新研ニュース(中国新聞労組新研部発行)
号 | 発行年月日 | 備考 |
01 | ||
02 | 19840113 | |
03 | 19840117 | |
04 | 19840204 | |
05 | 19840209 | 自治体報道への提言①兼井亨「一貫性欠ける特落ち対策」 |
11 | 19840321 | 原爆・平和報道への提言①秦野裕子「『なぜ』に答えぬ連載 多い常とう句深まらぬ認識」 |
新研ニュース(中国新聞労組新研部発行)
号 | 発行年月日 | 備考 |
01 | ||
02 | 19840113 | |
03 | 19840117 | |
04 | 19840204 | |
05 | 19840209 | 自治体報道への提言①兼井亨「一貫性欠ける特落ち対策」 |
11 | 19840321 | 原爆・平和報道への提言①秦野裕子「『なぜ』に答えぬ連載 多い常とう句深まらぬ認識」 |
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)概要
序 | 瀬戸内海文庫編集部 | |
口絵写真 | 1945年8月6日午前8時15分 世界史に大きく記録される一瞬、それは広島市の上空に原子爆弾の第一弾が投下された時間であり、この一発こそ第二次世界大戦の終止符となり、世界平和への大きな原動力となった |
|
1 | 一発の爆弾で見渡す限り死の原子沙漠と化した広島市 | |
2-1 | 爆発直後に撮影されたキノコ形の原子雲 | |
2-2 | ||
3-1 | ||
3-2 | ||
4-1 | ||
4-2 | ||
5-1 | ||
5-2 | ||
5-3 | ||
6 | ||
7 | ||
8 | ||
9 | ||
10 | ||
11 | ||
12-1 | ||
12-2 | 原爆の直下ともいえる相生橋の被害はひどかったが現在では全くそのかげをとどけぬまでに復旧工事がほどこされた | |
目次 | ||
報道篇 | ||
爆弾篇 | ||
体験篇 | ||
宣言 | 日本ペンクラブ「広島の会」(中国19500416) | |
あとがき | 編者 | |
奥付 | ||
編集者 | 「回顧五年-原爆ヒロシマの記録」 | |
広島市外祇園町 電話;祇園66番 | ||
発行者 | 田中嗣三 | |
印刷所 | 増田兄弟活版所 | |
広島市空鞘町 電話;西(3)2567 | ||
発行所 | 瀬戸内海文庫 | |
広島市研屋町12番地 電話;中(2)4495 | ||
回顧五年-原爆ヒロシマの記録(爆弾篇/体験篇)
爆弾篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
英で着手、米で生産 | 毎日 | 0815 |
動力の世界に革新 | 毎日 | 0815 |
五百トン爆弾と同じ作用 | 朝日 | 0816 |
浅田博士に聴く(1) | 朝日 | 0821 |
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威 | ||
浅田博士に聴く (2) | 朝日 | 0822 |
浅田博士に聴く(3) | 朝日 | 0823 |
浅田博士に聴く(4) | 朝日 | 0824 |
浅田博士に聴く(5) | 朝日 | 0826 |
浅田博士に聴く(6) | 朝日 | 0827 |
原子爆弾の神秘を声明 | 19460330 |
体験篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
原子弾を浴びて | 朝日 | 0831 |
つきぬ情の一筋 | 中国 | 19460215 |
名作「原爆の回顧」 | 朝日 | 19470808 |
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 | 中国 | 19470821 |
私らは大きくなった | 朝日 | 19480808 |
出典:『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1949年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
八月六日を“世界平和デー”に | 中国 | 0128 |
海越えて米婦人“愛の小包” | 朝日 | 0131 |
原爆広島の復興、外人に忠言を聞く | 朝日 | 0206 |
原爆の街ヒロシマ | 毎日 | 0209 |
原爆患者の被災実演を撮影 | 朝日 | 0316 |
「原爆の日」を祝日に“ヒロシマ”の著者にも | 毎日 | 0320 |
原爆都の皇太子さま | 中国 | 0407 |
ノーモア・ヒロシマズ運動 | 中国 | 0419 |
原爆罹災者の署名運動 | 中国 | 0515 |
全人類を愛で結べ | 中国 | 0604 |
