原爆と未解放部落-いのちあるかぎり

『いのちあるかぎり 原爆と未解放部落』(福島地区被爆者の会編、兵庫県部落問題研究所刊、19850520 )

内容

著者
藤川春雄 はじめに
戦争・差別・貧困
高橋信雄 軍都広島
戦争のあゆみと一本の線路 軍都広島への道  軍港宇品から戦場へ 戦争とはなんだったのか  食料の補給もない戦場で すべての物を奪いつくす  すべての物を焼きつくす そして殺しつくす-「三光」作戦
手記〔その1〕
田中ハル ピカに夫を奪われて
和佐田政一(仮名) 米騒動と原爆で差別がわかった
堀川俊市 三重苦のわたしらの現状
高田春子 娘を奪ったあの日
滝川ヨネ子 若い人たちに伝えたい
炎と瓦礫の中で
金崎是 原爆と未解放部落
三滝山の無縁仏 炎と瓦礫の中で-わたしの体験 原爆による福島地区の被害状況戦前の部落の生活とわたしの生いたち部落差別を解消し、平和で豊かな日本を
手記〔その2〕
山中幸雄 悲しき被爆二世
前畑チヨノ 日本が戦争さえしなければ
大崎ヨシ子 一ケ月もたって掘り出されたわが子
宝神実人 まちがいなくわが娘だった
森本範雄 太陽の光もなんにもない
川口ユミ子(仮名) そりゃ生き地獄です
藤井イマコ 助かるとは思いませんでした
いのちあるかぎり
田阪正利 未解放部落の健康と医療
福島診療所創設のこと 部落と健康  健康へのあゆみ これからの課題
佐藤秀之 非核の日本を-若者たちは今
平和と核兵器廃絶は全人類の願い  深まる核戦争の危機 広がる反核運動の輪  若者たちは今
手記〔その3〕
丸岡ユキ 二人の息子をかえして!
川田芳夫(仮名) みんなの力で!
滝本静 いのちあるかぎり
中島カヨ 子どもや孫には平和な世界を
広田美千代 戦争を二度とおこさないために
平田路雄 原爆と森永ヒ素ミルク中毒のなかで
古賀昭子 被爆二世にも手帳を!
中西はるゑ あとがき
金崎是 あとがき(福島地区被爆者の会会長)

 

壁―未解放部落原爆被害者の手記

壁―未解放部落原爆被害者の手記(発行:福島地区被爆者の会)

