広島部落問題研究会結成大会 1968年4月7日
会場:広島大学文学部
| 祝辞 | ||
| 門田秀夫 | 社団法人部落問題研究所嘱託研究員 | |
| 藤川春雄 | 部落解放同盟広島県連合会委員長 | |
| 奥田武夫 | 広島県教職員組合委員長 | |
| 記念講演 | ||
| 小森竜邦 | 同盟県連副委員長 | |
| 部落解放運動の今日的課題 | ||
| 天野卓郎 | 広島教育研究所 | |
| 「明治百年」と部落問題 | ||
| 発会総会 | ||
| 経過報告、活動方針の決定、役員・幹事(14名)、会計(監査2名)、事務局長の決定 | ||
| 後藤陽一 | 代表監事挨拶 | |
| 出典:『研究紀要「部落問題」』第1輯(広島部落問題研究会編集・発行) | ||
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島部落問題研究会結成大会 1968年4月7日
会場:広島大学文学部
| 祝辞 | ||
| 門田秀夫 | 社団法人部落問題研究所嘱託研究員 | |
| 藤川春雄 | 部落解放同盟広島県連合会委員長 | |
| 奥田武夫 | 広島県教職員組合委員長 | |
| 記念講演 | ||
| 小森竜邦 | 同盟県連副委員長 | |
| 部落解放運動の今日的課題 | ||
| 天野卓郎 | 広島教育研究所 | |
| 「明治百年」と部落問題 | ||
| 発会総会 | ||
| 経過報告、活動方針の決定、役員・幹事(14名)、会計(監査2名)、事務局長の決定 | ||
| 後藤陽一 | 代表監事挨拶 | |
| 出典:『研究紀要「部落問題」』第1輯(広島部落問題研究会編集・発行) | ||
『いのちあるかぎり 原爆と未解放部落』(福島地区被爆者の会編、兵庫県部落問題研究所刊、19850520 )
内容
| 著者 | ||
| 藤川春雄 | はじめに | |
| 戦争・差別・貧困 | ||
| 高橋信雄 | 軍都広島 | |
| 戦争のあゆみと一本の線路 軍都広島への道 軍港宇品から戦場へ 戦争とはなんだったのか 食料の補給もない戦場で すべての物を奪いつくす すべての物を焼きつくす そして殺しつくす-「三光」作戦 | ||
| 手記〔その1〕 | ||
| 田中ハル | ピカに夫を奪われて | |
| 和佐田政一(仮名) | 米騒動と原爆で差別がわかった | |
| 堀川俊市 | 三重苦のわたしらの現状 | |
| 高田春子 | 娘を奪ったあの日 | |
| 滝川ヨネ子 | 若い人たちに伝えたい | |
| 炎と瓦礫の中で | ||
| 金崎是 | 原爆と未解放部落 | |
| 三滝山の無縁仏 炎と瓦礫の中で-わたしの体験 原爆による福島地区の被害状況戦前の部落の生活とわたしの生いたち部落差別を解消し、平和で豊かな日本を | ||
| 手記〔その2〕 | ||
| 山中幸雄 | 悲しき被爆二世 | |
| 前畑チヨノ | 日本が戦争さえしなければ | |
| 大崎ヨシ子 | 一ケ月もたって掘り出されたわが子 | |
| 宝神実人 | まちがいなくわが娘だった | |
| 森本範雄 | 太陽の光もなんにもない | |
| 川口ユミ子(仮名) | そりゃ生き地獄です | |
| 藤井イマコ | 助かるとは思いませんでした | |
| いのちあるかぎり | ||
| 田阪正利 | 未解放部落の健康と医療 | |
| 福島診療所創設のこと 部落と健康 健康へのあゆみ これからの課題 | ||
| 佐藤秀之 | 非核の日本を-若者たちは今 | |
| 平和と核兵器廃絶は全人類の願い 深まる核戦争の危機 広がる反核運動の輪 若者たちは今 | ||
| 手記〔その3〕 | ||
| 丸岡ユキ | 二人の息子をかえして! | |
| 川田芳夫(仮名) | みんなの力で! | |
| 滝本静 | いのちあるかぎり | |
| 中島カヨ | 子どもや孫には平和な世界を | |
| 広田美千代 | 戦争を二度とおこさないために | |
| 平田路雄 | 原爆と森永ヒ素ミルク中毒のなかで | |
| 古賀昭子 | 被爆二世にも手帳を! | |
| 中西はるゑ | あとがき | |
| 金崎是 | あとがき(福島地区被爆者の会会長) | |
壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)
| 第集 | 発行年 | 備考 |
| 1 | 19680806 | 差別と貧困の中から |
| 壁―差別と貧困の中から―によせて 2 原爆被爆者の手記に寄せて 4 「未解放部落の被爆者として」 6 「日雇いぐらしの中から」 7 「差別と闘う我が子たち」 9 「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11 「ピカに夫を奪われて」 13 「朝鮮人被爆者として」 15 「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16 「私の体験」 19 「二人のむすごをかえして!」 20 「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23 「私のあゆんだ道」 25 むすびのことば 28 |
||
| 2 | 19690806 | 三重苦の斗かい |
| ○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1 ○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2 はんせんのうた (一被爆者) 5 被爆者の保障はない *** 6 三重苦の斗い *** 7 食べるものも食べられぬ生活 *** 10 戦争と差別をなくするため!! *** 12 二十五年たったいまでも *** 14 三重苦のわたしらの現状 *** 17 原水禁運動を強めなくては *** 27 むすびのことば 金崎是 29 |
||
| 3 | 19700806 | |
| 「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1 被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3 被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13 〔特別寄稿〕 原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33 手記 米騒動と原爆で差別がわかった *** 15 カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18 私の感想 *** 19 悲しき被爆二世 *** 21 みんなの力で! *** 24 生命のあるかぎり *** 28 子係や孫には平和な世界を *** 30 戦争を二度とおこさないために *** 31 あとがき 41 |
||
| 4 | 19710806 | |
| すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1 人間らしい生活を 失対・***(62才) 2 嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3 わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5 一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7 天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9 夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11 あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13 このままでは死にきれない ***(63才) 14 被爆者活動から *** 17 ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19 むすび 事務局 25 |
||
| 5 | 19720806 | 被爆二世特集号 |
| 6 | 19730806 | 広島県水平社50周年記念 |
