山西義政

山西義政

やまにし・よしまさ 19220901生20200401没 享年97 (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。

資料年表:山西義政<作業中

年月日
19220901 誕生
19970427 泉美術館開館。山西義政の個人コレクションをもとに出発。
20110819 写真展「復興の記憶」。~9月19日 。
20180728 「ヤミ市から立ち上がった広島商人」<記憶から紡ぐあのころの広島>(『広島市被爆70年史 映像編』)
20200401 死亡

 

広島の戦災と復興

広島の戦災と復興(城下町広島の歴史講座十講(第8回))
会場:東区総合福祉センター 2008.1. 27
講師:宇吹暁(うぶき さとる)<広島女学院大学>

Ⅰ 広島の戦災

「原爆被爆」対象のさまざまな捉え方<略>

経済安定本部「太平洋戦争による我国の被害調査」

1947(昭和22)年7月から開始。広島・長崎の原爆被害については特別の配慮をはらう。

この調査は、おおむね中央の各省からの報告をもとに作成。調査実務の中心にあった企画調査課は、1948年1月13日から2月4日にかけて広島・長崎を訪れ、県・市の関係者や市内の主要な企業関係者に資料の提供を求める。

占領軍への配慮からか公表はされなかったが、両市の原爆被害についての特別な報告書「広島・長崎に於ける原子爆弾に依る物的被害」が、1948年6月1日付で作成。この報告書は、原爆による物的被害を建築物・道路・港湾河川など14項目から整理した包括的なもの。また、この調査にあたって、市内の各機関から提出された資料には、それまでの広島県・市の報告には見ることのできない貴重なデータが含まれている。

広島県の報告には、県自身の被害とともに宗教団体や史蹟名勝・国宝などの被害報告が含まれている。宗教団体の建物被害の状況は次表の通りである。これにより、市内の81の神社・74の神道教会・145の寺院・58の仏教教会・24の基督教会合計382の宗教施設の建物が原爆による大小の被害を被ったことを知ることができる。

神社・寺院・教会の建物被害状況

futaba20070127-19

 

 

史蹟では、「明治二十八年戦役広島大本営」(国有)・「明治天皇広島行在所」(国有)・「明治天皇広島行幸所浅野泉邸」(県有)が全焼、名勝では、「縮景園郷土館」(県有)が全焼、国宝では、「広島城天守」(国有)が全焼(実際は全壊であり、焼失はしなかった)、「不動院金堂」(私有)が4割の被害を受けている。

都市別人的被害syllss_080308

Ⅱ 広島の復興

A 被爆者<略>

B 被爆都市futaba20070127-30

戦災復興土地区画整理事業(西部復興)  施行者:広島県知事

一工区  施行面積 約477.0ha
施行期間 昭和21(1946)年度~昭和44(1969)年度<清算期間を除く> 総事業費15億8300万円
二工区  施行面積 約33.8ha
施行期間 1946年度~1971年度<清算期間を除く> 総事業費18億3500万円

戦災復興土地区画整理事業(東部復興) 施行者:広島市長
施行面積  約582.5ha
施行期間 1946年度~1969年度<清算期間を除く> 総事業費33億6800万円
広島平和記念都市建設法

1949年5月に衆参両院を満場一致で通過したこの法案は、7月7日の広島市民の投票で9割を超える支持を得た上で、原爆記念日の8月6日に公布。

第1条「恒久平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として,広島市を平和記念都市として建設する」

平和公園<略>

 

広島市勢要覧(1948年版) 

本市は原爆のため観光資源も観光施設も壊滅したのであるが廃墟の中から吾々の新しい観光資源が取り上げられた。

・即ち原爆記念保存物である。爆心地、元安橋、産業奨励館、相生橋、商工会議所、護国神社跡、大本営跡、芸備銀行、大阪銀行、山陽記念館、国泰寺の石塔、県庁跡、御幸橋ガスタンクがそれである。

・今後日本に来遊する国際観光客の殆ど全部は、広島市の原爆遺跡探訪をその観光スケジュールの主要部分とするであろう。

広島市勢要覧(1949年版)

平和記念館  原子爆弾による本市災害の一切の資料を一堂に蒐集して8月6日を想起し、人類の恒久平和を祈念するため陳列室、平和塔等を有する記念館を建設して平和広島の「シンボル」とする計画である。

 

「廣嶋」と厳島  大広島市街地図(1933年)futaba20070127-37

似島陸軍検疫所(広島・宇品・名勝)記念写真帖  1939(昭和14)年4月25日発行futaba20070127-38

1.御用船より似島検疫所に向ふ凱旋部隊  <中略>18.乗船の実況 宇品= 19.宇品港桟橋  20.宇品御幸橋  21.向宇品観音堂  〃.向宇品観音堂全景  22.宇品御幸通1丁目  〃.宇品新道路  23.宇品千田銅像  〃.向宇品別世界 広島名所=24.広島日清戦役記念史蹟大本営趾  25.広島城天主閣  26.広島駅  27.広島市庁舎  〃.広島浅野泉邸  28.広島招魂社  〃.広島比治山旧御便殿  29.広島饒津神社  〃.広島金座街革屋町  30.広島県立商品陳列所  31.広島相生橋及丁字橋

 広島市勢要覧にみる観光(広島の史蹟、名勝等)

広島市は日本三景の一つである厳島を控へ、国立公園随一、詩の瀬戸内海に面し、デルタ上を六つの清流が貫き、山紫水明で、而も海陸交通の便極めてよく、北に行っては桜と鵜飼の三次、つつじと、スキーの道後山、及び芸北の仙境三段峡等があり、又泉都別府、道後に船の旅を楽しむもよく、而も原子爆弾により、国際的に有名化し、世界に冠絶した観光都市として内外人の訪客を受けようとしつつある。殊に終戦後は、軍国の黒衣に包まれていた瀬戸内海島の要塞地帯の景勝地を、あます所なく開放し、更に貿易港としての指定を受けることになれば、観光上喜びにたえないところである。『広島市勢要覧1947(昭和22)年版』