第集 発行年 備考
1 19680806 差別と貧困の中から
壁―差別と貧困の中から―によせて 2
原爆被爆者の手記に寄せて 4
「未解放部落の被爆者として」 6
「日雇いぐらしの中から」 7
「差別と闘う我が子たち」 9
「私しゃ戦争にゃぜったい反対ですよ」 11
「ピカに夫を奪われて」 13
「朝鮮人被爆者として」 15
「原爆ブラブラ病に苦しむ」 16
「私の体験」 19
「二人のむすごをかえして!」 20
「一日も早く差別と戦争のない世の中を」 23
「私のあゆんだ道」 25
むすびのことば 28
2 19690806 三重苦の斗かい
○推せんのことば 広島県被爆者団体協議会理事長 田辺勝 1
○推せんのことば 部落解放同盟広島県連委員長 藤川春雄 2
はんせんのうた (一被爆者) 5
被爆者の保障はない *** 6
三重苦の斗い *** 7
食べるものも食べられぬ生活 *** 10
戦争と差別をなくするため!! *** 12
二十五年たったいまでも *** 14
三重苦のわたしらの現状 *** 17
原水禁運動を強めなくては *** 27
むすびのことば 金崎是 29
3 19700806
「壁」第三集発行によせて 福島病院院長 田坂正利 1
被爆者健診から 福島病院被爆診療科 鏑木富衛 3
被爆老人に生きる喜こびを 部落解放同盟広島県連合会 委員長 藤川春雄 13
〔特別寄稿〕
原子爆弾傷害調査委員会を告発する 深川宗俊 33
手記
米騒動と原爆で差別がわかった *** 15
カンボジアでもベトナムでもけっしてこんなことを切り返さないで *** 18
私の感想 *** 19
悲しき被爆二世 *** 21
みんなの力で! *** 24
生命のあるかぎり *** 28
子係や孫には平和な世界を *** 30
戦争を二度とおこさないために *** 31
あとがき 41
4 19710806
すいせんのことば 福島生協病院々長・田坂正利 1
人間らしい生活を 失対・***(62才) 2
嫁に行けない子 (認定被爆者)無職・***(63才) 3
わたしたちが死ぬのをまっている 失対・***(60才) 5
一五、六〇〇円で暮らしている ***(69才) 7
天皇や佐藤さんが来てもうれしくない ***(47才) 9
夫婦の記録 (認定被爆者)***(63才)・***(59才) 11
あの時の悲惨さは口にはいえない ***(67才) 13
このままでは死にきれない ***(63才) 14
被爆者活動から *** 17
ここに生きる(赤旗より) 故 鏑本富衛 19
むすび 事務局 25
5 19720806 被爆二世特集号
6 19730806 広島県水平社50周年記念
「壁」第六集発行によせて 部落解放同盟正常化広島県連委員長 藤川春雄 1
〔主張〕
原水禁運動と被爆者運動の真の統一と発展を願って 福島地区被爆者の会 3
〔特別寄稿〕
吉島被爆者の会「老いと怒りと」と野口久子さんの死 田丸歌子 5
〔手記〕
三重苦のわたしらの現状 堀川俊市 6
終戦の年のこと *** 14
差別の中に生きて靴職人の生活と原爆被爆 *** 16
娘をうばったあの日 八月六日
ひたむきに生きつづけてきた老婆の怒り *** 20
老いて訪づれた不幸 *** 23
どうしても語りつがなければ
少年の日、原爆と生活を背負って *** 25
被爆二世にも「手帳」を! *** 28
原爆被爆下の福島町 *** 30
「壁」を読んで読者からの便り 34
あとがき 38
7 19740806 原水禁運動20年
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36
8 19750806 原爆被爆30周年
はしがき 1
福島地区の原水禁運動 第一回大会より第二〇回大会へ 2
原水禁運動・被爆者救援運動のなかで学んできたもの 8
被爆者の会を結成したころ 14
廃品回収運動の想い出 15
分裂への怒り(九回大会) 18
被爆者訪問の中から 20
被爆診療科のあゆみ 26
原水禁運動の日常化をめざして 30
被爆二世としてのとりくみ 32
原爆犠牲者慰霊碑建立趣意書 35
あとがき 36
9 19760806 福島地区原爆犠牲者慰霊の碑建設記念
10 19780806 「壁」第十集発刊によせて 田阪正利 1
被爆者を囲んで 2
太陽の光もなんにもない。まっ暗ななかから狂うた牛が飛びかかってきた  *** 17
何べん死のう思うたかわからん *** 23
福島生協病院に入院中の被爆者のかたの話 27
戦争さえなければ、こんな目におうてないのに *** 34
「わしゃあ、あんたをかばっとるヒマはないんじゃけぇ」と妻に言って *** 39
あとがき 46
11 19790806
「壁」第十一集発刊によせて 中本康雄 1
われわれが訴えなければ、われわれの体験を現在の方々に伝えなければ 林田みや子 2
命をみつめて 林田みや子 8
いつでも子どもといっしょに いっしょに死ぬりゃあええ思うっとたんです 佐藤テル子(仮名)14
原爆に遭うた者には平等に手当をだしてもらいたい 鈴木ミネ子(仮名) 23
貧血のせいで、この暑いのにコタツがはなせんのですよ 藤川貞雄・藤川房江(仮名) 27
朝鮮の人に助けてもろうての、うれしかったよ 山田スミ子(仮名) 31
生き証人として大きい声でいゝたいよ *** 37
街が燃える最中に広島にはいってきました 杉山ヨシ子(仮名) 46
あとがき 53
12 19950806 終刊号
巻頭言・『壁』に寄せる 齋藤紀 1
主張 被爆者援護法の課題 3
平和・民主主義・生活擁護のたたかい五十年-金崎是の被爆・戦後五十年- 小西正則 5
助産婦として六十年-益田小蝝さんとの対談- 西岡ミツ子 12
岩井コマノさんの被爆体験 秋本美佐子 18
学童疎開から五十年-水本文子さんの孫への話し- 藤井みな子 22
藤川美代子さんの被爆とその後 佐竹陽子 27
米三升で焼いてもらったひろこちゃん・姉 木原清子さんの回想 柿本一征 30
金崎さんのお話を聞いて 山口竜司 36
金崎さんの話をうかがって 小西結介 38

