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原民喜

原民喜

はら・たみき 19051115生19510313没 享年45
   詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく

資料年表

年月日 事項
19940701 原民喜文学資料展(会場:広島市中央図書館)(出典:「中国新聞」19940702)
19940904 文学散歩<32>原民喜 夏の花 妻とヒロシマへの挽歌 被爆記録もとに平静に(出典:「赤旗(日曜版)」19940904)
20010306 文化 原民喜回顧展に寄せて 「夏の花」が私たちに語るもの 「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」(掲載紙:「中国新聞」20010306)
20010310 原民喜回顧展(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:旧日本銀行広島支店)。~3月23日。(出典:「中国新聞」20010310、同20010311)
20010310 シンポジウム「広島文学を読み継ぐために」(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:原爆資料館東館、出典:「中国新聞」20010314)
20010310 文化 原民喜没後50年 繊細で強い光今も放つ シンポや回顧展(掲載紙:「中国新聞」20010314)
20011110 原民喜生誕96年記念祭(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、事務局長:海老根勲。会場:原民喜詩碑前。出典:「朝日新聞」200101111)。
20020310 花幻忌(出典:「中国新聞」20020311)。
20031121 文学の力 第2部燃えつくす魂①亡妻と原爆胸に 原民喜至純の世界求め続け(掲載紙:「朝日新聞」20170314、音谷健郎・記)。
20040314 原民喜の追悼に100人 没後53年 中高生が詩を朗読(掲載紙::「朝日新聞」20170314)。
20040728 原民喜<1>夏の花 廃墟から 「惜しかったね、戦争は終わったのに…」と声をかけた。(掲載紙:「中国新聞」20040728)
20150218 原民喜の手帳平和資料館に おいが3冊寄託 世界記憶遺産目指す(出典:「朝日新聞」20170219)。
20150218 直後の広島を記録 原民喜の手帳原爆資料館へ(出典:「赤旗」20170219)。
20150218 伝えるヒロシマ 「夏の花」の原点手帳を寄託 原民喜の遺族が原爆資料館に(出典:「中国新聞」20170219)。
(出典:「朝日新聞」20150315)。
(出典:「中国新聞」20161120)。
(出典:「中国新聞」20170309)。
20170312 原民喜碑前祭(出典:「中国新聞」20170313)。
20171112 原民喜生誕祭(出典:「中国新聞」20181130)。
20181129 展覧会「原民喜―かすかにうずく星」(出典:「朝日新聞」20181130)。

 

 

 

被爆の遺言-被災カメラマン写真集(内容)

被爆の遺言-被災カメラマン写真集(広島原爆被災撮影者の会 著・刊、1985/08/01)内容

[はじめに] 松重美人(広島原爆被災撮影者の会代表)
被爆から40年。当時の状況を撮影する20人の被爆カメラマンも、時の流れに7人を失う。
原子雲 昭和20年8月6日8時15分
8/6日7日
救護活動
崩壊
爆風
熱線・流失
日赤
救護所
人体
私たちが見たあの日   尾糠政美、尾木正己、鴉田藤太郎、川原四儀、川本俊雄、岸田貢宜、岸本吉太、北勲、林寿麿、黒石勝、木村権一、空博行、斎藤誠二、森本太一、深田敏夫、松重三男、山田精三、松重美人。

松田重次郎(梶山季之著)

梶山季之著『松田重次郎 一業一人伝』( 時事通信社、1966.2.25

目次

備考
梶山季之 はしがき
目次
第1章  生い立ち
誕生・母
負けじ魂
独立心を学ぶ
鍛冶屋の魅力
第2章  修業時代(その1)
大阪の鍛冶屋奉公
機械鍛冶から呉工廠へ
職工第一歩
大阪砲兵工廠・養子
第3章  修業時代(その2)
失敗・長崎で再出発
佐世保からふたたび呉工廠へ
工作船・三池丸
独立を志す
第4章  松田式ポンプの製造
十坪の鉄工所設立
厳しい職人気質
松田式喞筒合資会社の設立
乗っ取りの策謀に泣く
どん底からの再起
業界に手腕を認めらる
「大正型松田式ポンプ」の完成
第5章  関西財界の寵児となる
海軍演習用魚雷の頭部を製造
ロシア政府から信管の依頼
見本製造に全智を傾ける
設備資金の捻出
事前に万全を期す
“大正の今太閤”
アルミ買いつけに苦心
ロシア検査官たちとの交渉
信管工場の大成功
工場移転計画で対立
痛憤のうちに会社を去る
第6章  創業時代
郷里・広島に松田製作所設立
日本製鋼所へ身売り
東洋コルク工業の創立
積極経営に乗り出す
炭化コルクの発見
販売の拡張
大震災・不況
工場炎上す 一人一業に生きる決意
第7章  東洋工業の誕生
設備資金を得る
優れた工作機械買い付け
機械部門の拡充
府中へ工場移転
第8章  自動三輪車の製作
自動車製造への意欲
自動二輪車の完成
自動三輪車の試作
マツダ号の発売
第9章  戦時体制への突入
三輪車業界の競争激化
さく岩機の製造
小銃大量生産の受命
原爆・終戦
第10章  戦後の再建
再建にのり出す
労働組合との対決
孤独のなかの奮闘
大衆とともに生きる
松田重次郎年譜

 

風のように炎のように-峠三吉追悼集

 風のように炎のように-峠三吉追悼集
峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会(編・刊)、1954年2月15日

