「原爆の子の像」建設趣意書
1956(昭和31)年3月1日
私たちの手で”原爆の子の像”を
禎子さんはしんどいめをして死んでゆきました。小学校四年生の義登君もそうでした。
原爆の時、禎子さんはまだ二つだった。お母さんにおわれて必死で楠木町の方へ逃げ、ほいでいのちが助かった。それなのに去年のちょうどいまごろ、ぽっくりと原爆症がおき、お医者にかかりました。病名は亜急性リンパ腺白血病というむずかしい名ですが、息がきれるまで九ヶ月間、それはとても苦しいとう病生活でした。
私たちお友だちで、日赤病院へ見舞いに行った時、禎子さんはベッドに寝たまま、薬の紙で千羽鶴を折っていました。「こが-に鶴う折ってどうするん。」と言ったら、「ほいでも、早うなおりたいけ・・・」と、うらめしそうにこたえた禎子さんの顔が、まだ忘れられません。
運動の選手だった禎子さんは、早うなおって、又一番をとりたかったにちがいありません。
千羽鶴はみなで六四三羽折られていました。私たちはそれを一つずつ形見にもらい、あとはみんな私たちの手で、棺の中の禎子さんのお顔や胸におさめてあげ、お別れをしました。
義登君はクリスマスから悪くなり、この一月二十四日には、もうなくなりました。何を問われても、コックリうなずいて寝かされていた義登君。約束の原爆の映画にも、もうとってもらえないし、つまらないなあ。
禎子さんの遺品となった出しかけの手紙があります。
「私の手にゆけつされるときはたいへんいたかった。医者さんがいわれるには、病気をしたときは、少しはいたいことをしないとなおらないといわれました。いたいめをしてでもよいから、私は早くよくなって春休みにはおねえちゃんの所にいきたい」
これをホーム・ルームで読んだとき、島本さんが、「のう、みんなで原爆の子の像を作ろう。」と言いました。「ほいでも、えっとお金がかかるぞ」と洋吉君が口を出し、みんな困った。「そりゃ、お互が節約して出すんよの」と、島本さんが言って、みんなこれに賛成しました。
それからず-りきて、一九五六年一月二十八日でした。広島市内の小学校から高等学校までのぜんぶの児童・生徒のお友達たちの代表が集まり、像をたてる決議をしました。
さいしょの原爆が広島に落とされたとき、私たちはまだこまかった。かすかにしか覚えていません。でも、あの日、町の建物をのけたり、工場のきんろう作業に出されていたお兄さんや、おねえさんは、二十四万の爆死者とともになくなられた。二度と私たちのように楽しい勉強も、カープの試合も見られないから可哀そうです。
紘治君のお母さんも、仕立物をぬいながら、今でもよく泣いています。
この二月のはじめ、市の原爆しょうがい協議会が、私たちの中には、まだ九七〇〇人の爆弾にあったお友達がいると発表されたので、なんだかいびせくなります。
今年も原爆の病気が出て、広島市内でもつぎつぎと、大人の方がなくなっています。
禎子さんや義登君のように、カスリきず一つうけないで、お勉強をしてきたのに、いまになって、しかも自分のせいでない病気のために落さねばならない。ほんとうにこんなことがあってよいでしょうか。
戦争で傷つけられたのは、私たち広島の市民だけではありません。全国の児童・生徒の皆さんも、それぞれぎせいを受けられて、いまもきっと、情けないめをしていられることでしょう。あの時焼け死んだ一万名のお兄さんや、おねえさんたちは、みんな死にたくなかった。どんなにつらかったでしょう。今でも夜がくると、川の橋の下で、その泣き声が聞えるような気がします。
それに、死んでも禎子さんにはまだ仏だんがない、ナメクジ住宅のバラックのお家はすうすうして寒い板の打ちつけです。
全国のお友達の皆さん!