| 「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1 〔主張〕 原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3 〔特別寄稿〕 吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5 〔手記〕 三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6 終戦の年のこと *** 14 差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16 娘をうばったあの日 八月六日 ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20 老いて訪づれた不幸 *** 23 どうしても語りつがなければ 少年の日、原爆と生活を背負って *** 25 被爆二世にも「手帳」を! *** 28 原爆被爆下の福島町 *** 30 「壁」を読んで読者からの便り 34 あとがき 38 |
||
| 7 | 19740806 | 原水禁運動20年 |
| はしがき 1 福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2 原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8 被爆者の会を結成したころ 14 廃品回収運動の想い出 15 分裂への怒り(九回大会) 18 被爆者訪問の中から 20 被爆診療科のあゆみ 26 原水禁運動の日常化をめざして 30 被爆二世としてのとりくみ 32 原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35 あとがき 36 |
||
| 8 | 19750806 | 原爆被爆30周年 |
| はしがき 1 福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2 原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8 被爆者の会を結成したころ 14 廃品回収運動の想い出 15 分裂への怒り(九回大会) 18 被爆者訪問の中から 20 被爆診療科のあゆみ 26 原水禁運動の日常化をめざして 30 被爆二世としてのとりくみ 32 原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35 あとがき 36 |
||
| 9 | 19760806 | 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念 |
| 10 | 19780806 | 「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1 被爆者を囲んで 2 太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた *** 17 何べん死のう思うたかわからん *** 23 福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27 戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34 「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39 あとがき 46 |
| 11 | 19790806 | |
| 「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1 われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2 命をみつめて 林田みや子 8 いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14 原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23 貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27 朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31 生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37 街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46 あとがき 53 |
||
| 12 | 19950806 | 終刊号 |
| 巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1 主張 被爆者援護法の課題 3 平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5 助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12 岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18 学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22 藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27 米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30 金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36 金崎さんの話をうかがって 小西結介 38 |
||
広島中央保健生活協同組合
機関誌『けんこう』WEB版http://www.hch.coop/magazine/index.html
| No. | 発行年 | 記事 |
| 466 | 201108 | 伝言板 8月16日創立記念日 1955(昭和30)年8月16日、住民自らの手で福島診療所がつくられました。 |
| 466 | 第26回「網の目平和行進」 | |
| 467 | 201109 | 子どもたちに明るい未来を核のない21世紀を願い訴えます |
| 555 | 201909 | 8・6朝のセレモニー |
| 555 | 2019ピースアクショinヒロシマ虹のひろば | |
| 566 | 202009 | 8・6朝のセレモニー |
| 566 | 平和を考える~三人女誕生会 | |
| < 新川場町で被爆> | ||
ヒロシマ研究の会満1周年記念映画会(案内ビラ)
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| 1968年6月16日 於:広島YMCA 映画:「ひろしま」、「生きていてよかった」 |
| ピカ資料研究所所蔵 |
『広島平和会館ものがたり 財団法人原爆被害者福祉センター広島平和会館小史』(原爆被害者福祉センター広島平和会館、20001201 )
目次
| 頁 | 章 | 資料 | 項目 | 備考 |
| 01 | 発刊にあたって(坪井直・理事長) | |||
| 02 | 会館運営の基本 | |||
| 06 | 1 | 憩いの館として | ||
| 08 | 「広島県被団協」の結成と「平和会館」 (高橋昭博・理事) | |||
| 10 | 1 | 救援委員会について | ||
| 2 | 原水爆禁止世界大会日本準備会総会における協議 | |||
| 3 | 〈藤居メモ1〉 12月23日(1955年)常任委員会 | |||
| 4 | 原爆被害者福祉センター(会館)の設立について | |||
| 5 | 広島市原爆被害者連絡協議会第2回世話人会 | |||
| 6 | 広島県原爆被害者大会実行委員会 | |||
| 7 | 生きていてよかった〈抄〉(藤居平一追想集の竹内武氏寄稿文より) | |||
| 8 | 平和会館完工 | |||
| 17 | 理事メンバー写真(196905 理事の皆さん) | |||
| 9 | 平和会館今月末に移転 | |||
| 10 | 平和会館移転問題 | |||
| 22 | 年表(1945年8月~1959年4月) | |||
| 2 | 28 | 運動のとりでとして | ||
| 11 | 「森瀧日記の証言」より | |||
| 32 | 被爆証人捜し (竹内武) | |||