千田廟と千田男爵銅像= 往年日本の大玄関として名声のあった宇品港は、明治17年時の県令千田貞暁によって起工せられ、工費30余万円5カ年の歳月を経て完成を見た。  其の後4年日清戦役勃発するやこの宇品港は一躍重要基地として国運の進展に寄与し、次々の事変戦役にも重要役割を果たしてきた。  市民は千田県令の偉大なる事業を偲び大正4年宇品町御幸通りの中央に高く広島湾の海波を望んで銅像を建立し、後更に千田廟を祀り毎年4月盛大なる千田祭を執行して来ったのである。

不動院(牛田町)= 天正2年僧行基の開基と伝へられ、当時は行基自ら観音像を彫刻し、七堂伽藍を創建して新日山蓮華王寺と称し、方7町12の末寺を備へていたと云う。その後大永年間兵火にかかって荒廃したが、安国寺恵瓊豊太閤に請うて再建し不動院と称し、豊太閤、朝鮮征伐の途次当院に滞陣した。背後の丘には、豊太閤及び福島正則の遺髪の塔がある。  不動院は、現に古義真言宗仁和寺の末寺、金堂は天文年間の建立、天井画龍の落款に「天文庚子冬十月日僧永怡筆」とあり純乎たる唐様禅宗建築堂層入母屋造で、一見鎌倉円覚寺舎利殿を大きくした様なもので、室町時代禅宗建築の傑作の一に数えられている。尚当院には豊臣時代の古文書多数所蔵されて居り、豊太閤と縁故の深い事を物語っている。

頼家の墓(比治山本町)= 頼家一門の門主たる人々の墓は、比治山公園多聞院付近にある。春水、梅颶、聿庵、杏坪等20数基に上るが、山陽三樹三郎の墓はここにない。春水は竹原(賀茂郡)の人、山陽の父で山陽3歳の時招かれて藩儒となり、大阪より移って7代重晟、8代斎賢藩主に仕へた朱子学者である。  杏坪は山陽の叔父、春水と同じく朱子学者で、始め広島藩に仕へ後自ら願出で三次奉行となって令名高く、芸藩通誌の著者として著名である。  梅颶は山陽を生み、山陽を育しみ、山陽を大成せしめた賢夫人、人の子の真の母親として亀鑑又立派な学者であった。聿庵は山陽の長子で春水の跡を継ぎ、広島藩に仕へた。      『広島市勢要覧 1948(昭和23)年版』

東照宮= 市内尾長町の中腹に在り天保年間藩主浅野光行の創建に係り徳川家康の霊を祀っている、境域5300平方米、社殿は南面し石階51殿である。往時は社殿壮麗を極め祭礼儀頗る盛大であったとゆわれている。

頼山陽文徳殿= 比治山公園の山腹に在り、頼山陽の百年祭を記念するために広島市単独の事業として計画し山陽文徳殿建設翼賛会の努力により完成、昭和9年10月15日の竣工である。  頼家の墓 頼山陽の父春水を初め頼家一門の墓は比治山公園多聞院付近にある。             『広島市勢要覧 1950(昭和25)年版』

三滝観音道場= 市内三滝町の山林中にあり1000年の昔、弘法大師唐国より帰朝の砌当地に巡錫、聖観音菩薩の種字を天然石に刻し岩窟に安置した。爾来其の霊験の著しいことと四季山水の風致幽邃雅趣の深さにより一般信徒の杖引く者絶えず、現在は水害、原爆の被害により道場の荒廃甚だしくこれが修築工事中である。

『広島市勢要覧 1951(昭和26)年版』

似島=<解説略> 広島城跡=<解説略> 国泰寺墓地=<解説略>比治山公園=<解説略>長寿園=<解説略>

『広島市勢要覧 1952(昭和27)年版』

来広観光客数及び推定消費金額(昭和27年中、推定総数)(国鉄、汽船、郊外電車、バス調)futaba20070127-39 

C 被爆国

被爆者対策(略)、被爆者対策、被爆者対策予算(厚生省)

原爆死没者追悼平和祈念館

1998年3月13日=国が広島・長崎両市に建設を予定している原爆死没者追悼平和祈念館について、「(既存の原爆資料館などと)屋上屋を重ねる。再検討するべきだと思う」と述べ、建設中止も視野に入れ計画を見直す考えをしめす(『中国新聞』3月14日)

原爆死没者追悼平和祈念館開設準備検討会最終報告

1998年9月10日「既存の関連諸施設との関係」の項より抜粋
「広島に設置される祈念館の特徴として位置づけられる、「被爆関連資料・情報の収集及び利用」については、既存の資料館が原爆死没者の遺品等、主として被爆した「もの」を通して原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えているのに対し、祈念館では、原爆死没者や遺族等の手記、体験記等を収集し、利用に供することにより、主として被爆した人々の「こころとことば」によって原爆被爆の実相を伝え、平和を訴えようとするものである。」
2002年8月1日開館。

広島平和記念都市建設法

広島平和記念資料館 世界平和記念聖堂  

平成18年(2006年)7月5日、わが国の戦後建築物としては初めて、国の重要文化財に指定。広島平和記念資料館:丹下健三が設計し、国際的に高い評価を受けた最初の戦後建築であり、同氏の出発点となった作品。

平和記念公園  2007年2月6日、国の名勝に指定

 

D ヒバクシャ=人類

原爆ドーム保存

広島県議会意見書1( 1950年11月29日)

元県立産業奨励館跡を史蹟指定方について(理由)

広島は原爆による未曽有の被災を受け、全世界の同情と注視を集めているのであるが、被爆の中心地に所在している元県立広島産業奨励館は、被災の惨状を物語る唯一の史蹟とし残存し、その後五ケ年風雨のため朽廃の度甚しく、まさに倒壊にひんしており、あまつさえ鉄材の物価騰貴のため、鉄の盗難又続出し、その保存はまことに遺憾な現状にある。

依って右の被爆建築物を文化財保護法に基く史蹟として指定し、更に原爆に関する諸資料及び記念物をドーム内に蒐集陳列し、県民は勿論、広く観光に来遊する内外人の観覧に供し、よい記念としてその保存に十全を期し、平和広島の建設は申すに及ばず世界平和の象徴とするよう早急に措置せられることを要望するものである。

保存運動(発端)

1964(昭和39)年12月22日、広島の3つの原水禁団体(原水協・原水禁・核禁会議)を含む11の平和団体代表、浜井信三広島市長に原爆ドームの永久保存を要請。この要請は、原水禁運動が分裂して以来はじめての3団体の共同行動。 市長、11団体の要請に対し、「来年度予算案に調査研究費を計上して、専門家に保存方法を研究させる」と、初めて保存の意志を明らかにする。(『中国新聞』1964年12月23日)

