『父は沖縄で死んだ』(大田英雄、高文研、19890613 )
目次
| 章 |
見出し |
備考 |
| Ⅰ |
沖縄県民かく戦えり |
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◇還ってきた父のシャレコウベ◇沖縄”捨て石”作戦◇武器は「竹槍」だった◇海軍部隊の最期◇二つの電文◇壕の中の遺骨◇命沖縄の土になった「父」 |
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| Ⅱ |
家族の見た父の肖像 |
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◇命父と母の出会い◇軍人とその妻◇「武人」の横顔◇子供たちの目に映った父◇六番目で最初の男の子◇かいま見た太平洋戦争の実態◇佐世保に移る◇坂に消えた白い手袋 |
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| Ⅲ |
遺族たちの「戦後」 |
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◇初めての呉空襲◇学童疎開先で知った父の死◇八月十五日の夕焼け◇墨を塗らされた教科書◇食うためのたたかい◇離散したきょうだい◇新制中学の授業◇高校時代の記憶◇一度は考えた防大受験◇「沖縄」を避けていた大学時代◇教会活動・洗礼・就職 |
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| Ⅳ |
教師として生きる |
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島の分校の新米教師 |
倉橋分校? |
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***倉橋分校?。昼間定時制 |
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生徒に教えられたヒロシマ |
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***体育祭の仮装行列で原爆被災者を演じる。 |
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「瀬戸の花嫁」 |
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末弟も防衛大へ |
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職員会議で罵倒された私 |
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***1963年4月広島県立賀茂高等学校へ赴任。「日の丸」問題。滝尾英二先生のアシスタントとして社会科研究クラブの研修旅行「大和路の旅」へ生徒を引率。 |
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古墳にとりつかれて |
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呉市に戻る |
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***1967年4月広島県立呉宮原高等学校へ赴任。 |
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モーニング論争 |
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同和教育運動のなかで |
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防衛大へ行った教え子 |
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***呉でも大学セクトの指導でアジト。宮原高校も一つの拠点。「反戦高校生」は「呉黄幡弾薬庫や江田島秋月弾薬庫」などを取り上げる。 |
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自衛隊員の子女に自衛隊をどう教えるか |
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***1983年に盛岡で開かれた「第32次全国教育研究集会」の「人権と平和」教育分科会にレポーターとして参加。助言者に森田俊男先生。 |
| Ⅴ |
平和教育にとりつかれて |
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映画「沖縄」の上映運動 |
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カヤさん、マキさんとの出会い |
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***1972年カヤ(萱原威=被爆者。広高校の数学の教師)先生が中心となり県下に先がけ高教組呉地区支部内に平和教育推進部を結成。マキ(牧岡宏明。広高校の数学の教師)。972年カヤ、マキらで全国高校生活指導研究協議会呉支部(略称:呉高生研)結成。 |
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呉空襲を記録する会 |
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***1974年歴史教育者協議会呉支部を中心に 呉空襲を記録する会を結成。1975年『呉空襲記』(中国新聞社、吉川記者)刊。 |
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平和教育読本をつくる |
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***呉地区の平和教育推進部の提案で高教組本部に編集委員会設置。『明日に生きる』 |
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平和教育推進部 |
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***1977年カヤさんが広島商業高校に転勤。 |
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呉地区高校生「平和の集い」 |
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***1973年、平和教育推進部で貸し切りバスを仕立て第19回原水爆禁止世界大会の文化集会に生徒ともども参加。上条恒彦の声に圧倒される。翌年、生徒の要望で世界大会そのものに参加。1975年2月、第1回呉地区高校生「平和の集い」(呉地区高校生徒会連絡会主催、平和教育推進部・呉高生研援助、原水爆禁止呉協議会・歴史教育者協議会呉支部後援)。 |
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「高校生平和ゼミナール」の出発 |
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***1977年(松崎徹、沢野重男ら)「広島平和ゼミナール」結成。
8・6高校生平和集会への道=
1975年第19回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、松崎から大田に相談。
第20回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、指導者会議に提起。
第21回原水爆禁止世界大会高校生分科会で学園に根差した高校生の活動報告。
大阪清水谷高校の文化祭での平和問題への取り組み。
以後、3年のうち2回は広島県高校生平和ゼミナールが、1回は長崎高校生平和ゼミナールが、地元実行委員会として世話役。 |
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平和は創りだすもの |
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***呉地区高校生「平和の集い」=2月と6月の2回。第3回、第5回、第6回の内容 |
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すばらしい生徒たち |