| 12 | 国家補償に基づく被爆者援護法要求行動の最終段階の情勢と広島での行動 34 | |||
| 13 | 統一を願い続けて(『森瀧市郎の歩み』より) | |||
| 年表(1959年4月~1984年2月) | ||||
| 3 | 52 | 交流のひろばとして | ||
| 年表(1984年6月~2000年6月) | ||||
| 58 | 広島平和会館役員名簿 | |||
正式名称:核兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 略称:反核・平和図書館関係者の会
結成大会:1985年9月28日
会場:YMCA(東京都千代田区神田)
会誌:『図書館反核平和通信』
資料
| 『図書館反核平和通信』準備号No.1(19841130) | ||
| 本間美智子 | イギリス研究の旅 | |
| 山崎元 | ある図書館員の死 | |
| 『図書館反核平和通信』準備号No.2(19850914) | ||
| 兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 結成にいたる経緯 | ||
| 兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 会則案 | ||
| 内田恵美子 | (活動紹介)広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター | |
| 岩倉務 | (活動紹介)平和博物館」 | |
| 寄贈資料紹介 | 広島大学・原爆被災学術資料センター資料調査室『資料調査通信』No.30~43 | |
| 核兵器をなくし、平和を求める図書館関係者の会 結成のつどいの模様と今後のお願い(世話人事務局、19851012) | ||
| 『民主文学』1985年12月号 No.241 pp.157-158 | ||
| 清水正三 | 反核・平和図書関係者の会 | |
| 話題・この人(『赤旗』19940821) | ||
| 我妻滋夫さん | 反核平和と図書館活動を結びつける事務局 | |
入会のしおり-非核の政府を求める広島の会(結成総会19870613)
呼びかけ人
| 相原和光 | 広島YMCA名誉総主事 |
| 市岡正憲 | 元中学校長 |
| 岩佐勝子 | キリスト教婦人矯風会 |
| 宇根内良子 | 県母親連絡会 |
| 太田睦雄 | 広島市教組委員長 |
| 大槻和夫 | 広大教授 |
| 大森正信 | 広大教授 |
| 片柳寛 | 広島女学院大学長 |
| 倉光誠一 | カトリック正義と平和広島協議会 |
| 迫千代子 | 婦人国際平和自由連盟 |
| 佐々木猛也 | 弁護士 |
| 佐藤天俊 | 三滝寺住職 |
| 佐藤光雄 | 広島市職労委員長 |
| 原田美代子 | 元小学校長 |
| 松重美人 | 写真家 |
| 山手叡 | 日本共産党広島県委員長 |
| 三浦精子 | 児童文学者 |
| 宗藤尚三 | 日本基督教団広島府中教会 |
| (五十音順) |
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| ●非核の五項目 |
| ①全人類共通の緊急課題として核戦争をふせぎ、核兵器をなくす |
| ②国是とされる非核三原則の厳格な実施をもとめる |
| ③日本を核戦争にみちびくすべての措置に反対する |
| ④国家補償による被爆者援護法を制定する |
| ⑤原水爆禁止世界大会のこれまでの合意にもとづいて国際連帯をつよめる |
『被爆70年-市民が育んだヒロシマ』(広島自治体問題研究所、20150728)
内容
| 編 頁 | タイトル | 著者 | |
| 01 | はじめに | ||
| 村上博(広島自治体問題研究所理事長) | |||
| 第1編 | ヒロシマの市民活動 | ||
| 06 | 原爆遺跡保存運動懇談会のあゆみ | 高橋信雄 | |
| 16 | 『木の葉のように焼かれて』を平和運動の推進に | 新日本婦人の会広島県本部 | |
| 20 | 広島高校生平和ゼミナールの40年 | 澤野重男 | |
| 28 | 70年目の「ヒロシマ」を考える | 大越和郎 | |
| 34 | 原爆被害者相談員の会の活動をふり返る | 三村正弘 | |
| 42 | 広島の被爆訴訟支援の到達点 | 青木克明 | |
| 51 | 劇団 月曜会 今昔 | 岩井里子 | |
| 55 | 21年目を迎える「平和のための戦争展」~見る戦争展から、育てる戦争展へ~ | 利元克巳 | |
| 第2編 | 「ヒロシマ六法」(解説) | 田村和之 | |
| 71 | 法律・条例集 | ||
| 広島平和記念都市建設法(1949年制定) | |||
| 広島市基本構想(2009年策定) | |||
| 被爆者援護法(1994年制定) | |||
| 87 | 編集後記 | ||
| 橋本和正(広島自治体問題研究所事務局長) | |||
『原爆瓦-世界史をつくる十代たち』
(山口勇子著,出版元:平和文化、発売元:汐文社、1982/07/07)
| 頁 | タイトル | 備考 |
| 12 | 瓦が再現してみせた原爆 | |
| 実験-原爆を再現する 12 瓦が気体になった 12 ぼくたちの原爆 16 ヒロシマナガサキを「体験」する 17 熱量計算-三・〇×一〇の一二乗カロリー 19 核兵器廃絶の若い仲間 20 にのしま |
||
| 25 | 「その日はいつか」の詩にあるように | |
| ヒロシマの風景 27 そしてわたしのヒロシマ 29 ほんとうのところを見極めて欲しい |
||
| 34 | 高枚生集会の高まり | |
| 原爆瓦までの道のり 34 歩み始めた高校生たち 35 高まり見せた高校生集会 37 「史樹ちゃんはわたしたちです」 |
||
| 46 | 平和ゼミナールで育つ高校生たち | |
| 無名戦士の碑 46 平和ゼミナールの授業 48 その日にこそ平和と民主主義を学ぶ 52 ヒロシマに生きる |
||
| 56 | ヒロシマの子どもたち | |
| 拠点 56 八木満喜男のこと |
||
| 62 | 初めて瓦を掘りあてたとき | |
| 片手落ちの広島 62 「あった!」 63 頭と心と体で学ぶフィールドワーク 66 突然の新聞記事 |
||
| 71 | 瓦のように溶かされたくない | |
| アピール・ヒロシマの川を考えよう 71 初めての対市交渉 71 みんなの手で一枚でも多く 75 瓦のように溶かされたくない |
||
| 79 | 各地に旅立つ原爆瓦 | |
| 輪の広がり 79 世界につながる瓦発堀 81 「この瓦でヒロシマの願いを広めてください!」 82 瓦を守れ |
||
| 93 | はがき作戦 | |
| 荒木広島市長殿 93 再び瓦発掘ヘ 95 市の計画 97 急速に盛り上がる瓦保存運動 |
||
| 100 | ボタンを見つけた | |
| 四種のボタンが語る戦争と原爆 100 「だからなくさなければ、わたしらがやらなくては……」 102 「原爆さえなかったら……」 104 自分の手でつかみとったもの |
||
| 108 | 「昭和の歴史」研究グループ | |
| 特別講座-学習から自分の生き方を考える 108 ヒロシマのもう一面 110 青春のひとみを支えるもの 113 米軍機ファントム墜落 114 安保によって米兵は裁かれない! 115 女性である前に人間であれ |
||
| 120 | 受ける平和からつくりだす平和へ | |
| ヒロシマ-一九八一・八・六 120 ええことばかりいって 121 “新天地”長崎ヘ 122 第八回八・六高校生集会 123 受ける平和からつくりだす平和ヘ 124 白いチョゴリの被爆者 126 吸収したものの重さ 127 「ぼくの弟も食べ物がなくなって死にました」 128 ずっと続く道 |
||
| 131 | 長崎研修旅行で得たもの | |
| 平和ヘの初旅 131 この怖さをいっぱいに広げよう 133 ヒロシマナガサキの瓦で友情と平和を 135 平和ゼミの感覚だけで考えてはいけない 137 若者は若者らしい方法で |
||
| 141 | ノエルベーカーの手紙運動 | |
| ノエルベーカー卿との再会 141 ノエルベーカーの手紙 142 ノエルベーカー卿に瓦を渡した |
||
| 156 | 原爆の証を消してはいけない | |
| 第三回対市交渉 156 こっちの力を大きくすることだ |
||
| 163 | げんばくがわらをほりました | |
| すすむ発掘作業と交流 P63 現実と理想が一体化されない不安 164 げんばくがわらをほりました 166 一〇フィートフィルムカンパ 170 お供養して下さい |