私たちは私たちの手で、これらたくさんの学徒や、お友だちの霊を、おまつりしてあげたいのです。お小づかいをしまつして、祈りのこもった原爆の子の像を作りたいのです。そしてお互に励まし合い、毎日一心に基金を集めています。
しかし、次の計画のように、心のこもった意義のある像を建てるには、えっともとでがかかり、大へん困っています。どうかこのことを知って、げきれいし、できたら、えんじょしていただけないでしょうか。私たちこころからのお願いです。
一九五六年三月一日
広島市材木町 広島平和記念館内 平和をきずく児童・生徒の会
委員長 中村正司
”原爆の子の像”を建てる計画書
1.事業者 広島市公私立小・中・高校の児童・生徒会
2.目的 私たちは戦争の犠牲となった亡き児童・生徒の霊を心からとむらい、傷ついた友達をなぐさめるために”原爆の子の像”を建て、ふたたび戦争をくり返すことのない、平和な住みよい世界を打ちたてるべく、努力することを誓います。
3.規模と制作 真にこの目的にかなって、意義がこもり、つねに私たちや人々の追憶と平和へのしるべとなり、後世に遺る規模のものを、この道のすぐれた彫刻家に依頼して制作してもらう。
4.建てる場所 広島市中島平和記念公園内
5.完成予定 募金額、制作費等と関係があり、まだとり決めていないが、見通しがつき次第、ただちに着手し、なるべく早く完成させたい。そして除幕式には御支援下さったお友達の地方代表をもお招きしたい。
6.募金対象と期限
イ.広島市内各小・中・高校児童・生徒
ロ.全国各学校のお友達
ハ.こころざしある一般の方々
とし第1期の募金〆切期日を昭和31年8月6日とする。
7.建てる基金を送って下さるには
1.一番確実な御送金は、この趣意書につけている振替用紙をおつかい下さい。
2.用紙のない場合も、同じく郵便局を御利用下さって、口座番号、広島20番広島銀行本店宛にお送り願います。
3.右の1.2.どちらの場合も、たいへん御面倒ですが、同封の葉書にて次の事務所宛に御送金下さった由を御一報下さい。
8.募金の扱い及び事務所
広島市材木町 広島平和記念館内 平和をきずく児童・生徒の会
準備会 昭和31年1月11日 結成総会 昭和31年1月28日
平和をきずく児童生徒の会会則
第1章 総則
(事務所)第4条 この会の事務所を広島市元町一番地、広島市児童文化会館内に置く。
第2章 役員
委員長 |
中村正司(基町高) |
副 長 |
福田晴之(幟町中) |
同 |
(青崎小) |
(顧問)(小学校)田中* (中学校)田中元逸 (高等学校)正月定夫 (市教委総務課長)森岡幹造
広島平和をきずく児童生徒の会
原爆の子の像(折鶴の子の像)
建立年月日:1958(昭和33)年5月5日
場所:広島市中区中島町・平和公園)
(正面)
これは ぼくらの叫びです
これは 私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための
(裏面)
原爆で亡くなった兄姉の霊をなぐさめ世界に平和を呼びかけるために広島市小・中高校の子供が結集し全国の友達の支援のもとにこれをつくる
一九五八年五月五日
広島平和をきずく児童生徒の会
『わたしたちの広島市』(広島市小学校社会科研究会編、中国書店刊)
参考資料
広島平和をきずく児童・生徒の会日記(1955年10月-1957年3月)
「原爆の子の像」建設趣意書(1956年3月1日)
広島の教育関係団体による「原爆の子の像」建設への協力依頼
「原爆の子の像」建立募金状況総まとめ表
千羽鶴・シナリオ第一稿(共同映画社・広島平和を築く児童生徒の会編、1957年12月10日)
「原爆の子の像」建立募金状況総まとめ表
1958年5月5日
都道府県名 |
校(口)数 |
金額 |
|
都道府県名 |
校(口)数 |
金額 |
広島 |
624 |
1380415 |
|
山梨 |
79 |
111657 |
岡山 |
43 |
76657 |
|
静岡 |
89 |
152994 |
山口 |
68 |
71028 |
|
愛知 |
120 |
297881 |
島根 |
15 |
10179 |
|
三重 |
69 |
83377 |
鳥取 |
1 |
1285 |
|
大阪 |
122 |
286557 |
北海道 |
291 |
418697 |
|
滋賀 |
42 |
41920 |
青森 |
10 |
16571 |
|
京都 |
59 |
102050 |
秋田 |
21 |
26561 |
|
和歌山 |
68 |
71860 |
山形 |
27 |
47980 |
|