 

広島中央保健生活協同組合

広島中央保健生活協同組合

機関誌『けんこう』WEB版http://www.hch.coop/magazine/index.html

No. 発行年 記事
466 201108 伝言板 8月16日創立記念日 1955(昭和30)年8月16日、住民自らの手で福島診療所がつくられました。
466 第26回「網の目平和行進」
467 201109 子どもたちに明るい未来を核のない21世紀を願い訴えます
 555  201909  8・6朝のセレモニー
 555  2019ピースアクショinヒロシマ虹のひろば
566  202009  8・6朝のセレモニー
 566  平和を考える~三人女誕生会
< 新川場町で被爆>

 

 

核に灼かれて 安芸地区被爆の記録

『核に灼かれて 安芸地区被爆の記録』(安芸地区被爆実相委員会)

第1集
第2集
第3集
目次
1 はじめに(1996.7.30)
2 各町の実相
B 矢野町
高山俊郎 原爆を目のあたりにして
広島高等師範学校附属中学校1年生
C 海田町
尾木正己 白島付近を通って
D 船越町
上田盈 私の原爆体験記
F 熊野町
田原詩郎 熊野町では
平和のために
中節二 槇尾さんを偲んで
奥村邦一 中節二さんに捧げる
金子一士 タヒチ集会に参加して
4 三村博保さん追悼集

 

 

占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)

広島市公文書館開館30年講演会(2007年9月29日)
占領下における被爆者医療活動-医学博士・都築正男資料から
宇吹 暁(広島女学院大学)

はじめに
1972年2月3日、日赤に重藤文男院長を訪問。
都築著『医学の立場から見た原子爆弾の災害』借用。
1978年6月11日、80年11月17日~18日、都築家資料調査。
1994~96年度 科学研究費補助金
1995年12月23日、広島大学公開講座「原爆医療法制定前の被爆者問題」。

Ⅰ 占領下における被爆者医療活動
『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』
(広島大学1995.10.01)<資料1

Ⅱ 都築資料の概要
広島市寄贈(1981年7月6日)点数
書簡・葉書53点、論文247点、講演要旨27点、写真19点、雑誌17点、調査票9点、地図9点、その他264点 計645点 <『広島市公文書館紀要 第5号』(広島市、1981.03.31)>
『広島新史 資料編1(都築資料)』(広島市、1981.03.31)
目次<略>

Ⅲ 都築正男をめぐる現在

1.文献

1.文献

No. 発行年月日 書名 著者・編者 発行所
  1959.07.21 原水爆時代-現代史の証言(上) 今堀誠二 三一書房
  1972.03.31 広島県史・原爆資料編 広島県(編) 広島県
  1979.07.25 広島・長崎の原爆災害 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編) 岩波書店
  1980.08.06 桜隊全滅-ある劇団の原爆殉難記 江津萩枝 未来社
  1981.03.31 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 広島市(編) 広島市
  1981.03.31 広島市公文書館紀要 第5号 広島市(編) 広島市
  1981.04.05 都築正男研究業績目録-都築正男大人命20年祭 広島市史編纂室(編) 都築正和
  1982.11.10 長崎原爆体験-医師の証言 調来助・吉沢康雄 東京大学出版会
  1986.08.11 DDT革命-占領期の医療福祉政策を回想する サムス,クロフォード、F.、竹前栄治(訳) 岩波書店
  1990.10.18 核と共に50年 木村一治 築地書館
  1995.03.30 漱石の脳 斎藤磐根 弘文堂
  1995.10.01 広島大学公開講座・被爆50年
-放射線が人体に与えた影響
広島大学 広島大学
  1997.02. 原爆被爆者対策史の基礎的研究―原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28)資料集― 宇吹 暁 宇吹 暁

 2.今堀誠二の評価

占領軍と日本人科学者:サムス、アレン、ケリー、  ジュノー

『原水爆時代-現代史の証言(上)』、『広島県史・原爆資料編』、(『広島・長崎の原爆災害』)、『広島新史・資料編Ⅰ-都築資料』

3.検閲
「所謂『原子爆弾傷』に就いて-特に医学の立場からの対策」(『総合医学』、1945年10月1日)
<ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」>

