資料年表:宇吹暁の8・6<2001年~><敬称略><作業中>
年 | 事項 | |||||||||||||||||||||
2001 | ||||||||||||||||||||||
07:30 | 出勤。タクシーで平和記念式典会場へ。西垣学長、村松、岡本三夫と原爆ドーム前で会う。小泉の挨拶の内容に「平和憲法」・「非核三原則」という言葉があったので、わが耳をうたがったが、その他はひっかかるところなし。問題は、この挨拶と靖国参拝が同一人物で重なること。 | |||||||||||||||||||||
09:10 | 広島女学院上幟町校地到着。 | |||||||||||||||||||||
被爆56周年平和祈念式。於・上幟町校地・慰霊碑前。キリスト教主義大学ジョイント8・6平和学習参加の学生も含め盛会。西垣学長が、挨拶の中で私の名前をあげる。女学院高校の生徒が挨拶。加害についても考える必要があるとの内容。 | ||||||||||||||||||||||
10:40 | Oが一生懸命撮影してくれる。だいぶ疲れた様子。終了後、休憩室で湯茶をよばれ、Oは帰宅。 | |||||||||||||||||||||
11:30 | キリスト教主義大学ジョイント8・6平和学習で講演。小泉首相と女学院高校生徒の挨拶を取り上げる。-12時半。西垣学長から、他校の慰霊式典の様子を聞かれる。NからTシャツを貰う。Nの話=謝礼を次回の給与に振り込む。昼食を一緒に摂り、退席。 | |||||||||||||||||||||
13:00 | 原爆被害者8・6証言のつどい20周年のつどい。於:広島YMCAコンベンションホール。M・S(広島県立保健福祉大学)・S・Nと話す。Iに続いて挨拶を求められる。-2時半に中途退席。タクシーで大学に戻る。 | |||||||||||||||||||||
13:01 | M=広島国際大学は、まもなく辞めるつもり。S=来年の非常勤は宇吹の名前で予算要求しているのでよろしく。今年は福島生協病院の?に依頼した。N=8月23日にアメリカに戻る。原爆の絵とともになつかしの広島を描いた絵も全部閲覧できた。?が親切に応対してくれた。 | |||||||||||||||||||||
15:00 | K(共同通信)より大学へ電話。被爆体験継承策についての見解を聞かれる。 | |||||||||||||||||||||
2002 | ||||||||||||||||||||||
自宅で早朝から採点。8時の平和式典中継を見て、出勤。広島駅で今朝の朝刊を購入。 | ||||||||||||||||||||||
10:00 | 校内で*と彼女の姉母子と会う。私の研究室でコーヒーを飲みながら30分ほど話す。姉は、広島大学の国際協力研究科(修士)を卒業し、現在女学院英米文学博士過程に在籍中とのこと。父親が、鉱山関係の研究者とのこと。中国の核実験などについて話す。 | |||||||||||||||||||||
15:00 | 2002年度「8・6平和学習プログラム」。於:広島女学院幟町校地内。2時30分、印パ学生との交流会の最後に加わる。3時~4時半、まとめの集会で発言。終了後、帰宅。 | |||||||||||||||||||||
2003 | ||||||||||||||||||||||
09:00 | 広島駅新幹線口で今日の新聞を購入して出勤。広島女学院被爆58周年平和祈念式には参列せず。全国各新聞社のホームページで社説をチェック。文化史学の採点。帰宅後、夜中までかかり一応終了。 | |||||||||||||||||||||
18:30 | NHK総合テレビで朗読劇「夏雲」の模様を簡単に紹介。翌日Tから聞いた話では、折鶴が焼かれた事件のため、放映時間が短くなった由。 | |||||||||||||||||||||
2004 | ||||||||||||||||||||||
07:00 | 講座「ヒロシマ」:市民球場バス停へ。7:30集合だったが関西学院一行は、7:00に集まる。長富健三(中国新聞・論説委員)もしばらく取材。天風録で取り上げる由 | |||||||||||||||||||||
07:20 | 「せこへい」の碑前で沢野(安田高校)で出会ったので、碑の説明を講座「ヒロシマ」参加者向けにしてもらう。 | |||||||||||||||||||||
07:30 | 講座「ヒロシマ」:現地実習(広島市平和式典参列)。*(関西学院大学商学部4年)を含む第9グループがNHKの取材を受けるため、式典会場に一緒に座る予定であったが、会うことが出来ず。別々に会場に座る。「8・6平和セミナー」と会う。 | |||||||||||||||||||||
09:00 | 講座「ヒロシマ」:広島女学院高校へ移動。 | |||||||||||||||||||||
