「NGO(は行)」カテゴリーアーカイブ

ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会刊行物

ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会

刊行物

発行年月日 書名
20040929 証言 原爆納骨安置所と佐伯敏子さん
20070126 証言原爆で消えた町から
20100505 証言町と人の記憶
20110805 消えた町 記憶をたどり 絵と証言 森冨茂雄
201407027 2014年度 第21回ヒロシマ・フィールドワーク(チラシ)
20150503 証言記憶の中に生きる町 中島本町・材木町・天神町・猿楽町
20160503 証言 生きている町 原爆で灼かれた材木町・中島本町
20160917 証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆
2017085 証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町
20190805 証言そこに子どもたちの遊んだ町があった 中島本町・材木町・中島新町・大手町
20200805 Disappeared towns, tracing memories : drawings and testimonies by Shigeo Moritomi

 

 

爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか

『爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか』(武田寛著・広島県労働者学習協議会編、学習の友社、20000806)

発刊に寄せて(赤松宏一)
はじめに
1 原爆の本質と実相の検証
1 原爆の原理
2 原爆被害その一 爆風と熱線
(1)爆風
(2)熱線と高熱火災
3 原爆被害その二放射能と原爆症
(1)放射能
(2)原爆症とその研究
4 原爆被害その三家屋の損壊と被害の総合的検討
(1)家屋の損壊状況
(2)被害の総合的検討
5 原爆死没者数を推計する
6 原爆後障害とは
第1部補論 本書の方法
2 原爆手記に学ぶ
1 広島市版『原爆体験記』
2 朝日新聞社版『原爆体験記』
3 『絶後の記録広島原子爆弾の手記』
4 『星は見ている』
5 『いしぶみ』
6 『広島第二県女二年西組』
7 『八月の少女たち』
8 『流燈』
9 『木の葉のように焼かれて』
あとがき

 

 

広島県宗教連盟

広島県宗教連盟

略年表

年月日 事項 備考
19450806 被爆直後、爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬されました。
194601 広島市宇品神田三丁目養徳院住職 国居道憲氏、呉市西辰川町白蓮寺住職 吉川元晴氏らが原動力となって、広島市戦災死没者供養会が設立され、名誉会長に浅野公爵、会長に広島市長が就任
19460429 慈仙寺鼻に供養塔を建設することを決定
194605 「広島市戦災死没者供養塔」建立。卒塔婆を形どった高さ6mのもの(木材不足のため張りぼて)
供養塔完成後の約1週間、広島県仏教連合会、供養会、町会連盟、広島市、広島県は在広各新聞社の後援で戦災死没者遺骨収容大供養週間とし、各町内会は、遺骨収集作業日とし、自主的に区域内の遺骨を収容し、追善供養を執行。
194607 バラック建ての納骨堂と礼拝堂が市民の喜捨により建立。
19460806 供養塔前で各宗派合同の慰霊祭。以後、毎年開催
1950 広島市戦災死没者供養会を「広島戦災供養会」に改組。新供養会は、地元各界から選ばれた民間組織となる。以後、毎年の慰霊祭は、供養会主催により8月6日、朝6時15分から執行。
195507 50m北寄りの現在地に新供養塔を建設。大きさ:直径16m、高さ3.5m。表面に芝生を植える。
以上の出典:『原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ 』(原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ  https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15507.html
19960806  『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌 平和と慰霊・追悼の歩み』刊行。

 

広島文団連ニュース1970~2020

『ヒロシマを刻む 広島文団連ニュース1970~2020』(広島県文化団体連絡会議、21210122)

内容<作業中>

No.
19700310 深川宗俊、村上忠人、
19710704 第2年度新役員
19720112 001
19720613 005
1973
1974
1975
1976
19771001 006 文団連ニュースの復刊
19780201 009
19790101 016
19800131 024
1981 034
1982 043
1983 051
1984 056
1985
1986 060
1987 064
1988
1989 069
1990 071
1991 073
1992 076
1993
1994 078
1995 080
1996 083
1997 086
1998 090
1999 093
2000 094
2001 095
2002
2003 098
2004 100
2005 101
2006 102
2007 105
2008 109
2009 110
2010 113
2011 116
2012 118
20121115 120
120 四国五郎さんの絵画の保全と保存について
120 「文団連を担った人びと」中川秋一さん<1980年11月11日病没>
2013 121
20140413 124
124 四国五郎顧問逝去
20140722 125
125 四国五郎さんを偲ぶ会
2015 127
2016 129
20170411 131 「2017ヒロシマ学習」宇吹暁「ヒロシマの過去・現在・未来」
20170906 132 「第34回とうろう集会(20170730)」
20180223 133
20190421 134 「第36回とうろう集会(2018)」江種祐司「今伝えたい―被爆証言 命の限り」
20200619 135 2019年度広島文団連第44回定期大会(0421)
135 「ヒロシマ学習2019」アーサー・ビナード
20200507 136 「ヒロシマ学習2020」宮崎園子記者(朝日)
136 「第36回とうろう集会(20190803)」山田寿美子「原爆孤児として生きて」
20200619 137 2020年度広島文団連第45回定期大会(0517)
137 <特集>コロナと文化~コロナで変化したこと~