4.調査データのプライオリティ
大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡(1953年5月3日付)の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)。
大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」

5.政府機関
予防衛生研究所、文部省、厚生省研究班、

6.広島・長崎の医療関係者
*都築正男報告(新聞発表)『中国新聞』
1945.9.4  9.5  11.25    1946.5.22  12.21
『広島県史・原爆資料編』(広島県、1972.03.31)
*公開治療
*松坂義正(広島)、調来助(長崎)
*学研調査団資料 調査票

7.被爆者
1945年8月13日、仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院。24日、仲みどり、東大病院で死亡。30日、東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。

1956年4月15日、東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。

「畑とし子」=<東京の日赤で都築博士の治療を受ける>『あの日から生きて生きて』(1986年2月20日)
宗藤尚三=<被爆場所:1.3キロ自宅。大学生。日赤・似島・庄原日赤で治療。庄原では都築の診断を受ける。>『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』(1992年6月10日)

放射線影響研究の10年(文部省科研研究班)

『放射線影響研究の10年』(文部省科学研究費(総合)「放射線の影響」研究班、196503)

目次

事項 執筆者 備考
はしがき 桧山義夫(東大農教授)
前篇(時代別)
ビキニ以前 田島英三(立大理教授)
原爆症 渡辺漸(広大原医研所長)
ビキニ事件 桧山義夫(東大農教授)
国連科学委員会 田島英三(立大理教授)
後篇(分野別)
物理関係 山崎文夫(理研主任研究員)
化学関係 三宅泰雄(東教育大教授)
生物と遺伝 田島弥太郎(遺伝研部長)
環境放射能汚染 桧山義夫(東大農教授)
医学関係 宮川正(東大医教授)

 

合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳)一覧

合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳、広島平和文化センター刊)一覧

No. 書名 著者 出版年
3 広島、長崎に対する原子爆弾の効果 総務部 1987/02/15
9 民間防衛報告No.1 広島現地報告 1983/03/24
13 広島および長崎の保健・医療部門に対する原子爆弾の効果 医学調査部 1987/02/15
14 日本人の戦意に与えた戦略爆撃の効果 戦意調査部 1988/11/20
60 広島市に対する空襲の効果 都市地域部 1984/03/31
92 広島に対する原子爆弾の効果 物的損害調査部 1983/03/24

米国戦略爆撃調査団

米国戦略爆撃調査団

アメリカ合衆国戦略爆撃調査団は、1944年11月3日にルーズベルト大統領の命令により設置された。もともとドイツにたいする戦略爆撃の効果の調査を目的として設置されたものであるが、対日戦の終了した8月15日に、トルーマン大統領の要請を受けて、対日戦における空襲の効果を調査する部隊が編成された。定員は、文官・士官兵合わせて1150名という大規模なもので、9月初め東京に本部を設け、大阪・名古屋・長崎には支部が、また日本各地、太平洋諸島、アジア大陸には移動支部が置かれた。
調査は、民事・経済・軍事の3分野の柱からなっていた。民事では、民間防衛・医療・戦意の3部門が設けられ、日本の防空に関する計画・組織・機関・設備・訓練、疎開、医療に関する人員・組織・施設および食料・栄養事情・環境衛生、空襲により発生した死傷・疾病および一般市民の戦意が調査された。
経済研究では、石炭・石油などの基礎資料、航空機・船舶をはじめとする軍需生産、電力・化学・機械・建築・運輸などの産業基盤、労働力の利用とその能力の崩壊過程が調査されるとともに、東京など九都市に関しては、都市経済が分析対象とされた。
軍事研究では、将官26名・佐官67名の陸海軍人にたいする詳細な尋問がなされ、対日戦の各戦闘における航空機の役割を中心に、各作戦あるいは各兵器の成果が調査された。また、日本の軍事的技術も細部にわたり検討された。