兵庫 |
79 |
146204 |
宮城 |
20 |
17725 |
|
徳島 |
10 |
22623 |
福島 |
88 |
122806 |
|
愛媛 |
16 |
21010 |
岩手 |
19 |
16078 |
|
高知 |
46 |
41974 |
新潟 |
140 |
201280 |
|
奈良 |
3 |
5050 |
東京 |
260 |
831639 |
|
香川 |
14 |
13198 |
神奈川 |
87 |
267317 |
|
福岡 |
91 |
208002 |
茨城 |
62 |
86533 |
|
大分 |
51 |
63678 |
埼玉 |
23 |
41585 |
|
熊本 |
27 |
30404 |
群馬 |
18 |
35428 |
|
長崎 |
74 |
60512 |
石川 |
73 |
90514 |
|
佐賀 |
29 |
47293 |
富山 |
62 |
75765 |
|
宮崎 |
30 |
28097 |
長野 |
26 |
27465 |
|
鹿児島 |
10 |
12759 |
栃木 |
20 |
55808 |
|
外国 |
3 |
2150 |
福井 |
29 |
40096 |
|
その他 |
3 |
3200 |
岐阜 |
109 |
153428 |
|
計 |
3279 |
6066390 |
出典:広島平和をきずく児童・生徒の会『「原爆の子」の像建立募金名簿-1958年5月5日完成除幕報告』
1956年3月10日
子どもの手で作る「原爆の子の像」に御支援を請う!
今般広島市公私立小・中・高校の児童・生徒会が挙って企画・決議しました「原爆の子の像」の建立運動は、大人や各種団体がタッチしない、全く児童・生徒の悲願にもとづく自主的な運動でありまして、これまで広島に於ても類例を見ない聖なる実践活動であります。
趣意書にも、この目的が書かれていますが、幾多の原爆戦災犠牲学徒の霊を慰めたい至情と共に、平和への幼きものの訴えの証(あかし)として、事、極めて有意義な事業と思います。然もこうした自らの営みを通して全国の各児童・生徒、更には世界の子供が「平和の友垣を作る」運動にもなることであり、私共広島県各種教育団体としても満腔の側面的支援を惜しまぬところであります。
本趣意書は追而、児童・生徒の手で全国の小・中・高校のお友達に発送される予定でありますが、貴***教職員組合におかれても、関係各学校の教職員・児童・生徒に御伝達下さり、絶大なる御支援と御協力を賜りますよう御依頼申し上げます。 敬白
昭和31年3月10日
広島県教育委員会協議会 広島県PTA連合会 広島県小学校長連合会 広島県中学校教育会 広島県教職員組合
教職員組合殿
平和をきずく児童生徒の会 1956年1月28日結成
広島平和をきずく児童・生徒の会日記
(1955年10月-1957年3月)
年月日 |
事項 |
19551025 |
佐々木禎子さん原爆症でたおれた。 |
19551110 |
幟町中の級友、全国中学校長大会で平和を訴え、「原爆の子の像」を作るビラをお願いした。 |
19551225 |
禎子さんの級友が「こけしの会」をつくる。 |
19560128 |
広島市小中高校が一つになり「平和をきずく児童生徒の会」を結成、宣言文を読む。会則を決め役員を選挙する。 |
19560325 |
「原爆の子の像」を建てる全国運動をおこし、趣意書を全国のお友達にくばる。 |
19560425 |
会の委員、街頭募金第1回を行う。 |
19560701 |
イギリス・ハンガリヤ等外国からも激励文が来はじめる。 |
19560806 |
会の代表、原水禁広島大会へ参加、世界の子供が平和への手をつなぐ運動をおこす。 |
19560809 |
委員長中村君、長崎世界大会に出席、外国代表に会のメッセージを手渡した。 |
19561010 |
像の制作者選考にとりかかり、大人の美術家に相談する。 |
19561015 |
像の制作者、東京芸大教授菊池一雄先生に決定。 |
19561020 |
アメリカ文化センター・フツイ館長、ノーマン・カズンズ氏をたずね、アメリカの友達とも文通することをお願いした。 |
19561128 |
菊池先生来広、制作計画をたてられる。 |
19561231 |
像の募金を締切る。 |
19570227 |
総会を開き会計報告をし、反省会をする。 |
19570310 |
像の模型出来上り菊池先生来広。 |
出典:『平和』第5号(広島平和をきずく児童・生徒の会、1957年8月5日)
同志社大学神学部新島講座 1947年8月4日~8日