広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌

『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌-平和と慰霊・追悼の歩み』
( 中外日報社広島支社編、 広島県宗教連盟刊、19960806)

 発刊に寄せて( 広島市長 平岡敬)
序文( 広島県宗教連盟前々理事長・広島東照宮宮司 久保田訓章)
記念誌に寄せて( 広島県宗教連盟前理事長・カトリック広島司教区司教 三末篤實)
戦前・戦後の広島の宗教地図
1、ヒロシマのもつ意味 2
2、神社神道(広島県神社庁)5
3、仏教
戦後50年 平和と慰霊・追悼の歩み
1、昭和20年代(1945~54年)26
2、昭和30年代(1955~64年)36
3、昭和40年代(1965~74年)43
4、昭和50年代(1975~84年)52
5、昭和60年代から平成へ(1985~96年)
戦後50年 加盟教宗派の歩み
 1、 神社神道(広島県神社庁)74
  2、 仏教
 浄土真宗本願寺派 90
臨済宗妙心寺派 151
曹洞宗 161
浄土宗 170
真言宗 175
真宗大谷派 180
日蓮門下 188
 3、  キリスト教
 カトリック 205
 プロテスタント 231
執筆者:宗藤尚三・橋本栄一・永井秀明
Ⅰ.復興期におけるキリスト者の平和への歩み
A.ヒロシマ・ピース・センター
B.プラハ平和会議への参加
C.戦責告白と清鈴園運動
Ⅱ.広島キリスト者平和の会の歩み
A.広島キリスト者平和の会の発足
B.広島キリスト者平和の会総会
C.日本キリスト教団と西中国教区の動静
D.被爆者クリスマスの推移(’80年~’90年)
E.2.11集会の推移
Ⅲ.宗教者HGO広島協議会の平和への取り組み
Ⅳ.YMCAを基点とした平和運動
Ⅴ.YMCA国際平和研究所の活動
Ⅵ.日本基督教団中国教区核問題委員会の働き
Ⅶ.チェルノブイリ救援広島委員会の働き
 4、  教派神道
大本・出雲教ほか257
資料編
1、規約 268
2、役員 272
3、行事資料 275
4、年表
あとがき( 編纂委員長・大本広島本苑名誉本苑長 桑原英昭)

 

広島文学資料保全の会

広島文学資料保全の会 設立:1987年2月17日

資料

 発行年月日  書名 備考(著者・発行所など)
1990/08/01  行李の中から出てきた原爆の詩 広島文学資料保全の会編  暮しの手帖社 G
  1995/07/30 さんげ 原爆歌人正田篠枝の愛と孤独 広島文学資料保全の会  社会思想社 G
 2014/01/15 人類が滅びぬ前に 栗原貞子生誕百年記念 広島ミニコミセンター編  広島文学資料保全の会 G
 2004/12/01 峠三吉 被爆日記 池田正彦、松尾雅嗣 編  広島大学ひろしま平和科学コンソーシアム G
 2017/07/03 峠三吉と四國五郎駆けぬけた広島の青春(リーフレット) 広島文学資料保全の会・四國五郎[四国五郎]追悼の会 G
 1999/04/08 広島に文学館を 広島の心を21世紀に伝えよう! 尾津訓三・池田正彦編  広島文学資料保全の会 GU
 2016/07/01  未来への伝言 記憶遺産シンポジウム記録・資料集 広島ミニコミセンター編  広島文学資料保全の会 GU
 2017/01/01  未来への伝言 記憶遺産シンポジウム記録・資料集 増補改訂版 広島ミニコミセンター編  広島文学資料保全の会 G

 

 