原水禁・被爆者関係11団体要請書(抄) 1964年12月22日

しかしながら、人類最初の原爆の記念物である広島の遺跡は、二十年の歳月の中で失われ消し去られ、現在辛じて残されているのは、原爆ドームがほとんど唯一のものとなっています。

紀元前の戦の跡を物語るトロヤの遺跡、近代戦争の犯した残虐さの限りを示すアウシュビッツ収容所の残忍なまでに生々しい証拠物にも劣らず、広島の原爆の遺跡は、永く人類の歴史の中に残されなければならない重要な記念物であります。

浜井信三広島市長の見解

被爆者の中にも、原爆ドームには両論ありましてねえ。早く忘れたい、あれがあると町に出るのが苦痛だという人もあったんです。まあ、最近、あの建物を解いて組み直す必要があるという専門家の意見もあるんですが、私らはそんなことは必要ない、あのままでいいという気持ちなんですが、置いておいても十年ぐらいはなくなるものでなし、終局的には次の世代の人が決めればいいんですねえ(注=保存調査のために今年度、市は百万円の予算を計上)。

私の原則論は、当時のものはとり去り、資料的なものは資料館の中にいれたい、そして政府が”白書運動”を取りあげれば、それは結構なことで、ぜひ手をつけてもらいたいということです。 出典:『週刊新潮』1965年6月5日号

浜井広島市長「原爆ドーム保存の訴え(抄)」  1966年11月1日

あの日以来、かろうじて生き残った者たちを先頭に、幾多の苦難を越えて広島の復興は進められ、広島は今や平和を象徴する都市として回生し得たのであります。  しかし、そのことによって、原爆の跡はほとんど取り除かれ、現在残されているのは、いわゆる「原爆ドーム」のみとなりました。  その事実からして、この原爆ドームこそは、広島の惨害を記憶し、それを語る基点としてはまことにふさわしい記念物であります。もちろん、わたくしたちは原爆ドームが、人類史上類例もない大惨禍を実証するには余りにも小さすぎることを知っております。

原爆ドームの世界遺産化

1996.11.29~30 世界遺産委員会ビューロー会議、メキシコ・メリダで開催。原爆ドームが審議される。

12.2 委員会、メリダで開会。

12.6 原爆ドームと厳島の世界遺産への登録が決定。(メキシコ現地時間5日)

1996.12.5(現地時間)国際記念物遺跡会議(ICOMOS)による文化遺産の説明。

中国代表の発言=登録の決定に必要な会場のコンセンサス(合意)には参加しない。

午前9時33分、コンセンサスによりドームの世界遺産が決定。

アメリカ代表=この合意に参加しないことを宣言する声明を発表。

出典:朝日新聞社編「原爆ドーム」

平和記念施設あり方懇談会

2004年7月~2005年6月  広島 4回 東京 4回

平山郁夫委員:釈尊誕生の地ルンビニ、 飯田喜四郎委員:ギリシア・ローマの遺跡

山折哲雄委員:エルサレムの嘆きの壁、 横山禎徳委員:サンチアゴ・デ・コンスポテラ

被爆60周年 「枠組み」に大きな変化はなし<原爆ドームの世界遺産化に伴い、原爆被害を世界の歴史の中にどう位置づけるのかの検討が始まったことを示すもの>。

≪平山委員≫

これは根幹に関わることだが、日本の遺跡の保存の仕方は、例えば奈良でも、あるいは海外でお釈迦さんの生まれた土地ルンビニに行っても、皆、公園化している。奈良でも石舞台の所に花や芝生を植えて道を造って、これでは遺跡ではない、破壊である。ドームを見ても芝生があって最後に瓦礫がある。なぜ瓦礫を残さないのか。当時はこんな綺麗ではない。阿鼻叫喚、地獄があった訳だが、それを知らない今の世代の人が見たらどう思うだろうか。

過去の論議の資料で以前の市長が「火事になってもこの程度は壊れる」と言ったという記録があったが、まさしくそうである。この遺跡をどう扱うかは、アウシュビッツや色々な施設と比べてみても、姿勢が問われると思う。

日本人は優しいところがあるから、平和的にやろうということならまた違ってくる。何を残していくのか、その精神とメッセージをどう伝えるのか。ただし構造的、物理的に限界があり、現状維持ではすぐ壊れるので、可能な限りガッチリと修理し、耐震構造にしても同じだが、それをどう景観と結びつけるか。その辺を根本的に討論したらどうか。

おわりに -被爆体験の歴史化-

陸上自衛隊広島市内パレード。1962年~。1965年平和公園使用計画。反対運動起こる。73年までパレード実施。<大和ミュージアムや岩国米軍基地との関連で>

陸上自衛隊第13旅団(安芸区矢野町・安芸郡海田町)。1939年旧陸軍の物資補給所。1950年警察予備隊駐屯地。1962年、陸上自衛隊第13師団。中国5県と四国4県を担任。1999年3月第13旅団。中国5県。

政令指定都市=広島市1980年4月1日。

五大都市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)=1956年9月1日、北九州市1963年。 札幌市、川崎市、福岡市。72年。仙台市89年。 千葉市92年 さいたま市2003年。静岡市2005年。 堺市2006年。新潟市、浜松市 2007年。

第12回アジア競技大会 1994年10月2日~10月16日 広島 首都以外では初の開催

1951年、インドの提唱により始められた、アジアの国々のための総合競技大会。

ピースキャンドル 1997年8月6日 広島青年会議所、ひろしま点灯虫の会 <ライトアップ>

ワールドサッカー 2002年5月31日~6月30日

日本では1993年1月に国内開催都市候補地を選定=札幌 宮城 新潟 茨城 埼玉 横浜 静岡 大阪 神戸 大分

GROUND ANGELライトアート2005年12月16日~12月25日 広島平和記念公園(資料館前広場)

