題というのは実現に向けてこれまでも積極的に米国政府と協議を続けてきましたし、今後とも引き続き移転の実現に向けて努力をしていきたいと、そう考えていることに変わりはありません。

また、原爆特別養護ホームあるいは原爆養護ホームといった被爆者を対象とする施設、これは地域の実情に即して考えられていくべきものですから、これから県や市とまたお話をする機会がありますけれども、その県や市の御意向を伺いながら、具体的にその御要望が出てくれば、国としてどういうお手伝いが出来るか、検討していきたいと思っています。

【質問】 アメリカの臨界前核実験についてお伺いします。今月中にも臨界前核実験の実施を明らかにしているアメリカに対し、地元からは政府の毅然たる態度を求める声が挙がっています。本日の平和宣言で、平岡広島市長は核の傘という言葉を使い、アメリカの核兵器に頼らない安全保障体制構築への努力を求めました。政府としての今後の対応をお願いします。

【橋本総理】 私は、被爆地広島の市長として、市長さんが核の傘という言葉を使われたお気持ちを理解出来ないと申し上げるつもりはありません。これは恐らく広島だけではなく、長崎でも同じような思いの方がおられるだろうと思います。そして、そういうお気持ちがあることを理解をしますけれども、同時にアジア・太平洋地域というものを振り返っていただくとき、いろいろ不安定な要素がある。そういう状況の中で、日米安全保障条約というものによって支えられている安全保障の仕組みというものが、私はこの国にとって必要なことだと考えています。

そういう中で、確かに市長さんの平和宣言の中に込められた思いというものは理解をしながら、逆に日米安全保障条約というもの、それを基盤とした日米関係というもの、そして同時にこの日米安保体制というものの中で、米軍のプレゼンスがアジア・太平洋地域に確保されていくということが、この地域の安定の上で大きな役割を果たしているということも是非御理解をいただきたいなと、そんな思いも持っています。

同時に、正確には未臨界構成の爆薬実験ですか、これは申し上げるまでもなく包括的核実験禁止条約において禁止されていないというのが国際的な認識だと思います。そして、我々は今CTBTそのものの発効のために努力をしています。そのCTBTの発効、発効前ということにかかわりなく、この条約で禁止されていない行動というものに対して抗議をするといった考え方は持っていません。

むしろ我々としては、一日も早くこれが発効するように努力をしていくということが、我々にとって大事なことではないかと、それは本当にそう思います。

【質問】 3点御質問させていただきます。橋本総理の自民党総裁再選が確実視されていますけれども、党役員人事と、それから閣僚の改造人事の時期及び規模について御見解を伺いたいと思います。

【橋本総理】

【質問】 では、2点目なんですが、北朝鮮との審議官級の会議の開催が難航するという見方が一部報道では出ていますけれども、それについての見通しと、それから北朝鮮の食糧事情あるいは政治状況などについて総理の御見解あるいは認識を伺いたいと思っております。

【橋本総理】

【質問】 3点目ですが、日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインなんですが、この見直しに絡んで、いわゆる日本周辺事態、日本周辺有事の範囲についてどう考えるかという論議が一部で盛り上がっていますけれども、それについて総理の御見解をお話いただきたいと思います。

【橋本総理】

平和記念式典後の総理記者会見19960806

平和記念式典(広島市)における総理記者会見19960806

[質問] 最初の質問ですが、国が計画している平和祈念館の建設理念に、国の戦争責任を明確にした上で、核兵器廃絶に向けた国の決意をそこに明記する考えはありますでしょうか。

[橋本総理] 原爆死没者追悼平和祈念館について、国は原爆死没者全体に対する永続的な追悼を行う、そして、永遠の平和を祈念すると同時に、原爆に関する資料及び情報を幅広く収集、整理をし、後代に継承していく、これを目的として広島と長崎につくうとしているものです。
この設置に当たっては、昨年11月、厚生省に設置しましまた原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会においてこの具体的な内容についての検討を行っていただいているところですが、本年の2月に公表されました「原爆死没者追悼平和祈念館基本設計に際して留意すべき事項について」という中で、祈念館の設置の理念については、日本国憲法の前文、被爆者援護法の前文及び第41条の精神とするとされております。
これから先、なお具体的な内容について検討会の中で御審議をいただきたいと考えているところです。

[質問] それでは次の質問に移ります。被爆者援護法について法の不備が指摘されていますが、今後、法改正の可能性はありますでしょうか。

[橋本総理] 平成6年に、被爆者援護法は制定された訳ですけれども、この法律は、被爆者の高齢化が進んでいること、そして、被爆者援護対策の充実・強化というものが喫緊の課題であることとともに、被爆後50年という節目の年を迎えることなどを考えて、国家補償という文言の取扱いを含めて政府与党内で精力的な調整を行いました。そして、国会で十分な御審議をいただいた上で成立をしたもので、今、見直すということを考えてはおりません。
この法律は、従来の原爆2法同様に、国内で被爆された方々を対象として立法されたものですから、国外の被爆者に対して、この法律を適用することは出来ない訳ですが、国籍要件を設けていないというところに一つの特色があります。言い換えれば、在外被爆者の方々でありましても、日本国内に滞在しておられれば、この法律は適用される訳です。また、国外に居住される被爆者の方々については、基本的には、その健康と福祉をあずかるそれぞれの国において対応していただくべきものだと思いますけれども、在韓国の被爆者の方々については、人道的な観点から、平成2年5月に、医療面で総額40億円程度の支援を行うことを日本側として意図表明をしてきました。そして、これを踏まえて、我が国政府から平成3年度及び平成4年度において合計約40億円、これを韓国赤十字社に対して拠出をしております。これが今実態として申し上げられることです。