年表:ヒロシマを語る会

年表:ヒロシマを語る会

Y M D NEWS1
84 04 25 広島県内に被爆者13名、被爆体験などを語り伝えようと「ヒロシマを語る会」を結成。
84 05 13 「ヒロシマを語る会」、広島市で、初会合を開催。語り部運動の推進を申し合わせ。
84 05 17 「ヒロシマを語る会」、修学旅行で来広した大阪市立中島中学校生徒らと交流。(活動スタート)
84 08 01 「ヒロシマを語る会」メンバーによる被爆の惨状を描いた水彩画展、広島市で開催。
84 08 05 被爆の実相を語る会、広島市で開催、「ヒロシマを語る会」のメンバーら、被爆体験を語る。
85 01 99 「ヒロシマを語る会」会員、原爆の惨禍を描いた紙芝居「アオギリ物語」を制作。[被爆樹木]
85 03 99 修学旅行生らに被爆体験を語り続けてきた吉田博直広島大教授、定年退官。(「ヒロシマを語る会」会員)
85 05 12 「ヒロシマを語る会」5月例会、広島市で開催、児童文学者今西祐行参加し被爆体験など話す。
85 05 18 大阪市立淡路中学校生徒、修学旅行で来広し平和学習。「ヒロシマを語る会」メンバーらと懇談。
85 05 31? 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」、原爆をテーマにした絵はがきを作成。販売。
85 07 25 「ヒロシマを語る会」会員原広司、広島市で、「瀬戸の魚と原爆絵展」開催(30日まで)。
85 08 04 沖縄県の老人クラブ・青年会代表ら、来広し、ヒロシマを語る会のメンバーと交流。
85 08 29 フィリピン各地で被爆体験などを語った「ヒロシマを語る会」のメンバーら、帰広し、成果を報告。
85 11 09 北海道の村立鬼志別小学校生徒らがつくった折りづる(約 7000 羽) など、広島市の「ヒロシマを語る会」に届く。
86 12 17 「ヒロシマを語る会」のメンバー、広島市の原爆資料館の朝鮮人・韓国人被爆者の資料の改善を求める大阪市などの中学生らの要望書を同資料館に提出。
87 02 19 「ヒロシマを語る会」のメンバー原広司、被爆体験を語るため北海道に向けて出発。
87 05 30 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」、広島市で、地元の高校生らを招き平和学習交流会「高校生とヒロシマを語る集い」を開催(約50人参加)。
87 06 23 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」、大阪市立中島中学校生徒から贈られた詩の額を広島平和会館に寄贈。
88 05 26? 第3回国連軍縮特別総会のため訪米した「ヒロシマを語る会」のメンバーら、ワシン トン州リッチランド高校生徒に、同校のシンボルマーク「きのこ雲」をってかいするよう要請。
88 06 04 「ヒロシマを語る会」、広島市で、「中高生とヒロシマを語る集い」を開催(約160 人参加)。地元の中高生に被爆体験を伝えようと開催。今年で2会目。
88 08 05? 「ヒロシマを語る会」・県被団協(佐久間澄理事長)などの被爆の語り部(約70人)に講演依頼相次ぐ。
89 04 07 ヒロシマを語る会のメンバー、5月の訪韓に備え、広島市で勉強会を開催(訪韓予定の12人が参加)。
89 05 02 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」のメンバー(11人)、訪韓し、在韓被爆者と交流(5日まで)。2日には釜山市、3日には大邱市で交流会。
89 06 07 広島県立安西高校生徒、平和公園で「ヒロシマを語る会」メンバーから、被爆体験などを聞く。原爆ドーム募金に寄金(約4万9千円)。
89 06 17 「ヒロシマを語る会」、広島市で、「広島の中高生と語る集い」を開催(約70人参加)。今年3回目。マレーシア・韓国を訪れた会員の報告など。
89 06 24 語り部と共にピレキチツアー、広島市の平和公園で実施。「ヒロシマを語る会」のメンバーによる案内。
89 06 26 「ヒロシマを語る会」、広島平和文化センター発行の「ヒロシマ読本」から、中曽根元首相句碑についての記述を削除するよう同センターに文書で申し入れ。
89 07 22 「ピレキチツア-」、広島市の平和記念公園とその周辺で実施。「ヒロシマを語る会」会員による被爆体験談など。
89 11 15 中国の彫刻家曹崇恩夫妻、来広し、被爆証言者グループ「ヒロシマを語る会」会員の沼田鈴子をモデルにした粘土像を作成。
89 11 25 第41回全国同和教育研究大会、広島市で開催(約2万3千人参加、27日まで)。ヒロシマを語る会の沼田鈴子・丸木位里らによる講演など。
90 05 03 「ヒロシマを語る会」のメンバーら、在韓被爆者と交流するため訪韓。
90 06 23 被爆語り部グループ「ヒロシマを語る会」、広島市で、「中・高校生とヒロシマを語る会」を開催(約40人参加)。ソ連原発事故被災の模様などを報告。
90 08 06 「ヒロシマを語る会」、在韓被爆者の証言集「海峡を越えて-訪韓・在韓被爆者の訴えを聞いて」(B5、102ページ)を出版。
91 01 09 北海道の江川善次教諭ら、来広し、平和教材作成のため取材を開始。「ヒロシマを語る会」の被爆者原広司の案内で原爆資料館などを見学。
91 05 23 「ヒロシマを語る会」、「中・高校生とヒロシマを語る集い」を広島市で開催。今年で5回目。大阪市立淡路中学校生徒ら、在韓被爆者をテーマにした創作劇を披露。
91 09 21 朝鮮民主主義人民共和国在住の被爆者と交流するため「日朝被爆者の連帯をすすめる会」が結成され、広島市で発足総会を開催(約30人参加)。「ヒロシマを語る会」・「広島市原爆被害者の会」のメンバーらが呼びかけ。
94 04 04? 「ヒロシマを語る会」、記録集「生かされて-ヒロシマを語る会十年の歩み」を出版。
94 07 21 「ヒロシマ・ナガサキ会議」(仮称)の広島側準備会、広島労働会館で初会合。県被団協・在日本大韓民国明団県地方本部原爆被害者対策特別委員会・県労会議被爆者団体連絡協議会・ヒロシマを語る会・県被爆二世団体連絡協議会など7団体が参加。
94 08 08 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームを描いた色紙50枚をアジア競技大会組織委員会に寄贈。
95 05 13 福山市の盈進高校の1年生375人、平和学習で広島市を訪れ、「ヒロシマを語る会」の原広司の話を聴取。
95 07 29? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームを描いた水彩画を集めた展示会を広島市・東区民文化センターで開催。-30日。
95 10 09 財団法人ヒロシマ・ピース・センター、第7回「谷本清平和賞」の受賞者に「ヒロシマを語る会」を選ぶ。
95 10 21 財団法人ヒロシマ・ピース・センターの「谷本清賞授与式」(7回目)、広島工大広島校舎で開催。「ヒロシマを語る会」の会員18人と関係者約50人が参加。
96 02 08 「ヒロシマを語る会」、平和学習の場を求める国の「原爆死没者追悼平和祈念館」に関する要望書を瀬川吉郎広島市議会議長に提出。
96 08 04 「ヒロシマを語る会」の朱碩、来広修学旅行生らの感想文集「もう一つのヒロシマ・あの日の悲憤は今もなお」を発行。
98 07 15? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームの絵を竹屋公民館に展示。-8月15日。
98 11 04? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームや原爆慰霊碑をスケッチした絵はがき「被爆者が描いた平和公園ポストカード」を作製。

