「NGO(た行)」カテゴリーアーカイブ

中国新聞労働組合新聞研究部

中国新聞労働組合新聞研究部 1969年7月23日発足

略年表

年月日 事項
前史
19591005 「新聞討論集会」(中国地連主催、岡山市)。テーマ:「新聞はこれでよいのか」「新聞批判にどうこたえるべきか」。講演:「読者と新聞」(広島大・今堀誠二)など。中国労組から平岡敬委員長ら5人が出席。参加者約400人。
19610905 中国労組として初の新研集会「中国新聞をよりよくするために」。参加者約20人。大牟田稔委員長報告後、八・六紙面の検証など。
19690723 中国新聞労働組合新聞研究部発足
出典 『中国新聞労働組合50年史』(同編集委員会、19970829)

 

中国文化連盟

結成:1945年12月17日

 1945年12月17日,広島近郊の国民学校で栗原唯一・貞子夫妻を中心に結成.細田民樹・畑耕一を顧問とするこの連盟は,翌46年,「中国文化人追悼大会」という名目で原爆犠牲者追悼大会を開催し,参加者150人が慰霊と平和の誓いをたてる.同連盟は,46年3月機関誌『中国文化』を「原子爆弾特輯号」と銘打って創刊し,8月には栗原貞子の詩集『黒いたまご』(原爆詩「生ましめんかな」を収録)を出版.『中国文化』の発行人であった栗原唯一は呉市にあった米軍民間情報部に呼びだされ,「原爆の惨禍が原爆以後もなお続いているというような表現は,いかなる意味でも書いてはならない」と厳重に言い渡される(栗原貞子『「中国文化」原子爆弾特集号・復刻』,『黒い卵―占領下検閲と反戦・原爆詩歌集』).