岡本太郎『明日の神話』=『太陽の塔』の制作と同時期の、1968年から1969年に描かれた。

2003年9月、メキシコシティ郊外の資材置き場で発見

折りづるみこし 2007年5月のひろしまフラワーフェスティバル(FF)に初登場

主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)=2008年9月に広島市内で開催。

復興と復元  被爆建造物、頼山陽記念館+旧日本銀行広島支店、市民球場=小堺、伝統的建造物群保存地区、

歴史へのこだわり  学都広島大学の東広島移転、広島大学霞キャンパス開発史、長崎との対比futaba20070127-85

近代化遺産  

  • 呉との対比
  • 重要文化財(建造物)
  • 明治=旧呉鎮守府司令長官官舎(呉市入船山記念館)
  • 大正=本庄水源地堰堤水道施設
  • 昭和=広島平和記念資料館、 世界平和記念聖堂
  • 経済産業省近代化産業遺産
  • 2005年5月 大和ミュージアム開館

久保田訓章

久保田訓章

くぼた・のりあき 生20190331没 享年86 1973~2017年広島東照宮宮司。名誉宮司。二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会会長。広島・長崎宗教者平和会議に参加。

資料年表:久保田訓章<作業中

 年月日
 1996
 0806 「序文( 広島県宗教連盟前々理事長・広島東照宮宮司 久保田訓章)」( 『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌-平和と慰霊・追悼の歩み』所収)
 2004
0313 久保田訓章「「五年後」に感じて…」(『雲雀 第4号 2004.03.13』、広島花幻忌の会)
 2005
0416  久保田訓章「原民喜「五年後」に感じて」(『わが昭和史 続編 中学入学60周年記念誌』)中学入学60周年記念アカシア41期会「記念誌編集発行委員会」)
 2009
0805  「原民喜文学碑 境内に建立へ 広島東照宮」(『中国新聞』桑島美帆・記者)
2010
 0321  「文学碑計画の久保田宮司 記憶 後世に残したい」(『中国新聞』梅原勝己・編集委員)
 0608 「原民喜文学碑 市長が揮強へ 東照宮宮司ら依頼」 (『中国新聞』明知隼二・記者)
0726  「被爆直後のメモ 一節刻む 原民喜の追憶碑除幕 東照宮」(『中国新聞』新田葉子・記者)<除幕式:20100725>
 2011
 0931  (『中国新聞』)
 2012
 0726  (『中国新聞』)
2013
 0213 「 宗派超え平和考える 広島・長崎宗教者会議」(『中国新聞』山本乃輔)<今年で28回目>
 2014
 0805  二葉の里歴史の散歩道ブラッシュアップ研究協議会(7社寺・広島市など)主催行事:7社寺が「平和の灯」(平和公園)から採火した約千本のロウソク点火。今年で3回目。(『中国新聞』20140730、川手寿志)
2015
 0309
 0520
 0625
 0804
 0810
 2019
 0331  「久保田訓章氏死去」(『中国新聞』0401)

ジョン・ハーシー

ジョン・ハーシー

ハーシー、ジョン 19140617生19930324没 はーしーJohn Hersey 78 広島のルポルタージュ「ヒロシマ」の著者。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『ヒロシマ』が取り上げられる。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)。

資料年表:ジョン・ハーシー<作業中

年月日
19140617 誕生
20020806 秋葉広島市長、平和宣言で著書『ヒロシマ』に言及。「ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』や**さえも忘れられつつあります」
19930324 死亡。享年78歳。

 

河村郷四追想録

『河村郷四追想録』(河村郷四追想録編纂委員会、19860315)

内容<作業中

著者 タイトル
海塚義郎 序にかえて
写真集
1 少年期より青年期へ
2 マツダと河村さん
3 広島テレビと河村さん
4 スポーツと河村さん
5 河村さんと社会活動
6 河村さんへのレクイエム
荒木武 教育への熱い想い―河村さんとの語らいの中で
遺族の方々より
栗村良周 兄を偲ぶ
松元寛 仕事の中に心を見ていた人
中西忠彦 義父河村郷四の思い出
河村瑠璃<妻> 追憶
河村郷四年譜
あとがき

同和地区の被爆者

『同和地区の被爆者』(広島中央保健生活協同組合、島地区被爆者の会、全国解放運動連合会福島支部、広島合同労組福島生協病院支部、ほか編、19780806)

内容<作業中

1 序にかえて
5 はじめに
1 原子爆弾による同和地区(福島町)の被害
2 原爆被害の記録
手記1~4
3 同和地区被爆者の被災後の生活
手記5
4 福島被爆者の会の設立と被爆者運動
手記6~9
5 同和地区における原爆被災の後遺
6 まとめ
19 国連軍縮特別総会派遣代表座談会
あとがき(田阪・記)

福島生協20年誌

『福島生協20年誌』(福島生活協同組合、福島生活協同組合、1976/05/30)

内容

2 飛翔 ふかがわむねとし
4 木原清春(福島生活協同組合理事長)
6 田坂正利(福島生協病院院長)
8 例言
10 目次 題字:木原清春、カット:四国五郎、監修:深川宗俊
12 福島生協・前史
1.福島町の概略
2.福島町における医療の実態
3.診療所設立運動
4.診療所の建設と医療生協の創立
17 昭和二〇年八月六日
21 胎動の季節
運動のさわたつ波に 中本康雄 21
福島診療所創立のころ 山内彗 24
小さな窓口 岩井早苗 26
開設当時の想い出 松本カズ代 27
診療所の頃 石田寿美恵 28
31 野火のように
診療所の充実をめざして 31
病院建設へのあゆみ 32
病院の東側に西消防署 36
被爆者認定医療機関に 37
機関紙・生協ふくしま 38
医師住宅・看護婦宿舎の建設 38
「けんこう」はみんなの健康を守る新聞 40
福島地区水害闘争弾圧事件 40
42 飛翔のために
飛翔のために 42
総代会制で飛躍をはかる 42
第一回被爆者医療研究集会のこと 田坂正利 43
福島病院医療班・無医地区で活躍 石田泰雄 45
明るい町づくりを 46
飲酒患者の問題 47
組合員を中心にはば広い生協活動を 48
短期二カ年計画 49
被爆者診療のとりくみ 50
被爆者検診車のこと 51
ダイアグノウスの重軌跡 野口隆司 53
疾患別グループ 55
足指に生きる 58
老人の生活実態調査の報告 59
保険医総辞退について 60
60 開花の譜
第一次長期五カ年計画 60
草津診療所 浜口逸記 62
福島地区被爆者健康診断について 故・鏑木富衛 62
一〇〇〇人目の赤ちゃん 中本雅子 66
沖縄県被爆者激励医療調査団 三村正弘 67
班活動の経過と展望 篠原孝義 69
詩・生協病院賛歌 73
経営危機打開のために 村田康昭 74
創立二〇周年 75
祝賀行事小委員会 盛岡富寿 76
78 座談会―20年のあゆみ
87 全国民医連・生協関係 福島生活協同組合年表
107 広島西部地区空港写真・三葉
115 福島生協 年表
126 編集後記