 

 

ヒロシマを語る会

ヒロシマを語る会 設立:1984年4月25日

関連資料

 早く援護を! 1984.07 第45号 韓国の原爆被害者を救援する市民の会 1984/07/01
 ヒロシマ・ナガサキの証言’84夏 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会 1984/08/20
 ヒロシマを語る ヒロシマを語る会編 ヒロシマを語る会 1985/07/25
 修学旅行の記録 1984.10.22~25 東京都立松原高等学校 1985/10/05
 絆 高校生とヒロシマ 川良浩和著 径書房 1987/02/25
ヒロシマを語る ヒロシマを語る会 編 ヒロシマを語る会 1987/12/25
原水禁ニュースヒロシマ 1990.01.25 No.63 原水爆禁止広島県協議会 1990/01/25
 海峽を越えて 訪韓報告集 1 ヒロシマを語る会、アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会編 ヒロシマを語る会、アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む会 1990/08/06 T
 生かされて ヒロシマを語る会十年の歩み ヒロシマを語る会編 ヒロシマを語る会 1994/04/01
 ヒロシマ花一輪物語 被爆者・沼田鈴子の終りなき青春 川良浩和、山田真理子著 径書房 1994/04/20
平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.22 1995.03 Vol.22 1994 広島平和教育研究所 1995/03/30
 ヒロシマを語る会の豊永さんへ 東広島市八本松小学校6年1組 東広島市八本松小学校 1996/11/27
 被爆体験証言者交流の集い団体・グループ紹介一覧表 被爆体験証言者交流の集い世話人会編 被爆体験証言者交流の集い世話人会 1997/04/01
 雑魚場町付近の建物疎開作業員学徒の被害 ヒロシマを語る会:編 ヒロシマを語る会 1999/11/01
八丁堀付近建物疎開作業員学徒の被害 ヒロシマを語る会:編 ヒロシマを語る会 1999/12/01
 土橋、小網町付近の建物疎開作業員学徒の被害 ヒロシマを語る会:編 ヒロシマを語る会 2000/03/01
 ぼくら焚木自身 『われらのうた』―『見る』の詩人たち2 「難民」の詩人 望月久 寺島洋一著 叢書見る 2014/01/20
  原爆炸裂の真下にひろがる中島地区の被害 ヒロシマを語る会:編 ヒロシマを語る会
 原水禁ニュースヒロシマ 1990.01.25 No.63 原水爆禁止広島県協議会 1990/01/25