10:00 | 講座「ヒロシマ」:現地実習(広島女学院原爆死没者追悼式典参列)。*が在学生代表で挨拶。総務の職員と課長クラスが総動員されていた。英文関係の顔が見えず。 | |||||||||||||||||||||
11:00 | 講座「ヒロシマ」:「原爆の絵碑」除幕式。早坂暁・森本順子も参列。*の話では、早坂暁には旅費は出さず、森本順子にはオーストラリアから来日する旅費を出したとのこと。講座「ヒロシマ」のメンバーはほとんどが参列せず。 | |||||||||||||||||||||
11:30 | 講座「ヒロシマ」:女学院中学高等学校の食堂で昼食。当初、関西学院大学の学生は夜8時に集合の予定であったが、彼らがコンサートに参加することになっており、集合時間を9時半まで延長することを私からアナウンス。 | |||||||||||||||||||||
13:00 | 講座「ヒロシマ」:現地実習(平和公園碑めぐり、原爆資料館見学などグループごとに)。 | |||||||||||||||||||||
13:10 | *と大学に戻る。直後に*と*、来室。広告のレポートについて二人で検討。2時間ほど研究室で寝る。「アジアの中のヒロシマ」の資料を作成。 | |||||||||||||||||||||
15:30 | *より電話。講座「ヒロシマ」でビデオを上映したい由。 | |||||||||||||||||||||
20:00 | 講座「ヒロシマ」の学生に会うため、平和公園へ。関西学院大学の学生は、8:45に市民球場前に集合することにしていた。歩いて広島女学院中学・高等学校へ。最後まで付き合った女学院学生は4人。その一人*を広まで送って10時過ぎ帰宅。*は広島大学国際協力研究科の事務職員とのこと。 | |||||||||||||||||||||
2005 | ||||||||||||||||||||||
06:30 | 広島駅の駐車場に車を置き、駅の売店で新聞を購入。日経が昨日の模様を大きく掲載。電車で市民球場南側へ。07:15関西学院大学のバス到着。まとまった班から平和公園へ。*・*も来る。デジタルビデオカメラでの撮影を依頼。 | |||||||||||||||||||||
08:06 | 集中ヒロシマ(第2日)④⑤現地実習(広島市平和式典参加)。会場内に空席が無く、式典会場の西側へ。翌朝の報道では5万5000人が参列。学生とはぐれ、式典の最中に出口付近に移動して待ったが会えず。最後までいたとのことで、ほとんどが女学院慰霊祭に遅刻。 | |||||||||||||||||||||
2006 | ||||||||||||||||||||||
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2007 | ||||||||||||||||||||||
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2008 | ||||||||||||||||||||||
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2009 | ||||||||||||||||||||||
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2010 | ||||||||||||||||||||||
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2011 | ||||||||||||||||||||||
呉駅-0711広島駅。宮島行広電で原爆ドーム前へ。11本通り-熊野団地入口。12時帰宅。 | ||||||||||||||||||||||
2012 | ||||||||||||||||||||||
焼山発の広電バスで広島へ。8時に平和公園到着。正午過ぎまで市内で資料収集と写真撮影。むさしで昼食。一気に疲れが出たので、広島バスセンターから帰路へ。~12時。 | ||||||||||||||||||||||
野田首相挨拶=原稿に目を向けたまま顔を上げず。棒読み。献花=内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、外務大臣、厚生労働大臣・・・・・。広島市女職員生徒原爆死没者慰霊式典。 | ||||||||||||||||||||||
旧日本銀行広島支店。せこへい美術館。澤野と話す。佐々木の兄と黒瀬の紹介で会ったことがある由。 | ||||||||||||||||||||||
ウェブ上の地方紙の8・6社説をチェック。翌日も補遺作業。原発に言及するものもあり。 | ||||||||||||||||||||||
2013 | ||||||||||||||||||||||