調査は、12月初めまで続けられ、108巻の報告書がまとめられた。報告書によれば、1944年6月から1945年8月15日の期間に日本の500以上の攻撃目標が爆撃を受けた。これらの大半は特定の工場や施設であったが、66の都市は、特定の目標ではなく全市域が爆撃の対象となった。また、爆撃の結果、一般市民の3分の2以上が警戒警報を含めた空襲を経験し、5分の1が家屋に損害を受けたとしている。人的被害については、原爆攻撃を含む空襲による死傷者の数を約81万名、そのうち約33万名が死亡したと推定している。
民事の戦意部門では、日本全国60地点から4075人の一般市民を抽出して面接調査を実施した(実際に面接できたのは3135人)。これは、日本人を対象に実施された初めての科学的な世論調査であった。
面接調査により、空襲が日本人に、勝利への疑いや敗北は確実との感情をもたらし、戦争継続意志を喪失させたことが明らかになった。戦意部門による面接調査の目的は、空襲が日本人の戦意に及ぼした影響にあったが、あわせて8月の降伏から面接時までの日本人の意識や生活状態についても聞き取っている。それによると、日本の降伏についての反応は(複数回答)、「残念、悲嘆、失望」(30%)、「驚き、衝撃、当惑」(23%)、「救済感、幸福感」(22%)などであった。また、調査時における生活状態への不満の理由として(複数回答)、「食糧不足」(85%)、「他の物資不足」(38%)、「インフレと闇市」(29%)、「実業、賃金不足、劣悪な仕事」(17%)などがあがっている。
日本政府や科学者は、原爆被害の一部を除いては何ら被害の体系的な調査・研究を行なっていなかった。医学調査部門の報告書は、「空襲死傷者に関する情報のきわ立った不足はほとんど信じられないほどであった」と述べている。敗戦日本の混乱の中でなされたアメリカの大規模で科学的な調査の結果は貴重なものである。とはいえ、この調査は、結局のところ軍事目的からなされたものであり、ここから調査団が引き出そうとしたものは、戦略爆撃の効果と今後の教訓であった。報告書の結論は、戦略爆撃により、原爆攻撃・ソ連の対日参戦・日本本土上陸作戦がなくても1945年末までに日本の降伏がもたらされていただろうというものであった。

 

マンハッタン:陸軍と原爆

『マンハッタン:陸軍と原爆―第2次世界大戦中の合衆国陸軍:特別研究』(Vincent C. Jones著、合衆国陸軍軍事史センター、1985年刊)

目次

部章 見出し 備考
序言:1939年までの原子力の歴史
原爆開発任務の始まり
核分裂物質の生産
支援活動
原爆
原爆開発任務の完了
原爆
24 ロスアラモスの兵器プログラム
25 兵器開発と実験
26 日本への原爆投下
原爆投下部隊の準備
原爆使用の決定
原爆投下
日本の降伏
原爆の効果の調査

 

1992091401
広島大学原医研・疫学部門の抄読会(19920914)
宇吹報告(「マンハッタン:陸軍と原爆」)用レジメ。
  マンハッタンは、陸軍航空軍の7月26日の命令[ハンディ発スパーツ原爆投下命令]の実行にあたり、重要な協力的役割を担った.トップレベルでは、グローブズ将軍が、ワシントンのアーノルド将軍のスタッフとの接触、テニアンの彼の代理(カークパトリック大佐、7月31日からはファーレル将軍)、キング提督から太平洋戦域の海軍司令官たちと原爆投下業務を調整することを任されたパ-ネル提督を通して、投下部隊全体に影響力を保持していた. ファーレル将軍は、進行中の日本への原爆投下の準備を調整するようグローブズから特命を受け、中部太平洋に到着した.ファーレルは.まずグァムに降り、ルメイ将軍(この直後に合衆国陸軍戦略航空軍参謀長に就任)とニミッツ提督と協議を行った.テニアンに移動してからは、ファーレルは、パ-ネル提督とパースンズ大尉を訪問した.
ファーレルは、かなりの時間をパ-ネル提督と過ごした.パーネルは、第1技術支隊が7月の間にテニアンで行った集中的な活動について詳細に語った.同支隊は、第509部隊の他の部門と海軍の協力で、爆弾、特にリトルボーイの部品の組立とテストのための技術的能力を蓄え、緊惷時における硫黄島での再装填の能力のチェックを慎重に実施していた.更に、パースンズは、彼が新たに組織したプロジェクト技術委員会の役割についてもファーレルに語った.その役割とは、ガン型および内破型両タイプの複雑な最終テストと組立に関して、彼が計画し、陸軍航空軍の部門と協力することを援助することであった.
両タイプの爆弾の部品とアクティブ原料[ウラン]は、原爆投下部隊が実際に使用する直前に、テニアンの支隊に届いた.まず、リトルボーイのものが届いた.部品とU-235の大部分は、7月中旬にロスアラモスを出発した.それまでは、ロバート・R・ファーマン少佐(グローブスのワシントンの司令部から派遣された特別プロジェクト将校)、ジェームズ・F・ノーラン大尉(ニューメキシコ実験場の主任軍医将校)の厳重な管理下にあった。<以下未入力>