出版委員会:平和問題連絡協議会、平和問題懇談会、原爆の子友の会、原爆被害者の会、ムシカ、新日本文学会、人民文学広島友の会、広島葦会、われらの詩の会。

目次

著者 タイトル
口絵 [写真]
メーデーにて、トランク座、われらの詩の会、新日本歌人・反戦詩歌人集団《撮影年月日》19500501
「原爆詩集」出版記念会《撮影年月日》19500922
原爆展示会後の丸木位里・赤松俊子・壷井繁治三氏を囲んでの座談会《撮影年月日》195010
市民平和大会にて《撮影年月日》19520806
「原子雲の下より」出版記念会《撮影年月日》19521005
国立広島西条療養所病棟にて《撮影年月日》19530309
目次
丸木位里 題字
赤松俊子 表紙
浜本武一 カット
四国五郎
004 増岡敏和 峠三吉氏の生涯 ―その活動と自己改造について(われらの詩の会)
011 米田栄作 峠三吉君を悼む(広島詩人協会)
012  壺井繁治 峠三吉の業績について ―思い出を語りながら(詩人・新日本文学会)
017 岡村民 「原爆詩集」批判会の思い出(新日本文学会)
018 峠和子 生きている夫に
022 原田治 お父さん(峠氏令息)
024 峠三吉詩抄Ⅰ
024 らっきょうによせて
025 花蔭/絵の具
026 由美子と火事
028 寂しき歌/クリスマスの帰り途
029 こんなとき父親となる /絵本
030 怒りのうた ―広島日鋼争議暴圧事件
032 若杉慧 峠君の思い出(日本文芸家協会)
033 峠一夫 峠三吉の想い出(実兄)
035 坂本ひさし  (広島在住詩人、「エコールド・ヒロシマ」主幹)
035 長村孝雄  追悼(広大文学サークル)
036 御庄博実  (われらの詩の会・「火片」同人)
037 戸田兵次  原爆詩人 故峠三吉氏によせて(葦会)
038 四国五郎  峠さんの弾道(画家・われらの詩の会)
039 田村正也  八月六日(新日本文学会埼玉支部)
040 星川晃  峠三吉氏の思い出(われらの詩の会)
041 古井誠三  燃えつくした炎のやうに(われらの詩の会)
042 好村富士彦  (高原詩の会、われらの詩の会)
043 江口渙  (作家・新日本文学会)
044 えぐさ・みのる  私の接した峠さん(高原詩の会・われらの詩の会)
045 尾上俊男  病床から(新日本文学会広島支部)
046 泉秀子  大野浦と峠さん(われらの詩の会)
046 浜本武一  〇(広島市在住・画家)
049 岡本潤  峠三吉を憶う(詩人・新日本文学会)
050 北浜みち  峠さん(われらの詩の会)
051 永田節  『われら』の中の峠さん(われらの詩の会・広大文学)
052 望月久  国際婦人デーからメーデーまで(われらの詩の会)
053 山岡和範  峠さんの手紙(われらの詩の会)
054 吉田万太郎  不滅の光り(われらの詩の会)
056 峠三吉
057 松下海蔵  峠さんのこと(新日本文学会岡山支部)
058 杉生直子  手紙をめぐって(われらの詩の会)
060 尾末滿   峠三吉(IOM・われらの詩の会)
061 佐久間澄)  第一回八・六平和大会のころ(広大教授・平和問題懇談会・大学人の会
062 峠三吉 八月六日
063 松野萬  〇(スフィンクス同人)
064 川手健   峠さんを憶う(原爆被害者の会、新日本文学会広島支部)
065 えぐさ・うめよ  時の氏神になってくださった峠さん(高原詩の会・われらの詩の会)
066 広島支部葦会   〇
067 峠三吉  隠れん坊/わが想ひ
068 西原忠  峠氏を悼む(児童詩研究家・われらの詩の会)
069 峠三吉俳句抄
070 赤池芳彦  その日 峠さんは ハヤクハヤクと書いた
072 峠三吉 覚え書き(抜萃)
076 峠三吉短詩抄
雨の日に―日鋼事件の法廷にて
077 修学旅行―第二の父の歌える
078 大山郁夫氏に捧げる詩
080 宇品港にて―11才の姪のために
081 傷痕―”原子雲の下より”記念会 1953年絶筆
082 佐々木健朗 抒情の変革―叙事詩「ひろしま」への努力の途中で(われらの詩の会・広大文学サークル・KAZIKA同人)
089  赤木健介 「原爆詩集」の評価(詩人・人民文学社)
090 野間宏 峠三吉について―原爆詩集にふれて(作家・人民文学社)
091 峠三吉
092  はぎはら・とくじ 新しい人間讃歌―「原爆詩集」のノート(新日本文学会)
094 中野光也 「原爆詩集」と「高原詩の会」(高原詩の会)
096 山代巴 原爆の詩編纂委員会のこと(作家・新日本文学会)
098 深川宗俊 芸術は人間のためにある(新日本歌人協会)(人民文学会)
099  且原純夫 峠三吉の一側面(われらの詩の会)
099  田中松覚  追悼(己斐サークル)
100 土井貞子  アジア連邦会議のころ(広島生活新聞社)
101 峠三吉 和子と治への手紙
104 峠三吉 和子の見舞に応えて
106 山村良介  明日は八月六日だ―前夜祭に(われらの詩の会)
107 永田英夫  やすらかにお眠りください(うんなん詩の会、人民文学社)
108  なかの・しげはる 柔かな印象(作家・新日本文学会)
109  中野鈴子 峠三吉さん(詩人・新日本文学会)
109  峠三吉  おもかげ
110  遠地輝武 峠三吉君を悼む
111 木村好子  峠さん !
112  佐藤静夫 「 静かな」態度 (新日本文学会)
 113  吉塚勤治  善意の人峠三吉(作家・新日本文学会)
 114  金達寿  二度合ったきりの峠三吉(作家・新日本文学会)
 115 井手則夫  あいつ 生きてる やってるな(詩人・新日本文学会)
 117 松永浩介  峠三吉の死を悼む(詩人・新日本文学会)
 118 中村温  峠さんに(詩人・TAP同人)
 118 大田洋子  峠三吉のこと(作家 日本文芸家協会)
 121 峠三吉  短歌抄
122 友田智友  死の電報を前に
124  坪田正夫  手術室よりの報告―峠三吉の手紙に立会して
126  峠三吉年表
128 あとがき

 

パール・バック

バック、パール

18920626生19730306没 享年80 アメリカの小説家。ピュリッツァー賞(1932年)、ノーベル文学賞(1938)受賞。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<資料年表:パール・バックとヒロシマ
「まったく今年の感謝祭には戦争の恐怖が暗さを投げている。これは原子爆弾といふ有難からぬ物を持ってゐる結果である。」出典:『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社、昭和21年11月20日)

内田恵美子(追悼文)

内田恵美子

うちだえみこ 1942年 19910305没 広島大学原医研事務官。

 