||
| 174 | 平和への願いが市を動かした | |
| 「ぼくはかわらをすててはいけないと思います」 174 平和への願いが市を動かした 176 最後の原爆瓦発掘 |
||
| 182 | 原爆瓦モニュメントの土台の重さ | |
| かわらおばさん 182 あの平和公園はきれいすぎる 183 安田女子高校社会科学研究部の場合 185 出会いのすばらしさ 190 原爆瓦前史-故田辺勝さんのこと |
||
| 196 | アリス・ハーズ賞受賞 196 アリス・ハーズ賞 196 生にむかって先頭に立ってください 197 生命が未来をもつように 199 実践を通じて学ぶこと 201 高校生平和ゼミの意義深さ |
|
| 206 | 原爆瓦のモニュメント建設へ | |
| 建設募金一番乗り 206 原爆の子の像 207 第二の原爆の子の像建設にむけて 209 平和のためのモニュメント 214 街頭行動ヘ 216 世界の歩みの中の原爆瓦発掘 218 |
||
| 220 | 各地の高校生平和ゼミ“出航” | |
| 被爆体験継承の役目を担って 220 神奈川でも 221 長崎でも 223 呉でも 223 埼玉でも |
||
| 236 | 平和の記念碑を | |
| 相つぐ募金と手紙 236 小学生たちの奮闘 238 ヒロシマの心を世界に 244 第五回平和ゼミナール 5 別れと出発の季節 247 もどらぬ風 249 平和教育“戦士”の新しい門出 251 平和は待つものではない、つくりだすものだ |
||
| 254 | あとがき 1982年5月23日・東京行動の日に | |
第9次平和教育のとりくみ実態調査1990年度のまとめ
(広島市教職員組合平和教育部会、1991年11月)
内容
| 年月日 | ||
| 199111 | はじめに | 向井康員(広島市教職員組合執行委員長) |
| 199103 | 第9次平和教育のとりくみ実態調査アンケート用紙 | |
| 平和教育各校のとりくみ状況 | ||
| アンケートによせられたご意見・ご感想 | ||
| 日の丸・君が代に関わってのご意見 | ||
| 平和教育分科会基調提案 | ||
| 199104 | 『ヒロシマの子育て・教育 第10号』(全教広島教育研究所) | |
| 19910820 | 市教組平和教育部会だより | |
| 19910202 | 『それ行け1組 No.272』(南区・仁保小学校2年1組) | |
| 広島赤十字病院被爆建造物保存運動の報告 | ||
| 19910728 | 第3回原爆の子の像碑前祭 | |
| 19910728 | 原爆の子の像碑前祭アピール | |
| 19910805 | 似島で原水爆禁止少年少女の集い(全広島教職員主催) | 新聞記事 |
| 似島の遺跡保存から | 米田進(原水爆禁止似島少年少女の集い) | |
| 1990年度平和教育のとりくみ実態調査のまとめ | ||
| 1990年度平和教育視聴覚教材利用状況 |
広島教育研究所(資料年表) <敬称略>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1989 | ||
| 12 | 全教広島結成 | |
| http://ww5.enjoy.ne.jp/~zenkyo/ | ||
| 1990 | 広島教育研究所設立 | |
| 1991 | ||
| 0306 | <全日本教職員組合結成> | |
| http://www.zenkyo.biz/ | ||
| 0907 | 設立1周年のつどい | |
| 0913 | <民主教育研究所設立準備会> | |
| 0924 | 藤井敏彦より電話。27日、藤井研究室で全教の平和教育研究会を開催する。研究員は佐中・田村・宇吹。1年かけて平和教育の基礎資料集を作成したい。<宇吹メモ> | |
| 1003 | 藤井敏彦研究室。広島教育研究所「平和教育部会」第1回会合。藤井・江種・川島・沢野・忍岡・宇吹。研究テーマを「平和と人権」にする。19時から21時過ぎまで。<川島資料><宇吹メモ> | |
| 1127 | 第1回拡大研究評議会。 | |
| 1204 | 広島教育研究所「平和教育部会」第2回会合。宇吹は欠席<川島資料><宇吹メモ> | |
| 1992 | ||
| 0113 | 広島教育研究所「平和教育部会」第3回会合。藤井・沢野・忍岡・田村。川島は欠席。宇吹・忍岡が報告。沢野=朝鮮人問題に取り組みたい。<川島資料><宇吹メモ> | |
| 0218 | 広島教育研究所「平和教育部会」。藤井・横山・忍岡・田村・江種・宇吹、出席。忍岡の報告「核実験と環境破壊」。<宇吹メモ> | |
| 0327 | 広島教育研究所「平和教育部会」。欠席。前日「世界のヒバクシャ」の数をまとめて郵送。<宇吹メモ> | |
| 0427 | 92年度研究員総会 | |
| 0824 | 広島平和教育研究所平和教育部会。於広島教育研究所会議室。忍岡の「ビキニ」原稿の検討。忍岡・田村・高橋・藤井・宇吹。始まる前、楠と話す。6時半-9時50分。田村の話=平和学会で会った高知で原爆文学を教えている女性が宇吹のことを知っていた。<宇吹メモ> | |
| 0831 | 広島教育研究所「平和教育部会」。江種・忍岡・沢野・高橋・藤井・宇吹。忍岡の原稿「核実験と環境破壊」原稿完成。藤井の話=*はイタリアのユダヤ人と結婚している。<宇吹メモ> | |
| 1009 | 広島教育研究所平和教育部会。藤井・高橋・江種・沢野・忍岡・川島・宇吹。高橋=「平和教育への提言」案の説明。沢野=安田の平和教育の紹介。川島=意識調査が、広島の平和教育の出発点だった。再度、意識調査を実施し、その分析の中で、提言をまとめる。<宇吹メモ> | |
| 1110 | 「広島教育研究所・平和部会のまとめ」出席者:藤井・沢野・楠・高橋。(資料) | |
| 11 | 『環境破壊から地球を救うための平和教材 教育・教材シリーズ Vol.1(広島教育研究所平和教育部門)』(冊子) | |
| 1216 | 平和教育部会。江種・高橋・田村・藤井・川島・沢野重男・宇吹。「平和意識アンケート」案について検討。8時30分から20分ほど、被服廠保存について意見を聞く。江種=400人位が平和学習できる場が欲しい。<宇吹メモ> | |
| 1993 | ||
| 0107 | 平和教育部会。平和意識調査の質問票の検討。藤井・田村・川島・沢野・江種・高橋。<宇吹メモ> | |
| 0225 | 平和教育部会。藤井・江種・沢野・忍岡・高橋・田村・宇吹。今年度の活動の総括と来年度の計画についての意見。アンケート(案)の検討。<宇吹メモ> | |
| 0421 | 広島教育研究所研究員総会。於研究所。<宇吹メモ> | |
| 0608 | 広島教育研究所平和教育部会。連絡が無いので欠席。<宇吹メモ> | |
| 1206 | 平和教育部会。江種・高橋・川島・沢野・田村・宇吹。「平和に関する意識調査」の検討。<宇吹メモ> | |
| 1994 | ||
| 0107 | 広島教育研究所へアンケート結果に対する意見を郵送。<宇吹メモ> | |
| 0125 | 広島教育研究所平和部会。開始前、忍岡にエスペランチストについて聞く。藤井・江種・川島・高橋・沢野・忍岡。アンケート結果の分析。沢野の提案で小・中学校の例数を増やすことになる。森滝の死去が話題になる。<宇吹メモ> | |
| 0301 | 8時過ぎから広島平和教育研究所平和部会に参加。平和意識調査の分析。担当:原爆資料館、原発関係の3項目。3月末締切。<宇吹メモ> | |
| 0323 | 広島教育研究所平和意識調査の分析に取りかかるが意外と難しい。<宇吹メモ> | |
| 0422 | 「94年度広島教育研究所研究員総会」<資料> | |
| 0519 | 平和教育部会。欠席。<宇吹メモ> | |
| 0606 | 全教広島より電話。今晩、平和部会開催の由。欠席を伝える。<宇吹メモ> | |
| 0615 | 教育研究所平和教育部会。藤井、田村、高橋、沢野、江種。-10時20分。意識調査のまとめ。<宇吹メモ> | |
| 0629 | 広島教育研究所平和教育部会。田村・高橋・沢野・江種・宇吹。意識調査の最終まとめ。<宇吹メモ> | |
| 0722 | 広島教育研究所平和教育部会。平和意識調査分析の最終会合。藤井・高橋・沢野・江種・宇吹。6時半-8時半。<宇吹メモ> | |
| 0801 | 広島教育研究所平和教育部門『<被爆50周年・平和教育への提言>今、ヒロシマの子どもたちは・・・-広島県下小・中・高・大学生の平和意識調査』(冊子) | |