 

被爆者医療のあゆみ(福島病院 19710520)

『被爆者医療のあゆみ』(福島病院 19710520)

内容<作業中

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 鏑木君の死を悼む 1971.4.10 田阪正利
bk19710520-000b
 目次
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1.健診報告
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 序 佐久間澄(日本原水協代表理事・広島県原水協理事長)
bk19710520-001
 被爆者医師の取りくみにあたっての方針 田辺勝(広島県原爆被害者団体協議会理事長)
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被爆診療科のあゆみ
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第5回部落問題研究者全国集会報告

「近代化」政策と部落問題―第5回部落問題研究者全国集会報告(部落問題研究所、発行:19681025)

内容

 bk19681025-1
 開会のあいさつ
 統一テーマについての提案―挨拶をかねて
 全体集会
 報告1 「明治百年」と部落問題
  報告2 「近代化」政策と部落の現状
 報告3 部落解放の思想と教育
<討議>
歴史と運動分科会
報告1 部落解放運動と前田三遊(天野卓郎
報告2 三重県における水平社運動の発展
<討議>
現状と政策分科会
教育と思想分科会
「明治百年祭」に反対する声明

部落(部落問題研究所機関誌)

部落(部落問題研究所機関誌)第115号(1959/08/01)

内容

04 原水爆時代の部落問題 今堀誠二 4
8月6日、広島での原水爆禁止世界大会に集まった人びとに見てもらいたいものは、まず部落であり、貧しい被爆者が部落差別とかわらない、社会的な差別に苦しんでいる姿である。
つきものの所感 宮本常一 8
狐もちの迷信 生田淸
部落の政治的底流 ─解放運動と参議院選挙─ 中西義雄 24
復古調の融和政策─自民党の同和対策十ヶ年計画批判─広沢賢一34
【資料】同和対策要綱 自民党同和対策特別委員会 33
【詩】奴らの根城に向かって 酒井真右 95
輸血と七色の石と 東上高志 44
学生部落研全国集会について 79
第三回部落解放全国青年集会について 21
≪続ニグロ解放運動物語≫①
人種的偏見の代償
─ニグロ問題に関する沖仲士倉庫労働組合の意見─雪山慶正 48
谷間の子供達 徳田のぶ 42
子供達とともに 小林初枝 96
【映画】12人の怒れる男 北川鉄男 56
手帖 B・K・S 46
部落問題対策についての社会党の申入れ、適応がデタラメな民生保護に抗議の斗い、日本大学に部落研誕生、同志社大学部落研の講座、早大部落研の公開シンポジュウム、まだ多い長欠児童生徒、NHKテレビで苔部落をとりあげる。
時評 22
内閣の改造と首相の外遊 人口、労働白書の問題点
、山岸会の正体 原水爆禁止と政略
【本棚】
ポール・ロブソン「ここに私はたつ」 39
霜多正次「陽のあたらぬ島」 40
高橋磌一「歴史の眼」41
東西南北 58
楽しみと希望と(北谷正)
横浪差別事件の真相(部落解放同盟高知県連合会)
黄山村の朝(完) 萩原忠重 62
橋のない川(連載第八回)住井すゑ 80
編集室 79
表紙とカット 小栗美二

部落(部落問題研究所機関誌)第129号(1960/10/01)

内容

同和教育から生れた童話
山の上の白い雲 桐の実学級 94
カッパさま 藤井朋子 96
伝統を受けつぎそれをこえるもの─水平社発祥の地柏原部落の調査から─奈良女子大学部落問題研究会 50
同和教育白書③
教育は精神主義では進まない 京都市立第三錦林小学校 60
学生部落研めぐり⑤
部落に入って一年半─その中で得たもの─
大阪学芸大学部落研究会 58
【書評】講座・部落Ⅲ「部落の現状」村上兵衛 73
階級を明らかにすること
─「部落の歴史」評にこたえる 藤谷俊雄 56
映画・貧しさと不幸から解放
─「濹東綺譚」「がめつい奴」「武器なき闘い」─北川鉄男 48
≪東西南北≫
ヒロシマのオバサン 丸岡忠雄 68
同和教育推進案 奈良県同和教育推進会議 69
同和の妨害をけって 花田一志 71
泥のなかの絹靴⑦ ─部落が生んだ記録─ 坂市巌 74
橋のない川(連載第二十二回) 住井すゑ 84
第三回「人権と部落問題」講座案内 1
編集後記 97
表紙とカット 小栗美二
特集・解放運動の新しい方向
分裂政策・融和政策とは何か
─部落解放同盟の「一般運動方針」についての感想 藤島宇内 8
解放運動の新しい方向 対談 田中織之進・雪山慶正 16
部落解放同盟の綱領改正─その意義と問題点─北原泰作 28
部落解放同盟綱領改正(全文) 33
国民運動の一翼 ─部落解放同盟第十五回全国大会から─編集部 14
青年に行動と情熱を ─二つの大集会で考えたこと─ 土方鉄 36
話しあい場を大切にしよう─第四回部落解放全国青年集会から─谷口修太郎 40
手帳 B・K・S 25
部落解放同盟第十五回大会ひらく、暴力団が差別暴行、大抗議の集会デモ、同盟の年間行事計画、同盟の第二回中央委員会、三池第二組合三役辞任
浅沼委員長刺殺事件についての声明 部落解放同盟 24
≪部落のひろば≫
眼を元兇族者に─八尾の暴力団差別事件の意味するもの─土方鉄 4
詩 下原温子
父の死に 34
かたつむり 97

部落(部落問題研究所機関誌)第129号(1960/10/01)