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***第7回、第13回、 |
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「原爆瓦」に負けるな |
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***戦跡フィールドワーク。1982年2月第15回「平和の集い」。 |
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一年六組の旗 |
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***1982年4月、ホームルームを担当。6月の第16回「平和の集い」 |
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盛岡の誓い |
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***「第32次全国教育研究集会」(1983年)。広島(沢野重男・大亀信行)・長崎・埼玉(小岩井増夫)・呉で「8・6全国高校生集会」。森田塾。 |
| VI |
沖縄で見た「父」 |
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父の「電文」との出会い |
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歴教協・呉支部をつくる |
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海軍壕で見た「父」 |
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基地オキナワの現実 |
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安仁屋政昭氏との再会 |
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「兄は反戦教師、弟は自衛官」 |
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二度目の訪沖 |
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平良知事の涙 |
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三度目の訪沖 |
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| VII |
沖縄戦“追体験”の旅 |
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「観光コースでない沖縄」 |
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本島中部の戦跡と基地 |
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糸数壕にて |
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摩文仁の丘にて |
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平和祈念資料館にて |
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「ひめゆり」の衝撃 |
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父の「電文」の背後にあったもの |
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旅の終わり |
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| VIII |
呉にも「沖縄」があった |
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軍港都市・呉の誕生 |
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海軍・戦争とともに歩んだ呉 |
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呉空襲の被害が大きかった理由 |
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呉の「摩文仁ヶ丘」と「健児の塔」 |
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呉にもあった「ひめゆりの塔」 |
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戦艦「大和」の碑 |
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壕の中の地獄 |
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帝国海軍の終焉「呉沖海空戦」 |
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「軍都」呉は、いま |
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| あとがき |
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橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
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| まえがき |
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秀夫と連れそって |
橋本ノブエ |
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橋本秀夫氏の資料について |
菊楽忍 |
| 第1部 論文集 |
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| 広島城 |
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廻り番付と広島城
広島城城割に就て
「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓
広島城再建「基礎と瓦」
広島城と石垣
広島城と石垣(郡山)
石塁工事普請符牒(石垣文様)について
広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵)
多家神社宝蔵と廻り番付について
広島城の生活用水と樋門
広島城修築と天災考 |
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| レンガ建築 |
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広島の近代文化遺産 煉化石あらかると
ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると
広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究
古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う
明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて
広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究
広島市郷土資料館見学記
旧広島陸軍糧秣支廠
上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺
宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫)
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化
広島の明治建築 夢を贈る中世のお城