06:42広電昭和支所ー7:37中電前ー平和公園ー9:12国際会議場ー篠原収と会うー「光の肖像展」-平和大通り(第一県女)ー旧日銀・せこへいーバスセンター12:13-13:13昭和支所ー13:30帰宅。 | ||||||||||||||||||||||
2014 | ||||||||||||||||||||||
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式。 | ||||||||||||||||||||||
2015 | ||||||||||||||||||||||
08:00被爆70年。広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式。式典終了後、篠原収・田城明と会う。 | ||||||||||||||||||||||
本川学区慰霊碑(正面)慰霊之碑(裏面)為原爆死没者 昭和三十二年八月六日建之 本川学区内有志〔説明板〕此の慰霊碑は過ぐる昭和二十年八月六日原爆投下された際本川地区一帯の死亡者数千の遺体を本川小学校内に集め、焼却された遺骨を此の位置にあった空鞘町防空壕内に埋没されたのであります。その後遺骨は平和公園内の供養塔内に移したのですが、永く此の聖地を記念しその英霊を慰めるため、地区内有志相寄り此の慰霊碑を建立したのであります。合掌 昭和四十年八月本川地区町民有志本川町三丁目町内会 | ||||||||||||||||||||||
2016 | ||||||||||||||||||||||
広島市平和記念式典の周辺を取材。昨年・一昨年と供養塔前に置いてあった平和のメッセージが今年はなかった。旧日銀・袋町・県立体育館を回り、1時過ぎのバスで帰宅。 | ||||||||||||||||||||||
2017 | ||||||||||||||||||||||
広島市平和記念式典に参列・取材。旧日本銀行広島支店などを覗く。 | ||||||||||||||||||||||
2018 | ||||||||||||||||||||||
07:30 昭和市民センター発のバス(始発)で広島へ。8時過ぎ、平和公園に到着。 | ||||||||||||||||||||||
2019 | ||||||||||||||||||||||
広電バス・昭和市民センター前 | ||||||||||||||||||||||
08:00原爆犠牲ヒロシマの碑8;00 全損保8:13、供養塔茶席08:30、9:16嵐の中の母子像。9:48NHK、 | ||||||||||||||||||||||
22:00NHKスペシャル「“ヒロシマの声”がきこえますか~生まれ変わった原爆資料館~ 」(50分)。 | ||||||||||||||||||||||
2020 | ||||||||||||||||||||||
読売・毎日・日経・産経をコンビニで購入。 | ||||||||||||||||||||||
08:15 黙とう呼びかけの呉市からの町内放送に合わせ1分間の黙とう。 | ||||||||||||||||||||||
2021 | ||||||||||||||||||||||
広島平和公園へ。原爆死没者慰霊行事に参列。原爆ドーム北側などを取材撮影。―07:26。 | ||||||||||||||||||||||
広島大学「平和と人間D」期末レポート採点表、メール添付で返送。 | ||||||||||||||||||||||
10:30 そごう駐車場―平和公園―広島県動員学徒犠牲者の会―原爆の子の像―原爆ドーム―原爆慰霊碑―花輪―撤去表(北辰映電)―献花―小倉桂子―peace run clubー平和の鐘を吊るす装置―巨大スクリーン―原爆慰霊碑―会場テント内―平和記念式典に寄せられたメッセージ―温井慰霊碑―造船工慰霊碑―教師と子どもの像―損保慰霊碑―湯川秀樹歌碑―原爆資料館―嵐の中の母子像―原爆資料館時計―ローマ法王碑―被爆ピアノ11:09―<全損保―被爆遺構―レストハウス>―そごう地下で昼食用弁当― | ||||||||||||||||||||||
「47ニュース」で社説・論説をチェック。https://www.47news.jp/news/column/shasetsu | ||||||||||||||||||||||
2022 | ||||||||||||||||||||||
自宅発―広島平和公園。 | ||||||||||||||||||||||
2023 | ||||||||||||||||||||||
読売・毎日など購入。 | ||||||||||||||||||||||
ヒロシマ遺文への投稿=「社説20230806」 | ||||||||||||||||||||||
2024 | ||||||||||||||||||||||
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