 

年表 :ヒロシマを語る会

Y M D NEWS1
84 04 25 広島県内に被爆者13名、被爆体験などを語り伝えようと「ヒロシマを語る会」を結成。
84 05 13 「ヒロシマを語る会」、広島市で、初会合を開催。語り部運動の推進を申し合わせ。
84 05 17 「ヒロシマを語る会」、修学旅行で来広した大阪市立中島中学校生徒らと交流。(活動スタート)
84 08 01 「ヒロシマを語る会」メンバーによる被爆の惨状を描いた水彩画展、広島市で開催。
84 08 05 被爆の実相を語る会、広島市で開催、「ヒロシマを語る会」のメンバーら、被爆体験を語る。
85 01 99 「ヒロシマを語る会」会員、原爆の惨禍を描いた紙芝居「アオギリ物語」を制作。[被爆樹木]
85 03 99 修学旅行生らに被爆体験を語り続けてきた吉田博直広島大教授、定年退官。(「ヒロシマを語る会」会員)
85 05 12 「ヒロシマを語る会」5月例会、広島市で開催、児童文学者今西祐行参加し被爆体験など話す。
85 05 18 大阪市立淡路中学校生徒、修学旅行で来広し平和学習。「ヒロシマを語る会」メンバーらと懇談。
85 05 31? 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」、原爆をテーマにした絵はがきを作成。販売。
85 07 25 「ヒロシマを語る会」会員原広司、広島市で、「瀬戸の魚と原爆絵展」開催(30日まで)。
85 08 04 沖縄県の老人クラブ・青年会代表ら、来広し、ヒロシマを語る会のメンバーと交流。
85 08 29 フィリピン各地で被爆体験などを語った「ヒロシマを語る会」のメンバーら、帰広し、成果を報告。
85 11 09 北海道の村立鬼志別小学校生徒らがつくった折りづる(約 7000 羽) など、広島市の「ヒロシマを語る会」に届く。
86 12 17 「ヒロシマを語る会」のメンバー、広島市の原爆資料館の朝鮮人・韓国人被爆者の資料の改善を求める大阪市などの中学生らの要望書を同資料館に提出。
87 02 19 「ヒロシマを語る会」のメンバー原広司、被爆体験を語るため北海道に向けて出発。
87 05 30 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」、広島市で、地元の高校生らを招き平和学習交流会「高校生とヒロシマを語る集い」を開催(約50人参加)。
87 06 23 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」、大阪市立中島中学校生徒から贈られた詩の額を広島平和会館に寄贈。
88 05 26? 第3回国連軍縮特別総会のため訪米した「ヒロシマを語る会」のメンバーら、ワシン トン州リッチランド高校生徒に、同校のシンボルマーク「きのこ雲」をってかいするよう要請。
88 06 04 「ヒロシマを語る会」、広島市で、「中高生とヒロシマを語る集い」を開催(約160 人参加)。地元の中高生に被爆体験を伝えようと開催。今年で2会目。
88 08 05? 「ヒロシマを語る会」・県被団協(佐久間澄理事長)などの被爆の語り部(約70人)に講演依頼相次ぐ。
89 04 07 ヒロシマを語る会のメンバー、5月の訪韓に備え、広島市で勉強会を開催(訪韓予定の12人が参加)。
89 05 02 被爆者グループ「ヒロシマを語る会」のメンバー(11人)、訪韓し、在韓被爆者と交流(5日まで)。2日には釜山市、3日には大邱市で交流会。
89 06 07 広島県立安西高校生徒、平和公園で「ヒロシマを語る会」メンバーから、被爆体験などを聞く。原爆ドーム募金に寄金(約4万9千円)。
89 06 17 「ヒロシマを語る会」、広島市で、「広島の中高生と語る集い」を開催(約70人参加)。今年3回目。マレーシア・韓国を訪れた会員の報告など。