亀山発電所
広島電気軌道(株)
広島県物産陳列館
臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
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| 郷土史と文化財 |
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六号潜水艇と人間佐久間
旧広島水上警察署
旧広島地方気象台
蘇った日本外史
拓本が語る厳島神社五重塔
広島の近代文化遺産 後楽のこころ
広島の秘境 湯之山明神旧湯治場
悟をひらいた苔
もう一つの八岐の大蛇
鑪と吉水園
広島 加計町のバロック『吉水亭』
呉市に咲いた花「蔵本通り」
新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て
不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
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| 第2部 砲台巡り |
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| 著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 |
佐藤重夫 |
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まえがき
広島湾要塞の築城
第1章 室浜砲台
第2章 鷹の巣砲台
第3章 大那沙美砲台
第4章 岸根砲台
第5章 鶴原砲台
第6章 三高山砲台
第7章 大君砲台
第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台)
第9章 休石砲台
第10章 高鳥砲台
第11章 大久野島堡塁砲台
第12章 忠海芸備砲兵大隊
第13章 大空山砲台
第14章 小島砲台
砲台建築仕法通則
沿革年表 |
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| コラム |
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特集 彫刻と建築 街の表札
黄金の汗に輝く 広島大会
広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』
旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」
古釘のうた 日本のバロック建築
『世紀末のドイツ建築』小幡一著
学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子
心の叙勲
古釘のうた 小さな平和
古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
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私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅
・唯信寺本堂
・私立学校教職員共済組合広島会館(広島ガーデンパレス)
・広島富士見郵便局局舎 |
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私の推薦する作品 ・筆の里工房
・株式会社日食広島支店
・三良坂リバティーホール
・広島市安芸区スポーツセンター |
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旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 |
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番付と人生観 |
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街路地と陽光 |
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心の故郷 懐かしい学窓 |
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長官山に咲いた金唐紙 |
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お庭を喰った美術館 |
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| あとがき |
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橋本さんへの手紙 |
松林俊 一 |
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『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )
目次
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◆『八月六日』 |
峠三吉 |
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◆『あの時…』 |
小林岩吉 |
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◆『水ヲ下サイ』 |
原民喜 |
| ◆建立除幕によせて |
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ごあいさつ |
石田明 |
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ごあいさつ |
河野浩樹 |
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ごあいさつ |
荒木武 |
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若者の願いはばたけ |
森下弘 |
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ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 |
森滝市郎 |
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原爆瓦が語るもの |
佐久間澄 |
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君たちは知ったのです |
宮崎安男 |
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ヒロシマの碑建立に思う |
藤本幸作 |
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『高校生の平和アピール』の意味するもの |
松崎徹 |
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高校生の平和アピール・行動提起 |
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原爆瓦の叫び今こそ |
大亀信行 |
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小さなともしびから大きな炎へ |
吉川徹忍 |
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青春のエネルギーに囲まれて |
土肥穣治 |
| ◆ちかいのことば |
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小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) |
斉藤力 |
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中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) |
林文子 |
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若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) |