[質問] 次ですが、被爆地と国では核兵器の違法性について異なった判断をしていますが、国際司法裁判所の判断に対する評価と、政府が海外で原爆展をしていく可能性があるかについてお尋ねします。

[橋本総理] 国際社会において、主要な司法機関ということになれば、国際司法裁判所、ICJということになる訳ですが、そのICJの判断については我々はこれを厳粛に受け止めておりますし、この勧告的な意見というものが核兵器の国際法上の評価に対して、今後いかなる影響を与えていくか、私どもとしては非常に注目をして見ているところです。
政府としては、このICJにおける口頭陳述で述べたとおり、核兵器の使用というものがその絶大な破壊力、殺傷力のゆえに、国際法の思想的基盤にある人道主義の精神には合致しないと考えてきました。いずれにしても、政府としては、人類に多大な惨禍をもたらし得る核兵器、我が国だけが広島と長崎においてその被爆の体験を持つ訳ですけれども、こうした核兵器が将来二度と使用されるようなことがあってはならない、そして、核兵器のない世界というものに向けて我々は努力をしていかなければならない。核兵器のない世界を目指した、現実的かつ着実な核軍縮の努力を積み重ねていくことが重要だと考えています。
そして、今原爆展についてお触れになりましたけれども、7月26日に広島市と長崎市から広島・長崎原爆展を国の事業とする御要望が外務大臣あてに提出をされたと報告を受けました。政府としては唯一の被爆国として、原爆の悲惨さ、そしてこれを繰り返してはならない、人類はそれほど愚かではないはずだという強い願いを後世に伝えていくことは本当に重要なことだと思います。
その上に立って、実際に国の広報活動、海外広報活動としてこれを行おうとする場合には、相手国、すなわち受け入れ国との関係などありますし、その開催の対応、規模、様々な要素を総合的に勘案しながら、具体的な案件ごとに検討していかなければならない性格のものだと、そのように思っています。

[質問] 先日シーリングの方が決定いたしましたけれども、今後、財政再建にどう取り組んでいく考えか、また、景気の本格回復に向けて、補正予算を求める声が出ておりますけれども、財政再建と補正予算についてどういう認識で総理はおられるかということをお伺いしたいんですけれども。

[橋本総理]<略>

[質問] 与党内には、総理の衆議院解散・総選挙の時期について、年内という見方が広まりつつある一方で、年明けの通常国会冒頭など、巷間いろいろ推測されているんですけれども、総理の基準として国民に信を問うタイミングとしてはいつ頃を考えているかというのが1点です。
あと、予算編成と解散・総選挙の関係とか、あと、総理は通産大臣の頃から解散を打てるような景気状況にすることが非常に大切なんだという言い回しをしてきたと思うんですけれども、年内解散、現時点では解散を打てるような景気状況にあるというふうに見ていらっしゃるのか、その辺のことも含めてお願いします。

[橋本総理]<略>

[質問] 最後に質問させていただきます。今お話のありました沖縄問題なんですが、この解決に向けまして現在政府与党で進めております振興策の進捗状況は現在いかがなものかということと、更に、この問題について、総理補佐官を置くことについて、橋本総理のお考えを聞かせてください。

[橋本総理]<略>

広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。

国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。

広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫

広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。
広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。
七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。
我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。
私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。
終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。

平成19年8月6日
内閣総理大臣 安倍晋三

広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日ここに、被爆五十六周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。

今から五十六年前の今日、原子爆弾の投下により、幾多の尊い生命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃墟と化しました。現在では市民の皆様の並々ならぬ御努力により、国際平和文化都市として、ますますの発展を遂げておりますが、現在の平和と繁栄の礎に、原子爆弾の惨禍による尊い犠牲があることを決して忘れることはできません。

人類史上唯一の被爆国である我が国は、平和憲法を遵守し、非核三原則を堅持するとともに、原子爆弾による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を、国際社会に訴え続けてまいりました。

昨年十月の国連総会において、我が国は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効など、核軍縮・核不拡散のための具体的措置を盛り込んだ「核兵器の全面的廃絶への道程」と題する決議案を提出し、圧倒的多数の支持を得て採択されたところです。また、本年九月には、CTBT発効促進会議がニューヨークにおいて開催されます。我が国としては、これまでも様々な機会を通じてCTBT発効のための努力を行ってまいりましたが、この会議が成功するよう努力するとともに、更にこれを契機として、一層、積極的に各国への働きかけを行うなど、我が国は、今後とも国際社会の先頭に立ち、核軍縮・核不拡散の取組を押し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。

また、被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策の充実を図ってまいりました。今後とも、高齢化が進む被爆者の方々の実状を十分に酌み取りながら、援護施策の推進に誠心誠意努めてまいります。さらに、来年度開館する予定の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館につきましては、原子爆弾による死没者の方々の尊い犠牲を銘記するとともに、永遠の平和を祈念し、原子爆弾の惨禍を全世界に伝えるための施設となるよう努めてまいります。

ここ広島において、本日の式典に臨み、私は平和への思いを新たにし、原子爆弾による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、恒久平和の実現に全力で取り組んでいくことを御霊の前にお誓い申し上げます。

終わりに、亡くなられた方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の方々の今後の御多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念申し上げます。

平成十三年八月六日

内閣総理大臣  小泉 純一郎