『原子力時代に於ける基督教-新島講座記念論文集』( 有賀鉄太郎編、聖光社刊、19480215 刊)=1947(昭和22)年8月4日-8日、同志社大学神学部で開かれた「新島講座」の講演記録。
目次
著者 |
タイトル |
有賀鉄太郎 |
序 |
「この書に収められた諸篇は、昭和22年8月4日から8日に亘って同志社大学神学部に開かれた「新島講座」の講演に基づいたもの」 |
湯浅八郎 |
原子力時代に於ける基督教 |
「文明のかかる欠陥を痛感するアメリカの学会は、戦時中より科学、宗教、哲学の三分野に亘り学会の権威をコロンビア大学に招集し年一度綜合研究会を開催することを試みた。1946年には第4回目の会合がコロンビア大学で開かれたが、その時最も大きな感銘と衝撃とを与えたものは、サタデー・リビュー・オブ・リテラチュアの主筆、カズン[ノーマン・カズンズ]氏の原子力時代に関する論文であった」 |
山崎亨 |
旧約に於ける世界思想 |
富森京次 |
新約に於ける世界思想 |
有賀鉄太郎 |
初代基督教徒の世界思想 |
大塚節治 |
基督教世界観 |
湯川秀樹(招聘) |
現代科学思想 |
細野軍治 |
国際連合に就て |
安田貞雄(発題者) |
懇談会:農本文化と農村文化 |
J.G.ヤング |
宗教教育の諸問題 |
魚木忠一 |
新島先生に於ける国家思想 |
編年資料:ヒロシマ-1957年
月日 |
タイトル |
備考 |
0801 |
『家庭教育 8月号(通巻17号)』(西日本図書) |
所蔵:ピカ研 |
|
高橋定(原対協特別委員)「アメリカに渡った原爆乙女」 |
|
|
「わたしの履歴書 ”少年の島”似島学園」 |
|
1201 |
『カリキュラム 108号』(誠文堂新光社) |
所蔵:ピカ研 |
|
社会科研究室 原水爆と平和の問題 |
|
|
<実践報告> |
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道家達将「死の灰の中の子ども」 |
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|
高井哲郎「小学校高学年での実践」 |
|
|
井道玉温「広島大付中での実践」 |
|
|
<研究> |
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|
海後勝雄「『原爆と平和』の学習について」 |
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小菅茂雄「不安からの解放」 |
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<資料> |
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放射能について科学はこう教える |
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安芸玲太「子どもも叫ぶ原水爆反対」 |
|
|
映評 |
|
|
世界は恐怖する 日本ドキュメント・フィルム社・三映社共同製作 |
|
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|
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|
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|
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1962年10月?日設立
資料「広島歴史教育者協議会機関紙 歴史と教育」総目録
タイトル |
発行年月日など |
|
歴史と教育(機関紙) |
(No.1)196210~(No.14)19671001 |
|
広島歴教協月例会報 |
(No.1)196402 |
|
ひろしま歴教協通信 |
(No.1)19670501~(No.19)19701216 |
|
広島県歴教協広島支部ニュース(再刊) |
(No.1)19720910~(No.9)19730613 |
|
|
|
|
歴史と教育(機関紙) |
(No.15)19750203~(No.14)19671001 |
|
|
|
|
歴教協広島支部ニュース |
(No.4)19750224~ |
|
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|