山口小百合 |
| ◆碑・制作を終えて |
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『ヒロシマの碑』の思想 |
横山英 |
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モニュマンの空高く |
芥川永 |
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平和を願う心の目を |
吉田正浪 |
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『ヒロシマの碑』に思う |
林重男 |
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私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して |
深川宗俊 |
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『原爆瓦』を追う映画を |
田辺昭太郎 |
| ◆建設のあしどり |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあそどり(事務局日誌) |
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原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 |
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| ◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで |
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平和学習のシンボルとして |
沢野重男 |
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全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 |
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| ◆ヒロシマの碑プロフィール |
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| ◆募金に添えて送られてきた全国からの便り |
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| ◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 |
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| ◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 |
深川宗俊 |
| ◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 |
丸山亜季 |
| ◆附属資料 |
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| 1 |
原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英) |
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| 2 |
除幕式関係・各社報道記事(紙面) |
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| 3 |
ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり |
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| 4 |
広島市長『平和宣言』 |
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| 5 |
一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 |
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| 6 |
平和の歌 歌曲集 |
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2020年1月(日録)
| 日 |
事項 |
| 01 |
コンビニで4紙購入。 |
| 03 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原爆遺跡一覧(広島市内)」 |
| 04 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島市庁舎被爆石等譲与(1985年~)」、「被爆建造物を考える会」、 |
| 05 |
ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆建物等継承方策検討委員会」、「被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(目次)」、 |
| 06 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫」、「広島大学霞キャンパス開発史」、「広島県産業奨励館(原爆ドーム)」、「フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅」 |
| 07 |
ヒロシマ遺文への投稿=「記された「兵器補給廠と原爆被災」」、「広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」」、「広島平和記念都市建設法と平和への歩み(宇吹)」。 |
| 09 |
大晦日のBS1の録画を視聴。「巨大戦艦・大和~乗組員が見つめた生と死」・「戦艦武蔵の最後」。いずれも再放送。 |
| 09 |
人物(WHO)関係の新聞切り抜きの整理。 |
| 10 |
ヒロシマ遺文への投稿=「平和記念公園レストハウス」 |
| 11 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島市戦災復興事業誌(目次)」、「原爆ドーム保存運動」、「原爆ドーム保存工事記念碑」、「平和記念施設あり方懇談会(レジメ)」、「広島陸軍被服支廠」、 |
| 12 |
Twitterデビュー=ツイッターのアカウントを設定。 |
| 13 |
ヒロシマ遺文への投稿=「日本銀行広島支店」、「帝国銀行広島支店」。 |
| 14 |
ヒロシマ遺文への投稿=「楠忠之オーラル・ヒストリー 目次」。投稿「原爆遺跡保存運動懇談会(略年表)」の補訂作業。 |
| 15 |
ヒロシマ遺文への投稿=「中国軍管区司令部防空作戦室」、「本川国民学校校舎」、「袋町国民学校」、 |
| 15 |
呉市内の市立図書館が明日から2月6日まで休館との情報あり。地元の昭和図書館で5冊借り出す。 |
| 16 |
ヒロシマ遺文への投稿=「元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会(会員)」 |
| 17 |
ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)」、「いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言(目次)」、「元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過」、「広島大学跡地保存利用についての国・県・市の動向」 |
| 18 |
13:00~16:30呉市観光ボランティアガイド養成講座。講義=ボランティアに役立つこにゅにケーション(笑顔とあいさつ)講師:クリエイトコミュニケーション代表。観光ボランティア体験談(呉観光ボランティアの会=会員数62名。28年度年間案内件数2359件)など。 |
| 19 |
13:00~16:30 呉市観光ボランティアガイド養成講座。現地実習(この世界の片隅にロケ地等) |
| 19 |
『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