 亡き内田恵美子さんへ-宇吹暁追悼文

あなたが亡くなって、最初にやったことは、私が資料センターへ来てからの15年間を振り返ることでした。手帳や作業日誌をめくると、復元調査のまとめ作業、手帳・レセプトの整理、故湯崎先生が関与された広島市と広島大学の原爆白書作成やNGOシンポのための資料づくり、文献収集と新聞切抜きをすすめるための市内公共機関の調査、AFIP資料の整理、蔵書目録の出版、医学文献の整理・・・忙しかったけれども、私には30代の楽しい思い出です。センターの仕事以外に、「ひろしま」をよむ会・原爆体験記読書会・「藤居平一氏を囲む会」などでも一緒でした。

その次にやったことは、あなたが抱え込んでいた資料を整理することでした。何一つ捨てていませんでしたね。未整理の資料が随分ありました。次から次に仕事に追われている様子が思い出され、目頭が熱くなることがしばしばでした。3月末締切の年報の原稿のデータを整理し終るのは6月に入ってから。8・6に向けて来客の急増、応対に追われる毎日。7・8月を中心に出版された本の整理が、秋から冬にかけての仕事。毎年、この繰り返しでした。本の山の中で鼻の頭に汗を浮かべていたあなたを思い出します。

あなたの資料の整理に2か月かかりました。あなたの原医研での足跡をまとめて置きたいという気持ちもありましたが、他に仕事をする気が起こらなかったというのが本当のところです。

被爆50周年まで原爆手記を集め続けること、原爆文献のデ-タベースを作成すること、それをもとに原爆被害の実態を集大成することなど、一緒に多くの夢を語りましたね。6月2日の原爆後障害研究会で、あなたとの約束を一つ果たしました。まもなく8月、しばらくあなたのことは忘れます。

追伸:つい先日、ある会合で演劇家故T氏の奥さんと会いました。T氏の追悼公演に際しカンパをしていたそうですね。蔭でいろいろ気を配っていたあなたの話は、これから、まだまだ聞かされそうです。  1991.6.19

 

内田さんと古本-石踊一則追悼文
内田さんが一番嬉しそうな顔をするときは探し求めている本との”めぐり合わせ”のときでした。本も、本当に求めつづけていれば、いつかは必ず本の方から、近づいて来てくれます。

原爆被災学術資料センタ-には、約6500冊余りの原爆関係の蔵書があるといわれています。特に、原爆被災学術資料センタ-が力を入れて集めようとされていた本は、原爆の体験記でした。私家版などは新聞をみては著者と連絡を取り一冊一冊を、こまめに集められていました。体験記で、現在入手できないものもかなりあります。それを宇吹先生や内田さんは”古本”で集めてみようと考えられて、私に収書の依頼をされたのです。

私も最初は、原爆の体験記がどの位あるのか見当もつきませんでした。本のタイトルでも原爆という題がついていましたら、探しやすいのでしょうが、体験記が本の中の一ページしかないものも数多くあります。私は一冊一冊の本を手に取り、目次や索引で内容を調べてみまして、体験記の話が記載していますと、片っ端から入手して歩きました。

調べて気がつきましたのは、広島市内の戦前からある”学校誌”の中には「座談会」「思い出」のページがあり、その中にはかならず悲惨な思い出が数多く記載されていることです。

内田さんは、原爆被災学術資料センタ-を日本で一番の原爆体験記のセンタ-にしようと思われていました。”原水爆関係資料目録第三号”発行前には、一冊でも多くの体験記を発掘してくるようにといわれ、私も東京・四国・九州の古本屋さんをまわってみました。

行きますと、かならず一冊二冊の古い体験記を入手して、内田さんに大変喜ばれました。私は古本を集める事が仕事ですが、良い勉強をさせてもらいました。内田さん有難う!御冥福を心よりお祈りします。
あき書房代表 石踊一則

 

「建国記念の日」のヒロシマ

「建国記念の日(2月11日)」のヒロシマ

事項(主催組織・行事など)
1966 6月25日、国民祝日法改正。「建国記念の日」など新設。
12月8日、建国記念日審議会答申=「2月11日」
「動向 建国記念日問題について」<「芸備地方史研究」(芸備地方史研究会機関誌、以下「芸史」と略称)62・63号(1966・11)>
1967 1
「動向 「建国記念の日」のヒロシマ」<「芸史」65・66号(1967.5)>
1968 2
「動向 「建国記念の日」のヒロシマ(2)」<「芸史」72号(1968.6)>
1969 3
1970 4
1971 5
1972 6
1973 7
1974 8
1975 9
1976 10
1977 11  「動向 「建国記念の日」のヒロシマ(11)」<「芸史」114号(1977.8.21)>
1978 12
第1回広島県高校生平和ゼミナール(会場:西りんぽ館)。
「動向「建国記念の日」のヒロシマ(12)」<「芸史」116・117号(1978.4.21)>
1979 13
第2回広島県高校生平和ゼミナール(~12日。会場:広島市平和記念館)。県下25校から130名余りの生徒と50人の講師や市民が参加。<出典:「芸史」121・122号(1979.6.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(13)」>
1980 14 「動向「建国記念の日」のヒロシマ(14)」 <出典:「芸史」125・126号(1980.4.30)、>
1981 15 広島県社会運動史研究会第17回例会・2・11記念集会(会場:広島市平和文化センター)。<出典:「芸史」130号(1981.5.5)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(15)」>
1982 16 第5回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」135・136号(1982.4.20)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(16)」>
1983 17
1984 18 第7回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」147・148号(1985.6.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(18)」>
1985 19 第8回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」152号(1985.7.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(19)」>
1986 20 第9回広島県高校生平和ゼミナール(会場:広島市西区福島町・西隣保館)。<出典:「芸史」155・156号(1986.6.30)、「動向「建国記念の日」のヒロシマ(20)」>
1987 21
1988 22
1989 23
1990 24
1991 25
1992 26
1993 27
「芸史」186号(1993.9.28)=「小特集 「建国記念の日」のルポの成果と課題」、「動向 「建国記念の日」のヒロシマ(26)(27)」
1994 28
1995 29
1996 30
1997 31
1998 32
1999 33
2000 34
2001 35
2002 36
2003 37
2004 38
2005 39
2006 40
2007 41
2008 42
2009 43
2010 44
2011 45
2012 46
2013 47
2014 48
2015 49
2016 50
2017 51 「芸史」304号(2017.2)=「小特集 「建国記念の日」のヒロシマの50年」
2018 52
2019 53
2020 54
 2021  55 建国記念の日 広島市内で式典や集会
2022  55  建国記念の日でオンライン集会 祝賀や反対
 2023  56  憲法を守る広島県民会議、広島県平和運動センター、広島県原水禁、8の日平和行動ヒロシマ女の会、戦争をさせないヒロシマ1000人委員会の5団体主催「紀元節復活反対!平和・民主主義・人権を守る2・11ヒロシマ集会」。広島弁護士会館。95人参加。