内容

地域社会と行政機構 島恭彦 4
日本の行政による二重構造が、経済の二重構造を維持し、そのことが部落問題を維持している根源である
同和教育と文学芸術の教育 国分一太郎 16
科学的認識の教育は行われていても、人間存在の根本的意義を、文学的・芸術的に感得させることは少ないのではないか
団結と理論武装を─
一九六二年を部落解放の輝かしい発展の年に─ 22
解放同盟第十七回全国大会を三月に 52
日教組第十一次教研への課題 ─全同教第十三回兵庫大会を終えて─ 福地幸造・山田彰道 44
手帖 14
滝川教授に公開討論を申し入れ、高知県議会同和行政推進に関する決議、岡山県政斗争を強化、奈良県連大会をひらく、生保者に越年資金、全国婦人集会を高知で
「橋のない川」をめぐって
ほれたい作品
─仮空インタビュー「橋のない川」─ 村上兵衛 24
「橋のない川」少年編を書き終えて 住井すゑ 30
「橋のない川」がめざすもの 島田一男 35
真実をえがたい作品 かわい・とらお 29
〔中国の旅から〕⑦中国の革命と社会主義の建設 木村京太郎 58
<奴隷制度と婦人たち>⑩
情熱を秘めた褐色の詩人─フランシス・E・W・ハーパー
サンミュル・シレン 山田択男訳 40
最近のアメリカ黒人文学 ─「抗議」の文字からの脱皮─ 北川鉄夫 38
こんなことをやってきた ─゛三ト”攻勢のなかで─川内俊彦 64
居住基礎に教育闘争 72
結びつく目標を ─第八回全国教育系ゼミ印象記─ 福地幸造 73
常識は横行する ─井上俊夫に反論する─ 鮮見鮮一郎 76
≪本棚≫
磯村英一外編「釜ヶ崎─スラムの実態」 78
瀬戸奈々子・林田みや子著「かえらぬ鶴」79
小説・地下茎(最終回) 土方鉄 81
編集後記 97
表紙とカット 小栗美二

部落(部落問題研究所機関誌)第145号(1962/02/01)

内容

地域社会と行政機構 島恭彦 4
日本の行政による二重構造が、経済の二重構造を維持し、そのことが部落問題を維持している根源である
同和教育と文学芸術の教育 国分一太郎 16
科学的認識の教育は行われていても、人間存在の根本的意義を、文学的・芸術的に感得させることは少ないのではないか
団結と理論武装を─
一九六二年を部落解放の輝かしい発展の年に─ 22
解放同盟第十七回全国大会を三月に 52
日教組第十一次教研への課題 ─全同教第十三回兵庫大会を終えて─ 福地幸造・山田彰道 44
手帖 14
滝川教授に公開討論を申し入れ、高知県議会同和行政推進に関する決議、岡山県政斗争を強化、奈良県連大会をひらく、生保者に越年資金、全国婦人集会を高知で
「橋のない川」をめぐって
ほれたい作品
─仮空インタビュー「橋のない川」─ 村上兵衛 24
「橋のない川」少年編を書き終えて 住井すゑ 30
「橋のない川」がめざすもの 島田一男 35
真実をえがたい作品 かわい・とらお 29
〔中国の旅から〕⑦中国の革命と社会主義の建設 木村京太郎 58
<奴隷制度と婦人たち>⑩
情熱を秘めた褐色の詩人─フランシス・E・W・ハーパー
サンミュル・シレン 山田択男訳 40
最近のアメリカ黒人文学 ─「抗議」の文字からの脱皮─ 北川鉄夫 38
こんなことをやってきた ─゛三ト”攻勢のなかで─川内俊彦 64
居住基礎に教育闘争 72
結びつく目標を ─第八回全国教育系ゼミ印象記─ 福地幸造 73
常識は横行する ─井上俊夫に反論する─ 鮮見鮮一郎 76
≪本棚≫
磯村英一外編「釜ヶ崎─スラムの実態」 78
瀬戸奈々子・林田みや子著「かえらぬ鶴」79
小説・地下茎(最終回) 土方鉄 81
編集後記 97
表紙とカット 小栗美二

部落(部落問題研究所機関誌)第179号(1964/09/01)

内容

■特集/同和教育の内容入門 ─同和教育でなにをどう教えるか─
同和教育における教科の指導 小川太郎/4
同和教育と授業の研究 杉山明男・14
小学校国語教育の場合 佐古田好一・23
同和教育を教科の中でどう把えているか ─大井小学校の場合─  川崎千足・小松義憲/30
部落問題ととりくむ社会科の基本原則 川内俊彦/38
中学校の国語教育を中心に 谷口勝利/44
高校社会科における同和教育への接近 竹田友三/51
八尾差別事件(その2)水平志行/65
学生部落研の基本方向(下) 全国学生部落研連絡協議会/92
・ぼくら部落のあゆみ 綾部高校部落研/70
・原爆と差別 藤川治生/76
□素顔の部落 成沢栄寿/82
□ぶらくのまど
運動/青年集会に参加して 塚本景之/84
教育/盛代だった第十回広同教大会 谷口勝利/86
行政/関係者各省の予算編成はじまる B・K・K/88
□本棚/90
高校日本史教科書における部落問題(上)木下浩/57
□部落問題研究会だより/91
目次カット/桝井啓智
本文カット/小栗美二

部落(部落問題研究所機関誌)第200号(1966/03/01)

内容

所蔵
朝日賞受賞200号記念特大号<別記 U

 

部落(部落問題研究所機関誌)第219号(1967/08/01)

内容

八・一五記念日におもう 2
読者のページ 4
生きた原爆ドームをどうするのか ─8月6日にあたって─ 金崎是 8
手記 あのこのこと 野川ふさえ 12
カメラ・ルポ 信州における未解放部落Ⅱ 吉岡攻 18
テレビ・映画 近代主義と「差別」思想 ─「上意討」など─ 北川鉄夫 20
朝日訴訟最高裁判決について 小川政亮 28
くじくり・もんもん3 ぬれわらんじ 手塚亮 28
部落のまど
第15次平和憲法記念「京都高校生の集い」春季討論集会 B・K・A 30
学生部落研各地の動き 全協事務局 31
第五期部落問題研修講座終る 大河内亮璋 33
自治体労働者と部落問題─第十回自治研集会から─ 吉沢正 35
思い出11 全水本部出仕 木村京太郎 40
あるろうあ者問題 ─その筆談をめぐって─ 伊東雋祐 46
本棚 われら現業労働者─北九州市職労の闘い─ 塩田庄兵衛 48
座談会 大学生の部落研活動 第二回全国学生部落研六月集会参加大学 50
“はぐるま”とわたしたち 61
同和教育の教材と学ばせ方 5
「さるかにばなし」の指導計画 福本輝士 62
朝鮮民話 気が狂ったやつは、やいとで直さにゃならぬ 趙成吾訳 67
はがきつうしん 79
研究所だより 34
部落問題研修第六期研修募集要項 80