 

 

 

原爆被害調査概要(直後)

原爆被害調査概要(直後)

出典:宇吹暁「原爆医療法制定前の被爆者問題」( 『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』(広島大学、19951001)

原爆被害調査
 広島に駐屯していた軍の機関は直後から原爆の被害状況の調査をおこなった。8月8日以降、技術院調査団・大本営調査団・陸軍省広島災害調査班など、中央あるいは他地域の軍機関が、つぎつぎに広島に調査団を送った。これらの調査団の中には、原爆かどうかの確認をえるため、日本の原爆開発に関与していた理化学研究所の仁科芳雄、京都帝国大学の荒勝文策、大阪帝国大学の浅田常三郎らが参加していた。大本営調査団は、10日在広の陸海軍および来広中の各調査団を兵器補給廠(現在の広島大学医学部)に参集させ、陸海軍合同の研究会を開催した。研究会は、レントゲンフィルムを感光させる放射線の存在などを理由として新型爆弾を原子爆弾と判定した。8月15日までの調査の第一義的目的は、弾種の決定と対策樹立にあったが、同行した原子物理学者による放射能の測定や陸軍軍医学校・臨時東京第一陸軍病院関係者による人体への新型爆弾の影響調査は、のちの原爆被害研究の端緒となった。
 8月末からは東京帝国大学医学部の都築正男を加えた陸軍軍医学校の広島戦災再調査班が広島で調査を開始した。9月1日、広島第一陸軍病院宇品分院で開かれた調査班の研究打合会では、それまでの患者の発生状況、傷害の経過観察にもとづく所見が発表され、安静休養・栄養補給などを内容とする当面の治療方針が決定された。また、地元の中国軍管区司令部の要請により、京都帝国大学に調査団が組織され、9月5日から大野陸軍病院を拠点として調査を開始した。さらに、9月14日には、文部省学術研究会議が、原子爆弾災害調査研究特別委員会を設置した。これにより、それまでの日本側の各学術機関による調査が、統一的に実施されることになった。この委員会は、物理学・化学・地学、生物学、機械金属学、電力通信、土木・建築、医学、農学・水産学、林学、獣医学・畜産学の九科会で構成され、研究員約150人、助手約1000人が配置された大規模なものであった。
アメリカ軍の調査
 アメリカの原爆開発組織マンハッタン・プロジェクトの指揮官グローブスは、1945年8月11日、ファーレル(太平洋地域における原爆投下業務の責任者)に原爆調査隊を日本へ送るよう指示した。ファーレルは、この指示にもとづき、広島班・長崎班、「日本の原爆開発に関する総合的な情報収集」を任務とする東京班の3班を組織した。
 いっぽう、GHQ内部でも、原爆被害調査の動きが見られた。マッカーサーの軍医顧問オーターソン大佐は、8月28日付で、「原子爆弾が傷害を引き起こす効果に関する調査について」と題するメモランダムを起草した。オーターソンは、軍医総監デニット准将のメモランダムへの承認を得ると、日本政府(9月3日)やマンハッタン・プロジェクトのファーレル(同月4日)との接触を持ち、調査に取りかかった。
 9月8日、マンハッタン・プロジェクトのファーレル、GHQのオーターソン、国際赤十字社のジュノー、東京帝国大学の都築正男らが、空路岩国に来着、翌9日から都築の案内で広島市内での調査を開始した。物理学的分野では、爆心地付近の放射能調査を行い、医学的分野では、第一国民学校・日赤病院・宇品陸軍病院の収容患者を視察した。
 アメリカ側の原爆被害調査は、このほかに、海軍・戦略爆撃調査団によってもなされた。とくに医学分野では、GHQのオーターソンを責任者とし、マンハッタン・プロジェクト、海軍、日本側科学者などからなる合同調査団が組織された。この調査団は、9月下旬から12月まで調査を実施し、1946年9月に、「日本における原子爆弾の効果研究のための合同調査団医学報告」をまとめた。
原爆検閲とABCC
 アメリカは、原爆開発を超秘密裡におこなった。原爆投下により、その秘密の一部は解除されるが、研究・開発の内部情報の多くは、戦後も極秘扱いとされた。1945(昭和20)年9月19日、GHQ(連合軍最高司令部)が「新聞準則」(プレス・コード)を指令するが、これは、日本における原爆被害情報の公表を阻止するために大きな役割を演じた。原爆被害に関する報道や文学などが、GHQの検閲や日本のマスコミの自主規制により姿を消した。
 アメリカのこうした政策は調査・研究面にも見られた。11月30日の学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会の第1回報告会の席上、GHQ経済科学局の担当官は、日本人による原爆被害研究はGHQの許可を必要とすること、またその結果の公表を禁止する旨を通達した。こうした制約は、日本における原爆症調査・研究・治療の進展を妨げる結果をもたらした。学術研究会議による調査研究は、約3年間で終息し、以後日本の科学者による組織的研究は途絶えた。
 いっぽう、アメリカは、医学的立場から長期にわたる調査研究を計画し、1946年11月26日のトルーマン大統領指令にもとづいてABCC(Atomic Bomb Casuality Commission)を組織した。日本におけるABCCの本格的調査活動は、1948年2月に遺伝学的調査から着手され、広島・長崎両市の全妊産婦の登録が試みられた。当時、妊婦には政府による食糧の特別配給が認められていたので、その増配申請がおこなわれる機会に、職員による面接調査を実施し、1953年12月までに77,000名(全妊婦の93%)の登録を完了している。また、1949-50年には、48年の広島市米穀配給台帳に被爆者として記入されている全員の家庭訪問を実施し、181,000名の被爆歴を入手した。さらに、1950年10月1日に実施された国勢調査に際し、ABCCは、その付帯調査として、被爆者の所在調査を全国的規模でおこない、284,000名の被爆者を把握した。