 

2019(日録)

日録(2019年1月)

事項
01  謹賀新年<クリック> 高尾神社初詣の帰路に野呂山(瀬戸内海国立公園)から昇る朝日と朝日に照らされた絵下山(この裏側は昨夏の集中豪雨で甚大な被害を被った)を撮影。
01 コンビニで新聞を購入。宅配紙を含め7紙の内容点検。~2日。感想句=<「カク」が消え 「マル」が躍った 元旦報道>
 01   年賀状関連の整理作業。~3日。
09  ネットで注文した「アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集」が届く。
11 昨年12月3日に折り始めた千羽鶴の糸通しを試行。25羽×3。
15 自宅資料のヒロシマ遺文のカテゴリー別整理に着手。
17 般若心経を写経(初めて)。
23 藤居資料の配置状況を確認。
25 WHO(人物)データの校訂作業開始。
26 広島平和公園及びその周辺を取材(今年初)。
26 広島原爆被爆からの日数26836日(「地球平和監視時計」情報)
 日録(2019年2月)
事項
 01  新聞記事切り抜き(1月以前分の分類整理)。~日。
02  TOPページの更新。
 03  親戚の法事(呉市内寺院)。正信偈・仏説阿弥陀経を唱和。
04 昨年12月3日から始めた折り鶴が500羽を越える。
 10 WHO( 人物)関係の新聞記事の整理。~14日。
14 ヒロシマ遺文(1月忌)の校訂作業。
16 ヒロシマ遺文(2月忌)の校訂作業。
18 人物WHO関係のデータと新聞切り抜きの整理。~20日。
21 広島市立図書館・広島城周辺のモニュメントを撮影。
22 2018年4月24日以降の朝鮮半島非核化の動向を追う新聞切り抜きの整理。
24 新聞切り抜き(「朝鮮半島非核化」「核軍縮(国連)」「国際ヒロシマ」)をファイル。
25 新聞切り抜き「国際ヒロシマ」をファイル。
 日録(2019年3月)
 事項
01 献花の撮影(自宅・実家・倉庫)
01 ヒロシマ遺文TOPページの更新。
02 「芸備地方史」(芸備地方史研究会機関誌)の所蔵分を見つけ出す。
03 「芸備地方史」の内容検討。~4日。
05 「ヒロシマ遺文」の投稿「3月忌」関係を更新。
06 「ヒロシマ遺文」の投稿「3月忌―内田恵美子・峠三吉」を更新。
08  09:13たまたま立ち寄った広島赤十字・原爆病院の出口で「被爆資料室」という部屋があることを知る。鍵がかかっていたので受付で閲覧方法を尋ねる。社会課の人が対応。一般には公開されていない、公開依頼書を提出するようにとのこと。資料<『平和学習~核兵器のない平和な世界の実現に向けて~ 平成30年度版』(日本赤十字社 広島赤十字・原爆病院)>をいただく。
08 広島県立文書館。戦後30年度第3回収蔵文書の紹介展を閲覧。『広島県教育時報 創刊号』(1949年11月)の表紙絵に原爆ドームを使用していた。
08 広島県立文書館閲覧室。『中国新聞』(1964年東京オリンピック聖火リレー関係記事)と広島県明治100年記念行事等協議会関係資料の2件を閲覧。
08 広島県立文書館閲覧室の利用者は私以外に1人だけ。知り合いの長崎在住の歴史研究者だった。
08 地球平和監視時計(広島平和記念資料館設置)情報=広島への原爆投下からの日数=26877日。最後の核実験からの日数=450日。
08 広島平和記念資料館第25回展示検討会議。展示整備工事の視察。
08 16:00~平和公園調査。峠三吉詩碑、原爆の子の像。青年団体石碑。原民喜詩碑。第1回平和祭記念樹。
11 東日本大震災関連報道・資料の整理。
12  「ヒロシマ遺文―自分史」に「フェイスブックより」の2012・2013年分を投稿。
13 NHK総合:歴史秘話ヒストリア「「軍港・呉と戦艦大和“世界の片隅”の町 悲劇と復興」」を観る。
15 広島調査。御幸橋―修道学園―広島県立文書館―大学堂書店―広島市公文書館。
 23  ピカ資料研究所コンテナ倉庫の資料整理。約半分の仕分け(全国的に流布している資料を省く)作業を終了。
25  「ヒロシマ遺文」のカテゴリーに「ヒロシマNGO」を新設。
28  広島県立文書館。15日に申し入れた藤居平一資料の寄贈依頼が承認されたとのこと。

日録(2019年4月) 

事項
01 広島県議会議員選挙不在者投票。
02 コンビニで7紙(1面トップで「令和」を取り上げたスポーツ紙3紙を含む)を購入。
 03  月忌とWHO資料の整理。
 06 『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)読了。
10 現代史研究会編『戦後日本の国家権力』(著者代表:石井金一郎)を広島県立図書館にインターネット予約。初の試み。 <4月15日、地元の昭和図書館で受け取る>
10 ヒロシマ遺文「カテゴリー・原爆資料」を「原爆被害白書」と変更し、内容の校訂作業。
11  WHOデータと山田浩、石井金一郎関連資料の整理。ヒロシマ遺文へ投稿。
14   ピカ資料研究所コンテナ倉庫の資料整理。
17  広島へ。秦野裕子・藤居平一両氏の墓参。
17 広島県立文書館へ北西允旧蔵資料3箱とマイクロフィッシュ1箱を持参。寄贈申込書を書く。
17 比治山陸軍墓地取材。
18 ヒロシマ遺文のトップページの更新。ヒロシマNGO関係の投稿。
24 ピカ研資料整理開始。
27 2018年12月3日から折り始めた鶴が千羽を超える。
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29 ヒロシマ遺文のカテゴリー=ヒロシマNGOの校訂作業。
30 コンビニで7紙(1面トップで令和を取り上げたスポーツ紙3紙を含む)を購入。昼前、新聞販売所へ。中国新聞新元号記念セット(500円)を予約。
30 ピカ研資料整理。
30 NHKスペシャル「日本人と天皇」を視聴。

