年表:チェルノブイリ原発事故1986~88

年表:チェルノブイリ原発事故

1986(昭和61)~88(昭和63)年

できごと
86 04 26 ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が爆発。大量の放射能が世界各地に拡散し、史上最悪の原発事故に。
86 04 29 ソ連政府がチェルノブイリ原発事故を公式に発表。詳細は依然不明。
86 04 30 欧州各地で、チェルノブイリ原発事故による放射能汚染の被害が広がる。牛乳、野菜も汚染。
86 05 04 チェルノブイリ原発事故の放射能が日本にも到達、と科学技術庁が発表。各地で水道水や野菜から異常な放射能値を検出。影響なしとの科技庁の予測はずれる。
86 06 15 広島市の女性平和グループの呼びかけで、「くり返すな!ヒロシマ・チェルノブイリ-今こそ一人一人が声を・市民集会」、広島市で開催( 約 200人参加) 。非核政府を作ろうとのアピール採択。
86 07 10 長崎平和文化研究所、長崎市で、シンポジウム「チェルノブイリ原発事故の意味するもの」を開催( 約20人参加) 。
86 07 19 長崎の証言の会など、「チェルノブイリ原発事故」をテーマにした国際平和年シンポジウムを長崎市で開催( 約40人参加) 。
86 08 04 テレビ特集番組「よみがえる被爆データ~ヒロシマとチェルノブイリ」(NHK)、放送。
86 08 14 ソ連がIAEAにチェルノブイリ原発事故報告書を提出。重大ミスが6つ重なるずさん運転ぶりが明らかに。
86 09 15 ソ連チェルノブイリ原発事故を検討するシンポジウム、東京で開催。それによると、事故で発生したエネルギーは、広島原爆の約百分の一相当との試算結果を発表。
86 09 18 在ソ連日本大使館筋、チェルノブイリ原発事故で被ばくした人たちの治療などについて学ぶため、広島に専門家を派遣したいとの意向を表明。
86 10 13 放影研理事長、東京でのチェルノブイリ原発事故シンポジウムで講演。被ばく者健康調査の重要性を指摘、協力の用意があるとの意向を表明。
86 10 21 日本から訪ソ中の「医学協力団」、モスクワ市で、チェルノブイリ原発事故の被ばく者と対面。[広島大学]
86 12 18? 西独で発行されたパンフレット「チェルノブイリ以降ー毎日の放射能汚染をどう防ぐか」邦訳版、京都市で刊行。
86 12 22 ソ連の放射線医学の専門家(4名)、チェルノブイリ原発事故被ばく者治療に役立て るため、来年1月に来日することが決定。
87 01 11 ソ連のチェルノブイリ原発事故医療・治療調査団(5名)、来日(21日まで滞在)。原爆資料館・広島大原医研・原爆病院などを見学。
87 01 13 テレビ番組「ひろしまTODAY60’」(広島テレビ)、ソ連原発チェルノブイ リ原発事故で研修のため来広した医師団を取材し、放送。他に、「RCCニュース6」 (中国テレビ)・「テレビ夕刊」(広島ホームテレビ)でも放送。
87 02 06 ソ連チェルノブイリ原発事故に関する米政府の特別調査団、事故報告所を提出。それによると、今後70年のソ連のがん死者は1万人以上。
87 04 03 ソ連チェルノブイリ原発事故のドキュメンタリー映画「チェルノブイリ-困難の日々の記録」、完成後上映されていないことが判明。
87 04 25 ソ連チェルノブイリ原発事故発生1周年で、欧州各地で、反原発・反核を訴えるデモ 。スイス・ベルリン約1万人、西独・ハンブルク約1万人、英・ロンドン約10万人参加、他。
87 05 18 ソ連チェルノブイリ原発事故で被ばくした住民の追跡調査方法について検討する国際専門家会議、ウィーンで開催(22日まで)。放影研の疫学部長、参加し広島・長崎被爆者の調査経験を報告。
87 05 29 ソ連週刊誌、チェルノブイリ原発事故の記録映画を撮影した映画監督が被ばく死したと報道。
87 05 30 オーストリアでの「放射線影響の疫学的研究法についての専門家会議」に出席した放影研の疫学部長、同会議の模様を報告。それによると、ソ連チェルノブイリ原発事故後、13万5千人について追跡調査を実施。
87 05 31 ソ連チェルノブイリ原発事故被災住民の健康調査のため、半径30/キロ/以内の住民135、000人を対象に、登録が進む。
87 06 06? ソ連チェルノブイリ原発事故の記録映画「困難な日々」(ビデオ版)、日本へ輸入される。
87 06 06? 毎日新聞記者、ソ連チェルノブイリ原発を訪れ、取材。
87 07 01 米のゲ-ル博士、ソ連チェルノブイリ原発事故の被ばく者について、致死量の2倍の 放射線を浴びても生存できそうであると発言。
87 08 09 テレビ番組「報道特集“黒い雨”広島・チェルノブイリ検証」(RCCテレビ)、放送。
87 12 04 ソ連チェルノブイリ原発周辺で過剰被曝が続き、87年中に3件の人的犠牲を含む36件の不幸な事故、とウクライナ共和国共産党紙が報道。
88 01 21 ソ連ロシア共和国のクラスノダルスク地方の原発建設が中止に。チェルノブイリ事故以来、ソ連での原発建設中止は初めて。
88 02 13 四国電力伊方原発で出力調整試験。反原発団体などの3000人が「チェルノブイリ事故再現の恐れ」と四国電力に抗議。
88 03 03? ソ連チェルノブイリ原発事故のドキュメンタリービデオ「困難な日々の記録」(55分)、日本で発表。
88 04 25 ソ連チェルノブイリ原発事故から2年。現場周辺では放射線が原因とみられる植物の突然変異現象が多発、と住民らが証言。
88 08 02 「広島・長崎・チェルノブイリ写真展」。日・ソ両国で開催(「反核・写真運動」主催、7日まで)。日本では広島市、ソ連ではモスクワ市(6日-)で開催。5月に訪ソしたカメラマン林重男らによる被爆写真とチェルノブイリ事故の写真などを展示。
88 08 04 「チェルノブイリ・クライシス(57分)」、「チェルノブイリ・シンドロ-ム」(92分)広島上映会、広島市で開催
88 09 28 チェルノブイリ原発のあるソ連ウクライナ共和国で、不治の遺伝性疾患の患者が特別施設に10万人、1年間に1万-1万2000人増加。
88 12 01 ソ連・チェルノブイリ原発を視察した日本原産会議の原子力安全調査団、帰国し記者会見。同原発事故責任者が来年来広し、放影研のワークショップに参加するなどを発表。
88 12 05 ソ連・チェルノブイリ原発事故対策の責任者であるソ連科学アカデミー副総裁、来広。放影研を視察し、被爆者の長期追跡調査方法などについて意見交換。