広島県高校生平和ゼミナール
年 |
月 |
日 |
|
77 |
|
|
広島県高校生平和ゼミナール、発足。 |
78 |
02 |
11 |
第1回県高校生平和ゼミナール(県高校平和ゼミ実行委主催)、広島市内で開催。 |
|
|
|
『第1回広島県高校生平和ゼミナール』第1回広島県高校生平和ゼミナール(第1回広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編・刊、1978.2.11)、『より確かに平和へ歩もう No.1 第1回広島県高校生平和ゼミナールの記録』(1978.5.3)<広島平和記念資料館蔵> |
79 |
02 |
11 |
「第2回県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催。(12日まで) |
80 |
02 |
10 |
「第3回高校生平和ゼミナール」、広島市で開かれる。(2月11日まで) |
81 |
02 |
11 |
広島市で広島県高校生平和ゼミナール、開催。 |
81 |
02 |
21 |
広島県高校生平和ゼミナールなど、広島市で第3回平和と民主主義のための上映会を開催。 |
82 |
02 |
06 |
「第5回広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催。(11日・13日も)。 |
83 |
02 |
11 |
「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開校(13日まで)。シンポジウム、各教科による平和学習を実施。 |
84 |
02 |
11 |
広島県高校生平和ゼミナール実行委、広島市で第七回広島県高校生平和ゼミナールを開催。(12日も) |
85 |
02 |
09 |
第8回高校生平和ゼミナール(同実行委主催)、広島市で開催(11日まで)(約350人参加)。11日、約200人参加非核宣言採択。エチオピアの駐日大使を招き、対話集会「戦争と飢えはいらない」を開催。 |
86 |
02 |
11 |
第 9回広島県高校生平和ゼミナール(同ゼミナール実行委主催)、広島市で、開催(約 350人出席)。 |
87 |
02 |
07 |
第10回広島県高校生平和ゼミナール、広島市で開催(11日まで、約400人参加)。反 核ソング「ヒロシマ・スチューデンツ・アピール」を披露。 |
88 |
02 |
11 |
「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(13日も)。今年11回目。 |
89 |
02 |
04 |
第12回広島県高校生平和ゼミナール(実行委員長・横山英広大名誉教授)、広島市で開催(約600人参加、11日も)。映画観賞会など。 |
89 |
02 |
12 |
「広島県高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(約200人参加)。英語・国語などの授業形式で平和学習。原爆ドーム保存などを求める緊急アピールを採択。(「2.4」の項参照。) |
90 |
02 |
11 |
広島高校生平和ゼミナール、同市内で、「一日平和学校」を開催(約200人参加)。今年で13回目。原爆をテーマにした一人芝居「朝ちゃん」の公演など。 |
91 |
02 |
10 |
「第14回広島高校生平和ゼミナール」、広島市で開催(約250人参加)。湾岸戦争への発言が相次ぐ。 |
92 |
02 |
08 |
第15回ヒロシマ高校生平和ゼミナール、「平和とは何だ、人間とは何だ」をテーマに広島市の平和記念館で開催。約200人が参加。 |
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書名 |
著者出版者 |
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1 |
第1回広島県高校生平和ゼミナール |
第1回広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編 |
1978/02/11 |
2 |
より確かに平和へ歩もう No.1 第1回広島県高校生平和ゼミナールの記録 |
第1回広島県高校生平和ゼミナール実行委員会編 |
1978/05/03 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。