 

 

部落(部落問題研究所機関誌)第222号(1967/10/20)臨時号

内容

所蔵
第16回全国部落問題夏期講座報告 U

 

部落(部落問題研究所機関誌)第571号(1993/12/01)

内容

人権問題とは 1
特集 「広島女子高校生自殺問題」をめぐって
座談会・「広島女子高校生自殺問題」をめぐって 6
いま、部落問題で問われていること 瀬川負太郎/山田昭/川端俊英/重岡式興
広島の部落問題によせて 芝田進午 31
許しがたい死への冒瀆 西川清治 36
朝鮮の衡平運動と日本の水平運動 井口和起 40
広島県豊栄町の部落解放運動(二) 後藤弘起 50
いのちとくらしを守って
被爆者とともに医療活動を続けて〈その二〉 山田寿美子 83
守先文庫のこと 亀井千寿 66
夜空に輝く青春群像 映画「学校」 畦地享平 78
ずいそう「あなたの言葉が通じない」 荒巻裕 4
連載
望ましい教師像をもとめて(9)
校長への提言(1)  辻多喜雄 89
動向
研究・関心の高さ示した全国自治研部落問題分科会 小村和義 70
運動・解同の「条例」制定策動阻止へ 津幡邦昭 72
第十回大阪部落問題研究集会・公正民主の府民会議「総会」
行政・第18回自治体労働者の部落問題研究「京阪神交流集会」 山下等 74
わが作品を語る 『居住福祉の論理』 早川和男 68
最近の読書から 『断筆宣言への軌跡』  亀田順一 49
漫々録 何事も忘れず何事も学ばないこだわり 瀬川負太郎 76
本棚 働き、学び、たたかって 森元憲昭 80
八次小問題 神原武士 82
各地からの通信
群馬(原田覚次)/埼玉(辻英樹)/奈良(野村清重)/岡山(景山一正)/高知(窪田充治) 56
「解同暴力糾明裁判」を支援する会ニュース No.19 97
読者のページ 93
語る会 81
編集室・訂正 96
広島の部落問題によせて 芝田進午(広島大学名誉教授) 31
一 「ヒロシマ」研究と部落解放運動
二 広島の諸矛盾と部落問題
三 広島を原点にする運動
いのちとくらしを守って 83
被爆者とともに医療活動を続けて〈その二〉山田寿美子(福島生協病院医療ソーシャルワーカー)

 

広島県水平運動の人びと

『広島県水平運動の人びと』(広島県部落解放運動史刊行会編著、部落問題研究所出版部、1973/07/30)

内容

部節 タイトル
部落解放同盟正常化広島県連合会委員長 藤川春雄
刊行のことば  部落問題研究所
刊行よせて
広島県水平社50周年を祝う  阪本清一郎
広島県水平社創立50周年を迎えて  木村京太郎
広島県の部落解放運動と私  岡映
広島県の水平運動と私  山本利平
序節 広島県水平運動の概観 34
1部
広島県水平社結成の親愛―照山正巳を偲ぶ中野繁一さん 52
全水青年同盟と私の生きがい 66
水平運動の地下水・桑田義雄さん 86
広島県の水平運動と佐藤一男さん 100
夫・玖島三一と私 120
水平運動・労働運動の闘士玖島三一さん 132
府中水平社の創設者 森分忠孝さん 144
島嶼部の組織者、原田実夫さん 157
2部
差別の70年を生きたおばあさん 172
差別と貧困のなかで 178
差別の中でたくましく 186
食肉産業に生きた人 198
馬喰と屠夫に生きた人 205
靴づくりに生きた人 216
差別・貧困・原爆の三重苦の中で 229
融和運動から部落解放運動へ 249
3部
日曜学校と八木松太郎さん 262
米騒動の渦中にいて 270
福島小学校の教育 277
福島小学校の教師の回想 289
福島町における医療活動 296
福島町民の生活と健康 306
「わかくさ子ども会」と青年指導者群 329
おわりに 341

 

資料年表:川本義隆

資料年表:川本義隆<作業中

年月日 事項 備考
 1974051 「脱出生徒の記録(昭和21年春広島一中第2学年のころ記す)」 『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会)
「(1氏名)川本義隆、(2勤務先)広島市役所、3(出身校)、4(被爆当時の学級)第1学年12学級、(住所)広島県佐伯郡大野町****」 pp.39-42
 19840301  「講演 (広島平和記念館館長) 川本義隆」(『平和を願う念仏者の集い 第1回-核兵器廃絶へ向けて 記録集(58.7.9)』(浄土真宗本願寺派安芸教区教化推進協議会)) pp.6~11」
 19850415  「平和を誓う場 資料館 川本義隆」(『子どもたちに平和な未来を―平和への願い第2集―』(生活協同組合ひろしま平和部会))
 19860301  「ヒロシマを語る 川本義隆 2」(『平和へのねがい 第6号』原水爆禁止西宮市協議会、西宮市編)
19860801 (制作日)被爆者証言ビデオ(広島平和文化センター)
20020331 肺がんのため広島市中区の病院で死去、69歳。
 20090101  「被爆体験記」川本義隆ほか(広島平和記念資料館)<広島平和文化センター被爆体験証言者で、証言講話を引退した人のプロフィール・体験記をファイルしたもの(啓発担当の平和学習で紹介していたもの等)>