日録(2019年5月) 

事項
1 コンビニで5紙を購入。令和改元報道検討のため
1 ピカ研資料整理。~
2  コンビニで4紙を購入。
 2  山代巴『君はいまどこにいるか』(ちくま少年図書館26歴史の本、19750528)再読。甲神部隊の被爆・農村工作隊の様子を示す個所に多くの線が引いてある。今回は、新憲法の精神を自らのものにする歩みの始まりとして一気読み。
3  ヒロシマ遺文のカテゴリー=「ヒロシマNGO」の柱建ての再検討と「投稿」の校訂作業。~
10  広島県内部落問題関係資料を引き出す。
11  桜が丘にあった平和教育関係資料を持ち帰る。
12  ピカ研資料整理と並行して ヒロシマ遺文の「ヒロシマNGO」に投稿。
18 広島県立文書館より北西資料3箱とマイクロフィッシュの「文書等受領書」が届く。記述内容=「呉市 宇吹暁氏所蔵文書 264点」<封筒一括書類・簿冊・冊子等46点、マイクロフィルム5本、マイクロフィッシュ213枚>令和元年5月17日付、広島県立文書館長名)
21 母の書斎にあった『吉浦郷土史研究会』のデータをヒロシマ遺文に投稿。
22 呉市民劇場例会「日色ともえ+マリオネット公演 語りと音楽の夕べ」。会場:絆ホール。日色ともえ=茨木のり子の詩を中心とした朗読。峠三吉の詩も含む。日色情報によると、毎年夏恒例となっていた「夏の雲はわすれない ヒロシマ・ナガサキ1945年」の公演活動は、今年が最後とのこと。
24 12日から今日までの「ヒロシマ遺文」への主な投稿=「火幻」、「青史」、「真樹」、「安芸文学」、「広鉄文化会議」、「広島真生活協会」、「セブンウィークリー」、「場」、「政治経済セミナー」、「文化通信」、「大学生活協同組合」、「方向感覚の会」、「晩鐘」<以上はピカ研資料>。
26  幻吉氏の墓参と偲ぶ会。
26 南方特別留学生ユソフ氏の墓参。
31 28日からこの日までの「ヒロシマ遺文」への主な投稿=「『ひろしま』(広島県文化会議)」「『ひろしま』(広島県文化団体連絡会議)」「ひろしま随筆同人会」「いづみ(広島県警)」。「『広大文学』(広島大学文芸部)」、「黒雨以後の会(こくういごのかい)」、「広島作家同人会」、「郷土(郷土クラブ)」、「『凾<文学と評論>』」、「雑誌創刊号一覧(ピカ研所蔵)」<以上はピカ研資料>。「社会運動史研究会(1990年設立)」「河図洛書-渓水社十周年記念」。「私と「風化」」

日録(2019年6月) 

事項
 3  実家にあった藤居・内田・秦野関係を全て倉庫に移動。倉庫の世界遺産関係資料の一部を移動。
6 6月1日から今日までの主な投稿=「『原爆と文学』目次」、「吉島被爆者の会」。「広島詩人会議」、「白炎短歌会」・「週刊広島(広報出版センター)」。「広島児童文学研究会」、「広島市職員共済組合文化部会文芸部」、「『広銀行報』(広島銀行)」、「『中国公論』(19551230)」。「『女性自身』(光文社)」、「大阪市原爆被害者の会(発行資料一覧)」。<以上はピカ研資料>。「広島平和問題談話会(略年表)」、
 10  次の千羽をめざして折り紙を再開。父の25回忌法要。正信偈和讃。
 13  連休明けから中断していた新聞3紙の切り抜きの再開。
 14  聞切り抜き。5月分を終了。
17 自宅で日本パグウォッシュ会議・科学者京都会議、Nobel Peace Prize、平和研究関係の資料整理。
21 6月1日以降の新聞切り抜きを始める。
22 久しぶりの広島。シャレオの古本市を覗く。
22 原爆資料館の地球平和監視時計。「広島への原爆投下から26983日」
24 自宅の原爆慰霊碑、被爆遺跡関係資料の整理。~26日。
27 講義用のレジメ作成のために必要な資料とデータの整理。~30日。

日録(2019年7月)

事項
 1  呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日。町内放送が12時15分から1分間の黙とうを呼びかける。
 1  カテゴリーの構成の検討と再編成
 6  西日本豪雨から1年。町内放送が正午から1分間の黙とうを呼びかける。
6 ユネスコ世界遺産委員会(アゼルバイジャン、6月30日~7月10日)。日本は「百舌鳥・古市古墳群」を推薦。6日午後5時半すぎに登録を決定。
8 広島大学東千田キャンパス(講義)
13 広島平和記念公園の調査。
13 「「広島平和記念都市建設法制定70周年記念シンポジウム―平和への思いの共有」(広島市・日本都市計画学会中国・四国支部主催)」を30分ほど聴講。
18 広島大学霞キャンパス(講義)
19 NHKテレビ「グラウンドちゅうごく:バックミラーの中の“原爆市長”~復興に散った命の素描~」。浜井市長の手帳が映しこまれていた。広島県史・広島県戦災史などの編さんにあたり、所在を探していたもの。
21 第25回参議院議員通常選挙投開票。広島テレビの出口調査で投票内容を聞かれる。初めての経験。
 23  新日本婦人の会呉支部「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間」パネル展。絵本「怒り地蔵」(山口勇子作・四国五郎絵)の読み聞かせを聴く。呉市役所1階ロビー。22~26日。
 25  広島大学医学部医学資料館。企画展:「被爆建物壁面部材の展示会」(広島アンデルセンの北側壁面の一部)、主催:広島大学原爆瓦発送之会 会長 嘉陽礼文」
 25  広島大学霞キャンパス(講義)
25 広島大学病院YHRPミュージアム(2018年10月17日開館)。
 27 「日本遺産「呉鎮守府」開庁130周年記念 呉サマーフェスタ2019」(海上自衛隊呉地方総監部城山グラウンド)。12:00オープニングステージSTU48、呉市の高校生等500人によるバイタリティダンス。「旧呉鎮守府司令部地下作戦室―呉高専による地下壕調査の概要」。昼食に呉海自カレー。
 29  NNNドキュメント「色彩の記憶~よみがえるヒロシマ~」。(広島テレビ)視聴。