きのう晴れの着工 | 朝日 | 0604 |
原爆孤児と仲良く半日 | 毎日 | 0609 |
原爆の広島救えと9萬ドル | 朝日 | 0618 |
鳴れ世界の果まで | 中国 | 0623 |
悲願広島の家 | 朝日 | 0702 |
原爆傷害研究所近く着工 | ? | 7020 |
賛成が圧倒 | 中国 | 0709 |
平和を祈る一票 | 毎日 | 0709 |
あす公式に開所式 | 中国 | 0713 |
八月六日を広島の日に | 毎日 | 0719 |
6・7・8の三日間広島で平和祭 | 毎日 | 0804 |
世界各地へ記念ポスター | 中国 | 0804 |
高らかに平和の鐘 | 毎日 | 0807 |
広島・長崎にノッポ人出現か | 中国 | 0822 |
原爆死者二十萬突破 | 中国 | 0830 |
米眼科医二名が来広 | 朝日 | 0908 |
平和生む最後の一撃 | 朝日 | 0926 |
吉川氏夫妻を激励慰問金を贈る | 毎日 | 1001 |
四年後のヒロシマ | ? | 1001 |
原爆研究所陣容を強化 | 毎日 | 1009 |
平和への道標 | 毎日 | 1015 |
原爆の眼への影響 | 中国 | 1103 |
広島平和センター | 中国 | 1119 |
広島で原爆都市青年交歓会 | 毎日 | 1121 |
初の国際学生会議 | 中国 | 1122 |
広島、長崎に新しい原子病 | 毎日 | 1122 |
原爆体験記を紹介 | 朝日 | 1123 |
広島に集まる同情の眼 | 舞に | 1228 |
見出し |
報道篇(1948年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
原爆都一番乗り、瑞西から婦人記者 | 中国 | 0121 |
アトム広島にアメリカの花 | 毎日 | 0124 |
アトム広島に孤児の家 | 毎日 | 0205 |
北米の仏教徒から贈物 | 毎日 | 0211 |
原爆の被害者研究所 | 毎日 | 0215 |
原爆地に新しき村 | 朝日 | 0301 |
グ司令長官来広 | 中国 | 0302 |
明年“平和博” | 毎日 | 0303 |
児童文化会館の建設進む | 毎日 | 0305 |
アトム広島復興の春 | 毎日 | 0325 |
ベル博士らの祝福を浴びて 前例のない施設 | 中国 | 0504 |
爆心に悲願の公園 | 中国 | 0520 |
営々の“村造り”二年 | 朝日 | 0703 |
両市に原爆医学研究所新築 | 朝日 | 0706 |
回り来る平和三周年 | 毎日 | 0801 |
四度びめぐり来る思い出の日 | 中国 | 0801 |
世界平和確立は市民の責任 | 朝日 | 0805 |
海を渡りくる激励文 | 毎日 | 0806 |
平和きっと広島から | 中国 | 0807 |
平和宣言 | 中国 | 0807 |
「アトム都、広島の追憶式典」 | 朝日 | 0807 |
さよなら原爆症 | 中国 | 0808 |
大人気のスピード復興 | 中国 | 0824 |
平和記念公園の応募要項きまる | 中国 | 0824 |
広島市民へのメッセージ(ヘレン・ケラー) | 毎日 | 1014 |
ヒロシマ新地園、一ヵ月に外客五百名 | 中国 | 1207 |
素晴らしきかな平和都市 | 中国 | 1207 |
来広の外人に原子焼の贈物 | 中国 | 1207 |
見出し |
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1947年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
広島・長崎の再建 | 毎日 | 0103 |
広島・長崎の居住害なし | 毎日 | 0119 |
米記者団一行の広島訪問感想記 | 中国 | 0220 |
原子爆弾で奇形児生る | 毎日 | 0328 |
自然の恵みを生かせ | 中国 | 0430 |
広島の焼跡に颯爽?登場 | 中国 | 0430 |
爆心に祈る孤児にうるむ愛の瞳 | 中国 | 0501 |
米国版「広島の声」 | 中国 | 0515 |
ベル博士と本川校結ぶ愛情 | 中国 | 0516 |
UP特派員の広島訪問記 | 中国 | 0519 |
人間は一撃で死んだ | 中国 | 0605 |
原爆症診断に都築博士来広 | 中国 | 0624 |
夏草原子爆弾模様 | 朝日 | 0628 |
爆心地に「仲よしくらぶ」 | 中国 | 0630 |
広島こそ平和のメッカ | 中国 | 0729 |
高らか平和の鐘 | 毎日 | 0629 |
原子医学は世界一 | 中国 | 0801 |
ピカッと来た途端に産ぶ声 | 朝日 | 0801 |
市街の八割三分復興 | 朝日 | 0801 |