| 1005 | 広島教育研究所平和部会開始前の藤井の話=アジア大会の開会式に参加したが、演出が全くけしからん。特に、君が代。アジアへの配慮に欠ける。小倉豊文の娘は同級生。その関係で小倉の考えに接する機会があった。原爆投下を責めることは出来ないという考えは一貫していた。私の考えには、良い感情を持っていなかったようだ。<宇吹メモ> | |
| 1005 | 「広島教育研究所平和部会まとめ(10月5日)」。<資料(B4 1枚)> | |
| 1005 | 被爆50年に向けて何をするか。藤井・江種・高橋・沢野・宇吹。「語り部」は差別的表現である、との強い指摘があったのでこれからは使わないことにする。この日の会の結論として、全教平和部会の被爆50周年の活動としては、広島の近現代史をまとめることになった。<宇吹メモ>。 | |
| 1005 | *の話=ABCCから学校に迎えがあった時、柱にすがりついて離れない女子生徒がいた。占領期のことでもあり、宥めて行かせた。ABCCの職員が、病理解剖の申し入れをするため、遺族の所にきて、胸のポケットから金をちらつかせながら説得していた。<宇吹メモ> | |
| 1021 | 広島教育研究所平和部会。藤井・江種・高橋・沢野・田村・宇吹。-9時。広島県の近現代史の構想。大久野島・宇品・加計など、歴教協の優れた成果のあることは確認出来たが、うまくまとまらず。藤井の提言で、「原爆投下をめぐって」をテーマに考えることとなる。<宇吹メモ> | |
| 1021 | 沢野に、図説戦後50年記念史のために「原爆瓦」関係の写真提供を依頼。来週までに調べてくれるとのこと。<宇吹メモ> | |
| 1021 | 田村の話=パグウォッシュの会議は、ほとんどが東京で準備されるので、広島準備委員会は、あまり仕事は無い様子。<宇吹メモ> | |
| 1022 | <川島メモ>前日の欠席事情。当日提出予定の教材「宇品」案 | |
| 1125 | 広島教育研究所平和部会「被爆50年・アジア太平洋戦争終結50年を迎えるにあたって 平和教育部会として何に取り組むか」(資料B5 1枚)。22日欠席の連絡。<宇吹メモ> | |
| 1214 | 平和教育部会=藤井・田村・江種・高橋・忍岡・川島・沢野・宇吹。 | |
| 1214 | 教育研究所平和教育部会。「被爆50年・アジア太平洋戦争終結50年をどう迎えるか -平和教育部会として―」(資料B4 1枚)。 | |
| 1214 | 被爆50周年の取り組みについて議論。宇吹が、報道・出版・行事など沢山計画されているので、その動きを平和教育の立場から評価し、紹介してはどうか、編集はできないが、資料は提供すると提案。<宇吹メモ>川島が宇吹提案を積極的に支持。宇吹提案に沿って、月2回の通信を発行することになる。しかし、実行部隊の裏付けは無し。スミソニアン見学ツアーについても関心があったが、通信発行の中で検討することになる。<宇吹メモ> | |
| 1021 | 全教平和教育部会。於二葉中学校。-8時半。間違って二葉公民館で20分ほど待つ。メンバー全員が出席。「82反核」と自治研での講演のコピーを皆に贈呈。タイトルは「被爆50年」、月2回刊、4頁とすることが決まる。私が毎号、4頁目を担当することになる。<宇吹メモ> | |
| 1129 | 広島教育研究所第13回市民教育講座「子どもたちの学力を豊かに育てるために―教課審「中間まとめ」をどう読むか―」。講師:大槻和夫。会場:二葉公民館。(資料 ビラ1枚 B5 1枚) | |
| 1995 | ||
| 0105 | 全教「被爆50年」用の資料をまとめる。<宇吹メモ> | |
| 0106 | 全教平和教育部会。「被爆50年」1月上旬号編集会議。於二葉中学校。藤井・川島・高橋・江種・忍岡・宇吹など計10人。良いスタート。<宇吹メモ> | |
| 0116 | 『ウォッチング被爆50』創刊号 | |
| 0119 | 全教平和教育部会。於二葉中学校。-8時。「ウォッチング!被爆50」創刊号完成。1月下旬号の編集会議。高橋・川島・沢野・田村・若い女性2人・宇吹。川島に中国新聞年表の解説原稿を渡し、意見を聞かせて貰うよう頼む。<宇吹メモ> | |
| 0201 | 『ウォッチング被爆50』第2号 | |
| 0203 | 全教平和教育部会。於二葉中学校。1月後期号を入手。2月前期号の編集会議。教研集会を特集する。若い女4・男1人、川島・高橋・沢野・田村・宇吹。2月後期から2回、スミソニアン博物館問題を取り上げることになる。川島より中国年表解説への感想を貰う。<宇吹メモ> | |
| 0216 | 『ウォッチング被爆50』第3号 | |
| 0220 | 全教平和教育部会。第4号の編集。6-8時。於二葉中学校。川島・高橋・宇吹他4人。<宇吹メモ> | |
| 0307 | 第23回全国平和教育シンポジウム第2回実行委員会。於エコード広島。「大会テーマ:ヒロシマ・ナガサキ50年、そしてアジアとの連帯・共生」に高橋信雄が異議を唱えるが通らず。私は、平和・戦争博物館の分科会を設けるよう提案。企画委員会へ一任となる。<宇吹メモ> | |
| 0323 | 第23回平和教育シンポジウム第3回実行委員会。於エコード広島4F。朝、空辰男に欠席の旨連絡。<宇吹メモ> | |
| 0327 | 「ウォッチング被爆50周年」の作成。川島に速達で届ける。<宇吹メモ> | |
| 0401 | 『ウォッチング被爆50』第4号 | |
| 0414 | 全国平和教育シンポジウム第4回実行委員会。於エコード広島4F会議室。第4分科会「平和とマスコミ・教科書・博物館問題を考える」の運営委員を引き受ける。高橋と相談の結果、私がマスコミ関係者にリポートを依頼することになる。20分から40分。<宇吹メモ> | |
| 0422 | 「95年度広島教育研究所研究員総会」(資料) | |
| 0426 | *(ウォッチング95の編集会議メンバー)より電話。生徒から「原爆切手」の現物が見たいとの希望があった。どこかで入手できないか。<宇吹メモ> | |
| 0510 | 第23回平和教育シンポジウム第5回広島実行委員会。於エコード広島4F。8日に欠席の連絡。<宇吹メモ> | |
| 0512 | 全教平和教育部会、ウォッチング被爆50年の編集会議。-8時。久しぶりの会合。6月1日号の編集について相談。原爆投下をめぐる資料の整理。<宇吹メモ> | |
| 0525 | 全教平和部会。於二葉中学校。原爆投下関係資料を届けて、会合は欠席。高橋に明日の平和教育シンポの会合も欠席することを伝える。<宇吹メモ> | |
| 0526 | 全国平和教育シンポジウム第6回実行委員会。於エコード広島4F。欠席。<宇吹メモ> | |
| 0615 | 全教平和部会。於二葉中。高橋・沢野・女性3人・宇吹。-8時。1号分を平和ゼミの報告にあてることになる。高橋の話=最近の平和教育シンポジウムの参加者は300程度に減った。分科会が二日目まで持つかどうか心配。シンポでの司会は自分がする。<宇吹メモ> | |
| 0616 | 第23回全国平和教育シンポジウム実行委員会総会。於エコード広島4F。欠席。<宇吹メモ> | |
| 0624 | 第23回全国平和教育シンポジウム。於幟町中学校体育館。-12時全体会記念講演「ある戦中派の平和」(山田浩)。参加者400人。自分史的なものに期待をしたが、「戦後補償」についての話。加害というテーマに引きずられ、とってつけたような内容。<宇吹メモ> | |
| 全国平和教育シンポ分散会。第4「平和とマスコミ・教科書・博物館問題を考える」。参加者21人。-5時。宇吹報告「博物館と平和教育」、武河隆司報告「紙面にみる新聞社の戦争責任と自己批判」。宇吹は持ち時間30分のところを1時間半しゃべる。<宇吹メモ> | ||
| 岡本三夫や*(朝日)・読売記者が参加していた。高橋の話では、この分科会は、これまで小人数で成立しにくかったが、この程度の参加で一応成功とのこと。25日の分科会は休ませて貰うように交渉。<宇吹メモ> | ||
| 分科会終了後、*(朝日)と会う。一緒に幟町中学校から郵便貯金会館に歩いて行く。長崎の軍縮シンポの取材に行った由。東京で笠原十九司・吉見・日本被団協の取材した話を聞く。私から、*の程度の悪さ、地方自治体の国際貢献・交流の問題点について話す。<宇吹メモ> | ||
| 全国平和教育シンポ-市民に贈る夕べ「きたがわてつ」平和コンサート。於広島郵便貯金ホール。-9時。開演前に、北川に付き添っている新江と会う。プログラムによれば「サウンドディレクター」として参画。元気そうで安心。<宇吹メモ> | ||