日録(2019年8月)

事項
01 「ヒロシマ・ナガサキ被爆の実相等に関するポスター展」。呉市役所ロビー。観覧。
 02  NHK総合テレビ「グラウンドちゅうごく:二つの戦争を生き延びて~ある”原爆孤児”の戦後~」視聴。
02 NHK総合テレビ「アニメ大好きだったあなたへ―ヒバクシャからの手紙―」視聴。
02 <米ロ中距離核戦力(INF)廃棄条約失効>
 03  NHK/ETV特集「高校生が描くヒロシマ 原爆の惨状を絵で再現」<視聴>
04 原爆資料館。地球平和監視時計。「広島への原爆投下から日数=27026日」、「最後の核実験<2月13日ネバダ州で臨界前核実験>からの日数=0172日」。
04 広島女学院大学「チャペル」「栗原貞子平和文庫」見学。講義。
04 八丁座「映画ひろしま―1945年8月6日、原子雲の下の真実―」 (デジタルリマスター版(1h44)17:05~18:50)<視聴>
05 広島テレビ午前0時55分~30分「原爆の絵 高校生が描く”ヒロシマ”」<視聴>
05 BS1スペシャル「ヒロシマの画家 四國五郎が伝える戦争の記憶」<視聴>
06 町内のコンビニで朝刊5紙を購入。
06 広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式典参列。
06 原爆資料館の地球平和監視時計。「広島への原爆投下から日数=27028日」、「最後の核実験からの日数=0174日」。
06 ピースナイター。カープvs横浜DeNAベイスターズ。Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島。内野自由席で応援。カープが8対4で勝利。最後まで見たので呉駅からの最終バスに乗り遅れる。
06 NHKスペシャル「“ヒロシマの声”がきこえますか~生まれ変わった原爆資料館~ 」。<視聴>
07 町内のコンビニで朝刊5紙+スポーツ紙2紙(ピースナイターを1面に掲載していた)を購入。
08 広島市立中央図書館令和元年度被爆体験継承事業企画展「ヒロシマの記憶を伝える ~町と人々の暮らし~」<観覧>
08 広島市民劇場。:「黒い雨―8月6日広島にて、矢須子―」(主催:劇団民芸。出演:奈良岡朋子)。於県民文化センター。<観劇>
09 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。町内放送の呼びかけで黙とう。
09 NHK 「もういちど“長崎の原爆”をみつめる「“焼き場に立つ少年”をさがして」」(25分)視聴。
09 RCC中国放送「ニュース6」内の企画番組「ヒロシマの礎 第1回」。藤居平一を取り上げる。宇吹のコメント(8月4日収録)あり。約8分。
10 NHK ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」(60分)視聴。
12  自宅に残っていたピカ研資料(田原資料)を桜が丘の倉庫に移す。
15 全国戦没者追悼式。台風10号関連の町内放送はあったが、正午の連絡はなし。テレビの実況放送に合わせ黙とう。
 15  NHKスペシャル:全貌「二・二六事件」視聴。
15 ヒロシマ遺文に投稿「広島国際アニメーションフェスティバル」「原爆死没者慰霊式典の記録(2015年)」
16 ヒロシマ遺文に投稿「駐日大使の平和メッセージ(1999年)」「大使の平和メッセージ-21世紀を平和な時代に」
17  ヒロシマ遺文に投稿「広島平和コンサート(1985年 )」
17 ETV特集「少女たちがみつめた長崎」視聴。
18  2019せこへい美術館。会場:旧日本銀行広島支店。10日~18日。<観覧希望>
19 ヒロシマ遺文に投稿「原爆被害者の組織化の萌芽」「原爆死没者の追悼行事主催者一覧(1945年)」「原爆第1号吉川清の試み」「原爆乙女の会」「原爆の子友の会」
 22  倉庫のABCC、被爆者対策関係資料の箱を自宅に移動。
 23  倉庫のマンハッタン資料・SBS資料1箱分を自宅に持ち帰る。ジーメス神父の被爆体験談のコピーを電子化。
24 第25回平和のための広島の戦争展を観覧。(会場:県民文化センター。23~26日)。
26 N氏、来宅。「医療法、ABCC、被爆者運動」について意見交換。
 27  8月分の新聞の切り抜き作業。~28日。
 28  BS1スペシャル「隠された戦争協力―朝鮮戦争と日本人」(8月18日放送)を視聴。
 29 ヒロシマ遺文に投稿「広島県労働組合総連合」「広島県母親連絡会」。
30 久しぶりの晴れ間。実家と倉庫の草抜き。
30 BS12(トゥエルビ)「核の記憶~89歳ジャーナリスト[鈴木昭典=1月31日死去]最後の問い」視聴。

 日録(2019年9月)