主要建物・事業所(白島・二葉の里地域)

白島・二葉の里地域

町内会名 主要建物・事業所
西白島町 安田高等女学校

洞門寺

白島西中町  
白島北町 工兵補充隊(旧工兵第五聯隊)
白島中町  
白島東中町  
東白島町 白島国民学校

県立広島工業試験場

広島逓信局

逓信病院

妙風寺

禿翁寺

万行寺

円光寺

光明院

白島信用組合

白島九軒町 心行寺

正観寺

宝生院

薬師院

碇神社

二葉の里 饒津神社

鶴羽根神社

明星院

東照宮

第二総軍司令官畑大将宅

 

主要建物・事業所(基町地域)

主要建物・事業所(基町地域)

所在地 部隊名/通称号/部隊長名/
旧留守第五師団司令部 中国軍管区司令部/-/中将藤井祥治/
通称二部隊旧歩兵第二聯隊 中国軍管区歩兵第一補充隊/(西部)中国第一〇四部隊/中佐須藤重夫/
通称六部隊旧野砲兵第五聯隊 中国軍管区砲兵補充隊/(西部)中国第一一一部隊/中佐川副源吉/

 

通称一〇部隊旧輜重兵第五聯隊 中国軍管区輜重兵補充隊/(西部)中国第一三九部隊/少佐田島権平/

 

中国第一〇四部隊内 中国軍管区通信補充隊/(西部)中国第一二一部隊/大尉富岡善蔵/

 

広島城北側 中国軍管区教育隊/-/少佐柳生峯登/

 

京口御門 広島聯隊区司令部/-/少将富士井末吉/

広島地区司令部/-/少将富司末吉

偕行社内 特設警備第二五一大隊/中国第七一六一部隊/少将世良孝熊/
中国第一〇四部隊内 広島地区弟二四特設警備隊/(甲神部隊)中国第三二○六○部隊/中尉三原清雄/
西練兵場北側 広島第一陸軍病院/-/軍医少将元吉慶四郎/
太田川左岸三篠橋下 広島第二陸軍病院/-/軍医大佐木谷裕寛/
三篠橋東詰 広島陸軍病院看護婦生徒教育隊/-/衛生大尉花房光一/
広島城跡 第五九軍司令部/山陽三二二〇〇部隊/中将藤井祥治/
基町 第五九軍第二二四師団司令部/赤穂第二八三二九部隊/中将河村参郎/
中国第一〇四部隊内 第五九軍歩兵第三四〇聯隊/赤穂第二八三三○部隊/中佐友沢兼夫/