| 市民に贈る夕べ。「ヒロシマ夢現太鼓」・安田女子高校音楽部=久しぶりの文化行事参加。ストレス解消にこうした行事への参加が必要。トーク=海老根勲・空辰男・児玉(女学院)・萩本(安田高校)=女子高校生の話と空の話がかみ合わない。北川の歌とトーク。<宇吹メモ> | ||
| 全国平和教育シンポジウムの感想=運営の中心を担っているのは、定年後の高齢者。初期の熱気は感じらず。このままでは、先細りは確実。枠組みそのものの精度疲労もある。<宇吹メモ> | ||
| 06 | 『戦後50年・被爆50年 平和を考えよう -仲間の実践に学び、ヒロシマの平和教育の前進を-』(全広島教職員組合)(冊子) | |
| 0703 | 全教平和部会。於二葉中学校。川島・女性2人・宇吹。-8時過ぎ。次回が決まらず。川島は、今年度で定年退職の由。佐藤正のことを聞く。一緒に勤めたことがある由。夏休みに合宿をしようとの話が出る。<宇吹メモ> | |
| 1024 | 23回全国平和教育シンポジウム第7回実行委員会。エコード広島。欠席。<宇吹メモ> | |
| 1127 | 全教平和部会。於教育研究所。藤井・田村・高橋・江種・忍岡・宇吹。「教育についての父母アンケート」検討会。-9時。私が、長田新の悪口を言ったら、藤井から反論が返ってきた。藤井=森戸は常に東を向いていた。<宇吹メモ> | |
| 1996 | ||
| 0420 | 広島教育研究所研究員総会<資料>。於二葉公民館。欠席。<宇吹メモ> | |
| 1997 | ||
| 0313 | 全教平和部会。-8時半。高橋・江種・沢野・松井・宇吹。来年度の方針案の作成。高橋=戦争展は、予算的にしんどい。昨年は200万円掛かった。沢野=「子ども平和の像」建立の動きについて報告。楠の話=レストハウス保存について市議会に新たな動き。公明党が質問、新生クラブが関心を示す。議長裁定が出るかも?<宇吹メモ> | |
| 0419 | 「97年度広島教育研究所研究員総会」(資料) | |
| 0929 | 広島教育研究所平和教育部会。6時-8時40分。藤井・高橋・川島・江種・忍岡・沢野・?・宇吹。今後の部会活動について。広島市の指導案や原爆展のシナリオを検討することになる。<宇吹メモ> | |
| 江種の話=被団協への修学旅行生向けの講話申し込みは、最大時の5分の1に減っている。。<宇吹メモ> | ||
| *の話=4月から*中学校に勤務。給料は20万円程度。年金は25万円貰っている。経済的には現役時代より恵まれている。<宇吹メモ> | ||
| 1118 | 全教平和部会。高橋・江種・忍岡・沢野・?・宇吹。広島市の小・中学校の平和教育資料集をめぐって。<宇吹メモ> | |
| 高橋の話=歴教協は、宇品・大久野島・強制連行などの問題を、典型教材・地域教材として取り上げてきた。広島市の博物館は、中島地域の建物を実物大で復元するつもり。広島の右翼で理論的なのに*がいる。<宇吹メモ> | ||
| 沢野の話=韓国の独立紀念館には、特別展示のような形で、従軍慰安婦が展示してあった。市立大学であった大江健三郎の講演を年休を取って聞きに行った。大変良かった。<宇吹メモ> | ||
| *の話=現在の加害教育は、解放教育の路線上で行われている。<宇吹メモ> | ||
| 1998 | ||
| 0114 | 全教平和部会。高橋・江種・沢野・松井・宇吹。-8時半。平和教育に関わって来た先輩に原稿を書いてもらうことになる。<宇吹メモ> | |
| 0309 | 高橋信雄(全教)より電話。15日(日曜日)に平和教育のインタビューを実施するとのこと。欠席の旨を伝える。<宇吹メモ> | |
| 0724 | 広島教育研究所市民講座(資料 案内ビラ B5 1枚) | |
| 1006 | 「98年度広島教育研究所研究評議会」(資料) | |
| 1999 | ||
| 0201 | 全教広島・広島教育研究所教育課程検討委員会「全教広島 号外」 | |
| 0417 | 「99年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。二葉中学校図書室。欠席。<宇吹メモ> | |
| 2000 | ||
| 0422 | 「2000年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。於・生涯学習センター。-4時半。沢野=今年の旅行のテーマは「環境」で、四万十川へ行く由。<宇吹メモ> | |
| 0510 | 教育研究所平和部会。私と江種しか集まらず、帰る。大江健三郎の資料。<宇吹メモ> | |
| 0713 | 広島教育研究所「人権・平和教育合同部会」。-8時半。楠・高橋・舟橋・江種・松井・人権関係2人・宇吹。<宇吹メモ> | |
| 0823 | 全教広島平和部会。江種・舟橋・沢野・松井・高橋。沢野の話=ゾンタクラブで藤田知事と同席したが、平和教育に関心を持っていた。これまでの祈り中心から創造に変化する必要性を訴えていた。海外からの研修生と高校生の交流など。<宇吹メモ> | |
| 0913 | 全教広島平和部会。同和教育部会と合同。-8時半。<宇吹メモ> | |
| 1004 | 全教広島平和部会。欠席。<宇吹メモ> | |
| 2001 | ||
| 0420 | 「2001年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2002 | ||
| 0417 | 「2002年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2003 | ||
| 2004 | ||
| 2005 | ||
| 0428 | 「2005年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2006 | ||
| 0428 | 「2006年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2007 | ||
| 0420 | 「2007年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2008 | ||
| 2009 | ||
| 0507 | 「2009年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2010 | ||
| 2011 | ||
| 2012 | ||
| 2013 | ||
| 0521 | 「2013年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2014 | ||
| 0523 | 「2014年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2015 | ||
| 10 | 『第17次平和教育へのとりくみ実態調査報告』(全教広島・広島市教職員組合 広島教育研究所<平和教育部会>)(冊子) | |
| 2016 | ||
| 0520 | 「2016年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
| 2017 | ||
| 2018 | ||
| 2019 | ||
| 0517 | 「2019年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。 | |
広島自治体問題研究所のあゆみ
関係略年表
| 年月日 | 事項 | ||
| 196303 | 自治労大阪衛都連の援助で設立 | ||
| 196306 | 月刊機関誌『住民と自治』発刊 | ||
| 196408 | 自治体学校(第1回) | ||
| 19770721 | ~0724 第19回全国自治体学校。広島から7名参加 | ||
| 19771201 | 広島自治体問題研究会結成。 | ||
| 19780512 | 『自治体問題研究所所報』第24号 | ||
| 自治体問題研究所建設3カ年構想 | |||
| 19790501 | 『自治体問題研究所所報』 第25号 | ||
| 自治体問題研究所1979年度総会に向けて | |||
| 自治体問題研究所規約 | |||
| 1979年度自治体問題研究所役員について | |||
| 19790815 | 『自治体問題研究所広島研究会会報』No.1~6(19800125) | ||
| 19791101 | 自治体問題研究所広島研究会発会式 | ||
| 19800220 | 『ひろしまの地域とくらし』No.7~ | ||