事項
1 ヒロシマ遺文のトップページの校訂作業とWHOデータの整理。
 3  ヒロシマ遺文への投稿=「ビキニ水爆被災資料集」
4 ヒロシマ遺文への投稿=「広島原爆障害研究会」
 5  ヒロシマ遺文への投稿=「私のヒジヤマメイト」
6 ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(帝国議会期間)」
7 ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(第1~11回)」
8 ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中のヒロシマ・ナガサキ(第12~18回)」「同前第19回」「国会論議の中の原爆被害(1945年9月~52年7月)」
 9  ヒロシマ遺文への投稿=「国立予防衛生研究所」、「被爆者7団体(広島)」、「被爆者5団体(長崎)」。
10 ヒロシマ遺文への投稿=「原爆の被爆者に及ぼした社会的影響」、「「資料調査通信」記事一覧」
11 ヒロシマ遺文への投稿=「広島市における原爆障害者対策に関する調査概要(目次)」「原爆裁判」「原爆被害の損害賠償を求める裁判(岡本尚一、原爆被害者の会)」
12 ヒロシマ遺文への投稿=「平和擁護広島大会(19491002)」「岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)」
13  ヒロシマ遺文への投稿=「世界連邦アジア会議報告書(19530201)」、「世界連邦運動ヒロシマ25年史(19720625)」。投稿「昭和天皇実録」の補訂作業。
15 倉庫の世界遺産関係の原爆ドーム・厳島関係分を自宅に持ち帰る。
15 浅野氏広島城入城400年記念事業:時代行列・入城行列。<見学できず>
16 世界遺産関係の資料を整理。
17 ヒロシマ遺文への投稿=「国会会議録の中の世界遺産」
17 ~30日。第74回国連総会(米国・ニューヨーク)。
18 世界遺産「厳島神社」関係の資料整理。
19 自宅書棚、倉庫で原爆死没者数関係資料を探し出す。
20 原爆死没者数関係資料の検討。
20 広島大学医学部医学資料館「ヒロシマに挑む 原爆投下の広島で実相究明に取り組む医学者たちの始動期の軌跡(企画・製作:広島大学原爆放射線医科学研究所附属被ばく資料調査解析部)」。8月5日~9月20日。<観覧できず>
21 広島へ。平和公園と原爆資料館を調査。「原爆投下からの日数27074日、最後の核実験からの日数220日」。
22 ヒロシマ遺文への投稿=「国連訪問レポート(1976)」、「国際連合訪問の状況(日程順)」
22 広島県・広島市母親大会。会場:呉市・広市民センター。
 23  ヒロシマ遺文への投稿=「国際連合訪問の経緯(1975~76年 )」
 30  ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)」、「佐々木優秋」

日録(2019年10月)

事項
01 <中華人民共和国成立70周年>
01 『創価学会と平和主義』(佐藤優、朝日新書、20141030)読了。
 02  『ヒロコ生きて愛 原爆乙女の戦後50年』(田坂博子、学研、19950801)読了。
03 ヒロシマ遺文への投稿=「河本一郎」。
04 呉鎮守府開庁130周年記念シンポジウム・パネルディスカッション(主催:日本遺産「呉鎮守府」開庁130周年記念事業実行委員会)。第1部:基調講演=田端浩「観光立国を目指して~地方都市におけるインバウンド政策~」。第2部:パネルディスカッション「街の記憶を未来へ~鎮守府開庁後の呉の歴史をふりか返る」。コーディネーター:戸高一成(大和ミュージアム館長)。パネリスト:森田義和(呉地方総監部幕僚長)、千田武志(広島国際大学客員教授)、光井周平(広島工業大学講師)、久保田智子(元TBSアナウンサー)。会場:呉市役所・絆ホール。<宇吹感想=今日の呉観光を考える場合、「この世界の片隅に」に取り上げることは必要と思うが、誰も触れなかった>
05 日本被団協、日本原水協、原水禁、被爆の政府を求める会などの機関誌やホームページで、今年8月の動向をチェック。~8日。
06 「海軍の復活を許すな!ヘリ護衛艦「かが」空母化反対集会in呉」場所:呉市中央公園。<参加者:350人(主催者発表)、300人(広島ホームテレビ)、350人(中国新聞)>。<挨拶した井上哲士参議院議員は、広島県立国泰寺高校出身で被爆二世と自己紹介>。
09 今年の8月6日と7日の新聞各紙(7種)の記事の検討。~日。
11  ノーベル平和賞発表。エチオピアのアビー・アハメド首相(43)
13  『軍馬と楕円球』(中野慶著、かもがわ出版、20190725)読了。
18 県立広島大学講義「地域の理解」。
19 県立広島大学フィールドワーク「地域の理解 平和公園」。
19 広島市原爆被害者の会「第8回先人を語る会(慰霊と講話~河本一郎を語る~)」。原爆資料館。<参加>
19 中国人強制連行・西松安野和解10周年「あらためて歴史問題の和解を考える」(主催:広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会)。ところ:広島弁護士会館。<参加できず>
 19  憲法9条を守る第14回音楽と講演のつどい(主催:呉9条の会連絡センター)。ところ:ビューポートくれ。<参加できず>
21 いわさきちひろ生誕100年:前進座「ちひろ――私、絵と結婚するの――」公演。広島県民文化センター。<観劇できず>
22 即位礼正典の儀(皇居)。今年に限り祝日。
23  世界遺産・厳島の弥山登山。登り=紅葉谷コース、下り=大聖院コース。
26  スマホでのバーコード使用の方法を教えてもらう。
28 広島市の平和問題調査会、世界平和連帯都市市長会議のテータ整理。
29 ヒロシマ遺文への投稿=「平和問題調査会」「世界平和連帯都市市長会議」「国連大学広島誘致期成同盟会」。
30 ヒロシマ遺文への投稿=「年表:国連大学とヒロシマ」「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」
31 「平和行政」「平和公園」関係の新聞切り抜きの再分類。

日録(2019年11月)