あれから三年アトム広島変遷記 | 中国 | 0802 |
平和のメッセージ | 朝日 | 0802 |
母の愛か奇跡の生 | 中国 | 0803 |
原爆患者を慰問 | 中国 | 0803 |
平和の書「ヒロシマ」後日物語り | 中国 | 0803 |
平和な悲願の旅路 | 中国 | 0804 |
広島へマ元帥の特使 | 朝日 | 0804 |
世界語「ピカドン」 | 中国 | 0805 |
空から見た広島 | 毎日 | 0805 |
原爆のヒロシマの体験録音で全米に放送 | 朝日 | 0805 |
きょう原爆二周年 | 毎日 | 0806 |
高鳴る平和の鐘 | 朝日 | 0807 |
安らけし平和の日 | 中国 | 0807 |
マ元帥メッセージ | 中国 | 0807 |
文明の魁に広島市長宣言 | 毎日 | 0807 |
正一君をたずねて幾千里 | 朝日 | 0807 |
我が家の焼跡巡禮 | 朝日 | 0807 |
落とすなかれ三発目 | 中国 | 0809 |
広島、長崎の原爆影響調査 | 中国 | 0903 |
「原爆の乙女」が再生の航路 | 朝日 | 0904 |
広島、長崎の幼児発音調査 | 中国 | 0906 |
原子都と観光瀬戸内海 | 中国 | 0908 |
似島に原爆千人塚 | 中国 | 0920 |
轟け平和の鐘 | 中国 | 0924 |
つゆ草の遺伝変種発見 | 中国 | 0926 |
米に新しき友 | 毎日 | 0928 |
広島こそ世界のメッカ | 中国 | 0928 |
吹き飛んだ二〇キロ | 中国 | 1004 |
アチラの友達から広島の学童へ贈物 | 中国 | 1005 |
広島児童文化会館地鎮祭 | 中国 | 1005 |
原爆から二年、脚光を浴びる似島 | 中国 | 1014 |
原爆千人塚除幕式 | 中国 | 1014 |
沙漠に学童の天国 | 中国 | 1122 |
実験室に新しき生 | 中国 | 1129 |
広島で平和の世界会議 | 朝日 | 1207 |
アトム洗禮の神父遍歴の旅から還る | 朝日 | 1208 |
お土産はアトム教会 | 朝日 | 1208 |
原爆の都にわれらの天皇 世界に伝わる“天皇と広島” | 中国 | 1208 |
原爆地に千萬ドルの贈物 | 毎日 | 1215 |
ヒロシマに原爆研究所 | 毎日 | 1217 |
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1946年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
ただ一弾で焼野原 爆発音で誤り伝える二弾投下 文字通りピカドン | 中国 | 0106 |
“不妊症婦人”が妊娠 | 朝日 | 0120 |
圧力波で千里の突風 | 中国 | 0122 |
米軍総指令部 広島の被害を発表 | 毎日 | 0204 |
生きている原子爆弾 広島郊外で放射能を発見 | 毎日 | 0206 |
原子症状いまはなし 多くは恐怖による神経症 | 毎日 | 0206 |
市電近く全通 被爆後半歳・広島の復興 既に263の町内会誕生 築く”山陽屈指の貫禄” | 毎日 | 0206 |
”神父も槌を揮う” 教会再建の一点景 | 毎日 | 0206 |
[無見出し]<人員復帰状況> | 中国 | 0206 |
新型爆弾症 言葉を忘れたM君 これは健忘性失語症 | 中国 | 0211 |
「爆弾症」その後の状況はこうだ | 中国 | 0213 |
米大統領演説 「広島」は世界の出発点 原始時代に生きる教育の途 | 毎日 | 0513 |
青空教室 廃材の机、石の腰掛 原子沙漠にヨイコの学習 | 毎日 | 0515 |
爆弾症に医学の挑戦 都築博士中間報告 海水浴は持って以っての外 日光さけて地味に暮せ | 中国 | 0522 |
原子症は再発? 広島と長崎に新しい話題 | 毎日 | 0524 |
広島は平和のシンボル 帰国後の援助も惜まず モ顧問別離の挨拶 | 中国 | 0616 |
細胞や血液に新影響 原子爆弾と取組む2教授 | 朝日 | 0617 |
世に告ぐ新生「広島」 ”復興祭”をパリ放送局が現地録音 | 毎日 | 0703 |
団子に原子沙漠の草 広島市民のカロリー補給 | 朝日 | 0706 |
遺す原子弾戸籍 影響を遺伝的に研究 広島で10万人を登録 | 中国 | 0725 |
爆心に平和の霊地 復興に力強い宗教運動 | 毎日 | 0806 |
「沙漠」から「住める街」に けふ広島原子爆弾1周年 | 朝日 | 0806 |
雑草の「原爆植物園」 広高師藤田教授が保存に努力 | 朝日 | 0806 |
原子爆弾研究にわが学界総力を結集 | 中国 | 0808 |
霊よ安かれ・茂る夏草に祈り | 朝日 | 0808 |
原爆の影響で児童の体力低下 大部分は神経症状 | 中国 | 0831 |