| 19840519 | 第6回総会 広島自治体問題研究所と改称。 | ||
| 19841110 | 『ひろしまの自治をひらく 広島自治体問題研究所5周年記念誌』刊。 | ||
| 19891202 | 『ひろしまの自治をひらく 広島自治体問題研究所10年のあゆみ』刊。 | ||
| 1999 | 『広島自治体問題研究所20年の歩み 21世紀の地方自治をひらく』刊。 | ||
『ヒロシマの子育て・教育』 広島教育研究所機関誌
| 号 | 発行 年月 |
備考 |
| 057 | 199507 | 特集:いま、ヒロシマから平和を問う |
| 藤井敏彦「連載『戦後50年とわたし』Ⅳ」 | ||
| 第24回平和教育シンポジュームから | ||
| 070 | 199610 | |
| 073 | 199701 | |
| 100 | 199906 | 特集:ヒロシマと新ガイドライン |
| 109 | 200004 | 三浦精子「特別寄稿 「おこりじぞう」と山口勇子さん」 |
| 205 | 200902 | 特集:平和教育部会から提言 |
| 松井久治 | ||
| 江種祐司 | ||
| 206 | 200903 | 特集:平和教育部会から提言 |
| 高橋信雄 | ||
| 澤野重男 | ||
| <以下未入力> | ||
| 388 | 202510 | 今、広島の教育は・・・ |
広島教育研究所 設立:1990年
資料
| 機関誌 | ヒロシマの子育て・教育 | 備考 |
| 刊行物 | ||
被爆建造物を考える会
設立:1989(平成元)年7月16日
目的:「本会は、広島の街から次第に姿を消そうとしている被爆建造物をとおして、歴史的な意味を持つ広島の体験をどう次代に伝えていくか多面的に検討し、市民に被爆体験の継承について考える機会を提供することを目的とする。」(会則第2条)
事業(会則第3条)
本会は、前条の目的を達成するために以下の事業を行う。
①被爆建造物の存在を広く市民に認識してもらうために、フィールドワークやスケッチ大会、シンポジウムなどを開催する。
②他都市における歴史的建造物保存の試みなどについて調査する。
③広島に残る被爆建造物について、専門家による多角的な調査・研究活動を行う。
④調査・研究活動の成果をまとめ、報告書として出版する。また、市民、子ども向けの被爆建造物マップ、解説書などの出版活動を行う。
⑤その他、会報発行など目的達成に必要な事業を行う。
動向
| 年月日 | 事項 | |
| 1989 | ||
| 07 16 | 「原爆遺跡を考える会」、広島市で発足。呼びかけ人に飯島宗一・新藤兼人・庄野直美ら。原爆遺跡への関心を高め、被爆建造物の調査などを計画。事務局を広島平和教育研究所に設置。 | |
| 07 25 | 「被爆建造物を考える会」主催原爆遺跡をめぐるフィールドワーク、広島市で実施(約60人参加)。広島赤十字・原爆病院・広大理学部などを見学。 | |
| 07 30 | 「被爆建造物を考える会」、広島市内各所で、被爆建造物を描くスケッチ大会を開催(約30人参加)。 | |
| 0925 | 「被爆建造物を考える会」。於教育会館<宇吹メモ> | |
| 12 24? | 「被爆建造物を考える会」による本格的な調査活動、開始。同会社会部会、原医研資料センターの資料で被爆建造物について調査。 | |
| 1990 | ||
| 08 02 | 「被爆建造物を考える会」、広島信用金庫横川支店で現地調査。その他の建造物についても調査中。 | |
| 11 25? | 「被爆建造物を考える会」の葉佐井博巳広大教授ら、広島市内の被爆建造物の残留放射能を測定し、各地点の中性子量を算出。それによると、日米合同委員会による被曝線量推定方式DS86とは大差。 | |
| 12 03 | 「被爆建造物を考える会」、調査結果をまとめた「広島の被爆建造物-被爆45周年調査報告書」(監修者:庄野直美、発行者:被爆建造物を考える会、発行所:朝日新聞広島支局、発行日:1990年12月1日)を作成。 | |
| 12 08 | 「被爆建造物を考える会」、広島市で、記念シンポジウムを開催(約300人参加)。大江健三郎による講演「壊れものとしての人間と文化」など。 | |
広島原爆障害研究会 設立日:1956年11月
研究会メンバー
| 名前 | 所属 | 分野 |
| 井上省三 Inoue,Shozo | 広島赤十字病院 | 内科 |
| 小川修三 Ogawa,Shuzo | 広島大学理学部 | 理論物理 |
| 於保源作 Obo,Gensaku | 広島市 | 内科 |
| 佐久間澄 Sakuma,Kiyoshi | 広島大学理学部 | 理論物理 |
| 重藤文夫 Shigeto,Fumio | 広島赤十字病院 | 内科 |
| 品川睦明 Shinagawa,Mutsuaki | 広島大学理学部 | 分析化学 |
| 庄野直美 Shono,Naomi | 広島女学院大学 | 理論物理 |
| 杉原芳夫 Sugihara,Yoshio | 広島大学医学部 | 病理 |
| 瀬戸紀守 Seto,Norimori | 広島市 | 産婦人科 |
| 原田東岷 Harada,Tomin | 広島市 | 外科 |
| 広瀬文男 Hiroshe,Fumio | 広島大学医学部 | 病理 |
| 広藤道男 Hirofuji,Michio | 広島市 | 内科 |
| 細川利郎 Hosokawa,Toshiro | 広島赤十字病院 | 内科 |
| 槙殿順 Makidono,Jun | 広島市 | 放射線科 |
| 山本司 Yamamoto,Tsukasa | 広島原爆病院 | 病理 |
| 以上は1957年12月末のメンバー | ||
| 以下は1958年7月のメンバー表で新たに加えられたメンバー | ||
| Masuda,Yoshiya | ||
| Mizuno,Moriso | ||
| Nishida,Sekio | ||
| Nakayama,Hiromi | ||
| Tabuchi,Akira | ||
広島県労働組合総連合 結成日:19900127
『広島県労働組合運動史―-歴史的伝統を受け継ぎ県労連はかくたたかう』(広島県労働組合運動史編集委員会編、広島県労働組合総連合刊、19951220)目次
| 部章 | 節項 | 見出し |
| 1 | 戦前・占領下の広島県労働組合運動(1899年~1951年) | |
| 1 | 戦前の広島県下の労働組合運動 | |
| 2 | 敗戦・占領下の広島県労働組合運動 | |
| 2 | 安保体制下の広島県労働組合運動(1952年~1979年) | |
| 2-1 | サンフランシスコ体制と労働組合運動 | |
| 1 | 広島における原水爆禁止運動-分裂から再建へ | |
| 1-1 | 原爆投下と被爆者の苦闘 | |
| 1-2 | 広島の原水爆禁止運動 | |
| 1-3 | 原水爆禁止運動の分裂と県原水協の再建 | |
| 1-4 | ABCCの調査拒否、撤退要求 | |
| 2 | 広島における母親運動-母親が変われば社会が変わる | |
| 2-1 | 広島県母親連絡会の結成 | |
| 2-2 | 「母親が変われば社会が変わる」 | |
| 2-3 | 母親運動の統一、さらなる前進をめざして | |
| 2-4 | 母親運動の前進-いのちと暮らしを守り、核戦争の危機に歯止めを | |
| 3 | 勤評闘争から警職法闘争へ | |
| 2-2 | 歴史的な安保・三池闘争とその後の諸闘争 | |
| 1 | 歴史的な安保闘争と広島のたたかい | |
| 2 | 三井・三池闘争 | |
| 3 | 広島の中小企業における労働組合運動 | |
| 4 | マル生攻撃とたたかい多数組合に-全建労 | |
| 5 | ラジオ中国芸能員労組のたたかい | |
| 6 | 全造船広船分会のたたかい | |
| 7 | 初めての教職員の半日ストライキ | |
| 8 | 弾薬輸送反対のたたかい | |
| 8-1 | 米軍弾薬庫撤去・弾薬輸送反対のたたかい | |
| 8-2 | 米軍弾薬輸送の実態 | |
| 8-3 | 弾薬共闘について | |
| 9 | 大学紛争と労働組合 | |
| 10 | マス・金・商・医労組連絡会の活動 | |
| 11 | 戦争と失業と貧乏に反対して、全日自労のたたかい | |
| 12 | 部落解放運動への分裂攻撃 | |
| 2-3 | 70年代・労働組合運動の再生 | |
| 1 | 国労のマル生粉破闘争とスト権奪還スト | |
| 2 | 島県下での首長選挙・革新統一への努 | |