| 19 |
『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
| 20 |
ヒロシマ遺文への投稿=「日本文化人会議」、「雑誌『平和』」、「内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ」、「広島市平和式典における吉田茂式辞(代読)」、「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」 |
| 21 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」、「広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ」、「広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶」、「広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶」。 |
| 22 |
広島市公文書館『広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って―関係者による座談会』(19870806刊)読了。 |
| 22 |
ヒロシマ遺文への投稿=「波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂」、「こうの史代」 |
| 24 |
ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念資料館メールマガジン」。 |
| 25 |
平和教育関係の資料整理。 |
| 26 |
ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )」、「核禁会議30年史」 |
| 27 |
一日、激しい風雨。自宅2階の倉庫押し入れに押し込んでいた資料の整理。一番量の多い漫画は南側の部屋に移動。 |
| 27 |
ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討。原水禁運動関係の充実を目指す。ヒロシマ遺文への投稿=「核禁会議二十年史」、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」 |
| 28 |
ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(1977~84年)」、「原水爆禁止日本協議会」 |
| 29 |
ヒロシマ遺文への投稿=「「原水禁」論議の問題点(内閣官房内閣調査室)」、「天皇陛下と広島」 |
| 30 |
ヒロシマ遺文への投稿=「2020年1月(日録)」、「原爆瓦は語りつづける」、「建築家橋本秀夫遺稿集」 |
| 31 |
ヒロシマ遺文のカテゴリーの階層を大幅に変更。第1層目を10件とする。 |
| 31 |
ヒロシマ遺文への投稿=「父は沖縄で死んだ」、「高良とみ自伝」。 |
『天皇陛下と広島―昭和の御代に感謝のまごころを』(「天皇陛下と広島」編纂部、天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会、19870211刊)
目次
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御真影 |
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大御歌(御製碑) |
| グラビア |
|
戦後広島県巡幸(昭和22年) |
|
植樹祭(昭和46年) |
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産業御視察(昭和26年) |
|
天皇陛下御在位60年奉祝大パレード(昭和61年11月10日・東京) |
| 出版に寄せて |
山崎芳樹( 広島商工会議所 会頭) |
| 序文 |
天皇陛下御在位六十年広島県奉祝委員会 |
|
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| 第1章 |
ああ御在位六十年-民族の生命の復活と蘇生 |
|
偉大な悲劇 法隆寺玉虫厨子の意味 山背大兄王の哀しみ 五内為ニ裂ク 名誉を思わず利益を思わず 鎮魂の旅 |
| 第2章 |
戦後広島県巡幸史(昭和二十二年十二月五日~八日) |
| 広島県巡幸概観 |
|
巡幸に込められた陛下の御決意 広島県巡幸への県民の願い 行幸を心待ちにする県民の声 |
| 大竹市・宮島町 |
|
国立大竹病院 三菱化成大竹工場 宮島桟橋 宮島で御静養 |
| 広島市 |
|
廿日市 広島戦災児育成所 広島県水産試験場 爆心地御通過 広島市民奉迎場 授産共同作業場 広島市立袋町小学校と第五中学校 県立広島第一中学校 広島市役所 広島県庁 広島駅 |
| 呉市 |
|
呉駅 呉市役所 呉市民奉迎場 |
| 三原市 |
|
浮城分室(御在所) 帝国人絹糸三原工場 東洋繊維三原工場 三菱重工三原車両製作所 |
| 尾道市・向島町 |
|
戦災引揚者応急住宅 向島西村津部田 尾道水道 尾道市役所 |
| 福山市・神辺町 |
|
千田村 神辺小学校 福山市救護院、母子寮 福山城址公園 |
| 第3章 |
天皇陛下ありがとうございます-県民から寄せられた感謝の声- |
|
山崎芳樹 |
|
増岡博之 |
|
川村智治郎「陛下と私」 |
|
中川秀直 |
|
粟屋敏信 |
|
児玉秀一「忘れ得ぬ思い出」 |
|
佐々木有 |
|
奥原次郎 |
|
石田成夫 |
|
松浦多聞 |
|
内海巌 |
|
桜井正弥 |
|
赤木蒸治 |
|
佐竹利彦 |
|
松下一男 |
|
森安忠 |
|
戸田一郎 |
|
西村敏藏 |
|
中島一史 |
|
谷口寿太郎(元五日市町長) |
|
加賀美正孝 |
|
桜井創造(広島特定郵便局長会理事) |
|
山田五巳(畑賀地区社会福祉協議会会長) |
|
織田金次郎(大竹市日本の伝統を守る会会長) |
|
献歌 |
|
奉祝記念映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ-」感想文 |
| あとがき |
『「原水禁」論議の問題点 社会風潮調査資料31』(内閣官房内閣調査室、196501)
目次
| 章節 |
|
|
要旨 |
|
はしがき |
| 1 |
ソ連による核実験再開の衝撃 |
| 1-1 |
「平和運動」の混乱 |
| 1-2 |
核実験への微妙な反応 |
| 1-3 |
核実験支持の動き |
| 1-4 |
動揺する人びと |
| 1-5 |
核実験再開の余波 |
| 2 |
「いかなる国の・・・」から中ソ対立へ |
| 2-1 |
科学者京都会議 |
| 2-2 |
社会民主主義勢力の動向 |
| 2-3 |
中ソ対立の表面化 |
| 3 |
中共の核実験をひかえて |
| 3-1 |
中共の核実験をひかえて |
| 3-2 |
一般国民への影響 |
| 3-3 |
核実験後の反応 |
|
あとがき |
原水爆禁止日本協議会 設立:1955年9月19日
資料
|
|
|
| 日本原水協通信 |
|
| 19580201 |
No.5()~ |
宇吹蔵=目次のコピー |
| 19581005 |
No.15() |
宇吹蔵=目次のコピー |
| 原水協通信 |
|
| 19590605 |
No.2 |
|
| 19590715 |
No.6()通巻83 |
|
| 19590905 |
No.7()通巻84 |
|
| 19590995 |
No.8()通巻85 |
|
| 19590995 |
No.9()通巻86 |
|
| 19591005 |
No.10()通巻87 |
|
| 19591015 |
No.11()通巻88 |
|
| 19610825 |
No.19()通巻141 |
|
| 19610825 |
No.15()通巻164 |
|
| 19620715 |
No.16()通巻165 |
|
| 19630315 |
No.5()通巻177 |
|
| 19630515 |
No.9()通巻181 |
|
| 19630815 |
No.15()通巻187 |
|
| 19630901 |
No.16()通巻188 |
|
| 19640115 |
No.2()通巻197 |
|
| 19680701 |
No.11()通巻197 |
|
|
|
|
| 19751101 |
別冊 |
特集:第21回原水爆禁止世界大会国際予備会議・特別報告 |
原水爆禁止世界大会(1977~84年)大会記録集(宇吹所蔵分)
| タイトル |
年月日 |
|
|