資料年表:福島菊次郎

資料年表:福島菊次郎<作業中

年月日
19210315 福島菊次郎誕生。
19610801 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」(『中国新聞(夕刊)』平岡敬・記)
1963 (写真)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。<『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)所収>
196608 福島菊次郎「原爆白書」(『アサヒカメラ』)
19750806 福島菊次郎(下関出身のフリーカメラマン)写真展「30年目のゲンバク―放射能遺伝傷害の恐怖」、ギャラリー「アメリア」(東京)で開催。 C
19820701 福島菊次郎「ヒバクシャの戦後」<『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部 )所収>
19870830 『戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集』(福島菊次郎、社会評論社)
19890722 写真家福島菊次郎の写真展「天皇の戦争責任とヒロシマ」、広島市で開催(小西のぶ子記念館主催、24日まで)。 C
199508 反原発団体「原発いらん!下関の会」主催「反原発写真展」下関市の旧英国領事館で開催。福島菊次郎らの写真。 C
19950921 東京都写真美術館(主催・会場)「核―半減期(広島・長崎の写真)」
19990806 原爆・原発・差別などを写した社会派写真家・福島菊次郎の作品を常設展示する写真資料館、下関市内に開館。 C
20110615 「被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』」<『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房)>
20120806 C
20121110 C
20130201 C
20130827 C
20130901 C
20141019 C
20150620 C
20150708 C
20150714 C
20150924 福島菊次郎死去
20150926 「反原発・反戦貫く 関係者悼む 福島菊次郎氏が死去」(道免雅良・井上龍太郎) C
20150927 「天風録」 C
20150930 那須圭子「福島菊次郎さんを悼む」 C
20151001 『論』写らなかった戦後 私たちが読み取る番(佐田尾信作・論説主幹) C
20151121 C
20151223 C
20170626  『ピカドン ある原爆被災者の記録』(福島菊次郎著、復刊ドットコム)
 20220710  「書評 福島菊次郎」あざなえる記憶」(那須圭子)  C

 

日本社会党の30年

『日本社会党の30年(1)』(月刊社会党編集部、日本社会党中央本部機関紙局、19741220)『同 (2)』(19750605)、『同 (3)』(19751102)

内容

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内容 備考
 (1)
発刊によせて (勝間田清一)
 序 簡単な前史
 1  日本社会党の結成
 2  最初の活動と民主人民戦線
 3  総選挙から2・1ストへ
 4  片山内閣の成立と崩壊
 5  惨敗への道
 6 社会党の新生
 7 平和4原則
8 分裂
9 大衆闘争の展開と両派社会党
10 選挙をつうずる上向的発展
11 綱領論争
(2)
 12  再統一への道
 13 左右統一の実現
  14 大衆闘争の高揚のなかで
 15  反動岸内閣に抗して
16 再建論争と安保前段のたたかい
17 安保と三池のたたかい
18  構造改革論争
 (3)
 19 激化する党内外の抗争
20 停滞のはじまり
21 日本における社会主義への道
 22 日韓・ベトナム・沖縄
 2 3 社会党の停滞
24 1970年闘争
(1)成田―江田体制
(2)もう一つの敗北
東大紛争/反戦青年委員会/
(3)70年のたたかい
1969年末の総選挙での社会党の敗北
25 反独占統一戦線への中核として
  人名解説
 あとがき

資料年表:パール・バックとヒロシマ

資料年表:パール・バックとヒロシマ(主な出典『中国新聞』)

年月日
19461120 『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社)
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1949/1/– 米講演旅行中の広島流川教会の谷本清牧師から近況報告。「ワシントンでメソジスト教会などの協力の下に『広島を世界平和のメッカに』の運動を始めた。パール・バック氏、ジョン・ハーシー氏らの協力も得ている」
1949/3/23 ニューヨークでヒロシマ・ピース・センター協力会が結成。「土曜文学評論」のノーマン・カズンズ主筆、パール・バック氏、スタンレー・ハイ氏(リーダーズ・ダイジェスト主筆)、ハリー・カーン氏(ニューズ・ウィーク主筆)らが中心(「広島原爆とアメリカ人」)
1951/5/5 米の作家パール・バック女史が中国新聞社の創立60周年を祝い祝辞。「広島の記憶はアメリカ民衆の良心から永久に消え去ることはないでしょう。広島という名称は平和をもたらすための私たちのシンボルとなりつつあります」
1952/8/6 中国新聞を通じ8月6日メッセージ。ノーマン・カズンズ、マービン・グリーン、パール・バック、アルフレッド・パーカー、フロイド・シュモー、エメリー・アンドリュース、ウィリアム・デビン、メアリー・ジョーンズの各氏
1952/12/– 米国整形外科学会からABCCテーラー所長を通じ広島県医師会に、「広島、長崎に原爆症治療班を1年の予定で送りたい。受け入れ態勢はどうか」との非公式問い合わせ。真杉静江さんら東京の作家グループがパール・バック女史を介し故ルーズベルト大統領夫人に働き掛けた結果
1955/6/19 原水爆禁止世界大会広島準備会がパール・バック女史、ジョン・ハーシー氏、キュリー夫人、アラゴン氏、サルトル氏、郭沫若氏ら70人に大会招請状を発送
1955/12/10 パール・バック、バートランド・ラッセル氏らで構成するスイスの人権アカデミー(本部ジュネーブ=1950年6月発足)が広島、長崎両市へ「原爆被災が平和運動の発端になった」とメダルを贈呈
1958/4/11 米核政策健全化委員会がニューヨーク・タイムズに著名47人の連名で、「太平洋上の核実験を停止させるためアイゼンハワー大統領に訴願書を提出する。国会議員、編集者、放送機関にも訴える」との意見広告。同委員会は前年11月、作家、牧師、教育者などの有志で結成、ノーマン・カズンズ氏が臨時議長に就任。その後、参加者はルーズベルト夫人、パール・バック女史、仏の作家アルベール・カミュ氏など多彩に
1965/10/3 広島市宇品町の広島「憩いの家」で、「被爆者の集い」1,000回記念祝賀会。参加人員延べ5万3,000人。1964年、パール・バック女史、バートランド・ラッセル博士ら国際的文化人約2,000人をメンバーとする国際協力委員会広島ハウス財団(事務局ニューヨーク)が発足、2カ月に1度の割で被爆者救援の定期便
1967/12/23 ニューヨークの「広島憩いの家国際協力委員会」から広島市宇品町の広島「憩いの家」に被爆者救援金10万円が届く。「憩いの家」設立者のアイラ・モリス夫妻、バートランド・ラッセル卿、パール・バック女史ら
1973/3/6 パール・バック女史が米バーモント州ダンビーの自宅で死去。80歳。

 

 

 

 

 

 

 

 

小説「大地」で知られる米作家でノーベル文学賞受賞者のヒロシマ・ピース・センター運動、精神養子運動などを支援