| 3 | 新組織の結成-政治活動の自由と政党支持の自由を守って | |
| 4 | 広島硝子労組の工場閉鎖反対闘争 | |
| 5 | 中国放送労働組合の12年間の長期争議 | |
| 6 | その後の部落解放運動 | |
| 7 | 「教師論」と教師員組合運動 | |
| 8 | 自治体労働組合の一層の前進をめざして | |
| 3 | 県労連前史-県統一労組懇の結成と活動・たたかう労働戦線の結集にむけて(1980年~1989年) | |
| 3-1 | 広島県統一労組懇と初期の活動 | |
| 1 | 広島県統一労組懇発足 | |
| 2 | その日サイレンは鳴らなかった-石川島播磨重工呉の労災死亡事件 | |
| 3 | 反合理化闘争と労働争議 | |
| 3-2 | 国鉄の分割・民営化反対のたたかい | |
| 3-3 | 原水爆禁止運動と政治的諸闘争 | |
| 1 | 原水爆禁止運動の歴史と伝統を守る | |
| 1-1 | 統一の原則確立 | |
| 1-2 | 社会党・総評の右転落と分裂・変質策動の強まり | |
| 1-3 | 総評・県労・原水爆禁止世界大会から脱落 | |
| 1-4 | 「ヒロシマ・ナガサキからアピール」署名と「平和の波」 | |
| 3-4 | 八次小事件の勝利判決と部落解放運動 | |
| 1 | 八次小事件起こる | |
| 2 | 軍拡・臨調路線反対の諸行動と85年県知事選挙 | |
| 2-3 | トマホークくるな!国民運動センター発足 | |
| 3-5 | 階級的ナショナルセンター確立への展望に立って | |
| 4 | 県労連-たたかうローカルセンターの結成と運動(1990年~1995年) | |
| 4-1 | 希望に輝く未来のために-県労連の結成と602日のたたかい | |
| 3-3 | 平和と民主主義擁護の先頭に立つ | |
| 4 | 平和・原水禁禁止運動 | |
| 4-1 | 被爆45周年-核兵器廃絶・被爆者援護法制定の運動 | |
| 4-2 | 原水爆禁止91年世界大会と原爆遺跡保存運動 | |
| 4-2 | 3万人の県労連をめざして-たたかう全労連の旗のもとで | |
| 2-3 | 「日の丸」「君が代」強制に反対するたたかい | |
| 3 | 憲法があぶない-反戦と平和・民主主義擁護のたたかい | |
| 3-1 | 10・21反戦全国統一行動と第5の「平和の波」行動 | |
| 3-2 | 自衛隊の海外派兵阻止闘争 | |
| 3-3 | 原水爆禁止92年世界大会 | |
| 4-3 | 連合政権・多様な政治課題とリストラ「合理化」のもとでの運動 | |
| 2-3 | 原水爆禁止93年世界大会 | |
| 4-4 | 原水爆禁止94年世界大会 | |
| 8 | 「被爆・戦後50周年」の反核・平和運動 | |
| 8-1 | 被爆・戦後50周年に向けての諸運 | |
| 8-2 | 被爆50周年草の根国際共同行動 | |
| 9 | 10周年目を迎えた「アピール署名」運動と原水爆禁止95世界大会 | |
| 9-1 | 10周年目の署名運動 | |
| 9-2 | 原水爆禁止95年世界大会 | |
| 9-3 | 多彩な95年世界大会関連行事 | |
| 座談会 県労連の当面する課題と展望 |
広島ペンクラブ 19490408設立(「広島県大百科事典」(岩崎清一郎・記)では1951年5月発会)
機関誌『ペン HIROSHIMA』
| 巻号 | 発行年月日 | 著者 | タイトル | 所蔵 |
| 所蔵:P=ピカ研、H=原爆資料館 | ||||
| 1-1 | 19621031 | 発行人:田淵実夫 | P | |
| 1-2 | P | |||
| 1-3 | P | |||
| 10-5 | 19770501 | H | ||
| 小倉馨 | 広島市長国連を行く | |||
| 19830325 | H | |||
| 19840501 | H | |||
| 19860520 | H | |||
| 19870401 | H | |||
| 19880415 | H | |||
| 19881015 | H | |||
| 19901201 | H | |||
| 19910701 | H | |||
| 19911230 | H | |||
| 19920701 | H | |||
| 19930101 | H | |||
| 19930701 | H | |||
| 19940701 | H | |||
| 19941201 | H | |||
| 19950601 | H | |||
| 19951201 | H | |||
| 19960815 | H | |||
| 19961120 | H | |||
| 19970220 | H | |||
| 19980910 | H | |||
| 19990515 | H | |||
| 19990715 | H | |||
| 20000115 | H | |||
| 20000517 | H | |||
| 20010115 | H | |||
| 20020110 | H | |||
| 20020510 | H | |||
| 20070124 | H | |||
| 20071121 | H | |||
| 20080125 | H | |||
| 20080521 | H | |||
| 20080723 | H | |||
| 20080917 | H | |||
| 20090128 | H | |||
| 20090728 | H | |||
| 20100127 | H | |||
| 2013(下) | 20130717 | H | ||
| 2014(下) | 20140716 | H | ||
| 2015(下) | 20150715 | H | ||
| 2016(上) | 20160120 | H | ||
| 舛井寛一 | 回想原田東岷会長 | |||
| 松本忠之 | 日米安全保障条約 | |||
| 吉中康麿 |
天皇皇后両陛下のご訪問
|
|||
| 吉村良哉 | ご対面 黄瀛さんと米田栄作さん | |||
| 今田 | 被爆七十年の広島 | |||
| 高崎宗利 | 節目の思い出と裏話(その二)ご視察での天皇陛下のご記憶とご配慮 | |||
| 新川貞之 | 父をかえせ 母をかえせ 峠三吉さん | |||
| 長谷川是求 | 是求柳壇―広島赤十字・原爆病院血液内科の日々 | |||
| 2016(下) | 20160801 | H | ||
| 梶矢文昭 | オバマさんくるかなあ | |||
| 舛井寛一 | 回想原田東岷会長(下) | |||
『広銀行報』(編集兼発行者:広島銀行文書課)
⇒『広銀』⇒『ひろぎん』⇒
| 号 | 発行年月日 | 著者 | タイトル | 所蔵 |
| 1 | 19511110 | P | ||
| 6 | 19520901 | H | ||
| 奥徹郎 | 百四十四柱の霊に捧ぐ | |||
| 25 | 19551101 | P | ||
| 資料:当行年表(5行合併以後)昭和19年、昭和20年 | ||||
| 広島銀行史編纂委員会 | 終戦時の回顧 | |||
| 26 | 19560101 | P | ||
| 資料:当行年表(2)昭和22年~24年 | ||||
| 行史編纂委員会 | 終戦時の回顧(その2) | |||
| 誌名変更『広銀』 | ||||
| 44 | 19570815 | P | ||
| 広島銀行原爆物故者13回忌追悼 | ||||
| 68 | 19590815 | P | ||
| 福見君子 | <特別寄稿>8月6日への追憶 | |||
| 80 | 19600815 | 特集 | H | |
| 原爆の詩 | ||||
| 八月十五日の思い出 | ||||
| 原爆十五周年によせて | ||||
| 103 | 19620715 | H | ||
| 哲朗生 | 原爆ドーム | |||
| 104 | 19620815 | 〈特集〉原爆の思い出 | H | |
| 哲朗生 | 随筆 原爆ドーム | |||
| 誌名変更⇒『ひろぎん』 | ||||
| 116 | 19630815 | 特集 | H | |
| あれから18年 ヒロシマのすがた | ||||
| 松田勝 | 原爆から立ち上がって | |||
| 三木宏壮 | その日・8月6日 | |||
| 奥哲朗 | 原爆ドーム⑭ | |||
| 我がふるさとヒロシマ | ||||
| ** | 19650525 | 20周年記念特集号 | H | |
| 松田勝 | 原爆記 | |||