89 06 24 語り部と共にピレキチツアー、広島市の平和公園で実施。「ヒロシマを語る会」のメンバーによる案内。
89 06 26 「ヒロシマを語る会」、広島平和文化センター発行の「ヒロシマ読本」から、中曽根元首相句碑についての記述を削除するよう同センターに文書で申し入れ。
89 07 22 「ピレキチツア-」、広島市の平和記念公園とその周辺で実施。「ヒロシマを語る会」会員による被爆体験談など。
89 11 15 中国の彫刻家曹崇恩夫妻、来広し、被爆証言者グループ「ヒロシマを語る会」会員の沼田鈴子をモデルにした粘土像を作成。
89 11 25 第41回全国同和教育研究大会、広島市で開催(約2万3千人参加、27日まで)。ヒロシマを語る会の沼田鈴子・丸木位里らによる講演など。
90 05 03 「ヒロシマを語る会」のメンバーら、在韓被爆者と交流するため訪韓。
90 06 23 被爆語り部グループ「ヒロシマを語る会」、広島市で、「中・高校生とヒロシマを語る会」を開催(約40人参加)。ソ連原発事故被災の模様などを報告。
90 08 06 「ヒロシマを語る会」、在韓被爆者の証言集「海峡を越えて-訪韓・在韓被爆者の訴えを聞いて」(B5、102ページ)を出版。
91 01 09 北海道の江川善次教諭ら、来広し、平和教材作成のため取材を開始。「ヒロシマを語る会」の被爆者原広司の案内で原爆資料館などを見学。
91 05 23 「ヒロシマを語る会」、「中・高校生とヒロシマを語る集い」を広島市で開催。今年で5回目。大阪市立淡路中学校生徒ら、在韓被爆者をテーマにした創作劇を披露。
91 09 21 朝鮮民主主義人民共和国在住の被爆者と交流するため「日朝被爆者の連帯をすすめる会」が結成され、広島市で発足総会を開催(約30人参加)。「ヒロシマを語る会」・「広島市原爆被害者の会」のメンバーらが呼びかけ。
94 04 04? 「ヒロシマを語る会」、記録集「生かされて-ヒロシマを語る会十年の歩み」を出版。
94 07 21 「ヒロシマ・ナガサキ会議」(仮称)の広島側準備会、広島労働会館で初会合。県被団協・在日本大韓民国明団県地方本部原爆被害者対策特別委員会・県労会議被爆者団体連絡協議会・ヒロシマを語る会・県被爆二世団体連絡協議会など7団体が参加。
94 08 08 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームを描いた色紙50枚をアジア競技大会組織委員会に寄贈。
95 05 13 福山市の盈進高校の1年生375人、平和学習で広島市を訪れ、「ヒロシマを語る会」の原広司の話を聴取。
95 07 29? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームを描いた水彩画を集めた展示会を広島市・東区民文化センターで開催。-30日。
95 10 09 財団法人ヒロシマ・ピース・センター、第7回「谷本清平和賞」の受賞者に「ヒロシマを語る会」を選ぶ。
95 10 21 財団法人ヒロシマ・ピース・センターの「谷本清賞授与式」(7回目)、広島工大広島校舎で開催。「ヒロシマを語る会」の会員18人と関係者約50人が参加。
96 02 08 「ヒロシマを語る会」、平和学習の場を求める国の「原爆死没者追悼平和祈念館」に関する要望書を瀬川吉郎広島市議会議長に提出。
96 08 04 「ヒロシマを語る会」の朱碩、来広修学旅行生らの感想文集「もう一つのヒロシマ・あの日の悲憤は今もなお」を発行。
98 07 15? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームの絵を竹屋公民館に展示。-8月15日。
98 11 04? 原広司「ヒロシマを語る会」代表、原爆ドームや原爆慰霊碑をスケッチした絵はがき「被爆者が描いた平和公園ポストカード」を作製。