独立混成第一二四旅団砲兵隊/鬼城第二八三六八部隊/大尉山本信夫

中国第一二一部隊内 第二二四師団通信隊/赤穂第二八三三五部隊/大尉吉光保夫/

独立混成第一二四旅団通信隊/鬼城第二八三七○部隊/中尉戸井功

第一五四師団通信隊/護路第二二七〇八部隊/大尉富依英男

中国第一三九部隊内 第二二四師団輜重隊/赤穂第二八三三六部隊/中将河村参郎/

第一五四師団輜重隊/護路第二二七〇七部隊/少佐萩原国雄

中国第一一一部隊内 第一五四師団砲兵隊/護路第二八三五六部隊/-/
基町(電車通り北側) 中国憲兵隊司令部/-/憲兵大佐瀬川寛

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主要建物・事業所(本川地域)

主要建物・事業所(本川地域)

町内会名 主要建物・事業所
空鞘町東 空鞘神社
空鞘町西  
鷹匠町表町  
鷹匠町中町  
鷹匠町裏町土井之内  
鍛治屋町 本川国民学校
左官町 本覚寺

清住寺

塚本町  
十日市町  
北榎町  
榎町  
猫屋町 光道国民学校

 

油屋町 妙教寺
西大工町  
堺町  

出典・参考サイト:http://hiroshima-letters.net/archive/shiryo.htm

主要建物・事業所(中島地域)

中島地域

町内会名 主要建物・事業所
中島本町 簡易保険局

 

天神町(北) 教念寺

清岸寺

天満宮

公設市場

天神町(南)
材木町 浄宝寺

慈仙寺

中島勧商場

中島集産場

米田物産(元大正屋呉服店)

水上警察/中島派出所

西警察署/中島派出所

伝福寺

妙法寺

浄円寺

誓願寺

慶蔵院

安楽院

木挽町 西福院木

福寿院

持明院

元柳町 森永製菓支店
中島新町 瀬川倉庫

西応寺

広島市農業協同組合

水主町上 広島県庁

広島県警察官講習所

広島県病院

(与楽園

武徳殿

水主町中 市立中島国民学校

住吉神社

巣守鑑札工場

水主町下 地蔵堂

仏教説教所

吉島羽衣町 帝国兵器

呉陽鉄工所

吉島町 東亜産業株式会社

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主要建物・事業所(国泰寺地域)

主要建物・事業所(国泰寺地域)

町内会名 主要建物・事業所
国泰寺町 広島市役所(19660331)

広島市公会堂

大林組

広島日本基督教会

雑魚場町 広島県立第一中学校

(19540425、19540803、19621016、19740501、19940933)

小町 市立浅野図書館

控訴院

国泰寺

白神社

玉昭院

中国配電株式会社

立町 崇徳教社
猿楽町 産業奨励館

日本赤十字社広島支部

細工町 広島郵便局本局
横町  
鳥屋町  
塩屋町  
尾道町  
播磨屋町  
平田屋町 安田銀行
革屋町 三井銀行

帝国銀行

研屋町  
新川場町 戎禪寺

妙慶院

正清院

等覚院

延命院

本照寺

海雲寺

源勝院

聖光寺

金龍寺

禪林寺

 

紙屋町 芸備銀行

住友銀行

大手町一丁目 西警察署

千代田生命ビル

大手町二丁目  
大手町三丁目  
大手町四丁目  
大手町五丁目  
大手町六丁目  
大手町七丁目 大手町国民学校
大手町 三和銀行
袋町 袋町国民学校

日本銀行

頼山陽記念館

富国生命ビル

鉄砲町  
中町 広島県立第一高等女学校

(19781333、19950733、20011228)

  中電話局

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書誌1974

書誌1974

書名 著者 発行所 発行年月日
 災害の行動科学 : そのとき人はどう行動するか組織はどう対応すべきか  アレン・H.バートン  学陽書房  197411
    Communities in disaster : a sociological analysis of collective stress situations

雑誌論文

著者 タイトル 掲載誌(編集、発行所) 発行年月日