| 1977年原水爆禁止世界大会(主催:原水爆禁止統一実行委員会、開催地:広島) |
197711 |
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| ’78核兵器完全禁止被爆者援護世界大会(東京・広島・長崎)の記録(78核兵器完全禁止被爆者援護世界大会実行委員会<全国婦人会館内地婦連>) |
197811刊 |
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| 原水爆禁’79世界大会の記録(原水爆禁’79世界大会実行委員会<日本青年団協議会気付>) |
197911刊 |
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| 原水爆禁1980世界大会の記録(原水爆禁1980世界大会準備委員会<日本青年団協議会気付>) |
19801010 |
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| 原水爆禁1981世界大会の記録(原水爆禁1981世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19811030 |
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| 原水爆禁1982世界大会の記録(原水爆禁1982世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19821020 |
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| 原水爆禁1983世界大会の記録(原水爆禁1983世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19831024 |
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| 原水爆禁1984世界大会の記録(原水爆禁1984世界大会準備委員会<日本青年館内>) |
19841015 |
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原水爆禁止日本国民会議(原水禁)
結成大会:1965年2月1日
『原水爆禁止世界大会広島長崎大会報告決定集NO.1、NO.2』(19640825)
『原水禁ニュース』(19650301)~
『被爆20周年原水爆禁止世界大会報告決定集』(19650920)~
宇吹所蔵資料 『被爆**周年原水爆禁止世界大会報告決定集』
| 発行年月日 |
被爆**周年 |
備考 |
| 19740901 |
29 |
B5判 106頁 |
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| 19820831 |
37 |
A5判 137頁 |
| 19830831 |
38 |
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| 1988 |
43 |
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| 1989 |
44 |
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| 1990 |
45 |
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| 1991 |
46 |
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| 1992 |
47 |
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| 1993 |
48 |
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| 1994 |
49 |
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| 1995 |
50 |
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| 1997 |
52 |
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| 1998 |
53 |
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| 1999 |
54 |
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『核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19820615)
目次
| 章節 |
タイトル |
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題字(磯村英一) |
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発刊のことば-核禁会議は躍進する(磯村英一) |
| 1 |
核禁会議の誕生 |
| 1-1 |
結成までのいきさつ |
| 1-2 |
内外注視の中の結成大会 |
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<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針 |
| 2 |
核兵器廃絶をめざして |
| 2-1 |
核実験阻止の抗議行動 |
| 2-2 |
部分核停協定などの促進 |
| 2-3 |
核兵器禁止国民大会の開催 |
| 2-4 |
核禁運動の大同団結の呼びかけ |
| 2-5 |
シンポジウムと地方核禁討論集会 |
| 2-6 |
行進・キャラバンなど世論喚起 |
| 2-7 |
非核3原則の堅持を訴える |
| 3 |
国際世論に訴えて |
| 3-1 |
核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣 |
| 3-2 |
第1回アジア核禁会議の開催 |
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アジア核禁会議開催委員氏名 |
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アジア核禁会議実行委員氏名 |
| 3-3 |
国連軍縮特別総会に向けて |
| 3-4 |
東京サミットに核廃絶を申入れ |
| 3-5 |
釜山で「韓国・原爆資料展」開催 |
| 4 |
被爆者に愛の手を |
| 4-1 |
被爆者救援カンパ活動の展開 |
| 4-2 |
被爆者の健康管理に役立つ医療器具の贈呈 |
| 4-3 |
韓国被爆者の救援と診療センターの建設 |
| 4-4 |
被爆者援護法の制定実現に努力 |
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<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」 |
| 5 |
平和への願い |
| 5-1 |
「平和の灯(ともしび)」の建設 |
| 5-2 |
「平和の泉」の建設 |
| 5-3 |
「平和の森」の建設 |
| 5-4 |
“万羽鶴”に願いをこめて |
| 5-5 |
「人間環境宣言」で要望 |
| 5-6 |
被爆20周年・核禁会議の決意 |
| 5-7 |
原子力の平和利用をめざして |
| 5-8 |
核軍縮国際センターの設立へ |
| 6 |
核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢座 |
| 座談会 |
核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹) |
| 資料集 |
核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約 |
| 被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額 |
| 年表 |
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| あとがき |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。