天晴れ広島戦災五童心 | 中国 | 1117 |
火傷手術いまチャンス 安定期に入ったピカドン症 | 中国 | 1221 |
後世に伝う「原子戸籍」建物の部 一瞬9割崩る 槌音朗々 5割は復興 | 中国 | 1226 |
『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)
報道篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
敵、広島に新型爆弾 | 朝日 | 0811 |
落下傘つき、空中で炸裂 | ||
ピカッ!物陰に | ||
新型爆弾 | ||
鈍音熱線大轟音 | ||
悪魔の爆弾英民衆も非難 | ||
広島の戦訓 | ||
壕には爆風除け | ||
正に火薬二萬噸に匹敵 | ||
危険は閃光の一瞬 | ||
聖断を拝し大東亜戦争を集結 | ||
詔書 | ||
最大の凶器原子爆弾 | ||
従来の作戦を一変す | ||
英米で共同研究 | ||
原子爆弾投下機操縦者の話 | ||
死亡なお続出 | ||
原子爆弾現地調査報告書 | ||
原子爆弾、あの日の戦慄 | ||
残された原子爆弾の恐怖 | ||
惨、累々たる死骸 | ||
半径二キロまで全壊焼 | ||
死者なおも続出 | ||
頭髪も全部ぬける | ||
「原子爆弾」その後 | ||
広島の被害世界一 | ||
妊婦には影響なし | ||
嘘だ、七十五年説 | ||
原子爆弾防御法米研究所で発見 | ||
「原子爆弾」奇譚 | ||
原子爆弾の恐怖と対処策 | ||
地震学者のみた原子爆弾 | ||
根こそぎ倒れた国泰寺の樟 | ||
症状は回復してもこの冬無理は禁物 | ||
空中で組立て広島爆撃 | ||
街の話題 | ||
妊娠は当分駄目 | ||
原子爆弾と広島の復興 | ||
爆弾篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
英で着手、米で生産 | 毎日 | 0815 |
動力の世界に革新 | 毎日 | 0815 |
五百トン爆弾と同じ作用 | 朝日 | 0816 |
浅田博士に聴く(1) | 朝日 | 0821 |
理博、阪大教授、産業科学研究所員、超電波の権威 | ||
浅田博士に聴く (2) | 朝日 | 0822 |
浅田博士に聴く(3) | 朝日 | 0823 |
浅田博士に聴く(4) | 朝日 | 0824 |
浅田博士に聴く(5) | 朝日 | 0826 |
浅田博士に聴く(6) | 朝日 | 0827 |
原子爆弾の神秘を声明 | 19460330 |
体験篇(1945年)
見出し | 掲載紙 | 掲載月日 |
原子弾を浴びて | 朝日 | 0831 |
つきぬ情の一筋 | 中国 | 19460215 |
名作「原爆の回顧」 | 朝日 | 19470808 |
原爆孤児が綴る新版「父帰る」 | 中国 | 19470821 |
私らは大きくなった | 朝日 | 19480808 |
『世紀を超えて-爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編 、中国新聞社、19950801)
目次
章節 | ||
序に代えて-爆心地復元運動の今日的意義-(芝田進午) | ||
Ⅰ | 人間の復権を目指して(湯崎稔) | |
Ⅰ-1 | 原爆被災復元調査の意味 (湯崎稔) | |
Ⅰ-2 | 原爆被災復元の論理の構想(志水清編、金沢寛太郎・長屋龍人・湯崎稔) | |
Ⅰ-3 | 広島における被爆の実相 | |
『歴史評論 NO.336』(197804) | ||
Ⅱ | 爆心復元運動の誕生と展開(長屋龍人) | |
はじめに | ||
Ⅱ-1 | 被爆原点の空白 | |
Ⅱ-2 | 「爆心半径五〇〇メートル」の衝撃 | |
Ⅱ-3 | 「爆心復元」アイデアの源泉 | |
Ⅱ-4 | 爆心復元の論理と構想 | |
Ⅱ-5 | キャンペーン始動 | |
Ⅱ-6 | 爆心復元運動の展開 | |
Ⅲ | 爆心復元運動からヒロシマ理論へ(児玉克哉) | |
はじめに | ||
Ⅲ-1 | 日本現代史の縮図としての広島 | |
Ⅲ-2 | ヒロシマの視点 | |
Ⅲ-3 | ヒロシマと現代 | |
Ⅲ-4 | 爆心地復元運動からヒロシマ理論へ | |
Ⅳ | 座談会「爆心調査」からヒロシマを考える | |
出席者 | ||
青木豊子(爆心地復元調査協力者) | ||
鎌田七男(原爆放射能医学研究所研究員) | ||
高橋昭博(爆心地復元調査参加被爆者) | ||
長屋龍人(爆心地復元運動企画提案者、当時NHK番組ディレクター) | ||
渡辺正治(元原爆放射能医学研究所研究員) | ||
児玉克哉(三重大学人文学部助教授) | ||
太田武男([中国新聞]編集部) | ||
あとがき(児玉克哉) |