事項
01  ヒロシマ遺文のTOPページの更新。
02 倉庫に置いた原爆資料館関係資料を自宅に持ち帰る。
05 呉市立昭和図書館。新刊コーナーに『ヒロシマの『河』 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、2019年8月)。
06 ヒロシマ遺文への投稿=「広島原爆とアメリカ人(谷本清著)」
07 広島城大菊花展(10月26日~11月10日)
07 第58回東洋・東南アジア・ライオンズフォーラム。~10日。会場:広島市・ハノーバー庭園、広島国際会議場など。<準備中のハノーバー庭園を通り過ぎる>
07 原爆資料館と平和公園(大学時代のクラブの同期7人を案内)。
07 原爆資料館地球平和監視時計(広島への原爆投下からの日数=27121日。最後の核実験からの日数=267日)
09 ベルリンの壁崩壊から30年。
10 BSプレミアム「追悼 佐藤しのぶ~神様に声を返す日まで」(01:15~02:15)<11日に録画を視聴>
10 BS1スペシャル「女優たちの終わらない夏・終われない夏」(19:00~20:50)<12日に録画を視聴>
10 天皇即位 祝賀行列の儀。
12  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:この子たちの夏・夏の会」
14 大嘗祭。~15日(皇居)
16 広島のブックオフとアカデミー(計3店舗)で古書11冊計3480円を購入。
17  中国新聞朝刊「被爆手記いち早く海外へ 直後に惨禍記述 米紙で全文掲載 神父、投下の是非問う」(西本雅実・記)
18 ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器全面廃絶国際デー(9月26日)」
21 ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの証言(広島平和文化センター)」
21 RCC(中国放送)「ニュース6」内の企画番組「シリーズ:ヒロシマの礎」がRCCのホームページで視聴可能なことを知る。第1回:藤居平一(8月9日放映、11月21日視聴)http://play.rcc.jp/hiroshima/190809.php
22 RCC(中国放送)「ニュース6」内の企画番組「シリーズ:ヒロシマの礎」(次の3本を視聴)
森滝市郎  http://play.rcc.jp/hiroshima/190925.php
吉川清  http://play.rcc.jp/hiroshima/191011.php
沼田鈴 子 http://play.rcc.jp/hiroshima/191101.php
23 フランシスコ・ローマ教皇来日。
24 広島平和記念公園―平和大通り―縮景園。
24 原爆資料館地球平和監視時計(広島への原爆投下からの日数=27138日。最後の核実験からの日数=284日)
24 フランシスコ・ローマ教皇、広島・長崎を訪問。録画で関連番組を視聴。
25  ローマ教皇関連報道を確認するためコンビニで新聞4紙を購入。
26  ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和文化センター刊行物一覧」
 26  昭和図書館へ。ローマ教皇関連報道を確認。
 28  中国新聞朝刊1面「ヒロシマの空白 被爆75年 埋もれた犠牲者名どう把握」(水川恭輔記者)掲載。
28 ヒロシマ遺文への投稿=「平和関係施設調査研究委員会資料」

日録(2019年12月)

事項
01   ヒロシマ遺文のTOPページの更新。
02 過去のハガキ・手紙をもとに住所録の更新作業。 ~
真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)78周年。
08 第4回戦争体験を聞く会(主催:新日本婦人の会呉支部、会場:呉市生涯学習センター(つばき会館))。参加。
08 NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~第46回「炎のランナー」」視聴。
08  12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題シンポジウム「現在の被爆者の生活課題と今後の支援~被爆75年を前に考える~」(主催:原爆被害者相談員の会、会場:広島市男女共同参画推進センター(ゆいぽーと))<参加できず>
09 広島テレビ(日本テレビ):NNNドキュメント「つぐない~BC級戦犯の遺言~」。視聴
09  「中国新聞デジタル」に登録。いつの間にかコピーできなくなっていた記事がここでは可能なことを確認。
11 ヒロシマ遺文のTOPページの更新。
12 ブックオフ広島大手町店2冊400円-11:48昼食-12:40旧日本銀行広島支店(閉室)-14:45稲荷橋-15:39広島駅南口噴水-16:11尾長天満宮(二葉の里歴史の散歩道)-16:33日本山妙法寺-16:35聖光霊苑-16:41二葉山平和塔-金光稲荷神社-17:05東照宮口コース案内板(東区自然発見マップ ハイキングコース案内板)-17:10原民樹碑(広島東照宮)-原爆之碑(広島県医師会)-イルミネーション(エキキタと広島駅新幹線駅)-忘年会。
13 昭和図書館で『ヒロシマの「河」 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、20190806)と呉市中央図書館所蔵の『史料・太平洋戦争被害調査報告』(中村隆英・宮崎正康編、東京大学出版会、19950805)を借り出す。
15 NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~最終回「時間よ止まれ」」視聴。
15 年賀状の作成開始。24日投函。
21 広島県総務局財産管理課県有地販売促進グループ宛てにメール。内容=1992年9月に設置された「旧陸軍被服支廠保存・活用方策懇話会」の委員であった宇吹が「旧陸軍被服支廠保存・活用方策への提案」をヒロシマ遺文上に投稿しているので参考にされたい。23日、丁重な返信メールあり。
26 ヒロシマ遺文への投稿=「2020年(日録)」「平和記念式典関係資料(宇吹所蔵)」「内閣総理大臣挨拶」「平和記念施設あり方懇談会設置要綱」。カテゴリー「平和行政」の再検討。
27 プランゲ文庫関係資料など4箱を桜が丘倉庫に移動。
27 ヒロシマ遺文のtopページのデザインを大幅変更。
30 広島ホームテレビ「ドキュメント広島 ピカドン先生、令和も生きる」<坪井直の1年間の取材記録>。視聴。

 

山口勇子

やまぐち・ゆうこ 19161022生20000103没 享年83
広島市生まれ。広島女学院専門学校中退。29歳の時、疎開先から広島に入市し被爆。国内精神養子運動に参画。広島子どもを守る会副会長、日本原水協代表理事、同筆頭代表理事、非核の政府を求める会常任世話人などを歴任。小説『荒れ地ばら』で1982年に第14回多喜二・百合子賞を受賞。

著書(本)

書名 編著者 発行所 発行年月日
つるのとぶ日-ヒロシマの童話 大野允子、御手洗旬江、宮本泰子、山口勇子 東都書房 19630725
かあさんと呼べた日 山口勇子編 草土文化 19780720
絵本おこりじぞう 山口勇子(原作)・沼田曜一(語り)・四国五郎(絵) 金の星社 197911
荒れ地野ばら 山口勇子 新日本出版社 19810830
おこりじぞう 山口勇子(作)四国五郎(絵) 新日本出版社 19820625
原爆瓦-世界史をつくる十代たち 山口勇子 平和文化(発行)・汐文社(発売) 19820707
みずき芽吹くとき 山口勇子 新日本出版社 19840325
子どもに平和を・平和の教育を 山口勇子 あゆみ出版 19850120
ヒロシマの火 山口勇子(さく)・四国五郎(絵) 新日本出版社 19880806
にんげんの鎖(上・下) 山口勇子 新日本出版社 19890610
原爆の火の長い旅 山口勇子 新日本出版社 19910625

著書(雑誌)